- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.569, No.568, No.567, No.566, No.565, No.564, No.563[7件]
情熱のブルー-012-
「すまない、練習中だっただろうか」
『いや、一応は終わってるぜ』
「今から打てないかと思ったんだが」
声は震えていない。言う言葉も間違っていない。
うっかり「今から逢えないかと」などと言おうものなら、世界が変わってしまう。テニスがしたいだけだと心の中で言い訳を繰り返す。
『アーン? 今からって……テメェ、昨日の今日で言うか、普通』
やはり驚かれてしまった。というか、呆れられてしまっただろうか。跡部なら、テニスがしたいと言っても笑わないでくれると思ったのだが、どうにも決まりが悪い。
『昨日のじゃ満足できなかったってか? そんなに俺様とのテニスが恋しいのかよ』
耳元で聞こえる声に、カッと熱が上がった。
ある意味で満足はした。だが別の意味では満足していない。結局跡部のリードで終わってしまったからだ。だからその続きをしたいに過ぎないのに、恋しいなんて言われたくない。それが真実のようになってしまいそうで怖かった。
何も言わないでいると、『仕方ねーな』と笑うような吐息が聞こえてきた。
『屋外のコートでもいいか? 予約しておく』
「どこでも構わない。テニスができるなら」
じゃあ後でと通話を切って、手塚はその場で項垂れた。声を聞くだけでなぜこんなにもそわそわするのか分からない。嬉しいと感じているのか、胸の辺りがくすぐったいし、まだ場所の連絡も来ないのに足を踏み出しそうになる。
好きかもしれないという思いが、現実味を帯びてきた。
テニスができるというだけなのに、こんなに浮かれる理由が見つからない。
いや、確かにテニスができるのは嬉しいが、跡部でなくてもこんなにそわそわするだろうか。
いったいどんな顔で今の電話を受け、仕方ねーなと申し出を受け入れてくれたのだろう。楽しそうな顔だったろうか。それとも優しげな顔だろうか。傍で見たかったというのは、どうにもおかしなことだ。
ややあって、コートの場所が送信されてくる。氷帝からも、青学からもほど近い中間点。
自分に都合の良い場所で構わないのに、わざわざ中間点を指定してくるあたりが憎たらしい。
手塚は一番早く着けるルートを確認して、足を踏み出した。
早くテニスがしたい。その思いだけで充分だと、どこか罪悪感めいたものを抱きつつも。
「終わらねえ、じゃ、ねーの」
お互いの荒い吐息が空気を揺らす。昨日の続きから始めたはいいものの、長いラリーからの取っては取られてを繰り返し、ちっとも勝負がつかない。
長く続けられるのはいいが、これでは無駄に体力だけが消耗されてしまう。手塚のサービスに移ったところで、トトンとボールを止めて手塚も呟いた。
「終わらないな」
「少しインターバル挟むか?」
「ああ、そうした方がいいだろう」
今は夏真っ盛りだ。日差しも強く、ここら辺で休憩を挟んでおかねば危ない。集中すると周りが見えなくなるというのは、あの日の試合で分かった。時間も水分不足も気にせずプレイしていたら、熱中症になってしまう。
したたり落ちる汗を拭う跡部の姿に視線が釘付けになって、ハッとして目を背けた。
ベンチに腰をかけて、汗の処理と水分補給を行う。距離が近いのは落ち着かないが、それでも昨日触れた温もりに比べたらなんてことはない。まさか自分の人生で、跡部景吾の隣にいて落ち着かないなどということがあるとは思わなかった。
気づかれないようにしなければ、跡部はまたおかしな誤解をするだろう。手塚はゆっくりと呼吸をして、冷静にいつも通りを装った。
「肩、本当に大丈夫みてーだな」
「……ああ。お前と長いラリーを続けられるくらいだからな。なぜあれが拾われるのか分からんが、大会にもちゃんと出られる」
「なんで拾われるって、そりゃこっちの台詞だぜ。フン、憎たらしいくらい絶好調かよ」
パタパタと手で仰ぐ跡部を見やり、絶好調と言われる程でもないような気がするがと、心の中で思う。
それでも、部活よりは打ち込めた。部活より打ち込んでしまったことが、不甲斐ない。本来打ち込むべきは、部活での練習の方ではないのか。部長として率いている以上、そうするべきだ。自覚が足りないのかと、情けない気持ちにもなった。
「……なにかあったかよ?」
そんな気持ちを見透かすかのように、跡部が声をかけてくる。
「……なぜだ」
「絶好調ってわけでもねえみてぇだな? 俺様とテニスをしてるってのに、辛気くせえツラしてやがるじゃねーの。今は引き分けだからな、負けて悔しいってわけじゃねえだろうが」
手塚は驚いて跡部を振り向く。気づかれるとは思っていなかった。
したり顔で見つめてくる跡部に胸が鳴りそうになって、手塚はふいと顔を背けた。
「悟られるとは思っていなかった。俺は分かりづらいとよく言われるんだが」
「ククッ、俺様の眼力を見くびってもらっちゃ困るぜ。アーン?」
なるほどと手塚は目を瞬く。相手の弱点を見抜くという彼の眼力は確かにすごいものだ。それは魔法などという非現実的なものでも、インチキという矮小なものでもない。実際に弱点を見抜かれた手塚にはそれがよく分かる。隠しても無駄かと、小さく息を吐いた。
「昨日お前に言われたことを思い出していた」
「アン?」
「俺のプレイは傲慢だと言っただろう。意識したことがなかったが、そうなのだろうなと思う」
視線を俯ける。跡部は昨日、貶しているわけではないと言っていた。だが褒めているわけでもないと。認識してしまったこの傲慢さは、どうやって昇華していけばいいのだろうか。
「今日、青学のメンバーと練習をしていて、物足りないと感じてしまった。怪我で皆に迷惑をかけてしまった俺が、こんなことを言えた義理ではないのに」
膝の上で、拳をグッと握りしめる。自分がこんなに身勝手だとは思わなかった。ただテニスで上を目指したいという欲だけで生きていけたらいいのに。
「青学のメンバーじゃ、練習相手にならないってか?」
跡部の口にした言葉に、体が硬直した。ベンチの背に肘をかけてこちらを振り向いてくる跡部の口許には、笑みが浮かんでいたけれど、それは苦笑いのように感じられた。
「ま、テメェは口には出せねえだろうな。それが真実だとしても」
「跡部」
「ヤツらが弱いと言ってるんじゃない。それでも自分が強くなるための練習相手にはなり得ねえんだよ」
諌めるために、もう一度跡部の名を呼ぶ。否定できないのが歯がゆい。確かに自分は傲慢だと、改めて思う。眉間に刻まれたしわが、深さを増した。
「皆、それぞれに頑張っているんだ。追いついてこいなどとは言えない。個性もあるし、俺が敵わない部分だってある」
お前は傲慢だと責められるのは分かる。だが、青学のメンバーに対しての誤解だけは解いておかねばならない。言い訳でも、その場しのぎのでまかせでもない。レギュラー陣は手塚とは全く異なるプレイスタイルの個性的な選手ばかりだ。手塚が彼ら相手に本気になれないことと、彼ら個人の能力は全く別のことだと強く言い放つ。
「そこが分かってんならいいだろうが」
すうっと、何かが脳天を突き抜けていったような気がする。それは強い衝撃ではなく、まるで靄もやだけが引き抜かれていったような感覚だった。
「力の差もそうだが、お前は青学を率いる立場だ、手塚。強いというだけで務まるもんじゃねえ。下のヤツを指導するってのは、時には自分の鍛錬を犠牲にしなきゃならねえ時もあるだろう」
跡部の表情が、硬いものに変わる。彼自身にも覚えがあるのだろう。
自分の技術向上を捨てて、次の世代を育てなければならないというのは、痛いほどに分かる。自分だけが強ければいいというわけでもないのだ。
「俺のとこは、下剋上だっつって分かりやすく俺を倒したがるヤツも、虎視眈々と頂点を狙ってるヤツもいる。お前のとこは、いねえのか?」
「青学は、そういうのはないな……。強いて言うなら、越前だろうか」
分かりやすいのは、ルーキーである越前リョーマだ。
能力を隠しながらというなら乾や不二もだろうが、彼らの本気はまだ見たことがない。
大石は副部長として支えてくれるし、菊丸はテニスでトップを目指すと言うよりはいかに相棒と長く楽しくできるかの方が重要そうだ。河村は青学で無二のパワープレイヤーだが、自分自身の向上に専念しているように見える。桃城と海堂は、頂点を目指すと言うよりは互いに相手に負けたくないという思いの方が強いのだろう。越前リョーマは、いっそ清々しいほどに負けん気が強い。だからこそ、青学の柱になれと彼に言ったのだ。
「あーなるほどアレね。ククッ……でも、アイツを育てたいって気持ちが大きいだろ」
跡部が軽く肩を震わせる。手塚はややあってそれに頷いた。
「今までは育てる側で、後は一人で練習してたんだろうが、俺との試合で欲張りになっちまったんだよ、テメェは」
楽しそうに口の端を上げながら跡部は続けた。手塚は不思議な気分に陥る。なぜそんなことを、よどみなく言ってこられるのだろう。
その言葉の一つ一つを頭の中で反芻して、手塚は跡部を振り向いた。
「なぜ」
「アン?」
「なぜ分かるんだ。言われて考えてみたが、的を射たもののように思う」
部長という立場上、周りを育てていかねばならない。それに不満はなかった。ないと思っていた。だけど、試合で初めてと言っていいほどがむしゃらになったことで、欲が出てきてしまったというのか。
跡部は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにふっと苦笑気味に口角を上げた。
「俺も同じだからだよ」
「お前も?」
「テメェのせいだぜ、手塚」
その言葉が意味するところが、分からないわけではない。
つまりは跡部も、手塚との試合で貪欲になってしまったということだ。
それはなんだか、嬉しくて照れくさい。跡部景吾の中に、手塚国光という存在が刻まれているのか。
手塚は小さく「そうか」としか返せなかった。
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情熱のブルー-011-
走り込みからの素振り、サーブ打ち、すべてどの部員より多くこなした。リハビリでなまってしまった体と感覚を早く取り戻したくて……というのが建前だが、その実なにも考えたくないせいだった。
跡部景吾の顔がちらつく。
昨日あの後もずっと頭の中を彼の顔が支配していて、寝起きには明らかに疲れていた。少しも休めた気がしない。
こちらを混乱させるために跡部が何か仕組んだのではないかとも思ったが、そんなことを考えるほどに混乱しているのだと気づくだけだった。跡部に責があるわけではないだろう。なぜなら、そんなことをしたら〝本気で勘違いされる〟というリスクが彼にもあるからだ。
混乱させて全国大会を有利に進めるというだけのコマにしては、利が少な過ぎる。
加えて、跡部ほどの実力をもってすればそんな小細工は必要ない。
小細工をするような男だというのは、跡部に対する侮辱に他ならない。すぐに考えを改めて、ため息を吐くこと、何度か。
「手塚、あまり飛ばすと肩に良くないんじゃないかな」
不二が声をかけてくる。いつも通りだがと返すと、彼は肩を竦めた。手塚はここにいる誰よりも努力を重ねてきたという自負がある。
そう思った傍から、同じく努力を重ねてきただろう跡部のことが頭をよぎってどうしようもなかった。
――――考えるな。考えるな。跡部のことは、今は必要ない。全国大会で勝ち進むことだけを考えるんだ。
「は~、何か鬼気迫るものがあるっすね、手塚部長」
「手塚はそれほど、全国大会にすべてを懸けているということだろう」
「さすがっすね乾先輩……俺、もう十周走ってくるっす」
「テメェ海堂、抜け駆けはいけねーな、いけねーよ!」
「あぁ!? 知るか! ついてくんじゃねえ桃城!」
言い合いながらも、我先にと駆け出していく二年レギュラー。
身近にライバルがいるってのは刺激になるよねと不二が笑うのが耳に入って、手塚はカッと頬の熱が上がったのに気づく。ライバルという言葉に反応してしまった。そんな些細なことにも反応してしまうなんて、集中できていない証拠だ。
「大石、菊丸、相手をしてくれないか」
雑念を振り払うように軽く首を振り、黄金ゴールデンペアを呼ぶ。
「ご指名だぞ、英二」
「にゃはは~、負っけないよん!」
「手塚は誰と組むんだ?」
大石は、他のレギュラー陣を振り向く。いちばん可能性が高いのは不二だろうかと思っているようだが、当の不二は河村を振り向いて、河村はスタイルが合わなすぎるよと頬を掻いた。
「いや、俺は一人でいい。二人とも、手加減はなしで頼むぞ」
「えっ、一人で俺と英二を相手にするのか? あー……まあ手塚ならできそうだけど」
誰とも組まずにやると口にすれば、大石は驚き、菊丸はもちろん手加減なんかしないよんと楽しそうに相棒を振り向く。
河村はすごいなあと感心し、不二は見物だねと穏やかそうに見えて不敵に見据えてくる。乾は眼鏡を押し上げて、興味深そうにノートを広げた。
手塚がリハビリから戻ってきて初の練習だということもあって、部員たちは皆、固唾を呑んで見守るようだ。グラウンドを走っていたはずの桃城と海堂までもが、速度を緩めて手塚のサーブを眺めている。
トスを上げ、怪我をする前までと変わらない速度でラケットが振り抜かれる。わっと上がる歓声。
大石が嬉しそうに笑い、菊丸もホッとしたようだったが、きちんと返球が成される。安堵という隙をついて、手塚は返されたそのボールを彼らのコートにたたきつけた。
「おっと……こりゃ大変」
「おーいし~これマジで手加減しなくていい感じだよね?」
大石も菊丸も、その瞬間に〝戻ってきた仲間〟という意識から〝対戦相手〟という認識に切り替えたようだった。
「さあ、油断せずに行こう」
手加減などしてもらっては困ると、手塚もラケットを握り直す。
そうして、練習と言うにはあまりにも白熱したプレーが繰り広げられることになったのだった。
物足りないなと、贅沢なことを考える。他の部員たちの仕上がりも見なければならない以上、自分の練習だけに熱中しているわけにはいかない。こんな時部長という立場が、ひどく煩わしい。そんなことを言えた義理ではないのにだ。
支えるべき立場の手塚を欠いていても、部員たちは全国大会に向けてしっかり鍛錬をしていたようで、レギュラーでない者たちも触発されて全体的な底上げになっているようだ。大石の尽力には感謝しなければいけない。戦線を離れた手塚が全国大会に行けるのは、彼らのおかげだ。その状態で、物足りないとは口が裂けても言えやしない。
「手塚、お疲れ様。肩は本当に大丈夫みたいだね、安心したよ」
「ああ……皆には迷惑をかけてすまない」
「ふふ、むしろそのおかげで皆に火がついたところもあるのかな。少なからず、手塚を全国に連れていこうっていう気持ちがあったと思うよ」
部室で着替えをしながら、出られなかった試合の詳細を聞いたり、リハビリ中の出来事を話したりして、ようやく頭の中からおかしな感情が消え去ったと思った矢先、鞄に入れていたスマートフォンに指先が当たる。その瞬間にまた跡部の顔が浮かんでしまって、手塚は珍しく項垂れた。
――――跡部、こんな時にまで邪魔をするんじゃない。
「そういえば手塚、昨日はあの後大丈夫だったのかい? 跡部と二人だったんだろう」
「あ、…………ああ、別に心配されるようなことはない」
昨日一緒にいたことを知っている大石が、他意なく訊ねてくる。さらに輪郭のハッキリとした感情になってしまって、眉を寄せた。
「え、跡部と? へぇ……仲良くお茶でもしてたの?」
「な、……ぜ、そうなる。肩の様子を訊かれたから、少し話をして、テニスをしに行っただけだ」
いったいどういう思考回路なのだと不二を軽く睨み、訂正をする。
更衣室にいたレギュラー陣らは一様に目を丸くし、呆れたように口々に囁いた。「テニス馬鹿」と。それは否定しないと着替えを済ませ、翌日の集合時間を今一度確認して部室を後にした。
ふう、と息を吐く。ポケットに入れていた端末を取り出して画面を見てみるも、通知がないのには変わりがない。
まあ昨日の今日で連絡を取り合うような間柄でもないのだから、当然と言えば当然だがと思って、はたと気づく。自分は今、跡部から連絡がないか確認したのだと。家族でなく、跡部を真っ先に思い浮かべてしまった。
今の練習が物足りなかったせいだろうか。力に差のない相手と何も考えずにただボールを打ち合いたいと思うのは、何もおかしなことではないと思う。
強い相手ならば、跡部でなくともいい。
いいが、テニスがしたいと言ってすぐに受けてくれそうな相手が、他に浮かばない。それだけだ。
――――それだけ……なんだが……。
なぜ思い出すのが、あの時肩に触れてきた温もりなのか。髪の感触なのか。良かったと吐息のように小さく呟く声なのか。テニスをしている時の跡部ならばまだ話も分かるものを。
いっそ腹立たしいと、跡部を責めてやりたい。向こうはたまったものではないだろうが、こちらとて不可解な感情に振り回されているんだと理不尽さを押し込めて、逢いたいと思う気持ちをテニスがしたいという建前で塗り替える。
手塚は道の端で立ち止まり、トークアプリで跡部の連絡先をタップする。しかし氷帝はまだ練習中かもしれないと思い留まって、通話ボタンを押しかけた指を引っ込める。
だがそれならそれで、チャットで予定でも訊けばいいのではないかと、これ以上考える隙を作らないようにボタンをタップした。
コール音はあまり長く続かなかった。跡部がすぐに出てくれたからだ。
『なんだ、手塚ァ』
向こう側から聞こえた不遜な声に、なぜだかホッとした。昨日の今日で連絡してしまったことに驚かれてはいないようだ。
そうしてホッとしたのも束の間、今度は鼓動が速くなる。昨日浮かんだ馬鹿馬鹿しい仮定のせいだろう。勘違いなのだから気にすることはないと軽く首を振り、手塚は口を開いた。
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情熱のブルー-010-
顔が熱い。その熱を認識した直後、ハッとする。わずかに上がった右手は、どこに向かっていたのか。
跡部の肩を抱こうとしたか、それとも髪を撫でようとしたか。定かではないが、彼に触れるためだったことに気づいて困惑した。
――――俺は、何を。
支えなければならない状況ではない。触れなければいけない場面でもない。それなのに、なぜこの右手は下ろすことを躊躇っているのだろう。
「俺様としたことがつい熱くなっちまったぜ……。今日はもう切り上げるぞ、手塚。二時間以上も打ってりゃテメェも満足しただ、ろ……」
跡部が、そう言いながら顔を上げる。さっと右手を下ろしたことには、気づかれていないといい。
思っていたよりも近い距離にいたことに気づいたのか、跡部がわずかに体を強張らせた隙に、手塚は顔を背けて眼鏡を押し上げた。
「五―四でお前がリードしている状態だな」
「そこは目をつむれよ。お前のためを思って言ってやってんだろうが」
お前のためというのがどこまで本音か分からないが、今これ以上心音が大きくなったら気づかれる。
何にどう気づくのかと言われたら明確な答えが出てこないが、きっと良いことではないはずだ。
そんなことを考えていたら、勝負に納得がいっていないと思わせたらしく、「次は今の続きから」と返される。それでも跡部は負けるつもりなどないのだろう。それは手塚だって同じことだ。
だが、次があるというのは嬉しい。跡部と打ち合うのは、やはり有意義だと感じていた。ならば今日はこのくらいにしておくべきかと、帰り支度をすることにした。跡部はと思って横目で見やると、グリップの状態を確認している。
「お前はまだ帰らないのか」
「ああ、もう少しだけな。気をつけて帰れよ手塚」
そう言ってフレームを撫でる跡部は、本当にテニスを大切に思っているのだと分かる。気遣って投げられる言葉にも、やはり律儀な男だと思わせた。
「今日は付き合わせてしまって悪かったな。だが、いいプレイができたと思う」
「そりゃ何よりだ」
ふっと笑う跡部に、手塚はひとつ目を瞬く。肩の力が抜けていくような妙な感覚に襲われた次の瞬間、息の止まりそうな衝撃に身を強張らせた。
――――……は……?
三秒。
――――いや、馬鹿な。
浮かんだ思いをさっと振り払って、言わなければいけない言葉があるのに気がついた。
「……跡部」
「……なんだよ?」
怪訝そうに見返してくる。気づかれたのだろうかと思うが、そんなはずはないなと心の中で否定をして、躊躇いつつも口を開いた。
「俺は言葉にすることが不得手だ。しかし、やはりちゃんと言っておかなくてはいけない。お前には感謝している」
「…………アァン?」
跡部は怪訝そうに歪めた顔をさらに不審げに傾げたが、それにさえ胸がおかしな音を立てる。
そんなわけはないと何度か否定しているのに、音は秒を重ねるごとに鮮明になっていく。
「何を寝ぼけたこと言ってんだ、手塚ァ。俺はお前に恨まれる覚えはあっても、感謝される覚えはこれっぽっちもねえぞ」
寝ぼけたことを言うなと言うのは、こちらの台詞だと手塚は思う。肩の怪我は跡部のせいではないと何度も言ったのに、何が〝恨まれる覚えはある〟だと。
やはり、言葉にして良かったと苛立ちさえ覚える。この先ずっとそんなふうに思われていたのでは、たまったものではない。
「お前とのあの試合、俺にとっては無二のものだ。自分があれほどまでがむしゃらになれるとは思わなかった。お前が全力で向かってきてくれたからだろう、跡部」
跡部が目を瞠る。息を呑んだようにも感じられて、もしや同じ思いでいてくれたのだろうかと気がつき体が熱を持った。
「俺はまだ、上を目指していける。ここで立ち止まっていたくない。そう思わせてくれた。相手がお前でなければ、俺はどこかで諦めていただろう。負けたくない、最高のプレイがしたい。それに応えてくれた」
言葉を飾っているつもりはない。すべてが心の底からの本音だ。正直、跡部でなければ肘を庇ったプレイをすることもなかったし、結果として肩の痛みを我慢してまでコートに戻ることはなかった。このボールを逃したくないという思いだけで、あんなにがむしゃらになれるなんて。
プロへの道が見え出したことで、どこか達成感のようなものさえ感じていた自分が恥ずかしい。まだ上に行ける。まだ道が前にあると、あの試合を通じて知った。跡部が教えてくれたのだ。
「お前と試合ができて良かった、跡部。お互いの都合が合えば、また打ち合おう」
言いたいことはすべて言い終わったとばかりに、なぜか硬直している跡部をそこに残し手塚はコートを後にする。
建物を出て左に曲がり、駅の方角へと足を向ける。
跡部と打ち合った建物から三メートル、五メートル、十メートルと離れるにつれて、歩調が速くなった。
――――待て。
手塚は混乱していた。顔が熱いのは、つい先ほどまでテニスをしていたからだ。体が熱いのも、テニスのせいだ。
――――待て、ちょっと……待ってくれ、頼むから……なんでだ……!
うめきが漏れそうな口を左手で覆って、タ、タ、と足を踏み出す。顔の熱は温度を増したようで、さらに困惑した。
心臓はうるさく音を奏でて、視線が泳ぐ。危うく電柱にぶつかりそうになって、慌てて足を止めた。止めたそこで、再度足を踏み出す気力がなくなる。
ド、ド、と心音だけが手塚の耳に届き、思考を濁らせた。
そんなわけがない。そんなわけがないのだ。
あの男は好敵手であって、それ以下ではないし決してそれ以上であってはならないのに。
――――違う。違う、違う、絶対にだ……!
特別な相手ではあるが、まさか、そんな。
好きだなんて、そんなことあるわけがない。
ガンガンと頭を鈍器で殴られてでもいるような衝撃が煩わしい。手塚はその場で深呼吸を繰り返し、なんとか思考をクリアにしようと務める。
――――跡部だぞ? 俺もアイツも、男だ。通常はその……恋、というものの対象から外れているだろう。アイツとはただテニスがしたいだけであって、そういう……恋愛方面の話にはならないはずだ。
冷静に、極めて冷静になろうとして、話に聞く恋愛というものとは違う面を探してみる。
まず第一に同性であって、自分がそういった性指向の持ち主だとは考えつかなかった。かといって女性に興味があるかといえば、この年頃の男子にしては薄いような気もする。だが同性に恋愛的な興味などあるわけもなかった。
――――恋というものがどんなものかは分かっている……つもりだが……経験がないから、勘違いしているんだろう。そうに違いない。そうでなければ、よりにもよって跡部をそんな対象に据えるわけがない。馬鹿馬鹿しい……!
確かに、跡部景吾に対する印象があの試合からこれまででガラリと変わってしまったことは認めよう。そのギャップからくる勘違いに決まっている。好感は持っているが、性愛につながる感情などではない。
跡部景吾との間にあるのは、テニスだけで充分だ。そうだ、テニスができた喜びで頭と体が混乱しているのだろう。
手塚は目を伏せて、開け、唇を引き結んで足を踏み出す。こんな余計なことを考えている場合ではない。間に合ったからには全力で大会に挑まねばならないのだと、前だけを見据えた。
ドキンドキンと鳴る心臓には気づかない振りをし、寸前に浮かんできた気安く笑う跡部の幻を見なかったことにして。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
情熱のブルー-009-
跡部についてやってきたのは、屋内のコート施設だった。跡部の会社が管理しているようで、受付ではバタバタとした様子で出迎えてくれる。
別に本格的な視察ではないと跡部が言うあたり、きちんと運営されているか確認しに来ることもあるのだろう。
視察がてらいつでもプレイができるようにと、跡部は自分用のウェアとラケットを置いているらしい。氷帝のユニフォームでないせいか見慣れないなと思うが、そもそも氷帝のユニフォームを着た跡部だって、慣れるほど見たわけでもない。
手塚はジャージの上着を脱いで軽く畳み、ストレッチを開始した。
テニスができる。肘を痛めた時も止められた期間はあったが、あの時よりもずっと切実にテニスがしたかった。
恐らく、跡部のプレイに触れたからだろう。触発されるというのが正しい表現かは分からないが、同じだけの熱量を持って挑みたいと思わせる〝何か〟が彼のテニスにはある。持って生まれた才能なのか、努力によって培われたものなのか。
ともかく、そんな跡部景吾と球を交わせるというのはひどく気分が高揚する。公式試合でもないのにだ。
「セルフジャッジ、ワンセットマッチだ」
「ああ、構わない。跡部、手加減はなしだ」
ネットを挟んで対峙する。青い空も、観客もない。審判も、声援もない。ふたりだけの勝負。
サービスを跡部に譲り、受け止めるためにラケットを構えた。自分が緊張しているように思える。跡部がトスを上げる様をじっと見つめ、コースを読む。
手塚は眉を寄せた。打ち込まれたボールは、本気のものではない。
手加減はなしだと言ったのに、その場しのぎだと思われたのか。跡部の打ったサーブを足元に打ち返してやった。
「油断しているお前が悪い」
そのボールを追って振り向く跡部に、煽るような言葉を吐く。ギラリと光る瞳が睨みつけてくるのを、ぞくぞくと背筋を震わせながら受け止めた。楽しそうに口の端を上げて、今度は思いきりラケットを振ったようだ。
「確かに手加減なしでいいみてえじゃねーの! 手塚ァ!」
返ってきたボールに手塚は追いつけず、跡部が笑うのに合わせて手塚もわずかに口の端を上げた。
「そうこなくてはな、跡部」
打たれる。拾う。たたき返され、迎え撃つ。長いラリーになった。
手加減がほしいわけじゃない。真剣にただこのボールを追っていたい。何も考えずに、無心に。リハビリ中にはできなかったことだ。
足を踏み込み、腕を振り抜く。ただそれだけで、だんだんと神経が研ぎ澄まされていく。
インパクト音と、床を踏むシューズの音。時折聞こえる相手の呼吸と、自分の吐息。互いの間を何度も行き来する黄色いボールからは、一瞬たりとも目を離せない。
決めるつもりで打ったのに返される。悔しいが、それは跡部の方も同じようだった。肌があわ立ち、パァンとボールを返す。追いつけなかった跡部から点を取った。
それでも諦めるでもなく睨みつけてくる跡部が、なんとも言えず闘志を奮い立たせる。
「次は俺が取るぜ」
「俺は負けない」
「だからそういうとこだっつってんだよ!」
今度は跡部の球に足元を撃ち抜かれる。したり顔で挑発を受ける彼を、負けず嫌いだなと思わざるを得ない。だが手塚にはそれが心地良かった。向かってくるギラついた視線は、上を目指す者の瞳だ。引きずられそうなほどに、目が離せない。
跡部の視線の方向へボールが向かう。時にそれはフェイクとなり、改めてこの男の技術を知った。
こんな男だったのか。上手いのと強いのとは、似ているようで異なるが、跡部景吾はそのどちらをも備えているようだ。
その男からポイントを取った瞬間よりも、打ったボールをきっちり拾われた瞬間の方が楽しいと思っていることに、手塚は薄々感づいていた。まだ続けられると思うと、ポイントを取るよりも嬉しい。
恐らく顔には出せていないだろうが、このラリーがずっと続けばいいなどと考えてさえいる。
点を取らなければ決着はつかないのに、それでも、跡部とのこんな時間をもっと長く過ごしたい。負けたくないという思いと同じほどの強さでだ。
気がつけば、打ち合い始めてから二時間ほど経過していた。
「手塚ァ! そろそろバテてんじゃねーのか!」
「お前こそ、スピードが落ちているぞ、跡部」
「抜かせ!」
煽ったつもりはなかったが、気に食わなかったのか、跡部の球速が上がる。突然のことに対処しきれず、強い打球が手塚のラケットを跳ね飛ばした。
「……っ」
引きつった痛みを感じる。指先の痺れが、肩にまで伝わってきた。
「手塚!」
それに慌てたらしい跡部が、わざわざネットを越えてくる。駆け寄ってくる彼の切羽詰まった表情に、どうしてか胸が鳴った。
「今の変な打ち方しただろ。痛みはあるか? すぐ医者に――」
「いや、問題ない。少しタイミングを誤っただけだ」
「本当にか? 欠片でも嘘が混じってやがったら許さねーぜ。俺はお前の下についてるヤツらじゃねえんだ、意地張ってねえで、俺にだけは本当のことを言え」
手塚はひとつ目を瞬く。
彼の言うことはなんとなく理解できるような気がした。
部長という立場がある以上、弱みは見せたくない。部員たちの士気に関わるからだ。跡部自身そうなのだろう。だからといって対戦校の部長に弱みを見せたいかといえば、絶対に違うのだが。
しかし例えばここで弱みを見せたとして、跡部が弱みを見せられる相手はいるのだろうかと考える。
部員たちには見せない部分を、誰が支えてくれるのだろう。
そんなことを考えていたら、睨みつけてくる跡部の瞳の強さが増した。嘘が混じっているとでも思っているのだろう。
「……本当のことを言っている。お前相手に遠慮したところでどうにもならないだろう」
「それはそうだが……」
跡部の眉間にしわが寄る。珍しく引き結ばれた唇は、何を言いたがっているのか。まっすぐに左肩へと向かってくる視線は、いっそ手塚の方こそ痛々しく思う。あの日目の前で膝をついてしまったことが悔やまれる。もしかしたら、跡部の中に傷を残してしまったのかもしれない。
あの時跡部は、本当に潰すつもりなどなかったはずだ。手塚が途中で棄権するか攻め誤るかで勝利をもぎ取ろうとしていた。手塚がそれを意地で続行させたのは、跡部にとって大きな誤算だったに違いない。
手塚が、またあの時の感覚を味わうのかと恐れてイップスに陥っていたのと同じく、跡部も、自分の打球が今度こそ一プレイヤーの未来を絶つかもしれないという恐れと戦っているのだろう。
そこに気づけなかったのが、悔しくてならない。跡部にそんな顔をさせたくて試合をしたわけではないのに。
「跡部、俺は平気だ」
強くそう言い放てば、跡部はそっと口を開けた後に躊躇って閉じ、また開く。
「……触れてもいいか?」
視線はじっと左肩に張り付いたままだ。手塚はコクリと強く頷いた。
「ああ」
もう治ったと口で言うだけでは信じられないのなら、いくらでも触れてくれて構わない。跡部がゆっくりと上げた手が左手だったのは、意図してなのかどうか。
そっと触れてくる指先。当然痛みなど感じない。そんな小さな接触では、感覚もない。伺うように手のひらで包まれてようやく、触れられていると実感した。
手塚は目を瞠る。肩に触れた手の上に、跡部が額を乗せてきたせいだ。重みが増し、距離が近くなる。
――――近い、……どころではない……。
頬に、首筋に触れる髪がくすぐったい。誰かとこんな距離で接したことはなく、どちらかと言えば苦手な方だ。
だけどここで跡部を押しやれば、またおかしな誤解をさせるだろう。肩はなんでもないのだと跡部が納得するまでこうしているほかにない。
額を乗せていた手を抜き、ゆっくりと腕のラインを確かめるように下りていく。ウェア越しに感じる手のひらの温もりに、危うく息を呑みそうになった。
いったい何をしているんだと言いたい。いや、肩の様子を確認しているのは分かるが、そんな触れ方をする必要があるのだろうか。
跡部の指先が肘を滑り、やがて手首にまで下りる。握ったラケットに爪の先が当たったところで、跡部はようやく満足したように息を吐いた。
「良かった……」
小さく呟かれたそれに、また胸が鳴る。これは本当に心を砕かせていたのだと気づく。
自身が関わったからでなく、手塚国光というプレイヤーの肩が壊れていないか、思い悩んでいたのだろう。手塚の復帰を誰よりも望んでくれたに違いなく、心の底から安堵した様子を晒す跡部に、急激に何かがせり上がってくる。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
情熱のブルー-008-
このまま会話を終えて別れるしかないだろうか。つい先ほど、テニスがしたいと強く思った。対等な相手と、ボールを交わしたい。
目の前の男は、この欲に応えてくれるだろうか。
手塚は俯いて、たった今連絡先を登録したスマートフォンを見下ろす。
いつでも連絡が取れる状態にはなったけれど、跡部にも予定というものがあるだろう。今この機会を逃したら、ずっと重ならないかもしれない。
そもそも、申し出を受け入れてくれるかどうか分からない。肩のことを気にして、無理だと言われるかもしれない。できたとしても、手加減をされる可能性は高い。
「手塚?」
「先ほど……力になれることがあるならと言ったな。なんでもいいのか?」
俯いて黙りこくった手塚を怪訝に思ったのか、跡部が声をかけてくる。訊ねれば、どこかホッとしたような表情に変わった。力になれることがあるのかと安心したようだ。
「ああ、こっちでのリハビリ施設でも見繕ってやるか? それともジムの方がいいか。体力もちょっと落ちてんだろ。英気を養いたいってんなら、俺が最高のプランを考えてやろうじゃねーの」
生来世話好きなのか、生き生きとした声で提案をしてくる。どれも手塚の望みからすれば的外れなものだが、気遣いは嬉しく思った。
「いや、そういうことではなく……」
「なんだよ、俺様が叶えられないことがあると思ってやがんのか?」
「本来なら、頼むようなことではないと思う。望まないかもしれない相手に言って叶えたところで、それが本当に叶ったと言えるのかどうか」
「おい、俺様に哲学でも説きたいってんじゃなきゃ、さっさと言え手塚。まどろっこしい」
呆れたように跡部が息を吐く。手塚は意を決して、跡部をじっと見つめた。
そうして、あの日からずっと、焦がれている思いを音にした。
「俺はまたお前とテニスがしたい」
跡部が目を瞠るのを至近距離で見つめる。その青の瞳はあの日と何も変わっていなくて安堵した。
「……俺と?」
やはり戸惑ってはいるようだが、搦め捕るような深さは同じだ。そうだ、この瞳が見たかった。ネット越しでしか見られなかったその青が、今傍にあることが、手塚の胸に火を落とす。
「ああ、お前とだ。公式戦でなくても構わない。時間の都合がつけば、今からでもいいんだが」
「……頭沸いてんのか?」
「いや、沸いてはいない」
思考は正常だ。そんなふうに言われるほどおかしなことを言ったのだろうか。
跡部が、困惑と憤りを込めて一歩踏み出してくる。
触れてしまえそうな距離だが、跡部はいつもこんな距離で他人と言葉を交わすのかと、妙なところに思考が向かう。
それでも、跡部とテニスがしたいという思いは変わらない。
「どこの世界に! 怪我のきっかけになった相手とうきうきゲームしたがるヤツがいるんだよ!」
「なるほど。ならば世界初かもしれんな。うきうきというよりはうずうずだが」
跡部が何に困惑して、憤っているのか理解した。気にしないでいてやると言いつつも気にしているようで、まだ素直に受け入れられないのか。今の肩の状態を知らない――というより、あの日肩を痛めた時の様子をいちばん間近で見ていたせいなのだろう。
逆の立場であれば、手塚も跡部と同じだっただろうなと思うが、怪我のせいでテニスができないとは思わせたくない。
やはり、跡部とだからこそ今ボールを交わすべきだと感じた。
「……俺とお前は準々決勝で当たるだろうが」
敵同士だと跡部は眉を寄せる。データでも盗むつもりじゃないだろうなと疑う言葉を突きつけられて、その発想はなかったなと新鮮な気持ちだった。
乾であれば確実にデータを取るのだろうが、跡部とプレイしながらデータを取るなど、そんな余裕があるとは思えない。それに、プレイデータを晒すのはお互い様だ。リスクは同等である。
そう説いたら、「誰がデータなんか取らせるかよ」としたたかに跳ね返される。その根拠と自信はどこからくるのだろう。いっそ心地良いほどのプライドだ。
「ならば問題ないだろう。お前が……俺とはやりたくないというのなら、仕方ないが」
データの搾取が問題でないのならば、あと拒まれる理由はひとつだ。「お前とやると負けるの分かってるから」などと言って対戦してもらえないことが、今までに何度かあった。
跡部がそんな弱気なことを言うところは想像できないが、好まないプレイスタイルというのもあるだろう。
事実、手塚だって跡部のプレイスタイルはあの日まで好きではなかったのだ。跡部にとっての手塚のプレイがそれに当たれば、この先ボールを交わすのは難しくなる。
「いや、そんなわけねえだろ。どこからそんな発想出てくるんだよ、アーン?」
思考をむしばみ始めたそれは即座に否定された。
「俺はお前のプレイ好きだぜ」
否定されたどころか、逆に好きだと言われた。あまりに明け透けな言葉に面くらい、心臓がトクンと音を立てる。
外国での暮らしが長かったと聞いたことがあるが、そのせいなのだろうか。
「予想外に強引で傲慢なアレを打ち負かすのを想像すると楽しいな」
ふふんと楽しそうに鼻を鳴らす様子に、手塚は目をぱちぱちと瞬いた。自身が勝つことを前提にされたのもそうだが、強引で傲慢と表現されたことに驚く。
「傲慢……そんなことは初めて言われたな」
強引だというのは分かる気がする。いつの間にか手塚ゾーンなどと名付けられた技は、ボールの回転を利用してすべて自分のところに返ってくるよう打つからだ。相手の打ちたかった軌道を強引に変えるそれは、そう言われても仕方がない。しかし、傲慢というのはどういうことだろう。
「そうかよ? でもまあ、頂点に立つものには必要な要素だろう。自分は周りを引っ張っていくべき立場、自分にしかできないっていう自信は、プレイにも現れる。褒めてるつもりはねえが、貶したわけでもねえんだぜ」
氷帝学園テニス部の二百余名を率いている跡部が言うのは、さすがにリアルだ。元々のカリスマ性に加え、その自信に満ちたプレイで周りを引っ張ってきたのだろう。強引に、傲慢に。それを褒めたわけでも貶したわけでもないというのは、自身に向けたものでもあるのかもしれない。
改めて、すごい男だと思った。本当に同い年なのだろうかと疑いたくなるほどだ。
だが、あの日知った情熱に、歳など関係ない。
強引な情熱。傲慢なほどの自信。交錯した視線の強さは、背筋を震わせた。
手塚はぐっと拳を握る。
「跡部、やはり今からテニスがしたい」
「……俺様は制服なんだが」
「何でもいいと言ったな?」
火を付けたのは跡部だ。ラケットやウェアなどどうにでもなる。使い慣れたものでないと本来の力が発揮できないと言うのなら、それをそろえてからでも構わない。次の機会など待っていられないと強く見返せば、跡部の瞳には戸惑いも躊躇いも見受けられない。あの日と同じ強さで見つめ返されて、胸が熱くなった。
「……近くのコート、屋内でもいいか」
「ああ、構わない」
頷けば、跡部はどこかに電話をかけ始めた。屋内だろうが屋外だろうが、コートがあればどこでもいい。
そうは言ったが、まさかコートを借り切るとは思っていなくて、彼が財閥の御曹司だということをすっかり忘れていた。
「何も貸し切りにしなくとも……お前が跡部だということを忘れていた」
「ハ、テメェが万が一肩の怪我で無様なプレイしてもギャラリーに見られないようにっていう、俺様の配慮だぜ。感謝しな」
「余計な世話だが」
「冗談だ」
意地悪く片眉を上げる跡部に、手塚は眉を寄せる。本当に余計な世話だ。
そんなプレイしかできない状態で戻ってきたわけではないのだと続けようとしたが、じっと前を見据えながら跡部がぼそりと呟いた言葉に、そんな抗議は飲み込まれていく。
「邪魔されたくねえ」
跡部は音にしたつもりはなかったかもしれない。誰にも聞こえないように呟いただけだったかもしれない。
だが手塚の耳には届いてしまった。
邪魔をされたくないと思うほど、力を入れるつもりらしい。それは嬉しくて、胸のあたりがむずがゆい。
「……俺の肩のことは気にするなと言ったが、お前に貸しができたのだとでも思えば、なかなか愉快だな、跡部」
それを誤魔化すように返してみれば、当然面白くなさそうに跡部が振り返る。
「アァン!?」
「冗談だ」
先ほどの跡部を真似てそう呟いたら、彼は引きつったような笑みを浮かべた。
「テメェ、いい性格してるじゃねーの」
「褒め言葉か?」
「褒めてねーが!? まさかこういうヤツだったとはな……読み切れなかったぜ……」
冗談を冗談で返してくるような男だとは思っていなかったのだろう。指先で額を押さえ睨みつけてくるが、手塚には心地よさだけが残る。
予想外だったのは恐らくお互い様なのだ。手塚は跡部景吾をこんなに真摯な男だとは思っていなかった。跡部は手塚国光がこんなに強引な男だとは思っていなかった。
「まぁいい。おら、行くぞ手塚ぁ」
「ああ、楽しみだ」
まだ知らない面がたくさんあるのだろう。ボールを交わす間に、もう少し知ることができるかもしれないと、手塚は珍しくそわそわとした足取りで跡部の隣を歩いた。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
情熱のブルー-007-
「それで、話とは?」
「…………肩、どうなんだ」
触れられるくらいの位置にまできて、手塚は促す。眉間にしわを寄せて、跡部が口を開いた。視線は左肩に向かってきていて、まあそこは気になるだろうなと軽く頷く。
「治療は終わった。もともとそんなにひどいものでもなかったのでな」
「どの口が言いやがる。俺様にあんな姿さらしておいて」
目を背け舌を打つ跡部に、ぐっと言葉につまる。彼の前で膝をついてしまったことは、悔しくてしょうがない。だが、事実は事実として受け止めなければと、コクリと唾を飲んだ。
「本当のことだ。どうも、心の方が重症だったようだが……イップスも克服してきた」
そう告げれば、跡部がわずかに目を瞠ったようだった。お前ほどの男でもイップスに陥るのかとでも言いたげだ。
良い経験ができたとは思っている。自分の中の弱さを理解できた。世間に言われるほど強くはないと思うのだが、跡部がそれだけ評価してくれているのかと考えると、胸のあたりがくすぐったい。
だが、次の瞬間手塚は目を瞠った。跡部がすっと頭を下げてきたせいだ。
「悪かった」
一瞬何を言われたのか理解できなかった。困惑ばかりが胸の中に渦巻いて、口をついて出たのは「なんの謝罪だ?」と訊ねかける言葉。いやみでなく、なぜ跡部がそうするのか本当に分からなかったのだ。
「あァ?」
跡部の顔が、不可解そうに歪む。そうしても元の美しさを損なわないのはすごいなと、この状況で的外れなことを考えた。
ふと思い当たる。
「……跡部、まさかとは思うが、気にかけてくれていたのか、肩のこと。ずっと」
跡部が頭を下げる理由などないが、思い当たるのはそれしかない。彼との試合で痛めてしまった肩のことを、謝罪しているのか。
「なっ……てめ……、気にかけるだろうが、普通は! テメェのその怪我は、元は俺がっ……」
何を言っているんだと憤る跡部に、お前の方こそ何を言っているんだと言ってやりたい。肩を指してくる指先には見向きもせずに、手塚は跡部の瞳をじっと見つめ返した。
「跡部、言っておくがこの怪我は俺の責任だ。俺が選択した結果だろう。お前には関係ない」
そう強く言い返した瞬間、さっと跡部の顔から血の気が引いたように見えた。そうしてから気がつく。これではまるで、拒絶のようではないか。
そういうつもりではなかったのだが、硬直した跡部の表情をみるに、誤解させてしまったに違いない。
「いや、関係ないというのは語弊があるな。お前に責任はないと言いたかった」
思っていることを言葉にする難しさを痛感する。こんな時テニスならば、簡単に伝わるのに、ラケットを握っていないと途端にこれだ。印象が悪くなってしまっただろうかと、胸が痛む。その理由を探したくはなかったけれど。
「……責任がねえわけねえだろ」
「ないと思うが」
「あるんだよ」
「ないと言っている」
強情な男だなと手塚は思う。自分のことを棚に上げているのは気づかずに、どうあっても譲らないと言いたげに突き刺してくる視線を、同じだけの強さで押し返す。謝罪を受け入れられなくて戸惑っているようで、瞳が揺れていた。
しかし事実として、跡部が直接手塚に何かをしたわけではない。無意識に肘をかばっていたせいで、肩に負担がかかってしまっただけだ。跡部に咎はない。
「……俺がテメェに対してできることはねえのか」
跡部の苦しそうな声音が耳に届く。責めてさえいるようなそれに、手塚は「肩はもう治っている」と小さく首を振った。
「だが、リハビリのせいで練習時間は奪われただろう」
「それは仕方がない。跡部、本当に気にしないでくれ」
対戦相手の怪我を気にするような男ではないと思っていたのに、また裏切られたようだ。義理堅いとでも言えばいいのか、それはそれで跡部景吾としての資質を損ねていない。
「逆の立場だったら、テメェは気にせずにいられるのかよ」
問いかけられて、手塚はわずかに目を瞠る。それは、無理だ。
真剣勝負とはいえ、相手の選手生命を絶っていたかもしれないというのに、一切気にかけないというのはできやしない。その沈黙を答えと取ったようだったが、手塚にも言い分はある。
「では逆の立場なら、お前は気に病んでほしいのか」
跡部が一つ瞬いて、チッと舌を打つ。言葉として答えは返ってこなかったが、それだけで充分に伝わった。
本意ではないのだ、お互いに。
あの時試合を棄権しなかった手塚と、全力で迎え撃った跡部。
お互いの責任――なんて格好つけたものではなく、ただ単に真剣に球を交わしたがった情熱だ。それで負った怪我に、どちらがどれだけ悪いということもないだろう。
「しかし跡部、そんなに心配したのなら、一度くらい顔を出してくれてもよかったんじゃないのか?」
お互い連絡先は知らないが、跡部の財力と行動力をもってすれば、九州に飛ぶことなど造作もなかっただろうに。
手塚はやんわりとため息交じりに責めてみる。跡部景吾が手塚国光の帰りを待つだけだなんて、らしくない。
「アーン? 俺様が見舞いに行ってやらなかったからって拗ねてやがんのか、手塚ぁ?」
責めたはずが、返り討ちにあった気分だった。
見舞いに来てほしいと思っていたのかと――今気づかされて、いたたまれない。いや、見舞いなどと大袈裟なものでなくて良かったのだ。顔が見たかった。
――――いやそれもおかしいだろう。なんで跡部の顔を見たがるんだ。
やはり不可解な感情が渦巻いて、眉が寄る。テニスがしたいというならまだしも、〝顔が見たい〟という願望が先に出てきたのに困惑した。
「……まあ、テメェがそう言うんだったら気にしねえようにしてやる。できるだけな。けど力になれることがあるようならいつでも言ってこいよ。なんでもいいから」
「何でも……その方がお前の気持ちが軽くなるのなら、そうしよう」
「だから、俺がどうこうより、自分のためにって考えろよ。無欲なヤツだな」
呆れた調子で肩を竦める跡部に、何を言っているのだと言ってやりたい。自分ほど強欲な人間はいないだろうにと。テニスがしたい。その欲は、誰よりも強い。
「……分かった。だがそれを要求しようにも、お前の連絡先を知らないのだが。個人的なことで氷帝に電話をかけるわけにもいかないだろう。都合が悪くなければ、何かしらの連絡先を交換しないか」
流れに乗った形で、跡部の連絡先を求める。不自然ではなかったはずだ。そう思うと、跡部の提案はありがたかった。いきなり連絡先が知りたいなどと言っても、不審がられるだけだっただろう。
跡部はハッと気がついたように目を瞬いて、「そうだな、構わないぜ」と端末を取り出してくれた。手塚もポケットから端末を取り出して、操作をしようとした。
したが、やり方が分からない。
なんてことだ。せっかく教えてもらえるのに、どうやったらここに登録できるのか分からない。
青学テニス部のレギュラー陣は登録されているが、向こうにやってもらった――というか登録された形だ。自主的に登録しようと思ったのは、これが最初。
手塚は気まずい思いながらも、一時の恥だと口を開いた。
「……跡部、すまない、やり方が分からないんだが」
素直にそう呟くと、跡部はぽかんとした顔で見つめてきた。間抜けなものだと自分でも思うが、どうしようもない。跡部はクックッとおかしそうに肩を震わせて笑い、それでも手を差し出してきた。
「貸してみな」
跡部は慣れているのだろうと、手塚は躊躇いもせずに顛末を手渡す。個人情報の塊であるにもかかわらずだ。しかし跡部景吾が妙な真似をするとは考えづらい。
そう思って彼を見やると、ひどく優しげな表情ですいすいと画面をなでていた。そんな表情は見たことがなくて、息を呑む。
ほわほわとしたむずがゆさを感じて、そっと顔を背ける。
――――コートの外では、そんな顔もするのか……。
本当に跡部景吾のことを知らないのだなと改めて実感する。あの日の試合で彼を知ったような気になっていたけれど、ほんの一欠片に過ぎないのだろう。
「ほらよ。できたぜ」
「あ、ああ、すまないな、ありがとう」
登録ができたらしい端末を返されて、手塚はホッとする。
これでいつでも連絡が取れるのだと思うと、指先が落ち着かない。
「手塚、本当に……試合、出られるんだよな」
険しい顔つきで、跡部が訊ねてくる。心配しているが、気に病むなと言われた手前、抑えているらしいその表情が、痛々しかった。
「肩は治ったと言っただろう。全国大会に支障はない。氷帝とも、準々決勝で当たるな。……楽しみだ」
そう返すと、跡部が目を見開く。氷帝が、青学と当たる前に負けるとは思っていない。そう暗に含んだつもりだったが、明確に伝わったようだった。負けるつもりで挑む試合などひとつもない。それは、誰もがそうだろう。
「俺も、楽しみにしてるぜ、手塚」
跡部が口の端を上げながらそう返してくる。ざわりと肌があわ立ったように感じられた。
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鼓動が速くなったのが、どういう理由からなのか考えたくない。考えないようにしようとすればするだけ、隣に座る跡部の存在をまざまざと感じてしまっていけない。
――――これは本格的に良くない……。
眉間にしわを寄せて目蓋を伏せた手塚をどう誤解したのか、跡部が面白そうに指摘してくる。
「何小難しい顔してんだ、手塚ァ。……ははーん。さてはテメェ、俺様を憂さ晴らしに使ったのが後ろめたいんだろ」
「…………憂さ晴らし……?」
何を言っているのだこの男は、と手塚は跡部を振り向く。
憂さ晴らしのつもりで跡部を呼び出したわけではない。ただ思いきりテニスがしたくて、相手が彼しか浮かばなかっただけだ。物足りないと思ってしまう胸の隙間を埋めてくれそうなのは、跡部しかいなかった。
おかしな感情に振り回されそうになるだろうことを、分かっていてだ。
「うまくいかねえからって、お前は表に出すわけにもいかねえだろ。まあよりにもよって対戦校の、しかも俺様を使いやがるとは大したもんだが」
「跡部、俺は」
ただの憂さ晴らしだなんて思われたくない。ではどう思われたいのかと言えば、答えにしたくない。
跡部に逢いたかったなどと言おうものなら、熱を疑われるかもしれない。そもそもが自分でさえこの感情を理解しきれていないのに、跡部に理解されてたまるかと妙な意地がわき上がる。
そういうつもりではないと言いかけたのに、それは跡部の愉快そうな笑い声で遮られる。
「いいじゃねーか。お前には俺がいる。俺にはお前がいる。憂さ晴らしでも練習台でも、好きにしろよ。それで強くなったテメェを、俺様が打ちのめすってわけだ。楽しいじゃねーの!」
跡部がパチンと指を鳴らすけれど、手塚は楽しいか楽しくないかを考える余裕などなかった。
本当にこの男は何を言い出すのだ。互いに互いがいるという宣言は、まるで情熱的な告白のようだ。跡部にそんなつもりがなくても、俺にはお前がいるなどと言われてしまえば、誤解されてもしょうがないのではないだろうか。
彼はいつもこんな調子なのだろうか? と面白くない気分にもなった。
しかしともかく、宣戦布告されてしまえば受ける他にない。相手が跡部なら不足はなかった。
「俺は負けない」
手塚は眼鏡を押し上げながらそう返す。不敵な視線をよこされて、負けじと強く視線で押し戻した。ベンチの上、互いの真ん中で視線が絡み合う。
――――なるほど。確かに俺には跡部がいて、跡部には俺がいるのだな。
その視線の交錯は、先ほどの跡部の言葉を如実に物語っている。安堵と闘争心が混じり合ったような、妙な気分に駆られた。
「どうする、手塚。決着ついてねえが」
視線が外れないまま、跡部の声が耳に届く。すぐ傍のコートは自分たちを待ってでもいるようだ。
「そういえばそうだったな。お前さえ良ければまだ打っていたいが、…………いや、やはりやめておこう」
手塚も視線を逸らさないままに返しかけたが、ふと思い留まった。
跡部はそれを不満に思ったのかわずかに眉を寄せ、それでもからかうような口調で指をさしてくる。
「なんだ手塚ァ、俺様に弱みを見せちまって恥ずかしいってか? これ以上ボロ出さねえようにしねえとな?」
「そうではない。弱みを見せてしまったことは恥じてもいるし謝罪もするが、終わりそうにないと思ったからだ」
物足りないと思い悩んだ身勝手さを晒してしまった。それこそ、よりにもよって跡部景吾にだ。
羞恥心というか不甲斐なさもあり、そんなことに付き合わせてしまったことには一言言わないといけないだろうが、やめようと言い出したのはそんな理由からではない。からかうなと強い視線で睨み返してやった。
跡部とこのまま続けていたら、いつ終わるのかちっとも分からない。そもそも、終わらないからきりの良いところでインターバルを挟んだのだ。次はいつになることやら。
「アーン? 終わりたければ、全力出してやろうか? 俺様はまだあの日の半分も力を出しちゃいないぜ」
「そんなのは、ボールを受けている俺がいちばんよく分かっている」
それは本当のことだ。長いラリーになっても、強烈なスマッシュを食らっても、あの日とは比べものにならない。
素直に受け止めてやれば、跡部は面食らったように目を瞬いていた。
「今は日が長いといっても、あまり遅くなると家族が心配する。お前のとこだってそうだろう」
「あぁ……まあ、……そーだな」
二人でそろって立ち上がり、沈みかけた陽を眺める。珍しく歯切れの悪い言葉は、どこか寂しそうに感じられた。
そのせいだろう。絶対にそうなのだが、もうやめておこうという提案を撤回したくなってくる。本当ならば、いつまでも打ち合っていたい。しかし自分にも、彼にも、帰る家があるのだ。
「暗くならないうちにお前を帰せる自信がない」
「……あァ?」
残念に思う気持ちが、その言葉にため息を混じらせる。跡部が落としたラケットが、カランカランと音を立てた。それを拾い上げて渡してやり、続ける。
「お前と打ち合っていると、終わりたくないと思うことが多々ある。決着をつけたい思いと、このままラリーしていたいと思う気持ちがごちゃ混ぜになるんだ」
「…………手塚、お前……、俺が女でなくて良かったな……。女相手にそんな台詞吐こうもんなら、誤解されるぞ」
跡部の頬が、心なしか赤く染まって見える。
今の言葉のどこが――と思いかけて、ハッとする。〝暗くならないうちに帰せる自信がない〟と言ったあれか、と。それはつまり本当は暗くなっても帰したくないと言っているのと同じだ。確かに跡部の言う通り、誤解をされかねない。
「……誤解をされた経験でもあるのか、跡部」
手塚自身にその発想はなかった。誤解されるという可能性をすぐに思い浮かべるあたり、跡部はこんなことには慣れているのだろう。面白くない。
「ねーよ! 俺様がそんなヘマするわけねえだろ!」
「そうだろうな。跡部なら、上手く立ち回るのだろう。俺には誤解させるような親しい女性はいないし、今はそういったことを考えないようにしている。テニスに集中したいんだ」
手塚は、どちらかというと自分に言い聞かせるように跡部に返す。
テニスに集中したい。跡部に恋をしているかもしれないなどとは考えたくない。どれだけ胸が高鳴っても、どれほど体の熱が上がっても。
――――俺は恋などしていない。
「今日はもう帰ろう」
「あぁそーだな……テメェといると本当に疲れるぜ……」
「そうか、それはすまない」
こちらの台詞だと言ってやりたいが、そうしたらなぜだと突っ込まれそうで恐ろしい。
跡部とこうしてテニスをして過ごすのは楽しいけれど、それと同じくらいに疲れる。胸が高鳴るのを否定する理由を探し続けなければいけない。
「跡部、明日また逢えるだろうか」
だけどそれを無視してでも、取り付けたい約束があった。逢いたいわけじゃない、テニスがしたいだけだと心の中で言い訳をして、跡部の言葉を待った。
「テニス、……だよな」
先ほどの誤解されかねない言葉のせいか、跡部が妙な間を開ける。テニス以外に何をするのだと言ってやりたい。
失敗したなと手塚は思った。跡部に対して特別な感情でもあるのではないかと思われたらたまったものではない。だからあえてそれに気づかない振りをして、なんでもないように返した。
「ああ、青学の練習が終わってからだが」
「同じ時間、ここでいいか」
まだどこか警戒しているような表情だったが、手塚は頷く。本当に、跡部とはテニスをしたいだけなのだ。夜遅くまで語り合いたいだとかそんな気は一切ない。
明日の約束を取り付けて、気をつけて帰れとバッグを担いで踵を返した。何事か文句らしきものを言っているのが聞こえたが、相手にしないでおこうと素知らぬふりをして。
今日も有意義な時間が過ごせた。腹の中にくすぶっていた物足りなさは充分に解消できたし、期せずして身勝手な不満を理解されてしまった。
――――跡部が、ここまで人の心の機微に聡いとは思っていなかったな。気分が晴れたのは、アイツの的確で忌憚ない指摘のおかげなのだろう。
家に向かって歩き出しながら、跡部のことを考える。薄々気づいていた身勝手な不満は、ここで吐き出さなければ積もるだけだっただろう。鬱憤が溜まって、良いプレイができなくなる可能性だってあった。
己を律することも鍛錬のうちだと思ってはいるが、気分が晴れたということは、ストレスでもあったのだと今になって気づく。
〝いいじゃねーか。お前には俺がいる。俺にはお前がいる〟
冷静になって考えてみれば、ものすごい台詞だ。誤解させるなと言う跡部の方こそ、言動に気をつけた方がいいのではないだろうか。こんな、相手を唯一みたいに扱う言葉なんて、帰せる自信がないと言うよりもずっと情熱的ではないか。しかもそれが様になるのだから困りものだ。
胸が高鳴るのを止められない。顔が火照っているのに気づいても、早く跡部から距離を取ることの方が先決で、隠していられなかった。
ただそれと同じだけ、距離ができるのを寂しく思う自分がいるのに気づいてもいた。
明日も逢うというのに、たった少し離れただけで何を考えているのだろう。
速かった歩調を緩めて、手塚は跡部と打ち合ったコートの方を振り向く。さすがにもう見えやしなかったけれど、目蓋の裏に浮かんでくる。今日も目一杯丁寧に返球してくれたあの男のしたたかで華やかな笑み。
「明日も、逢える……」
そう小さく呟いて、正面に向き直って再び足を踏み出す。つい数日前まで考えられなかったことだ。こんなに頻繁に逢うようになるなんて。テニスがしたいと言って、すぐに予定を合わせてくれる好敵手。
明日も、同じほどの熱量でテニスができる。その貴重な幸福を思って、知らず口の端が上がった。
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