- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.135, No.134, No.133, No.132, No.131, No.130, No.129[7件]
うん。~恋に落ちたら~-004-
「アルトは本当にいい嫁さんになるよなあ」
芋の煮物を食ちに運んだミハエルが、もごもごと口を動かしながら呟いた。アルトに言わせれば行儀が悪いのだが、彼に悪びれた様子はない。
「今時手作りでこんなに凝ったもの作れる子って、そうそういないぞ」
「え、なんで? お前にいっつも弁当持ってくる女子たちの、あれ手作りじゃないのか?」
「いやあ、手作りを装ってはいるけど、あれは出来合いのもの買って詰めただけだろうな」
もちろんそんなことを言ったりはしないけどとミハエルは付け加える。だまされてやるのもデキる男の条件なのだろうか。
「そうなのか……俺はただ……家で仕込まれただけだからな」
「美味いよ、本当に」
素直な感想、と微笑まれて、アルトの心臓が跳ねる。
――――ん? なんだ、ドキッて?
それに気づいて首を傾げたが、理由はやっぱり探し出せなかった。
「なあお前、メシいっつもどうしてんだ? 確かバイト先の宿舎だって言ってただろ」
「時間が合えば食堂かな。結構仕事が不規則だからさ、コンビニでなんか買ってきたり、女の子と外食が多い」
女の子、という単語が余計だとアルトは思う。そんなこと訊いてないのにと視線を逸らして、今度はちくちくし出した心臓の痛みに首を傾げた。
「アルトはいつも、こうやって作ってんだよな。健康的でうらやましいよ」
「ん? なんなら作ってやるけど。食材お前モチで」
ふふんと笑うと、その時はいっぱい買い込んでくるよとかわされてしまう。
やっぱり人とのコミュニケーションに慣れているんだなあと思うと、自分の知らないミハエルを知っている誰かを想像してしまって、気分が沈む。
「なあアルト、確認するけどさ」
「あ?」
「ホンットに俺のこと好きじゃない?」
テーブルに肘をつきながら覗き込んでくるミハエルに、アルトは目をぱちぱちと瞬く。今日これで何度目だろうか。
「好きじゃないって」
「……そう」
受け答えにも慣れてきてしまって、怒ることさえ面倒になった。ミハエルはいったい、なにを望んでそう訊いてくるのだろうと考えて、ひとつだけ思い当たる。
「なんだよミハエル、お前、俺に惚れてほしいのかよ」
――――からかわれてばっかじゃ割に合わない!
アルトはふふんと口の端を上げる。
「…………いや? 別に。そういうわけじゃないけど」
なんだか変な間があった。それはお互いが気づいて、次の句につなげるタイミングを逃した。
――――えーと。違うんだよな?
――――今ほんと一瞬考えちまっただろ、バーカバーカ、あるわけねえ。
その不可解な間に少しだけ驚いたのはミハエルの方。
好意が存在するのなら、アルトの方からであるはずだ。ミハエル自身にも友人としてアルトと好意的に接している自覚はあるが、それ以上となると考えもつかなかった。
惚れていないか?
そう訊いている理由は、あまりにもアルトからのアクションが強いせい。
自分の方がどうこうというはずがない、のだと。
「あ、アルトお前さあ」
「なん、なんだよ」
ただの仮定が真実のようで、心が逸って言葉が詰まる。正面に座っているのに、視線を合わせたくなくてお互いにあさっての方向を向いた。
「そういう思わせぶりな発言とか、俺以外にするなよな」
「思わせぶりって」
「もっと知りたいとか、メール待ってたのにとか、ご飯食いに来いとか、そういうのだよっ! ああ、もちろんこれは俺が誤解するとかじゃなくてだな、お前っていう人間に慣れてないヤツらは簡単に誤解しちまうってことだ」
らしくなく早口でまくし立ててしまった。言い訳でもしているようだと思って、ミハエルは面白くなさそうに口を尖らせた。
「応えてもやれないのに、優しくすんのはダメなんだからな」
傷ついた女性をフォローしてやれる技量があればまた別なのだろうが、アルトにそれがあるとは思わない。実際、男友達である自分相手でもどぎまぎしているようでは、気配りができるはずもないのだ。
「じゃあ、たとえば、仮の話、万が一、……俺がお前に惚れちまったら、お前は俺から離れてくのか?」
「え?」
ミハエルは、アルトの静かな呟きに、ついていた頬杖から顎を上げて視線を移す。肩を落として俯いたアルトをそこに見つけ、イジメてしまったような気分に陥った。
「あっ、だ、だからもしもの話だ! 優しくすんのがダメだって言うなら、そうなったらお前、こんな風に接してくれなくなるんだろ」
沈黙の意味を悟ってか、アルトは慌てて手のひらを振って付け加えてくる。ミハエルは少しだけ考え込み、静かに返した。
「ああ……そうなるだろうな」
「……そっか」
仮定の話だ。だからそうなる時のことを考える必要なんてないのに、心臓が痛んだ。
「だったら俺、お前のこと絶対好きになんかならない」
このままでいたい。学校で逢って話して、一緒に飛んで、たまにこんな風に食事をしたり遊びに行ったり。
友人としての距離でいい。
「お前がなんと言おうと、惚れてなんかやらないからな!」
そう言って顔を上げたアルトに面食らって、ミハエルは思わず噴き出した。
「なんかそう頑なになられると、逆に惚れさせてみたくなるよな。距離が壊れるどうこうじゃなくてさ、ごめんやっぱ好きになっちゃったとか、バツの悪そうな顔見るの、面白そう」
ぎこちなかった空気がすうっと溶けていく。言葉だけで考えると、お互い罵りあっているようにも思えるのに、口許は笑っていた。
「面白いってなんだよ」
「言葉のまんま」
「お前なんか大嫌いだ」
「大好きの間違いだろ」
ふふんと笑うミハエルに、手元にあったのかクッションが飛んでくる。胸元で受け止めて、投げ返してやった。それは再びアルトから投げ返されて、また投げて、繰り返されてクッションは空気に踊るばかり。
「なにやってんだ俺ら」
「バカみたいだな」
やがて不毛さに気がついて、終息を迎える。
ミハエルはふと見上げた時計が指し示す時刻に気がついて、そろそろ帰るよと呟いた。
「あ、道分かるか? 結構入り組んでるし、大通りまで送ってこうか」
立ち上がったミハエルを振り仰いで、アルトも遅れて腰を上げる。
「いや、たぶん大丈夫だよ。迷ったらメールするし」
せっかくそういうこともメールしようと話がついているのだからと、ミハエルは携帯電話を掲げて揺らす。そう言えば、スタンダードとはいえ同じモデルの同色タイプなんだよなと、アルトは苦笑した。
――――別におそろいが嬉しいとか、こっ恥ずかしいとか、そういうんじゃないけど。
それでも口許が緩んでしまう。
「メシ美味かった、ごちそうさん。また作ってくれよな」
「あ、ああ、いつでもいいぞ」
昨日よりはずいぶん距離が縮んだように思う。仲間から友人へ、昇格したかのように。いつか親友と呼んでいい距離くらいにはなるかもしれない。
「なあ、明日も朝飛びにいく?」
「あー、多分ね。お前もいく?」
「んー、多分な」
曖昧な予定に、玄関先でふたりで笑う。きっと明日もロッカーではち合わせてしまうのだろう。
じゃあ、と呟きあって、ふたりの間にドアという隔たりができる。アルトは部屋の中で、カンカンカンと階段を下りていくミハエルの足音を聞いた。
音がなくなったと思った直後、居間の方で携帯電話が鳴り響く。メールの着信音のようだが、まさかもう迷って道が分からないとでもいうのだろうか。
受信したメールを慌てて開いてみると、
【さっき言い忘れた、おやすみアルト】
たったそれだけの、簡素な文。
それでもアルトは嬉しくてくすぐったくて、ふっと笑う。
【おやすみミハエル、また明日な】
こちらもそう簡潔に返して、今日決めたふたりのルールを初めて行使した。
メールはこれで終わり。なんだかもの寂しい気もするが、昨日よりずっとずっと穏やかに眠ることができるはず。
食器の片づけをしている最中、珍しく鼻歌なんか歌っていることを、アルト自身気がついてはいなかったことだろう。
#ミハアル #片想い #ウェブ再録
うん。~恋に落ちたら~-003-
「ル、ルールって……?」
「終わりの合図」
ミハエルの答えはひどく簡潔なもので、アルトは首を傾げる。
「その日のメールをやめる合図ってことか?」
「そういうこと。その合図以降は本当に緊急のものじゃなきゃ返信はしない。つーかそういうのは電話しろ。返信待って悶々してんのがイヤなんだろ?」
すべてお見通しかと、アルトは気まずそうに視線を逸らした。
メールの返信が来ないな、何か気に障ること書いてしまったかな、届いてないのかな、もしかして何かあったのかな、……なんて、考え出したらキリがない。
だけどそうやってルールを作ることによってそれはなくなるだろう。
「でも、合図って何を」
「んー……どうしようか」
「考えてないのかよ」
「今思いついたんだから、しょうがないだろ。お前が泣きそうになってるから言ってやったんだぞ、感謝くらいしろよ」
泣きそうになんてなってない、と否定を返すことは忘れずに、アルトは考える。
メールの終わりの合図というのだから、何かの記号か文章になる。しかし、お互い絵文字など使わないし、わざわざ記号を打つのも面倒だ。かといって、もうやめにしようなどという文章では少しきつい感じがするし、なんだか別れ話のようにも思えてしまう。
「じゃあ、おやすみ、かな」
「おやすみ?」
ミハエルが呟いた単語に、アルトは瞬いた。
「そう、おやすみってメールして、それに返信するのが最後。たとえばアルトがおやすみって俺にメールしたら、俺もおやすみって返信して、それで終わり。あとは翌日学校でってことになるな」
そこまで状況を説明してくれなくても、把握はできる。
だがこんな風にかみ砕いて説明してくれるところも、女性に人気のある理由のひとつか。きっと、少しでも声を聞きたいからと、分かっていても説明を求める可愛らしい女性もいるのだろう。
「お前がメールしてくると結構時間かかるしさあ、ちょうど寝るくらいの時間になるだろ」
「……悪い、だってお前の分かりやすいからつい……いろんなこと訊いちまって」
そんなに遅くまでメールの応酬をしているわけではないと思っているが、バイト中だったり、……デート中だったりしたら悪いなと、感じてはいるのだ。
しかしミハエルは、責めているんじゃないと笑ってくれる。
「まあどうせなら、もうちょっと砕けた内容の方が楽しいかな。フライト関係だけだと、まだ学校にいるような気になっちまう」
「え、それって、どういう」
ミハエルがおかしそうに携帯電話のメールボックスを確認している様に、アルトは不思議そうに声を上げる。
「少しくらいプライベートなこと入れられないのか? お前まさか女の子とのやりとりもこんななんじゃないだろうな」
ただのチームメイトに、自分のプライベートを話す義務はない。いや、話してもいいのだとは思わなかった。そして逆に考えれば、プライベートに踏み込んでいいものだとは考えていなかったのだ。
「プライベートとかそんなん……そもそも女とメールなんかしねえし。お前と一緒にすんな」
「えっ、マジで言ってんのアルト! うわあ……お前マジで天然記念物か何かじゃねえだろうな」
まるで本当の珍獣でも眺めるように、ミハエルは顎に手を当てて考え込む。
自分自身の交友関係が幅広く、褒められた物でないというのは自覚しているが、年頃の男子高校生が異性との交流に興味がないというのはどうしたものか。
「分かった、お前やっぱり俺が好きなんだろ。俺にしか興味がないとか」
「……絶対に違う!」
アルトは、まさかそんな風に返されるとは思っていなくて反応が遅れる。少し間が空いてしまったのは、驚いただけだ。そうに決まっている。
「まあ、それはおいといてもさ、アドレス交換とかしてないのか? お前のアドレス知りたがってる子、結構いたと思うんだけどなあ」
「そんなヤツいねえだろ、なにが楽しいんだ。今アドレス入れてんのって航宙科のメンバーだけだぞ」
以前連れて行かれた店のクーポンだかなんだかは届いているけれど、見てもいない。話題らしい話題もないのに登録してどうするんだと、アルトは首を傾げた。
なるほど、とミハエルは短く息を吐いた。これだから空にしか興味のない男は、と。
だがしかし、少し考えてみれば女生徒たちの気持ちも分からないではないのだ。アドレスは知りたいけれどおいそれと話しかけられるような風貌ではないのだ、このお姫様は。
ミハエルのように、アドレスを知っているだけで女性が自慢できるような振る舞いはいっさいしていない。根本的にライフスタイルが違うなあと、改めて感じた。
「ま、もし女の子とのやりとりで困ったことがあれば、それは相談してこいよ。からかったりしないでちゃんと聞いてやるからさ」
「はぁ?」
アルトの表情はますます怪訝なものになる。女性からのそういったアプローチはない(とアルトは思っている)し、ミハエルに相談しなければならないほど深刻な状態にはなりそうもない。
「そんな相談、しないと思うけどな。だったらお前も聞かせてくれるのかよ。そういう……プライベートとか」
「俺のって。お前には刺激が強いぞ」
「女関係じゃなくって! そんなん聞きたくもねえ。そうじゃなくて、お前のことだよ」
ミハエルは笑いながらかわすけれど、アルトにはそんなもの通用しなかった。
「お前のことを知りたいんだ」
まっすぐに見据えてくる視線に、ミハエルはぱちくりと目を見開く。
「俺のこと……?」
ああ、とアルトは頷いた。
どうしてあんなにも綺麗に空を飛べるんだろう。普段なにをしていたら、あんな風にシミュレーションがクリアできるのだろう。どう交流していたら、行く先々で知り合いができたりするのだろう。
「俺が自分のこと話したら、お前も教えてくれるのか? どこまで訊いてもいいものなんだ? 今までお前みたいに家のこと関係なく接してくれるヤツっていなかったから、正直言ってどうしたらいいか分からないんだ」
変なことを言っていたら悪いと付け加えて、視線を下に向ける。メールのやめどころが分からないのもそのせいだろうなと自己完結して、ミハエルからの返答を待った。
「今、口説かれてんのかと思った、俺」
だけど、待ったはずのミハエルの返答は、的をはずしたもの。
「……は?」
「いやあ、だってさ。俺のこと知りたいとか言われたら、ドキッとするだろ? ずーっとメール待ってたりさ」
男はそういうのに弱いんだぜと付け加えられて、ボッと顔から火を噴く。
「な、認めたらどうだよアルト。お前は俺のこと好きなんだって」
「なんなんだよお前、さっきからずっとそんなんばっかり言って! メールがイヤならイヤってはっきり言ったらどうなんだ!」
「あれ、否定しない?」
「お前なんか好きじゃねーから!」
言われてからハッとして、アルトは慌てて否定を返した。
なにを考えているのだろうこの男は。なにをどうしたら、惚れただの好きだのという発想になるのか。
そう思って、アルトは自分の言動を思い起こしてみる。そうして血の気が引いていった。
確かに、ずっとメールを待っていただとか、他の女と一緒にいるのが腹立たしいだとか、もっと知りたいだとか、そんなことを思って、あまつさえ本人にそれを言ってしまうというのは失態だ。
意識して考えてみれば、恋するオトメと捉えられても仕方がない。
「あのなミハエル、俺は男なんだ。いくら今は女に興味ねえって言っても、そういう意味でお前のこと知りたいって思ったわけじゃねえ」
落ち着いて考えてくれ、と呆れながらミハエルをいさめる。
そう、これは純粋にライバルとしてだ。もっと深く知れば、技術を盗めるかもしれないという、空への憧憬の副産物だ。まあ、おまけだ。
そうだ、きっとそうに違いない。
「……ふぅん、まあいいけどさ。アルトは俺と、今の仲間っていう以上の関係になりたいってことだろ? 別にいいよそれは。友人としての範囲でプライベート話し合うのは、俺だって歓迎だ」
納得したのかしていないのか曖昧な言葉を残しつつも、まるで何でもないことのように笑ってくれる。友人としての範囲なら、おかしなことではないだと、アルトはホッとした。
距離を縮めたいと思うのは、なんら不思議なことではないのだと。
「じゃあ、今日からよろしくアルト姫。まったく、授業の前にひとっ飛びしようと思ってたのに、お前のせいで丸つぶれだよ」
「俺のせいかよ。元はと言えばお前がメール返さないからだろ」
「絶対に俺のせいじゃない。この貸しは今日放課後のメシだな。どっかでオゴれ」
「なんで俺が! ……え、あ、ってことは今日バイトないのか?」
朝早くからロッカーに行った意味を二人で意味のないものにし合って、登校した時のまま教室へと向かう。廊下でかけられる声に、ミハエルはいちいちにこやかに返していて、アルトの気に障った。
「ああ、今日はデートの予定もないしね。特別に今日はアルトとデートしてやるよ」
女生徒に向けていた笑顔をそのまま向けてくれて、アルトの心臓が鳴る。ミハエルの周りの女性たちはいつもこんな笑顔を見ているのかと思うと、昨夜の胸の痛みが蘇ってきた。
「お前はまたそういうこと言う! せっかくメシ作ってやろうと思ったのに、やめたやめた」
そうだ、この胸の痛みも、ミハエルなら分かるだろうか。いつか訊いたら、彼ならきっといつものように明快な答えをくれるはず。
「えっ、作ってくれんの? この間もらった弁当上手かったし、また食いたい」
「おい間違えんなよ、あの弁当はお前が勝手に食ったんだ」
そうだっけ、と笑うミハエルの横顔を眺め、胸の痛みを我慢した。
#ミハアル #片想い #ウェブ再録
うん。~恋に落ちたら~-002-
「おいミハエル、なんで昨日メールよこさなかったんだよ!」
早めに登校したロッカーではち合わせるなり、開口いちばんでアルトは不満をぶつけてやった。
「おはようアルト、朝からご機嫌ナナメだな。美人が台無しだぞ」
彼も早朝のフライトに来たのだろうか、いつも通り糊のきいたシャツを着用し、喉元までかっちりとネクタイを締めた、ミハエル・ブランへと。
「美人とか言うな、なんでメールしてこなかったのかって訊いてんだよ」
ミハエルの軽口にはもう慣れたが、何かしら言い返してやらないと気が済まないタチなのか、アルトはそう言って睨みつけてやる。
「あー悪い悪い、ちょっと仕事が立て込んでて」
ミハエルは、さも今思い出したかのように携帯電話をまさぐる。返す気がなかったのか、それともまさか今初めて読んだのかと、アルトは眉を寄せた。
「……アルトお前さあ、これってメールじゃなきゃいけないような内容かあ? 直接訊けばいいだろ、学校で」
ミハエルは、昨日届いていたアルトからのメールを確認し、目を細めた。
【ターンする時ってどの角度がいちばん楽に綺麗にできる?】
アルトからのメールはそんな短い文面だった。
しかしこんなものはメールで訊いたからといってどうなるものでもない。直接訊いて、その場で飛んでみた方が絶対に有益であることは明白だ。
ミハエルの携帯電話にそのメールが受信された時間は、今からざっと十二時間ほど前。これには返信してやっていない。まさかと思いつつ、ミハエルは確認するように訊ねた。
「ずっと、待ってたのか?」
ミハエルはもう一度ディスプレイの文字の羅列を確認して、ついで視線をアルトに移した。そこには言葉に詰まったお姫様がいて、やれやれと肩を竦めた。
「あのなあ、俺だってずっとお前の相手してるわけにはいかないんだぜ。それこそバイトだってあるし、お前と違ってデートだって予定が詰まってるんでね」
「だっ、だけど何か返してくれたっていいだろ! 学校で教えるとか、後で返すとか、そんなんでもよかったんだよ!」
確かにアルトは、ミハエルと違ってデートの予定なんかひとつもない。学校が終わってバイトに行って時間があれば女の子とデートなんて、それがどれだけ体力と気力を使うかなんて、アルトには分からない。
「面倒くさいこと言うなよ」
「……女からのメールだったらすぐに返すんだろ」
アルトはぎゅっと拳を握って、静かにミハエルを睨みつける。
こんなことを言いたかったわけではない。
ミハエルがどんな女性と一緒にいようと、どんなつきあい方をしていようと、自分には関係ないと思っていた。メールがこなかったことに対して軽く文句を言ってやって、今日のドリンクはお前が奢れと笑ってやるつもりだったのに。
――――なんでこんなに、胸が痛いんだろう。昨夜からずっと、治らない……。
メールも返さずに、自分の知らない誰かといたことが、どうしてこんなにも腹立たしいのだろう。
「なんだよアルト、お前、俺の女になりたいのか?」
金髪の美青年は、面白そうに口の端を上げて笑う。指先で相手の顎を持ち上げるなんて仕種が似合う男は、そうそういないだろう。
「なっ……ん」
アルトの頬……いや、顔全体が真っ赤に染まる。
あと数センチ近づいたら口唇が触れてしまいそうなこんな距離には免疫がなくて、吐息さえ奪われそうな熱い視線に思わず体が固まった。
「はははっ、やっぱりアルトは初心だよな。ほんとにキスなんてするわけないだろ、男相手にさ」
「~~~~ミハエルっ!」
からかわれたのだとは分かるが、一瞬そう意識してしまったことは否めない。アルトは顔を真っ赤にして彼を睨みつけた。
「まあね、女の子からだったら、メールはすぐに返すさ。たいていが逢いたいって用件だからな」
待たせたら悪いだろとミハエルは付け加え、キザに眼鏡を押し上げる。そんな仕種さえサマになって見えるのは、彼がミハエル・ブランだからだろう。
「……お前の女とのつきあい方は知ってるし、俺がそれよりも優先度低いってのも分かるけどさ……」
分かるけれど、責めたい気持ちも変わらない。せめて明日学校で、とでも返してほしかった。
そこまでする義理はないと言われてしまえばそれまでだが、返ってこないメールに悶々と悩んでいる時間に何かできただろうと思うと、本当に腹が立ってしまうのだ。
いつまでも待ってしまった自分に。
そんな程度の関係しか築けていない現状に。
「分かった分かった、お前は俺からのメールが恋しくてたまらないってことだろ。ったく、女扱いされんのは嫌がるくせに、案外女々しいこと言うんだよな、お前」
「なに勝手に決めつけてんだ! そんなんじゃねえよ、俺はただっ……」
早く追いつきたいから頑張っているだけであって。
「ただ、なんだよ。お前、俺に惚れてんの?」
「バッ……バカ違う違う、絶対にそんなんじゃ……ない!」
からかい混じりの声音が、心臓に突き刺さる。
惚れているなんてそんな、そんなことはないはずだ。仲間として、友人として、好敵手として、彼を追っているだけなのに。
そんなことミハエルには知られたくないけれど、伝わっていないことが悔しい。
アルトはシャツをぎゅっと握って言葉を呑んだ。
「おいおいやめろよアルト。お前……泣きそうな顔してるぞ」
「別にそんな顔してない、お前ムカツク!」
ぷいと顔を逸らすアルトに、ミハエルは息を吐いて肩を落とす。呆れられているというよりは責められているようで、アルトは途端に恥ずかしくなった。
――――ああ、これ嫌われる。なんでこんなことしか言えないんだ、俺。
嫌われてしまうほど好かれていないような気もするが、ミハエルの長いため息は、泣きたくなるほどうんざりしていた。
「そこまで言うんだったら、お前とのメールにはルール作らせてもらうぞ」
「え……?」
なんでそこまでしなきゃいけないんだと面倒そうに髪をかき上げながらも、ミハエルはアルトに視線をくれる。
てっきり、もうメールなんかしないとでも言われると思っていたのに。アルトは面食らってぽかんと口を開けた。
#ミハアル #片想い #ウェブ再録
うん。~恋に落ちたら~-001-
アルトは、長いため息をついて寝返りを打った。もうすぐ、日付が変わる。
「メール……来ねえなぁー……」
もともと頻繁にするわけではないメールを、慣れない手つきで確認していく。
しかしそうやって受信ボックスのディスプレイを何度見返してみても、メールの受信表示もなければ待ち受け画面に電話の信表示もなかった。
――――送信してから……もう六時間くらい経ってるのに……。
送信履歴を確認して、現在の時刻を確認して、経過時間を確認して、もう一度メールの新着がないか確認した。
やはり、ない。
「なにやってんだよ、バカ……」
ごろりと向きを変えて、握りしめていた携帯電話を半ば放るように布団の上に落とした。
そして五分ほどもすれば、またメールの新着を確認してしまう。
この二時間ほど、それの繰り返しだった。
「……っべ、別にメールが来ないからスネてるとか心配とか、ないからなっ!」
ぼふんと枕に拳をぶつけながら起き上がる。
自分の行動をよく確認してみると、拗ねてはいないかもしれないし、心配もしていないかもしれない。
ただ、待ってはいた。
それを誰にも知られたくなくて、自分で自覚もしたくなくて、誰もいない一人暮らしのアパートで言い訳を散らかす。
「スネてなんかねえし、何かあったのかなんて心配もしてねえしっ! 腹が立ってるだけでっ……」
きっと仲の良い女性とでも一緒にいるのだろう。その人との時間の方が大事だろうことは分かるから、拗ねてなどいない。
バイトがあるとは言っていたが、確か近くの宿舎に住んでいるハズだから、事故や事件に巻き込まれてでもいるのかなんて心配なんてしていない。
無性に腹が立つだけだ。
「くそ、ミハエルのヤツ……!」
まだメールしてこねえのかよ、と何十回目かの確認を行う。
ミハエル・ブランは、アルトの同級生である。
航宙科パイロット養成コースの仲間として共に過ごすようになって、どれだけ経っただろうか。
彼は学年でもコースでも、いつでもいちばんだ。学科も実技も、上級生を抜いて主席を維持している。数値を見てもフォームを見ても、文句のつけようがない。アルトがいちばん信用していて、いちばん追いつきたい相手であった。
ただ、そんなことは誰にも教えていない。
だがテストやシミュレーションでは、ことあるごとに突っかかって――やや一方的にではあるが――競っているのだから、もうそろそろ気がつかれてはいるかもしれない。
――――本当は……あんなヤツにメールなんかしたくねえのに。弱味さらしてるみたいで。
だけどあの男に追いついて追い抜くためには、少しでも技術を磨かなければならない。
そのためには、敵にだって教えを請うさ。
そう思ってメールをやりとりし出したのが、転科してから三ヶ月目。
「……アイツの名前ばっかりだ……」
見事にミハエルの名前でいっぱいになった受信ボックスを眺める。
アルトが演劇科から転科したのは、純粋に空を飛びたかったからだ。決められた道を進むのではなく、自分で選んだ物に夢中になってみたかった。
あの日見上げた空に、美しい弧を描いて飛んでいく彼がいたのは、偶然だっただろう。
それでもアルトの瞳は釘付けになり、漠然としていた空というものへの想いが、確実に膨らんでいくきっかけとなったのは否定のしようがない。
彼のように飛んでみたい、いつか一緒に飛んでみたい。
その思いを抑えきれず、家中に反対されながらも空への道を、自分自身で選んだのだ。
しかし、きっかけとなったミハエル・ブランという人物にはあまり良い印象を持っていなかった。
それは単なる価値観の違いなのだろうけれど、彼の乱れた女性関係はアルトには容認できない。
「アイツもあれさえなきゃあな……そしたら俺だってもうちょっと」
学校で聞こえてくる様々な噂を思い出して呆れ果て、はたと目を瞬く。
もうちょっと……なんだと言うのだろう。
見直してやるのに? 気軽に話もできるのに? いや、そういったニュアンスではなかったように思う。
――――デートだとかバイトだとか、……忙しそうだから、それがなければもうちょっと教えてもらえるのに……。……だよな?
若干ミハエルへの嫌味を含めてみると、胸のあたりがちくちくと痛む。夕食に何か悪いものでも食べただろうかと思い出すが、特に変わった物はなかったはず。
――――別に……急ぎの用事じゃないから、いいけどさ……。
ごろりと寝返りを打つ。胸のちくちくがムカムカともやもやを引き連れてきて、アルトはミハエルのバカ野郎と悪態をついてやった。
だがまあ、メールできるような相手がミハエルしかいないというのも少々問題なのだ。以前よりはだいぶ他のメンバーとも交流を持つようになった。だから嫌なら他の誰かにとも思うが、フライト技術を訊ねるのならミハエルがいちばん分かりやすい。
授業時間だけでは分からないこと、得られなかった知識、他のメンバーが当然のように知っていること、疑問に思ったことなどを、ミハエルはいつもちゃんと返してくれるのだ。
こうも頻繁ではミハエルだってうんざりしているだろう。まさに飽きるほど、というくらい、いっそ世の中の恋人同士よりも密なやりとり。
もちろん色っぽい話題など微塵もないのだが、律儀に返信してくれる。的確な指示と明快な回答は、確かな技術があってこそのものだ。
だから、訊くべき人物はミハエルしかいない。
それなのに、今日はいつまで経ってもメールの返信が来ない。
こんなに遅くまでバイトとやらがあるのだろうか? それともやっぱり、学校の連中が噂するようにいつも違う女性と夜を過ごしているのだろうか?
――――なんか……胃まで痛くなってきた……なんだこれ。
アルトは布団に突っ伏して、夕食の献立を再度思い起こす。やっぱり唐揚げを食べ過ぎたのだろうかと考えるが、量だっていつもと同じ。
やがては考えることに飽きて、ため息ひとつで打ち消した。
「こねぇ……なー……」
特に緊急性のある内容ではない。明日……いや、日付が変わってもう今日だ。登校してから訊き直しても充分間に合う程度の、そんな。
それでもなにかしらの反応が欲しいと思うのは、アルトのわがままだろうか。
昨日はちゃんと返信があったのに。
一昨日もしっかり返信してくれたのに。
今日はどうして、待っても待っても来ないのだろう。
変わることのない待受画面が、どうしてか揺らめく。
涙のせいだと気がついたのは、滴が枕にたどり着いてから。
「うそ、だろ……っくそ、なんでだよ、なんで……っ」
なんでこないのか。
なんで泣いているのか。
なんで胸が痛いのか。
全部答えが見つからなくて、息を止めて思考をまっさらにしてしまおうと試みる。
そうだ朝だって早く起きて練習行くんだからと理由をつけて、眠ってしまえる状況を作り出す。もうなにも考えずに朝を待っていればいいのだと。
アルトは目を閉じて深呼吸を繰り返して、やがて眠りへと落ちていく。
それでも鳴らない携帯電話を握りしめてしまうのは、寂しさからだったのだろうか。
#ミハアル #片想い #ウェブ再録
うん。~恋に落ちたら~
件名 Re;
ずいぶん増えてしまったな、とアルトは携帯電話の画面を眺めてそう思った。
日々増えていくメールの表示件数が、嬉しくもありまた恥ずかしくもある。
アルトは普段、あまり自分からメールをするという習慣がない。もちろん来たものには返信をするし電話だってする。ただ、特別に好きというわけではなかった。
この携帯電話だって、ないと不便だからと家を出てから購入した。初めは使い方さえ分からず、取扱説明書を片手に利用していたものだ。
今ではもう、無くてはならないものになってしまった。
友人たちとの交流に、緊急の召集に、そして、恋しい人とのやり取りに。
友人たちのメールが二割、職場関連一割、恋人七割。
“ミシェル”
そう名づけたフォルダには、すでに三桁の受信メール。他のフォルダもあるというのに、このフォルダだけが異様に受信が多かった。
少し前まではこのフォルダ名も、“ミハエル”としていたのに、より深く彼を知って、頬を染めながらも名前を変更した。
その名を見るだけで胸が鳴るなんて、こんなに不思議なことはない。
何度も読んだメールを読み返して頬が緩むなんて、他人から見ればさぞ不審なことだろう。だけどここはミハエルと二人の自室。他に誰がいるわけでもなし、アルトは思う存分頬を緩め染めた。
メールとは言っても他愛のないもので、課題終わっただとかちょっと買い物に行ってくるだとか、マニューバのことだとか。
学校も職場も、部屋まで一緒で、それこそ四六時中一緒にいるというのに話題は沸いて出て、その度に笑いながら時間を費やす。
学校では隣の席だからか、口に出して論争を繰り広げることもあるが、それは主にマニューバのことで、少しも色気のある話題ではない。だけど、机の影で、隠れてそっと触れ合う指先がくすぐったくて、伝わってくるわずかな温もりが嬉しかった。
「ミシェル……」
まだ帰ってこないのかな、とアルトは枕に突っ伏す。
勤務時間はとうに過ぎているはずだが、ミハエルはまだ帰ってこない。バルキリーの調整だとかで、メカニックに呼び出されていたのは知っているから、何かを疑う余地もないのだけれど。
メカのことは専門でないとはいえ、SMSのパイロットをして恥ずかしくないだけの知識はある。メカニックと相談しながらバルキリーを作り上げていくのは、アルトだって好きだった。
先に帰ってて、と言われて帰ってきたけど、こんなに遅いのならあっちで待っていた方が顔も見られるし良かったかななんて、女々しいことを考える。
今ミハエルは何をしているだろう。弾き出されたデータとにらめっこの最中だろうか。それとも、調整の終わったバルキリーでテスト飛行でもしているだろうか。それだったら、今メールをしても返ってこないだろう。
アルトは大きく息を吐いた。
学校の課題も終わってしまったし、この増えすぎたメールの整理でもしようかなとメールボックスを開く。受信メモリだって無限ではないのだ。
「…………」
ミハエルから来たメールを最初のものから読み返して、必要なものとそうでないものを分けようと思った。
思ったのに。
アルトの指は、このメールは取っておきたいと次へのボタンを押し、そしてまた。
「無駄じゃね?」
二十通くらいまでを終えて、気づく。
全部、消せない。
全部嬉しくて馬鹿らしくて愛しくて、不要なものだなんて思えない。きっと今みたいにミハエルがいない時に見返して、笑ったりするのだ。消したりなんてできるはずも無い。
長い文章でも、たった一言のメールでも。
「消せねえよ、ミシェル」
呆れ気味に笑って、携帯電話を持った手の甲で額を押さえた。
こんなに好きになってるなんて。
こんなに、大好きになってるなんて。
彼なしでは生きていけないなんて言うつもりはないけれど、傍にいてくれたら幸福だとは思う。
溢れる、と思った。
恋しすぎて、溢れてしまうと感じた。
ミシェル、と名を呼んでゆっくりと息を吐き出す。閉じていた目蓋を持ち上げ、起き上がってカバンの中からブランクの記録媒体を取り出した。
小さなそれは、ケーブルで繋げばすぐにデータの移動ができる。こちらへ移し換えておこうと、アルトは携帯電話に繋いだ。
シュン、とドアが開く。やっとご帰還の、ミハエルだ。
「アールトーひ、……め」
ただいまのキスをしておかえりのキスをもらおうと思ったが、部屋の中は静まり返って、小さな寝息だけが聞こえていた。ミハエルはアルトのベッドを覗き込んで、肩を竦めた。
「眠ってたのか……どうりでメールが返ってこないわけだ」
今から帰る、とメールをしたのに、いつもは返ってくるはずのメールがこなかった理由を知って、やはりどこかホッとする。
彼に何かしてしまっただろうかと不安になるなんて、本当にこのお姫様に落ちてちまっているのだなと、ミハエルは眼鏡を上げた。
今まで付き合ってきた女性たちとは勝手が違って、日々が驚きの連続だ。これが恋なんだろうかと、初心なことを考えてみたりもする。
なにせ、今まではこんなこと無かったのだ。メールはいつも、来るのを待っていればいいだけだったし、期間が開いたって気にも留めなかった。メールボックスがその人のもので埋まるなんて、無かったのに。
今ではアルトからのものが半数以上を占め、三桁を優に超えていた。
四六時中一緒にいるというのに彼とのメールは楽しくて嬉しくて、つい何度も返信してしまう。他人から見たらひどく馬鹿馬鹿しい話でも、ミハエルにとっては大切なものだった。
ベッドの端に腰をかけて、アルトの髪を撫でる。相変わらず手触りがいいなと微笑んだ。
枕元の携帯電話はメールの受信を知らせてチカチカと光っており、読んでもらうのを待っている。きっとさっき自分が送ったものだろうなと、ミハエルは携帯電話に手を伸ばした。
その発光で彼が目を覚ましてしまわないようにと思って、受信確認をしようと思っただけだった、のに。
「……あれ?」
発光を止めるために新着メールを確認すれば、必然的に受信ボックスに画面が切り替わり、既読数と未読数が表示される。
おかしいなと思った。
他人の携帯を覗く趣味はないため、自分の名前のフォルダが作られていることを知って嬉しくなったが、メールが少ないのだ。表示は24/1となっており、既読24、未読1と見て取れる。
こんなに少ないはずはない、とミハエルはらしくなく慌てた。自分の携帯電話からアルトに宛てたメールも三桁を超えており、ならば彼の携帯電話にも三桁入っているはずで。
それが二桁になっているということ、は。
「あー……消した、の、かな」
受信のメモリだって無限ではない、許容量に限界がくれば、古いものから消えていってしまう。それを見越してメールを整理することはミハエルにだってあったし、メールを削除するのは何ら不思議なことではない。
そう思っているのに、それがこんなにショックだとは思わなかった。
自分が彼とのメールを楽しんでいるのと同じように、彼も楽しんでくれていると思っていただけに、ショックは大きかったようだ。
アルトには、自分のメールは必要ないのだと。
「ちょっと自惚れてたかも、俺」
大きく息を吐いて、額を押さえる。
好きだと言ったら驚いた後にうんと頷いてくれて、何か訊きたいことはないのかと訊ねたら特にないと返されて、手に触れて握ったら指を絡め返してくれた。
どれだけか後に言葉ももらったしキスもしたし身体だって繋げたけど、結局は自分の方がずっと多く彼を好きなのだろうと感じてしまう。
いまさら後には引けなくて、彼を閉じ込めておきたいと思う反面、自由に飛ばせてやりたいとも思う。
だけどまだ、手放す勇気は出そうにない。
アルトの携帯電話を握り締めて俯くと、人の気配に気づいたのか、彼がもそりと寝返りを打って目を開けた。
「……ミシェル。帰ってたのか」
「ああ……さっき。起こしてごめんな」
女々しいなと思っても、上手く笑うことができなかった。それに気づかないアルトではなく、起き上がって不審げに首をかしげる。
「ミシェル? 何かあったのか?」
「いや、別に何もないよ」
「嘘をつくな。じゃあなんでキスしない。いつもだったら起こしてごめんなんて言う前にしてんだろ」
そんな遠慮のないキスが好きだなんて、絶対に言ってやるものかとアルトはミハエルの肩を掴んだ。
だけどミハエルは振り向いてくれなくて、胸が鳴った。何か悪い予感がする、とシーツを握り締める。
「ミシェ……」
「なあ、姫はさ、……もうイヤになった?」
不安になって名を呼んだら、遮るように呟かれた。だけど何のことを言っているのか分からずに、訊き返す。
「何の……ハナシだ」
「俺とのこと。イヤになったんなら、遠慮せずに言ってくれていいぜ」
「……ミシェル!? お前っ、何言って」
どうしてそんなことを言い出したのか、アルトには分からない。イントネーションのないしゃべり方がいつものミハエルらしくなくて、余計に不安だった。
「イヤなまま続けられても、俺困るし」
言ってほしくないと願いながら、ミハエルは俯いたままでぎゅうっと携帯電話を握り締める。いっそ壊しかねない力強さで、手がカタカタと震えていた。
「引き止めるとかそういうことは、しない……つもりだから」
そこまで言って、ミハエルは急に視界が動いたのに気づく。気がつけば、背中にベッドを感じていた。
突然の事態を把握するのに数秒を要したが、いちばん初めに認識したのは、泣きそうな顔をしたアルト。
「なんだよそれ! お前こそ、イヤになったんなら言えばいいだろ!」
必死で堪えて、ギリギリまで我慢しているときの表情、だった。
「ふざけんなよ、引き止めてもくれねえ男にホレてたって思わせたいのかよ! 好きなんだぞ、俺、お前のことッ……!」
「え、でも、アル……」
それ以上聞きたくない、とアルトはミハエルの唇をキスで塞ぐ。
息を止めて、叫びだしたい声を押しとどめて、触れたがった口唇でキスをした。
あ、とミハエルは気づく。ベッドに引き込んで押し倒すなんて大胆なことをやってのけたアルトの身体が、震えていることに。
アルトから仕掛けられるキスが幼いのはいつものことで、だけど震える肩はいつもと違う。
今好きだと言ってくれた彼を、疑うことはしたくない。そう思って肩を抱いたら、ふっと力が抜けていくのが分かった。
「ん……」
力が抜けたのをいいことに、中へと入り込んで奪う。それを嬉しそうに反応するアルトに、ミハエルの胸が鳴った。
「んっ……ふぁ」
ちゅ、ちゅっとキスの音が響いて、ようやくいつもどおりに戻る。
満足したように口唇を離したアルトは、最後にぺろりとミハエルの口唇をなめて身体を起こした。
「今のキス、信じていいんだろ?」
「伝わった? 俺もアルトのこと好きって」
「なんで……あんなこと言い出したんだよ……心臓痛くて死ぬかと思った」
伝わったよと視線だけで返し、ミハエルの前髪を払う。気持ちを疑わせるようなことは、していないつもりだったが、相手にとっては違ったのかも知れない。
「いや、女々しくて情けないんだけどね」
「なんだよ言えよ、気になるだろ。俺の方が悪かったなら、その、謝るから」
申し訳なさそうな声にミハエルは苦笑して、こちらもまた申し訳なさそうな声で、携帯、とだけ返した。当然なんのことか分からず、え? とアルトは首をかしげる。
「ごめん、ちょっと携帯のメールボックス見たんだけどさ。その、帰る前に送ったメールが届いてチカチカしてたから、止めようと思ってな。他のメールとかは見てないけど、一応謝っとく」
「なんでそれで変な誤解とかするんだ? 他のヤツからの……そういうメール見たとかってなら、分かるけど……」
もちろん誤解を生むようなメールなんてないし、後ろめたいことは何もない。どうしてそれで、あんな話しに繋がるのか、アルトには分からなかった。
「俺から送ったメール、あんまりなかったから……必要なかったのかなって、思って」
女々しいだろ、と苦笑して視線を逸らすミハエルに、アルトは力が抜けてしまう。ミハエルを覆うように突っ伏して、くっくっと肩を震わせた。
「笑うことないだろ、俺結構ショック受けてんだけど」
アルトは笑いながらミハエルの身体を強く抱きしめ、頬にキスを落とす。
「姫?」
「お前のメール、こっちに移した」
そうして、枕元に置いていた記録媒体をミハエルに向けてみせた。案の定、ミハエルの目が丸くなる。予想通りの反応に、おかしくなってまた笑ってしまった。
「だからあんなに少なかったのか?」
「だって容量いっぱいになれば消えちまうだろ。こっちに入れておけばいつでも見られる」
消したくなかったんだ、と付け加えると、ミハエルは大きな息を吐いてぱたりと腕を下ろす。力が抜けた、と呟く彼が小さな子供のように見えて、あやすように額に口づけた。
「女々しいのはお互い様だな」
「あーもう、俺カッコわりー」
「俺、別にお前がカッコよくなくても構わねーけど」
「そう? じゃあいーや」
髪を撫でてくるアルトに笑い、目を閉じる。飾らなくてもいいんだなと思ったら、愛しさがこみ上げてきた。
「ありがとうなアルト。大好きだぞ」
「うん。俺も」
「こっちで寝てもいい?」
溢れて、一人でなんか寝られないと目を開けてアルトに視線を移したら、ピッと額を弾かれる。寝るだけなら上へ行け、と。
「していいのか?」
「いいんじゃねーの。流れ的に」
「ムードないな。たまにはさ、可愛らしく“抱いて”とか言えないもんかね」
「バッ……絶対言わねえ!」
顔を真っ赤に染めたアルトを抱き寄せて、ミハエルは優しいキスで始まりの合図を告げる。アルトはそれを受けて、ミシェルと小さく名を呼んだ。
次の日、ミハエルの携帯電話からアルトのメールが記録媒体に移され、いつも持ち歩くケースにしまわれることになる。
机の影で触れ合う指先は、いつもより温かかった。
#ミハアル #両想い #ラブラブ
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その日から、ミハエルとアルトのメールは日課のようになっていた。
今日は朝飛びに行くのか。昼飯は屋上で食うか。美味しそうなカフェ見つけたんだけど。そういえば明日技術試験だけど、負けないからな。エトセトラ。
学校でもイヤというほど顔を合わせるのに、なぜこうもメールが続くのだろうか。しかも、以前はフライトのことしかなかった話題が、今では日常の他愛もない話題に切り替わっていた。
携帯電話が震えるのを感じて、アルトはそっとポケットに手を忍ばせて取り出す。メールの差出人は見なくても分かって、もう慣れた手つきで開いた。
【今日、メシ屋上な】
アルトはそれに、分かったとだけ返す。
いつもなら教室さえ同じだが、今は選択授業で離れている。
約束をしたわけでもないのに、いつも一緒にいるからか、成り行きで一緒にランチをとることが多い。他のメンバーがいる時もあるが、たいていは二人きりだ。
ミハエルに言わせれば、なんで野郎の顔見ながら昼メシなんだ、ということらしいが、その割に光景は変わらない。
何か特別な話題があるわけではない。
たとえば昨日のテレビで誰が誰と結婚した、別れた、どこどこの船団でどんな事件が起きた、次のテストのスケジュール、まあそんなところだ。
だが、なにも話さなくても苦痛ではない。話題がないのであれば、ただそこにそうしているだけ。
正直な気持ちを言ってしまえば、ミハエルの隣にいるのは楽だった。彼はアルトを特別扱いしない。女形を演じていたことでたびたび話題には上るが、からかいという要素は含まれていなかった。
【アルト、今日も弁当?】
【いや、今日は購買行く。朝寝坊して作れなかったんだ】
【珍しいな。購買行くなら俺の分も買ってきてー。焼きそばパンがいいなー】
【何で俺が!】
【そっちの方が購買近いだろ。ドリンクくらいはオゴッてやるからさ】
授業はもちろん聞いている。が、合間にこんなメールをやりとりするのも、もはや日常茶飯事になっていた。メールボックスは以前と同じく、ミハエルでいっぱいになっていく。
【分かった、欲しいものメールしろ】
だけど以前に比べたら、ずいぶんと親密度は増した。短くても素っ気ないとは感じない。
ミハエルはその後すぐに食べたい物を羅列したメールを送ってきて、きっと最初から考えていたのだろうとアルトは苦笑した。
そして、スクロールした画面のいちばん下に、見慣れた文章。
【なあそろそろ惚れた?】
なんの脈絡もなく、しかし規則のように定期的に入っている文章だ。
またか、とアルトは目を細め、
【惚れてない。理由がない】
いつものように、そう返した。
そう、いつものように。
あの日からミハエルは、ことあるごとにこんな風に確認してくる。
本当に好きじゃないのか、まだ惚れていないのか、今日はときめいたりしたんじゃないのか、エトセトラ。
文面は違うものの、導き出すひとつの答えは明白だ。
――――なにが楽しくて、こんなん書くんだ、アイツ。
アルトの方もそれに対する反応は慣れたもので、否定は返してやる。
あの日、言ったはずだ。ミハエルのことを好きになんかならないと。万が一にでもそうなってしまった後のことを考えたら、好きにならない方が楽に過ごせる。
――――まるで洗脳でもしてるみたいだ。絶対に好きになんかならねーし。
アルトは携帯電話をポケットにしまい込んで、この心地よい距離が壊れてしまわないようにと祈った。
「いい天気」
「風もあるし、今日は過ごしやすいな」
購買で買ってきたものを全部腹に収めて、ふたりで空を見上げる。
こんな日は屋内で授業を受けるより、好きなだけ空を飛んでいたい。風をもっと深く感じるためにか、アルトは寝ころんで目を閉じた。
「アルトは本当に空が好きなんだな」
「こんなにハマり込むとは思わなかったけど……そうだな、今はいちばん好きなものだ」
「俺よりも?」
片手をついて体を支えるミハエルが、面白そうに訊ねてくる。よくも飽きないものだと、アルトは目を開けもせずに呟いた。
「もし好きになるならお前以外の誰かだよ」
「ふぅん? そんなこと言って、後で惚れてもしらないからな」
くっくっと喉をならすミハエルを、アルトはようやく目を開けて見上げた。本当にこの男の考えていることは分からない。
「お前は?」
この男が本音をさらけ出す相手は、果たして存在するのだろうか。こんなに近くにいてさえも、ミハエル・ブランはアルトにとって遠い存在のようだった。
「うん?」
「お前は誰か、好きなヤツがいるのか?」
なにを訊いているのだと、アルトは言ってから思う。ミハエルがたくさんの女性と噂になっているのは知っているし、その誰にも本気で接していないことは、学校の誰もが知っていることだった。
ミハエル・ブランに本気になったら、泣きを見るのは惚れた方だと。
だからそんな男に、本気の相手がいるとはとても思えない。
「いたよ」
ミハエルが、ごろりとアルトの隣に寝転がる。
「えっ?」
思いも寄らない肯定に、逆にアルトが跳ね起きた。まさかそう返されるとは思わず、次の句につなげられない。
まさか、遊び人で通っているこの男に、好きな、人が。
「……いた?」
――――過去形? ふられた? まさか、ミハエルが?
アルトは、過去形で伝えられた事実が導く答えをにわかには信じられなくて、目を見開いてミハエルを見下ろした。
「叶わなかったからな、初恋だし」
初めては叶わないって本当だったんだと、迷信を持ち出してミハエルが目を閉じる。
アルトは、なにをどう、どこまで訊ねていいものかと戸惑った。
こんな時、友人である自分はどうしてやればいいのだ?
訊かないでいてやった方がいいのか、訊いてやった方がいいのか。
痛む心臓を我慢して、アルトはふいと顔ごと視線を逸らした。
「だ、だから今……女とっかえひっかえつきあってんのか」
「人聞き悪いこと言うなよ、俺は彼女たちが望むようにしているだけさ」
責任転嫁はよくないぞと、あざ笑うように吐き捨てつつも、喉の奥の痛みをこらえる。
たとえ過去のことだとしても、ミハエルにもそんな風に想う人がいたのだと知って、ひとりだけ置いて行かれたような感覚に陥った。
「どんな……ひとだったんだ? お前のことだから年上なんだろう?」
もう午後の授業が始まっている。だけどアルトもももちろんミハエルも、それを気にする風ではなかった。ミハエルはこの際サボッてしまえと口に出さずに考えて、アルトはただ流されるままに風を頬に受ける。
「年上だって思った。すげえ綺麗だったんだぜ、この俺がらしくもなくさ、その人を見られるってだけでドキドキしてみたりな」
「……貴重な体験だろうな、そりゃ」
今ではそんなこと絶対にないんだろうと笑ってやった。ミハエルはそれに何も返さず、そっと目蓋を持ち上げてきた。
「話したこともないし、プレゼント贈ることもなかった。何せ初めてのことでどうしたらいいか分からなかったしなあ」
ハハハと笑うミハエルの声が、心臓に痛い。幼い頃の話なのだろうか、アルトは寂しくて悔しくて、どうしたらいいか分からなくなった。
その頃共にいられなかったことが、寂しくて悔しくて、ミハエルを振り向くことさえもうできない。
「でも、……今なら女の扱い方も上手くなっただろ。そんなに好きだったなら、逢って話せばいいじゃないか」
たとえば気持ちが薄れてしまったのだとしたら、そんな風に優しく語ったりはしないだろう。きっとミハエルは、今でもその人のことが好きに違いない。
友人としては、ここは応援してやるのが普通なんだろうなと、アルトは膝を抱えて呟いた。
「無理だな、だって……もう、いねえし」
諦めた口振りにアルトはハッとして口を押さえる。
――――亡くなったのか……。
その可能性を考えなかったことを悔やんで、眉を寄せた。
「悪い、辛いこと言わせて」
「あの姿はもう見られない。何をどう間違ったのか、空に恋いこがれて、親に殴られてまで芸の道捨てて、今は俺の隣で親友として居座ってやがる」
遮るように語られたミハエルの想い人。アルトはその姿を想像しようとして、一瞬頭の中が真っ白になった。
「……――――は!?」
思わず、振り向いてミハエルを凝視する。一点の曇りもない瞳が、眼鏡のレンズ越しに、こちらを見つめていた。
「初恋、お前だったんだ」
今だから言える笑い話だよと、ミハエルは長いため息をつく。それは深い諦めと、昔を懐かしむ色。
「お、れ……?」
「舞台見て、一目惚れしたんだけどな。話の筋も分かんないのに何回も舞台通ってた」
舞台の上の舞姫が男だと知った時は本当にショックで、一週間ほど寝込んだのだと付け加えられて、アルトの頬が染まった。
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