- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.701, No.700, No.699, No.698, No.697, No.696, No.695[7件]
甘い蜜のよう
「ん……」
初めて触れるその唇は、思っていたよりも柔らかくて、しっとりとしていて、甘い蜜のようだった。
優勝インタビューは戦績のことよりも、試合会場での熱い抱擁についてのことの方が多かった。それはもう仕方のないことだが、早々に切り上げさせてもらった。
コーチやマネージャーたちにもろくに説明をしないまま、跡部景吾という恐ろしく多忙な実業家を左腕に抱いて、タクシーに乗り込んでしまった。
次の新聞を見るのが怖いなと思いながらも、跡部が楽しそうにしているせいか、スキャンダラスな展開を嘆こうとはしなかった。
「スポンサー契約切られたら、ウチに来いよ。専属結ぶくらいの度量はあるんだから」
「それはそれで問題だろう。しかし、もしそうなったら頼むかもしれない」
泊まっているホテルに跡部を引き込んで、扉を閉めるなり口づけをしても、跡部は怒らなかった。満足そうに口許を緩めて、今度は跡部の方からキスをしてくれる。
触れて、離れて、押しつけて、ちゅっと音を立ててついばむ。絡む舌を吸い上げて、混ざった唾液を飲み込む。
「跡部……」
「手塚、お前の唇って甘ぇな……」
「それはお前の方だろう」
「ふふ……そうかよ……?」
鼻先が擦れ合う。ずっと触れていたいと思うけれど、何度かついばみあってゆっくりと体を離した。
「…………驚いた」
「俺は昨夜驚かされた」
「せめて来るなら来ると言ってくれ」
「そんなことしたら、お前浮かれて試合できねえだろうが」
ぐっと言葉に詰まった。それは確かにそうだ。試合は試合だと割り切っているつもりでも、好きな相手が見に来るかもしれないと思ったら、落ち着かなくなっていつもの力が発揮できない可能性はあった。
「仕事、どうしても俺じゃねえと駄目なヤツ終わらせて、会議のリスケと納期の延長頼んだり、色々あってな。確実に来られるとは言い切れなかったんだ」
「そうなのか……来てくれて嬉しいが、あまり無茶なことをするな」
「お前に言われたくねーなぁ……肩の痛み我慢して無茶な試合してたヤツによ」
「それを言われると何も言えんな……」
気まずくて顔を背けると、くっくっとおかしそうに肩を震わせる跡部が、背けたはずの顔を指先で振り向かせてくる。
「もっとずっと、言わなきゃなんねえ言葉があんだろ。もう一回……いや、何度でも言えよ手塚。俺を愛してるって」
そうして、濡れた甘い唇を重ねてきた。
「キスをされたら言えないが」
「ばぁか、伝わんだろ。お前の気持ちは俺に、俺の気持ちはお前に。はちみつみたいな甘さでよ」
「……そうだな」
唇が、再び重なる。重ねた数だけ、今まで言えなかった想いが伝わっていくと信じて、何度も、何度もキスをした。
お題:リライト様 /甘い蜜のよう
#お題 #両想い #未来設定
夢で逢えたら
『行けねえかもしれねえ』
電話の向こうで、気まずそうな声が聞こえた。手塚はその言葉の意味をゆっくりと把握して、端末を左手に持ち替える。
「そうか」
『悪い、大事な試合なのに』
「いや、構わない。仕事が忙しいんだろう」
明日は、ついに決勝戦だ。この試合の勝者が、王者となる。
ついにここまできたのだと感慨深い気持ちもあったが、まだ勝負は始まってもいない。勝敗の行方がどうなるか、誰にも分からないのだ。
ランキングプレイヤーとはいえ、手塚はまだ優勝という栄光を手にしたことがない。対して相手選手は二度ほど優勝カップを手にしたプレイヤーだ。世論としては、無難に彼が勝つだろう、といったところか。
だが手塚とて、負けるつもりはない。これまでいくつかの大会を経て、名前も顔も、それなりに知られてきた。熱心に応援してくれる人たちも増えてきた。
あの頃共に黄色いボールを追っていたかつての仲間たちからも、たくさんの激励が届いている。だからというわけではないが、絶対に勝ちたい。
大切な試合だった。
できれば、彼にも――跡部にも観に来てほしかったが、どうもそれは叶いそうにない。
実業家として世界中を飛び回っている彼が、たかがテニスの一プレイヤーのために仕事を疎かにできるわけがないのだ。
彼は無二のライバルだと言ってくれているが、重要度は仕事に比べたら低いに決まっている。
『コンディションは?』
「悪くはない」
『肘や肩も問題ねえのか。ドクターたちはなんて言ってるんだ?』
「ああ、どちらも特に支障はないな。これなら大丈夫だと、太鼓判を押された」
『本当か? 後で確認するからな』
強められた語気に、疑り深いヤツだなと口を尖らせる。
今、テニスプレイヤー手塚国光についてくれているドクターやトレーナー、マネージャーといったスタッフは、跡部が手配してくれた人たちだ。
誰よりもお前の成功を祈っているのは俺だ、なんて言って、最高の人材を用意してくれた。それだけでも充分だ。
「俺はお前に噓などつかない」
『それならいい』
こうして電話をくれただけで、充分明日の力になる。
手塚国光は、跡部景吾が好きだった。
ずっと昔から、今でもずっと。
まるで絶望的な、一方的な想いだが、少なくとも大事な友人くらいには思ってくれているだろう。忙しい中、こうして通話に時間を割いてくれているのだから、多くを望むのは良くない。
『なあ手塚』
「なんだ」
『俺は、テニスを捨てたつもりはない。今でも時間があれば、ラケットを握っている』
手塚は目を瞠った。跡部は財閥の跡取り息子として、背負わされる重圧をものともせず、前に、ただまっすぐ前に突き進んでいる。
同じ世界で生きられないのは残念だと思っていたが、まさか、その多忙な身でいまだにテニスラケットを握っているのか。
瞬時に、あの頃の跡部が頭に浮かんできた。
氷帝学園テニス部のジャージに身を包んだ跡部。U―17の選抜ユニフォームを着た跡部。そして、それが彼の正装だと言われそうなほど、強烈な印象を残している氷帝のユニフォーム。王と呼ばれた跡部の、プライドをすべて詰め込んだあのプレイ。
ぞくぞくと体が震えた。試合は明日で、対戦相手は彼ではない。
だけど、思い出すだけであの日昇った高みが見えるようだった。
中学三年の夏、関東大会。青学―氷帝戦。
跡部と唯一公式で戦った試合であり、同時に、手塚の恋が始まった大切な一戦だ。
『俺は……今の俺は到底お前に敵わねえ。だけど絶対にもう一度、お前と公式戦で戦いたい。それはあの頃から変わってねえんだぜ』
「跡部……」
思ってもみなかった。跡部も、再戦を望んでいてくれたなんて。
一線を退いたなんて思っていたのは、手塚の勝手な想像だったのか。跡部は跡部で、ビジネス界という世界で戦い続けているのだと、生涯道が交わることはないのだと思っていたのに。
『勝てよ、手塚。勝ち続けてろ。そしたら、俺様がお前を完膚なきまでにたたきのめしてやるぜ』
「――いや、俺は負けない」
『フ、そうかよ』
勝ち気に返せば、跡部の満足そうな声が聞こえてくる。あの頃と、それこそなにも変わっていない。それが、とても嬉しかった。
「跡部、正直に言う。お前が変わってなくて嬉しい」
『……なんだよ、急に』
「時々、夢に見るんだ。お前とのあの試合を。過去を振り返るのは歩みを止めることにもなって、あまり好きではないんだが、夢はどうしようもない」
『は……?』
暑い日射し、審判のコール、強いインパクト音、ポイントの加算、ボールのライン。すべてがあの日のまま、繰り返し、繰り返し、夢に見る。
あの頃の跡部がいちばん近くて、あの瞬間の跡部しか見ていないのではないかと思ったこともある。
「お前はあの頃のままだな。テニスにかける真剣さと情熱は、何も変わっていない。安心した」
『テメェが変わってねえのと同じだろうがよ』
ふっと笑う音が聞こえてくる。手塚は首を傾げた。
「変わっていないか?」
『ああ、変わってねーよ。昔も今も、テニス馬鹿だ。あれから十年経ってんのに、お前とこうやって話してると、まだ中学生のガキみたいな錯覚を覚える』
面と向かっていたら違うのかもしれないが、と跡部は続けてくる。あの頃がいちばんお互いの距離が近かったのだから、それは仕方のないことだろう。
『あの時、お前のボール受けるのがすげえ楽しかった。あれは一度味わったらなかなか抜け出せねえんだよな。麻薬みてえだ。だから、俺は必ずもう一度お前と試合する。それまで、勝って待ってろ』
「ああ、分かった。いつか必ず、公式の場で試合をしよう。お前とのテニスが楽しいというのは、俺も同じだ」
『なんだと。おい、初耳だぜ』
跡部が、わずかに慌てたような声音になる。言っていなかっただろうか、と首を傾げた。言わなくても分かるだろうと、いつものように相手の受け止め方に任せてしまっていたかもしれない。
「夢にまで見るくらいだぞ。分かるだろう」
『夢にまで見てんのも今日聞いたんだが? くそ、浮かれさせんじゃねーぞ、手塚のくせに』
「浮かれ……なんでだ」
『うるせえ、なんでもねえ!』
電話の向こうが、にわかに慌ただしくなる。どうも傍にいる人間に仕事の指示を飛ばしているようだが、そんなに忙しい状況で電話なんてかけてきてくれなくても良かったのにと、申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちがない交ぜになった。
『こっちは来週に回せ、俺の決裁必要なヤツ、全部まとめろ。今すぐにだ! 三時間で終わらせろ! ああ、悪い手塚、うるさくして』
「いや、構わない。そんなに忙しいのなら、もう切るぞ。電話もらって嬉しかった」
大変そうだなと、心の底から思う。こんな状態で、いったいいつラケットを握っているのだろう。無茶をしていないといいがと、眉間にしわが寄った。
『手塚、明日――あ、いや、お前、薔薇は好きかよ?』
跡部の声が不自然に途切れる。明日、何と続くはずだったのだろう。「頑張れ」か「負けるな」か「行けなくてすまない」か。
「薔薇? 嫌いではないが」
特にこだわりがあるわけではない。花は花だ。プレゼントとしてもらうことも少なくないが、ああ綺麗だなと思うくらい。
それに、薔薇と言うなら跡部の方が好きなのではないのか。
『そうか、分かった。じゃああんまり時間ねえし、切るぜ』
「ああ、おやすみ、跡部」
『フ、今夜もせいぜい楽しい夢を見るんだな。おやすみ手塚』
結局薔薇の謎は解けなかったが、上機嫌な跡部の声が聞けて満足だ。おやすみまでもらってしまった。
今夜もまた夢で逢えるか分からないけれど、良質な睡眠を取ることができるだろう。
手塚は通話の切れた端末画面に浮かぶ「跡部景吾」の名に口の端を上げた。
もしも夢で逢えたら、今夜は彼に言ってみようか。こんなに夢に見るくらい、ずっとずっと好きだったのだと。
翌日、手塚がいつも以上に力を出せたのは、無事に夢で跡部に逢えたからではないとは言い切れない。
だけど、ずっと手に入れたかった優勝カップを、危うく取り落としそうになったのは、確実に跡部景吾のせいだと言える。
「なんで、いるんだ」
仕事で来られそうにないと言っていた彼が、電話口でさえあんなに忙しそうにしていた彼が、どうして客席にいるのか。
なぜ、大きな薔薇の花束を肩に担いで、十年前と変わらないしたたかな笑みをたたえているのか。
「どうしてもテメェに直接言いたいことがあった」
周りがざわついているのが分かる。経済界に詳しい者は跡部の顔も知っているだろうし、W杯などでプレイヤーとしての跡部を知っている者もいるだろう。
そんな男が、今まさに王者となった手塚国光と、どんな話をしているのかと興味深そうにしている。
「お前は夢の中の俺に言ったかもしれねえが、お前は俺の夢になんか出てきてくれやしねえからな。薄情者が」
「待て跡部、何を」
「好きだぜ手塚。俺はお前が夢に見てるっていうだけで浮かれちまえるくらい、お前のことが好きなんだ」
今度こそ、優勝カップを本当に取り落とすかと思った。
だがそれを支え、花束の中から一輪、赤い薔薇を抜き取って、優勝カップの持ち手に差し入れたのは、跡部景吾。
「さあ、返事よこしな。俺はこれを言うために、お前の答えを聞くために、睡眠削って飛んできてやったんだぜ」
愛の告白以外は聞く気がないが、と口の端を上げる跡部が、とても眩しい。夢で告げた言葉を、現実でも言えることになるなんて、思いもしなかった。
「そうか。では跡部、今夜は俺の隣で眠るといい。お前をとても愛している」
跡部が、嬉しそうに破顔する。初めて見るその表情に、たまらなくなって花束ごと抱きしめた。
二人ともが日本語だったせいで会話の内容を周りは理解していなかったかもしれないが、この抱擁ではどうしたって分かってしまうだろう。
優勝を決めた時よりも歓声が大きかったのは、喜ぶべきなのかどうか。
まあそんなことは、跡部が強く抱き返してくれたことですべてがどうでもよくなってしまったけれど。
お題:リライト様 /夢で逢えたら
#お題 #両片想い #未来設定
少しばかり優しすぎる
馬鹿な男がいたものだ、と思う。それは何も、たった今思い始めたものではない。
ずっと、ずっと、気に掛かっていた。
手塚国光といえば、日本の中学生男子テニスの世界で、その名を知らない者はいないとまで言われているプレイヤーだ。
俺も俺で、名を知られているが、手塚は俺とはまた違った意味でカリスマ性がある。プレイを観たい、ボールを受けたい、打ち負かしたい――そんな思いと、この男に認識されたい、プレイヤーとして爪痕を残してやりたいという二種類の思いがある。
俺が手塚に抱く感情は、打ち負かしたいというもの。
――だった。過去形になったのは、あの日の試合を境にだ。
いや、正確には今でも打ち負かしたいんだ。だけど圧倒的な力の差を見せつけてという昔の願望は、とうになくなった。
手塚と俺との間に、圧倒的な力の差など有りやしねえのさ。
対戦して分かった。
力どころか、テニスに懸ける想いの強さにさえ、差がない。
俺が意図的に攻め立てた左腕。持久戦を匂わせたのは俺の方で、受けて逆に挑んで来たのは手塚の方だ。なんて馬鹿なヤツだと思ったのが、最初。
結局、肘をかばって肩を痛め、リハビリにと九州へ向かったこの男の復帰を、俺は誰よりも望んでいた。
もう一度、戦いたい。
どの口が言うんだと思うが、それは俺の確かな本音だった。
果たして、手塚国光はリハビリを経て全国大会で復帰したわけだが、さすがに再戦は叶わなかった。立海の真田とはまた無茶な戦い方をしたようだったが、どこまで馬鹿なんだ。
しかし完治したとこの男は言うが、爆弾を抱えてしまったことには変わりがない。元々の肘は俺がかかわったものじゃないが、肩は――俺が壊させたものだろう。初めての対戦で、認識をさせるどころか、傷跡を残してしまったんだ。
後悔をしたかどうか。悩むことさえ、手塚に申し訳ないような気がした。
だがあの怪我がなければ、俺は手塚の本質を見誤ったままだったし、自分の限界がまだ先であることも知らなかった。
お門違いも甚だしいと思うが、俺はそういう意味では手塚の怪我に感謝をしていた。
恨まれても、憎まれてもいい。むしろそうあるべきだと思った。
相手の弱点を攻めて勝ち続けてきた俺だ、今さら悪役を降りたいなんて言うつもりはない。弱いところを攻めるのはセオリーだなんて言い訳も必要ない。
俺はただ、自分の力を見せつけるためだけにそうしてきたんだ。紛うことなき悪役だ。
恨まれても、憎まれても構わない。そう思う裏で、手塚には嫌われたくないなんて、勝手なことを考えたことがある。
手塚国光というプレイヤーの、がむしゃらなまでの情熱を最初に引き出したのは俺だと、馬鹿なことも考えた。
後悔と、感謝と、恐怖と優越感。
そんなものを抱く俺を、コイツは友人だとほざきやがる。
怪我をさせた上に、個人としてはちゃっかり勝ちをもぎ取っていった、対戦校の元部長をだ。
馬鹿じゃないのか。
普通は悪感情を抱いておかしくないのに、どうして。何を食って育ったら、そんなふうになるんだ?
さらに、コイツは俺を心配しているという。本当に掛け値なしの馬鹿だ。
俺が急いでいるように見える、と嫌なことを指摘してきやがる。
俺はいずれ、跡部を継がなければいけない。自由にやれているうちに、好きなだけテニスに打ち込もうとしているのが、自分でも気づかないうちに行動に表れてしまっていたんだろう。
無意識というのは怖いものだが、まさか寄りによって手塚に見抜かれるとは。俺もまだまだ未熟だぜ。
言ってくるのなら、そうだな、樺地あたりか。それならまだすぐに納得もできるし、休んでほしいという思いも素直に聞いてやれる。
それなのにどうして、最初に言ってくるのがコイツなんだよ。
なんで、俺は泣きたいくらいに嬉しいと思ってるんだ。
肩に触れさせてくれたことが、寄りかからせてくれることが、どうしてこんなに嬉しいんだ。
嫌われてはいない。憎まれてもいない。恨まれてもいない。それだけでいいのに、心配してる、なんて。
速い心音を聞かれたくない。
十分で起こせと言ったが、こんな状態で寝られるわけがねえだろ。
なんでなんだよ。
どうして今、気づくんだ。
これが初めての恋だなんて。
お題:リライト様 /少しばかり優しすぎる
#お題 #片思い
束の間の休息
体を壊さないか、と心配になる。
跡部景吾は、とても忙しそうだ。
次の世代に引き継いだとはいえ、まだ頼られる氷帝テニス部前部長。
生徒会の方も会長職についているし、この合宿所ではものすごい量の練習メニューが組まれている。
それをこなした後でさえ、あの男は家の仕事を手伝い、さらに自主トレを行っている。
キャパシティというのは、人それぞれで違うのは理解している。だが、彼のは限度を超えているのではないだろうか。
それでも、彼が疲れた表情をしているところを見たことがない。若干眠そうにしているところを目撃したこと位はあるが、それだって片手で足りる。
睡眠はちゃんと取っているのだろうか? と声をかけようとして足が止まる。肩に置こうと持ち上げた手がそこで止まる。
いつでもそうだ。どうして彼に、「休め」と言えないのか。
友人、だとは思っている。
向こうはどうだか分からないが、俺の方は少なくとも友人として接しているんだ。友人の心配くらい、してもおかしくないだろう。
今もたった一人、氷帝のメンバーに誘われたトランプとやらを断って、コートでラケットを振るっている。力強いインパクト音は、疲れを感じさせない。
跡部のパフォーマンスはいつも派手だが、その裏にはこうしてちゃんと努力が隠されているんだ。
頬を伝う汗が、ライトに光る。ボールを打つ時の息づかいが聞こえてくる。
ああしまった、心配だからといって見に来るのではなかったな。
あの球を受け止めたくなってくる。休ませたいのに、打ち合うことになってしまう。それは駄目だと、陰でふるふると首を振った。
「おい、手塚ァ」
気づかれていないと思ったのに、跡部の俺を呼ぶ声が聞こえてハッとする。
「覗き見とはいい趣味してんじゃねーの」
ぐいと手の甲で汗を拭いながら、こちらを睨みつけてくる。
これはもう隠れている意味がないと、俺は跡部の方へと足を踏み出した。
「すまない跡部、別に覗き見をしていたわけではないんだが。タイミングの問題だろう」
「フン」
跡部が、納得したようなしてないような顔で腰に手を当てる。
おかしいな。いつもならここで、もう二言三言返してきそうなものだが。やはり今はその気力がないのかもしれない。
「……お前は、何をそんなに急ぐんだ? 忙しいだろうに、いつも自主トレまでしている。体は問題ないのか」
「あァ……?」
跡部は、訊ねた俺の言葉に驚いたようで、大きく目を見開く。その目を瞬いて、考え込むように口許に手を当てた。俺はそんなにおかしなことを言っただろうか。
「急ぐ、ね……」
「急ぐという表現が正しいのかどうかは分からないが、普通はキャパシティを超えるだろう」
「テメェに言われたかねーなぁ、手塚よ」
不愉快そうに眉間にしわを寄せて、傍のベンチにドサリと腰を下ろしてしまう。
跡部にとって、それは指摘されたくないことだったらしい。しかも、俺には。どういうことだ、俺は別に急いでいるつもりなどない。
「テメェのテニスだって、他人から見りゃ充分キャパ超えてるように見えんだよ」
睨みつけてくる視線を、俺も視線で押し返す。十秒ほどだっただろうか。跡部が先にそれを反らした。
「……俺は、そういうつもりはなかった。だが、どこかでそう考えちまってんのかもしれねえ。テニス、やれるときにやっとかねえと、ってな」
跡部は苦笑交じりに、俺の問いかけに答えてくる。
指摘されたくなかったことにさえ、真面目に返してくるところは、跡部の誠実さの表れだろう。
「そうなのか。しかし、あまり無理をしない方がいいのではないか? 見ている方は心配になる。氷帝のメンバーは、何も言わないのか」
俺も跡部の隣に腰をかけ、正直に告げた。心配していると。俺なんかよりずっと親しいはずの連中は、何も言わないのか、言っても跡部が聞かないのか。
だが跡部の誠実さを考えると、周りが真剣に心配しているのを無意味に撥ねのけるわけがないな。誰も、言わないのか。
跡部景吾なら、こなせてしまうと思っているのかもしれない。
体力のある内ならできるかもしれない。だけどこんなことを続けていたら、それが〝跡部景吾の当たり前〟になってしまわないか。
時間や体力的な制約ができた後にも、「跡部ならできる」と周りに思わせてしまう。そして、何事にも全力で挑む跡部のことだから、期待には全力で応えてしまうに違いない。
「心配、……してんのか。お前が」
「それはそうだろうう。友人の心配をして何が不思議だ」
「お前が俺を友人だと思ってることが、すでに不思議の領域なんだが」
跡部はそんなことを言ってくる。おいどういうことだ。
「……それ」
そうして、俺の左肩を指さしてくる。まさかとは思うが、あの試合で俺が肩を痛めたことを、まだ気にしてるんじゃないだろうな。
跡部との試合が原因であることは間違いないが、それで跡部に対する思いが変わると、どうして思うんだ。むしろあれがきっかけでお前のがむしゃらさを知って、嬉しかったというのに。
「別に、肩のことは関係ないだろう。そもそもここは完治している」
「ホントに、完治してんのか」
「医者にそう言われた」
「……触れても?」
心配そうに、跡部が手を伸ばしてくる。俺はすぐに頷いた。俺のことを心配するのに、どうして自分のことは心配されないと思うのか。
「痛みも、違和感も特にない。お前の手が触れても、何の問題もないだろう」
「……そうか」
跡部がホッとしたような顔をしてくれる。
肩は本当に問題ないんだが、なぜ今、俺の心臓が鳴ったんだ?
「問題ねえなら、ちょっと……肩貸せ。確かに少し疲れている」
言いながら、俺が了承をする前に跡部が左肩に寄りかかってくる。心配しているという俺の言葉をちゃんと受け止めてくれて、嬉しい。
「十分で起こせ」
「ふざけるな、せめて十五分だろう」
「変わんねーよ」
くっくっとおかしそうに喉を震わせながらも、跡部が俺の方に体重をかけてくる。二十分にしてやるか。
束の間の休息でも、取らないよりはずっとマシだ。
俺の心臓がさっきからひどくうるさいのは、気にしないようにしようと決めた。
今はただ、ゆっくり休んでほしい。
跡部、起きたら一緒にテニスをしないか――そんな言葉も、今は飲み込んだ。
お題:リライト様 /束の間の休息
#お題 #片思い
NOVEL,テニプリ,塚跡,塚跡お題100本マラソン 2025.03.15
青い炎が、体を包んでいるように見えた。 もちろん実際にはそんなことはないのだが、跡部の目には、手塚…
常に前を見据える、強靭な瞳
青い炎が、体を包んでいるように見えた。
もちろん実際にはそんなことはないのだが、跡部の目には、手塚国光が熱い熱いオーラを纏っているように見えたのだ。
戦況はよくなかった。
優勝候補である相手選手のサービス。観客たちも、相手選手の応援の方が圧倒的に多い。
手塚国光も、プロのプレイヤーとしてそれなりの戦績を収め、顔も名前もプレイスタイルも知られてきたけれど、ベテランの選手に比べたらまだまだひよっこだ。
この大会の組み合わせが発表された時、跡部は自分の相手より手塚の相手の方が気にかかった。
難なく勝ち進めますようにとは思わない。あの男は強い相手とぶつかってこそ力を発揮する。眠っていた力を存分に活かすには、強い相手との対戦は願ってもないところだろう。
だが、まさか二回戦で優勝候補と当たるなんて。運が悪い、と思った。手塚のではなく、自分の。
跡部自身は、無事に次の試合に駒を進めた。それはライバルとの試合を望んでいるからだ。
手塚と試合がしたい。プロというこの世界で、球をかわしたい。そう願って、勝ち進んだというのに。
今回も、手塚との再戦は叶わないかもしれない。
中学のあの関東大会から、ずっと願ってきたライバルとの再戦。スケジュールや体の問題、試合の組み合わせの妙などで、いまだにそれは叶っていない。
今回こそと思った。次の三回戦で、ようやく当たるというのに。
「手塚……」
打って、返されて、また打ち返す。回転が弱いのか、手塚ゾーンが効力を発していない。相手の対策も万全だということだ。
だが、手塚とて対策をしていないわけではない。手塚ゾーンが攻略できるということは、跡部がいちばんはじめに立証済みで、それは警告も含めていた。
常に前を見据えている手塚が、そこで立ち止まっているわけがない。
そんな男に、何年も、何年も、焦がれられるはずもないのだから。
「勝てよ、手塚……!」
ぐっと、膝の上で拳を握りしめる。今この試合を観戦している者の中で、跡部ほど手塚の勝ちを願っている者はいないだろう。誰も彼もが、相手選手の勝ちだと思っているに違いない。
あと一ゲームで勝敗が決してしまう。じわりと、握った拳に汗がにじんでくる。
だけど、この状況でも手塚の心は折れていない。それが分かるのが嬉しかった。あの美しい青の炎を消すことなど、誰にもできやしないのだ。
気のせいだろうか。手塚と、一瞬だけ視線が重なったのは。
そんなわけはない。手塚が試合中に気を逸らすことなどあるものか。
そう思うのに、より一層強さを増した炎が、跡部のいる観客席まで熱い風を舞わせた。
髪が、風で揺れる。突き刺すような熱さで、瞳が焼かれてしまう。ビリビリとした痛いまでの闘志が、ここまで届くなんて。
ぞくぞくと、背筋が悪寒に似た快感で震える。
相手選手を蹴り飛ばして、あそこに自分が立っていたいと思わせる。手塚のボールを受け止めたい。返してやりたい。
どうしてあそこに立っているのが自分じゃないんだと、心の底から悔しくて腹立たしかった。
「勝てよ手塚、……勝てよ!」
勝って、またテニスをしよう。
あの頃よりずっと強くなった俺を知れ。
あの頃よりずっと強くなったお前を教えろ。
足を踏ん張る。歯を食いしばる。手塚と一緒にボールを追っているような感覚に陥って、にぎしりめた手のひらに爪が食い込んだ。
一ゲーム、取り返す。もう一ゲーム、勝ち取る。
番狂わせかと、この状況になってわき上がる無責任な観客たちの声も耳に入らない。手塚の熱を感じるだけで精一杯だ。
ずっと、ずっと、この熱を感じていたい。
恋というより、執着というより、ずっと重く深い感情で、手塚国光とつながっていたい。たとえ一方的な想いでも、構わなかった。
テニスというスポーツでつながっていられれば、それで充分だ。
いつでも前を見据え、上を目指すあの強い瞳を、同じだけの強さで見つめ返すのは自分だと、気分が高揚してくる。
ボールを打つインパクト音が心音と重なって、汗が額を滑り落ちていく。
「ゲームセット!」
審判のコールが耳に届く。勝者として名を掲げられたのは、――手塚国光だった。
わき上がるベンチ、観客席。跡部の視線の先で、だらだらと汗を流しながら相手選手と握手を交わす手塚がいた。
「手塚ァ!」
この歓声の中では、自分の声など届かないだろう。そう思ってはいても、どうしても呼ばずにはいられなかった。ベンチに戻ってきた手塚は、コーチたちにねぎらわれながらも、すぐにまっすぐ跡部に視線をくれた。
迷いのないその軌道は、跡部のいる場所が分かっていたようだ。やはり、先ほど視線が一瞬重なったと思ったのは、気のせいではなかったのだろうか。
「――いよいよだな、跡部」
わずかに口許に笑みまでたたえて、手塚がそう口にした。
脳天を撃ち抜かれたような衝撃だ。
まさか手塚の方も、再戦を待ち望んでいてくれたなんて。
膝から崩れ落ちていきそうな歓喜を、どうにか踏ん張ってこらえ、手塚と同じように笑ってみせた。
「ああ、ショータイムの始まりだ!」
お題:リライト様 /常に前を見据える、強靭な瞳
#お題 #両片思い #未来設定
NOVEL,テニプリ,塚跡,塚跡お題100本マラソン 2025.03.14
すっと目の前に差し出されたものに、目をぱちぱちと瞬く。 綺麗にラッピングされた、赤い薔薇。 跡部景…
思いがけないプレゼント
すっと目の前に差し出されたものに、目をぱちぱちと瞬く。
綺麗にラッピングされた、赤い薔薇。
跡部景吾は、薔薇など見慣れている。見慣れているが、それを差し出してくる相手が相手だった。
「……なんのつもりだ? 手塚」
「お前にと思って」
「いや、そりゃ差し出された時点で分かるが。お前こんなことするガラじゃねえだろ」
差し出してきたのは、手塚国光だ。とても美しい花を渡している状況とは思えない仏頂面なのが、彼らしいと言えばらしいのだが。
「いつももらってばかりなので、俺もお前に何かやりたいと思ったんだが、おかしかっただろうか。らしくないというのは理解している」
心なしか声が沈んだように聞こえて、跡部は慌ててハッと顔を上げた。
「おかしいとは思ってねえよ。ただ、突然だから驚いただけだぜ。……いいのか? もらっても」
「お前にだと言っただろう」
「サンキュ。嬉しいぜ」
そっと手塚から受け取ると、手塚の口から安堵したような吐息が漏れた。突き返されたらどうしようとでも思っていたのだろうか。恋人からの思いがけないプレゼントを、そんなふうに扱うわけもないのに。
「ところで手塚。薔薇三本の意味ちゃんと知ってて贈ってんのか?」
包まれた薔薇は、ブラックパール。しなやかなビロードのような艶が人気のものだ。跡部自身、気に入っている品種のひとつ。
「薔薇の種類はよく分からないから、花屋の人に聞きながら選んだ。色や本数で、意味が違ってくるのだと」
跡部は手塚にもらった薔薇の香りを直接楽しみながら、満足そうに口の端を上げる。手塚の言う通り、花には色や本数で意味合いが違ってくる。そういうものには詳しくないと自覚している手塚が、花屋の店員に訊いてまで選んだというのが嬉しかった。
「そうかい。で、俺はそれを知ってて受け取った。意味は――分かるな?」
そうして、花に口づけながら手塚を見やる。手塚はひとつ瞬いて、こくりと頷いた。
黒真珠の花言葉は、恨みや呪いというものが有名だ。だがその裏で、「滅びることのない永遠の愛」というものがある。そして薔薇三本は、「愛しています」という意味だ。
他の品種より若干重めのプロポーズ、と捉えることもできて、受け取り方次第ではあるが、長く付き合うつもりの相手にはうってつけ。
手塚は理解した上で贈ってくれたようで、跡部はそれを受け取った。つまりは手塚からのプロポーズを受けたも同然だ。
「愛してるぜ手塚。ちゃんと受け止めてやるから、お前も俺のすべてを受け入れな」
「もちろんそのつもりだ、跡部」
二人で満足げに笑って、薔薇の花びら越しにキスをした。
お題:リライト様 /思いがけないプレゼント
#お題 #両想い
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タタタ、と小さな端末のキーを叩く。遮光グラス越しにそれを一瞥してマガジンをセットし、自分たち以外に物音を立てるものがないか、手塚は全神経を集中させた。
「あと何秒だ」
「三十秒」
「遅い、二十五秒」
「うるせえな、じゃあテメェがやれ」
チッと舌を打つ音が聞こえてきた。
人にはそれぞれ、得手不得手というものがある。手塚もできないわけではないが、クラッキングは彼の方が得意だった気がするのだ。それならば、彼に任せるのが当然である。
ピピッと小さな電子音が耳に入った。チラリと見やれば、彼が得意げな顔でパチンと指を鳴らしてみせた。
「さすがだな、跡部。二十四秒で解除したのか」
「フン、俺様にかかりゃあな」
このビルのセキュリティは、四十秒でエラーを解除しなければ、警備会社に通報される。それだけでなく、すべての出入り口が封鎖され逃げられなくなるのだ。
もちろん、そういう時の対処もできるよう準備はしてきているが、あまり大事にはしたくないのが本音だ。
だから、今回の相棒が跡部であるのは非常に好ましい。技術は申し分ないし、一を聞いて十を知るタイプの頭の良さはパートナーとしては最適だった。
もっとも、「跡部」という名前が本名かどうかは分からないが。
今回の任務(ミツシヨン)は、とある製薬会社への潜入と研究内容の確認、危険なものと分かれば排除――方法は任せるとのことだったが、なんとも無責任なものだ。
とはいえ、よくあることだ。民間企業を装って軍事的な動きをしていたり、優良企業と見せかけて、裏ではえげつない活動をしていたりするというものは。
国にとって良くない動きをいち早く察知し、〝なかったことにする〟というのが、手塚たちエージェントの役割だった。
対象の機関に潜入し、事実の確認を行い、憂いを払う。器物損壊、窃盗、時には要人の暗殺まで請け負う、名もなき闇の住人だ。
今回の任務を成功させるために、要した時間は四ヶ月と少し。
内部に入り込み、重要な案件を担う者たちに近づき、まずは事実を確認する。そしてターゲットの場所と接触計画を練った。怪しまれないためには、時間をかけるしかなかったのだ。
そして今夜、ついに決行に移した。
中の様子を確認しながら、するりと身を滑り込ませる。何台ものパソコンや保冷庫、保温庫。実験に使うマウスたちが、チロチロと視界を動いた。
「あの奥だな。急ぐぞ」
研究室のもう一つ奥に、厳重にロックされた部屋が見える。廃棄が必要と判断した危険なドラッグは、そこで生成されている、はず。
「……ああ」
跡部の返事が、僅かに遅れたのに気づく。何か気に掛かることでもあるのだろうかと、手塚は眉を寄せた。
「なんだ?」
「いや、やけに侵入が簡単だったなと思ってな。こんなヤバいクスリが眠ってるってのに、キーだけでってのは、あまりにも杜撰じゃねーか」
それは、言われてみれば確かにそうだ。重要な機密なのだろうに、見張りの一人もいない。
「責任者の指紋とか声紋とか、網膜情報。大抵はそういうのが必要になってくるだろう。実際、用意もしてたし、装置は確かにあったんだ」
「装置があった? ……用意した素材、使わなかったよな」
「ああ……セキュリティの種類が変わったのかと思ったんだが、強くはしてもレベルを弱くはしねえだろ」
眉間にしわを寄せて、黒いグローブをはめ直す跡部を眺め、おかしなことが多すぎると手塚も不審に感じた。
「だが、確かにこの研究室なんだろう。お前が彼女から聞き出したものだ。ロック解除に必要な素材も、彼女をたぶらかして手に入れた」
暗に、厭みを含めて言ってやる。
潜入した先の情報を、異性から手に入れるのは常套手段だ。今回その役割を担うのは手塚のはずだったのだが、どうしてか跡部が強引に対象との間に割り込んできた。
「なんだよ、お前あの女と寝たかったか? ああいうのがタイプだったとは知らなかったぜ」
「別にそういうわけじゃない。目的が達成できれば問題ないが、お前こそ好みだったんじゃないのか」
「――テメェにハニトラは似合わねえんだよ。それだけだ」
彼がふいとそっぽを向く。似合う似合わないで勝手にことを進めないでほしいものだ。確かに得意な方ではないし、騙した女性に対して罪悪感を抱くこともあるけれど、仕事なのだと割り切っているつもりだった。
「そんなことより、現物確認するぞ。何か嫌な予感がする」
話を続けるつもりはないらしい彼に、ああ、と頷いて後に続く。
ふと、右前方に違和感。彼も気がついて足を止めた。そこにあったのは、人の足。とっさに銃を構えて警戒を強めるが、その足は一切動かない。
嫌な予感を胸に銃を構えて警戒する。跡部が、制するように手の甲を向けてしゃがみ込んだ。
「息は?」
「……してねえ。こいつ、第一研究二課のヤツだろ。見たことのある顔だぜ」
白衣を身につけたその男は、この研究所の所員だった。交流をしたことはないが、顔と名前くらいはデータとして頭に入っている、程度の。
「他殺、だな」
「ああ。なんだって今日、こんなとこで――」
目立つ外傷は見られず、絞殺か、毒殺か、と思考を巡らせている彼の後ろを通り抜け、手塚は他の異常を探した。被害者はこの男だけなのだろうか。そもそも、なぜ殺されているのだろう。
ターゲットがあるはずの部屋へと足を進めたその時。
「手塚ァ! 伏せろ!」
切羽詰まった声が耳を通り抜け、強い力で腕を引かれた。直後、窓に生まれる亀裂。つい先ほどまで手塚の頭があった位置に、弾丸がめり込んだ。
驚愕する暇などない。二撃目、三撃目が来る。手塚はそれを避けながら、跡部と一緒に床へと倒れ込んだ。
「狙撃……!? いったいどこから」
標的をデスクやパソコンで阻害されたせいか、攻撃はいったん止んだようだった。体勢を整え、狙撃手を確認しようと特殊グラスのスイッチに触れるけれど、狙撃地点とみられるビルには、人の影は見えなかった。
だが、もちろん素人の仕業ではない。どういうことだ、と手塚はデスクの陰に隠れながら、もう一丁の銃を確認する。戦闘になるだろうか。
「悪い手塚、俺のミスだ。気がつかなかった」
苛立たしげに割れた窓を睨みつけ、跡部がそう呟く。何を言っているのだろうか。気づいてくれたからこそ、弾に当たらずにすんだというのに。
「ナメやがって、あの女ぁ……!」
「待て、どういうことだ」
「殺されたヤツから、ほのかにアイツの香水の匂いがした。わざとなのかは分からねえが」
手塚は目を瞠った。アイツ、ということは跡部が接触した女性のことだろう。香水の匂いを覚えているほど接近していたのか――なんて、分かりきったことを、しかも接近どころではないだろうに考えて、腸が煮えくり返るような感覚を味わった。
「こっちが仕掛けたトラップだってのに、俺としたことが仕掛け返されるとはな!」
「……では、ターゲットはすでに彼女の手に? 決行日を合わせたのは、発覚した際に俺たちに罪を被せようとしたということか」
運が悪い。どこか他の組織とターゲットがブッキングするなんて。いや、もしかしたら情報を流してきたのだってそこだったのかもしれない。
「加えて、仲間割れの可能性が高い。あの男の手、ただの研究員って言えるようなもんじゃなかった。おい手塚、すぐ脱出しろ。俺はあっちの部屋確認してくる」
「バカを言うな、援護させろ」
まさか殺されていたあの男までもが、他組織のエージェントだったとは思わず、頭が混乱する。だが、手塚が今できることは跡部の援護だけだ。
狙撃をしてきたということは、戦闘も止むなしと考えているのだろうし、もしかしたら仲間を呼んで口封じに来るかもしれないのだ。下手をしたら、この研究所ごと吹き飛ばす可能性だってある。
「俺は先ほどお前に助けられた。借りを作ったままではいられない。次は、いつお前と一緒になるか分からないんだぞ」
「くそ真面目なヤツだなテメェはよ! あんなの貸しでもなんでもねえだろ!」
「俺はお前と一緒にここを出る。それだけだ」
これだけは絶対に譲れない。跡部のことを好ましいと思っていても、望んで同じ任務に就けるわけではないのだ。ここで二手に分かれて、もし――もし万が一のことがあったら。
「〰〰めんどくせえっ……」
「それはすまない」
「テメェのことじゃねーよ。俺の問題だ、気にすんな」
そう言いつつも跡部は諦めてくれたらしく、援護を許可してくれる。しんと静まり返った部屋が逆に気味が悪い。背中を合わせて呼吸を一つ。そのタイミングに合わせて、ターゲットがあったはずの部屋へと急ぎ足を向けた。
「ロックは?」
「かかってねえ。やっぱり先に侵入(はい)られてるな」
ドアノブ手をかけて、跡部が視線をよこしてくる。手塚はこくりと頷いて、開け放たれると同時に中へと銃口を向けた。
目を瞠る。折り重なるようにして事切れた研究員たちの姿。数瞬遅れて銃口を向けながら続いてきた跡部も、絶句しているようだった。
手塚も跡部も、必要に応じて人を手にかけたことはあるが、できるだけそうならないようにしてきたつもりだ。危険なドラッグを開発していた連中とはいえ、こんなふうに命を落とすべき者たちだっただろうか?
「現物ナシ。データも全部抜かれてるな」
「……任務は失敗だな。ひとまずここを出て、本部に」
連絡を入れようと跡部を振り向いた手塚の目に、動くデジタルの数字が入ってきた。分かりやすく、ご丁寧に赤く点滅までしている。
「跡部!」
名を呼ぶより早く、手を伸ばしていた。
爆発まで、二秒、あったかどうか。
「ぐっ……!!」
爆風で吹き飛ばされて、壁にたたき付けられる。
「手塚! ……っ」
「平気だ、直撃は受けていない」
こんな仕事をしている以上、想定内の危機ではあったものの、反応が遅れてしまった。衝撃で内臓がやられたような気がするが、死ぬようなことはないだろう。
それよりも、跡部は無事だろうかと振り向く。
腕に突き刺さる何かの破片が目に飛び込んで、さっと血の気が引いた。
「跡部」
「問題ねえ、見た目よりは深くねえよ」
「しかし」
手の甲も、こめかみも、擦り切れて傷が付いている。スパイ組織のエージェントである以上、危険も怪我もつきものだ。死と隣り合わせでさえあり、そんなものをいちいち気にしていたら身が保たないだろう。
それでも、手塚は嫌だった。跡部に傷が付いてしまうのは。
「悪い手塚……中確認せずに離脱してりゃよかったな」
「いや、お前の判断は正しい。俺たちは、現物の有無を確認しなければいけなかったのだから」
ターゲットを横取りしていった連中は、爆発ですべてを〝なかったことにする〟方針らしかった。今夜ここで起こったのは「爆発事故」であり、「殺人」も「窃盗」もなかったのだと世間に思わせてしまえる。もしかしたらすでに、警察の方にも手が回っているのかもしれない。
盗んでいったモノをどうするのか、今の手塚たちに追いかけることはできなかった。
鳴り響く火災警報。ここに長く留まっているわけにはいかない。次に出くわすのは、消防隊員か救急隊員か、それとも同業者か。
「跡部、立てるか? 肩を貸そう。止血は少し待ってくれ」
「馬鹿言うな、肩を貸すのは俺の方だぜ。お前だって肋骨何本かイッてんだろ」
苦笑して、火が回ってきそうなそこから離れる。なんとか動く跡部の腕を引いて立ち上がらせ、腰を抱いた。
思ったよりも細いんだなと、こんな時におかしなことを考える。骨が折れたせいで意識がもうろうとしているのだろうか。
いや、この程度の怪我は別に珍しくもないし、慣れている。今回に限ってということはないはずだ。
「……っは、ぁ」
痛むのか、抱いた跡部の吐息が耳元で聞こえる。
もっと近くで聞いてみたいと思ってしまって、そこで――気がついた。
今回だけおかしな思考になっている理由。
跡部が、接触対象だった女の香水の匂いを覚えていたことに腹が立った理由。
跡部との任務がいちばん安心できる理由。
跡部に傷が付くのが嫌だと思う理由。
「……………………なるほど」
手塚は、それらすべてをかき集めて生まれた一つの仮定に、すんなりと納得がいってしまった。
「な……に一人で納得して、やがんだ、手塚ぁ」
「跡部、一つ頼みがあるんだ」
「なんだよ、始末書なら手伝わねーぞ……」
「無事にここを出たら」
「お前それやべぇフラグだって知ってんのかよ」
呆れ混じりに呟く跡部の腰を、さらに強い力で抱く。逃げ出されないように、強く、強く。
「お前の本当の名前を教えてくれないか」
「…………は?」
「惚れた相手くらい、本当の名前で呼びたいだろう」
そう続けると、驚いたのか、跡部の足が止まってしまった。ここを出てからにすれば良かったかと手塚は思ったけれど、もう今さら遅い。
「無理かもしれないが、お前にハニトラはもうしてほしくない。好きなんだ、お前のことが」
次はいつ逢えるか分からない。一緒の任務がこの先あるのかどうかも分からない。だからこの気持ちだけでも、知っておいてほしかった。
跡部はひとつ、ふたつ、瞬いて、再び足を踏み出しながら「分かった」と呟いてくれる。
「いいのか」
「その代わり、お前もやるんじゃねえ。無理でもだ」
「分かった、お前にだけ押しつけるわけにはいかないからな」
「それとな、名前。俺の名は跡部だ。景吾、跡部」
え? と思わず驚いて振り向く。一音も違わず、手塚の知っている名前そのものだ。こんな組織に属しているのだ、普通はコードネームや偽名を使うものなのに、本当の名前だったというのか。もちろん潜入中は偽名だが、相棒として知っている名は、真実のものだった。
「俺は一度もお前に噓をついたことはねえんだぜ、手塚」
端の上がった唇が、重なってくる。その意味が、分からないわけもなかった。
「やらねえっていった傍から、ハニトラじゃねえからな」
「……跡部、もしかしてずっと俺を?」
照れくさそうに、ふいとそっぽを向く跡部。ほんのりと染まった頬は、炎のせいではなかっただろう。
「少し、休暇がもらえるといいな。お前の看病をしたい」「おいそりゃ俺の台詞だろう」
「それは楽しみだが、減俸と始末書は手痛いな……」
「……そうだな」
それでも、こんな身の上で出逢ってしまった最高の恋を大事にしたい。
誰にも見つからないようにと、二人は足早にそのビルを抜け出す。
それはまるで、逃避行のようだった。
#お題 #両片想い #スパイパロ