No.619

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もう少しだけ

NOVEL,テニプリ,塚跡 2024.10.03

#両片想い

 跡部が、ふっと空気のように笑ってラケットを立てかけた。もう打ち込むつもりがないのだろう。そう思うと…

NOVEL,テニプリ,塚跡

もう少しだけ



 跡部が、ふっと空気のように笑ってラケットを立てかけた。もう打ち込むつもりがないのだろう。そう思うと、不満とも言える思いがわき上がってきた。

「もういいのか?」
「ああ、満足だ」

 どこかで聞いた台詞だなと思いつつ、俺も肩の力を抜く。ふと、跡部が見抜いた俺の「死角」を見つめた。未熟だと嘆けばいいのか、それとも跡部の眼力が精度を上げたのだと思えばいいのか。
 まあどちらもだな。
「随分と腕を上げたな」
「アーン? この俺がいつまでも膝をついてると思うなよ」
 挑発的な笑みに、だからこそなんだがと心の中で呟いた。

 プレ杯で対峙してから、数日しか経っていない。ネット越し、俺の目の前で膝をついたあの男と本当に同一人物だろうか。
 そう思ってしまうほど、跡部はさらに強くなった。トレーニング程度でもそう感じるのだから、本気で試合をしたらどうなるのだろうか。
 いつからか手塚ゾーンなどと呼ばれるようになった俺の技を破り、ラケットを放してさえ、今も尚強く見据えてくる。

 また、輝きが増した。

 この男はどこまで進化するのだろう。遠くない未来、プロとしてまた相見えることになると、俺は確信している。
 楽しみだ、と思わず口許が緩みかける。それを隠すように、俺は跡部に訊ねかけた。
「日本チームの皆は元気か」
「まあな。てめェも元気そうで何よりだぜ。くせ者揃いで、まとめ上げんのが大変だがな」
 プロになるために渡独した身とはいえ、かつての仲間のことは気になる。
 とりわけ、この男のことは。
「お前がまとめてくれているのか」
「ああ、てめェの跡を継いでな。じゃあな、あんまり長居もできねーし、俺様はそろそろ戻るぜ」
 跡部はそう言って踵を返す。
 敵地に乗り込んできた割には随分あっさり帰るんだな……。本当に俺の技を破れるか確認しに来ただけのようだ。自主トレの相手をしてやるなどと言っていたが、まあそんなわけではないだろう。
「そうか」
 なんでもないように返しながらも、俺の中にじわりと不満が広がった。
 次に顔が見られるのは、試合でだな……。この様子では、跡部は試合に出ないのだろう。出たとしても俺とは当たらない。
 せめてもう少し話しをしていたいと思うのは、俺の厄介な感情のせいだ。

 俺は跡部景吾に恋をしている。

 何を血迷っているのかと思うが、事実は事実。こいつが相手では仕方がない。俺は悪くない。

「見送りくらいしてくれたって、罰は当たらねぇんじゃねーのか、手塚ァ」
 ドアの傍で振り返って、跡部は愉快そうに笑う。別に俺の気持ちを知っていてのことではない。――と思う。見送られるのが常なんだろう。何しろ財閥の御曹司だからな。
 しかし、俺にとっては好都合だ。「お前が言ったんだろう」と言い訳をして跡部を見送ることができる。
 それでも、このまますぐにエントランスに向かうのでは物足りない。

 せめてあとわずかでも一緒にいられないだろうか。

「……跡部、少し部屋までつきあってくれないか」
 跡部を追ってトレーニングルームを出て、背中に声をかけた。跡部は少し驚いたような顔をしている。……かわいいな。
「アーン? 部外者連れ込んでいいのかよ?」
「トレーニングルームまで乗り込んできておいて、今さら何を言っているんだ。不二にCDを借りっぱなしだったことを思い出した。返しておいてほしい」
「てめェ、この俺様を使いっ走りにするとはいい度胸じゃねーの」
「どうせ同じホテルなんだからいいだろう。こっちだ」
 俺は跡部が不満げに少し唇を尖らせたのを見て、頭を抱えたくなった。かわいいのもいい加減にしろ。が、不満げだということはつまり、跡部にとっては貴重な時間とはならないのだろう。まるっきり俺の片想いだ。
 この気持ちを言うつもりもないが、少しばかり腹も立つ。
 エレベーターを待つ間、跡部の視線を感じた。文句を言いながらもつきあってくれるらしい。
 跡部は案外義理堅いというか、面倒見がいいというか、押しに弱いというか。その外見からは想像がしづらいが、そんなところもいいと思う。

「なあ、手塚」
「なんだ」
「肘とか、肩、大丈夫か?」

 なんとも(俺に)都合良く、エレベーターは二人きりだった。跡部が少し躊躇いがちに訊ねてくる。先程から感じていた視線はそのせいだったのだろうか。
「あれだけラリーしてからの言葉ではないな」
「ばーか、本気出してねえ状態だぜ。特にてめェは一度始めたら頑固だからな。痛みがあろうが我慢すんだろ」
 それはそうだな。特に跡部相手では、途中で止められやしない。もったいないだろう。
 だが、跡部の心配するようなことはない。
「肘も肩も問題ない。きちんとしたトレーニングを積んで、ドクターにも診てもらっている」
「そうか。ならいい」
「気にかけてくれていたのか」
「フ、そりゃあな。てめェは俺様の宿命のライバルだぜ?」
 喜んでいいのか悲しんでいいのか。特別な相手と思ってくれているようだが、俺の感情とは種類が違う。それが残念でならない。
「いつまでライバルなんだろうな」
 そんな思いが、つい口を突いて出た。ハッとして口を噤むと、跡部は「ん?」と不思議そうに首を傾げる。

「そんなもん、生涯ずっとに決まってんだろーが」

 至極当然のことのように、跡部はするりと口にした。俺はそれに若干驚いて目を瞬く。
「プロとしての選手生命は長くねえかもしれねえが、お前とは歳取ってもずっと打ち合っていたいって思うぜ、手塚」
「……ずっとか」
「ずっとだ」
 未来のことは分からない。だけど、跡部が力強く頷いてくれる。

 それなら、いいか、と思った。

 跡部の中で、俺はずっと特別な相手として存在している。恋でなくとも、跡部景吾は俺のものだ。
 エレベーターが部屋のあるフロアに着いて、二人で歩く。廊下を通る人はいなくて、跡部がすぐ横に並んできた。
「ここがいつか、俺だけの場所になればいいのにな」
 ぼそりと呟かれた言葉は、しっかりと耳に入ってきた。入ってきたが、どういう意味なのか分からない。
 都合良く解釈すれば、俺の隣を独占したいということになるんだが、そんなわけはないだろうな。
「別に構わないが」
「ククッ、構わねーのかよ。朴念仁が」
 跡部が呆れたように笑う。貶されているようなのだが、なぜだ。

 部屋の前に着いて、少し待っていてくれと跡部に頼んだ。さすがに部屋の中まで連れ込…………入らせるわけにはいかないだろう。対戦国の選手なのだから。
 俺は部屋に入って、適当なディスクを手に取った。何もデータを入れていない物のはず。これを跡部に渡されたら、不二はどう反応するだろうか。気づかれるのだろうな。まあ別に構わないが。
「すまない跡部、待たせた」
「いや、いいぜ。それか?」
「ああ。エントランスまで送ろう」
「ここでいいが……」
「他国のヤツを一人で歩かせるわけないだろう」
「フ、俺様がスパイの真似事ってか? お前と二人ならさぞ楽しいだろうがな」
 言いながら、跡部と連れ立って再びエレベーターへ向かう。どうしても足がゆっくりになってしまうのは、仕方がない。

「今日は急に押しかけて悪かったな」
「お前がそんな殊勝なことを言うとはな。明日の天気は大丈夫だろうか」
「てめェも言うようになったじゃねーの」
 エレベーターに乗り込んで、一階のボタンを押す。すぐに着いてしまうのが恨めしかった。

「そうだ手塚。試合終わったらちょっとした交流会考えてんだけどよ。お前も乗るか?」
 エレベーターからエントランスに向かうまでの廊下で、跡部がふとそんなことを言ってくる。交流会というのは、テニスだろうか。それとも食事だろうか。レクリエーションということだな。
 もちろん俺は勝つつもりだが、勝敗を決した後でレクリエーションとは。
「日本チームの連中とか? そちらが迷惑でなければ、参加――」
 参加させてもらおうと言いかけたところで、はたと思い至る。待て、跡部が言い出すことは大抵が大事になる。〝ちょっとした交流会〟などと言っているが、絶対に俺が思い描いている規模ではないはずだ。
「参加主要国ほぼほぼだな」
 ほらみろ、これだ。
「跡部。お前の行動力は純粋にすごいと思うが、それはちょっとした交流会ではない」
「なんだよ、多い方が楽しいだろうが。ほら、全国大会ん時にやっただろ、焼肉の。あれがやりてえ」
 もちろんスポンサーはうちだぜ、と続ける跡部は、もうすでに止めても無駄だ。すでに懐かしささえ感じる全国大会会期中の出来事を想い浮かべる。……育ち盛り、体が資本の俺たちに、焼肉は……良いと思うが……。
「ちなみにてめェは主催側な」
「俺を巻き込むんじゃない」
「ヘリで焼肉大会の様子を見守る役目だぜ? 何の文句があるんだよ」
 断ろうと思ったが、ヘリでということはたとえ乾たちがおかしなものを作っていても口に入れずにすむということだ。それに、
「ヘリには、お前も乗るのか」
「当然だろ」
「分かった。ドイツの皆にも焼肉バトルへの参加を呼びかけていいんだな」
 跡部とともにというなら、文句はない。肉食べたいが、それとこれとは話が別だ。
「ああ、頼んだぜ」
 跡部が頷いた頃、ようやくエントランスにたどり着く。
 想定していたよりずっと長く話していられたな。さらには、焼肉バトルの間にも逢えることになってしまった。

「では跡部、これを頼む」
「オーケイ。てめェの頼みじゃなきゃ聞いてねーぜ。ったく」
 エントランスを出て、跡部にCDを渡す。思いがけない逢瀬に、俺は満足げに頷いた。

「跡部」
「アーン? まだ何かあるのか」
「お前は先程、俺の隣にいたいと言ったが」
「……言ったな。あんま深く考えんじゃ――」
「だが俺は、お前は正面の方がいい。ネット越しでも、そうでなくても構わないが」
 こうして視線を上げた先、正面にお前がいたらいい。そう思って口にしたら、跡部は大きく目を見開いて、そうして項垂れて額を押さえた。
「お前、ほんと……タチ悪いなぁ……ぜってー意味分かってねぇくせに」
 ため息交じりに呟かれるが、どういう意味だ。思っていることをそのまま口にしただけなのだが。
「なら、隣も正面も俺様によこしな」
「欲張りではないのか」
「俺様はすべてを手に入れる男なんだよ」
「なるほどさすが跡部景吾だな。ところで俺が意味を分かっていないというのはどういうことだ」
「誰が教えてやるかよ。てめーで考えやがればーか」
 む、と口が尖る。今は試合のことを考えていたいんだが。後でビスマルクあたりにでも訊ねてみよう。「時間があれば」と返したら、はあ~と大仰なため息を吐かれた。意味が分からない。

「もう戻る。じゃあな。バトルの件、後でスマホに詳細送っとく」
「ああ、分かった。跡部、気をつけて帰れ」
「サンキュ」
 跡部は、受け取ったCDを振りながら日本チームの宿泊先へと向かっていった。もう少しトレーニングをして雑念を払わないといけないな。
 俺はそのまま、再びトレーニングルームへと足を向けた。


「ほらよ、不二。手塚がお前に借りたCD返しといてほしいってよ」
 不二は、来訪者からCDケースを受け取って、ありがとうと礼を言った。跡部は「使いっ走りさせるな」と言いつつも、機嫌が良さそうである。
「手塚、元気だった?」
「ああ。しかしてめーんとこの部長サマはどうにも鈍いな。どうにかならねえのかあれは」
「面白そうな愚痴だけど、まあ手塚だしね」
「だろうな。じゃあ、それ確かに渡したぜ」
 跡部はひらひらと手を振って踵を返す。不二は手元に残ったCDケースを見下ろして、息を吐くように友人の名を呼んだ。
「手塚……」

 僕、きみにCDを貸した覚えはないんだけどなあ。

 そんな野暮なことは、ひとまず胸にしまっておくことにして――。


#両片想い