- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.566, No.565, No.564, No.563, No.562, No.561, No.560[7件]
情熱のブルー-009-
跡部についてやってきたのは、屋内のコート施設だった。跡部の会社が管理しているようで、受付ではバタバタとした様子で出迎えてくれる。
別に本格的な視察ではないと跡部が言うあたり、きちんと運営されているか確認しに来ることもあるのだろう。
視察がてらいつでもプレイができるようにと、跡部は自分用のウェアとラケットを置いているらしい。氷帝のユニフォームでないせいか見慣れないなと思うが、そもそも氷帝のユニフォームを着た跡部だって、慣れるほど見たわけでもない。
手塚はジャージの上着を脱いで軽く畳み、ストレッチを開始した。
テニスができる。肘を痛めた時も止められた期間はあったが、あの時よりもずっと切実にテニスがしたかった。
恐らく、跡部のプレイに触れたからだろう。触発されるというのが正しい表現かは分からないが、同じだけの熱量を持って挑みたいと思わせる〝何か〟が彼のテニスにはある。持って生まれた才能なのか、努力によって培われたものなのか。
ともかく、そんな跡部景吾と球を交わせるというのはひどく気分が高揚する。公式試合でもないのにだ。
「セルフジャッジ、ワンセットマッチだ」
「ああ、構わない。跡部、手加減はなしだ」
ネットを挟んで対峙する。青い空も、観客もない。審判も、声援もない。ふたりだけの勝負。
サービスを跡部に譲り、受け止めるためにラケットを構えた。自分が緊張しているように思える。跡部がトスを上げる様をじっと見つめ、コースを読む。
手塚は眉を寄せた。打ち込まれたボールは、本気のものではない。
手加減はなしだと言ったのに、その場しのぎだと思われたのか。跡部の打ったサーブを足元に打ち返してやった。
「油断しているお前が悪い」
そのボールを追って振り向く跡部に、煽るような言葉を吐く。ギラリと光る瞳が睨みつけてくるのを、ぞくぞくと背筋を震わせながら受け止めた。楽しそうに口の端を上げて、今度は思いきりラケットを振ったようだ。
「確かに手加減なしでいいみてえじゃねーの! 手塚ァ!」
返ってきたボールに手塚は追いつけず、跡部が笑うのに合わせて手塚もわずかに口の端を上げた。
「そうこなくてはな、跡部」
打たれる。拾う。たたき返され、迎え撃つ。長いラリーになった。
手加減がほしいわけじゃない。真剣にただこのボールを追っていたい。何も考えずに、無心に。リハビリ中にはできなかったことだ。
足を踏み込み、腕を振り抜く。ただそれだけで、だんだんと神経が研ぎ澄まされていく。
インパクト音と、床を踏むシューズの音。時折聞こえる相手の呼吸と、自分の吐息。互いの間を何度も行き来する黄色いボールからは、一瞬たりとも目を離せない。
決めるつもりで打ったのに返される。悔しいが、それは跡部の方も同じようだった。肌があわ立ち、パァンとボールを返す。追いつけなかった跡部から点を取った。
それでも諦めるでもなく睨みつけてくる跡部が、なんとも言えず闘志を奮い立たせる。
「次は俺が取るぜ」
「俺は負けない」
「だからそういうとこだっつってんだよ!」
今度は跡部の球に足元を撃ち抜かれる。したり顔で挑発を受ける彼を、負けず嫌いだなと思わざるを得ない。だが手塚にはそれが心地良かった。向かってくるギラついた視線は、上を目指す者の瞳だ。引きずられそうなほどに、目が離せない。
跡部の視線の方向へボールが向かう。時にそれはフェイクとなり、改めてこの男の技術を知った。
こんな男だったのか。上手いのと強いのとは、似ているようで異なるが、跡部景吾はそのどちらをも備えているようだ。
その男からポイントを取った瞬間よりも、打ったボールをきっちり拾われた瞬間の方が楽しいと思っていることに、手塚は薄々感づいていた。まだ続けられると思うと、ポイントを取るよりも嬉しい。
恐らく顔には出せていないだろうが、このラリーがずっと続けばいいなどと考えてさえいる。
点を取らなければ決着はつかないのに、それでも、跡部とのこんな時間をもっと長く過ごしたい。負けたくないという思いと同じほどの強さでだ。
気がつけば、打ち合い始めてから二時間ほど経過していた。
「手塚ァ! そろそろバテてんじゃねーのか!」
「お前こそ、スピードが落ちているぞ、跡部」
「抜かせ!」
煽ったつもりはなかったが、気に食わなかったのか、跡部の球速が上がる。突然のことに対処しきれず、強い打球が手塚のラケットを跳ね飛ばした。
「……っ」
引きつった痛みを感じる。指先の痺れが、肩にまで伝わってきた。
「手塚!」
それに慌てたらしい跡部が、わざわざネットを越えてくる。駆け寄ってくる彼の切羽詰まった表情に、どうしてか胸が鳴った。
「今の変な打ち方しただろ。痛みはあるか? すぐ医者に――」
「いや、問題ない。少しタイミングを誤っただけだ」
「本当にか? 欠片でも嘘が混じってやがったら許さねーぜ。俺はお前の下についてるヤツらじゃねえんだ、意地張ってねえで、俺にだけは本当のことを言え」
手塚はひとつ目を瞬く。
彼の言うことはなんとなく理解できるような気がした。
部長という立場がある以上、弱みは見せたくない。部員たちの士気に関わるからだ。跡部自身そうなのだろう。だからといって対戦校の部長に弱みを見せたいかといえば、絶対に違うのだが。
しかし例えばここで弱みを見せたとして、跡部が弱みを見せられる相手はいるのだろうかと考える。
部員たちには見せない部分を、誰が支えてくれるのだろう。
そんなことを考えていたら、睨みつけてくる跡部の瞳の強さが増した。嘘が混じっているとでも思っているのだろう。
「……本当のことを言っている。お前相手に遠慮したところでどうにもならないだろう」
「それはそうだが……」
跡部の眉間にしわが寄る。珍しく引き結ばれた唇は、何を言いたがっているのか。まっすぐに左肩へと向かってくる視線は、いっそ手塚の方こそ痛々しく思う。あの日目の前で膝をついてしまったことが悔やまれる。もしかしたら、跡部の中に傷を残してしまったのかもしれない。
あの時跡部は、本当に潰すつもりなどなかったはずだ。手塚が途中で棄権するか攻め誤るかで勝利をもぎ取ろうとしていた。手塚がそれを意地で続行させたのは、跡部にとって大きな誤算だったに違いない。
手塚が、またあの時の感覚を味わうのかと恐れてイップスに陥っていたのと同じく、跡部も、自分の打球が今度こそ一プレイヤーの未来を絶つかもしれないという恐れと戦っているのだろう。
そこに気づけなかったのが、悔しくてならない。跡部にそんな顔をさせたくて試合をしたわけではないのに。
「跡部、俺は平気だ」
強くそう言い放てば、跡部はそっと口を開けた後に躊躇って閉じ、また開く。
「……触れてもいいか?」
視線はじっと左肩に張り付いたままだ。手塚はコクリと強く頷いた。
「ああ」
もう治ったと口で言うだけでは信じられないのなら、いくらでも触れてくれて構わない。跡部がゆっくりと上げた手が左手だったのは、意図してなのかどうか。
そっと触れてくる指先。当然痛みなど感じない。そんな小さな接触では、感覚もない。伺うように手のひらで包まれてようやく、触れられていると実感した。
手塚は目を瞠る。肩に触れた手の上に、跡部が額を乗せてきたせいだ。重みが増し、距離が近くなる。
――――近い、……どころではない……。
頬に、首筋に触れる髪がくすぐったい。誰かとこんな距離で接したことはなく、どちらかと言えば苦手な方だ。
だけどここで跡部を押しやれば、またおかしな誤解をさせるだろう。肩はなんでもないのだと跡部が納得するまでこうしているほかにない。
額を乗せていた手を抜き、ゆっくりと腕のラインを確かめるように下りていく。ウェア越しに感じる手のひらの温もりに、危うく息を呑みそうになった。
いったい何をしているんだと言いたい。いや、肩の様子を確認しているのは分かるが、そんな触れ方をする必要があるのだろうか。
跡部の指先が肘を滑り、やがて手首にまで下りる。握ったラケットに爪の先が当たったところで、跡部はようやく満足したように息を吐いた。
「良かった……」
小さく呟かれたそれに、また胸が鳴る。これは本当に心を砕かせていたのだと気づく。
自身が関わったからでなく、手塚国光というプレイヤーの肩が壊れていないか、思い悩んでいたのだろう。手塚の復帰を誰よりも望んでくれたに違いなく、心の底から安堵した様子を晒す跡部に、急激に何かがせり上がってくる。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
情熱のブルー-008-
このまま会話を終えて別れるしかないだろうか。つい先ほど、テニスがしたいと強く思った。対等な相手と、ボールを交わしたい。
目の前の男は、この欲に応えてくれるだろうか。
手塚は俯いて、たった今連絡先を登録したスマートフォンを見下ろす。
いつでも連絡が取れる状態にはなったけれど、跡部にも予定というものがあるだろう。今この機会を逃したら、ずっと重ならないかもしれない。
そもそも、申し出を受け入れてくれるかどうか分からない。肩のことを気にして、無理だと言われるかもしれない。できたとしても、手加減をされる可能性は高い。
「手塚?」
「先ほど……力になれることがあるならと言ったな。なんでもいいのか?」
俯いて黙りこくった手塚を怪訝に思ったのか、跡部が声をかけてくる。訊ねれば、どこかホッとしたような表情に変わった。力になれることがあるのかと安心したようだ。
「ああ、こっちでのリハビリ施設でも見繕ってやるか? それともジムの方がいいか。体力もちょっと落ちてんだろ。英気を養いたいってんなら、俺が最高のプランを考えてやろうじゃねーの」
生来世話好きなのか、生き生きとした声で提案をしてくる。どれも手塚の望みからすれば的外れなものだが、気遣いは嬉しく思った。
「いや、そういうことではなく……」
「なんだよ、俺様が叶えられないことがあると思ってやがんのか?」
「本来なら、頼むようなことではないと思う。望まないかもしれない相手に言って叶えたところで、それが本当に叶ったと言えるのかどうか」
「おい、俺様に哲学でも説きたいってんじゃなきゃ、さっさと言え手塚。まどろっこしい」
呆れたように跡部が息を吐く。手塚は意を決して、跡部をじっと見つめた。
そうして、あの日からずっと、焦がれている思いを音にした。
「俺はまたお前とテニスがしたい」
跡部が目を瞠るのを至近距離で見つめる。その青の瞳はあの日と何も変わっていなくて安堵した。
「……俺と?」
やはり戸惑ってはいるようだが、搦め捕るような深さは同じだ。そうだ、この瞳が見たかった。ネット越しでしか見られなかったその青が、今傍にあることが、手塚の胸に火を落とす。
「ああ、お前とだ。公式戦でなくても構わない。時間の都合がつけば、今からでもいいんだが」
「……頭沸いてんのか?」
「いや、沸いてはいない」
思考は正常だ。そんなふうに言われるほどおかしなことを言ったのだろうか。
跡部が、困惑と憤りを込めて一歩踏み出してくる。
触れてしまえそうな距離だが、跡部はいつもこんな距離で他人と言葉を交わすのかと、妙なところに思考が向かう。
それでも、跡部とテニスがしたいという思いは変わらない。
「どこの世界に! 怪我のきっかけになった相手とうきうきゲームしたがるヤツがいるんだよ!」
「なるほど。ならば世界初かもしれんな。うきうきというよりはうずうずだが」
跡部が何に困惑して、憤っているのか理解した。気にしないでいてやると言いつつも気にしているようで、まだ素直に受け入れられないのか。今の肩の状態を知らない――というより、あの日肩を痛めた時の様子をいちばん間近で見ていたせいなのだろう。
逆の立場であれば、手塚も跡部と同じだっただろうなと思うが、怪我のせいでテニスができないとは思わせたくない。
やはり、跡部とだからこそ今ボールを交わすべきだと感じた。
「……俺とお前は準々決勝で当たるだろうが」
敵同士だと跡部は眉を寄せる。データでも盗むつもりじゃないだろうなと疑う言葉を突きつけられて、その発想はなかったなと新鮮な気持ちだった。
乾であれば確実にデータを取るのだろうが、跡部とプレイしながらデータを取るなど、そんな余裕があるとは思えない。それに、プレイデータを晒すのはお互い様だ。リスクは同等である。
そう説いたら、「誰がデータなんか取らせるかよ」としたたかに跳ね返される。その根拠と自信はどこからくるのだろう。いっそ心地良いほどのプライドだ。
「ならば問題ないだろう。お前が……俺とはやりたくないというのなら、仕方ないが」
データの搾取が問題でないのならば、あと拒まれる理由はひとつだ。「お前とやると負けるの分かってるから」などと言って対戦してもらえないことが、今までに何度かあった。
跡部がそんな弱気なことを言うところは想像できないが、好まないプレイスタイルというのもあるだろう。
事実、手塚だって跡部のプレイスタイルはあの日まで好きではなかったのだ。跡部にとっての手塚のプレイがそれに当たれば、この先ボールを交わすのは難しくなる。
「いや、そんなわけねえだろ。どこからそんな発想出てくるんだよ、アーン?」
思考をむしばみ始めたそれは即座に否定された。
「俺はお前のプレイ好きだぜ」
否定されたどころか、逆に好きだと言われた。あまりに明け透けな言葉に面くらい、心臓がトクンと音を立てる。
外国での暮らしが長かったと聞いたことがあるが、そのせいなのだろうか。
「予想外に強引で傲慢なアレを打ち負かすのを想像すると楽しいな」
ふふんと楽しそうに鼻を鳴らす様子に、手塚は目をぱちぱちと瞬いた。自身が勝つことを前提にされたのもそうだが、強引で傲慢と表現されたことに驚く。
「傲慢……そんなことは初めて言われたな」
強引だというのは分かる気がする。いつの間にか手塚ゾーンなどと名付けられた技は、ボールの回転を利用してすべて自分のところに返ってくるよう打つからだ。相手の打ちたかった軌道を強引に変えるそれは、そう言われても仕方がない。しかし、傲慢というのはどういうことだろう。
「そうかよ? でもまあ、頂点に立つものには必要な要素だろう。自分は周りを引っ張っていくべき立場、自分にしかできないっていう自信は、プレイにも現れる。褒めてるつもりはねえが、貶したわけでもねえんだぜ」
氷帝学園テニス部の二百余名を率いている跡部が言うのは、さすがにリアルだ。元々のカリスマ性に加え、その自信に満ちたプレイで周りを引っ張ってきたのだろう。強引に、傲慢に。それを褒めたわけでも貶したわけでもないというのは、自身に向けたものでもあるのかもしれない。
改めて、すごい男だと思った。本当に同い年なのだろうかと疑いたくなるほどだ。
だが、あの日知った情熱に、歳など関係ない。
強引な情熱。傲慢なほどの自信。交錯した視線の強さは、背筋を震わせた。
手塚はぐっと拳を握る。
「跡部、やはり今からテニスがしたい」
「……俺様は制服なんだが」
「何でもいいと言ったな?」
火を付けたのは跡部だ。ラケットやウェアなどどうにでもなる。使い慣れたものでないと本来の力が発揮できないと言うのなら、それをそろえてからでも構わない。次の機会など待っていられないと強く見返せば、跡部の瞳には戸惑いも躊躇いも見受けられない。あの日と同じ強さで見つめ返されて、胸が熱くなった。
「……近くのコート、屋内でもいいか」
「ああ、構わない」
頷けば、跡部はどこかに電話をかけ始めた。屋内だろうが屋外だろうが、コートがあればどこでもいい。
そうは言ったが、まさかコートを借り切るとは思っていなくて、彼が財閥の御曹司だということをすっかり忘れていた。
「何も貸し切りにしなくとも……お前が跡部だということを忘れていた」
「ハ、テメェが万が一肩の怪我で無様なプレイしてもギャラリーに見られないようにっていう、俺様の配慮だぜ。感謝しな」
「余計な世話だが」
「冗談だ」
意地悪く片眉を上げる跡部に、手塚は眉を寄せる。本当に余計な世話だ。
そんなプレイしかできない状態で戻ってきたわけではないのだと続けようとしたが、じっと前を見据えながら跡部がぼそりと呟いた言葉に、そんな抗議は飲み込まれていく。
「邪魔されたくねえ」
跡部は音にしたつもりはなかったかもしれない。誰にも聞こえないように呟いただけだったかもしれない。
だが手塚の耳には届いてしまった。
邪魔をされたくないと思うほど、力を入れるつもりらしい。それは嬉しくて、胸のあたりがむずがゆい。
「……俺の肩のことは気にするなと言ったが、お前に貸しができたのだとでも思えば、なかなか愉快だな、跡部」
それを誤魔化すように返してみれば、当然面白くなさそうに跡部が振り返る。
「アァン!?」
「冗談だ」
先ほどの跡部を真似てそう呟いたら、彼は引きつったような笑みを浮かべた。
「テメェ、いい性格してるじゃねーの」
「褒め言葉か?」
「褒めてねーが!? まさかこういうヤツだったとはな……読み切れなかったぜ……」
冗談を冗談で返してくるような男だとは思っていなかったのだろう。指先で額を押さえ睨みつけてくるが、手塚には心地よさだけが残る。
予想外だったのは恐らくお互い様なのだ。手塚は跡部景吾をこんなに真摯な男だとは思っていなかった。跡部は手塚国光がこんなに強引な男だとは思っていなかった。
「まぁいい。おら、行くぞ手塚ぁ」
「ああ、楽しみだ」
まだ知らない面がたくさんあるのだろう。ボールを交わす間に、もう少し知ることができるかもしれないと、手塚は珍しくそわそわとした足取りで跡部の隣を歩いた。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
情熱のブルー-007-
「それで、話とは?」
「…………肩、どうなんだ」
触れられるくらいの位置にまできて、手塚は促す。眉間にしわを寄せて、跡部が口を開いた。視線は左肩に向かってきていて、まあそこは気になるだろうなと軽く頷く。
「治療は終わった。もともとそんなにひどいものでもなかったのでな」
「どの口が言いやがる。俺様にあんな姿さらしておいて」
目を背け舌を打つ跡部に、ぐっと言葉につまる。彼の前で膝をついてしまったことは、悔しくてしょうがない。だが、事実は事実として受け止めなければと、コクリと唾を飲んだ。
「本当のことだ。どうも、心の方が重症だったようだが……イップスも克服してきた」
そう告げれば、跡部がわずかに目を瞠ったようだった。お前ほどの男でもイップスに陥るのかとでも言いたげだ。
良い経験ができたとは思っている。自分の中の弱さを理解できた。世間に言われるほど強くはないと思うのだが、跡部がそれだけ評価してくれているのかと考えると、胸のあたりがくすぐったい。
だが、次の瞬間手塚は目を瞠った。跡部がすっと頭を下げてきたせいだ。
「悪かった」
一瞬何を言われたのか理解できなかった。困惑ばかりが胸の中に渦巻いて、口をついて出たのは「なんの謝罪だ?」と訊ねかける言葉。いやみでなく、なぜ跡部がそうするのか本当に分からなかったのだ。
「あァ?」
跡部の顔が、不可解そうに歪む。そうしても元の美しさを損なわないのはすごいなと、この状況で的外れなことを考えた。
ふと思い当たる。
「……跡部、まさかとは思うが、気にかけてくれていたのか、肩のこと。ずっと」
跡部が頭を下げる理由などないが、思い当たるのはそれしかない。彼との試合で痛めてしまった肩のことを、謝罪しているのか。
「なっ……てめ……、気にかけるだろうが、普通は! テメェのその怪我は、元は俺がっ……」
何を言っているんだと憤る跡部に、お前の方こそ何を言っているんだと言ってやりたい。肩を指してくる指先には見向きもせずに、手塚は跡部の瞳をじっと見つめ返した。
「跡部、言っておくがこの怪我は俺の責任だ。俺が選択した結果だろう。お前には関係ない」
そう強く言い返した瞬間、さっと跡部の顔から血の気が引いたように見えた。そうしてから気がつく。これではまるで、拒絶のようではないか。
そういうつもりではなかったのだが、硬直した跡部の表情をみるに、誤解させてしまったに違いない。
「いや、関係ないというのは語弊があるな。お前に責任はないと言いたかった」
思っていることを言葉にする難しさを痛感する。こんな時テニスならば、簡単に伝わるのに、ラケットを握っていないと途端にこれだ。印象が悪くなってしまっただろうかと、胸が痛む。その理由を探したくはなかったけれど。
「……責任がねえわけねえだろ」
「ないと思うが」
「あるんだよ」
「ないと言っている」
強情な男だなと手塚は思う。自分のことを棚に上げているのは気づかずに、どうあっても譲らないと言いたげに突き刺してくる視線を、同じだけの強さで押し返す。謝罪を受け入れられなくて戸惑っているようで、瞳が揺れていた。
しかし事実として、跡部が直接手塚に何かをしたわけではない。無意識に肘をかばっていたせいで、肩に負担がかかってしまっただけだ。跡部に咎はない。
「……俺がテメェに対してできることはねえのか」
跡部の苦しそうな声音が耳に届く。責めてさえいるようなそれに、手塚は「肩はもう治っている」と小さく首を振った。
「だが、リハビリのせいで練習時間は奪われただろう」
「それは仕方がない。跡部、本当に気にしないでくれ」
対戦相手の怪我を気にするような男ではないと思っていたのに、また裏切られたようだ。義理堅いとでも言えばいいのか、それはそれで跡部景吾としての資質を損ねていない。
「逆の立場だったら、テメェは気にせずにいられるのかよ」
問いかけられて、手塚はわずかに目を瞠る。それは、無理だ。
真剣勝負とはいえ、相手の選手生命を絶っていたかもしれないというのに、一切気にかけないというのはできやしない。その沈黙を答えと取ったようだったが、手塚にも言い分はある。
「では逆の立場なら、お前は気に病んでほしいのか」
跡部が一つ瞬いて、チッと舌を打つ。言葉として答えは返ってこなかったが、それだけで充分に伝わった。
本意ではないのだ、お互いに。
あの時試合を棄権しなかった手塚と、全力で迎え撃った跡部。
お互いの責任――なんて格好つけたものではなく、ただ単に真剣に球を交わしたがった情熱だ。それで負った怪我に、どちらがどれだけ悪いということもないだろう。
「しかし跡部、そんなに心配したのなら、一度くらい顔を出してくれてもよかったんじゃないのか?」
お互い連絡先は知らないが、跡部の財力と行動力をもってすれば、九州に飛ぶことなど造作もなかっただろうに。
手塚はやんわりとため息交じりに責めてみる。跡部景吾が手塚国光の帰りを待つだけだなんて、らしくない。
「アーン? 俺様が見舞いに行ってやらなかったからって拗ねてやがんのか、手塚ぁ?」
責めたはずが、返り討ちにあった気分だった。
見舞いに来てほしいと思っていたのかと――今気づかされて、いたたまれない。いや、見舞いなどと大袈裟なものでなくて良かったのだ。顔が見たかった。
――――いやそれもおかしいだろう。なんで跡部の顔を見たがるんだ。
やはり不可解な感情が渦巻いて、眉が寄る。テニスがしたいというならまだしも、〝顔が見たい〟という願望が先に出てきたのに困惑した。
「……まあ、テメェがそう言うんだったら気にしねえようにしてやる。できるだけな。けど力になれることがあるようならいつでも言ってこいよ。なんでもいいから」
「何でも……その方がお前の気持ちが軽くなるのなら、そうしよう」
「だから、俺がどうこうより、自分のためにって考えろよ。無欲なヤツだな」
呆れた調子で肩を竦める跡部に、何を言っているのだと言ってやりたい。自分ほど強欲な人間はいないだろうにと。テニスがしたい。その欲は、誰よりも強い。
「……分かった。だがそれを要求しようにも、お前の連絡先を知らないのだが。個人的なことで氷帝に電話をかけるわけにもいかないだろう。都合が悪くなければ、何かしらの連絡先を交換しないか」
流れに乗った形で、跡部の連絡先を求める。不自然ではなかったはずだ。そう思うと、跡部の提案はありがたかった。いきなり連絡先が知りたいなどと言っても、不審がられるだけだっただろう。
跡部はハッと気がついたように目を瞬いて、「そうだな、構わないぜ」と端末を取り出してくれた。手塚もポケットから端末を取り出して、操作をしようとした。
したが、やり方が分からない。
なんてことだ。せっかく教えてもらえるのに、どうやったらここに登録できるのか分からない。
青学テニス部のレギュラー陣は登録されているが、向こうにやってもらった――というか登録された形だ。自主的に登録しようと思ったのは、これが最初。
手塚は気まずい思いながらも、一時の恥だと口を開いた。
「……跡部、すまない、やり方が分からないんだが」
素直にそう呟くと、跡部はぽかんとした顔で見つめてきた。間抜けなものだと自分でも思うが、どうしようもない。跡部はクックッとおかしそうに肩を震わせて笑い、それでも手を差し出してきた。
「貸してみな」
跡部は慣れているのだろうと、手塚は躊躇いもせずに顛末を手渡す。個人情報の塊であるにもかかわらずだ。しかし跡部景吾が妙な真似をするとは考えづらい。
そう思って彼を見やると、ひどく優しげな表情ですいすいと画面をなでていた。そんな表情は見たことがなくて、息を呑む。
ほわほわとしたむずがゆさを感じて、そっと顔を背ける。
――――コートの外では、そんな顔もするのか……。
本当に跡部景吾のことを知らないのだなと改めて実感する。あの日の試合で彼を知ったような気になっていたけれど、ほんの一欠片に過ぎないのだろう。
「ほらよ。できたぜ」
「あ、ああ、すまないな、ありがとう」
登録ができたらしい端末を返されて、手塚はホッとする。
これでいつでも連絡が取れるのだと思うと、指先が落ち着かない。
「手塚、本当に……試合、出られるんだよな」
険しい顔つきで、跡部が訊ねてくる。心配しているが、気に病むなと言われた手前、抑えているらしいその表情が、痛々しかった。
「肩は治ったと言っただろう。全国大会に支障はない。氷帝とも、準々決勝で当たるな。……楽しみだ」
そう返すと、跡部が目を見開く。氷帝が、青学と当たる前に負けるとは思っていない。そう暗に含んだつもりだったが、明確に伝わったようだった。負けるつもりで挑む試合などひとつもない。それは、誰もがそうだろう。
「俺も、楽しみにしてるぜ、手塚」
跡部が口の端を上げながらそう返してくる。ざわりと肌があわ立ったように感じられた。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
情熱のブルー-006-
三日、最後のリハビリに励んだ。病院での手続きを済ませて、いちばん早い飛行機に乗った。今日はちょうど、全国大会の組み合わせ抽選日のはずだ。くじを引くまでに間に合うだろうか。
青学が無事に全国大会へと勝ち進んだことは伝え聞いていて、信じていたがやはり安堵した。
全国大会という大舞台で、またテニスができる。
医師からはあまり無茶をしないようにとクギを刺された。できるだけそうしたいが、どの学校も強敵ばかりだろう。王者立海大付属とも当たるだろうし、油断はできない。
――――氷帝は……跡部はどうしているだろう。
いちばん気にかかるのはそこだ。
彼らの〝夏〟は終わってしまった。怪我を負いながらも全国大会に進んだ自分が、「テニスをしたい」などと、ともすればいやみにも取られかねないことを跡部に望んで、受け入れてもらえるかどうか。
そもそもどうやって連絡を取ればいいのか。ふわりと跡部の顔が頭に浮かんで、唐突に顔の熱が上がった。また無意識に跡部のことを考えてしまっている。
あまりにも強烈な印象を残した試合だったから、頭から離れないのだと思う。そうしておきたい。そうに決まっている。何も問題はない。ともかく跡部のことは全国大会が終わってからだと心に決めた。
そうして空港から電車を乗り継ぎ、抽選会場である立海大付属の校舎に着いた。
途中で竜崎に連絡を入れたら、もっと早く連絡しなと怒られた。失念していたのは手塚の落ち度だ。それでもホッとしたような竜崎の声に背中を押されて来たわけだが、抽選はどうなっているだろうか。青学がまだ引かれていないのなら、自身のこの手で引いてみたい。
ドアのノブに手をかけたら、中から青学の代表を呼ぶ声がした。どうしてか笑い声も聞こえて、若干躊躇う。それでもギッとドアを開け、中の様子を目の当たりにした。
今まさに、大石が抽選の壇上に向かうところだ。間に合ったと安堵するより早く、たった一度きりのくじは自分が引きたいという欲求が駆け抜けた。
「大石、それは俺に引かせてくれないか」
声をかけた瞬間、ざわついていた室内がしんと静まりかえる。手塚の声を認識して、大石が振り向いた。安堵と歓喜でくしゃくしゃになった顔が、手塚をも安堵させる。大石が、どれほど頑張って部を支えてくれたかが分かるようだ。
手塚は壇上に向かって段を下り、駆け寄ってきた大石に頷いた。
「おかえり手塚、待ってたぞ」
「ああ、遅くなってすまない。次は全国だな、大石」
嬉しそうに頷いて、大石は元いた席に腰をかける。くじを引く役目を果たそうと壇上に視線をやって、途中、息が止まりかけた。
――――跡部。
視界の端に、跡部景吾が映ったせいだ。一瞬だけの交錯を、彼は認識しただろうか。驚いたような表情は、あの日ボールをたたき返した時のものよりも幼く見えた。
――――そうか、開催地枠。出られるんだな跡部…………よかった。
上位枠はもう埋まっていたはずだ。それなのに、敗退した氷帝学園の代表としてここにいるということは、開催地枠としての出場が決まっているということだ。
くじによっては、氷帝学園と当たることもあるのかと手塚は口の端を上げた。叶わないと思っていた公式戦で、彼のプレイを見られる。胸がざわめいて、指先がそわついた。
ざわざわと、自分のことを囁く声が聞こえる。噂話は本人のいないところでやるものではと思いつつ、気に留めるほどのものでもない。
「ふん、手塚がなんぼのもんじゃい。ワシのスーパーテニスで――」
「やめとけ。テメーじゃ十五分ももたねーよ」
ただ、跡部の声だけが鮮明に耳に届く。なぜ跡部が得意げなのだと眉が寄ったが、じわじわと胸の辺りが熱くなってくる。
――――なぜ、こんなふうになるんだ。
顔を見ただけだ。声を聞いただけだ。会話をしたわけでもないのに、なぜこんなにも胸が鳴るのか。
段を下りる途中、長い足を突き出されたが、そんなものに引っかかりはしない。
「随分と長い足だな」
そう挑発し返してやったら、高笑いが返ってくる。楽しそうだなと思っていたら、跡部が肩を震わせているのに気がついた。何かおかしなことをしてしまっただろうかと心配にもなった。
あれ以来初めて顔を合わせる。いや、合わせたというレベルではないが、元気そうでなによりだと思う。タイミングが合えば、連絡先の交換ができればいいと思いながら、生涯で一度きりの、全国大会の抽選くじを引いた。
氷帝学園はもう決まっていた。勝ち進めば、準々決勝で当たる。それを認識した瞬間、ドクンと心臓が大きな音を立てた。
湧き上がってくるのは純粋な闘志で、ぐっと強く拳を握る。
――――テニスがしたい。思いきりラケットを振りたい。
欲求は尽きない。抽選会が終わって青学に向かえば誰か相手をしてくれるだろうかと、珍しく心が逸る。
己を律することがいつもより難しくて、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。
「手塚、本当に良かった。もう万全なのか? 大会、出られるんだよな?」
「ああ、心配ない。大石、皆を率いてくれて感謝する。全国大会に出られることを、本当に嬉しく思うぞ」
席に戻れば、大石がそわそわしながら訊ねてくる。手塚は頷きながらそれに答えた。
どのような練習をしたのか、どのような試合運びだったのか、あとで聞かせてもらおうと静かに抽選会を見守る。
大石の顔を見て安堵したが、跡部の姿を認識した時とは全く違う。
跡部も全国大会に出られるのだと知って嬉しかった。それは好敵手として認識しているからであって、何もおかしなことではないはずだ。
それなのに、どうしてこんなにもそわそわしているのだろう。同じ空間にいるというだけで、抽選の結果より彼の動向の方が気になってしまう。座った位置からでは彼が見られないということが、余計にそうさせていた。
――――終わったら、声をかけるのはおかしくないだろうか。しかし何と言えば……? また戦えることを嬉しく思うというのは、変だろうか……。
自分から行動をするのはあまり得意ではない。
普段はどうしてか相手から声をかけられることが多く、テニス以外ではイニシチアブを取るのが上手くなかった。お互いラケットを握っていれば簡単なのに、跡部は制服だ。テニスをする格好ではない。
どう声をかけるべきか、そもそも声をかけていいものかどうか悩んでいるうちに、抽選会は終わってしまった。大石に声をかけられてハッとしたくらいだ。よほど深く考え込んでしまっていたのだろう。気がつけば室内に人はまばらで、跡部の姿もなかった。
手塚は失態に気づき、眉を寄せた。悩んでいるうちに対象を逃してしまうなんて。
「さあ手塚、青学に行こう。みんな喜ぶよ」
「ああ……」
大会中にでも声をかけた方が自然かと諦めて立ち上がり、抽選会に使われていた教室を出る。青学のメンバーに報告もしなければいけないし、彼らの報告も聞きたい。今日は顔が見られただけでよしとしようと、やはり不可解な感情に悩まされた。
「手塚」
だが、教室を出たところの廊下で声をかけられて目を瞠った。跡部がたった一人でそこに佇んでいたからだ。
「話がある。少し、いいか」
神妙な面持ちはたぶん珍しいのだろう。
何かあったのかと心臓が嫌な音を立てたが、せっかく向こうから声をかけてくれたのだ、この機会を逃す手はない。
「ああ、構わない」
頷きながらそう返せば、跡部はどうしてか驚いたような顔をした。自分から誘っておきながらどういうことだと目を瞬く。
「大石、すまないが竜崎先生への報告を任せてもいいだろうか」
「え、あ、ああ……いいけど、大丈夫かい? 手塚」
大石が、心配そうに視線をよこしてくる。それは跡部にも向かっていって、手塚はなるほどと胸の内で納得した。あの日の試合のことを気にしているのだろう。容赦なく弱点を攻めてくるような男相手に、平気なのかと言いたいようだ。二年前テニス部の先輩に絡まれていたことを目の当たりにした大石が、心配するのは理解ができた。
「心配は無用だ」
「分かった、何かあったら連絡してくれよ」
そう言いつつも、大石はまだ心配そうに跡部を通り過ぎていく。気まずそうな顔をした跡部を、手塚は物珍しそうに眺めた。
「トップがこの調子じゃ、苦労してそうだな、大石は……」
ぼそりと呟かれた言葉が耳に入る。どういう意味だと訊ねてみたいが、ひとまず用件を聞くために跡部に歩み寄る。少しずつ距離が近づくにつれて、鼓動が速くなっていくようだった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
情熱のブルー-005-
おかしいと思い始めたのは、それからずっと跡部の声が頭から離れないことを自覚してからだ。
手塚と呼ぶ声、ボールを返す時の叫び、果ては荒い呼吸までついて回る。
有意義な試合だったことは認めよう。リハビリに来る直前の試合だったから、ひどく印象に残っているというだけだ。そう思いたい。
やっとラケットを握らせてもらえるようになり、軽くボールを打たせてもらえるようになって、安堵する暇もない。
〝腕はナマッてねえだろうな〟と挑発する声に、数日何もできなかったから腕が落ちているかもしれないと唇を噛む。〝破滅への輪舞曲ロンドだ!〟と技名を叫ぶ声が響いて、思わず体が動く。肩が上がらないことに気がついて項垂れた。
もどかしい。肩さえ順調なら、跡部のあのボールも返せるのに。試合の時の様子が、頭の中に浮かんでくる。声だけでなく、ラケットを振り抜く姿やトスを上げる様までが、鮮明に思い出せた。
いくらなんでもおかしいのではないかと、視線を泳がせる。
何か良くない兆候ではないのかと医師に訊いてもみたが、特に何も言われなかった。リハビリ中にはよくあることらしい。よくあるのならいいかと安堵もしたが、なぜそこで跡部なのだと胸が騒いだ。
指先がそわそわと落ち着かないのはどうしてだろう。胸が熱くなるのはなぜだろう。
時折、ラケットを握っていない彼さえ浮かんでくるのが不可解で仕方がない。
今なにをしているだろうかと視線を上にやる。初戦で青学に負けた以上、氷帝学園の全国出場は消えた。もう公式の試合では跡部景吾と対戦できないということかと、ひどく気分が落ち込む。
だが、敗退したからといってそこで立ち止まるような男ではないと思いたい。あの日あんなにがむしゃらだった跡部景吾が、足を止めるなんてことはないはずだ。
それを確認したいのに、跡部の連絡先を知らないというのがもどかしい。
いや、そもそも自分がこんなに他人のことを考えていること自体が珍しいのだ。だから、調子が狂う。ふとした瞬間に跡部のことを思い出して、テニスがしたいと強烈に思う。ラケットを握っていてさえだ。
焦がれている――そう表現するのがふさわしいほどに、あの瞬間をまた味わいたい。
一瞬の視線の交錯、永遠のようにも思えるタイブレーク、ネット上で重なった手のひら。
顔が火照っているのに気がついて、不可解な感情に手塚は項垂れて額を押さえた。
――――跡部とは、テニスをしたいというだけだ。焦がれるなどと、そんな大袈裟なことではないだろう。
純粋に、あの熱いプレイに触れたいというだけだ。それ以下でもそれ以上でもない。連絡先を知らないもどかしさだって、テニスのことが話せないからだ。
向こうに戻って、氷帝学園に練習試合でも申し込めば、そこで逢える――と思いかけて、それよりまずは全国大会だろうと苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
個人的な都合で試合を申し込むわけにはいかない。かといって正直に話せば、どうしたのかと心配されるかもしれない。それはそれで面倒だと息を吐いた。
他のプレイヤーにあまり表立って興味を示さない手塚国光が、跡部景吾と試合をしたいだなんて。
興味を示さないというよりは、自身の鍛錬の方が重要だというだけで、興味のある選手がいないわけではないのだが、それでも周りは驚くのだろう。
――――氷帝とは……全国で戦えないのか……。
青学が全国大会に進出するのは、手塚の中ですでに決定事項だ。対戦校がどこであろうと全力でぶつかるだけだが、やはり残念で仕方がない。
跡部が掲げてくれた右手を見下ろして、そっと握り込む。
お前とテニスがしたいと言ったら、彼はどんな顔をするだろう。もしかしたら肩のことを気にして拒まれる可能性だってある。ただ単に嫌だと言われるかもしれない。
その時は諦めるしかないが、可能性がゼロではないのなら、賭けてみたい。
快諾されたら、あの日のように全力でぶつかれるよう、まずは肩を治さなければとリハビリに専念することにした。
肩はもう大丈夫だよと言われてホッとしたが、以前のように上手く打てない。肩が思うように上がらないのだ。
本当に治ったのだろうか。このまま東京に戻って試合に出て、無様な醜態をさらしたらいったいどうなってしまうのか。
考えていたよりずっと早くテニスに打ち込む許可は出たが、鍛錬を休んだ分だけ技が衰えているように感じられた。
〝腕はナマッてねえだろうな、あーん?〟
跡部の挑発的な声が聞こえて、どうにも気まずい。ふとしたきっかけで思考の端にチラつくと、もうそれだけでブワッと広がって、頭の中が跡部景吾に侵食されていく。
邪魔をしないでくれと思考に蓋をして、肩の違和感に悩む中、ミユキという一人の少女に出逢った。試合になると本当の力が出せないというのである。
少し練習を見てみると、確かに筋はいいようだった。ただ、試合となると足が竦んでしまうらしい。
何かしらの恐怖と極度の緊張で体が萎縮してしまっているのだと説き、それを克服するしかないと指摘してやる。言うのは簡単だが、やり遂げるのは難しい。だがそれを乗り越えれば、彼女はすぐに名を馳せるようになるだろう。
そんな彼女につきあう中、厄介な連中に絡まれてしまった。
自分自身に挑まれただけならば軽くあしらうが、彼女のことを引き合いに出されたのではたまったものではない。
だが、やはり肩が上がらずボールが返せない。それで調子に乗った連中は、ここぞとばかりに球を打ってくる。
「怪我人相手に全力でやるなんて卑怯たい!」
「真剣勝負ってのはそういうもんだ!」
本来の力を出せていれば、こんな連中すぐに打ち負かしてやるものを、と左肩の違和感が拭えないままのラリーが続く。連中の一人が放ったその言葉が、腹立たしくてしょうがないのに。
確かに真剣勝負ならば、怪我人だろうとコートに立つ者に対して全力でぶつかるのが礼儀だ。あの時、跡部がそうしてくれたように。
だがこの連中は、真剣にテニスをしているわけではない。真剣に、手塚国光という男を嬲りたいだけなのだ。そんな連中が、真剣勝負などという言葉を使うのが腹立たしくてならない。
しかし、どうにも腕が上がらない。右手で相手をすることも可能だが、それでは意味がない。テニスをするためにここに来て、テニスができないまま東京には戻れないのだ。
容赦ない打球が襲ってくる。こんなものも返せないのかという、自分自身への怒りがこみ上げてくる。
なぜ肩が上がらない。医師はもう大丈夫だと言ったはずだ。
本当にそうなのか? 思いきり肩を上げたら、またあの時の激痛が膝をつかせるのではないか?
肩を押さえてしゃがみ込む手塚を見て、ミユキが代わって相手になるとコートに立つ。中学生相手に馬鹿なことをと言うが、彼女は聞かなかった。
最初は上手く返していたけれども、だんだんとそれができなくなる。男子中学生と女子小学生では力の差がありすぎる。
それでも彼女は小さな体で負けるのを拒んでいた。
――――お前は何をやっているんだ、手塚国光。
年下の少女がイップスを克服してまでテニスをしているというのに、なぜ自分はこんなところにじっと佇んでいるのか。全国制覇が聞いて呆れる。
――――こんなところで立ち止まっていていいわけがない。柱であろうとした俺は、こんな中途半端なところで……!
あれを最後の試合になどしたくない。全力を出せた試合だけれども、だからこそまだ終われない。
じわ、じわ、と体の奥から熱いものがわき上がってくるようだ。
あの時、彼に掲げられた右手が熱い。ラケットを握った左手が疼く。
「……!」
連中は容赦なくミユキの小さな体に打球を当てようとしている。コースを誤ったわけでなく、わざとだ。足がもつれ転んだミユキがとっさに頭を抱えた瞬間、考えるよりも早く体が動いていた。
パァン!
聞き慣れたインパクト音が耳に響く。さあっと、体中の血が入れ替わったかのような妙な感覚を味わった。
肩が上がる。思うように動く。痛みはない。
わずかな違和感は、久しぶりにここまで動かしたせいだろう。
手塚は目を大きく見開いた。なんてことだ。ミユキにイップスを克服しろと言った手塚自身が、イップスの罠にはまっていたなんて。自身のためだけでは、克服するどころか気づけてさえいなかった。
「何年テニスをやっているんだ? ボールも、ラケットも、人を傷つけるためにあるんじゃない」
コロコロと転がってきたボールを拾い上げ、構える。手のひらに感じるボールの感触を、どうしてか懐かしくさえ思った。
「礼を言うぞお前ら」
さあ次はどいつが相手だと挑発して、手塚はテニスができる幸福を実感する。
――――まだ戦える。間に合うぞ……全国へ……!
そうやって、絡んできた連中を完膚なきまでに叩きのめし、手塚国光は復活を遂げた。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
情熱のブルー-004-
「先生、全国大会に間に合わせたいのですが」
宮崎県にある青春学園大学病院で、診察室の椅子に座るや否や、手塚はそう口にした。
「勝ち進んだのかい? それはおめでとう」
「いえ……まだ関東地区の大会が残ってはいますが。ですが、うちの部は必ず」
「じゃあ君がまずやることは、勝ち進む未来を見ることでなく、ラケットを置くことだ」
静かに言い放たれる言葉に、目を瞠る。ラケットを置くということは、テニスをするなということだ。
できないのか? 間に合わないのか? 大会に出られないのか?
それとも、まさかもう――。
様々な思いが駆け巡った。ザアッと血の気が引いていく。指先が震えているのに気がついて、グッと拳を握り締めた。
「先、生……、テニスは続けられますか!?」
珍しく声を荒らげて、ガタリと腰を上げる。まさかもうテニスができないなんてことはないだろうと。
「俺はテニスにすべてを懸けているんです! 先生、この大会がどれほど大事か――それに、プロへの道が」
道が見え始めたのに。
こんなところで、こんなことで立ち止まっていたくない。
「君がどれほどテニスを大事にしているかなど、私に分かると思うかい? それを知っているのは君だけだろう。私にできるのは、治す手伝いだけだ。力を貸すから、君はしっかりと私たちの言うことを聞いてほしい」
諭す口ぶりに、言葉が詰まる。う……と呻くような声しか出てこなかった。
「故障を抱えて競技を続け、選手生命を絶たなければいけなくなった子たちをね、それこそ何人も見てきたんだよ。あれは悲しいね、力不足を思い知らされる。君はそんな思いさせないでくれよ」
苦笑する医師に、手塚の怒気が失せる。怒りは自分自身に向かっていたものだが、浅慮だった。手伝うだけだというが、力が及ばず責められたことも多々あるのだろう。
手塚は椅子に座り直し、頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした。よろしくお願いします」
「はい、一緒に頑張りましょう」
治療の方法やリハビリの流れ、施設の説明を受け、与えられた部屋に入る。ベッドと机、チェスト。簡素な部屋だが、手塚にはそれで充分だ。
ドサリとベッドに寝転がる。普段なら荷解きをするところだが、考えているよりもずっとダメージが大きい。
医師の言葉を聞くまで、そんなに深刻な怪我だとは思っていなかった。全国大会に間に合わないかもしれないというのは、焦る。全国大会優勝を目指してここまでやってきたのに、こんなところで立ち止まりたくない。
だけど、左腕が上がらないのは事実だ。上げようとすると、肩に激痛が走る。何もしていなくても、じわじわと痛みが広がっているように思う。
応急処置としての痛み止めはしてもらったが、どれだけ効果があるのか。この状態で、よく試合ができたなとも言われた。それは、今になって思う。諦めるつもりはなかったが、よくあれだけのタイブレークを繰り広げられたものだ。
自分はただ、負けたくなかっただけ。
それに跡部が全力で応えてくれただけだ。
あのまっすぐな瞳と同じように、まっすぐに向かってきてくれた。
もしかしたら一プレイヤーの選手生命を絶つかもしれないという恐怖の中で、ただその一瞬にできうる限りの力を注いでくれた。
何度思い起こしてみても、彼が手を抜く場面が見当たらない。いっそ心地良いほど、自分の力を見せつけてやるという気概。手塚が肩を痛めてからは、より真摯に一球一球を打ち返してきた。
睨みつけてくるあのまっすぐな瞳は、ひどく印象的だ。
――――あんな試合は、もう二度とできないだろうな。相手が跡部だったからできたことだ……。
あんな力を秘めていたのかと、体が熱くなる。
もう試合は終わってしまったのに、何度でも頭の中で繰り返すことができた。一球一球、すべてを覚えていられる試合など、これまであっただろうか。いや、ない。そもそもあんなに力を出せたのは初めてだ。
今度はいつあんな試合ができるか分からない。
もう一度戦ったらどうなるだろう?
考えて、結果が見えないことに笑ってしまった。必ず勝つと言いたいのに、簡単には勝たせてくれそうもない。もう一度試合をしたいと思う相手などそうそうおらず、彼は今や筆頭のプレイヤーとなってしまった。
ふと、彼は今何をしているだろうかと考える。鍛錬を重ねているだろうかと、自身の左肩に視線を落とした。
――――跡部が、これを気にしていないといいが……。
この肩は、確かに跡部との試合で故障した。今テニスができないのもそのせいだ。だがそこに跡部の責はない。手塚自身の未熟さが招いた結果なのだ。
幸いにも、治療をすればテニスは続けられるようだし、あれが本当に最期とはならない。もし気にしているようなら、何でもないと言ってやった方がいいのかと思いを馳せる。
しかし果たして気にするような男だろうか。
手塚は跡部景吾という男をよく知らない。あの試合の中で、ようやく一欠片を知ったくらいなのだ。対戦相手の怪我を気にする性質なのかどうか分からない。
だが、気にしているのならあの試合の後に何か言ってきただろう。それがなかったということは、つまりそういうことなのだ。そう思って、どこかでホッとした。
跡部には、そんなことを気にするよりもさらに高みへと昇ってほしい。さらに強くなった彼とまたコート上で対峙したいのだ。
公式試合でなくてもいい、またあのボールを打ち返してやりたい。これだと思った決め球だっただろうに、それを打ち返した時のあの顔を見たい。驚きと悔しさと、歓喜を纏ったあの表情。
公式試合ではなくてもいいとは思うが、しかし個人的に打ち合えるものだろうか。
そういえば跡部の連絡先も知らないなと今さら気がついた。
個人的な交流などなかったのだから当然だが、向こうに戻ったら連絡を試みてみようか。テニスがしたいと誘って、受けてくれるかどうかは分からないけれども。
それを考えていれば、ここでの治療も苦にはならない。青学の勝利を信じて、まずは肩を治すことに専念しよう。
手塚はようやくゆっくりと起き上がり、荷解きを始めた。
肩が上がらない。コンクリートで固められたかのようにガチガチに硬く、ピクリとも動かない。
手塚は焦った。痛みはあっても、動かすことはできていたじゃないかと。
上がりきらないまでも、ゆっくりと上昇させることはできていたはずだ。
それなのに、どうして。指先さえ動かない。
冷や汗が額を伝う。
悪化したのか? どうしてこんなに急に――なぜ今、左手にラケットを握っているのだ?
試合中かとハッとしたが、目の前は真っ暗なままだった。
対戦相手もいない。観客もいない。
ここはいったいどこだ――? 左を振り向いたその瞬間に、肩に激痛が走る。
そこで目が覚めた。
「……ッ……、は、……はぁッ」
夢だと認識した瞬間、ドッと汗が噴き出す。びっしょりと濡れたパジャマが肌に張り付いて不愉快だった。
「ゆ、め……か」
短い呼吸がだんだん整ってくる。
左肩に目をやれば、当然だが別にコンクリートで固められてなどいない。上がるだろうかと唾を飲み、恐る恐る肩を上げてみた。
「……ッぐ、ぅ」
激しい痛みに襲われて、逆にホッとした。
腕は上がる。胸の辺りまで上がって、そこから先が動かなかった。ズキンズキンと痛む肩が、簡単には上げさせてくれない。
ここが限界かと唇を引き結んで下ろす。これでは、ろくな球が打てない。試合なんて、とてもじゃないができやしない。この肩は、本当に治るのだろうか。テニスを続けることはできるのだろうか。
怖い。
ドクンドクンと心臓が嫌な音を立てる。
テニスがしたい。今すぐにラケットを握りたい。できるのだと実感したい。
手塚はちらりと部屋の隅を見やる。そこには愛用のラケットがバッグごと置かれていて、握ろうと思えばすぐにでも握ることができた。
医師には止められているが、触れるくらいはいいだろうか。そう思って、ベッドから足を下ろし、バッグの方へと向かう。
バッグのファスナーに触れる、その――寸前。
〝つけるぜ、決着――手塚〟
頭の中に、声が響いた。
思わず振り仰ぐけれど、誰もいるわけがない。ここは一人部屋だ。
「…………跡部?」
だが、呼ばずにはいられない。その声の持ち主を。一度聞いたら忘れられない音だ。そもそも今の声は今発されたものではない。手塚の記憶の中のもの。あの試合で、とことんまっすぐに向かってきた男の挑発ともとれる情熱。
手塚は触れようとしていた手をすっと引っ込める。
決着は、ついたような、ついていないような。
いや、あの時跡部が手塚の手を掲げたことを思うと、彼の方は決着などついていないと言いたいのだろう。必ずまたコートで相見えると、強い意志で示してくれていた。
深く、息を吸い込む。そして吐き出す。
――――大丈夫だ。テニスは、できる。そう信じる。問題ない、……待っていろ、跡部。
くるりと体を翻し、まだ起床には早いとベッドに潜り込んだ。あれだけ荒れていた心音も落ち着いていて、安堵した。
焦るあまり不安に駆られて、悪夢が押し寄せてきたのだろうと自分なりに納得して、目を閉じる。
そんな時聞こえた声が、家族でもなく、青学の仲間たちでもなく、ただ一度対峙したがむしゃらな男のものだったことは不可解だけれども。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー
/ /

顔が熱い。その熱を認識した直後、ハッとする。わずかに上がった右手は、どこに向かっていたのか。
跡部の肩を抱こうとしたか、それとも髪を撫でようとしたか。定かではないが、彼に触れるためだったことに気づいて困惑した。
――――俺は、何を。
支えなければならない状況ではない。触れなければいけない場面でもない。それなのに、なぜこの右手は下ろすことを躊躇っているのだろう。
「俺様としたことがつい熱くなっちまったぜ……。今日はもう切り上げるぞ、手塚。二時間以上も打ってりゃテメェも満足しただ、ろ……」
跡部が、そう言いながら顔を上げる。さっと右手を下ろしたことには、気づかれていないといい。
思っていたよりも近い距離にいたことに気づいたのか、跡部がわずかに体を強張らせた隙に、手塚は顔を背けて眼鏡を押し上げた。
「五―四でお前がリードしている状態だな」
「そこは目をつむれよ。お前のためを思って言ってやってんだろうが」
お前のためというのがどこまで本音か分からないが、今これ以上心音が大きくなったら気づかれる。
何にどう気づくのかと言われたら明確な答えが出てこないが、きっと良いことではないはずだ。
そんなことを考えていたら、勝負に納得がいっていないと思わせたらしく、「次は今の続きから」と返される。それでも跡部は負けるつもりなどないのだろう。それは手塚だって同じことだ。
だが、次があるというのは嬉しい。跡部と打ち合うのは、やはり有意義だと感じていた。ならば今日はこのくらいにしておくべきかと、帰り支度をすることにした。跡部はと思って横目で見やると、グリップの状態を確認している。
「お前はまだ帰らないのか」
「ああ、もう少しだけな。気をつけて帰れよ手塚」
そう言ってフレームを撫でる跡部は、本当にテニスを大切に思っているのだと分かる。気遣って投げられる言葉にも、やはり律儀な男だと思わせた。
「今日は付き合わせてしまって悪かったな。だが、いいプレイができたと思う」
「そりゃ何よりだ」
ふっと笑う跡部に、手塚はひとつ目を瞬く。肩の力が抜けていくような妙な感覚に襲われた次の瞬間、息の止まりそうな衝撃に身を強張らせた。
――――……は……?
三秒。
――――いや、馬鹿な。
浮かんだ思いをさっと振り払って、言わなければいけない言葉があるのに気がついた。
「……跡部」
「……なんだよ?」
怪訝そうに見返してくる。気づかれたのだろうかと思うが、そんなはずはないなと心の中で否定をして、躊躇いつつも口を開いた。
「俺は言葉にすることが不得手だ。しかし、やはりちゃんと言っておかなくてはいけない。お前には感謝している」
「…………アァン?」
跡部は怪訝そうに歪めた顔をさらに不審げに傾げたが、それにさえ胸がおかしな音を立てる。
そんなわけはないと何度か否定しているのに、音は秒を重ねるごとに鮮明になっていく。
「何を寝ぼけたこと言ってんだ、手塚ァ。俺はお前に恨まれる覚えはあっても、感謝される覚えはこれっぽっちもねえぞ」
寝ぼけたことを言うなと言うのは、こちらの台詞だと手塚は思う。肩の怪我は跡部のせいではないと何度も言ったのに、何が〝恨まれる覚えはある〟だと。
やはり、言葉にして良かったと苛立ちさえ覚える。この先ずっとそんなふうに思われていたのでは、たまったものではない。
「お前とのあの試合、俺にとっては無二のものだ。自分があれほどまでがむしゃらになれるとは思わなかった。お前が全力で向かってきてくれたからだろう、跡部」
跡部が目を瞠る。息を呑んだようにも感じられて、もしや同じ思いでいてくれたのだろうかと気がつき体が熱を持った。
「俺はまだ、上を目指していける。ここで立ち止まっていたくない。そう思わせてくれた。相手がお前でなければ、俺はどこかで諦めていただろう。負けたくない、最高のプレイがしたい。それに応えてくれた」
言葉を飾っているつもりはない。すべてが心の底からの本音だ。正直、跡部でなければ肘を庇ったプレイをすることもなかったし、結果として肩の痛みを我慢してまでコートに戻ることはなかった。このボールを逃したくないという思いだけで、あんなにがむしゃらになれるなんて。
プロへの道が見え出したことで、どこか達成感のようなものさえ感じていた自分が恥ずかしい。まだ上に行ける。まだ道が前にあると、あの試合を通じて知った。跡部が教えてくれたのだ。
「お前と試合ができて良かった、跡部。お互いの都合が合えば、また打ち合おう」
言いたいことはすべて言い終わったとばかりに、なぜか硬直している跡部をそこに残し手塚はコートを後にする。
建物を出て左に曲がり、駅の方角へと足を向ける。
跡部と打ち合った建物から三メートル、五メートル、十メートルと離れるにつれて、歩調が速くなった。
――――待て。
手塚は混乱していた。顔が熱いのは、つい先ほどまでテニスをしていたからだ。体が熱いのも、テニスのせいだ。
――――待て、ちょっと……待ってくれ、頼むから……なんでだ……!
うめきが漏れそうな口を左手で覆って、タ、タ、と足を踏み出す。顔の熱は温度を増したようで、さらに困惑した。
心臓はうるさく音を奏でて、視線が泳ぐ。危うく電柱にぶつかりそうになって、慌てて足を止めた。止めたそこで、再度足を踏み出す気力がなくなる。
ド、ド、と心音だけが手塚の耳に届き、思考を濁らせた。
そんなわけがない。そんなわけがないのだ。
あの男は好敵手であって、それ以下ではないし決してそれ以上であってはならないのに。
――――違う。違う、違う、絶対にだ……!
特別な相手ではあるが、まさか、そんな。
好きだなんて、そんなことあるわけがない。
ガンガンと頭を鈍器で殴られてでもいるような衝撃が煩わしい。手塚はその場で深呼吸を繰り返し、なんとか思考をクリアにしようと務める。
――――跡部だぞ? 俺もアイツも、男だ。通常はその……恋、というものの対象から外れているだろう。アイツとはただテニスがしたいだけであって、そういう……恋愛方面の話にはならないはずだ。
冷静に、極めて冷静になろうとして、話に聞く恋愛というものとは違う面を探してみる。
まず第一に同性であって、自分がそういった性指向の持ち主だとは考えつかなかった。かといって女性に興味があるかといえば、この年頃の男子にしては薄いような気もする。だが同性に恋愛的な興味などあるわけもなかった。
――――恋というものがどんなものかは分かっている……つもりだが……経験がないから、勘違いしているんだろう。そうに違いない。そうでなければ、よりにもよって跡部をそんな対象に据えるわけがない。馬鹿馬鹿しい……!
確かに、跡部景吾に対する印象があの試合からこれまででガラリと変わってしまったことは認めよう。そのギャップからくる勘違いに決まっている。好感は持っているが、性愛につながる感情などではない。
跡部景吾との間にあるのは、テニスだけで充分だ。そうだ、テニスができた喜びで頭と体が混乱しているのだろう。
手塚は目を伏せて、開け、唇を引き結んで足を踏み出す。こんな余計なことを考えている場合ではない。間に合ったからには全力で大会に挑まねばならないのだと、前だけを見据えた。
ドキンドキンと鳴る心臓には気づかない振りをし、寸前に浮かんできた気安く笑う跡部の幻を見なかったことにして。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー