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情熱のブルー-027-

情熱のブルー,塚跡WEB再録 2023.03.19

#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー

 その日以降、跡部の枕元にユキヒョウのぬいぐるみが置かれるようになった――というのを、氷帝のメンバー…

情熱のブルー,塚跡WEB再録

情熱のブルー-027-


 その日以降、跡部の枕元にユキヒョウのぬいぐるみが置かれるようになった――というのを、氷帝のメンバーたちが口にしていることで知った。
 まさか本当に枕元に置いて寝てくれているのかと、口許が緩むのを隠すのが大変だったけれども、「キングたるもの美しい獣の一匹や二匹引き連れているものだぜ」という跡部にまた愛しさが募ったことの方が重要だった。
 跡部を好きなのは変わらない。むしろ気持ちはよりいっそう強く深くなり、感情の大部分を占めている。
 だが跡部は友人で、ライバルだ。彼がそう思ってくれていることも知っている。だからこそ、この均衡は保たねばならない。
 胸に秘めて、隠し通して、生涯をやり過ごす。この想いが叶わなくとも、テニスというすべてを懸けるにふさわしい世界でつながっていられる。激しいばかりの想いではないと知った今、苦痛だとは思わない。
 キングたる彼の友人として、ライバルとして、常に高みを目指していこう。
 感情が不純だなどとは言わせない。まっすぐに向かっていくこの想いは、何よりも純粋だった。
 強くなりたい。誰にも負けないように、己に恥じないように。
 今日の入れ替え戦シャッフルマッチ、見知った高校生がいた。青学テニス部の元部長・大和だ。
 外見がかなり変わってはいたものの、憧れたその人のオーラは変わっていない。選抜に呼ばれるということは、まだテニスを続けていたのだとホッとした。
「手塚くん、全国大会優勝、おめでとうございます。部長として大変だったでしょう」
「ありがとうございます。メンバーに恵まれました」
 テニスは基本的に個人競技ではあるが、学校の大会となると団体の成績がものを言う。事実手塚は、真田に負けたのだ。できれば勝って優勝としたかったが、もう過ぎたことだ。
 今は、目の前の相手をどう打ち負かすかを考えるべきである。
「それはそうと」
 大和の瞳が、まっすぐに射貫いてくる。
 優しげではあるものの、逸らせない強さ。以前はレンズ越しだったが、それが取り払われたことでさらにすごみを増しているようだ。
「君はなぜこんなところにいるんですか?」
「なぜ、……とは」
「聞きましたよ、ドイツのプロチームから誘いを受けているそうじゃないですか。とっくにドイツに行ったものだと思っていました」
 思いも寄らぬ言葉に、体がわずかに強張った。
 いったいどこから聞きつけたのか、と眉が寄る。竜崎あたりからだろうか。卒業しても気にかけてもらえていたのだなと思うが、今はドイツ留学のことを考えていられない。目の前の対戦相手を倒すのみだ。
「選抜候補の一員としてベストを尽くすこと……今は、それしか考えていません」
「やれやれ、青学の柱の次は日本ジュニアの柱というわけですか」
 柱になれと言ったのは大和の方だ。もちろん、言われたからそうしたというだけでもないのだが、きっかけは間違いなく大和である。
 自分は柱として部をまとめ、全国制覇を果たした。勝者とは責任を負うものだ。
 今この中学生選抜をまとめ上げ、率いるのは自身の責任でもあると思っている。
 こういうところが傲慢だと言われる所以だろうか。だが、今このチームを上へと押し上げたいという気持ちは本当だ。
 そのために倒さねばならないというのなら、たとえ憧れた人であってもこの球で叩きのめさせてもらおう。
 大和の仕掛けた幻有夢現を破るために、手塚はファントムを発動する。編み出したあの頃よりは格段に自分のものにできている気がした。
 勝たなければいけないのだ。上に昇るために。腕の違和感も、今は薄い。
「手塚ァ、無茶するんじゃねえ! また腕を痛めたらどうする!」
 跡部の声が聞こえるけれど、聞いていられない。こうしてコートに立っている以上、全力で相手をするのが礼儀だ。
 そう気づかせたのは跡部なのに、止められたくない。
 ――――俺がやらなければ。
 それが上に立つ者の責任ではないのか。跡部ならば分かってくれると思っていた。同じように周りを引っ張ってきたあの男ならば。
「手塚ぁ!」
 心配と怒りと焦りがせめぎ合ったような声に、手塚は振り向いてしまう。視線の先には、不敵な笑みをたたえる跡部景吾がいた。
「柱ってヤツは、何もお前の専売特許じゃねえだろ、アーン? ちったぁ俺たちのことを――信用しろよ」
 目を見開いた。
 信用しろと跡部に言われたのはこれが初めてではない。
 だが以前は〝青学の連中を信じろ〟としか言っていなかった。今跡部は、跡部自身を含み周りを信じろと言ったのか。
 ――――跡部。
 足りないピースがようやく埋まったような感覚に襲われる。
 自分には、信じるという力が足りなかったように思うのだ。何もかもを一人でやろうとして、すべてを背負って、周りを引っ張っているつもりでその実なにもできていなかったのかもしれない。
 いつだか跡部にも言われた。青学の連中のためにやっているのかもしれないが、周りが見えていないと。まったくその通りだ。
 ――――跡部、お前は、いつも俺を……。
 自信に満ちた青の瞳が、包み込んでくれるようだ。手塚は大和に向き直る。
 頭の中を、これまでの出来事が走馬灯のように駆け巡った。
 テニス部に入部した日、柱になってもらうと言われた日、出場した試合、できた後輩、ランキング戦や地区大会、関東大会。
 そこで出逢った無二のライバル。
〝いいじゃねーか。お前には俺がいる。俺にはお前がいる〟
 リハビリに励んだ時間と、そのライバルと打ち合った日々。全国大会の試合。
 そしてこの選抜合宿。海堂にも、今できうる限りのことを教えた。越前も、これからもっともっと強くなるだろう。
 ――――そうだ。俺がするべきことは、すべて終わった。
 柱としての責務は、充分に果たしたはずだ。
 ぞくぞくと、背筋を何かが這い上がってくる。全身の毛穴が開いたような感覚を味わい、ぐっとラケットを握り直す。
「もっと、楽しませてもらってもいいですか――テニスを」
 自分が楽しむためのテニスなんて、どれくらいぶりだろう。
 跡部とでさえ、〝負けられない〟という意地が先立って、恋心に気づいた後は目に焼き付けることに意識が向いて、心の底から楽しめたことはなかったように思う。
 ボールを打つ。返す。また返ってくる。弾き飛ばす。
 たったそれだけのことに、心が躍る。
 楽しい。そう感じた瞬間、今まで見たことのない高みが見えた気がした。
 ――――越前、これが……お前の見ていた世界か。
 テニスが楽しい。自分のために握るラケットが、こんなに軽いなんて初めて知った。
 それを教えてくれたのは、大和と、跡部だ。
 自分自身のために、手塚は大和を打ち降した。
「ありがとうございました」
 大和と握手を交わして、心からの礼を告げる。
 これで二勝一敗だと、手塚は仲間の待つベンチへと向かった。
 だが途中、跡部の脚に阻まれた。これ以上は行かせないと仕切り壁についた足は、若干行儀が悪い。手塚はわずかに眉を寄せて、視線を跡部の顔まで上げた。
「――ドイツ、行きたいんだろ? アーン?」
 目を瞠った。
 どうして。
 どうしてこの男は、いつもいつも見透かしたようなことを言うのだろう。
 行きたい。
 今プロのチームから声をかけてもらっているのだから、この機会を逃したくない。だけど、するべきことがあった。するべきことがあると思っていた。
「行って、とっととプロになっておけ。俺もすぐに追いかける」
 心臓を撃ち抜かれたような気分だった。
 ――――跡部……!
 全身が、跡部の言葉に歓喜したのが分かる。
 背中を押してくれたばかりか、こともあろうに〝すぐに追いかける〟とは。
 それはこの上ない喜びで、唇が震えてしまうのを必死で抑えて、笑ったつもりだった。
「何も言うな手塚。このチームは俺様に任せておけ」
 強気な笑みで、跡部は両手を広げて他のメンバーたちを指す。手塚はゆっくりと頷いて、足を踏み出した。
「跡部、礼を言う」
 すれ違う時に、小さく呟いた。跡部にしか聞こえないように、本当に小さく、小さく囁いたその言葉は、ちゃんと聞こえただろうか。拳で軽く腰を叩いてくれたところをみるに、無事に届いたのだと口の端が上がった。
 ――――跡部、お前を信じている。俺は自分に……お前に恥じない俺になろう。
 背中を押してくれた跡部に仲間を託して、追いかけてきてもらえるような選手であろう。そう心に決めて、手塚はこの合宿を去ることになった。


#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー

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情熱のブルー,塚跡WEB再録 2023.03.19

#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー

 寮に戻って、自主トレからの夕食、夜間トレーニングを終える。 その間にも、跡部と言葉を交わす機会はあ…

情熱のブルー,塚跡WEB再録

情熱のブルー-026-

 寮に戻って、自主トレからの夕食、夜間トレーニングを終える。
 その間にも、跡部と言葉を交わす機会はあったけれど、やはり少し疲れているように感じた。「大丈夫か」と訊ねても「ああ」としか返ってこず、まだ頼ってもらえるポジションにはいないようだと寂しく思う。
 トレーニングが終わって、一旦部屋に戻る。ベッドに置いていた袋からぬいぐるみを取り出し、跡部にメッセージを入れた。
『どこにいる?』
 少し待ってみたが、返信もないどころか既読がつかない。十分待って、探した方が早いなと部屋を出る。ひとまず跡部たちの部屋に行ってみたが、姿がなかった。
「跡部? そういえば見てないな。風呂かなあ」
「そうか、邪魔をした」
 しかし、浴場にも、談話室にも、トレーニングルームにもいない。コートにもだ。既読は相変わらずついていなくて、メッセージを読める状態にないということになる。途中で氷帝のメンバーにも出くわしたが、誰も跡部を見ていないと首を振る。
 さすがに心配になってきた。寝不足とはいえ朝から具合が悪そうだったし、どこかで行き倒れているのではと嫌な思いが頭を巡る。
「跡部くんですか。恐らく座学ルームですね。静かなところで作業がしたいと言うので、特別に許可をしました」
「座学ルームですね。ありがとうございます、黒部コーチ」
 電話をすればいいのかと思ったところで鉢合わせた黒部にも訊ねてみたら、ようやく居場所が判明した。良くない事態ではなさそうでホッとし、会釈をして踵を返した。
 そうして来てみれば、確かに跡部の目立つ金の髪が最初に目に入る。愛用のパソコンを開いて何か作業しているようで、こちらの気配には気づいていないようだ。
「ここにいたのか、跡部」
 跡部は手塚の声に顔を上げ、ぱちぱちと目を瞬く。
「どうしたよ、手塚」
「…………既読にならなかったから、どこかで行き倒れているのかと思ったぞ」
 スマートフォンを掲げてみせると、跡部はようやく気がついたように自分の端末を取り出す。メッセージが届いているのを確認して、気まずそうに詫びを入れてきた。
「悪い、気づかなかったぜ」
「コートにもいなかったからな。ここにいると黒部コーチに聞いたんだ」
「家の仕事があるんだよ。他のところじゃ集中できねえ」
 こめかみを押さえてわずかに眉を寄せる。そういえばこの男は財閥の跡取りなんだったなと思い出した。どんな手伝いをしているのかは不明だが、合宿に来てまでご苦労なことだ。
 しかし、集中できないからとわざわざここを借りていたのに、その集中を途切れさせてしまったかもしれないと思うと、申し訳なくもあった。
「邪魔をしてしまっただろうか」
「……いいや。何かあったのか?」
 ややあって跡部はパソコンをぱたんと閉じる。
 気を遣わせてしまったことは分かったが、手塚の方も深刻なのだ、気遣いに乗っかってしまおう。
 跡部の隣に腰をかけて、顔色を窺う。朝よりはだいぶマシ、といったところか。
「眠れないなら眠れないなりに、早めに体を休息させた方がいいんじゃないかと言おうと思っていたんだが……家のことなら仕方がないな」
「あ? ……なあ、もしかして、わりと心配させちまったのか」
 跡部は少しだけ目を瞠って、面映ゆそうな顔をする。手塚は無言で頷いた。恋情を抜いても、心配にはなる。
 合宿の厳しいトレーニングに加えて自主トレ、さらに今みたいに家の仕事とやらがあるのだから、時間はいくらあっても足りない。睡眠を疎かにするのはよくないと手塚自身も思っているし、跡部だってそれは分かっているだろう。
「ありがとな。今日はもうこのまま休むぜ」
 心配しているという意図を酌んでくれて、跡部は口の端を上げる。手塚はホッとして、腰の辺りに抱えていたものを渡そうと口を開いた。
「跡部、手を出せ」
「なんだよ?」
 不思議そうにしながらも手を差し出してくる。この素直さはいささか危険すぎやしないかとも思うが、それは向けられた信頼の度合いかもしれない。
 ――――俺だから、……というのは、都合良く考えすぎだな。
 そう思いながらも、あの店で買ってきたぬいぐるみを跡部の手の上に乗せた。片手では落ちそうになってしまい、跡部は慌ててもう片方の手で支えた。
「…………なんだこれ」
「猫だ。多分」
 白い被毛のふわふわもふもふ。
「犬と熊もあったんだが、なんとなく猫にした」
 なんとなくというのは?かもしれない。その青い瞳が似ていると思って、この種類しか目に入らなかったのだから。
「いやそうじゃなくてだな……っていうかこれユキヒョウじゃねーの」
「そうか。似たようなものだろう」
「まあ猫科は猫科だけどよ……」
 猫ではなかったのかとじっとぬいぐるみを見る。黒い斑点は、そういう種類の猫なのだろうと解釈していたが、ヒョウだったとは。だがしかし、それならそれで、跡部に似合っていると思った。
「ベッドの硬さなどはどうにもならないだろうからな。少しでも、なんというか……リラックスできるようなものがあればと」
「アーン? そういやお前、今日の自由時間いなかったな……? もしかしてこれを買いに行ってたのかよ」
「気の利いたものでなくてすまない。アロマとかいうものもあったが、同室の者にも配慮しなくてはと不二が言っていたのでな。ふと目に入ったこれを購入した」
 自由時間にいなかったことを認識されているというのを、どう解釈したらいいものか。
 考えながらも顔には出さないようにして、猫もといユキヒョウをじっと眺める跡部を見つめた。
 跡部の金の髪とユキヒョウの白い被毛。黒い斑点と、同じ青の瞳。それは見事にマッチしていて、手塚の目を満足させた。
「存外に似合うな」
「似合ってどうするんだよ。嬉しかねえ」
「……気に入らなかっただろうか」
 確かに、男子中学生に贈るものとして正解ではなかったかもしれない。跡部は困ったような顔をしていて、気分が沈んだ。喜んでもらえるとは思っていなかったが、気に入らないのであれば押しつけるのも忍びない。
「いや気に入らないわけじゃなくてな、照れくさいんだよ。ガキじゃあるまいし、ぬいぐるみなんて……。でもまあ、よく見れば可愛いじゃねーの」
 跡部はハッとして、ぬいぐるみを隅々まで眺めている。やはりカテゴリとしては間違っていたようだが、眉間のしわは不快の現れでなく照れくさいだけだったのかと安堵した。
「よく見なくても可愛いと思うが」
 手塚は、自分で言って驚いた。可愛いと思う感情が、こんなにもするりと口をついて出てくるなんて。
 もちろん手塚が可愛いと思っているのはぬいぐるみでなく、ぬいぐるみを眺める跡部の方だが、この流れならば気づかれないだろう。うっかりとんでもないことを口走るところだった。
 気を引き締めなければと、唇を引き結んだ。
「フン、ありがたくもらっといてやるよ、手塚ァ」
 楽しそうに口の端を上げながら、跡部はユキヒョウの頭を撫でる。その手触りは手塚自身も体感していて、心地良いのだろうなとじっと彼の仕草を眺めていた。
「手塚、ありがとな。嬉しいぜ……本当に」
 優しい声色で名前を呼ばれる。こんな距離では、鳴った心音が聞かれてしまいそうだが、距離を置く選択肢はない。
 跡部は膝の上で大事そうにユキヒョウを抱えてくれていて、社交辞令で言ったのではないことが分かる。
 胸の奥の温かみが、じんわりと沁みだして、体中に広がっていくようだった。
「そうか……」
 受け取ってもらえてよかった。嬉しいと言ってくれて、こちらの方こそ嬉しくてしょうがない。口許が自然と緩んでいく。
 その時、右肩に何かが当たった。
 ――――跡、部……?
 肩に、跡部が寄りかかってくれている。手塚は目を瞠った。体が強張るところだったが、そうすれば跡部は離れてしまうだろう。どうにか落ち着けと何度も何度も心の中で言い聞かせる。
「十分経ったら起こしてくれ」
 言いながら、跡部は膝の上でユキヒョウをぎゅっと抱え直した。
 跡部、と心の中で名を呼ぶ。
 これは、喜んでくれたと解釈していいのだろうか。
「……分かった、一時間ほど経ったら起こす」
「ふ、ずいぶん長ぇ十分だ……」
 静かな呼吸が聞こえてくる。相当疲れていたのだろうと分かるが、跡部がこんなふうに誰かに寄りかかることをよしとするとは思っていなかった。
 思っていなかったからこそ、心が乱れる。
 その誰かに自分を選んでくれたことがこんなにも嬉しいなんて。
 氷帝学園の中で周りを束ねて引っ張っていく高潔な王に、こうして安らぐ場所を与えられる人は今までいなかったのだろうか。
 できることなら、自分がその位置にいたい。わずかな時間でもいい、寄りかかっていてほしい。
 手塚は跡部を起こさないように、そっと天井を見上げた。
 ――――好きだ、跡部。
 心の中で何度か繰り返した、恋の告白。音にはできやしないけれど、手塚にはそれで充分だ。
 ――――……好きだと、こんなふうに素直に思える日が来るとはな。
 胸が、じんわりと温かくなってくる。
 この男を自分のものにしたいと思うこともあるけれど、恋の情動はそんなに激しいものばかりでもないのだと、初めて知る。伝わってくる温もりと静かな呼吸が、穏やかな時間を連れてきてくれた。
 一時間。
 せめて跡部にわずかでも穏やかな眠りが訪れてくれるように祈りながら、手塚はじっと温もりを感じていた。


#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー

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情熱のブルー,塚跡WEB再録 2023.03.19

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 入れ替え戦(シャッフルマッチ)とトレーニングをこなして、昼食を挟んでまたトレーニング。 厳しい鍛錬…

情熱のブルー,塚跡WEB再録

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 入れ替え戦(シャッフルマッチ)とトレーニングをこなして、昼食を挟んでまたトレーニング。
 厳しい鍛錬ではあるが、インターバルとして自由時間も与えられており、この時間帯はおのおの好きに過ごしているようだ。
 手塚は財布とスマートフォンを持ち、合宿所を後にする。いつもならば、自由時間にも自主トレに励んではいるのだが、今日は用事ができてしまった。
「あれ、手塚珍しいね。街の方に行くのかい?」
「ああ。少し……欲しいものがあってな」
「ふうん。ボクも一緒に行っていいかな。被写体探しもかねて」
 不二は愛用のカメラを首から提げてそう続ける。詮索されそうで断りたくもあったが、訊ねたいこともある。手塚は「構わない」と返して、二人で歩き出した。
「不二。人がリラックスできる状態というのは、どういうものだろうか」
「うーん……過ごし慣れた空間とか、使い慣れたものがあるとかかな」
 跡部のことを気にかけているのだと分かっているだろうに、不二は詮索してこなかった。からかっているわけではないといつだか言っていたのは本当なのだなと、ホッとする。
 しかし、使い慣れたものの方がいいのかと眉が寄った。
 今からしようとしていることは、跡部にしてみたら余計なことかもしれない。おかしな気を遣われるのは自分だって嫌なのだから、跡部だってそうなのではないか。眠れないとほんの少し愚痴をこぼしただけで、他校の友人でしかない手塚が気を遣うのは、余計にストレスになりはしないだろうか。
「ショッピングモール行くんでしょ、何か良さそうなものがあったらでいいんじゃない? 手のマッサージしてくれるヤツとか、ああそうだ、ホットアイマスクとかね、そういうのもリラックスにつながると思うよ」
「そういうものがあるのか。すまない、礼を言う」
 自分が使わないものだと本当に疎い。テニス関連ならすぐに浮かぶのに、それ以外はさっぱりだ。
 自分がここまで不器用な人間だとは思っていなかった。跡部を好きにならなければ、気づかなかった部分だ。これを機に少しくらい改善できればと、前向きに考える。
 ショッピングモールに到着して、不二に案内を頼み雑貨屋へと向かった。男女比は女性の方が多いが、地元の子らしき同じ年頃の集団もいてホッとする。
 店に入ってすぐ、小さなサボテンが目に入った。
「不二、これ」
「え? あ、入荷したんだ。この前来た時なかったんだよね。よかった、買っていこう」
 不二も楽しそうに店内を見回っていて、なるほど癒やし効果というのは確かにあるのだなと手塚は思った。
 しかし跡部に贈るとなると、何をやればいいのかさっぱり分からない。ふわふわのタオルというのも味気ないし、マグカップなども愛用のものがあるだろう。そもそもリラックスできるものを探しにきたのだから、少し的外れだ。
「これは……」
 手塚はあるコーナーでふと立ち止まる。薔薇のような香りがしたせいだろうか。
 柔らかな香りに胸の辺りがじんわりと暖かくなる。傍のポップにはアロマでリラックスと書いてあった。
 いい香りだなとじっと凝視し、手に取ってみる。どうも焚くと良い香りの煙が出てくるらしいと知り、いろいろな香りがあるのだなと陳列棚を順に見やる。確かにこのコーナーを通るだけで良い香りが鼻を通り、気分も良くなるように思った。
「手塚、アロマはルームメイトに気を遣わなきゃいけないよ。自分だけの部屋ならいいだろうけど」
 決めてしまおうかと思っていた時、店を廻ってきたらしい不二が声をかけてきた。
「そうなのか」
「苦手な香りってのもあるしね。寮ではちょっと難しいんじゃないかな」
「なるほど。では他のものにしておくか」
 助かったと商品を棚に戻し、店を変えてみようとモール内を練り歩くことにする。
 跡部に何がいいか訊いてくれば良かったなとも思うが、あの男が素直に欲しいものを告げてくるとは思えない。そもそも欲しければ自分で手に入れるぜとでも言いそうだ。それはそれで跡部らしくていいが、こんな時は本当に困る。
「彼なら、何でも喜んで受け取ってくれるんじゃないかな。君が選んだものなら余計にさ。跡部って手塚のことすごく意識してるし。……ああ、なんていうかその、そういう意味じゃなくて」
「……プレイヤーとして一目置かれているのは理解している」
「だろうね、あからさまだから。……しんどい? 手塚」
 隣を歩く不二は、純粋に心配してくれているようだ。手塚は数秒だけ不二に視線をやり、そして正面に戻す。
「いや。アイツに対する感情は俺が勝手に抱いたものだ。そう思うくらいなら、とうに止めている」
 つらくないと言ったら嘘になるのだろうが、跡部景吾と同じ世界にいるという事実は、思いのほか手塚を救い上げてくれている。
 道が少しも重ならない世界ならば嘆いたかもしれないが、自覚しているように跡部にとって自分は気にかけるべきプレイヤーでいられている。
 ほんのわずかな時間でも、彼の思考の中にいられればそれでいい。
 その反面、自分のものにしてしまいたいという凶悪な感情もある。
 触れたい欲求を必死で抑えることの方が、しんどいといえばしんどい。そもそも自分の中にこんな欲望があるなんて思わなかったのだ。手塚は、思い起こしてしまったその欲を払うように、ふうーと息を吐いた。
 その時、ふと目になじむ青が横切ったような気がして立ち止まる。
 その青の正体は、瞳だった。ただし、人のものではなく人工的なものではあるのだが。
 陳列棚に、山みたいに積まれた、ふわ、もふ。
 ――――………………跡部に似ている……。
 それは、寝そべった格好のぬいぐるみ。
 白い体に、長いしっぽ。頭には可愛らしい耳がついていて、なんとも撫で甲斐がありそうだ。
 ――――猫、……か? ……猫だな。
 そのぬいぐるみの瞳は、跡部の瞳と同じ色をしている。跡部の瞳の色の方が深くて好みだが、今はそこを議題にするべきではない。
 手塚は棚にそっと歩み寄り、手を伸ばしてみる。
 見た目でも感じていたが、毛並みが良く触り心地が良い。ふわふわとしていて、柔らかすぎず、硬すぎず。
 そっと持ち上げてみると、少し大きいように思うが、圧迫感があるほどでもない。両手に乗るくらいだ。
 たらりと垂れるしっぽや、手……いや足の付け根の感触を確かめる。あまり小動物と戯れたことはないが、可愛らしいなと思った。
「……………………いいんじゃないの、それでも」
「そうか」
 抑揚のない声が耳に入るが、どういう感情からなのかは分からない。止めておけと言われないなら、別にいいのだろうと解釈した。これならベッドに置いても邪魔にならないだろうし、同室者に気を遣う必要もない。
 棚を見てみれば他に犬や熊もあったが、やはり最初に目に入った物の方が印象に深い。直感とでも言うべきだろうか。手塚はその〝猫〟のぬいぐるみを腕に抱き、レジへと向かっていった。
「プレゼント用ですか? ラッピングいたしましょうか」
「いえ、そのままで構いません」
 値段のついたタグだけ取ってもらい、店の袋に入れてもらう。自分用だと思われただろうかと視線を泳がせたが、ラッピングなど仰々しいことをされても困る。跡部が驚いてしまうだろう。
 さらに、「そんなガラじゃねえだろ」と笑われそうだ。いや、誰かにこんなものを贈るということ自体がガラではないのだが、これで少しでも落ち着けるといい。
「手塚って時々やることが突拍子もないね」
 店の外で不二が楽しそうな顔をして待っていた。否定はできないが、肯定もしたくない。その後本屋に寄り、モールを出ようとしたところで「相談に乗ってあげたんだから」とリンゴジュースを奢らされた。ついてきただけだろうがとは言ったが、アドバイスをしてくれたのは事実だ。なんだかんだで感謝はしている。「美味しい」と言いながらジュースをすする男も、なかなかどうしてしたたかなものだと思った。


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情熱のブルー,塚跡WEB再録 2023.03.19

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「手塚、それ美味しそうだね。まだあるかな」 朝食中、相席した不二が声をかけてくる。「俺が見た時はまだ…

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情熱のブルー-024-


「手塚、それ美味しそうだね。まだあるかな」
 朝食中、相席した不二が声をかけてくる。
「俺が見た時はまだたくさんあったが」
「そう、見てこよう。バイキング形式っていいよね。あ、英二おはよう」
「おっはよーん二人とも!」
 不二が腰を上げたのと同時に、菊丸が姿を見せる。同じ学校同士でテーブルを囲んでしまうのは、癖のようなものだろう。食堂を見渡せば、周りも同じようなものだった。
 そして手塚は、ある一点で視線を止めた。
 ――――……跡部……?
 当然ながら想い人である跡部なのだが、少し元気がないように見える。眉間にしわが寄っているし、体調でも悪いのかと心配になった。
「手塚、どうかした?」
「あ、いや、…………跡部の様子が少しおかしいような気がして」
 不自然に視線を動かさない手塚に気がついて、菊丸がバターロールを頬張りながら訊ねてくる。その言葉につられて菊丸も跡部の座るテーブルに視線を移したが、どうも分からないようだった。
「英二、どうしたの首なんか傾げて」
「うんにゃ~、手塚がさあ、跡部の様子がおかしいって言うから。俺全然わっかんない」
「へえ?」
 追加で食べ物を持ってきた不二も跡部へと視線をやる。同じ氷帝学園の忍足と席を共にしていて、こういう時同じテーブルで食事をするには、後どれくらい親しければいいのかと思うのと同時に、そんな至近距離では落ち着かないなとも思う。
「……眠そうだなって思うけど、気にする程でもないんじゃないかな」
「朝が弱いのかな~、意外だよね」
「そう、……だろうか……。しかし、氷帝のメンバーも半分になってしまったのだから、気分が沈んでいるのかもしれない」
 先日、メンタルの強化ということで同士討ちが繰り広げられた。ペアを組まされたためダブルスでの試合かと思われたが、そのペア同士でシングルスを行い、負けた者は合宿から退去させられている。
 青学からも、脱落者が出ていた。その点では、菊丸もダメージを負っているだろう。せっかくまた一緒にテニスが続けられると思っていたのに、大石と対戦して、勝利してここにいる。つまり大石は〝負け組〟だ。
 やはりしょんぼりとしている菊丸同様、跡部も目をかけていた者たちが強制退去となったことで気分が優れないのかもしれない。
「……」
 跡部がそんなことで立ち止まるような男だとは思っていないが、心配は心配だ。どうしても箸が止まってしまう。
「そんなに気になるなら、声かければいいじゃない、手塚」
 不二はそう言うが、こんな時なんと声をかければいいのか分からない。テニスしかしてこなかったせいか、他人とのつきあい方は不器用そのものだった。
 手塚は跡部の方を気にしながらも食事を終える。
 その頃には菊丸も不二も朝食を平らげていて、さあ自主練に行こうとトレーを整理し始めていた。
 手塚もそれに続き、ごちそうさまでしたと胸の前で手を合わせて腰を上げた。
 このまま返却口へと思ったが、不二はスタスタと跡部がいるテーブルの方へと向かっている。菊丸もそれに続いていた。
 ――――あ。
 遠回りではないかと返却口を振り向くが、彼はすでに声をかけている。止める暇もないし止めるにしても不自然だった。手塚はそわそわとした落ち着かない気分で不二たちを追いかける。
「跡部なあ、ベッドが硬い言うて寝られへんらしいで」
 呆れた様子で忍足が肩を竦めるのが見える。なるほどそれで寝不足なのかと納得した。深刻な状況ではないようで安心したけれど、寝不足は寝不足で心配ではある。
「跡べー、もしかしていつもは天蓋付きのおっきいベッドとかで寝てんのー? 贅沢じゃーん」
「いや、今は天蓋ついてねえが、俺様のベッドはキングサイズだぜ」
 今はというなら昔はついていたのかということや、キングサイズとはさすがだななどと、跡部景吾のベッド事情に聞き耳を立ててしまう。
 別にいかがわしい想像をしたわけでもないのに後ろめたくて、人知れず息を飲み込んだ。
「ああ……それならここのは狭いだろうね。二段ベッドだし。どうしようもないけれど」
「枕だけでもいつも使ってるヤツ送ってもらうとか? リラックス度が違うかもよ」
「枕か……枕ね。ありがとよ、少し考えてみるぜ」
 確かに、寮に備え付けのものよりは自分がいつも使っているものの方が落ち着くだろう。菊丸に素直に礼を言う跡部に、胸が鳴った。
 こんな些細なことで胸をときめかせておいて、隠し通せるのか。いや、隠し通してみせると手塚は小さく息を吐いた。
「跡部、入れ替え戦シヤツフルマツチは問題ないのか?」
 意を決して何でもないように声をかけてみる。跡部からは、いつもの「アーン?」と口癖のような煽りが返ってきた。
「この程度で俺様の前進は阻めねーぜ」
「そうか」
 それだけ言って、手塚は踵を返す。強気な笑みが見られただけでいい。弱みなど見せてくれないだろうし、それならば突き進む彼を傍で見ているだけだと、返却口へ向かった。不二と菊丸が、それを追ってくる。
「手塚ー、心配してたって言ってあげたらいいじゃん」
「本当だよね英二。せっかく気を利かせてあげたのに」
「……いらぬ世話だ、不二」
 本当かなあなどと返ってくるが、手塚はそれ以上問答をする気はない。
 不二に恋情を気づかれているのは分かるが、手を貸してほしいとは思っていない。何も知らない菊丸もいるのだから、本当に余計な世話だと眉が寄った。菊丸自身は何も気づかないようで、頭の後ろで手を組んでいる。
「でも、跡べーの気持ちも分かるなぁ~。いつもの部屋と違うし、おなじみのメンツってわけでもないし、……相棒いないし」
 眠れないよと、寂しそうに呟く菊丸の肩をぽんぽんと叩き、元気を出してと囁く不二。手塚も、今の部屋が落ちつくわけではないが、眠れないというほどではない。跡部が言うように神経が太いのか、他の連中が細いのか。
「大五郎持ってくれば良かったな」
「ああ、熊のぬいぐるみだっけ? ボクはサボテン持ってきたけど、何かリラックスできるものがあると違うよね」
「そうそう、一種のアニマルセラピー?」
「ぬいぐるみでもそう言うのかな……」
「じゃあぬいセラピーで」
「もうなんだか分からないね」
 笑いながら、不二たちは手塚を追い越していく。入れ替え戦シヤツフルマツチで気持ちが逸るのだろう。手塚は、なるほどと歩みを緩めた。
 リラックスできるようなものが跡部にもあればいいのだが……と食堂を振り向く。眉間にしわの寄った跡部の顔が思い浮かんで、家から何か送ってもらうより何か贈ってやった方が早いなと、他意なく思う。
 そうして再び正面に向き直ってから、顔の熱が上がったのを自覚した。
 跡部に何かやりたいと思ったのかと。
 眠れないのは問題だし、山奥とはいえ歩けば商店街やショッピングモールもあるのだし、送ってもらう時間を考えたらここで買った方が早いというだけだと、自分自身に言い訳をする。
 跡部家ならヘリでもなんでも使って最速で届けてくれるのだろうということは、意図的に考えないようにして。
 歩きながら、おかしなことではないだろうかと思う。跡部が悩んでいるなら力になりたいと思うのは、恋情を抜いても大切な友人なのだから普通の感覚だろう。誰かそうだと言ってほしい。
 恋にうつつを抜かしていたくないのに、跡部が傍にいすぎて感覚がおかしくなってくる。
 このままずっと共にいられたらなんて、できそうにないことさえ考える。
 まったく馬鹿馬鹿しいと軽く首を振って雑念を払い、自主練に向かおうといつものように足を踏み出した。


#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー

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情熱のブルー,塚跡WEB再録 2023.03.19

#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー

 U-17選抜合宿ということで、青学のレギュラー陣が招聘された。 手塚は正直、迷った。 行くべきか、…

情熱のブルー,塚跡WEB再録

情熱のブルー-023-

 U-17選抜合宿ということで、青学のレギュラー陣が招聘された。
 手塚は正直、迷った。
 行くべきか、それとももう一つの道を選ぶべきか。迷って、悩んで、結局選抜合宿に参加することになった。
 その理由に、氷帝学園も――跡部も一緒だということも関係していただろう。
 しかしよくよく考えてみれば問題ではないのか。朝から晩まで跡部と一緒の生活というのは、非常にまずい気がした。
 うっかり恋情に気づかれてしまったらどうしたらいいのかなどと、テニスに関係ないところで悩む。
 そういう自分がらしくなくて、苦虫を噛みつぶしたような顔をしたら、不二に指摘をされた。
「素直に喜べばいいのに」
「俺にそんなことができると思うか」
「いや思わないけれど」
 ならば言うなと軽く睨みつけて、合宿所の門を通り過ぎる。
 途中で高校生に絡まれて空き缶倒しなどやらされたが、バスで乗り付けた氷帝メンバーもやらされたのだろうかと思うと、おかしさがこみ上げてくる。
 手塚はもちろん一球ですべての缶を倒したわけだが、こういった試練がこの先もたくさんあるのだろう。気を引き締めていかねばと施設の方へと向かった。
 メンバーのふるい落としがあった後、合宿所の設備などを案内されて、素直に感心した。最新設備がそろっているのはありがたい。
「すごい設備だな。今日は合宿所の案内や説明だけで終わってしまいそうだ」
「そうだな。だが明日からはみっちりスケジュール組まれているんだろうぜ。一分一秒、無駄にはできねえ。さっき聞いた入れ替え戦シヤツフルマツチ、氷帝以上に実力主義ってことだ」
 隣を歩く跡部に独り言のようにも話しかけてみると、ちゃんと返ってくる。
「仮にテメェと当たっても全力で叩きのめさせてもらうぜ、手塚」
 挑発的に口の端を上げる跡部に、こちらとて同じだと返してやる。どこまでいっても挑み続ける相手であるというこの認識が、手塚には心地いい。恋情を抜いても、跡部景吾とはテニスでつながっていたい。
 自然に会話ができているといいのだがとちらりと見やりつつ、思う。
 なぜこの男は当然のように隣を歩いているのだろうか。
 氷帝のレギュラーメンバーもいるのに、引率などはいいのかと振り返るが、皆親しい者同士でいたり他校の者と言葉を交わしたりしているようだ。それならばいいかと手塚は大石を見やり、問題はなさそうでホッとした。
 正直、最新の設備や練習の進め方について跡部と話すのは楽しいのだ。使い方が分からないものがあっても、跡部が知っている。
「筋トレのマシンが充実しているのは、それぞれの体に合ったトレーニングをということだろうか」
「数は氷帝の方が多いが……あのラットプルダウン、いいな。脚の筋力は強化させてんだけど、背中の方がどうしても弱くなっちまう」
「ああ、青学も全体的に強化できるといい」
 それぞれが自校で行ってきたメニューを振り返りながら、今後どのように生かしていくか意見を交わせるというのは幸福だった。
 部屋割りが発表された時は、安堵八割残念さ二割だった。万が一にでも跡部と一緒だったらどうしようかと思っていたが、分かれて良かった。惚れた相手と同室など、眠れるわけがない。
 寝顔は見てみたいという気持ちはあるものの、劣情を抑えなければいけないという難題の前には負けてしまう。
 食事を経て、自由時間になった。何をしてもいいというのだから、やはりテニスしかないだろうと、手塚はラケット片手にコートへと向かう。
 雑念を振り払うにも、鍛錬のためにも、思いきり球を打ってこようと思った――のに。
 なぜそこに跡部がいるのか。
 彼もこの合宿に来て高揚感を抑えられないのか、すでにコートにいくつかのボールが転がっていた。雑念を払いたいのに、跡部がいては集中できない。いや、ここで集中してこそ己の鍛錬になるというものかと、手塚はラケットを握り直して跡部に声をかけた。
「熱心だな」
 跡部の肩がわずかに揺れて、ため息とともにラケットが下ろされる。きっと一人で静かに練習したかったのだろう。邪魔をしてしまったなと思うものの、ここは跡部の持ち物ではないのだから、手塚がいつ練習をしようと咎められる謂れはない。
「お前も自主トレか、手塚」
「ああ。やはりボールを打つのがいちばん落ち着くのでな」
「ハ、だろうな。悪いがラリーはできねえぜ。こっちに集中したい」
「構わない。隣のコートを使わせてもらうぞ」
 そう言ったきり、互いの間に会話は成されない。ただカゴにいっぱいのボールをサーブして、自分の神経を研ぎ澄まし技を練るのみだ。
 テニスに恋情など挟みたくないと思うのは本音なのに、どうしても跡部の動向が気にかかる。だから不思議に思った。いつもより球速が落ちているのと、キレがないように見える。
「何かあったのか?」
 サーブを打ち終えて、手塚はじっと跡部の背中を見ながら訊ねかけた。怪訝そうな顔をして振り返る跡部に、眉を寄せる。
「いつも自信たっぷりに打っているだろう。その覇気がなかったように思う」
「人の練習盗み見てんじゃねーよ」
「隣なんだ、嫌でも見えるだろう」
「……別に、大したことじゃねーよ。集中できてなかっただけだ」
 珍しいなと手塚は思った。跡部でも、集中できないことがあるのかと。打ち合っている時はいつも痛い程の視線と闘争心を向けてくるのに、何があったのだろう。
「…………何か悩みがあるなら、聞くが」
 跡部も人間だ、悩むことくらいあるだろう。自分のプレイスタイルのことか、氷帝の今後のことか、それとももっと別のことか。
 もし深刻な悩みでテニスに集中できないというのなら、力になってやりたい。
「解決してやるとは言えないが、少しでも軽くなのなら」
 そう思ってまっすぐに跡部を見つめたのに、彼はぽかんとするばかりだった。
 ややあって、項垂れて額を押さえる。その肩は震えているようで、手塚は眉を寄せる。
「っふ、はは、ククククッ……」
「……跡部」
 真剣に心配しているのに、笑うなんて。らしくないというのは自覚しているが、好きな相手の悩みを聞いてやりたいと思うのは、おかしな感情ではないだろう。
「いや悪い、だってよ、まさかなあ、お前がよ」
 跡部はまだ肩を震わせている。言わなければ良かっただろうかと口を尖らせるが、跡部が顔を上げて笑ってくれた。
「ありがとよ、手塚。その気持ちだけで充分だぜ」
「跡部」
 どうしてそんなふうに諦めたような笑みを見せるのだろう。胸が痛む。できることならこのまま腕の中に引き寄せてしまいたい。そんなふうに考えているとは欠片も思わないのだろうなと、気づかれないように拳を握った。
「テメェを煩わせるほどのもんじゃねーんだよ。テニスしか頭にねえ手塚国光に気にかけてもらえるなんて、俺は贅沢者じゃねーの」
 手塚の眉間のしわがさらに深くなる。テニスしか頭にないというのはほぼ間違っていないが、正解でもない。事実今、跡部景吾のことで頭がいっぱいだ。
「なぜ俺がお前を気にかけていないなどと思うんだ? お前は普段あれだけしたたかなのに、どうして俺のことになるとそうなのか分からない」
「なっ……」
 跡部の頬が上気したように見える。図星を指されたからなのか、自覚していなかったからなのか。手塚にはひとつ懸念があった。跡部が手塚に対して線を引いているように感じるその理由。
「まだ俺の肩のことを気にしているんじゃないだろうな」
「……それは」
 跡部はそれ以上言葉にしなかったが、肯定でしかない。
 この肩のせいで跡部と対等な存在として認識してもらえないというのなら、あんな試合しなければ良かったなんて少しだけ思った。
 それでも、肩のことがあったからこそ跡部と全力の試合ができたし、唯一の人として認識できたのだから、どちらが重要かと言えば答えは分かりきっている。
 この恋が叶わないことは分かっているのだから、せめて対等な存在として認識されたい。遠慮の残るような関係ではいたくないのに、これ以上何をどうしたらいいのか。
 跡部に対してこんなに気を揉むようになるなんて、と手塚は眉を寄せる。
 思えばあれから二か月ほどしか経っていなくて驚いた。
 もっとずっと長い間、跡部景吾という男に焦がれていた気がする。それほど急速に、確実に、恋情が体を、脳を支配する。
 それを表に出してはいけないと、手塚はわずかに唇を噛んで、そして告げた。
「お前とは常に競い合い、己を……互いを高めていけると思っていた。お前もそう思っていると感じていたのは、俺だけだろうか」
 卑怯な言い方だと思う。こういうところが傲慢だと言われる所以なのだろうが、それならばもっと傲慢なことを思って構わないだろうかと、手塚はじっと跡部を見つめる。
 対等でありたい。
 恋情があっても、なくても、この気持ちは本当だ。
 だが、跡部と同じ位置にまで降りる気はない。お前がここまで上がってこいと、その視線に強く詰め込んだ。
 視線を下に向ける跡部にどれだけ伝わっているかは分からない。彼は小さく首を振った。
「負い目に感じるのは、テメーに無礼ってことか。努力はしてやる」
「ああ、助かる。お前とは、良い友人でいたいからな」
 少しばかりの沈黙の後に、分かってると返ってくる。まだ完全に溶かしきれたわけではないようで、胸が痛んだ。
 ――――友人でいたいなどと、……嘘をつくのも慣れてきたな。
 いや、嘘ではないのだが、手塚がなりたいのは友人ではない。跡部にとって唯一無二のものになりたい。そこに恋が加われば言うことはないが、なんて絶望的な想いだろうかと苦笑する。
 跡部が隣でグリップを握り直すのを見て、目を瞬いた。
「まだやるのか?」
「ああ、足りねえよ」
 拾い終わった最後のボールをひょいと奪われて、不敵に笑われた。不覚にも頬が熱くなって、油断していたなと己を叱咤した。
「そうか、俺もだ」
 手塚もラケットを握り直せば、跡部は肩を竦める。
 以前よりはずっと気安くなったようにも感じられてホッとした。こうして傍にいるのだから、ゆっくりと対等な位置にまで昇ってきてくれればいい。
 急ぐことはない。そう思いかけて、留まった。
 いつまで傍にいられるだろうか。そんなに時間はないはずだ。
 本来なら色恋にうつつを抜かしている場合ではない。手塚はグリップを握った左手をじっと眺め下ろした。
「……そういえば跡部、一度訊きたかったんだが」
「なんだよ?」
「俺はお前に、プロになることを一度でも話していただろうか? 決勝戦の前、お前はなんの疑問も持たずに俺にプロになるんだろうと言っていたが」
 あの日、腕の負担になるなら止めろと、本気で怒った跡部を思い起こす。
〝プロになるんじゃねえのかよ!?〟と言われ、もちろんそのつもりだった手塚は肯定しかけたが、試合も諦めたくなくて、それにはなにも答えていなかった。
 どうして跡部はあの時、あんなことを言ったのだろうか。プロのチームから声がかかっていることを、跡部に言った覚えはない。
「そんなの、見てりゃ分かるぜ」
 フンと眉を上げて笑う跡部に、目を瞠った。
 見ていれば分かる――なんという信頼の強さなのか。言葉にせずとも分かるほど、見てくれているのかと、胸が熱くなった。
 ――――ここで何をしているんだ、俺は。跡部の傍にいるためにテニスを続けてきたわけではない。
 声がかかっているのに、なぜすぐ行動を起こさないのか。跡部ともう少し関わっていたいと思うのが恋情からくるものならば、なんて愚かなことをしているのかと思う。なんの疑問も抱かずに信頼を向けてくれる跡部に対して、不誠実なのではないか。
 プロになりたい。その思いは本当だ。
 だけど、今跡部との繋がりを断ち切りたくないと思うのも真実だ。
 跡部景吾という男に出逢わなければ、何の迷いもなく突き進んでいただろうに、悔しさが押し寄せてくる。
 それと同時に、鋭いサーブを放つ跡部への恋情が押し寄せてくる。
 どちらを取るべきかは分かっているのに、迷いが断ち切れない。
 選抜に残ることで、せめてその愚かさを払拭できればいいとボールを高く上げてサーブを打った。


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情熱のブルー,塚跡WEB再録 2023.03.19

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 今までの経験を元に、腕が治るまでは大人しく走り込みだけにしておいたおかげか、思っていたよりも早く痛…

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 今までの経験を元に、腕が治るまでは大人しく走り込みだけにしておいたおかげか、思っていたよりも早く痛みと腫れが引いた。医者にも行ったし、とくに尾を引くものではないようでホッとする。
 その日の夜、手塚は跡部に電話をした。メッセージでも良かったのだが、恋情は声を聞きたがる。腕の状態を告げると、向こう側からもホッとしたような吐息が聞こえた。
『じゃあ、明日空いてればどうだ。なんだか久しぶりな気がするぜ』
 約束のテニスだ。実際は最後に球を交わしてからそんなに日は空いていない。だがそれまで連日打ち合っていたことを思うと、久しぶりと言ってもいいのかもしれない。
「いいのか、跡部。お前も忙しいだろう」
『いや、構わねえよ。だが……お前こそ本当に大丈夫なんだろうな? 腕……あの時ひでぇ色してたが』
「問題ない」
『……てめぇの問題ないって言葉ほど信用ならねえもんはねえなあ?』
 苦笑が聞こえる。そこに信頼を置いてもらえないのは仕方がないような気がした。
『テメェは本当にテニスが好きだな』
 腕が治ってすぐにテニスがしたいだなんて、と続けられる。それは否定する気もない。しかし、間違ってはいないが百パーセント正解かというとそうでもない。
 テニスは好きだ。ただ、跡部とするテニスはそれと別のところで楽しくて、嬉しくて、幸福に感じている。跡部に出逢わなければ、腕が治っても一人でただ鍛錬するだけだっただろう。
「ああ、好きだ。それはお前も同じではないのか」
 どうか同じであってほしい。恋情でなくていいから、楽しいと思っていてほしい。
『……そうだな、俺様も同じだぜ』
 ゆっくりとした優しい声が返ってくる。ドキ、と胸が鳴った。
 たまにこうしてひどく優しげな声音になるのはどうしてだろう。そのたびにまた想いが大きくなるのを抑えられなくて、こちらは大変な思いをしているというのに。
「跡部、明日」
『ああ、分かってる。テニスしようぜ、手塚』
「楽しみにしている。……おやすみ」
 向こうからもおやすみと返ってきて、通話を切った。
 不自然ではなかっただろうか。おやすみとただその一言を言うだけでこんなにドキドキするなんておかしい。いや恋とはこういうものなのか。手塚は口許を押さえながら、細く息を吐き出した。
 耳元であんなに優しい声を聞いてしまっては、たまらない。ドクンドクンと大袈裟な音を立てる心臓を押さえ、息を飲み込むのに、少しも効果はなかった。
「…………っくそ、駄目だ……!」
 駄目だと分かっている。こんな不埒な感情は断ち切らないといけないのに、たった今聞いた吐息のような跡部の声に、欲望は治まってくれない。小さく呻きながら広くはない部屋を歩き回り、どうにか散らそうと試みてみたが、やはり無駄だった。
 ややあって手塚は諦め、ベッドに腰をかけて壁にもたれた。
 パジャマと下着のゴムを指先で押し上げ、手を忍ばせる。後ろめたさでどうにかなりそうだが、この欲を解放しないと眠れそうにない。脚を広げて自身を握り込み、ゆるゆると扱き上げる。
「……っ、う」
 頭の中に、跡部が浮かんでくるのはどうしようもない。自慰の最中に好きな相手を思い浮かべるというのは普通のはずだと言い訳をして、手塚は快楽を追った。
 涙で跡部の瞳が濡れる。額に汗が浮かび、金の髪が張り付く。
 頭の中の跡部は、実に手塚に都合良く乱れてくれた。気持ちよさそうにのけぞり、腰を揺らし、あられもない声を上げる。時には大胆に誘ってきたりして、こちらの方こそ食われているような感覚に陥った。
「跡部、跡部……っ」
 体液で濡れる雄を強く扱き、先端を擦る。びくりと腰が揺れて、膝が躍る。にちゅにちゅと響く淫猥な音と、自分の荒れた吐息と、頭の中の跡部の喘ぎが重奏になっていく。
 こんなことは駄目だと思うのに、どうしても止まらない。
「ふっ、う、ぅ……んぅ、あ」
 跡部に触れたい。跡部を抱いてみたい。
 その中をかき回して、自分の形を覚えさせて、散々に喘がせ、この欲を注ぎ込んでやりたい。
「あとべ……ッ」
 そんな凶暴な欲を、跡部にぶつけられるわけがない。
「あ、……っん、う……うぅ……ッは、ぁ」
 明日も逢えるのに、こんなことしたくないとふるふる首を振る。いや、明日逢えるからこそ、今欲を解放しておかないといけないのか。間違っても手など出したりしないように、一人で戦うべきなのだ。
 は、は、と荒い息を繰り返しながら身勝手な欲望を追い、やがて解き放つ。手のひらを汚す白濁とした体液が、跡部への裏切りのように思えて仕方がない。
「跡部…………すまない……」
 息が整うにつれて罪悪感と不甲斐なさに打ちのめされて、手塚は項垂れる。もっと傲慢になれれば、こんな時も気にしないで生きていけるのだろうかと唇を引き結んだ。それでも、傲慢だと言った跡部を連想してしまうことには変わりがないのだろうなと思う。
「本当に厄介な相手に惚れたものだな……」
 この恋はもう止まらない。叶わなくとも、なくなってしまうことはない。自分の世界に跡部景吾がいるということに慣れてしまった方が早いなと深呼吸をした。
〝お前は本当にテニスが好きだな〟
 呆れたような、嬉しそうな声が脳裏によみがえる。手塚は目蓋を落とし、そして持ち上げる。
「ああ、好きだ跡部。テニスも、……お前も」
 せめて誠実であろうと、何も否定しない。いつかこの気持ちが薄れる日まで、隠し通してやろうと改めて決意する。この胸についた火が消えてしまうことなんて、恐らくないのだろうと分かっていてもだ。
 手塚のたった一人の戦いは、激しく、密やかに、これからもまだ続いていくことだろう。対戦相手が跡部景吾であることを誇らしげに思いながら。


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情熱のブルー,塚跡WEB再録 2023.03.19

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 全国大会決勝戦。待ちに待った決戦の日だというのに、トラブルが発生した。試合に出場するはずの越前リョ…

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 全国大会決勝戦。待ちに待った決戦の日だというのに、トラブルが発生した。試合に出場するはずの越前リョーマがいないのだ。選手登録はどうにか誤魔化したが、試合となるとそうもいかない。
 ――――何をやっているんだ、越前。
 聞いたところによると、軽井沢で何が事故があったらしい。こちらに戻ってくる手段がないのか。ここまできて不戦敗だなんてとんでもない。メンバーがおろおろとする中、思わぬところから救いの手が差し伸べられた。
「事情は把握したぜ。ついてこい、桃城」
 それは、跡部景吾の手。何としてでも越前を連れて来てやると言い放つその声は、とても心強い。きっとヘリか何かで軽井沢に向かってくれるのだろう。試合を控えている手塚はどうしても離れられない。跡部の提案は、本当にありがたかった。決勝戦で不戦敗なんて無様な真似をするなという気持ちなのだろうか。氷帝を打ち負かして決勝まで来たのだから、確かにそんな真似はできない。それに、言葉にはしないが跡部自身が越前を気に入っているせいもあるはずだ。
 手塚が跡部を見やると、じっと力強く見つめてくる。それにこくりと頷いて、越前は跡部に任せることにした。
 彼なら必ず連れて帰ってきてくれるはずだ。根拠のない自信は、跡部景吾に対する評価の現れだろうか。
 かくして手塚は時間稼ぎのためにも試合に挑み、真田と長いゲームをすることになった。腕を――犠牲にして。
 使うなと言われていた。跡部が怒るのは目に見えていた。
 だけどここで終わらせたらいけない。当然、勝って全国制覇を成し遂げたいという気持ちが大部分だったが、跡部が越前を連れ帰ってくるまで持ちこたえたい――そんな思いもあったと思う。
 ――――跡部、俺は死なない。
 トスを上げる。青い空が目に入って、今ヘリで空を飛んでいるだろう跡部を思う。跡部のことを信じている。だから彼にも信じてほしいと願いながら、ボールをコートにたたきつけた。
 強引で傲慢なプレイだ。そう言われたことを思い出して、少しおかしくなってしまった。
 確かにそうだなと、真田からの返球を弾き飛ばしてアウトボールにして思う。
 ――――戻って来い、越前。お前が言ったんだ、できるということだろうと。
 少年の煽るような言葉に触発されて、新しい技を編み出したのだ。教えてやりたい。そしてまた、彼にも強くなってほしいと思う。次代の青学を背負う者として。
 肘の色が変わる。自分でも気味が悪い程だが、ここでやめるわけにはいかなかった。ベンチから「無茶だ」だの「もう止めろ」だの聞こえてくるが、聞こえているうちはまだ集中できていないということだなと、手塚はさらに意識を高めた。
 打つ。返される。はじき飛ばす。限界ではないのかと誰もが思ったことだろう。
 もうラケットを上手く握れないというところで、ネット上を転がったボールは、……手塚のコートに落ちた。
 負けてしまったなと残念には思うし、満足はしていないが、できるだけのことはした。これからまた研鑽をつまねばと、対戦相手だった真田と握手を交わした。「貴様とはもう二度と試合したくない」などと言われてしまって、やはり誰もが跡部とは違うのだなと心の中で笑う。
 ベンチに戻れば、跡部の姿が見えてほっとした。無事に連れ帰ってくれたらしい。――が、跡部の視線はやはり怒っていた。
「…………使うなっつったよなぁ、手塚ァ」
「了承した覚えはない」
「本気で怒ってんだよこっちはよ」
 観客席から手を伸ばし、ぐいと衿を引き掴まれる。至近距離で視線が重なって、この期に及んで高鳴る心臓に嫌気がさした。
「……どんな具合だ?」
 十数秒ほど、どちらも譲らないと視線を重ね合わせた後、先に口を開いたのは跡部の方だった。怒気の失せた声は怒気以上に心配そうな音色になっていて、ここで初めて悔やむ。怒らせたことより、心配をさせたことの方が胸が痛んだ。
「見た目ほどひどくはない。酷使したせいだろう」
「フン、その痛み忘れんなよ手塚。テメェの未熟さの証しだぜ」
「ああ、肝に銘じよう。跡部、それで、越前は」
 手塚が越前の名を出すと、跡部が一つ目を瞬いて眉を寄せる。その仕草に、嫌な予感がした。まさか、見つからなかったわけではないだろうと。
「連れて帰ってはきたぜ。……ちょっとマズイことにはなってるが」
「まずいこと? まさか、怪我でもしているのか」
「記憶がねえ」
 手塚は目を瞠った。記憶がないというのはいったいどういうことなのか。慌て、越前は今どこに? と視線で訊ねかけると、ぐっと強く腕を握られた。
「なにも覚えてねえみてえなんだ。テニスのことも、お前らのことも。気味が悪いくらい殊勝でな。……ああ、だが心配すんな手塚。あの生意気なルーキーが、そうそう簡単にテニスを忘れられるわけがねえ。試合見てりゃそのうち思い出すだろ。テメェは部長らしくどっしりと構えてな」
 トン、と胸を叩かれる。跡部の強気な笑みは心強いが、どうしたらいいのだろう。テニスのことまで忘れてしまっているなんて。
 視線を動かせば、焦りと不安に満ちた越前の傍に居る桃城が目に入った。
「手塚。……分かるだろ、お前はうろたえんじゃねえ。部長オマエの不安は、そのままヤツら焦りに拍車をかける」
 腕を引かれ、耳元でそっと囁きかけられる。それは言われなくとも理解していたつもりだが、改めて指摘されて身の引き締まる思いだ。
「……そうだな。跡部、礼を言うぞ。連れ帰ってくれて、助かった」
 今はともかく、越前を連れてきてくれた跡部に感謝をしたい。礼を言われるとは思っていなかったのか、跡部は目をぱちぱちと瞬いて顔を覆った。
「俺様にかかれば、こんなの朝飯前だぜ」
「こういう時はお前が財閥の御曹司なのだと実感するな」
「おい普段は」
「俺にとって跡部景吾は跡部景吾でしかないが」
 財閥の御曹司という意識はない。ただテニスに懸ける熱量が同等の友人であり、――想い人だ。
 本当のことを言ったつもりだが、跡部はどうしてか顔を覆ったまま項垂れてしまった。何か気に障ることでも言ってしまったかと思うが、告げた音は戻ってこない。怒られない限りは構わないだろうと思うことにした。
「テメェはちょっと……マジで発言に気をつけやがれ……」
 呆れたのか、脱力したような跡部の声が聞こえる。それには何も返さずに、越前が記憶を取り戻すのを待った。


 越前が、仲間やこれまで戦ってきたライバルたちとのテニスで、無事に記憶を取り戻しコートに戻ってきた。不動峰や山吹、聖ルドルフなど、各校の選手たちが自発的に協力してくれたのだ。ありがたいことである。
 その中には、真田や――跡部もいた。やはり跡部は越前を気に入っているのだなと、複雑な気持ちになったのが情けない。それとこれとは、話が別だ。跡部にも失礼だろうと、どうにか己を戒める。
 そうして越前は神の子と謳われる幸村精市に勝利を収め、青学の優勝が決まった。
 日本一だという動かしようのない事実に胸が躍る。そんなふうに笑うことがあるんだ、と不二に指摘をされ、緩んだ気持ちを引き締めた。
 だが、嬉しい。心の底からだ。諦めないでいてよかった。もちろん自分一人の功績ではないし、チームのメンバーに本当に恵まれた結果だ。
「よう手塚。全国制覇くらいで浮かれてんじゃねーぞ」
「浮かれてなどいない」
 表彰式が終わって解散というところで、跡部に声をかけられる。正直に言うと浮かれてはいたが、他人に指摘をされるのは面白くないのだ。しかも、全国制覇を逃してしまった好きな相手には。
「医者、ちゃんといけよ」
「ああ、分かっている。お前に怒られるのはごめんだ」
「腕が良くなったら連絡しろ。テニス、すんだろ?」
「……ん?」
 手塚は目を見開いた。跡部の方から誘ってくれるとは思わなかった。そもそもあの日の約束を覚えていてくれたなんて。手塚自身は負けてしまったが、条件通り青学は勝利した。また跡部とテニスができるのだ。
「なんだよ、忘れてると思ったか?」
「……いや、まあ……そうだな。それに、今回の試合のことでお前を怒らせ、心配をかけてしまった。誘ってもらえるとは思っていなかったんだ」
「心配させたの悪いと思ってんなら、テニスで返しな。テメェはどうあっても言うこと聞きやしねえってのが分かったぜ」
 仕方のないヤツだなんて呆れながらも笑う跡部に、なんと返せばいいのか分からない。極力無茶をしないようにはしようと思うくらいだ。それでも極力、だが。
「ただな、覚えておけよ手塚。俺はどのプレイヤーよりもお前を気にかけてる。一時の感情だけで死ぬんじゃねーぞ」
 息が止まるかと思った。死ぬんじゃないぞと言った彼にこそ殺されるところだったが、硬直した体をどうにか溶かして、「またな」と踵を返す跡部の背中を見送った。
 項垂れて、額を押さえる。
 ――――あ、の……男は……!
 彼は発言に気をつけろとは言うが、こちらの台詞だ。誰よりも気にかけているなんて言われたら、嬉しいに決まっている。してはいけない期待までしてしまう。
 手塚は軽く首を振って雑念を飛ばし、青学メンバーの元へ足を向けた。



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