No.400

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右手に殺意を 左手に祈りを-016-

千至WEB再録 2018.10.07

#千至 #片想い #セフレ #ウェブ再録 #右手に殺意を左手に祈りを

 馬鹿な。 目の前が真っ白になった。自分が今確かにそこに存在しているのかも、信用できなかった。「俺は…

千至WEB再録

右手に殺意を 左手に祈りを-016-


 馬鹿な。
 目の前が真っ白になった。自分が今確かにそこに存在しているのかも、信用できなかった。
「俺は、今まで……いったいなんのために……」
 すべてを思い出した御影密の口から語られた真実を、にわかには受け止められない。
 ガンガンと頭が痛む。
 裏切り者なのだと信じていた。そう信じなければ、生きてこられなかった。
 オーガストはディセンバーを生かすために、彼を守り抜いて逝った。後を追わせないように、薬さえすり替えて。一緒に逝こうとしたディセンバーは、その薬を飲んで記憶を失っていたのだ。
 それをすべて思い出して、いづみを――千景を迎えに来た。
「オーガスト……」
 愕然とした。
 オーガストはディセンバーを生かそうとしていたのに、自分は彼を殺そうとした。まさか自分の方が、彼らを裏切っていたなんて――。
「帰ろう、一緒に」
 差し出されたその手を、取っていいのかどうか分からない。
 今目の前で起きていることを認識できなくて、震えながらディセンバーを見上げた。
「俺の手を取って、エイプリル。お願い」
 ディセンバーの向こう側で、いづみが心配そうに、だけど願うように見守っている。
 ためらいながらも、差し出された手に自分の右手を伸ばす。
「忘れないで。これ、もう離すことない……」
「ディセンバー……」
「お前をひとりにしないでって……頼まれたし……」
 密はその手をぎゅうっと握りしめ、ゆっくりとした口調で、しかし力強く言い放つ。頼まれたとは言うが、彼自身の思いでもあったのだろう。
「頼まれた……?」
「……至」
 千景は目を瞠った。
 ここへ向かう前に呼び止められたと密は続け、ひとつ瞬く。
「俺にとってオーガストがどんな存在だったか訊かれた。家族だって答えたら、それだけ分かればいいって、なんか安心してたみたい……エイプリル、至に話してた?」
 千景は思わず口を押さえる。
 至は、千景が〝ディセンバーがオーガストを殺した〟と思っていることを、知っていた。至自身、不安だったことだろう。劇団で共に頑張ってきた仲間が、もしかしたら殺人犯かもしれないなんて。
 それでも、密がオーガストをどう思っていたか、確認できればそれでいいと言ったのだ。その上で、千景を一人にしないでほしいと願った。
「アイツ……馬鹿なのか……」
「オレたちほどじゃないと思うけど……」
 違いない、と千景は息を吐く。
 信頼していたはずなのに、状況と周りの声に騙されて、大切だった二人を裏切った。どうやってその償いをしたらいいのか分からない。
「帰ろう、……千景。公演、明後日だし、ちゃんと出て……」
「……分かったよ、密……」
 知りたかった真実は知ることができた。千景が思っていたものとはほど遠かったが、復讐する理由も消えてしまった。
 何をして生きていこうかと考えるのは、ひとまず明後日の初日を終えてからにしよう。
 密にぐっと手を引かれ、千景は腰を上げた。





『オズ様……大魔法使い、オズ様!』
 咲也の声が、レッスン室に響く。数日稽古に出ていなかったが、以前より彼が、彼らが輝いて見えた。
「卯木、そこはもう少し動きを大きくした方がいい。手を……こっちだ、そう」
「真澄くん、立ち位置もう少し右にずらせる? その方が見栄えがいい」
「分かった。監督、アンタもその方がいい?」
「うん、そうだね、紬さんの言う通りだと思うよ」
「ならそうする」
「綴くん、ここって台詞このままでいい?」
「やっぱ言いづらいか? 柔らかめに直そうか」
 明後日が初日だというのに、メンバーはより良いものを観てもらおうと必死になっている。
 せめてそれに応えたいとは思うのだが、感情がついていかない。なぜ誰も怒りをあらわにしないのか。舞台の上では、あんなにも様々な感情を披露してみせる彼らなのに。
「せーんぱい。こいつらはね、感情をそこに向けるより芝居していたいんですよ。明後日が初日じゃなければ、フルボッコにしてましたけど」
 そんな心情を読み取ったのか、衣装をまとった至が声をかけてくる。
 ざわ、と胸がざわついた。衣装合わせで見ているのに、何を驚くことがあったのだろう。
「期待してますよ、先輩のペテン師」
 至はそう言って、彼こそ何事もなかったかのように舞台のシーンへ入り込んでいく。至も彼らに負けず劣らず、芝居が好きなのだろうと見て取れた。
〝ひとりにしないで〟
 そう祈ってくれた至に、胸が鳴る。足下からせり上がってくる、悪寒に似た何かを不思議に思いながら、せめて台詞を間違わないようにするので精一杯だった。
「じゃあ、ひとまずここまでにしましょう! 明日舞台の方で合わせて、また直していこうか」
 いづみが、パンと手を合わせて稽古の打ち切りを指示する。
 正直、どれだけ合わせても足りないような気がしたが、休息も必要である。
「監督、どうだった、オレの演技」
「うん、すごく良くなってたよ!」
「アンタに褒めてもらうために頑張った……結婚して」
「真澄飛躍しすぎだろ」
「Oh~抜け道は駄目ダヨ~」
「えっと、抜け駆け? ですか?」
 緊張感もなく、笑い合う春組のメンバーたち。稽古に付き合ってくれた丞や紬も、いつも通りの態度だった。
「おなかすいたネ~」
「さっきいっぱい食べたよね? うーん、臣くんにおねだりとか」
「紬、伏見の仕事を増やすな。……まあ、夜食はちょっと魅力的だが」
 そんなふうに笑い合いながら、団員たちはレッスン室を出ていく。だけど千景は、それに着いていくことができなかった。
「千景さん?」
 気がついたいづみが、不思議そうに声をかけてくる。しかしどうしても、足が動かない。まだ笑い合えるような気分にはならないし、そんな資格は持ち合わせていない。
「監督さん、少しだけここにいてもいいかな。遅れた分、取り戻さないと」
「えっ、それならオレたちも付き合いま――」
 咲也も足を止めてそう言うが、それを止めたのは至だった。
「こーら、休むのも役者の大事な仕事だぞ、咲也。疲れて公演ボロボロなんて、お客さんが許さないでしょ」
「至さん……」
「先輩がみんなに遅れてんのは事実だし、自業自得だし、正直俺はデイリー回収したい」
「至さんほんとブレないっすよね……」
 そう言って至は、レッスン室からやんわりと追い出しにかかってしまう。ゲームがしたいのも事実なのだろうが、心情を読んだのもあるのだろうと思うと、やるせない。
「じゃあ先輩、ひとりで頑張ってくださいね」
 最後にレッスン室を出る前、至は嫌みのようにも言い放つ。ここに戻って唯一、やんわりとだが責めるような言葉をくれた。
 ぱたりとドアが閉まってから、千景は大きな鏡を背にずるずると崩れ落ちた。
 いまだに、真実を受け止め切れない。稽古をしている最中も、何度台詞が止まったことか。
 オーガストの死と、ディセンバーの行方不明を知らされた時、この世界に生きている意味を見いだせなくなった。
 ディセンバーの遺体が見つからない以上、生きている可能性もあると組織に言われてから、一筋の光が見えたような気がする。ディセンバーが裏切ったのだと囁かれ、目の前が真っ赤に染まったような感覚を味わったことを、今でも覚えている。
 信じていた分余計になのか、思っていたほど信じていなかったのか、裏切られたという言葉が、やけに根深く頭に残ってしまった。
 憎しみだけが力になって、復讐だけが生きる目的に変わってしまった。
 他人に囁かれた声だけを残して、ディセンバーに問う前に憎んだ。
 こんな裏切りを、許してもらえるはずがない。
 ディセンバーが許してくれても、オーガストが許してくれても、エイプリル自身が許せない。
(大切だなんて、口先だけった……! 本当に大事なら、あんな声はねのけて、何を犠牲にしても探し出すべきだったのに)
 ディセンバーが生きている可能性もあると言われた時、確かに一筋の希望(ヒカリ)を見いだしたのに、どうしてそのまま灯せていられなかったのか。
 千景は膝を抱え、ぎゅうと拳を握る。爪で手のひらが傷つこうとも、構わなかった。
 こんなものは痛みのうちに入らない。信じてもらえなかったディセンバーや、守り切れないうちに死んでいったオーガストが受けた、心の痛みに比べたら、何でもない。
「どうして……どうして俺が生きてるんだ……ッ」
 オーガストが死んだのに、ディセンバーを傷つけたのに、何をのうのうと、こんなところで生きているのか。
 死にたいわけではないと思う。生きてと言ったらしいオーガストを、これ以上傷つけることはできない。
 だけど、生きている実感、生きていく覚悟がない。
 すべてが、目の前で消えてしまったようだった。
「こんな状態で芝居なんて、できるわけがない……!」
 握った拳を床にたたき付け、あふれてくる涙で、顎を、喉を濡らす。
 初日の公演を終えたら、身の振り方を考えなくてはいけない。ここにはいられない、いていいわけがないのだと、濡れていく頬を拭う。
 どうやって生きていこう。何を理由に、何を力に。
 死にたいわけではないけれど、生きていたくもない。
 涙を止めようと思う気力もなく、どれだけそこでそうしていたことだろう。
 レッスン室のドアのところで、物音。組織で培った技術なのか本能なのか、こんな時でも耳は敏感に反応してしまった。
(……? なんだ?)
 寮内はもうすでに静まりかえっているのに、そこに人の気配がある。
 誰かトイレにでも起きてきたのだろうか。それともお人好しでお節介な総監督殿が、様子を見に来たのだろうか。
 千景はひとまず濡れていた頬を拭い、眼鏡をかけ直し、ゆっくりと腰を上げた。
 相手が、こちらに入ってくる様子はない。ただ数秒ドアの前にいただけのようなのだ。
 廊下を歩いていく音。意識して音を立てないようにしているようだが、どうしても聞こえてしまう。ということは、密ではない。軽そうな女性のものではない。
 千景は不思議に思って、そっとドアを開けて外の様子を窺ってみる。
 ゴツ、とドアにぶつかるものがあった。音の正体を見下ろせば、小さなトレー。皿に盛られラップをかけられたおにぎりみっつ。
 は? と声を上げそうになって、足音の方へ視線を向けたら、見覚えのある髪色。明るいハニーブラウン――茅ヶ崎至のものだった。
 つまり、これは。
 千景はトレーごと持ち上げて、至が去っていった方を眺める。
「馬鹿なのか、アイツは……」
 声が震えた。
 あの部屋で呆れたふうに呟いたときと同じくらい、胸が締めつけられる。
 至が作ったのだろうおにぎりは、臣が作るものより形がいびつで、大きさもまちまちで、笑えることに、タバスコの小さな瓶が添えられていた。
「どうしろっていうんだ、おにぎりにタバスコって」
 はは、と吐息のように笑いがこみ上げてきた。せっかく止まった涙もまたこみ上げてきた。
 どうしようもない自責の念と、オーガストの最期を知れた安堵と、共にいられなかった寂しさが、全部混ざってあふれ出してくるようだった。
 千景はドアの傍で座り込み、ラップを外しておにぎりをつまみ上げる。
 どうしようか迷って、首を傾げながらタバスコをかけて食べてはみたけれど。
「辛い上にしょっぱい……まずい……」
 タバスコの辛さだけならいいかもしれないが、塩むすびなのか、それとも流れた涙の味なのか。
 それでも千景は、みっつのおにぎりを腹の中に収めた。


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