No.480

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恋をしている-003-

塚跡WEB再録 2021.10.02

#塚跡 #片想い #ウェブ再録

 しかし、気がついてしまった恋情は日に日に育っていってしまう。『今日行く』と入ったメッセージに口許が…

塚跡WEB再録

恋をしている-003-


 しかし、気がついてしまった恋情は日に日に育っていってしまう。
『今日行く』と入ったメッセージに口許が緩みそうになって、慌てて顔を作ることもある。電話が来れば、あの声を耳元で聞けというのか……? とためらいつつも、聞きたい誘惑に負けてなんでもない振りをして応答することも増えた。顔が見られればやはり嬉しいし、ボールを打ち合えるのは幸福だった。
 だが、それと同等以上に、後ろめたい。
 いや後ろめたいどころではない。昨日はついに跡部のことを考えながら自慰をしてしまった。
 跡部の肌はどんな感触なのか。どんな顔をするのか。どんな声を上げるのか。中はどんなに熱いのだろう。
 想像というのは実に都合が良いもので、跡部は一切の抵抗をしなかった。それどころか積極的に求めてくれて、いやらしく乱れて、もっと欲しいとねだりさえした。
 思い出すだけで興奮してくる。
 だがこんなこと赦されるはずがない。
 涼しい顔をした裏側で、跡部に対して劣情を抱いている。
 健康な男子中学生としては当然の欲求なのかもしれないが、相手が相手だ。同性であるばかりか、好敵手として球を交わす大切な人。
 ――――駄目だ、跡部。
 逢いたい気持ちと、逢えない気持ちがごちゃ混ぜになる。
 ――――お前をこれ以上……穢すべきではない。
 こんな気持ちのまま、いつまでも跡部と打ち合ってはいられない。どうしても、裏切っているような気がした。テニスをしたいという、彼と手塚自身の純粋な思いを。
 これを最後にしようと、『放課後な』というメッセージに『分かった』とだけ返し、端末を胸の前でぐっと握りしめた。



「今日は一段と力が入ってたじゃねーの、手塚。いい球打ちやがって」
「あぁ……どうしてもな。これが、…………最後だと思うと」
 いつものようにひとしきり打ち合って、ネット越しに拳を合わせた後、手塚は跡部に切り出した。言葉に詰まったのは、最後のあがきだ。
「最後? どういうことだ」
 もう一ゲームと指を掲げかけた跡部が、怪訝そうに首を傾げる。突然何を言い出すんだとでも言いたげだった。
 それはそうだろう。手塚自身、これを最後にと決めたのは今日なのだから。
「もうお前とは打ち合えない、跡部」
 今まで何も言わなかったのに、何故と思うのが普通だ。
 引っ越しだとか、距離的な問題がすぐに浮かんできそうだが、跡部の行動力と財力を持ってすれば、そんなもの物ともしないだろう。どこか体の故障かと思わせるのも、実際一度壊れたところを見せた状態では、気が引ける。
 だからといって、つまらなくなったとは言いたくない。時間が許せば、この面倒な感情さえなければ、いつまでだって打ち合っていたいのに。
 跡部は突然のことになんと言うだろう。
 怒るだろうか。それとも逃げるのかと挑発してくるだろうか。つまらなそうに顔を背けるだろうか。
 だが跡部は、その想像したどれをもしなかった。
「理由を言え」
 こんな静かな声を聞いたのは初めてだ。責められているのは理解できて、後ろめたさと不甲斐なさが胸の中に同居した。この破廉恥な感情に飲まれかける自分が、ひどく矮小な生き物に思える。
「手塚」
 促されて、手塚は目を伏せた。ここで断ち切るべきだと、心から思った。目蓋を持ち上げると同時に、口を開く。
「少し忙しくなってくる。打ち合う時間がない。引き継ぎや勉強だってあるんだ」
 高等部へは基本的に持ち上がりとはいえ、進級の試験はある。全てが全て、嘘というわけではなかった。
「いそがしい。……俺様相手にそんな理由がまかり通ると思ってやがんのか、手塚」
 いつもいつもまっすぐに見つめてくる跡部の視線が、初めて下を向いた。手塚はそれに目を瞠り、こちらも珍しく視線を泳がせる。
 部に関しては徐々に次代に引き継いでいくとはいえ、生徒会の仕事に加えて財閥の跡取り息子である彼が、手塚より暇だということはないはずだ。馬鹿なことを言ったと思っても、もうどうしようもなかった。
「跡部、お前だって忙しいんじゃないのか」
「俺様を言い訳に使うんじゃねえ。俺が何のために忙しい合間を縫ってテメェと打ち合いに来てやってると思ってんだ」
「お前こそ、俺を理由にしているだろう」
 売り言葉に買い言葉。忙しいのに来てくれているということに、嬉しさを感じてしまう。それがまた後ろめたい。
「あぁ? 当然だろ。俺は手塚と打ち合ってんのがいちばん楽しいんだからよ」
 ここに来ているのはお前が理由で問題ないと、不敵に、若干自嘲気味に笑った跡部に、手塚は目を奪われる。
「これだと思って打ったキメ球を打ち返してきやがるし、テメェが自信満々で打ったもんを打ち返してやれるのは気分がいい。公式戦じゃねぇからお互い本気出してねえっつってもな」
 そう言って、指先で愛しそうにガットを叩く跡部に、手塚は頭を抱えたくなった。こちらの気も知らないで、そんなことを言わないでほしい。明け透けな性格の跡部を初めて恨んだ。
「テメェは違うのかよ、手塚」
 暗に、当然同じ気持ちなんだろうなとでも言わんばかりの言葉が、とても憎らしい。
 同時に、実感する。
 跡部景吾の中で、手塚国光という男はテニスとイコールで結ばれているだけだということを。
 あの関東大会で、全力で応えてくれた彼の高潔さを穢したくない。その反面、その高潔さごと貪り喰らい穢してしまいたい。
 相反する二つの感情が、手塚に下を向かせた。
「忙しいって理由じゃねえだろ。本当のことを言え。俺様を失望させんじゃねえよ、手塚」
 追い打ちをかけるように、ネット越しに距離が縮まる。
 失望させるなという言葉が、手塚の胸に突き刺さる。
 本当のことを言えばきっと失望どころか軽蔑さえされるだろう。彼のために嘘をつき続けるべきか、否か。
 いや、違う。彼のためではなく、自分のためだと気がついた。軽蔑されたくないからと嘘をつくのは自分のためだ。彼を理由にするわけにはいかないと、手塚は拳を握りしめる。
 失望される結果が同じなのであれば、せめて彼に誠実でありたいと、まっすぐに見つめ返した。
「跡部、お前を穢した」
 正直に、告げる。
 聡い跡部ならば、これだけでも伝わるかもしれない。だけど失望されるなら、会話をできるのはこれが最後かもしれない。きちんと伝えなければと、再度口を開く。
「お前が純粋に俺とのテニスを楽しんでくれるのは嬉しい。だが俺のお前に対する感情は違う。あの時……真剣に全力の力で応えてくれた高潔なお前を、これ以上穢すわけにはいかない」
 跡部の目が、ほんの少し細められる。瞬きをするのがもったいなくて、ギリギリまで見つめた。そうして目を伏せ、もう一度彼を見つめるために目蓋を持ち上げた。
「俺はお前に、劣情を含む恋情を抱いている」
 恋情と口にしたのは、これが生まれて初めてだ。初恋は実らないと聞いたことがあるような気がする、と頭の片隅で思い出した。
 これで跡部とテニスをすることもなくなるなと、諦めて息を吐く。
「これが理由だ。聞いてくれて感謝する」
 逃げることもなく、跡部は最後まで聞いてくれた。言い出した手前というのもあるだろうが、彼のそういう肝の据わり方は好ましい。
「……手塚。テメェは俺様を何だと思ってやがんだ。あぁん?」
 跡部は腕を組んで、いつものように挑発的な声を返してくる。何だと思うも何も、今しがた言ったばかりなのだがと、手塚は眉を寄せた。
「高潔、ねぇ……。まあそれは俺様だからな、お前がそう思うのは仕方ねぇが。ふ、はは、悪くねぇ賛辞だったぜ」
 悪くなかったのか、と胸が少し温まる。跡部ならば、そんな賛辞はもらい慣れているだろうし、気にも留めないと思っていたが、自分の口にした些細な言葉を「悪くない」と言われるのは嬉しかった。
「だがな、そんな高潔な俺様でも、人並みの感情も劣情も持ち合わせてんだよ。お前の俺に対する気持ちを穢れだと切り捨てんなら、それは俺自身をも否定することになる」
 チ、と舌を打って、跡部はほんの少し顔を背ける。
「俺様のカリスマ性がありすぎんのがいけねぇんだろうが、神聖視するヤツらはいる。割と小せえ頃から、下世話な目を向けてくるヤツらも見てきた。今さらだぜ」
「…………今の俺は、お前に対してどちらの視線も向けていたということになるな。傷つけたのなら、すまない」
 別に、と跡部が小さく呟く。下世話な視線を受けるというのは手塚自身にはないが、神聖視というものには心当たりがあった。
 テニス部部長として、生徒会長として、敬われる視線は理解ができる。ただ、時折「手塚だから」「あの手塚が」と言われるのには違和感も覚えていた。
 自分とて、一人の人間だ。健全な男子であり、恋情も劣情も持ち合わせている。ただ、テニスが第一であるというだけで。
 自身がそういう違和感を覚えていたというのに、彼に対して同じことをしてしまった。跡部も、一人の人間だ。恋情も、劣情も持ち合わせている、健全な男子である。
 ――――跡部も……。
 劣情という単語を反芻して、破廉恥なことを連想してしまった。気まずさに眉を寄せて、視線を背ける。
「ならばお前は、不愉快ではないのか。俺が、お前を――」
「アーン? 不愉快に決まってんだろうが」
 許容はしてくれるのかと思ったその時、突き放された。まあそれはそうだろうなと理解し、納得する。手塚自身、好意を持っていない相手からそんな視線を向けられても、いい気はしない。
「すまない、跡――」
「何が不愉快ってな、テメェに俺様が穢されると思ってやがるところだよ」
 胸倉を掴まれて、ウェアに皺が生まれる。
 予想だにしなかった。不埒な想いを抱かれることでなく、それで穢されると思っていることが、腹立たしいのだなんて。
「何者にも穢されない。それが俺、跡部景吾の魂だ」
 威圧するでなく、責めるでなく、まっすぐな彼の瞳が高潔さを物語る。そういえば跡部のそんなところに惹かれたのだったかと思い出した。
「……さすがだな、跡部」
「俺はてっきり、お前も同じだと思ってたんだがな。頭ん中でどうされようが、実際に手を出されようが、折れることはねえだろ」
「当然だ」
 考えるまでもなく即答すれば、跡部は笑いながら胸倉の手を放した。
「しかし手塚よ。テメェはもう少し口説き方ってもんを勉強しな。なんだ、劣情を含む恋情って。ムードの欠片もねえ。あれじゃあ女の一人も落ちねぇぜ」
 愉快そうに、両手を上に向けて肩を竦める跡部に、そんなことまで考える余裕はなかったと答える。確かに冷静になって思い返してみれば、下心が透けて見えるどころか下心だらけだ。
「確かに配慮に欠けていたかもしれん。だが女性を口説き落とすために学ぶことなどできない」
 元々口下手な方だ、言葉を選んで伝える努力は必要だろう。手塚は、左手で跡部の右手を取った。
「俺がそういう言葉を伝えたいと思うのは、お前だけだ、跡部」
 学ぶべきは、たった一人、特別な想いを抱く相手に伝える言葉。
「……好きだ」
 しかしすぐに言葉など浮かんでこず、結局はシンプルな三文字になってしまった。だが嘘偽りない気持ちを伝えられたと思う。
 跡部はそれにひとつ瞬き、取られた右手に視線を移し、再度見つめ返してきた。そうしてふっと口の端を上げるとともに、手の指を絡めてくる。
「やりゃあできんじゃねーの」
 一本一本、手塚の指の間に収まる跡部の指。何が起こったのか分からず動揺したが、ここぞとばかりに絡む指に力をこめてみた。
「ハッ、シンプルでテメェらしい。だが分かりやすいのは嫌いじゃねーぜ」
 跡部も、ぐっと力を込めてくる。負けず嫌いはこんなところでも発揮されるのかと思うと、少し愉快な気分だった。
「テメェに落ちてやろうか、手塚ァ」
 ぐっとその手を引かれ、距離が近くなる。陽の落ちたコートで重ねた唇は、少し汗の味がした。


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