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右手に殺意を 左手に祈りを-004-
至から車のキィを受け取って、ドアを開けた。
定時を大幅に過ぎていれば、駐車場に車は少ない。人もまばら。
千景は助手席に乗り込んできた至のネクタイを摑み、ぐいと引き寄せた。
「あ」
ちょっと、と諫めかける至の口を塞いで、ちゅっと音を立てて吸い上げ、指先で首筋をくすぐってやる。
「先輩、ここまだ職場……」
「平気だろ、周りに誰もいない」
言葉ではそう諫めていても、至の頬は真っ赤に染まっている。千景はふっと口の端を上げた。
「じゃ、行こうか。いつものホテルでいいだろ」
「あ、はい……。すみません、遅くなっちゃって」
「別に構わないよ。プレゼンの資料頑張ってたな。お疲れ様」
ぽんぽんと至の頭を撫でてエンジンをかければ、照れくさそうに視線が泳ぐ。可愛い後輩だ、と思う。こうまで都合のいい相手が身近にいたのは僥倖で、千景は再度目を細めて笑った。
ディセンバーが、今どんなふうに過ごしているのか探るには、見張るよりも至に探りを入れた方がいい。他人から見たディセンバーを知ることができる。
「劇団の方は、どう? 今日は稽古なかったのか?」
「あ、今日は夏組と冬組がレッスン室使う日なので。っていうか今ちょっとややこしいことになってて……」
「ややこしい?」
「デカい劇団に目をつけられてるみたいで、劇団の存続を賭けた勝負挑まれてるんですよ」
そういえば、団員たちとそんな話をしているログもあったなと、千景はひとつ瞬いた。
「改めて……自分が結構芝居にのめり込んでるなって思いました。なくなってほしくない」
寂しそうに呟く至を横目で見やる。千景としても、今あの劇団がなくなることはありがたくない。ディセンバーが苦しむのはいいが、それに自分が関わっていないのでは意味がない。
それに、劇団がなくなれば、ディセンバーとの接点が消えてしまうだろう。
「芝居、好きなんだな」
「いや、自分では意外でしたけどね」
「そうなの? もともとなのかと思ったけど。猫かぶってるだろ? 職場で」
「えっ?」
至が驚いて、慌てた様子で振り向いてくる。至の素の姿は知っているけれど、その事実を至は知らないのだ。
「ベッドの中の茅ヶ崎が、あんなに色っぽいなんて、誰も知らないよな」
「え、あ、そっちか、良かっ……色っぽくないです」
つんとそっぽを向く仕種は、可愛いなと思わなくもないが、攻略するべきはそこではない。
少しでも情報を引き出して、こちらの有利になるように進めたいのだ。
笑う顔の奥で、千景は焼けただれそうなほど熱い殺意を抱いていた。
「勝負を挑まれたのは、冬組? メンバー集まったばっかりなんじゃないのか」
「そうなんですよね……勝負挑んできた劇団の元団員とか、ブランクありでも経験あるのはいるんですけど、あとは素人だし。まあ俺のとこも素人ばっかだったので、稽古次第でなんとか……」
「へえ……大変そうだな」
他の組はどんな演目だったのか、普段どんな稽古をするのか、ホテルに着くまでの道のりで収集する。職場から離れた場所を逢瀬に選んでいたのは好都合だったなと、千景はフロントガラスを睨みながら考えた。
「どこでも寝ちゃうって人もいるんだっけ? それで芝居とかできるのか」
「エチュード、あ、即興劇なんですけど、それは何度か観ましたよ。上手いんですよね、これが。結構な拾いものです。あ、その人記憶喪失で。行き倒れてたとこ、数あわせに勧誘したっぽいんですけどね……ウチの監督さんも節操ないっていうか」
さりげなくディセンバーの話題を出すと、驚く言葉が返ってきた。
(記憶喪失……? ふん、いい手だな、何も覚えていないと言えば、詮索されることはない。お人好しばかりの劇団で、アイツはっ……!)
信号待ちで停まった千景は、耐えきれずにステアリングへと突っ伏す。ぎゅうと強く握りしめる手に力がこもり、どうかすると壊しかねない。
「先輩? ちょ、どうしたんですか」
そんな千景を、心配そうに覗き込んでくる男。千景はゆっくりと至を振り向いて、視界に認める。ぼんやりとぼやけた視界の中で、至だけがはっきりと見えた。
(ディセンバー、お前……、なんでこんなヤツの傍にいるんだ? 記憶を失ったふりまでして、そんなに生きたかったのか?)
すうっと目を細め、憎悪さえ込めて至を見つめ返す。びく、と強張った体は、さすがに何かを察したのだろうか。
「悪い、少し頭痛がしただけだ」
「え、あの、具合が悪いなら帰りません?」
「大丈夫だよ、茅ヶ崎」
「だ、大丈夫じゃな――」
襟を引っ張り、無理やり唇を塞ぐ。
(こんな、唐突なことに対処もできないヤツの傍で!)
吸って、舐めて、その先に入り込もうとしたところで、信号が青に変わる。名残惜しいふうを装って、唇を放して至の体を助手席へと押し戻した。
「お前を抱けば治る」
「そっ……んなわけ、ないでしょ、馬鹿なんですか……」
至は何も気づかないで、頬を染めるだけで大人しくなってしまう。
千景にはそれが、余計に腹立たしかった。
身を寄せるにしても、もっと考えられなかったのか。体術に長けた人物がいるだとか、武器に詳しいとか、コネクションが強力だとか。
茅ヶ崎至には、そんな力どこにも見受けられない。もちろん個性派ぞろいという劇団全員が、こんな男ではないのだろうが、どうしても許し難い。
(男に抱かれてよがってるようなヤツの傍で、お前も笑っているのか、ディセンバー)
恥ずかしそうに、悔しそうに口を押さえる至を横目で見やり、ギリと歯を食いしばった。
この男をどうしてやろうかという凶悪な思いで、ホテルのドアを開ける。
この男はディセンバーに近づくための大事な切り札だ。下手なことをして警戒されてしまっては、ディセンバーに気づかれてしまう。
準備が整うまでは、至に気づかれるわけにはいかない。
千景は吐き出しそうな闇を必死で抑え、ジャケットを脱ぎ捨てた。
「あ、やっぱり今日もカレーだったんだ……回避できてよかった」
鞄をテーブルに置いた至が、恐らくLIMEの画面を覗いて笑う。
劇団では、よくカレーが出るのかと、辛い物が好きな千景としては気になるところだが、甘いもの――というかマシュマロが大好きなあの男も、文句ひとつ言わずにカレーを食べるのだろうかと、違和感が襲ってくる。
「寮では、カレーが多いのか?」
「そうですね。多いときは週五ですよ」
「……多いな」
「ははっ、驚きますよねやっぱり。美味しいからいいんですけど」
「楽しそうで何よりだ。……劇団の写真とか、ある?」
至もジャケットを脱いで、椅子の背にかける。ハンガーに掛けろといつも言うのに、聞いたためしがない。彼は寮でもそうなのだろうかと、さりげなく探りを入れた。
御影密――ディセンバーのことは、盗聴した声で分かったが、姿は見ていない。まだそれほど親しくなれていないのか、ディセンバーが至の部屋に来ることはなかったし、活動時間が違っているようで、至の携帯端末に映ることはなかったのだ。
「ありますよ。俺はそれほど撮る方じゃないですけど、カメラマンの臣とか、インステやってる一成とかは、いっぱい撮ってて。あ、これなんかいい写真ですよ。冬組がようやくまとまってきた感じの」
至は笑いながら端末を操作する。過敏に反応しないようにするのがとても大変だったが、至に気づかれるほどではないだろう。
はい、と手渡された端末の画面に、五人の男。
衣装合わせなのか、普段着とは思えない服に身を包んでいて、天使らしき羽根まで見えた。
千景は、愕然とした。血の気が引いていく。
そこには、あの任務の時に別れて以来の、ディセンバーの姿。
少しも変わらない姿で、そこにいた。
相変わらず眠そうにしながらも、合わせられる衣装に従順に腕を広げていた。
「他の写真も……見ていい?」
「えーと、あー……、そのフォルダなら構いませんよ。エロいものとかないし」
至はそう言って笑う。茶化したつもりなのだろうが、それに乗ってやれる余裕などない。千景はゆっくりと画面をスワイプした。
知らない男、知らない女、知らない男、知らない男、――知っている男。
足の先まで引いた血が、沸騰するかのごとく心臓に戻ってくる。そんな感覚を味わった。
「あ、先輩、俺先にシャワーしてきま――」
千景の手から、至の端末が落ちる。それはカーペットの上に転がって、ゴトリと鈍い音を立てた。千景の手は至の腕を引き摑み、傍のベッドへと放り投げる。どさ、と重い音が部屋に響いた。
「せ、先輩っ?」
両腕を押さえつけ、膝を腹の上に乗せる。身動きが取れなくなって慌てたのか、至の声が震えていた。
「――んで……なんで笑ってるんだ……?」
だけど、千景の唇が奏でる音は、掠れて、もっと震えていた。
「先輩……?」
「なんで笑ってるんだ! どうしてそんなにのうのうと生きていられる!」
目の前が真っ暗になって、真っ白になって、そして真っ赤になったような気がする。
端末の中で、〝彼〟が密と名付けた男は、笑っていた。柔らかく、安心しきって、笑っていた。
体中の血が沸騰する。ぐつぐつと腸が煮えくりかえるようだ。
「俺を……俺たちを裏切ってまで生き延びて! なんでそんなところで笑っていられるんだ、ディセンバー!」
ぐらぐらと視界が揺れる。なんという裏切りだ。
〝彼〟を殺したことを悔いて、泣き暮らしていればまだ可愛げもあったものを、記憶をなくしたと噓をついてまで、そこにいたかったのだろうか。
「アイツを殺したお前がっ……そんなところにいていいはずないだろう!」
「先輩、ちょっと、なに、ねえ、放してくださいっ」
組み敷いた男が、生意気にも逃れようと身をよじる。何かを訴えているようだが、やかましいノイズにしか聞こえなかった。
「うるさい……うるさい、黙れ」
頭の中で、ノイズに混じって声がこだまする。
その幼い声は、笑い混じりの、涙混じりの、怒りと、寂しさと、諦め。その他にも、いろいろな声が混ざり合っているようだ。
ややあって鮮明になっていくそれは、一人の男の声になり、二人の男の声になり、溶けて、重なって、ノイズを擁していく。
――か……げ。
……かげ。
ちかげ。
「千景さん!!」
突然鮮明になった音に、千景はハッとした。
不安そうに見上げてくるふたつの瞳。茅ヶ崎至だ。
視線が互いの間で重なって、彼は安堵したように見えた。
「千景さん、ねえやっぱやめましょ、今日。おかしいですよ?」
なだめるような声音と視線が、千景には煩わしい。
(よぶな……呼ぶな、アイツらでもないくせに)
ちかげ、と。
その名をつけてくれた男はもういない。呼びづらいと眠そうに言った男ももういない。
千景はすと目を細め、ぐいとネクタイのノットを引き乱す。ごろりと裏返した至の背中で、彼の手をひとつにまとめて掴んだ。
「えっ? な、なに……千景さん、どうしてッ」
突然のことに思考がついていかないのか、至は千景の下で無理に振り向く。反応が鈍いなと、千景は忌ま忌ましげに見下ろした。
「俺の名を呼ぶな。お前には許可してない」
目を瞠る至の手首を、引き抜いた自身のネクタイで縛り上げる。
不愉快で仕方がなかった。ただ体を繫げるだけの男に、呼ばれたくない。
特別な能力があるわけでもないのに、彼らのことを知っているわけでもないのに、その音を口にするなんて。
至の首を上から押さえつけ、腰を高く上げさせる。そうして耳元で囁いた。
「お前はただ、ここで俺を満足させろ」
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右手に殺意を 左手に祈りを-003-
千景は、借りているマンションの一室で、今日も盗聴のログを再生する。
最初はさすがに驚いた。会社ではあんなにエリート面をして、ベッドの中では淫らに乱れて、ふたつの顔を持っているのかと思いきや、もうふたつ。
劇団の稽古中は、会社ともベッドの中とも違う声が聞こえた。インカメラをリモート操作して覗き見てみれば、彼の組のメンバーらしい男が数人見える。どれも知らない顔ばかりで、だけど楽しそうに、それでも真剣に、台本らしきものを手に稽古していた。
そして、もうひとつ。
自室らしいそこではラフな格好になり、前髪を上げて縛り、ゲームに没頭しているようで。パソコンでのネットゲーム、ポータブルゲーム機でのやり込み、そしてスマートフォンでのアプリ。
ゲームが好きらしいというのは分かっていたが、ここまでとは思わなかった。
しかも、それが素なのか、かなりガラが悪い。言葉遣いも、仕種も、今までの茅ヶ崎至からは想像もつかなかった。
それを覆い隠してエリート面をする至には、逆に好感が持てた。自分と同じ種類だと思ったあの直感は、間違いではなかったらしい。
彼を数日〝観察〟して分かったこと。
劇団の名前はMANKAIカンパニーといい、最近再始動したらしい。以前の団員は離れてしまったらしく、一から集めたのだとか。
至が言っていたように、春夏秋冬で四つの組に分かれており、もうすぐ冬組の旗揚げ公演があるらしい。
劇団の公式サイトには、公演ごとのフライヤー画像と、劇団員の紹介が載っている。秋組までは団員個人の写真が載っていたが、冬組のはまだできあがっていないようだ。
だが、名前が掲載されている。
御影密――その名を見た途端、体中の血が沸き上がるようだった。
日本の名前は分からないが、どちらかひとつなら、珍しい名前ではないのかもしれない。だが、〝御影〟〝密〟という組み合わせが、こんなに近くで複数あるとは思えないのだ。
加えて、今日のログ。
『ただい……うおっとお、ちょ、なんでこんなとこで寝てるの』
『そこにいたのか御影。おいメシだぞ』
『風邪引くよ? あ、至くんおかえりなさい』
『んーただいま。今日の夕飯何かな』
『カレーだって』
『またカレー……』
『今日はチキンです! だってさ』
『紬、似てるなそれ……』
『密くん起きたまえ! デザートにはマシュマロを使ってくれたようだよ!』
至が帰宅した際の会話のようだ。
そして、
『マシュマロ……起きる』
この、声。
千景は組んでいた指にぐっと力を入れ、手の甲に爪痕を残す。内出血しようが、切れようが、構わなかった。
(ディセンバー……!!)
間違いなく、探していた憎い相手だ。マシュマロで反応する、あの眠たそうな声。間違えるわけがない。
内臓が全部吐き出されてしまいそうなほど、ぐるりと回る感覚を味わう。ぐぎゅうと締めつけられて、いっそこの胸を裂いて、放り出してしまいたいくらい不愉快だった。
(なんで……どうしてお前がのうのうと生きてるんだ! そんな呑気な声で! アイツを殺したその手で、何を食べるって言うんだ! ふざけるなッ……!!)
急激な嘔吐感。吐き出しそうになるのをぐっと堪え、千景は洗面所に向かった。
吐き出したくない。今ここで吐き出せば、この腹の中にある真っ黒い気持ちも、全部流れていってしまいそうで、恐ろしい。
オーガストの敵を討つ――それだけが、今ここに生きている意味だというのに。
「ぐっ……うぅ、げほっ」
我慢しても、我慢しても、締めつけられる内臓から、消化しきれなかったものが吐き出された。
蛇口をひねって洗い流すが、幸運なことに腹の中の黒い獣はまだいてくれた。こんなことでは、この獣は消えていってくれないらしい。これがいなくなるのは、自分が死ぬときだと、千景は肩を震わせて笑った。
(待っていろディセンバー……俺が必ずこの手で殺してやる……!)
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右手に殺意を 左手に祈りを-001-
茅ヶ崎至は、きゅっとシャワーのコックを下げて、降ってくる湯を止めた。
ぽたりぽたりと髪の先から落ちる水滴。細い指先で髪をかき上げて後ろに流し、脱衣スペースでバスタオルを持ち上げた。
清潔なタオルは気持ちが良い、と体の水分を拭き取り、髪を拭く。軽くドライヤーをかけ、タオルを肩にかけるだけでバスルームをあとにした。
服など着るだけ無駄だからだ。
(脱がす作業が好きとかいう人だったら、ちゃんと着たかな。や、でも面倒くさい)
というのも、ここは自分の部屋ではない。入っている劇団の寮でもない。安っぽいわけではないし、逆に高級なわけでもない、そこら辺に立ち並んでいるホテルの一室だ。ただ、宿泊というより情事専門のホテルというだけで。
至はバスルームのドアを開け、部屋にいるであろう相手に声をかけようとした。
途中まで出かかった声が、唇の前で止まる。
彼――卯木千景は、そこから見えるベッドの縁に、腰をかけていた。来たときのままのスーツ姿で、膝に腕を乗せて、項垂れている。
珍しいものを見た気がした。
卯木千景は、至の勤める商社の先輩で、担当は違うもののその手腕は誰もが知るところだった。
仕事をスマートにこなし、同僚や上司の覚えもよく、下手な妬みや恨みは買わない。
女性たちの憧れの的なのだろうに、浮いた噂は流れてこない。平等に接しているせいなのだろう。
後輩へのフォローもしていると聞くが、正直そんな完璧な人間がいるものかと、至は思っていた。
千景は海外の取引先を多く担当し、まだ経験の少ない至には関係のない部門で、交流もなかったせいか、噂でしか彼を知らなかった。
いつだか、数部署合同の飲み会に、無理やり参加させられたことがある。その時だ、彼と初めて言葉を交わしたのは。
柔らかい物腰と優しそうな声。そう思ったあとに、どこか噓くさいな――そう感じたのを覚えている。
だけど、基本的に他人に興味を持てなかった至が、千景の〝噓〟に踏み込もうと思うはずもなく、そのまま会社の先輩後輩として過ごすはずだったのだ。
『茅ヶ崎って、他人に興味なさそうだな』
帰る方向が一緒だったせいで、いつの間にか二人きりになってしまった際、冷めた声でそう呟かれ、心臓が飛び出るほど驚いた。
会社ではそんなこと、隠してきたはずだったのだ。猫を被っていれば、仕事も人間関係もスムーズに流れていく。それを知っていたから。
『俺に興味のないヤツの方が、都合がいいか』
そう言って笑ったあとに、千景の唇が重なってきた。拒まなかったのは、他人に興味がなさそうと言った彼の方こそが、誰にも興味がなさそうだったからだ。
だからだろうか。興味を持ってほしいなんて思って、彼の誘いを受けたのは。
同性とセックスなんて、考えたことがなかった。
そんな至をさえ、ベッドの上で啼かせ、喘がせ、イかせた千景。悪くはないかな、とときおり体を重ねる関係になった。
これが何度目なのかは、数えるのをもう大分前に止めていて分からない。
だけど、両手で足りないくらいの回数を重ねていても、千景のあんな姿は見たことがなかった。
珍しいものを見た、と思うと同時に、見てはいけないものを見たような気がした。
千景の手には、見慣れない携帯端末と、写真のような紙切れが握られている。いつもかけている眼鏡を外し、その蔓を持ったまま目元を押さえる。
疲れているのなら、こんなことをせずにまっすぐ家に帰ればいいものを――と至が思ったそこで、
「オーガスト……ッ」
千景の、絞り出すような声が耳に入り込んできた。
どく、と心臓が大きな音を立てる。
根を張ったように足が動かなくて、至は瞬きさえもできなかった。
(オーガスト……八月? 違う、人……の、名前……?)
八月を表す単語だが、至はそうじゃないと直感で悟ってしまう。恐らく、あの紙切れ――写真に写っている人間の名前なのだろうと。いや、もしかしたらペットの名前かもしれない。
どちらにしろ、千景にとってとても重要な相手なのだと分かってしまった。
ドクドクと音を立てていた心臓に、ズキズキという痛みが加わる。
(なんで……痛いんだ、今シャワーしたばっかりなのに、なんで寒いんだよ……あ、湯冷めか。そう、だよな)
至はどうにか千景から目を逸らし、息を吐くことに成功した。ようやく、体にかかっていた呪縛が解けたような気がした。
「先輩」
いつもの笑顔の仮面を被って声をかければ、千景はハッとして顔を上げ、珍しく慌てた様子で携帯端末と写真をしまい込んだ。
「おい、せめてタオルを巻いてくるとかしたらどうだ」
呆れた様子で眼鏡をかけ直しながら、至の格好を言及した。上から下まで眺めておいて何を言っているのかと、至は肩を竦めた。
「いいでしょ、どうせ脱ぐんですから」
「それはそうだけどな。お前はもう少し恥じらいってものを覚えるといい」
「今さら。先輩が、そういうのお好みならやってみせますけど? これでも劇団員なんでね」
「ああ……そうだったっけ。別に、今さら初心な反応は期待してないからいいけどね」
そうだったっけ、なんて言葉に、心臓が痛みを増した。この男は本当に茅ヶ崎至という男に興味がないのだと。
(いや、分かってるけどさぁ……セフレとはいえ、もう少しくらい、俺のこと見てくれてもいいのに……)
千景の態度は、初めての頃から少しも変わっていない。
セックスのテクニックは申し分ないし、たまには至の体力を配慮してくれることもあるけれど、優しいキスとは無縁だった。熱いキスなんてもらったこともない。情のこもったキスなんて、至は知らない。
「じゃあ、俺もシャワーしてくるから。良い子で待ってろ」
千景はネクタイを外しながら立ち上がって、至とすれ違いぽんと頭を叩いていく。触れられたそこから心臓へとビリッと電流が走ったように、ひどく痛んだ。
「ねえ先輩、俺が相手でいいんですか?」
「え?」
泣き出したいほど喉が痛い。何かが詰まっている感覚さえあるのに、余計な言葉が出てきそうで、恐ろしい。
不思議そうに振り返った千景に、無理やり口の端を上げて笑ってみせた。
「オーガスト」
それを呟いた瞬間、千景の表情が一変する。
呆れに似た穏やかさは吹き飛んで、先ほどの苦痛さの混じるものでもなく、驚愕と失望の入り交じる瞳が至を射貫いてきた。
「先輩、海外出張多いですよね。……向こうの、恋人、ですか?」
先ほど慌ててポケットにしまい込んだ端末と紙切れは、相当大切なものなのだろう。他人どころか、何にも興味がなさそうな彼が、あんな悲痛な声を上げる。その意味に気づかないほど疎くはない。
何しろ千景は、至が初めての相手というわけではなさそうだったからだ。至の方は千景が初めてだというのに、彼は最初から慣れた手つきで、体をずっと奥まで暴いてくれた。
他にも誰か、そういう相手がいるのだと思うのが、当然の流れだ。
別に構わない。自分たちは恋人同士ではないのだし、特定の相手がいようと、責める立場にはない。
分かっているのに。
「俺、日本(こっち)での遊び相手ですよね。大丈夫ですか? ちゃんと代わりになってます?」
千景に、大切な人がいる――それを考えるだけで、張り裂けそうなほど胸が痛む。
どんな人なのか、相手もちゃんと千景を好いてくれているのか、どんなふうに千景を抱きしめるのか、千景はどんなふうにその人を抱きしめるのか、どんな瞳でその人を――。
そこまで思った時、千景の指先が喉元に触れた。
冷えた指先に、びくりと肩が揺れる。見たこともない鋭い瞳に、背筋が震える。
「茅ヶ崎。二度とそれを人の名として口にするな。死にたいのか」
踏み込んではいけない部分だったのだと、今さら気がつく。
いや、最初から分かっていた気がするのに、どうしても知りたかった。千景にあんな顔をさせるものの正体を。
「…………すみません、立ち入ったこと訊いて」
逃げ出したい。泣き出したい。
千景にとって、〝オーガスト〟という人は、本当に大切な相手なのだ。〝大切〟だなんて言葉では表しきれないほどに、かけがえのない存在なのだ。他人が名を口にすることも許せないほど、愛しい存在に違いない。
気がついてしまった。
「……そういう意味で言ったんじゃない。別に茅ヶ崎を代わりにしてるつもりもなかった」
「いいですよ、ただのセフレに、気なんか遣わなくても。そういう気分じゃなくなったなら、今日は帰りますし」
「いいから、いろ。ベッドで、ちゃんと待ってて」
千景の指が、喉を離れて唇を撫でてくる。そうしてバスルームへと向かっていった。
ちゃんと待っててという言葉が、本当に寂しそうで、至は頷くほかになく、少し冷えた体をブランケットに包んでベッドに横たわる。
気がついてしまった。
「…………好き、なのか……」
千景のことが、好きなのだと。
千景の心の中にいる〝オーガスト〟に、嫉妬してしまったのだと。
ただ体を繫げるだけの間柄である自分では、千景の心の中に入り込めない。好きなのだと気がついても、言葉にできない。音にならない。玉砕することが分かっていながら告げる勇気なんか、自分にはない。
(気づいた瞬間に失恋とか、どこの少女漫画だよ……まるで絶望的な想いじゃないか)
面倒だからと、触れてくれなくなるかもしれない。そう思うと、この気持ちは墓場まで持っていくしかないのだ。
胸が痛くて、くるまったブランケットをぎゅっと握りしめた。
あんなふうに、祈るように名を呼ばれる人が羨ましい。
今はどこにいるのか、どうして千景の傍にいられないのか、どうしてあんな顔をさせるのか、いつか逢えたら訊いてみたい。
そうして、お願いしてみよう。
どうか、あの人をひとりにしないでほしいと。
どうか。
「……オーガスト……」
二度と口にするなと言われた夜に、誰にも聞こえないように、ひっそりと、祈るように、もう一度だけ呟いた。
#千至 #片想い #セフレ #ウェブ再録 #右手に殺意を左手に祈りを

肌寒さと、肩がうまく動かないもどかしさで、目が覚めた。
目を開けて最初に飛び込んできたのは、白いシーツ。目蓋の圧迫感は、うつ伏せの状態で転がっていたせいか。
「う……」
腕が動かない。動かそうとすれば肩がギシリと音を立てるようで、痛みが走る。その痛みのおかげで、ぼんやりとしていた意識がはっきりとしてきた。
(あー……そっか)
腕を縛られたのだっけ、と思い出して、呆れて、諦めたように息を吐く。
今回、千景に腕を拘束された。
何が気に障ったのか、何がスイッチだったのか分からないけれど、触れられたくない場所に、知らないうちに触れてしまったのだろう。
優しさなんか欠片もない行為で、無理やり快楽を引きずり出されて、何度も、中をかき回された。
雄を突き立てられた箇所が、じんじんと痛む。汗と流した涙で、顔にパリパリとした膜でも張っているようだ。
(シャワー、浴びたい……、……って、え!?)
どうにかこの拘束をほどいて、汚れを洗い流したいと身をよじって、初めて気づく。信じられないものがそこにあった。
至が寝かされていたものとは別のベッドに、千景の姿。
「え、噓……」
まだ自分の目が覚めていないのかと思った。
何しろ、何度体を重ねても、千景が至の傍で眠ることなどなかったのだ。激しい行為で意識を飛ばされて、気がついた時にはもういないだとか、意識があるうちでも千景は先に部屋をあとにしていた。
それが、視線の先に、確かに卯木千景の体がある。
至を抱いてそのまま寝落ちたとでも言わんばかりに、乱れたシャツと、役割を成していないブランケット。かろうじて眼鏡は外されていたが、それもどこにいったのか。
まったく千景らしくない。
(いや、先輩のことなんて全然知らないけど。でも、これはどう考えたっておかしいよな。……昨夜のだって……んん、違うな、その前から先輩はおかしかった)
至は、また見てはいけないものを見た気がして、目を逸らす。拘束をほどこうと、肩を動かす。手首にひりつく痛み。擦り切れたかなと歯を食いしばって、泣きたい気持ちを我慢した。
千景の様子がおかしいのには、気がついていた。
あの日から距離がほんの少し近くなって、触れてくる手が優しくなった。
恋に気づいた、あの日から。
最初は、自身の願望がそう思わせているのかと思った。だけど、違う。
千景に見られていることが多くなった。話しかけられることが多くなった。以前は気にもしなかったのに、プライベートのことを訊いてくるようになった。
手放しで喜べないのは、自分と同じ気持ちからではないと分かったからだ。
もし恋をしてくれているのなら、あんなに冷めた目で見るものか。あんな貼り付けたような笑顔で話すものか。
トリガーは、〝オーガスト〟。
その人の名を呼んでしまったことからだ。
千景にとっては、触れられたくない部分だったに違いない。触れてはいけないものだったに違いない。
それが確信に変わったのは、それまでは絶対に見せなかった、苦痛に歪む顔をさらすようになったからだ。
千景に自覚があるかどうか分からないが、あの日から――時折苦しそうに遠くを見つめて、歯を食いしばる彼を見かけた。もちろん声などかけられなくて、こっそりその場を離れたり、誰も彼の世界を邪魔しないように周りを見張ったりしただけだったけど。
そんな中で、この仕打ち。
また何か、千景の不可侵領域に踏み込んでしまったのだろう。
(またオーガストさんに関係あんのかな……そういえば、写真見てからだな、おかしくなったの)
確か、冬組の写真を見ていたはずだ。
(ディセンバー……今度は十二月か)
千景が口走った言葉の中に、オーガストと同じく月を表す単語があった。それも恐らく人の名前なのだろう。
オーガストのことを考えれば、それも口にしてはいけないはずだ。オーガストのことを、ディセンバーという人のことを、探ろうとは思わない。踏み込めるとは思わない。
「こんなことまでされてんのに……馬鹿かな……」
願うのは、ただひとつ。
卯木千景がどうか幸福でありますように。
どうにかネクタイをほどいて、しばらくぶりに自由になった腕を動かす。
しわになったシャツと、手首についた擦り傷。
舞台に差し支えるし痕にならなければいいなと、役者らしいことを思って苦笑した。
劇団に入った頃はそんなこと思いもしなかったのに、人は変われば変わるものだ。
思っていたよりも芝居が好きで、思いもしなかった恋に落ちて、相手の幸福を祈るだけの、実入りのない想いにふける。
気分が沈んでいく。
千景が何を抱えていて、何を隠しているのか、知る立場にないことが、もどかしくて、悔しい。
こんなに物音を立てていても目を覚まさないほど、千景は深い闇に落ちているらしい。
至は床に落ちていた携帯端末を拾い上げ、ロックを解除する。
画面はアルバムのままで、冬組のメンバーが楽しそうに稽古をしていた。
GOD座の挑戦を受けると決めてから、彼らは熱心に稽古をするようになった。寝食を共にして、少しだけ打ち解けてきたメンバーを、少しでもサポートしたいと、各組それぞれで、稽古やエチュードに付き合ったりしている。そんな中の一場面だ。
(俺たちを裏切って……アイツを殺したお前が……ねぇ……。その人に似てる誰かがいたのか、それとも、この中にディセンバーとやらがいるのか)
そこまで思って、至はふるふると首を振った。個性派ぞろいとはいえ、人を殺すような男がいるとは思えない。思いたくない。きっと似た人がいるのだと、アルバムを閉じる。
そうしてほんの出来心で、この先見られないだろう千景の寝顔をフォーカスし、シャッターを押した。
千景が起き出す前にここを出ていこうと、痛む体にムチを打ってバスルームで汚れを洗い流す。
千景への想いも流れていってくれればいいと思ったが、やっぱりそんなことできやしなかった。
ふっと千景の意識が浮上する。
胸のあたりがズキンズキンと痛むのが不快で、あまり気持ちのいい目覚めではなかった。もっとも、生まれてこの方、気持ちの良かった目覚めなど、経験したこともないのだが。
千景は腕で上体を押し上げ、汗で張り付いた髪をかき上げた。
目を瞠る。
眠ってしまっていたことが、信じられない。自身の家ならばまだしも、ここはホテルの一室だ。そんなところで眠れるなんて思わなかった。しかも、他人がいる状態でだ。千景はふるふると頭を振り、その部屋にあるはずの存在を呼んだ。
「茅ヶ崎?」
しかし、呼んでも返事がない。物音ひとつ聞こえてこない。不思議に思ってようやく、もうひとつ設置されたベッドに視線を向けた。
整えられていないベッドの上、在って当然だと思っていたものがない。
代わりに、一枚の紙切れ。
『先に帰ります。また、会社で』
下手な字でそう書かれたメモは、この部屋に備え付けの、味けないものだ。千景はそのメモをクシャリと握りつぶして、ゴミ箱へ放った。
正直、昨夜のことはよく覚えていない。
状況からして、セックスをしたのは間違いないのだが、最中のことがまるで思い出せないのだ。
しわになって汚れたシャツと、ベッドの下に落ちたネクタイ。
ともかく一度家に帰って、着替えてからでないと出勤ができないなと、息を吐いてバスルームへと向かった。
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