- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.617, No.616, No.615, No.614, No.613, No.612, No.611[7件]
唇が奏でる音は
唇がようやく離れて、跡部は吐息と一緒にふっと笑った。
「……なんだ?」
「なんだじゃねーよ。長ぇ」
すぐ目の前にある恋人の鼻先に歯を立てて、ぺろりと舐める。そうした後に額へと口づけて、髪を撫でた。
「手塚、キスすんの好きだよな」
手塚の膝の上で横向きに抱かれたまま、こつりと額を合わせる。
先ほどのキスは、時間にしてどれほどだっただろうか。ずっと重ね合わせたままというわけではなかったが、離れたと思うが早いかすぐさま触れてくる唇に、抗議なんてできやしない。
「キスが好き……ああ、まあ……嫌いではない。お前が傍にいるので、つい触れたくなるというだけなんだが」
「なっ……」
二の句が継げない。
じわじわと頬が熱くなってくるのを自覚して、跡部は手のひらで顔を覆った。
どうしてこの男は、不意打ちを食らわせてくるのだろう。しかも、その一撃が大きい。
つい触れたくなるなんて、あふれんばかりの愛情を、何でもないように言ってのける。ものすごいことを言っている自覚はあるのかどうか。
いや、きっとないに違いない。
あったら、こんなに涼しい顔をしているわけが――そう思いながら、指の隙間から手塚の顔を盗み見た頃、ひどい思い違いをしていることに気がついた。
「跡部、手をどけろ」
「な、んで」
「キスができない」
顔を覆っていた手を取られ、そのまま指を絡められる。頬の熱はさらに上がったけれど、空いたもう片方の手で覆おうとは思わない。触れてくる唇の方がもっと熱いと感じたせいだ。
「ん……」
手塚が涼しい顔をしているなんて、そんなことはなかった。
もっと触れたくて仕方ないという、熱の籠もった瞳でじっと見られていたのに、気づかなかったなんて。
心臓の音がうるさい。
もしここで、このまま、肌に触れていいと言ったら。
肌に、触れたいと言ったら、どうなるのだろうか。
心臓の音が、うるさい。
絡められた指が震える。
絡められた舌が吸われる。
腰が揺れたのは気づかれただろうか。
吐息がもっと甘ったるくなったのは、気のせいだろうか。
「て、づか……」
触れていた唇が離れていく。そこが濡れているのが見えて、脳が沸騰しそうに熱い。心臓がさらに速く鼓動し、胸が上下しているのが目に見えさえした。突き破って出てくるのではないかと思うほどだ。
もう、耐えていられない。
「跡部、すまない。今この距離にいるのは、まずい」
絡めた指を外そうとする手塚を、離れる前に絡め返して引き留める。手塚の視線が、繋がれた手に向いた。
「跡部」
「ま、……ずく、ねえだろ、ばか。俺だってな、お前に、触れ……た、いと、思ってんだ」
ぎゅっと強く指を絡めた手に、手塚からも力を込められる。その手に向いていた視線が戻ってきて、至近距離で重なった。
「……意味を理解して言っているのか、跡部。止めてやれないが」
「うるせえ、さっさと触れ、心臓、保たねえ」
「触るにはこの手を放さないといけないんだが……嫌だな、それは」
腰に回された腕にも、力がこもる。その腕を外す選択肢はないのかと言ってやりたいが、強く抱かれるのが嬉しくて、唇は動かない。
「手塚、好きだ……」
そう呟くためにしか、動かなかった。
「ああ、俺もお前のことが好きだ、跡部」
目を閉じる。手の甲に痕がつきそうなほど握りしめる。
もう慣れたはずのキスに、まるで初めての時のようにドキドキしたことは、朝まで覚えていたら言ってやろうと思う。
#両想い #ラブラブ #BOOST💕
小さな幸せ
つんつんと手塚の袖を引っ張った。
「なあ手塚。これはどっちだ?」
引っ張られた手塚は振り向いて跡部の手元を見ながら、ゴミ箱を指した。
「それはプラスチックの方だ、跡部」
「分かった、サンキュ」
そう言うと跡部はゴミ箱の方へと歩いていく。些細なことにさえ礼を言うというのは、相当育ちが良いというか、癖になっているほど周りの教えが良かったせいだのだろう。
「だいぶ覚えてきたけど、まだ分かんねえのあるな……」
ゴミを捨てて、持っていたペットボトルからラベルを剥がしてプラスチック用のゴミ箱へと放る。ボトル自体は中を軽くすすいで乾かしておくというのは覚えたようだ。
「以前に比べたら、本当によく分別できていると思うが。お前、可燃ゴミも不燃ゴミも一緒にしていただろう」
「ゴミにそんなに分別があるとは思ってなかったんだよ、怒るな」
「別に怒ってない。お前に教えることがあるのは、少し気分がいいしな」
なんか引っかかるなと言いながら口を尖らせる跡部に、気のせいだろうと言ってやる。
跡部と一緒に暮らし始めて、本当に大変だった。まず生活習慣が違う。金銭感覚が違う。別々の家庭で育ってきたのだからそれは仕方のないことで、ゆっくりとすりあわせをしながら価値観を合わせていく。それはなんらおかしなことではない。
跡部は案外素直で、今まで触れなかった暮らしというものに新鮮さを感じて、楽しんでいるようでもあった。
「これは……可燃ゴミだな?」
「ああ、汚れが酷いものは可燃でいい」
「本当に大変なんだな、分別って」
「地域によっては十種類以上もの分別項目があるそうだからな。ここはまだ楽な方ではないだろうか」
ゴミ捨てを終えて、跡部がソファに腰をかける。手塚もその隣に座り、役所のホームページで提示されている分別表を改めて確認した。
「お前と暮らすまで、こんなこと知らなかった。うちはメイドがやってくれてたから」
「俺も、家族の助けがあったからな。お前よりは知っているというだけだ」
「あ、でもマークの見分け方は覚えたぜ。ペットボトルでいいヤツと、プラスチックのヤツ。調味料とかの容器は一見でどっちか分かんねえしな」
そう得意げに返してくる跡部が、可愛くて仕方がない。だんだんと二人での暮らしに慣れてきている財閥の御曹司というものを間近で見られるのは、手塚だけだろう。
「こんなに大変なことを、うちのメイドたちがやってくれてたんだと思うと、ありがたいのと同時に申し訳なくもなるな。俺は本当に気にしてなかったから」
「そう思う気持ちを、言ってやったらいいのではないか?」
わずかにしょんぼりとして眉を下げる跡部に、そういう表情も悪くないと思いつつも助言をする。跡部だって悪意があってそうしていたわけではないのだから、きっと家の人たちもわかってくれるはずだと。
「気持ち……そうか、そうだな。ありがとよ手塚!」
パッと顔が明るくなる。コロコロと表情が変わる。まったく忙しない男だと手塚は思うが、跡部のそんなところも好きなのだからどうしようもない。
「じゃあ、まずは――お前に」
「は?」
顎を取られ、振り向かされる。ちゅっと可愛らしい唇が触れてきて、手塚は眼を瞬いた。
「感謝してるぜ。俺に知らない世界を教えてくれて」
ゴミの分別ごときで大袈裟ではないだろうかと思うが、跡部の顔は幸せそうだ。だが知らない世界というのなら手塚も跡部に感謝をしなければいけないだろう。
こんなに誰かを愛しいと思う気持ちは、 跡部と出逢わなければ知らなかった。
手塚は跡部の背中に腕を回して抱き寄せ、満足げな唇にキスをする。
「では俺もお前に。これだけでは足りない気もするが」
「ん? ふふっ……なら、足りそうなトコいくかよ?」
顎で寝室の方を指され、手塚は肯定の意味を含めて再度唇にキスをした。
後日、跡部は実家のメイドやコックの皆にそれぞれの名が刺繍されたエプロン、従僕や執事には万年筆、運転手には手袋といった、役割に合ったものを贈ったらしい。
手塚には、一緒に宝飾店に行こうと持ちかけたようだが、果たして何を感謝の印とするのか。想像には易いだろうが、それは言わぬが花と言うものだ。
#両想い #ラブラブ #未来設定 #イベント無配
バラ色の未来を抱いて

【11/23新刊】バラ色の未来を抱いて【塚跡】
【装丁】文庫サイズ/48P/R18/400円
【書店通販】フロマージュブックス様予定
【自家通販】BOOTH予定(https://hanaya0419.booth.pm/)
【あらすじ】U-17の世界大会後、試合の興奮とパーティーの雰囲気に浮かされて濃密なキスをしてしまった。手塚に耳元で部屋番号を告げられた跡部は――。
【ご注意】三年後塚跡、本誌ネタがありますので、未読の方はご注意ください。
十八になった秋、初めて他人の素肌の感触と、温度を知った。
跡部景吾は、ベッドの上で眉を寄せた。どういう状況だと。
いや、状況は分かる。分かるのだが、理解をしたくないというか、素直に受け入れてしまいたくない。
なぜ自分は他人の部屋のベッドで体を横たえているのか。それだけならまだしも、どうして自分の体に他人の腕が乗っかっているのか。
――――重い。
しかしこの際重いのはどうでもいい。必要な筋肉が増えたのだろうかとどこか的外れなことを考えてしまうのは、きっと現実逃避に違いない。
よりにもよって手塚国光の腕が巻きついているなんて、考えたくもないのだ。
――――どーすんだ、これ。
良くないところの違和感と、自分の胸元に散らばる花びらのような痕。どう見たって事後だ。記憶はある。手塚が泊まっている部屋まで一緒にきて、何か言葉を交わすこともなく唇を重ねたのを、しっかりと覚えている。
その後の事は、あまり、思い返したくない。
――――醜態、さらしたんだろうな……分かんねーけど。
跡部は盛大にため息を吐いて、いろいろな何かを諦めて手塚の腕の中から這い出た。胸どころか腹にも腕にも散らばる花びら。
その色は、まるで薔薇のようだ。
頭を抱えたくなった。
まさか初めて肌を触れさせたのがこの男で、初めて肌に触れた相手がこの男だなんて、と隣に眠る男の寝顔を見下ろす。さすがに眼鏡はしていなかったが、いつ外したのだろうと目を細めた。
確か最中にも眼鏡はかけていたはずで、キスの時少し鬱陶しかった気がすると、些細な事を思い出す。
「……こんなヤツでも寝顔は可愛いんだな」
まったく腹の立つ、と怒気を孕んだ声で呟くと、桜色をした唇がうごめいた。
「お前の審美眼を疑う日がくるとは思わなかった」
寝息の様子から、起きているのだろうなとは思ったが、第一声がそれかよと、責め立ててやりたい気分にもなる。
「起きてんならさっさと退いてほしかったんだがな、手塚ァ」
「まだ起床時刻ではなかったからな」
だが手塚はいやみをものともせず体を起こし、コンソールに置いてあった眼鏡をかける。ようやく知っている手塚の顔になって、どこかホッとしてしまったのが悔しい。
そうして気づく。手塚の胸にも散らばる花びら。どう考えても跡部がつけたものだ。さすがにそれは覚えていない。雰囲気に飲まれて、熱に浮かされて、あの肌を吸ったのかと思うと、恥ずかしくて情けなくて仕方がなかった。
「シャワー、先にいいか?」
「…………好きにしろよ」
「そうか。では行ってくる」
手塚は珍しく脱ぎ散らかしていたシャツをたぐり寄せて羽織り、着替えを持ってバスルームの方へと向かって行った。
どうしてくれようあの男、と恨みがましくその背中を見送って、跡部は項垂れてくしゃりと髪をかき上げた。
どうしてこんなことになったのか、理由を言葉にするのは難しい。
U―17の世界大会(ワールドカツプ)、今回は日本での開催になった。跡部は日本選抜チームを率いる主将であり、誰よりも熱くこの大会にすべてを懸けているつもりだった。恐らく傍からは必要以上に熱を入れているように見えていただろう。
というのも、対戦国であるドイツチームを率いるのが、あの手塚国光だったからだ。
永遠の宿敵とやや一方的に決めた相手。
十四の夏、中学の日本一を決める大会の関東初戦。今思えば技術面も精神面も未熟なものだったけれど、今でも、これから先もずっと、最高で唯一無二の試合だ。
誤算と言えば誤算だった。あのとき手塚国光と対戦していなければ、あのとき全力でぶつかりあっていなければ、こんなにもテニスに打ち込むようになることはなかっただろう。体中の血が入れ替わったかのような感覚さえあった。
あの日から、跡部景吾にとって手塚国光は誰よりも大切な男になってしまった。
いっそ恋のような情熱で手塚を見つめていた。
だが、恋ではない。そう思っていた。
唯一の相手だが、そんなキラキラとした感情はなかったはずなのだ。
それがなぜ、こんなことになっているのか。
昨日の試合も、長いタイブレークだった。中学の時よりずっと多くの時間、手塚と打ち合っていた。取って、取られて、どちらが勝つのか観客たちも分からなかっただろう。
終わりたくない。終わらせたくない。
勝ちたい。負けたくない。
お前と戦うためにここにいる――そう言い合うように球を交わし、視線を重ね、もう流れる汗も出てこない、足も動かないとお互いプライドだけでラケットを振るっていたように思う。
果たして、勝利を収めたのは手塚だった。
負けてしまったかと空を仰いだら、陽が落ちかけた美しい夕暮れ。
悔しさは残るけれど、満足だと幸福感に満ち足りて手を差し出したら、その手を取った手塚がぐっと掲げてきた。
あの日と逆だが、同じだ。
お互いが敗者で、お互いが勝者だと、健闘を称える。
しかしあの日顔を背けていた跡部とは違い、手塚はじっと見つめてきていた。跡部も視線を逸らせなくて、夕陽の中の手塚国光をじっと眺めた。
それは数秒のことだったのだろうが、跡部にとっては永遠にも思える時間だった。
これは恐らく、恋よりも性質(タチ)が悪いと自覚したのは、恐らくその瞬間。
手塚がいないと生きていけないなどと馬鹿げたことを言うつもりはない。この男がどこで何をしていようとテニスを愛してさえいればいい。そう思った。
手塚がこれから先もテニスを愛していくのと同じように、跡部景吾は手塚国光を愛していくのだろうと、諦めにも似た感情で、笑ってしまったことを覚えている。
手塚を愛している。だけどそれを形にしようとは思っていなかった。想いを告げるつもりもなかったのだ。
それなのに、大会が終了した後の交流パーティーで一瞬視線がぶつかった。それだけで、何かが瓦解していく音と、揺らめく青い炎を認識したのだ。
カーテンの陰に引っ張り込んだのは、どちらだっただろうか。もう覚えていない。けれど、それは確かに互いの意思だった。
言葉もなく、ただ唇を合わせた。感触を覚える暇もなく舌を絡めて吸い合い、腰を抱く。衣擦れの音がやけに耳に付いて、余計に気持ちが昂ぶった。
今思い出しても、あのキスが、あの視線のぶつかり合いがいけなかったのだと痛感する。
跡部は、はあーと大きなため息をついた。
重たそうな赤いカーテンで、二人の体が隠れる。すぐ傍では大会に出場した選手や関係者たちが、ドリンク片手に談笑しているというのに、手塚と跡部にはその音さえ耳に入っていなかった。
「……っん、ぅ、ふぁ」
ちゅ、ちゅうっ、と湿った音が耳に届く。着込んだスーツが擦れ合って、普段は聞かない音も響く。指に絡ませた髪の感触は慣れないもので、跡部はことさらにゆっくりと手塚の髪をかき混ぜた。
試合の興奮が冷めやらないだけだと頭のどこかで言い訳をしながら、永遠の宿敵と決めた相手と濃密に舌を絡め合う。
手塚が、キスの仕方を知っていたとは。
そんな、若干失礼なことを思いながらも、恋人同士みたいなキスをした。唇が濡れていくのが嬉しくて恥ずかしくて、心臓が躍る。
唇が離れた隙に吐息のように「跡部」と呼ばれ、腰がずくりと疼いた。欲情しているのだと認識したくなかった感情は、手塚に唇を押しつけて舌を吸うという行動を起こさせ、まったくの逆効果だった。
「は、……はぁ、っんぅ」
「…………ッ、ん」
鼻から抜けていく手塚のくぐもった喘ぎに、体中の熱が上がる。もっと聞きたいと舌に軽く歯を立て、体を押しつける。離れがたいどころか、もっと触れたいと物足りなく思い始めた。
このスーツの奥に隠れた素肌の感触を、温度を、誰よりも先に知りたい。
手塚の胸をスーツの上から撫で始めた頃、同じように跡部の腰を明らかな意図をもって撫でてくる手に気がついた。
マジかよ、とそれで逆に冷静になったような気がしたけれど、手塚の濡れた唇が、耳元に寄せられる。
「跡部、一〇〇七号室」
その声に、ぞくりと背筋が震えた。
手塚はそれだけ囁くと、指先で唇を拭い、まるで何事もなかったかのようにホールへと戻っていく。それがなんだか悔しくて、跡部も濡れた唇を手の甲で拭った。
ホールにいた大石に、「どこ行ってたんだ?」と訊ねられて「窓からの夜景を眺めていた。なかなかの光景だったな」などと返しているのを聞いて、なんて図太い神経をしているのだと眉を寄せる。
だがこの程度で動揺していてはこの先やっていけないと持ち直し、跡部もなんでもないようにホールへと戻った。
畳む
#両片想い #未来設定 #新テニ #塚跡 #R18 #新刊サンプル
これはまるで永遠に
手のひらを翳して、改めて薬指の指輪を認識した。
婚約したのか、とどこか他人事のように思う。あまり実感が湧いていない、というのが本当のところだった。
何しろ、婚約者である手塚とは、月に一度逢えれば良い方だ。手塚国光はプロのテニスプレイヤーとして、トレーニングや試合で多忙な日々を送っている。一方、跡部景吾も事業を展開する傍らプレイヤーとして日本テニス界を背負う立場。
ドイツと日本では、遠距離恋愛もいいところだ。同じ国に住んでいてさえ、多忙を極める自分たちが逢瀬を重ねるのは非常に難しいのに、国を超えてまでというのは、さらに難題になってくる。
恋人らしい過ごし方など、あったかどうか。
いやさすがにまったくないというわけではない。もっぱら跡部からではあるが、電話だってしていたし、近況を報告しあって、甘い言葉を囁いた日もある。
初めて夜を一緒に過ごしたのは、二ヶ月前。手塚が親善試合のために日本に来た時のことだ。
かつてのチームメイトたちに囲まれて、嬉しそうな顔をしていたのは見えた。対戦者同士であることからあまりなれ合うのはな、と思っていた跡部を「借りるぞ」と氷帝メンツの中から引っ張り出した手塚に、周りが驚いてたのも覚えている。
後が大変そうだと眉を寄せたが、一緒に過ごせるのは嬉しかった。手塚の方からのアクションは珍しかったし、強引なところも変わっていなくて安堵したくらいだ。
まさかその夜、というのは、考えていなかった――わけでもないような。
期待はあった。体を繋げるまではいかずとも、もう少し恋人らしいことをできたらいいと。もう少し一緒にいたいと言ったのは跡部の方で、手を引いて部屋に引っ張り込んだのは手塚の方。
翌日に試合が控えていたおかげで、お互いハメを外しすぎることはなかったが、うまくできたとは思う。
「そっから二か月で婚約って……早すぎんだろ……」
顔が火照る。ベッドに寝転がったまま、左手の甲で目元を押さえた。
「何を言っている跡部。口約束とはいえプロポーズしてから三年ほど経っているが」
グラスにシャンパンを注いでくれた手塚が、ため息交じりにそう呟いてくる。日本の法律上、十八歳では飲酒はまだできず、当然ながらシャンパンはノンアルコールだ。
跡部はベッドの上で体を起こし、グラスを受け取って喉を潤す。風呂上がりのシャンパンが最高なのは変わりないが、傍に恋人――もとい婚約者がいるということに、幸福さが上乗せされた。
「いやあれがプロポーズとは思ってねえ」
「お前はそうかもしれんが、俺の中ではそうなんだ。お前の都合など知らん」
「おい相変わらず身勝手だなテメェはよ。あの時は本当に突然だったじゃねーの」
むっとした表情の手塚に空のグラスを押しつけて、口の端を上げる。そもそもの始まりは、手塚の突拍子もない言葉だった。
『俺がプロになったら、結婚しないか』
今思い返しても突然で、強引である。何しろその時、お互いの間にそういった関係性はなかったのだから。ライバルで、友人で、当時は日本選抜中学生チームの仲間というだけだった。それなのに、渡独のチャンスが巡ってきていた手塚の背中を押してやったその日、電話越しに言われた言葉がそれだった。
呆れ返ったが、恋情に気づいた当日に結婚の打診をしてくる愉快さと強引さと、断られるとは思っていない傲慢さに、納得してしまう部分があったのも確かだ。
『跡部とは、そうなるのが自然で、当然のことのように思う』
と言われたが、それは今も思う。そんなだから、あのプロポーズもどきを受け入れられたし、手塚への想いにも気づくことができたのだ。
「後悔しているのか」
「そんなわけねーだろ。あんまり実感がねえってだけで。恋人として過ごした時間がないってこともあるんだろうが。……嬉しかったぜ? 大事な話があるって言われて来てみりゃあ、夜景の綺麗なレストランで正式なプロポーズときたもんだ」
プロポーズをされたのは、小一時間ほど前だ。このホテルの売りである展望レストランで、指輪を差し出された。またベタなシチュエーションだなと思ったものだが、同時に手塚らしくないとも思った。
「誰の入れ知恵だ? 怒らねーから言ってみろよ」
「入れ知恵とは人聞きが悪いな。大石たちに少しアドバイスをもらっただけだ。というか、青学と氷帝のメンツだな……」
「……………………なるほどね? ということは俺たちの関係がアイツらに知れ渡ってるってことだな?」
「隠す意味が分からん」
手塚は腕を組んで、心の底から分からないと目を細める。別に隠していたわけじゃないと跡部は訂正を入れた。聞かれないから言わなかっただけだ。もっとも、何人かは気づいていて聞いてこないのだろうとは思っていたが。
「式にはアイツらも呼ぶし、まあ問題ねえよ。からかわれんのはいただけねーがな」
「お前たちは本当に仲が良いな」
そっちもだろうと言い掛けて、確かに手塚を『からかう』のは難しいかもしれないと思い直した。このクソ真面目な朴念仁をからかったりできるヤツなどそうそういない。不二や、もしかしたら幸村あたりなら可能だろうか。
そして、跡部景吾。
「妬けるか?」
ニヤニヤと楽しそうに手塚を見やれば、
「なぜだ? お前が氷帝のヤツらを大事に思うのは当然だし、逆も然りだ。嫉妬する理由がない」
予想通りの答えが返ってきた。跡部はそれに満足して、両腕を広げて手塚を呼び寄せる。
「自信満々だなあ、手塚よ」
歩んできた手塚の首に腕を回して、そのまま二人でベッドに倒れ込む。この男が嫉妬しないというのは、跡部からの愛情をきっちりと認識しているせいだ。
「お前だってそうだろう」
「まあな」
そしてそれは、跡部にも当てはまることである。手塚がこの世界のどこで何をしていても構わない。いっそ忘れていたっていいのだ。こちらは勝手に全力で愛するだけだから。
「ほら手塚、いくら夜は長くても、これ以上俺様を焦らすんじゃねえよ。存分に愛されとけ」
「こちらの台詞なんだが。全力で愛されていろ」
「言うじゃねーの手塚ァ、俺様は負けねえぜ?」
「……勝つのは、俺だ」
むずがゆい若干の違和感を、キスで拭い去る。
きっとこんなやり取りが永遠に続いていくのだろうと、二人は長くて濃密な夜を過ごすことになった。
#両想い #ラブラブ #新テニ #未来設定
ともに在るひとへ
スペイン戦 勝敗についてネタバレあり
物足りないと思いつつ、触れるだけで、離れた。わずかに下にずれる視線の先には、満足そうに笑う跡部景吾の顔があった。
「機嫌がいいな、跡部」
「そりゃあな」
U-17W杯決勝戦、跡部は見事に勝利を収めた。手塚はいてもたってもいられず、チームの皆に声をかけてから日本チームのベンチ傍までやってきていた。試合を終えた跡部がそれに気がつき、勝者を称えるメンバーをやんわりと押しやって、こっそり抜け出してきてくれたのだ。
もっとも、事情を知る者たちにはバレていたようだが。そこはそれで、「シィ」と指先を唇に当てて口止めをしていたようだが、きっと後でからかわれるのだろうなと手塚は思う。
「また強くなったな」
「そうだろ。俺様は常に進化し続けてんだよ」
「恐らくプロのスカウトが来るだろう。受けるのか?」
気が早ぇよと跡部が笑う。しかしそうおかしな話でもないように思った。あんなにすさまじい試合をしたのだ、会場に来ているプロチームのコーチたちの目にも止まるだろう。技術はもちろんのこと、観客を沸かせるパファーマンスとオーラだって、申し分ないはず。
オーラはともかく、パフォーマンスにおいてはこの男に勝てないだろうと思う。観客を沸かせるというのは、プロの試合において時折必要とされるものだ。熱狂がどれだけ周りを巻き込み、かき回すのか、手塚はよく知っている。特に、財閥の御曹司として事業に携わっている跡部ならその重要性も理解できるはずだ。
「でもまあ、条件とタイミングだな。すぐに追いかけるって言っただろ」
「ああ、楽しみだ」
数日前、ネット越しとはいえ目の前で膝をついていた男とはても思えない。自信に満ち満ちて、さらに王者の貫禄を身につけたのではないだろうか。
誇らしいとともに、末恐ろしい。
この男はいったいどれだけ自分の人生に食い込んでくるのだろう。
同じほどの熱量で、同じほどの技量で、この世界で共に在る男。プレッシャーを何度も何度も乗り越えて、今ここに在る。
その男の青い瞳に、自分だけが映っているという事実の、なんと滾ることか。
体が疼く。胸が逸る。本当なら自分が彼と対峙したかったとさえ思うが、先程の跡部景吾はロミフェルにしか引き出せなかっただろう。
だが、そうして強くなった王とまたいずれ戦えるだろう未来が楽しみでしょうがない。
「なんだ手塚ァ。お前こそご機嫌じゃねーの」
顔には出ていないと思ったのだが、跡部には分かってしまうようだ。共に過ごした時間は実のところそれほど長くないのに、きっと魂が似ているせいなのだろう。
「……久しぶりだしな」
「アーン? なに言ってんだ、ヘリでのランデブー忘れたかよ?」
「そうじゃない。キスをするのがだ」
確かに焼肉バトルの際にヘリで一緒に過ごしたが、二人きりというわけではなかったし、トラブルもあってゆっくりとした逢瀬ではなかった。とはいえこれがゆっくりとした逢瀬かと言うとそうでもないが、唇に触れられたのは久しぶりだった。
跡部はぱちぱちと目を瞬いて、ふっと口の端を上げる。
「こんなところで隠れて俺様とキスなんて、イケナイ部長だな?」
「……元、だろう。お互いに」
跡部の指先が、顎をついと撫でる。分かりやすい煽り方だと思いつつ、それには乗ってやることにした。
顔を寄せて、先程よりもしっかりと唇に触れる。覚えてしまっていた感触を久しぶりに味わって、下唇を挟むように食んだ。背中に回された腕に強く抱き寄せられて、唇がさらに押しつけられる。
「ん……、……手塚」
コートの中ではあんなにも格好良いのに、この腕の中ではとてつもなく可愛らしくなる。どうしてくれようこの男、と半ば八つ当たりのようにも背を抱き、汗で濡れたユニフォームに皺を作ってやった。
「っふ……」
あとべ、と名を呼ぶように唇を動かせば、やんわりと開く。舌先を滑り込ませて押し込んで、捕らえた。くすぐったそうな呼吸が鼻から抜けていくのを聞いて、口の中で舌を絡め合う。吸い上げて、唾液を飲み込んで、髪を梳く。背を撫で、腰を抱き寄せては舌を軽く噛み合う。
キスの仕方は変わっていないなと、お互いが思っていることだろう。そんなに長い期間離ればなれになっていたわけでもなし、変わる理由もないのだが。
キスの温度も、キスの意味も、言葉にする必要もないくらい今までと同じ。違うのは、着ているユニフォームくらいだろうか。
頬を撫でて、唇を離し、また覆う。
何度そうしただろう。さすがにこれ以上はまずいと、コツリと額をぶつけ合わせる。
「そろそろ、戻るぜ」
「ああ。皆によろしく」
「アイツらには逢っていかねえのかよ。薄情な男だな」
「日本が優勝したら、また祝いを言いにこよう。今はただ、お前に」
激闘を繰り広げた跡部の右手首に、キスを贈る。「どこで覚えた」などと照れくさそうな声が向かってきたが、教えたのはお前だと思うが――などと野暮なことは言わず、観客席へ戻ろうと手塚は跡部に背を向けた。
ポケットで震えたスマートフォンに、「帰国前の自由時間、よこせ」とメッセージが入ってくる。顔だけで振り向けば、そこには〝キング〟としてベンチへと向かっていく恋人の背中。手塚は頷き、「分かった」と返信した。
果たしてテニスになるかそれとも恋人同士の夜の逢瀬になるのか。
どちらでも楽しみだとこっそり口の端を上げながら、手塚もチームメイトの元へと向かった。
畳む
#両想い #ラブラブ #新テニ #本誌ネタバレ
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【装丁】文庫サイズ/208P/全年齢/1200円
【書店通販】フロマージュブックス様
【自家通販】BOOTH(https://hanaya0419.booth.pm/)
【あらすじ】ff-フォルティッシモ-の続編。一応完結。
跡部が青学に訪れ恋を告白してきたが、「なにも望まない」とも言う。手塚は応えられないと突っぱねるが、跡部がドイツ語を得意としていると知って教えてもらいたいと頼んだ。傍にいられるのは苦しいけれど、そんな苦痛さえ愛しいと跡部は受けてくれる。
ドイツ語を勉強しながらテニスを楽しみ、跡部の本質に触れていく手塚。
ドイツ語の習得に尽力してくれる跡部に何か礼をと思いプレゼントを贈った際に見た表情がとてもかわいく思え、跡部が望むならと「キスくらいならしてやれるが」と提案する。だがそれは跡部を深く傷つけてしまい、メッセージも返してくれなくなった。
氷帝に出向いた手塚は、呼び出した跡部に交際を申し込み、跡部は困惑しながらも受け入れてくれたけれど――。
【ご注意】うちの青学メンバーは氷帝メンバーと仲良し/※※描写はしてませんが、忍→岳の設定がありますので、苦手な方はご遠慮ください※※
#塚跡 #シリーズ物 #片想い #誕生日 #新刊サンプル
お茶をお持ちしますと執事は下がっていく。部屋の隅に、プレゼントの山。これが全部跡部への贈り物なのかと思うと腰が引けてしまった。
その中で、自分が預けたものを見つけて手に取った。比べてしまうと、やはり見劣りするなと思う。急なことだったし、もともと誕生日用に選んだプレゼントではないというのが、申し訳ない気もした。来年はもう少し気の利いたものにしようとソファに腰をかけたところで、はたと気がつく。
来年、と未来の事を考えてしまった。当然のように傍で祝える前提で。
「……そうか」
この感情がなんなのかは分からない。だが少なくとも、自分の未来には跡部もいてほしいとは思っているようだ。来年も誕生日を祝いたい。当日は忙しいのだから、別の日でも構わない。ゆっくり、おめでとうと言える環境で過ごしてもみたい。その反面、自分たち二人ならテニスでいいのではないかとも思う。一日中テニスをするだけでも祝いになるかもしれない。楽しそうな跡部の顔が目に浮かぶようだと思った。
「手塚、悪い待たせて」
その時、予告もなくドアが開けられ、跡部が姿を現した。跡部にとっては自分の部屋なのだからノックなど必要ないが、心の準備をしていなかったせいで、思わずビクッと体が強張った。
「あ、ああ、いや、そんなに待っていない」
「そうか? あ、ミカエル、後は俺がやるから。今日はありがとな」
「とんでもないことでございます。ご入浴の際はお呼びください。お坊ちゃま、朝にもお伝えしましたが、お誕生日本当におめでとうございます」
「ああ、ありがとう。母さんや父さんはもちろん、お前にも感謝してるぜミカエル」
「もったいないお言葉にございます。では、ごゆっくり」
ドアの傍でそんなやり取りをして、跡部は紅茶の乗ったワゴンを部屋に引き入れる。手塚はどこかでホッとした。彼にもちゃんと、あんなに誕生を喜んでくれる人がいることに。
「ん、手塚。熱いから気をつけろよ」
「ありがとう」
まさか跡部が手ずから紅茶を注いでくれるとは思っていなかったが、素直に受け取って口へと運ぶ。そういえば飲み物はあまり口にできなかったなと思うと、満たされた気分だ。
「盛大なパーティーだったな。毎年こうなのだと聞いて驚いたが」
「招待客が多くなるから、どうしてもな。まあ誕生日パーティーにかこつけたご機嫌伺いだぜ」
跡部は自分用に入れた紅茶をテーブルに置き、「それでも」と続ける。
「今年はお前がいてくれて嬉しい。似合ってるって言われたの、本当に嬉しかったんだ」
その場で、右足を軸にくるりと回ってみせる。わずかにジャケットの裾が揺れたことすら計算されたことのように美しく、改めて跡部景吾という男の体幹の良さを実感した。
「どうだよ?」
「あの時言った通りだ。似合っていると思う。それに、そうやって動いても軸がぶれないというのか……きっと足腰の鍛錬を欠かしていないのだろうと」
「そりゃあな」
ふふっと得意げに笑って、跡部が隣に腰をかける。ふわりとバラの匂いがして、いつもと違いすぎる彼に戸惑いもした。
「俺は、お前のことを本当にひとかけらしか知らないのだな」
「アーン? 俺様の立ち回りに惚れ直したかよ?」
「……それは、その……」
惚れ直したとは言ってやれない。物珍しさはあるが、いつまでも見ていたいかというとそうでもない。そもそも、元々惚れてはいないのだから、惚れ直したという表現はふさわしくないのではないだろうか。
そんなことを思って二の句を継げないでいると、跡部がふっと呆れたように、諦めたように笑った。
「嘘がつけねえ野郎だな。ここは嘘でも惚れ直したって言っとく場面だろ」
「お前に嘘などつきたくない。たとえお前のためになるのだとしても、気持ちのいいものではないだろう」
「ああ、お前のそのクソ真面目なところ、好きだぜ。ホント律儀だよなぁ……おままごとみてーな恋人ごっこに付き合ってくれてんのも、嬉しいと思ってる」
頭を抱えたくなった。どうしてこの男はこうなのだろうと。まだ一方通行な想いの分、引け目に感じるのも仕方はないと思うのだが、それこそ良い気分ではない。
「恋人ごっこというのは撤回しろ、跡部。俺は俺なりに、お前としっかり向き合って、交際していくつもりでいるんだ。バカにされているようで気分が悪い」
隣に座る跡部をじっと見据えながらそう告げると、跡部は目を見開いた後に気まずそうに目蓋をわずかに伏せ、下を向いた。少しの沈黙が訪れるが、手塚はただ黙って跡部の出方を待つことにした。
「…………悪い、お前がそんなふうに感じるなんて、思ってもみなかった」
ぼそりと呟かれた言葉に安堵する。理解はできなくとも、そう感じてしまっていることは伝わったようだ。
「本当にすまない……ただ、まだ現実味がなくてな。どっかで線を引いておかねえと、一気に崩れていきそうで、怖い」
気まずそうに呟かれたその言葉に、手塚はどこかで安堵する気持ちがあった。
ひとつ瞬いて、それを自覚する。
自分の未来に跡部がいないかもしれないと怖がる自分を、恥じ入る思いがあったのかもしれない。だから『怖い』と素直に口に出してしまえる跡部を、羨ましく思った。
「……お前にも怖いものがあったのか」
「お前だけだぜ、俺にこんなこと言わせるの」
「確かにお前から弱音が吐かれるとは思わないな。だが、また知らないお前を知れて嬉しいと思う」
こくりと頷きながら返せば、それを見て跡部は強張っていた頬を緩めた。
「ちょっとまだ、追いついてねえんだよ。好きなヤツから交際申し込まれてみろ、混乱だってする。しかも昨日の今日だぜ。想像もしてなかっ……いや、想像はしたことあるけど、現実になるなんて思わないだろ、普通」
そうして、言いづらそうに呟く。こんな跡部景吾も珍しいのだろうなと、目を逸らすことができないでいた。
「俺は好きな相手からというのは経験がないから分からないが、お前がそう言う気持ちは分かる。俺だってお前に好きだと言われて、混乱した」
「本当にかよ。涼しい顔してやがったけどな?」
「……表情に出なかっただけだろう。俺は分かりづらいとよく言われる」
「テニスだとあんなに分かりやすいのにな」
だいぶいつもの調子を取り戻しつつある跡部が、笑いながら返してきた言葉にハッとする。そういえば、訊いておかなければいけないことがあったのだと。
「跡部、お前もテニスは続けるのだろう?」
当然イエスが返ってくるものとばかり思っていた答えは、跡部が目を見開いたことで裏切られる。いや、まだ否定されたわけではないと、嫌な音を立てる胸を押さえた。
「跡部」
「…………気持ちだけじゃ、どうにもならないことがある。恋にしても、テニスにしても」
「跡部」
「手塚、俺の住む世界を見ただろう。俺は家の事業を――」
「跡部、脱げ、その服」
跡部の声を遮って、手塚は強い視線で突き刺した。自身も学ランのボタンに手をかけながら。
「――は? ちょ、……待ておい、お前、なにを」
「その服でテニスはできないだろう」
学ランをバサリとソファの背にかける。身を強張らせていた跡部が、ハッとした後になぜかがくりと項垂れた。
「テニスならテニスって言え、バカ……」
跡部が何に対して文句を言っているのか分からなかったが、そこに気を揉むよりもまず、跡部とテニスがしたかった。家の庭にコートがあるというのがこんなに都合の良かったことはない。
手塚は学ランを脱いだだけ、跡部もジャケットを脱いで靴を運動靴に履き替えただけで、ラケットを片手にコートへと歩んでいく。テニスに適したスタイルではないというのに、手塚は容赦なくサーブを打ち放った。
跡部なら打ち返してくる。そう確信して。
案の定、跡部は打ち返してきた。それでも、いつもより球速が落ちている気がする。
――――何を迷っているんだ、跡部。
左腕に、すべての力を込める。跡部が目を瞠ったのが見えた。
その一瞬後から、彼の顔つきが変わった。すべてを受け止めて打ち返してやるという思いが、その表情に表れている。
「……くっそ、なんなんだよ……!」
悪態をつきながらも、返しづらいところに打ってくる。それに追いついて、手塚も返す。跡部が返してこられなかったのは、動きづらい服装だからだろう。悔しそうに舌を打ったけれど、キッと睨みつけてくる視線にぞくりと背筋が震えた。
力強いインパクト音が心地良い。
いつもと勝手が違うタイミング。それを本能で感じ取ってすぐに態勢を整えてくるところは、天性のセンスだろうか。
やはり、そうだ、と手塚は思う。
さらに返球の強度を高めて、跡部に向かって打った。
「お前がテニスを辞められるわけがない」
ボールと同じほどの強さでそう言い放つと、跡部の眉が寄せられたのが見える。重い打球を受け止めて、意地で返してきた。
「分かってんだよそんなこたぁ!」
手塚は返ってきたボールを受け、先程までとは打って変わって柔らかく返す。跡部のテリトリーで一度跳ねた黄色い球はガットに迎え入れられ、力強く返ってくる。当てて、返す。打たれる。刺すように狙い打つ。打球の強さと速さに倣ってインパクト音も変わる。
「氷帝でアイツらに逢ってなければ、テニスを楽しむこともなかった! 関東大会でお前と試合してなければ、俺は中学でラケットを置いていたんだよ!」
「俺をテニスの言い訳に使うな、跡部!」
打球が荒くなる。手塚のも、跡部のも。
――――俺を言い訳になどせずとも、お前はテニスを愛しているのではないのか。
動きづらい服装でプレイしてさえこんなに巧みな技術を繰り出せるのは、それだけテニスに真摯に取り組んできたためだ。誰よりも強くありたいと思う気持ちが、プライドが、自分たちを創り上げているのではないのか。
手塚はじっと跡部を見つめる。ボールなど見ずとも、彼がどこに返してくるのかが分かった。それは跡部も同じなのか、ネットを挟んでコート上で視線が絡み合う。
一球、一球、打つ度に、返される度に、音が透き通っていくような感覚に襲われた。
跡部の抱いているもどかしさが、ボールを通して伝わってくるようだ。
お前に出逢っていなければ、と責めるような眼差しに理不尽さを感じながらも、ぞくぞくするほどの情熱に胸を打たれる。
――――跡部、お前に出逢っていなければ。
お前だけだと思うなと、真剣にボールを返す。あの日、あの時、衝撃を受けたのはこちらの方だと手塚は思う。伝え聞いていた印象をぶち壊して、球に食らいつく執念と真摯さを、技などよりも綺麗だと感じた。確かな技術と自信、集中力と精神力は、純粋にプレイヤーとして惹かれた。
そのままライバルではいけなかったのかとまだ責めたい気持ちもあるけれど、特別な想いがあるからこそこうして迷いさえぶつけてくれるのかもしれないと思うと、もっと打っていたい気持ちにさせられる。
長いラリーになった。打ち負かすためのラインではなく、返されるための緩やかなもの。
それを止めたのは、跡部の方だった。
何度目かの応酬の後、跳ねたボールを手のひらで受け止める。はあっと聞こえた吐息は、笑っているようにも思えた。
「お前に……出逢っていなければ、俺は迷わず跡部を継いでいただろうな」
困ったような笑い顔に、手塚の方こそ困る。あまりにも綺麗で、胸が高鳴りそうだった。
「もちろん家は継ぐぜ、一人息子だしな。生まれた時から決まってるようなもんだが、それを不満には思っちゃいねえ。むしろ周りの期待は俺の誇りだ」
「……そうか」
「テニスをどうするかは、今はまだ答えが出ねえ。どうするのがいちばんいいのか分からねえんだ。気持ちだけじゃどうにもならないことがあるんだよ。けどな」
跡部はそこでいったん言葉を止め、握りしめていたボールをぽんと投げてよこす。手塚は不思議に思いながらもそのボールを受け止めた。
「今、確信したぜ。てめぇとはどうなろうが、よぼよぼのジジィになってもこうやってテニスしてんだろうなってよ」
満足げに、楽しそうに跡部が笑う。手塚はひとつ瞬いて、よこされたボールに視線を落とす。
何十年も先の未来だ。
白髪になって、手もしわしわになって、体力も落ちて、それでもラケットを握りこうして球をかわす日々。
それが容易に想像できてしまった。
「――ああ、そうなるのだろうな」
跡部はプロのプレイヤーにはならないかもしれない。それはとても残念で寂しいが、だからといって同じ世界で、同じ目線でいられないわけではない。
テニスで強くなりたい。ずっとテニスをしていたい。その思いは、いつでもそこに在るはずだ。
それならいいか、と手塚はボールを握りしめた。
「みっともねえとこ見せちまったな、手塚」
「特にみっともないとは思わなかったが。今日もお前とテニスができて嬉しい」
本心からそう言ったら、跡部が気まずそうに口を覆って顔ごと逸らした。特に悪い反応ではなさそうで、手塚はそのまま放っておいた。
しかし、さすがに帰らなければ。今日は遅くなるかもしれないとは言っておいたが、手塚はまだ保護者が必要な中学生だ。あまり遅くまで出歩いているわけにもいかない。
「跡部、そろそろ帰ろうと思うんだが、まだプレゼントを渡していない」
「え? あ、ああ……もう遅いしな。っていうか、良かったのに、プレゼントなんか。正直お前がそこまでマメなヤツとは思ってなかったし」
急だったこともあるのだろう、跡部は遠慮がちに振り向いてくる。好きな男を目の前にして言う言葉だろうか。
「それは俺も自覚しているが」
「自覚してんのかよ」
笑う跡部に、なんの逡巡もなく頷く。気の利いたことをできる性質ではないと思っているし、『お礼をした方が良いんじゃ』と大石に言われなければ、気には留めつつも跡部のために何か買ったりはしなかっただろう。
「だが、せっかく手渡しできる状況なのだし、受け取ってほしい」
「そりゃもちろん。今日は、この地球上で俺がいちばんの幸せ者じゃねーの」
少し大袈裟過ぎないかと思うが、跡部がそう思いたいならそれでいい。
顔が見られただけでいいなんて言っていたが、初めて〝恋人〟として祝うのだ。何か贈りたい。跡部の方だって、恋人がいる誕生日というのは初めてだろう。
そこまで思って、初めてなのだろうかと疑問にも思う。
跡部ほどの男ならば、今までに恋人がいても……幼い頃から決められた婚約者などというものがいてもおかしくない。
なんだか面白くない気分で部屋に戻り、ソファに置きっぱなしだったプレゼントの包みを手渡す。
「誕生日おめでとう、跡部。高価な物ではないが、使ってもらえるとありがたい」
「サンキュ、手塚。嬉しい……」
それを両手で大事そうに受け取ってくれた。緩みっぱなしの頬に、本当に嬉しいと思ってくれているのがさすがに手塚にも伝わってきた。
「付き合ってるヤツからっての初めてだ。大事に使わせてもらう」
何げなく呟かれた言葉に、手塚はひとつ瞬いた。まさか心を読まれていた分けでもないだろうに、引っかかったトゲをぽろりと落としてくれる。弱味として現れて、眼力(インサイト)で見破られたのなら不甲斐ないことだ。
「……初めてなのか。女子生徒に人気があるだろう、お前は」
「アーン? 確かに俺様はそういうの多いがな。イコール恋愛に結びつくわけじゃねえんだよ。あの中でどれだけ真剣に俺に惚れてる奴がいると思う? たとえいても、俺はパートナーを慎重に選ばなきゃいけない立場だ」
跡部景吾の名はいろいろな意味で青学にさえ聞こえていたのだが、跡部の反応は素っ気ない。学園中の女子生徒の視線をほしいままにしているのだろうに、その中に真剣なものはなかったのだろうか。
「……慎重に選んで、俺なのか」
「自覚しやがれよ。俺のそういう、立場とか将来とか、何も考えられなくさせちまったんだろうが、お前が! クソ、なんでお前なんかに惚れちまったんだ、俺は」
「それは情熱的なことだな。だが、それはお前の立場や将来に、俺が必要なのだと直感的に思ったからなのではないのか。テニスをしていれば、どうしたって世界が交わる」
「……――フ、フフッ、物は言い様だな、手塚ァ」
跡部は何か眩しいものでも見つめるように目を細める。
跡部景吾の中で、手塚国光がいる未来が当然のものとして存在している。すとんと何かが腑に落ちたような感覚を味わった。
跡部の中でそうであるように、手塚の中でもそうなのだ。
じっと跡部の瞳を見つめると、じっと見つめ返される。どちらが先に逸らすのだろう、と思うほど長い間、見つめ合っていたような気がした。
「……そう見つめられると、照れくせぇんだが」
そして、先に逸らしたのは珍しく跡部の方。頬を赤らめて、視線を外して手元の包みに移す。結んだリボンを解いていく指先の仕種に、胸が鳴りそうだった。
「先日突き返されたものを贈り直すのもどうかと思ったんだが。お前のために選んだのは違いないから、その……」
「あ、あれな。俺の口からもう一度よこせって言うのもどうかと思ってたんだ、よかった。本当に嬉しかったんだぜ。まあその後どん底に突き落としてくれやがったがよ、この朴念仁が」
袋を開けて、中身を覗き込む跡部に、ぐっと言葉が詰まる。そのことを持ち出されると勝てなくて、気まずい。どれだけ傷つけたのかと思うと、手塚の方こそ胸がズキンズキンと痛んだ。
こんなに痛むのなら、やはりこの先跡部を傷つけないようにしたいと改めて思う。
「手塚、これは? この間はなかったよな」
跡部が、袋の中から取りだした物を不思議そうに見つめる。やはりなじみのない物だったかと思うが、それならそれでこれから触れていってくれたらいい。
「日記帳だ」
「日記帳? そんなのつけなくても俺様はその日の出来事なんて覚えてるぜ?」
教科書程のサイズだが、厚みはない。それは一年分を記録できる日記帳で、カレンダーやメモ帳も付いている。スケジュール帳としても使えるようだったが、跡部のように多忙な男にこれでは足りないだろう。
「覚えていても、一日のことを整理して、翌日の目標を立てることができる。わずかだが、達成感もあるな。何年か後に読み返して、初心に返るということも可能だろう」
「一日の整理……お前も日記つけてんのか?」
「ああ、毎日。そろそろ買い足さなければいけないんだが、どうせならお前にもと思った次第だ」
「毎日か。継続するってのもなかなか根気のいることだしな。それはどこかで力になる」
頷きながら同意を返すと、跡部はビニールの開封口に指をかける。一度開けた形跡があるのに気づいてか、不思議そうにしながらも取り出して、中身を確認し始めた。
「どんなこと書けばいいんだ」
「なんでもいい。俺は、学校であったことや、家族で話したこと、練習のことなどを書いている」
お前らしいなと、跡部の口角が上がる。些細なことでもいいのだと知って、跡部はぱらぱらとページをめくっていった。
「テメーへの想いを日々文字にしてってやろうか」
「感情を整理するという意味では、有効的なのではないだろうか。別に不快ではない。俺も今日は、お前のことを書こうと思う」
「フ、そうかよ、光栄、だ……ぜ」
ぱらりとめくったその指先が、ぴたりと止まるのを見た。
青い目が、大きく見開かれるのを見た。
畳む