- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.574, No.573, No.572, No.571, No.570, No.569, No.568[7件]
情熱のブルー-017-
全国大会一回戦。青学は、初戦の相手がいない。体力を温存しておけるという点と、オーダーを悟られないという点ではありがたかったが、メンバーは昂ぶった気持ちがどうにも抑えられなかったようで、最初から飛ばしてしまった。
ペース配分も大事だぞと指導はするが、勝ち進んだ安堵と喜びで、あまり真剣に捉えられていないだろう。
三回戦は明日行われる。手塚はコートをぐるりと見渡した。
――――氷帝は。
跡部が率いる氷帝学園は、コマを進めただろうか。心配はしていないが、番狂わせというものはあるものだ。事実、地区予選から何度も番狂わせは起こってきたではないか。そんな懸念を吹き飛ばすように、声がかけられた。
「よう、手塚。無事に勝ったみてえじゃねーの」
振り向けば、楽しそうに口の端を上げる跡部がいた。後ろには、氷帝のレギュラーメンバーもいる。向かってくるいくつもの挑戦的な瞳で、試合の結果を悟った。
「跡部か。そちらも同じようだな」
「アーン? 当然だろ」
相変わらず強気な発言にどこかでホッとする。恋情を認識してしまったけれど、跡部の方は何も気づいていない。このまま隠し通してみせると決意を新たにした。
この恋情はともかく、次はいよいよ対決だ。強豪同士の組み合わせと言うこともあり注目されているようだが、負けるわけにはいかない。
「手加減はしねえぜ」
「こちらの台詞だ」
空中で視線が絡み合う。跡部を好きになってしまったことと、テニスとは、別の次元だ。彼がテニスに入れ込んでいる以上、まったくの別次元というわけでもないのだが、勝負は勝負。昨日までの打ち合いとは違う。
このやりとりだけを見ていれば、とても連日打ち合っていた仲だとは思われないだろう。後ろにいる不二がほんの少し考え込んでいるようだったが、跡部との自主トレを知っているからだろうと位置づけた。
「それはそうと、大石の手首そんなにひどいのか? なんなら医者紹介するが」
跡部は顎でクイと大石を指す。手塚は驚いた。まさか対戦校のメンバーを気遣うとは思っていなかったのだ。とそこまで思って、考え直す。手塚の左肩のことだって、随分と思い悩んでいたようなのだからと。
周りが跡部景吾についていきたがるのは、何も天性のカリスマ性だけではないのだなと、今さら思う。こうして何でもないように周りを見る力を慕われているのだろう。
「いや、それには及ばない。気遣いだけもらっておこう」
「そうかい。大石、早く完治することを祈ってやるぜ」
「あ、ああ、うん、ありがとう……?」
しかし跡部景吾はどこまでいっても跡部景吾だ。上から目線なのは変わらない。大石も、対戦校の部長からというのに戸惑っているようだった。もともと仲が良かったわけでもないのにだ。それは不思議がるだろうなと、手塚はそれ以上跡部と何も言葉を交わすことなく歩き出した。
「跡部のあれ、相当な余裕があるのか、元々の性質なのか。ちょっと驚いたな」
「試合に出られないメンバーにとはいえ、まさか対戦校の選手に労いをかけるような男だったとはね。少しデータを書き換えておくか」
青学のレギュラー陣も、跡部に対する評価が徐々に変わりつつあるようだ。
それはやはり、関東大会のあの試合があったからこそだろう。あんなにがむしゃらな跡部を見られたのは、幸運だ。コートの外ではあんなに必死になることはないのだと思うと、テニスがしたいと腕がうずく。
「手塚も驚いたんじゃない? 印象、ガラッと変わったよね」
「………………そうだな。球を交わすことが多くなるにつれて、第一印象との乖離が大きくなっていくようだ」
不二の笑いが意味深に見えるのは、気のせいだろうか。気づかれないようにと気を張っているから、疑わしく見えてしまうのかもしれない。知られていい想いではないのだ、抑えなければと、手塚は前だけを見据えた。
「え、球を交わすことが、って……? リハビリから帰ってきた日だけじゃないのか?」
あ、と小さく息を吐く。不二が知っているからと言って、油断してしまった。跡部と連日逢瀬もとい打ち合っていることは知られないようにしていたのに、これでは自分で暴露してしまったも同じだ。恋情を抑えるのに必死で、他のことに頭が回らなかった。
「うん、手塚ね、毎日跡部と打ってたらしいんだよね。一応止めたんだけど」
不二がダメ押しに口にしてしまう。部員たちの驚嘆が耳に煩わしかった。こうなることが目に見えていたから、黙っていたというのに。
「待て待て手塚。なんで跡部と」
「毎日あの人と打ってたんすか。俺も行きたかったな」
「お前は単純でいいよな越前」
「なんすか桃先輩」
「手塚、大丈夫なのかい? 肩の具合とか、あとはプレイスタイルのデータとか」
純粋に疑問を投げてくる大石と、純粋にテニスをしたがった越前と、純粋に呆れ返る桃城と、純粋に心配をしてくれる河村と。反応は様々だったが、良く思われていないのは一目瞭然だった。
「すまない皆。俺のリハビリもかねて跡部に相手をしてもらっていた。どうもあちらが負い目に感じているようだったのでな。なんともないと示すためには、それしかなかったんだ」
左肩に視線を移し、そこそこリアルな理由を探した。嘘は言っていない。跡部がこの肩のことを負い目に思っているらしいのは分かったし、あのままでいたらずっとわだかまりが残る。あの男との間に、そんなもの挟みたくなかったのだ。恋情を抜いても、跡部とは対等な関係でいたい。
「負い目に感じるくらいなら、最初からやんなきゃいーのに」
「恐らく、跡部にも予想外だったんだろう。手塚が退かずに挑むというのは」
「でも、さすがっすね……あの跡部、さん……と連日打てるって、相当な気力っていうか、持久力がいるんじゃ」
「本気で打ち合っているわけではないが。あの日の試合のようなことにはならないだろう。この先ずっと」
むぅと口を尖らせる菊丸に、乾が眼鏡の位置を直しながら呟く。どこか遠慮がちに見やってくる海堂に、手塚は静かに返した。
「あれは俺にとって、……恐らく跡部にとっても、無二の試合だ。再現などできない」
「手塚、お前……」
じっと左手を見下ろす。何度も頭に思い描いた、あのシングルス1。日差しの強さまで思い出せる。
考えてみれば、あの時からもうすでに跡部景吾に惹かれていたのかもしれない。
「明日の試合で当たってもっすか」
越前が、挑発するように覗き込んでくる。この小さな少年の負けん気の強さは、どこか跡部に似ていた。
「いや、明日俺は跡部とは当たらないだろう。俺たちも向こうも、勝つためのオーダーを組んでいる」
どよめきが起こる。この予感は外れていないはずだ。そして、手塚の希望でもある。残念だが、個人の感情を優先している場合ではないのだ。勝って次の試合に進むには、自分は跡部と戦うべきではない。少なからず驚いている次代の柱に、すべてを託そう。
「越前。跡部は強い。油断せずに行こう」
彼の相手はお前だと暗に告げてやれば、越前は一つ瞬いて真剣な表情になり、次いで楽しそうに口の端を上げた。全国大会という大舞台でさえ、この少年は楽しむつもりでいるのだと思うと、心強かった。
「……厄介な相手だね、これは」
「俺もそう思うよ、不二……」
大石と不二が、視線を合わせる。菊丸や河村がそれに同調し、二人が大きなため息をついたのだが、明日の試合のことを考え始めた手塚の耳には入らなかった。
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情熱のブルー-016-
そんなことを考えていたせいだろうか。打ったサーブを跡部にスルーされた。返せないコースではなかったはずだ。眉間にしわを寄せたら、ネットの向こうの男は腰に手を当てながらこちらを睨みつけてきた。
「止めだ止めだ、手塚ぁ!」
「……なぜだ」
「なぜだも何もあるか。テメェ全然身が入ってねえじゃねーの。そんなヤツと打ったって意味がねえぜ」
ラケットを下ろし責め立ててくる跡部に、見透かされた焦りと苛立ちが、手塚のラケットをも下ろさせる。
「お前に言われたくはない。今日は、逢った時からおかしかった」
「なっ……」
そう指摘してやれば、跡部はカッと頬を赤らめたように見えた。手塚はわずかに目を見開く。今の言葉のどこに、頬を染める要素があったのか。見間違いかとも思ったが、レンズ越しに見る彼の顔は、赤い。
「俺様のことはどうでもいいんだよ! テメェそんな調子で明日からの全国は大丈夫なんだろうなぁ!」
誤魔化すようにラケットで指される。手塚にとってはどうでも良いことではないのだが、気分は削がれてしまった。
「問題はない。俺自身はな」
そう返しながら、ベンチへと向かう。気がかりはなにも跡部のことばかりではない。
明日からの全国大会、思い描いていたメンバーでないのはやはり、まだ納得しきれていないのだ。
「あ? ……なんだよ、青学のヤツらに何かあったのかよ。おい手塚」
追って、跡部もベンチへとやってくる。怪訝そうな顔に、不安が混じっているのが見て取れた。彼も、ライバル校には全力であってほしいのだろう。手塚は悔しげにぐっと拳を握った。
「大石が……試合に出られない」
「怪我か? そういや関東大会も……ウチ相手に急造コンビでやりやがってくれたな」
跡部が苦笑する。その急造コンビに氷帝自慢のダブルスが敗れてしまったことを思い出したのだろう。手塚はそれに頷いた。
跡部がひとつ瞬き、気の毒そうにわずかに視線をずらす。その視線は、手塚の左肩に向かっていた。
「そりゃ……悔しいだろうな。練習中に痛めたのかよ?」
「いや、子どもが産まれそうな妊婦さんを助けた時にらしい。手首では、致命的だ」
すぐに治ると思っていたが、その予想は外れてしまった。痛みがどれほどのものか手塚には分からないが、自ら怪我が治っていないと示してくるあたり、根深いのだろう。
無理をして試合に出て、相棒である菊丸に迷惑をかけるわけにはいかないと思ったに違いない。
「なんだそりゃ……。大石らしいと言えばらしいのか。だがな手塚。そんな情報を俺様に教えちまっていいのか? 黄金アのオーダーはないってことだろうが。テメェに部長っていう自覚はあんのかよ」
跡部は隣に腰をかけ、揶揄するようにも投げかけてくる。
部長としての自覚というのは不二にも言われたが、誰よりもあるつもりだ。対戦校の部長とこんなふうに打ち合っていて言えることではないかもしれないが、青学テニス部を束ねる者として大会に臨む自覚と誇りは持っている。
「……どうせすぐに知れ渡るだろう。それに、跡部のところと当たるのは順当に行けば日程的には明後日だ。対策はできる」
「ああ……偵察か。氷帝はセキュリティ的に無理だが、そっちは入り込み放題だろうしな」
「大石が納得している以上どうしようもないんだが、やはりベストメンバーで臨めないのは悔しいな。俺などより、ダブルスを組んでいた菊丸の方が無念さや憤りは大きいだろうが……もしかしたらそれが、先ほどのプレイに現れていたかもしれない。すまなかった」
そればかりが理由ではないけれど、せっかくの貴重なトレーニング時間を割いてくれている跡部に、不誠実だった。
思い悩んでいることを、この時間にぶつけるべきではなかったのだ。呆れられてしまったかもしれない。
「いや……いいさ。それだけテメェには重要なことなんだろ。メンバーを大事にしてる証拠じゃねーの」
だが跡部は呆れるでも怒るでもなく、静かな瞳で見つめてきてくれる。
すべてを受け止めて包み込むようなその凪いだ瞳に、手塚はゆっくりと瞬いて、正面に向き直ってこくりと頷いた。
ほんのわずかなやりとりの中で、メンバーを大事にしているなどと言われてしまって、胸の辺りがむずがゆい。
言葉にしたことはないし改めて考えたこともないのに、跡部の言葉はするりと入り込んでそこに落ち着いてしまう。自覚していなかった心の機微を拾い上げて、それでいいのだと肯定してくるのは、懐の広さなのか、余裕なのか。
跡部景吾の器の大きさを改めて認識したような気がする。
――――……俺は、この男を抱いたのか。夢の中で。
昨夜の生々しい夢を思い出す。指先に、髪の先に、鼻先に口づけたあのいっそ悪夢のような時間。
――――そうか……。
手塚はそっと目蓋を落とした。
――――もういい、認めてやろう。どうやら俺は、お前のことが好きらしい。
諦めにも似た思いだった。
恋情より先に劣情をはっきりと認識してしまったことが情けないが、どちらにしろ延長線上にあるのだ。先か後かは関係ない。
手塚国光は、跡部景吾に恋をしてしまった。
ずっと跡部のことが頭から離れなかった理由が分かった。顔が見たいと思ったのも、連絡先を知りたいと思ったのも、すべてこの感情につながっていたのか。
答えを明確に自覚して安堵するのと同時に、後ろめたい。
ライバルとして接してくれているのはさすがに分かる。肩のことを心配してくれるのも、発破をかけるように言葉を投げかけてくれるのも、好敵手として認識しているからだ。
それなのに、こちらは不埒な想いを抱えてしまった。跡部に知られたら、テニスにそんな感情を持ち込むなと張り倒されそうだ。
純粋にテニスを楽しみたい。もっと強くなりたい。高みへ、頂点へ。
そう思っているのは確かに本音なのに、恋情など抱いてしまった自分が不甲斐ない。
ちらりと想い人に視線をやれば、どうしてか頭を抱えていた。
「……どうした、跡部」
頭を抱えたいのはこちらの方だと思いながらも声をかけると、ため息にまじって「なんでもねえよ……」と返ってくる。手塚は跡部のように、些細な言動から読み取ることなどできやしない。何か悩みがあるのかと聞いてやりたいが、この男が簡単に弱みを晒すとは思えない。
それは彼の強さでもあるし、まだ跡部の信頼を勝ち取っていない証拠でもあった。
――――歯がゆいな……。だがこれ以上親しくなるわけにはいかないだろう。跡部には、眼力で見透かされそうだ。
たったあれだけのやりとりで、自身でさえ気づかなかった根幹を見抜いてきたのだ。手塚の中の恋情など、すぐに気づいてしまうだろう。それは避けたい。
これが女性であれば、想いを告げていたかもしれない。テニスが第一であることから交際は難しいかもしれないが、想いだけは知っていてほしいと。そうした方が、いつまでも思い悩むよりテニスに集中できそうな気もした。
だが、相手が跡部景吾では駄目だ。何をどうしたって、受け入れられるはずがない。
こちらをライバルとしてしか見ていない男が初恋の相手だなんて、難題過ぎる。いっそプロになる方が楽な課題ではないかと思うほどだ。
いくら跡部でも、同性にこんな想いを抱かれているなど、気持ちのいいものではないだろう。整った顔をしているし、他にも似たような想いを抱いている男もいるかもしれないが……と、そこまで思って、腹立たしさで止めた。
跡部をよく知りもしない男がそんな感情を抱くんじゃないと、自分自身よく知りもしないのに身勝手なことを考える。
もっと知りたいと思う反面、これ以上跡部景吾という男を知りたくないとも思う。何を知ろうと、恋情に加算されてしまうからだ。拒絶されるのが目に見えているのに、これ以上想いが大きくなるのは避けたい。この想いを知られることも避けたい。上を目指していくだろう跡部を煩わせたくないとも思う。
ならば、隠し通すしかない。生涯をこの距離で、好敵手としてやり過ごしてみせる。
それが唯一、初めての恋に対してできることだ。
手塚はゆっくりと息を吸い込み、同じ量だけ吐き出した。
「なかなか上手くいかねえもんだよなぁ、手塚ぁ」
ぼそりと呟く声が耳に届く。大会のことだろうか。ベストメンバーで臨めないことを指しているのかもしれない。
「そうだな。だが、上手くいきすぎてしまったら、それは自身の成長を止めることになってしまうだろう。俺は……青学オレたちは、必ず乗り越えてみせる」
「同感だが、勝利をいただくのは俺が率いる氷帝だぜ」
「いや、負けるわけにはいかない」
「ククッ、負けず嫌いなライバルを持って嬉しいぜ。俺様の進化の糧にしてやるよ」
ライバルだと、明確に言葉にされてしまった。それは嬉しくもあるし、恋に気づいた今はむなしくもある。まったく上手くいかないものだ。
だが、したたかに笑いながらラケットを握った跡部に胸が躍った。
「手塚、もう一ゲーム付き合いな。俺様も気合いを入れ直すぜ」
「ああ、俺から言おうと思っていたところだ、跡部」
まっすぐに向かってくる不敵な視線を見つめ返して、改めて確信する。
――――好きだ。跡部。
馬鹿馬鹿しいほどに、感情のすべてが跡部に向かっていく。
テニスに懸ける想い、初めての恋、ともに高みへと向かう衝動。
サービスを譲られて、打ったボールはエースを取られた。きっとどこかで加減してしまったのだろうと己を叱咤しながら、高揚してくる気分を球に込める。夕焼けの色が、燃える炎のようだった。
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情熱のブルー-015-
「いよいよ明日だね」
「ああ、油断せずに行こう」
明日からの全国大会、出場するレギュラーメンバーは決定した。
桃城は関東大会の際にレギュラー落ちした悔しさをバネに、しっかりと心身を創り上げてきたし、菊丸も持久力を高めた。海堂や乾、越前、河村も、それぞれの技をさらに磨いてきた。もちろん、涼しい顔をして隣にいる不二周助もだ。
しかし、手塚には気がかりなことがあった。
「……大石のこと、気にしてるのかい、手塚」
「…………そうだな」
治りきっていない怪我を抱えたヤツを出すわけにはいかないと、大石は肩の故障を乗り越えた手塚に挑んできた。そうして、自身の手首の怪我が治りきっていないことを皆の前で示したのだ。
そうされてしまっては、大石をメンバーに加えるわけにはいかない。気持ちとしてはどうあれ、ごり押しすることは部長としてもできなかった。
「ベストメンバーで臨めないのは残念だよ。英二、大丈夫かな……」
「大石と菊丸のことは、俺たちが口を挟むべきではないだろうな。ダブルスのパートナーというのは、他より絆が深くなる」
片付けをしている部員たちを見守りながら、手塚は眉間に深くしわを刻んだ。
大石が出られないとなると、青学最強の黄金ゴールデンペアのオーダーはなくなる。それはかなりの痛手だが、パートナーとして過ごしてきた菊丸の悔しさは、中学最後の大会を欠場せざるを得ない大石の無念さは、そんなことよりもずっとずっと深いのだろう。
自分に何ができるだろう。
いや、何もできない。せめて大石が会期中に復帰できることを祈り、勝ち進んでいくしかない。
「気持ちを切り替えて挑むしかない。不二、お前も明日に備えて自身の調整をしておいてくれ」
「うん、もちろん。ボクだって負けるつもりはさらさらないからね」
涼しい顔をして不敵なことを言う。確かにこの男が負けるところは想像がつかないなと、手塚は無言で頷いた。
「君はこれから自主練かい?」
コートの片付けを見守り、部員たちがちりぢりに帰宅していくのを見届けた後は、それぞれ明日のために気持ちや体の調整を行う。リラックスできる環境で、体に無理のないよう過ごすというのは、竜崎スミレの方針でもあった。しかし不二は、手塚がこのまま帰るつもりではないことを見抜いている。
「ああ。この後、跡部と打ち合う約束をしている」
「…………え? 跡部と?」
馬鹿正直に暴露してしまった。不二は目を見開いて驚き、絶句しているようだった。
それはそうだろう。全国大会が明日へと迫ったこの大事な時に、対戦校の部長とテニスだなんて。
「ちょっと待ってよ手塚。跡部とって……どうして……だってリハビリから帰ってきた日もだったんじゃないの」
「そうだな。良く思われないのは理解している。俺もお前の立場だったら、なぜだと問いかけただろう」
初戦は氷帝ではないとはいえ、勝ち進めばすぐに当たる。そんな状態で連日テニスをすれば、問題にもなってくるだろう。疲労という話ではない、プレイスタイルを体感されてしまうのだ。それが勝敗に影響し、命取りになるかもしれない。
もともと仲の良い相手と研鑽を積むというのならまだ話は分かるが、跡部とは親しくなどない。ここ数日でようやく人並みに会話をするようになっただけの相手だ。
「データを抜かれるようなヘマはしない。というか、そのリスクはお互い様なんだ」
ヘマはしないと口にして、言葉に詰まりそうになった。昨日跡部が放った言葉と同じだったせいだ。そんな些細なことにさえ反応してしまうのは、昨夜見た夢のせいだろう。
後ろめたい。この後逢う約束があるのに、用事ができたと言って反故にしてしまいたい。顔を合わせづらくて仕方がない。
「あえて言うけど手塚、部長だっていう自覚はある? 規律を乱すなって言う君が、まさかそんなことをしてるなんて。みんなに示しがつかないんじゃないのかな」
「………………そうだろうな」
このまま、今日は逢えないと連絡してしまおうか。不二の言うように他の部員たちに示しもつかないし、明日に備えてたまにはゆっくり休養するのも手だろう。
だけど、スマートフォンを取り出してみても指先が動かない。アプリを立ち上げて履歴から数文字打って送信するだけだというのに、少しも動いてくれない。
――――……逢いたい……。
逢うまいと思えば思うほど、その気持ちは大きくなっていくようだ。
手塚は潔く諦めて、『今から向かう』とだけ送信した。
元々昨日した約束だ。守りたい。跡部に用事があるならまだしも、おかしな感情がわき上がるからとこちらから約束を破ることはしたくない。すぐに既読の印がついたことに、胸が鳴る。『俺もこれから行くぜ』と短く返されて、口許が緩みかけた。
「えっ……」
「すまない不二。約束なんだ」
他校の部長との逢瀬。手塚は責められる方を選んで、足を踏み出した。
「手塚っ、ちょっと待っ……うそ、よりによって……」
目を見開いた不二が、戸惑ったように言葉を発していたが、振り向くつもりはない。止められたところで、この足は約束の場所に向かっていくのだから。
テニスがしたい。その気持ちだけでいい。一歩踏み出すごとに逸る心臓のことなど、考えないでいいはずだ。
顔が見たい。声が聞きたい。名を呼んでもらいたい。
そんなおかしな感情は、胸の奥底にしまい込んでいなければ。
明日から大会が始まるのだし、跡部とのテニスはウォーミングアップのようなものだ。手塚は無理やりそう考えて、眉間にしわを寄せながら歩いた。
跡部より先に着いてしまったようで、あの目立つ姿が見えなかった。少し落ち着く時間ができたと思おうと、深く息を吸い込む。跡部を前にして、普通でいられるだろうか。
――――あの夢は忘れよう。いや、忘れなければならない。誰にも言えないものなど、良いことであるはずもないんだからな。
吸い込んだ息を吐き出して、まだ頭の中に残る夢を一緒に吐き出す。もともとそう性欲の強い方ではないと思っていて、あんな夢は自分が望んだものではない。
よりにもよって跡部を性の対象にするなど、赦されることではないだろう。知られたら、絶対に張り倒される。いつも通りにしていなければ、跡部の眼力によって見透かされてしまう。
「ま、待たせて悪いな、手塚」
そんなことを考えているうちに、跡部が来た。どこかでホッとしたが、おかしいとも感じてしまう。
「いや……俺も今来たところだ」
この違和感はなんだろうと、じっと跡部を見つめる。そうして気がついた。声をかけられてこれまで、視線が一度も重ならない。
いつもは鬱陶しいくらいにまっすぐ見つめてくる瞳が、伏せた目蓋に隠れていたりあさっての方向を向いていたりと、跡部らしくない。
何かあったのかと訊くべきなのか、それとも何も気づかない振りをした方がいいのか。つい先日連絡先を交換しあったばかりの間柄とは、どこまで踏み込んでいいものだろう。
「何してんだ手塚、ぼーっとしてると俺が勝ちをさらっちまうぜ」
それでもラケットを握ればいつもの跡部景吾になっていて、手塚は目を瞬いた。
「そう簡単にできると思うな、跡部」
手塚もラケットをぐっと強く握り、跡部からのボールを受けるためにコートで構える。黄色いボールが空を切る音が、徐々に手塚の神経を研ぎ澄ましていくようだ。
このボールを、明日は誰が受けるのだろう。憎たらしいほど返しづらいところに打ってくるこの球を、誰が、どれほど真剣に跡部に返すのだろう。
今回の大会で、跡部と試合をすることはないだろうと、手塚は予感していた。チームとして勝ち進むためには、不要な組み合わせだ。全国大会に出られるのは本当に嬉しいが、望む試合ができないのは歯がゆい。
怪我で出られない大石にしてみたら、パートナーを欠いた菊丸にしてみれば、なんて贅沢で傲慢なことかと思うだろう。
彼らは今どうしているだろう。部長として、もっとしっかり話を聞いてやるべきかもしれない。だが彼らのことは彼らに任せた方がいいのではとも思う。
人の心の機微というものは複雑だ。ただでさえ表情が表に出にくいのに、自分が出しゃばっても、いいことにはならないかもしれない。
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情熱のブルー-014-
手塚はその朝、文字通り跳ね起きた。
ドッドッと大きな音を立てる心臓を押さえ、驚愕に震える吐息を、手のひらで覆う。
「なん、だ……今の」
今見た夢が、とてもじゃないが信じられない。そもそも夢は忘れてしまうことの方が多いのに、やけに鮮明に脳裏に焼き付いている。感触さえ思い出せた。
じわりと汗が浮かび、パジャマが張り付いて不快だ。だがそんなことを気にしている場合ではない。
ひどい夢を見たものだ。
不快、というわけではない。ぬるつく下着は不快に思うものの、驚愕の方が大きい。手塚は視線を泳がせる。
「なんで……こんな夢を」
くしゃりと髪をかきまぜて、じっと手のひらを見下ろした。そこに残る感触は生々しく、だが現実ではない。
どうして、と呟く。
どうして、――跡部景吾を抱く夢なんて。
あれは確かに跡部だった。あんな顔の人間が他にいてたまるものか。
彼が夢に出てくること自体は問題ない。昨日も一緒にテニスをしていたから、あまりにも楽しかったから夢に見た、とでも言ってしまえる。だが、自分たちは夢の中でテニスなどしていなかった。
頬に触れて、くすぐったそうに笑う跡部に口づけて、抱きしめて体のラインをなぞる。唇は首筋をたどって、手のひらが素肌をなでた。跡部は抵抗のひとつすらせず、それどころか両腕をこちらに伸ばして誘ってきさえした。
それをいいことに、押し倒して組み敷いて、体の全部に触れて、気持ちよさそうにのけぞる跡部の中に欲望を打ち込んで放った。
紛う事なき性行為だ。
――――跡部のことが好きなのかもしれないというのは、まあ、……………………どうにか認められるとしても、まさかこんなことまで……。
ひとつの仮定として根付いてしまったその解は、いよいよ現実味を帯びてくる。不可解な感情というわけではない。手塚自身が認められないでいるだけだ。
同性ということに加えて、ともにテニスに情熱を懸ける相手というのがどうにも面倒くさい。初めてそこまで共有できた情熱を勘違いしているのだと何度言い聞かせても、最終的にそこへとたどり着いてしまう。
手塚にはそれが釈然としないのだ。
恋などしていないと思うたびに、跡部景吾は内側に入り込んでくる。いっそ憎たらしいほどの存在感に、辟易としてしまう。
そして同時に、むずがゆい。
浮かんでくるのは跡部の様々な表情だ。手塚はテニスをする中で、表情を隠すことまで覚えてしまったが、彼は正反対だ。もっと違う表情も見たい、もっと近くで接したいと思うのは、やはり恋だと認めなければならないのだろうか。
しかも、こんな夢まで見てしまうのだから。
なんだか負けたような気がしてならない。何に、と明確に言葉にはできないが、それを感情として認めてしまったら、世界が百八十度変わってしまいそうだ。
それが少し、怖い。
例えば跡部のことを好きなのだとして、変わらずテニスができるのだろうか。
トスを上げるその姿に、容赦なく打ち返してくるその様に、勝つのは俺だという強気なその笑みに、視線を奪われやしないだろうか。今でさえ時折危ういのに、恋になったら平気でいられるのだろうか。
いや、そんなわけはない。
純粋に、貪欲にテニスをしていたい。
跡部景吾との間に、こんな不埒な感情を挟みたくはない。
あの日初めて知った跡部の熱量を、こんなことに巻き込んでしまっていいわけがない。
手塚は項垂れて額を押さえ、唇を引き結ぶ。
どうしても跡部の顔が浮かんでくるせいで、目蓋は閉じることができなかった。
ひとまず今日は普通に接さないといけないと、大きなため息をつき、汚れてしまった下着をどうするかと思考をスライドさせた。
すべて洗い流して、何もかもなかったことにしてしまいたい。
昨日見た跡部も、一昨日見た跡部も。残るのは、あの日のがむしゃらな跡部だけでいい。
顔を覆えば、彼の得意技インサイトのようなポーズになってしまって、もうどうしようもないのかと眉間にしわを寄せた。
家族が起き出してこないうちに、着替えて早朝ランニングにでも行ってこようと、ようやくベッドを下りる。今日逢うまでに、どうにか落ち着かせなければいけない。ただの好敵手を夢で抱く劣情など、あっていいものではないのだから。
手塚はそれまでにあった余計な感情をそぎ落とすかのように、パジャマを脱いだ。
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情熱のブルー-013-
鼓動が速くなったのが、どういう理由からなのか考えたくない。考えないようにしようとすればするだけ、隣に座る跡部の存在をまざまざと感じてしまっていけない。
――――これは本格的に良くない……。
眉間にしわを寄せて目蓋を伏せた手塚をどう誤解したのか、跡部が面白そうに指摘してくる。
「何小難しい顔してんだ、手塚ァ。……ははーん。さてはテメェ、俺様を憂さ晴らしに使ったのが後ろめたいんだろ」
「…………憂さ晴らし……?」
何を言っているのだこの男は、と手塚は跡部を振り向く。
憂さ晴らしのつもりで跡部を呼び出したわけではない。ただ思いきりテニスがしたくて、相手が彼しか浮かばなかっただけだ。物足りないと思ってしまう胸の隙間を埋めてくれそうなのは、跡部しかいなかった。
おかしな感情に振り回されそうになるだろうことを、分かっていてだ。
「うまくいかねえからって、お前は表に出すわけにもいかねえだろ。まあよりにもよって対戦校の、しかも俺様を使いやがるとは大したもんだが」
「跡部、俺は」
ただの憂さ晴らしだなんて思われたくない。ではどう思われたいのかと言えば、答えにしたくない。
跡部に逢いたかったなどと言おうものなら、熱を疑われるかもしれない。そもそもが自分でさえこの感情を理解しきれていないのに、跡部に理解されてたまるかと妙な意地がわき上がる。
そういうつもりではないと言いかけたのに、それは跡部の愉快そうな笑い声で遮られる。
「いいじゃねーか。お前には俺がいる。俺にはお前がいる。憂さ晴らしでも練習台でも、好きにしろよ。それで強くなったテメェを、俺様が打ちのめすってわけだ。楽しいじゃねーの!」
跡部がパチンと指を鳴らすけれど、手塚は楽しいか楽しくないかを考える余裕などなかった。
本当にこの男は何を言い出すのだ。互いに互いがいるという宣言は、まるで情熱的な告白のようだ。跡部にそんなつもりがなくても、俺にはお前がいるなどと言われてしまえば、誤解されてもしょうがないのではないだろうか。
彼はいつもこんな調子なのだろうか? と面白くない気分にもなった。
しかしともかく、宣戦布告されてしまえば受ける他にない。相手が跡部なら不足はなかった。
「俺は負けない」
手塚は眼鏡を押し上げながらそう返す。不敵な視線をよこされて、負けじと強く視線で押し戻した。ベンチの上、互いの真ん中で視線が絡み合う。
――――なるほど。確かに俺には跡部がいて、跡部には俺がいるのだな。
その視線の交錯は、先ほどの跡部の言葉を如実に物語っている。安堵と闘争心が混じり合ったような、妙な気分に駆られた。
「どうする、手塚。決着ついてねえが」
視線が外れないまま、跡部の声が耳に届く。すぐ傍のコートは自分たちを待ってでもいるようだ。
「そういえばそうだったな。お前さえ良ければまだ打っていたいが、…………いや、やはりやめておこう」
手塚も視線を逸らさないままに返しかけたが、ふと思い留まった。
跡部はそれを不満に思ったのかわずかに眉を寄せ、それでもからかうような口調で指をさしてくる。
「なんだ手塚ァ、俺様に弱みを見せちまって恥ずかしいってか? これ以上ボロ出さねえようにしねえとな?」
「そうではない。弱みを見せてしまったことは恥じてもいるし謝罪もするが、終わりそうにないと思ったからだ」
物足りないと思い悩んだ身勝手さを晒してしまった。それこそ、よりにもよって跡部景吾にだ。
羞恥心というか不甲斐なさもあり、そんなことに付き合わせてしまったことには一言言わないといけないだろうが、やめようと言い出したのはそんな理由からではない。からかうなと強い視線で睨み返してやった。
跡部とこのまま続けていたら、いつ終わるのかちっとも分からない。そもそも、終わらないからきりの良いところでインターバルを挟んだのだ。次はいつになることやら。
「アーン? 終わりたければ、全力出してやろうか? 俺様はまだあの日の半分も力を出しちゃいないぜ」
「そんなのは、ボールを受けている俺がいちばんよく分かっている」
それは本当のことだ。長いラリーになっても、強烈なスマッシュを食らっても、あの日とは比べものにならない。
素直に受け止めてやれば、跡部は面食らったように目を瞬いていた。
「今は日が長いといっても、あまり遅くなると家族が心配する。お前のとこだってそうだろう」
「あぁ……まあ、……そーだな」
二人でそろって立ち上がり、沈みかけた陽を眺める。珍しく歯切れの悪い言葉は、どこか寂しそうに感じられた。
そのせいだろう。絶対にそうなのだが、もうやめておこうという提案を撤回したくなってくる。本当ならば、いつまでも打ち合っていたい。しかし自分にも、彼にも、帰る家があるのだ。
「暗くならないうちにお前を帰せる自信がない」
「……あァ?」
残念に思う気持ちが、その言葉にため息を混じらせる。跡部が落としたラケットが、カランカランと音を立てた。それを拾い上げて渡してやり、続ける。
「お前と打ち合っていると、終わりたくないと思うことが多々ある。決着をつけたい思いと、このままラリーしていたいと思う気持ちがごちゃ混ぜになるんだ」
「…………手塚、お前……、俺が女でなくて良かったな……。女相手にそんな台詞吐こうもんなら、誤解されるぞ」
跡部の頬が、心なしか赤く染まって見える。
今の言葉のどこが――と思いかけて、ハッとする。〝暗くならないうちに帰せる自信がない〟と言ったあれか、と。それはつまり本当は暗くなっても帰したくないと言っているのと同じだ。確かに跡部の言う通り、誤解をされかねない。
「……誤解をされた経験でもあるのか、跡部」
手塚自身にその発想はなかった。誤解されるという可能性をすぐに思い浮かべるあたり、跡部はこんなことには慣れているのだろう。面白くない。
「ねーよ! 俺様がそんなヘマするわけねえだろ!」
「そうだろうな。跡部なら、上手く立ち回るのだろう。俺には誤解させるような親しい女性はいないし、今はそういったことを考えないようにしている。テニスに集中したいんだ」
手塚は、どちらかというと自分に言い聞かせるように跡部に返す。
テニスに集中したい。跡部に恋をしているかもしれないなどとは考えたくない。どれだけ胸が高鳴っても、どれほど体の熱が上がっても。
――――俺は恋などしていない。
「今日はもう帰ろう」
「あぁそーだな……テメェといると本当に疲れるぜ……」
「そうか、それはすまない」
こちらの台詞だと言ってやりたいが、そうしたらなぜだと突っ込まれそうで恐ろしい。
跡部とこうしてテニスをして過ごすのは楽しいけれど、それと同じくらいに疲れる。胸が高鳴るのを否定する理由を探し続けなければいけない。
「跡部、明日また逢えるだろうか」
だけどそれを無視してでも、取り付けたい約束があった。逢いたいわけじゃない、テニスがしたいだけだと心の中で言い訳をして、跡部の言葉を待った。
「テニス、……だよな」
先ほどの誤解されかねない言葉のせいか、跡部が妙な間を開ける。テニス以外に何をするのだと言ってやりたい。
失敗したなと手塚は思った。跡部に対して特別な感情でもあるのではないかと思われたらたまったものではない。だからあえてそれに気づかない振りをして、なんでもないように返した。
「ああ、青学の練習が終わってからだが」
「同じ時間、ここでいいか」
まだどこか警戒しているような表情だったが、手塚は頷く。本当に、跡部とはテニスをしたいだけなのだ。夜遅くまで語り合いたいだとかそんな気は一切ない。
明日の約束を取り付けて、気をつけて帰れとバッグを担いで踵を返した。何事か文句らしきものを言っているのが聞こえたが、相手にしないでおこうと素知らぬふりをして。
今日も有意義な時間が過ごせた。腹の中にくすぶっていた物足りなさは充分に解消できたし、期せずして身勝手な不満を理解されてしまった。
――――跡部が、ここまで人の心の機微に聡いとは思っていなかったな。気分が晴れたのは、アイツの的確で忌憚ない指摘のおかげなのだろう。
家に向かって歩き出しながら、跡部のことを考える。薄々気づいていた身勝手な不満は、ここで吐き出さなければ積もるだけだっただろう。鬱憤が溜まって、良いプレイができなくなる可能性だってあった。
己を律することも鍛錬のうちだと思ってはいるが、気分が晴れたということは、ストレスでもあったのだと今になって気づく。
〝いいじゃねーか。お前には俺がいる。俺にはお前がいる〟
冷静になって考えてみれば、ものすごい台詞だ。誤解させるなと言う跡部の方こそ、言動に気をつけた方がいいのではないだろうか。こんな、相手を唯一みたいに扱う言葉なんて、帰せる自信がないと言うよりもずっと情熱的ではないか。しかもそれが様になるのだから困りものだ。
胸が高鳴るのを止められない。顔が火照っているのに気づいても、早く跡部から距離を取ることの方が先決で、隠していられなかった。
ただそれと同じだけ、距離ができるのを寂しく思う自分がいるのに気づいてもいた。
明日も逢うというのに、たった少し離れただけで何を考えているのだろう。
速かった歩調を緩めて、手塚は跡部と打ち合ったコートの方を振り向く。さすがにもう見えやしなかったけれど、目蓋の裏に浮かんでくる。今日も目一杯丁寧に返球してくれたあの男のしたたかで華やかな笑み。
「明日も、逢える……」
そう小さく呟いて、正面に向き直って再び足を踏み出す。つい数日前まで考えられなかったことだ。こんなに頻繁に逢うようになるなんて。テニスがしたいと言って、すぐに予定を合わせてくれる好敵手。
明日も、同じほどの熱量でテニスができる。その貴重な幸福を思って、知らず口の端が上がった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
情熱のブルー-012-
「すまない、練習中だっただろうか」
『いや、一応は終わってるぜ』
「今から打てないかと思ったんだが」
声は震えていない。言う言葉も間違っていない。
うっかり「今から逢えないかと」などと言おうものなら、世界が変わってしまう。テニスがしたいだけだと心の中で言い訳を繰り返す。
『アーン? 今からって……テメェ、昨日の今日で言うか、普通』
やはり驚かれてしまった。というか、呆れられてしまっただろうか。跡部なら、テニスがしたいと言っても笑わないでくれると思ったのだが、どうにも決まりが悪い。
『昨日のじゃ満足できなかったってか? そんなに俺様とのテニスが恋しいのかよ』
耳元で聞こえる声に、カッと熱が上がった。
ある意味で満足はした。だが別の意味では満足していない。結局跡部のリードで終わってしまったからだ。だからその続きをしたいに過ぎないのに、恋しいなんて言われたくない。それが真実のようになってしまいそうで怖かった。
何も言わないでいると、『仕方ねーな』と笑うような吐息が聞こえてきた。
『屋外のコートでもいいか? 予約しておく』
「どこでも構わない。テニスができるなら」
じゃあ後でと通話を切って、手塚はその場で項垂れた。声を聞くだけでなぜこんなにもそわそわするのか分からない。嬉しいと感じているのか、胸の辺りがくすぐったいし、まだ場所の連絡も来ないのに足を踏み出しそうになる。
好きかもしれないという思いが、現実味を帯びてきた。
テニスができるというだけなのに、こんなに浮かれる理由が見つからない。
いや、確かにテニスができるのは嬉しいが、跡部でなくてもこんなにそわそわするだろうか。
いったいどんな顔で今の電話を受け、仕方ねーなと申し出を受け入れてくれたのだろう。楽しそうな顔だったろうか。それとも優しげな顔だろうか。傍で見たかったというのは、どうにもおかしなことだ。
ややあって、コートの場所が送信されてくる。氷帝からも、青学からもほど近い中間点。
自分に都合の良い場所で構わないのに、わざわざ中間点を指定してくるあたりが憎たらしい。
手塚は一番早く着けるルートを確認して、足を踏み出した。
早くテニスがしたい。その思いだけで充分だと、どこか罪悪感めいたものを抱きつつも。
「終わらねえ、じゃ、ねーの」
お互いの荒い吐息が空気を揺らす。昨日の続きから始めたはいいものの、長いラリーからの取っては取られてを繰り返し、ちっとも勝負がつかない。
長く続けられるのはいいが、これでは無駄に体力だけが消耗されてしまう。手塚のサービスに移ったところで、トトンとボールを止めて手塚も呟いた。
「終わらないな」
「少しインターバル挟むか?」
「ああ、そうした方がいいだろう」
今は夏真っ盛りだ。日差しも強く、ここら辺で休憩を挟んでおかねば危ない。集中すると周りが見えなくなるというのは、あの日の試合で分かった。時間も水分不足も気にせずプレイしていたら、熱中症になってしまう。
したたり落ちる汗を拭う跡部の姿に視線が釘付けになって、ハッとして目を背けた。
ベンチに腰をかけて、汗の処理と水分補給を行う。距離が近いのは落ち着かないが、それでも昨日触れた温もりに比べたらなんてことはない。まさか自分の人生で、跡部景吾の隣にいて落ち着かないなどということがあるとは思わなかった。
気づかれないようにしなければ、跡部はまたおかしな誤解をするだろう。手塚はゆっくりと呼吸をして、冷静にいつも通りを装った。
「肩、本当に大丈夫みてーだな」
「……ああ。お前と長いラリーを続けられるくらいだからな。なぜあれが拾われるのか分からんが、大会にもちゃんと出られる」
「なんで拾われるって、そりゃこっちの台詞だぜ。フン、憎たらしいくらい絶好調かよ」
パタパタと手で仰ぐ跡部を見やり、絶好調と言われる程でもないような気がするがと、心の中で思う。
それでも、部活よりは打ち込めた。部活より打ち込んでしまったことが、不甲斐ない。本来打ち込むべきは、部活での練習の方ではないのか。部長として率いている以上、そうするべきだ。自覚が足りないのかと、情けない気持ちにもなった。
「……なにかあったかよ?」
そんな気持ちを見透かすかのように、跡部が声をかけてくる。
「……なぜだ」
「絶好調ってわけでもねえみてぇだな? 俺様とテニスをしてるってのに、辛気くせえツラしてやがるじゃねーの。今は引き分けだからな、負けて悔しいってわけじゃねえだろうが」
手塚は驚いて跡部を振り向く。気づかれるとは思っていなかった。
したり顔で見つめてくる跡部に胸が鳴りそうになって、手塚はふいと顔を背けた。
「悟られるとは思っていなかった。俺は分かりづらいとよく言われるんだが」
「ククッ、俺様の眼力を見くびってもらっちゃ困るぜ。アーン?」
なるほどと手塚は目を瞬く。相手の弱点を見抜くという彼の眼力は確かにすごいものだ。それは魔法などという非現実的なものでも、インチキという矮小なものでもない。実際に弱点を見抜かれた手塚にはそれがよく分かる。隠しても無駄かと、小さく息を吐いた。
「昨日お前に言われたことを思い出していた」
「アン?」
「俺のプレイは傲慢だと言っただろう。意識したことがなかったが、そうなのだろうなと思う」
視線を俯ける。跡部は昨日、貶しているわけではないと言っていた。だが褒めているわけでもないと。認識してしまったこの傲慢さは、どうやって昇華していけばいいのだろうか。
「今日、青学のメンバーと練習をしていて、物足りないと感じてしまった。怪我で皆に迷惑をかけてしまった俺が、こんなことを言えた義理ではないのに」
膝の上で、拳をグッと握りしめる。自分がこんなに身勝手だとは思わなかった。ただテニスで上を目指したいという欲だけで生きていけたらいいのに。
「青学のメンバーじゃ、練習相手にならないってか?」
跡部の口にした言葉に、体が硬直した。ベンチの背に肘をかけてこちらを振り向いてくる跡部の口許には、笑みが浮かんでいたけれど、それは苦笑いのように感じられた。
「ま、テメェは口には出せねえだろうな。それが真実だとしても」
「跡部」
「ヤツらが弱いと言ってるんじゃない。それでも自分が強くなるための練習相手にはなり得ねえんだよ」
諌めるために、もう一度跡部の名を呼ぶ。否定できないのが歯がゆい。確かに自分は傲慢だと、改めて思う。眉間に刻まれたしわが、深さを増した。
「皆、それぞれに頑張っているんだ。追いついてこいなどとは言えない。個性もあるし、俺が敵わない部分だってある」
お前は傲慢だと責められるのは分かる。だが、青学のメンバーに対しての誤解だけは解いておかねばならない。言い訳でも、その場しのぎのでまかせでもない。レギュラー陣は手塚とは全く異なるプレイスタイルの個性的な選手ばかりだ。手塚が彼ら相手に本気になれないことと、彼ら個人の能力は全く別のことだと強く言い放つ。
「そこが分かってんならいいだろうが」
すうっと、何かが脳天を突き抜けていったような気がする。それは強い衝撃ではなく、まるで靄もやだけが引き抜かれていったような感覚だった。
「力の差もそうだが、お前は青学を率いる立場だ、手塚。強いというだけで務まるもんじゃねえ。下のヤツを指導するってのは、時には自分の鍛錬を犠牲にしなきゃならねえ時もあるだろう」
跡部の表情が、硬いものに変わる。彼自身にも覚えがあるのだろう。
自分の技術向上を捨てて、次の世代を育てなければならないというのは、痛いほどに分かる。自分だけが強ければいいというわけでもないのだ。
「俺のとこは、下剋上だっつって分かりやすく俺を倒したがるヤツも、虎視眈々と頂点を狙ってるヤツもいる。お前のとこは、いねえのか?」
「青学は、そういうのはないな……。強いて言うなら、越前だろうか」
分かりやすいのは、ルーキーである越前リョーマだ。
能力を隠しながらというなら乾や不二もだろうが、彼らの本気はまだ見たことがない。
大石は副部長として支えてくれるし、菊丸はテニスでトップを目指すと言うよりはいかに相棒と長く楽しくできるかの方が重要そうだ。河村は青学で無二のパワープレイヤーだが、自分自身の向上に専念しているように見える。桃城と海堂は、頂点を目指すと言うよりは互いに相手に負けたくないという思いの方が強いのだろう。越前リョーマは、いっそ清々しいほどに負けん気が強い。だからこそ、青学の柱になれと彼に言ったのだ。
「あーなるほどアレね。ククッ……でも、アイツを育てたいって気持ちが大きいだろ」
跡部が軽く肩を震わせる。手塚はややあってそれに頷いた。
「今までは育てる側で、後は一人で練習してたんだろうが、俺との試合で欲張りになっちまったんだよ、テメェは」
楽しそうに口の端を上げながら跡部は続けた。手塚は不思議な気分に陥る。なぜそんなことを、よどみなく言ってこられるのだろう。
その言葉の一つ一つを頭の中で反芻して、手塚は跡部を振り向いた。
「なぜ」
「アン?」
「なぜ分かるんだ。言われて考えてみたが、的を射たもののように思う」
部長という立場上、周りを育てていかねばならない。それに不満はなかった。ないと思っていた。だけど、試合で初めてと言っていいほどがむしゃらになったことで、欲が出てきてしまったというのか。
跡部は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにふっと苦笑気味に口角を上げた。
「俺も同じだからだよ」
「お前も?」
「テメェのせいだぜ、手塚」
その言葉が意味するところが、分からないわけではない。
つまりは跡部も、手塚との試合で貪欲になってしまったということだ。
それはなんだか、嬉しくて照れくさい。跡部景吾の中に、手塚国光という存在が刻まれているのか。
手塚は小さく「そうか」としか返せなかった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
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手塚の予想通り、試合の相手は樺地だった。対戦相手のプレイをコピーする能力は本当にすごい。その上パワーもあり、器用な選手だと思っていた。
このオーダーに跡部の思惑がどれだけ絡んでいるかは分からないが、少しも関わっていないわけはない。やってくれるな、と唇を噛みたかったが、そんなことより勝つことだけを考えたい。
――――俺は負けない。次の試合に進むのは俺だ、跡部。
雨が降る。ひどい降りになってきて、グリップを濡らす。予報通りではあるが、こんなに強い雨になるとは思っていなかった。だが審判のストップがかからない以上、ゲームは続いている。
跡部はベンチで、自軍の勝利を信じている。サーブ権が移ってボールを握っていると、突き刺さらんばかりの視線を感じた。ぐっと唇を引き結んで集中する。体が熱くなるのは、目の前の勝利を渇望しているせいだ。跡部の視線を受けているせいではない。
テニスは、テニスだ。
そこに他のどんな感情も挟みたくない。ラケットを振り抜いて、雨を切る。思い描いたラインとわずかにずれて眉を寄せた。
樺地の重い打球が返ってきて、受け止める。いつもと違うインパクト音が、集中力を削いでいくようだ。だが、負けるわけにはいかない。
恋情を認識してしまったからこそ余計に負けられない。恋にうつつを抜かして負けたなどと、誰が許すものか。自分自身が、いちばんに許せない。
跡部景吾は恋をするに値する男だが、だからといってテニスを疎かにはできない。したくない。
跡部がテニスに懸けている想いも知っているから、こちらも同じ熱量で打ち込む。
「なんか……関東大会とは別の意味で鬼気迫るものがあるっすね……」
「自分の技コピーされてさえ冷静なのに、熱いっていうか、すげえゾクゾクする」
あれが青学の部長なのかと囁くベンチ。
雨はより激しさを増して、眼鏡に水滴が張り付く。だが構っている暇などなかった。集中だ、と心の中で呟いて、グリップを握り直す。樺地も、濡れて滑る手をユニフォームで拭っている。よし、と手塚は小さく頷いた。樺地の能力は本当にすごいが、危うさもある。
関東大会でもそうだった。打ち合い合戦に発展して、結局はノーゲームになったのだ。すべてをコピーできるとは思わない。自分自身の技ならば天候にも左右されず予期せぬ出来事にも対処できるだろうが、コピーでそれは無理だ。
案の定、樺地は雨天の中では他人の技をコピーしきれず、手塚は勝利を収めた。
氷帝ベンチを見やれば、鋭く睨みつけてくる跡部景吾の姿。それはふいと逸らされて、ずきりと胸が痛む。あくまでもライバル校の部長としてしか見てもらえていない。それが分かるから、勝利を収めても手放しで喜ぶことができなかった。
次のダブルス戦は、雨のため次の日に持ち越しとなってしまった。モチベーションを保つのが大変になってくるが、この雨ではどうしようもない。負けん気の強いメンバーは氷帝を挑発し返していたが、決定は覆らない。
跡部が、ゆっくりと歩み寄ってくる。ラリーしていた時のような気安さは一切なく、ただこの大会を勝ち進むための矜持が彼を包んでいるように見えた。
「明日まで生かしておいてやるぜ」
すれ違う際、そう投げかけられた。まるで悪役のそれだ。馴れ合いは必要ないと言わんばかりの視線で、ここ数日のやりとりはなかったかのように振る舞われるが、挑発のつもりならば無駄なことだぞと言ってやりたい。
手塚はもう、跡部の優しさを知っている。真摯さを知っている。
どれだけ乱暴な言葉を吐こうが、胸の奥の炎は消えはしないのだ。
だが、こちらも部員たちの手前親しく言葉を交わすわけにもいかない。すれ違った跡部の背中をじっと見つめて、唇を引き結ぶだけに留めておいた。試合の決着がつくまで、自分たちはあくまで対戦校の部長同士でしかないのだと。
――――心臓が痛い。面倒くさい相手を好きになってしまったな……。
跡部でなければもっと楽だったかもしれない。間にテニスがなければ、もっと恋に身を燃やせたかもしれない。
だけど自分たちの間にテニスがない状況など想像もできなくて、苦笑するしかなかった。
テニスがあったから跡部景吾を知れた。テニスを通して跡部景吾に惹かれた。それは否定しようがない事実だ。手塚は、テニスに懸けてきたこれまでを二重の意味で感謝に値するものだと思った。
すべてを懸けられるものに出逢った。初めての恋を捧げる相手を見つけられた。
想いを告げることはないだろうが、この感情をどうにかコントロールして傍にいたい。テニスでつながっているという事実が、不謹慎にも嬉しかった。
中断を経て翌日に持ち越された試合、シングルス1。
幾度も、幾度も、自分があのコートに立っていたいと思った。また強さを増した越前とも球を交わしたかったし、さらに技が磨かれた跡部ともボールを打ち合いたかった。
腕が揺れて、そのたびに拳をぐっと握る。テニスがしたいという純粋な思いと、跡部と打ち合いたいという不純な恋心が交互に、時には同時にやってくる。どうやって抑え込めばいいのだろう。
長いタイブレークになった。関東大会で手塚と繰り広げた試合よりも激しい応酬だ。
固唾を呑んで見守るベンチの部員たち。ポイントを取れば歓声が上がり、点を取られれば悔しがる。ただ、手塚の耳にそれは入っていなかった。
ぐっと拳を握りながら、ただ二人の間を飛び交うボールを追う。越前の小さな体を追う。跡部の揺れる髪を追う。
――――跡部……!
真剣な表情に惹かれる。必死な顔に心が揺れる。
部長として越前の勝利を信じ願わなければならないのに、がむしゃらにラケットを振るうこの二人の試合を、いつまでも見ていたいと思った。それは奇しくも、関東大会で周りが思っていたことと同じだった。
こうしてコートの外から見ていると、跡部がどれだけの努力をしてその位置にいるかが分かる。一朝一夕でつく技術ではない。
何よりも、どんなボールにも食らいついていくメンタルの強さは見習いたい。勝つことへの執念がオーラとなって見えるようだ。
氷の王とは言うが、とんでもない。逆に熱すぎるくらいだ。
心臓が締めつけられる。大事な試合の最中にこんなことを考える自分が嫌で嫌で仕方がない。青学の勝利だけを考えろと何度も心の中で言い聞かせるのに、厄介な恋情が邪魔をしてくる。
だけど、この感情を不要なものとはしたくない。
跡部景吾を好きになったことを、余計なものだとはね除けて、彼の価値を下げたくない。もっともらしいことを言っているだけだとも思うが、もう事実は事実として受け入れるほかにないのだ。
跡部に向かっていくこの想いは、確かに手塚の中に在る。それを乗り越えられないで、過酷なプロの道へ進むことなどできない。
この厄介な想いさえ糧にしてやろうと、手塚は腕を組んで試合を見守った。
どちらも退かない。汗の量も多く、心配にもなってくる。
意地で振り抜かれるラケット、相手コートに運ばれるボール。もうどちらに勝利の軍配が上がってもおかしくない。事実上の決勝戦なのではないかと思うほどだ。
正直、越前がここまで強いとは思っていなかった。跡部がここまで勝ちにこだわるとは思っていなかった。読み切れなかったなと不甲斐なく思うのと同時に、テニスがしたいと強烈に思う。
――――勝ってこい、越前。さらに突き進むお前を見たい。
ここで勝てば準決勝に進める。自分も試合に出られるし、あの小さな体から繰り出される技の数々をもっと見たい。だがそれは跡部の敗北をも意味していて、複雑だった。
跡部と、一瞬だけ視線が重なったように思う。気のせいかとも思ったが、あの鋭い青を見間違えるはずもない。越前と対峙していてさえ敵対視されているのかと思うと、なんとも言えない。集中しろと怒ればいいのか、それとも嬉しがってしまっていいのか。
――――跡部、本当に厄介だな、お前は。
八つ当たりのようにさえ思いながら試合を見守っていたが、激しい疲労から倒れ込んだ二人を見た際には、さすがに目を瞠った。
「リョーマくん!」
「越前!」
「越前っ……」
コートに倒れた二人の肩が、腹が、荒い呼吸で激しくうごめく。体内の水分も随分と流れてしまったことだろう。どちらが先に立ち上がり試合を続行するのか。勝敗の行方はそこにかかっている。
手塚は揺れる心を隠し歯を食いしばりながら、じっと二人の様子を眺めた。
果たして、最初に体を起こしたのは――跡部だった。
「跡部……」
思わず、小さく名を呟く。
試合終了のコールが成されない限り、そこに立ち続ける姿に、ぞくりと背筋が震えた。
――――跡部、もしかしてお前もあの時、こんなふうに感じたのだろうか。
続行不能かと思われたあの試合、跡部は手塚がコートに戻るのを待っていた。手塚もまた今、跡部が立ち上がるのを待っていた。勝利の二文字に対する意地と執念を、ここで改めて知ることになる。
そうして、少し遅れて越前も立ち上がった。試合続行だ、と湧き上がるベンチ。
手塚はひとつ瞬き、気づく。恐らくは手塚がいちばん早くそれを知っただろう。
「――気を失って尚君臨するのか、跡部よ……」
跡部はコートで気絶していた。立ったまま、だ。
それでもコートに立って在ろうとする跡部景吾に、身震いした。畏敬の念さえ感じる。跡部景吾はこういう男なのだと、どうしてか手塚が誇らしく思う。
越前がサーブを打ち放っても、やはり微動だにしない。ポイントはそのまま越前の勝利を意味し、青学の準決勝進出が決定した。
「やったー! おっチビー!」
「越前! やったな!」
「リョーマくんお疲れ様! すごいよ!」
駆け寄っていく部員たち。手塚は安堵と喜びと残念さが混じった思いで息を吐く。
越前がバリカンを取り出し跡部の髪を刈り始める。なぜ手元にバリカンがあるのだという疑問はさておき、止めておこうと足を踏み出した。跡部が言い出したこととはいえ、見過ごせない。
それは他の部員たちも同じだったようで、まあまあと越前をなだめてくれる。そこでようやく意識を取り戻した跡部が、髪のことに気がつき、「おいもうちょっと上手くやれ」などと言っている。言うべきことはそれなのかと眉を寄せたが、変な禍根はないようで安心してしまった。跡部の表情がさっぱりとしたものだったのは、それだけ越前との試合で完全燃焼できたということなのだろう。
もとより真剣勝負、誰を恨む道理もない。
互いに礼をした後、数秒だけ視線が重なった。心音は聞こえなかっただろうが、触れたくなる思いを必死で押し殺す。
次の試合に備えなければと手塚は前を見据え、重なったその視線を断ち切った。
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