- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.526, No.525, No.524, No.523, No.522, No.521, No.520[7件]
永遠のブルー-029-
ウィンブルドン、準々決勝。跡部はネットの向こうの対戦相手をじっと見据え、口の端を上げた。
――――奇しくも準々決勝、ってか。
対戦相手は、手塚国光。
トーナメント表が発表された際、彼と準々決勝で当たると知って、どこか運命めいたものを感じた。
中学三年の夏、全国大会準々決勝。個人として相対することはなかったが、チームを率いる部長同士、勝つための想いが交錯した。
今回も、勝つためだ。
チームを率いてこそいないものの、国やファンの熱意を背負って向かい合っている。あの頃とは髪型も変わったが、向かってくる情熱は変わらない。向ける情熱は変わらない。
ぞくぞくとせり上がってくる興奮。こんな幸福があっていいのかとさえ思った。
プレイヤーとして、一人の人間として、惚れた相手と世界の舞台で戦える。今持てるすべてをかけて、このボールを打とう。たとえあの時のように、どれだけ長いゲームになったとしても。
「手加減はしねーぜ、手塚」
「加減などしてもらっては困る。本気のお前でなければ意味がない」
「上等じゃねーの!」
サービスは跡部から。めいっぱいの力を込めて打ち込んだボールは、やはり返される。ぞくりと、悪寒にも似た歓喜が体中を駆け巡る。
これだ。この感覚だ。この男とでなければ味わえない――快感。
観客席のどよめき。審判のコール。足元を撃ち抜くボールの音。ネット際に詰めた時の呼吸。そのすべてが跡部の全身をわななかせる。
球を打つ。返される。受け止める。重い打球を、手塚のコートに向かって返す時の高揚感といったらない。とても言葉にはできそうになくて、ただ返す一球一球に想いを込めた。
このボールを返せるのは自分だけだ。この球を打ち返してくるのは手塚だけだ。
テニスが好きだ。手塚国光が好きだ。
ボールを打つたび、想いが募っていく。こんな大舞台で惚れた相手とテニスができる。
――――そんな幸運味わえるのは、世界でたった一人、この俺だけだろうぜ。なぁ手塚。
歓声も、コールも、何も聞こえない。
鼓動と重なる、心地よいインパクト音。隙をつこうとじっと見つめてくる熱い瞳。跡部もそれを見つめ返して、ラケットを振るう。
観客たちが固唾を呑んで見守る中、やがて勝敗は決した。
「ゲームアンドマッチ! ウォンバイ――手塚!」
大きな歓声が沸き上がる。跡部は「ああ……」と息を吐きながら青い青い空を仰いだ。
流れる汗が、ドクドクと打つ脈が、そよぐ風が、心地よい。
――――満足だ。
勝つために臨んだ試合だが、悔いはない。
跡部はネット際へ歩み、手を差し出した。
「コングラッチュレーション。やっぱり強ぇな、てめぇは」
「ああ、ありがとう。……良い試合ができて嬉しい」
そう返してくれた手塚も、清々しい顔をしている。跡部はそれが心の底から嬉しくて、破顔した。
そうして、握手を交わした手を高く掲げる。あの日と同じように。
「次も、勝てよ、手塚」
あの日交わせなかった言葉を投げかけて、正面から彼を見つめる。ぐっと握り返してくれたのは、気のせいではなかっただろう。
「跡部。このウィンブルドンで俺は必ず優勝カップを手にする。そうしたら、少し時間をもらえないか」
応援してくれたファンへ手を振って応えながらベンチに向かうと、珍しく手塚の方から声をかけてくる。手塚が宣言するのはこれで二度目だ。相変わらず強気だなと思いつつも、ぱちぱちと目を瞬いた。
「ああ、それは構わねえけど……どうした?」
「いや、少し……相談したいことがある」
若干泳いだ視線が、正面へと向かってくる。
手塚がわざわざ告げてくるということは、よほど重要なことなのだろう。
次の大会のことか、それとも出資関連のことか。怪我……ではないと思いたい。何にしろ、手塚に頼ってもらえるのは嬉しい。力になれるのなら、何だってしてやると背中をポンポン叩いた。
「いいぜ。お前のためなら、いつだって時間空ける」
「……助かる。ありがとう」
ホッとしたような表情に変わる手塚に、胸がきゅんと締めつけられる。
跡部自身のウィンブルドンは終わってしまったし、これ以降は手塚の応援に専念しようと足を踏み出した。中学時代から何度か味わってきた敗北だったが、今日ほど充実した敗北はない。
二人は青い空を背に、コートを後にした。
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永遠のブルー-028-
あの時のインタビュー記事が載った雑誌が発売されて以来、女性誌の取材が増えた。それだけでなく、経済誌とファッション誌もだ。
【跡部様の一途な片想い】とファン界隈を騒がせた雑誌は、紙・電子書籍ともに過去最高の販売数を叩き出したらしく、それに伴って跡部のオフィシャルサイトがサーバーダウンし、販売していたグッズは数分と保たずに完売した。
それを商機と捉えた各界が、こぞってオファーを出したのだ。
跡部グループが展開する事業の株価は上昇し、思わぬ相乗効果に跡部自身驚いたくらいだ。
『俺のとこにもいくつかね、依頼が来たよ。氷帝メンバーのところにいってるんじゃないかな』
「悪いな萩之介。そっちにまで波及するとは思わなかったぜ」
『景吾くんは少し自分の影響力ってものを自覚するといい。まあ、こっちは楽しんでるからいいけど。多分忍足もね。だってあの対談、よりによってお相手本人がいるんだもの』
笑っちゃったよと言う滝に、跡部は肩を竦める。あの場に滝や忍足がいなくて良かったと心から思う。いたら絶対に背中から撃たれていたに違いない。
『ほぼ十年、長いな……よくまあ飽きもせず好きでいられるね』
「だからこじらせてるって言ってんだろ。あんな強烈なヤツに出逢っちまったら、他のどんなヤツでも物足りねえ。テニスも、恋もな」
『そりゃまあ、手塚じゃねえ……。そういえば、後半戦からものすごい勢いで各大会制覇していってるねえ、彼。何かあったの?』
その言葉に、跡部はややあってから「さあな」と返した。本当に分からないのだ。
一年の前半を締めくくるとされるウィンブルドンが終わってから、手塚は各地で行われている大会で次々と好成績を収めている。
もちろん飛び入りで参加できるものではないのだから、元々予定は組んであったのだろうが、それにしても破竹の勢いだ。
祝いの電話をしても「ああ、ありがとう」と言うだけだし――まあこれは元からだが、以前はそれでもオフに逢うことだってできていたのに、「練習がある」と切られる。
「越前に上を行かれたことがよほど悔しかったかねえ……。アイツも負けず嫌いだからな」
『そんなところも好きなんでしょ、景吾くん。可愛いな』
「……俺様を可愛いなんていうのはテメーと忍足くらいだぜ」
『で、君は次の大会欠場するって? 怪我……じゃないよね』
滝は本来の電話の目的であっただろうことを問いかけてくる。
そう、跡部はエントリーしていた次のトーナメント戦の欠場を決めていた。トレーナーやコーチ陣にも何度も相談して決めたことで、すでに主催側にも伝えてある。
「次のウィンブルドンにすべてを懸けたい。手塚と試合してえんだ。今のままじゃ、アイツの覚悟の前じゃ、負ける」
あのインタビューを受けた日、手塚は越前と――跡部に宣戦布告してきた。「次は俺が優勝カップをもらう」と。
手塚でなければ何の冗談だと言ってもやれるが、あの男が嘘やこんな冗談を言ったことはない。本気で優勝を狙いに行っているのは、ここ最近の目覚ましい活躍からも分かる。前回だって優勝を狙ってはいただろうに、わざわざそう宣言してくる手塚の覚悟のほどが、伝わってきた。
だから、あれから休日を合わせてまで彼とオフを共にすることはなくなった。邪魔はできない。
それ以上に、自分自身の鍛錬もしなければならない。
試合の結果だけを確認して、『おめでとう』とメッセージを入れるのみ。それに『ありがとう』と『次も勝つ』以外の言葉が返ってきたことはない。
『全米や全豪じゃないんだね。ウィンブルドンにこだわりでもあるのかな』
「さあな。体の仕上がりをベストに持ってこられる時なんだろ。アイツと本気で優勝争いするのは楽しみだ」
『俺たち氷帝メンバーは、もちろん景吾くんを応援させてもらうよ。久しぶりに同窓会でも開こうかな』
大きなテレビの前で氷帝コールでもしておく、と滝は笑う。
「ありがとよ、萩之介。どこにいたってお前らのコールは聞こえてるぜ」
『さすが、キングは言うことが違う。じゃあ、またね。元気そうで安心したよ』
「ああ。もし雑誌の方がうるさければ対処するから、遠慮なく言ってくれ」
『うん、みんなにも伝えておくよ』
通話を打ち切って、跡部は息を吐く。トークアプリの履歴を開いて、手塚からのメッセージを眺めた。
遡って、十月四日。
『誕生日おめでとう』という短いメッセージ。
大会で忙しい時期だったはずなのに、忘れずにいてくれたことが嬉しかった。この短い一言が、どれだけ自分を力づけてきたことか。
端末をぐっと握りしめて、額を当てる。
「手塚……」
目を閉じれば今もまだ、目蓋の裏に鮮やかによみがえるものがあった。
頂上決戦と言われた、あの夏の暑い日。
手塚と試合がしたい。
まだこんなにも彼との再戦を望んでいたのかと、改めて思い知らされた。
プロの世界に入って、その厳しさも知って、以前のようながむしゃらさは年月とともに薄れていったと思っていたけれど、ただ眠っていただけだった。
目覚めるきっかけがまたあの男だというのは、悔しくもあり、幸福でもあった。
自分はまだ、こんなにも手塚国光という男に恋い焦がれている。
「上り詰めるぜ、手塚ァ……!」
恋も、テニスも、まだ目指す高みがある。血湧き肉躍るこの感覚が、跡部景吾を作り上げていく。ぞくぞくするほど楽しいなと、跡部は顔を上げて笑った。
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永遠のブルー-027-
「あの、ちなみにお相手はどんな方なんですか? 跡部選手をそこまで虜にする人物とはいったい……!」
そこまで突っ込んでくるかと舌を打ちたい気分だが、元々「タイプの女性」とやらを訊ねる質問だったのだ。
「どんな……」
それこそ適当に答えておけばいいものを、どうしても手塚しか浮かんでこないことに頬が赤らむ。
「うわ、跡部さんが赤くなったのなんて初めて見たッス……」
「うるせえぞ越前っ……。いや、そうですね……。俺にとっては誰よりも美しくて、強い人……だと思います。すみません、これくらいで勘弁してくれませんかね」
「じっ、充分です、ありがとうございます!」
赤い頬を隠すために顔を覆い、俯く。みっともないと思いつつ、当人を隣にした状態でこんなことを言うのはとてつもなく恥ずかしいのだ。
言えるような気持ちならば、越前のように堂々と宣言してみせるものを。そう考えると、越前が羨ましく思えて仕方がなかった。
「……なぜ、想いを告げないんだ? 跡部。お前ほどの男ならば、好きだと言われて相手も悪い気はしないだろう」
その時、まさにその男から声をかけられる。心臓を撃ち抜かれた気分だった。
跡部自身に向けられたものではないのに、『好きだ』という音を手塚の声で奏でられ、体中の血が沸騰しそうだ。いつだかも経験したのを思い出して、顔の熱が上がったのが分かる。
跡部は項垂れてゆっくりと深呼吸をし、恨みがましく手塚を振り仰ぐ。
「そう思わねえ人間だっているだろうが」
「言ってみなければ分からないだろう。お前らしくないな」
「他人事だと思って勝手なこと言ってんじゃねーぞ手塚ァ」
いつものごとく、まっすぐすぎる瞳を睨み返す。
彼にとっては他人事でしかないだろうが、跡部の中で手塚は当事者だというのに、無責任なことを言わないでほしい。
そんなことを言うのなら、いっそ告げてやろうかとさえ考えてしまった。
「部長、跡部さんイジメるのはそのくらいにしといた方がいいんじゃないスか」
それでも越前の声にハッとして、危うい思考を奥底に閉じ込める。生涯告げずに生きていくと決めたではないかと、跡部は己を叱咤した。
「別に悪意があったわけではない。それに……その想いを塗り替えるような相手と言っていたが、替える必要はないだろう」
「あぁ?」
「跡部がその人を想っている事実は変えようがないのだろう? ならばその上で、他にも目を向けたらいいと言っているんだ」
「精神的に二股じゃねーの」
「その想いごと受け入れてくれる相手が見つかるといいな」
「ああはいはい、ありがとよ」
他に目を向けようと思っても、今想っている相手が強烈過ぎて霞んでしまうんだがなどとは、口にできない。
一応は跡部の幸福を祈ってくれているようだと分かっただけで、よしとしよう。
「っていうかそういうテメェはどうなんだよ手塚ァ。浮いた噂のひとつもねぇじゃねーか」
人のことをおちょくり回して自分は知りませんでは筋が通らないと、記者が訊きたそうにしている空気を察して振ってみる。
まさか跡部から振られるとは思っていなかったのか、手塚がわずかに目を瞠った。ややあってそれはいつもの切れ長に戻り、低い声が返ってくる。
「今は――そういうことは考えないようにしている。テニスのことだけ考えていたい」
「手塚選手は本当にストイックというか……それがたまらないという女性ファンが、多くいるんですよね」
「コイツ中学の頃からまったく変わってないんですよね。同じこと言ってやがる」
そう茶化しながらも、跡部はどこかでホッとしてしまう。
あの頃とまったく変わらない情熱は、今もテニスだけに向かっているらしい。
「タイプだけでも教えていただけませんか?」
「…………何事にも一生懸命な人には、惹かれます」
手塚らしい答えだと口許が緩む。自分自身も一生懸命な彼だ、隣に立つのは同じく前に突き進む芯の通った女性に違いない。
しばらくその光景は見ないで済みそうだと安堵する反面、早いところ身を固めてほしいとも思う。
彼が身を固めたところでこの想いは消えていかないだろうが、言われたように他に目を向けることもできるかもしれない。
「ありがとうございました、雑誌ができたらお送りします」
インタビューが終わり、記者たちが帰っていく。ドッと疲れが襲ってきて、大きく息を吐いた。跡部個人としてのハプニングのせいで、いつもより長い時間に感じられた。
「試合してる方がいくらか楽だな……」
「それは同意する」
「お前らこの後空いてんのか? 何か食いに行くかよ」
「いいッスね。部長も行くでしょ?」
いや俺は……と言いかけた手塚の腕を、越前が引っ張る。
「先に下行ってるんで。俺、和食が食いたいッス」
「ああ、いいな。手塚も和食の方がいいだろ。寿司が美味いところ連れてってやる」
「…………悪くないな」
空いた手でガッツポーズする越前と、眼鏡を押し上げる手塚。
揃って応接室を出ていく彼らを微笑ましく見送って、メールのチェックだけ済ませてエレベーターへと向かった。
「跡部さんに、あんなベタ惚れの人がいるとは思わなかった。十年て、長いッスね」
エントランスに着くと、モンステラの陰で言葉を交わす越前と手塚がいた。話題はまさかの跡部のことで、出ていきづらい。
ほぼ十年。手塚国光という男に惹かれて、もうそんなに年月が経ったのかと思うと、感慨深いものはある。
言葉にすれば確かに長いが、その年月の中でこの恋情は日常に溶け込んでしまっていた。特別な想いではあるけれど、何も記念日のように指折り数えることもない。
「ずっと想っているというのは驚いたな。だが、情熱的で跡部らしいとも思う」
「あの人って見た目がああだから、女遊びとか慣れてそうなのにね。あれで純情一直線とか、ギャップがすごい。……部長なら分かるッスけど」
「越前」
「心配しなくても、言ったりしないッスよ。応援くらいならいいでしょ」
諌めるような手塚の声に、越前が肩を竦めたところで、「待たせたな」と声をかける。わずかに手塚の肩が揺れたように見えたのは、気のせいだろうか。
「跡部さん、腹減った」
「おう、じゃあ行くか。越前、お前もう酒飲めるよな?」
「年齢的にはね。ただ、あんまり飲んだことない」
「それなら祝杯といこうじゃねーの。なあ手塚、少しくらいいいだろ」
「……まあ、少しならな」
どうにも越前の保護者気分が抜けていない手塚を振り向いて、了承を得る。三人ともが体資本のプレイヤーだ、無茶な飲酒をするつもりは毛頭ない。ただ少し、あの頃に戻ったような気分を楽しみたいだけだ。
跡部はパチーンと指を鳴らして、運転手にドアを開けさせた。
#塚跡 #片想い #未来設定 #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー-026-
――――近ぇな……。
手塚との距離が、近い。
同じプロのプレイヤーとして交流はあったし、友人としても連絡は取り合っていたから、数年ぶりの邂逅というわけでもないのに、相変わらずこの胸は落ち着かない。
やがて雑誌の記者が到着し、インタビューが開始された。
「跡部選手は、ジュニアの育成にも余念がないとか」
話を振られて、雑誌用の顔で答える。
「時間を作って、テニススクールや母校の指導に出向くくらいですけどね。俺がいた時より部員が増えていて、嬉しい限りですよ」
「去年、俺も引きずられていったんスよね……あの氷帝コール引き継がれててびっくりした」
「跡部は、そういうマメなところがあるからな。見かけによらず面倒見がいいというか」
「おい手塚ぁ、見かけによらずってなどういうことだ」
「そのままの意味だ」
至極真面目に呟く手塚に、越前が口角を上げて同意する。自身の見た目が派手なのは自覚しているが、それと面倒見がいいことにどう関係があるのだろうか。
「三人とも仲がいいですね。普段からこうなんですか?」
「今は時間が合わないので、そう頻繁に逢えるわけじゃないですけどね。手塚とは年に数回、テニスしたり釣りに行ったりしてますよ」
それでも、中学生だた頃に比べれば逢える回数は少ない。あの頃、特に三年の夏からは、それこそ毎週のように逢ってテニスをしていたのに。
懐かしいじゃねーのと少し照れくさい気持ちを押し殺していると、隣から越前の視線を感じた。いや、どうも跡部を通り越して手塚に向かっているようではあった。が、手塚自身は気に留めていないというようにまっすぐ前だけを見据えている。
「越前?」
「別に、なんでもないッス」
何か言いたげな視線と口許だったけれど、インタビュー中に言及することではないらしい。
「つーか跡部さん、そのためにわざわざドイツまで行ってたわけ?」
「アーン? 仕事のついでにオフ合わせるだけだっての」
痛いところを突いてくる、とは思うものの、こんな時のための言い訳はちゃんと用意している。
以前からドイツ拠点に活動している手塚と、日本を拠点とし最近イギリスをメインにし出した跡部が、国を超えてまでオフを共にするには「仕事のついで」と言う他にない。実際は取引先に顔を出したり施設の視察を行うくらいではあるのだが。
ふぅんと首を傾げる越前には、何か感づかれているのかもしれない。
あの頃からずっとずっと続いている、跡部だけの戦い。恋情を隠し通して生き抜くという、長い戦いに。
「ライバルでありながら仲の良いところが、女性にも人気なんですよね。みなさんの女性のタイプとかお訊きしてみたいんですが」
これもお決まりの質問だなと若干うんざりとしつつ、表情には出さない。
右隣に座る手塚を見やれば、少し困ったような顔をしていた。まだこの手の話題を上手くかわす術を身に付けていないのかと、こっそり苦笑した。
「越前選手は」
「いや、俺は……彼女がタイプそのものっていうか」
記者たちの驚いた声が耳に入る。跡部自身も驚いて、越前を振り向いた。
「あの、たびたび越前選手の試合を観に来ているというポニーテールの女性は、やはり恋人ということでしょうか!? ファンの間でも、密かに囁かれているようですが」
「まぁね」
越前はまんざらでもない様子で得意げに口の端を上げ、躊躇いなく肯定した。
ポニーテールの女性というのは跡部の記憶にも残っている。以前は三つ編みをしていたようだが、いつの頃からか長い髪を結い上げるようになったらしい。試合後のコート脇で親しげに話しているのが何度も目撃されている。
「付き合いなげえよな、中学ん時からだろ」
「そうッスね」
「あ、あの、これ記事になりますけど、大丈夫ですか」
ファンの間でも有名な話だったとはいえ、正式に公表されたことはない。自分のところの雑誌で公表していいのかと、いささか興奮気味に身を乗り出してくる記者に、越前は「いいッスよ」と頷く。
三流雑誌ではないし、記事のチェックは事前にさせてもらうが、滅多なことは書かれないだろうと跡部は思う。
「待て越前。彼女は了承しているのか? 中には過激なファンもいるかもしれない」
「そういうのは、俺が守るんで」
「……そうか」
「ハッハァ、テメェずいぶん男前になったじゃねーの」
手塚の懸念をはね除ける越前に、跡部は肩を震わせて笑う。恋人に向かっていく特大の愛情に、記者たちもたじたじだ。
「あ、あの、では跡部選手はいかがでしょう? 女性に絶大な人気を誇っていますが、恋人やすでに婚約者がいらっしゃったり……!」
越前の恋人宣言で気が大きくなったのか、記者が若干突っ込んで訊ねてくる。跡部が財閥の御曹司だということはファンや関係者なら誰でも知っていることだ。親の決めた婚約者がいてもおかしくないと囁かれているのも知っていた。
「いえ、そういう相手はいませんよ」
「え、そうなんスか?」
越前の驚嘆が耳に届く。彼まで、婚約者がいる説を信じていたとでもいうのだろうか。跡部はふっと笑って答えた。
「俺が誰か一人の女のものになるわけにはいかねーじゃねーの」
「……跡部さんも昔っから変わらないッスよね」
「少しは真面目に答えたらどうだ、跡部……」
「なんだよ、俺様はいたって真面目だぜ」
越前どころか、手塚も呆れた様子だった。
跡部景吾が女性に人気があるなんてことは、氷帝学園の頃から言わずと知れたことだ。アイドルよろしく「みんなの跡部様」であることに、なんら不思議もないし、苦痛に感じることもない。
そしてあの頃からずっと、特別親しい女性を作らないことの言い訳としては最適だった。
「跡部さんて恋したことないんスか。誰かを可愛いと思ったり、綺麗と思ったり、そーいうのもないわけ?」
「なんだテメェ。馬鹿にしてんのか?」
「いやそういうわけじゃなくて、純粋な疑問。初恋も、まだ……?」
困ったような、それでいてどこか乞うような瞳を向けてくる。そして記者たちは、御曹司の恋ということでそわそわ感をまったく隠せていない。手塚は――特に興味がないのか、腕を組んでいるだけだった。若干眉間にしわが寄っているように見えるのは、願望に違いない。
「いや、そりゃ、恋くらい、したことあるけどよ……」
「なんだ、あるんだ。でも付き合ってないってことは、フラれたんスか。今はフリーなんでしょ?」
「フラれてねえ! つーか言うつもりもねえんっ……!」
「え?」
珍しく矢継ぎ早に訊ねてくる越前に引きずられて、うっかり口にしてしまった。この想いを言うつもりはさらさらないのだと。
気づいて、言葉を途切れさせたのはまずかった。拾われてしまう。
「もしかして跡部選手、今まさに恋をしていらっしゃる?」
目をキラキラと輝かせた記者に気がついて、頭を抱えたくなった。いつものようにやり過ごそうとしたのに、失敗した。
なぜか越前が「あー……」と気まずそうに髪をかき混ぜて視線を背ける。そうしたいのは自分の方だと言いたいが、跡部は向けられた記者の期待に応えないことの方が心苦しくなってきてしまった。
「あー、えーと…………まあ、今、というか……ずっと、というか」
ずっと、恋をしている――自分の右隣に座る男に。
さすがにそれは言えないけれど、欠片を拾われてしまった以上は男らしく認めてしまった方がいい。
「笑われるかもしれませんが、初恋の人が忘れられなくて。ほぼ十年、ずっとこじらせたままなんですよ」
困ったように笑い、「情けないでしょう?」と続ければ、記者もカメラマンもぶんぶんぶんと勢いよく首を振る。
それは想定内の反応で、跡部は頭の中でいくつかのルートをシミュレートした。いちばん不自然でないものを。万が一にでも気づかれることのないものを。
「その人への想いを塗り替えてくれるような相手が現れればいいんですけど」
そう言ってわずかに目を伏せる。これで、記事が出れば世間はほんの少し騒いでやがて忘れていくだろう。言えない想いを抱えてこじらせたままの馬鹿な男のことなんて。
人妻か、はたまた親族か、もしくは儚くこの世を去った人間か、などと騒ぎ立てられても、まさか相手が手塚国光だなどとは思わないだろう。
#塚跡 #片想い #未来設定 #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー-025-
「試作品、今月中に上がるか? できれば使い勝手を見たい」
「納期は問題ないかと……それより顧問、本日はお休みのはずでは」
「インタビューで部屋使わせてもらうんだよ。あんまり現場に来られねえから、ついでにな」
開発部に突然顔を出した跡部に、対応してくれた社員はそうですかと落ち着かない様子だ。それもそのはず、跡部は企画開発部顧問である以前に、この会社を経営する跡部グループの御曹司。何か不手際でもあったかと慌ててしまうのは、仕方のないことだった。
「お爺様も何だかんだで甘ぇな。俺みたいな現場を知らないヤツを顧問に据えるなんてよ。大会落ち着いたら、もう少し顔出すようにするぜ」
「いえ、とんでもないことです。プレイヤーとしてのご活躍、社員一同楽しみにしていますよ」
跡部は今、プロのテニスプレイヤーとして世界各地の大会に出場している。その傍ら、跡部グループの展開する事業に携わっていた。主にテニスラケットやシューズ、バッグのデザインや製作に関わり、テニススクールでのイベント、メディアへの露出など、積極的に行っている。
とはいえメインはプレイヤーとしての日々であり、練習や大会参加などをしていると、なかなか開発現場になど来られない。しかし、御曹司でありながら驕ることなく社員と交流を重ね製品の改良に取り組んでいるのは、社員の誰もが知っていることだった。
跡部は手塚に遅れること数か月、十六歳でプロに転向した。
跡部家を継ぐものとばかり思っていた周りは大層驚いたけれど、覚悟を決めた跡部が意志を覆すことはなかった。
U―17のW杯が終わった後、跡部は祖父の元に向かい、跡部家を自分に任せるのは少し待ってほしいと願い出たのだ。
執事のミカエルに言った通り、跡部を捨てるつもりは毛頭ない。ただ時期を遅らせてほしいと頭を下げた孫に、実権を握っていた祖父はいたく満足げに笑ったのをまだ覚えている。
プロのプレイヤーとしての生命は短い。年齢を重ねるにつれて体力も技術も衰えていく。稀に五十歳を超えても続ける選手もいるが、跡部は自分がそこまで続けられるとは思っていない。だからこそ、その短い命を生きる間だけ待ってほしかった。
もちろん自分のわがままだけで決めたわけではない。
跡部家の事業のひとつにスポーツ事業部がある。それに携わらせてほしいと頼んだのだ。必ず好成績を収めて、テニスファンを増やし、世界での跡部の認知度を高めてみせると強く言い放った。
熱しやすい日本人の特性は分かっている。ブームが過ぎれば話題にも上らなくなるという懸念もあった。それを、プレイヤーとして、事業者として、コントロールできるのは自分しかいない。
『ですからお爺様には、まだまだ現役でいていただかなくては』と、挑発するような生意気な口をきいたのも、祖父にとっては愉快なことだったらしい。
後で父に聞いたところによると、『従順に私の言うことだけを聞いて家を継ぐなどと言う男に、跡部はやれんからな』ということのようで。なんのことはない、祖父は祖父で、跡部が望みを叶えるために楯突いてくるのを待っていたのだ。
本当にあの人には敵わないと、敗北感と敬愛を同時に感じた。
「ここのライン、もう少し緩めにできねえか? そうだな、あと、色を三色で展開して」
「この部分、個人でカスタマイズができればいいんですけどね」
「……カスタマイズ? いいじゃねえか。少し値も張るし納期も長くなるが、需要があると分かれば生産ラインを調整する価値はあるぜ。プレゼン、まとめてみな」
「はっ、はい、ありがとうございます!」
ぼそりと呟いた社員の提案を拾い、ポンと肩を叩いてやると、ぱあっと顔が明るくなる。跡部は、氷帝学園で生徒会長をしていた時のことを思い出した。若干……いやかなりワンマンではあったものの、声を拾い叶えてやることはあの頃にも常だった。
「っと、悪い、時間だ。さっきヤツはのメール入れておいてくれ。必ず目を通す」
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「それはこっちの台詞だぜ。お前らのおかげで、今後テニス界はもっと盛り上がる。ありがとよ」
他にも何か提案があれば遠慮なく言えと付け加えて、跡部はオフィスを出る。尊敬と憧れの感嘆が漏れていたことは知りもせず。
エレベーターに乗り込むと、先客がいた。目をぱちくりと開いて、次いでニッと口の端を上げた。
「よう、越前じゃねーの」
案内役の社員と、白い帽子がトレードマークの越前リョーマ。
「……跡部さん、どもッス。ベスト16オメデトウゴザイマス」
「厭みか、テメェ」
中学生の頃よりは当然ずいぶんと背が伸びているが、生意気そうな態度は変わっていない。自分がベスト4だからっていい気になるんじゃねーぞと、帽子ごとぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜてやれば、不服そうな声で抗議された。
「ま、でもおめでとうとは言っておいてやるぜ」
「俺としては優勝狙ってたんスけどね」
目的のフロアに着いて、後は自分が連れていくと案内役に礼を告げ、エレベーターを降りた。揃って歩きながら、戦績にため息を吐く。テニスの四大大会であるウィンブルドンで、跡部はベスト16、越前に至ってはベスト4という素晴らしい成績を残した。
しかしながら、目指すのは頂点であり、二人ともが今回の成績を悔しがっていた。
「ツイストサーブが完全に対策されてたもんな、お前の」
「あんたのタンホイザーだって似たようなもんでしょ。返されてたじゃん」
「アーン? 俺の試合観てたのかよ?」
「いやそりゃ観るでしょ……」
そんなことを言い合いながら、目的の部屋に着く。コンコンとノックをすると、中から返事があった。どうやらすでに対談者も着いているようだ。
跡部は一瞬息を呑んで、ドアを開けた。
「よう、遅れちまったか?」
「十分前だ、問題ないだろう」
応接室にいたのは、手塚国光。今日は、若きテニスプレイヤーということで、三人揃っての対談インタビューを受ける日だった。
「こうして逢うのは久しぶりだな、手塚。試合は観てたが」
「ああ、マイアミ・オープン以来か。元気そうで何よりだ」
立ち上がって歩み寄ってくる手塚を、跡部は眩しそうに眺める。三か月前の大会マイアミぶりに間近で見る彼に、どうしても胸が鳴ってしまった。
「越前、ベスト4おめでとう。次は対戦できるといい」
「どもッス。部長も、ベスト8おめでとうございます。まあ対戦しても、絶対に俺が勝つんで」
どこまでいっても唯我独尊だなと、肩を竦める跡部の傍で、手塚は眼鏡を押し上げる。
「越前、さすがに部長というのはどうなんだ。もう八年も経つのに」
「あ。……癖なんスよね。あんまりにもあの頃の印象が強烈で」
「クックック、いいじゃねえか手塚部長。愛されてんじゃねーの」
気まずそうに視線をあさっての方向へやる越前の背中をぽんぽんと叩いて、跡部は二人へ席を勧める。
「俺も時々日吉たちに部長って呼ばれるしな。何しろ俺は今、氷帝学園中等部の名誉部長だ」
「愛されてるじゃないですか。あんたも本当に強烈でしたよね……」
そうだろ、と強気に笑う。三つ並んだ真ん中の椅子に、遠慮も何もなく腰をかける越前の帽子をはじき、
「真ん中はキングである俺様だろ」
「それを言うなら順位がいちばん上の俺でしょ」
「テメェのスポンサーでもある俺をちったあ尊重しろってんだ」
「どこでもいいだろう、座る場所など」
そう言って端の椅子に腰をかける手塚のため息が聞こえる。越前リョーマを前にするとどうにも熱くなってしまうのは、プレイヤーとしての性だろうか。
越前はそんな手塚に視線をやり、ひとつ瞬いて大人しく端の椅子に腰を下ろした。もう少し攻防があるかと思っていた跡部は不思議に思ったが、もうすぐ記者も来てしまうだろう。跡部も空けられた真ん中の椅子に腰をかけた。
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永遠のブルー-024-
力になれることがあれば連絡しろ、必ずだ。そう言ってドイツ行きの飛行機を手配してやってから、跡部の携帯に連絡が入ることはなかった。
それは想定通りだったし、跡部からも連絡はしなかった。次に逢うのはプロとして世界の舞台でだろう。
そう思っていたのに、U-17W杯前のエキシビションマッチの対戦相手であるドイツチームに、手塚国光はいた。
「あの選手、ずいぶん手塚に似たヤツだな」
ふんと鼻を鳴らしながら真田がそう言うのに、「本物じゃねーの」と返してやる。木手も、「あの憎らしい顔はほぼ確ですね」と眼鏡を押し上げた。
それを聞いた大石が、そういえばと思い出したように肯定したのだ。チームのメンバーに張り倒されていたが、跡部の視線はじっと手塚を眺めていた。
どうして、と思ったのはほんの一瞬。その後は、安堵ばかりが体を包んだ。
詳しい経緯は分からないが、誰か目をかけてくれている人物がいるのだろうとホッとする。
手塚の実力はすぐにでもプロとして通用するレベルだが、何しろ経験が浅い。練習量という意味ではない。外国人選手との試合経験が、圧倒的に少ないのだ。体格の違いからくる、いかんともし難い差は、技術と経験で埋める他にない。
そういう意味では、手塚は未熟だった。そんな状態でプロになっても、すぐ壁にぶち当たってしまう。
意図してかは不明だが、手塚のごく身近に経験を積ませようとしてくれる人物がいることには、素直に感謝したかった。
――――いい環境に恵まれたようじゃねーの、手塚ぁ。
そりゃあ困りごとで連絡もこねーなと肩を竦める。
ドイツチームの黒いユニフォームが、ストイックな彼によく似合っている。情熱の赤いラインも的確に手塚国光を現していて、まるであの男のためのデザインであるかのように思った。
けれどもそんな色に惚けた思考は頭の片隅に追いやらなければならない。エキシビションとはいえ、試合は試合だ。日本代表になど目もくれない観客たちの視線をすべて奪ってやるぜと、跡部は勝ち気に笑んでみせる。
相手が誰であろうと――そう気合いを入れ直す跡部の前に立ちはだかるのは、よりにもよって手塚国光その人だった。
「何の因果だろうな、手塚ァ。てめーはナニ人だ、アーン?」
「皆をここまで率いてくれたこと、礼を言うぞ、跡部」
相変わらず、挑発にも乗ってこない。跡部は鼻で笑った。
ネット越しに見る手塚は、顔つきが変わったように思う。プロを目指す道程がハッキリしたことで、迷いをそぎ落としたのだろうか。
彼の技はドイツに行ってどれほど研ぎ澄まされただろう。どれだけ体が作り込まれただろう。
だがこちらとて、伊達や酔狂で中学生選抜を率いてきたわけではない。
――――俺たちは、勝つためにここにいる。
高みを目指しているのはお前だけではないと、跡部はラケットを握って構えた。生涯の好敵手と目した男の球を、打ち返すために。
だが数十分の後、跡部は思惑と裏腹に膝をつく。短い呼吸を繰り返し、ネット越しに手塚を見やった。
「どうした跡部。いつまで膝をついているつもりだ」
叱責もなく、落胆もなく、また憐憫もない。『俺はここにいる』という、ただそのためだけの言葉だ。
手も足も出ない。一ゲームも取れないなんて。かつては同じチームの勝利のために共に戦った相手に。
――――お前は……お前は何をやっているんだ、跡部景吾。進化が加速するだと? 笑わせやがって……!
片やプロへの道を歩み出した男と、片やその男が残していった仲間を引き継いだ男と。
惨敗だった。かつて頂上決戦と呼ばれた関東大会シングルス1の試合を繰り広げた二人だとは思えないほどに。
試合が終わり、ネット際で握手を交わす。だが言葉は一つも交わされない。交わすべき言葉などない。跡部は唇を引き結び、離れていく手塚の右手をじっと眺めていた。
手塚の左手は、この先もラケットを握ることにしか使われないのだろうと、やけに静かな思いに包まれる。
跡部はそのままベンチへと戻り、ラケットバッグを肩に背負った。
「待ってくれっ、どこへ行くんだい! 跡部くん!?」
「待たんか跡部! まだ試合は終わっとらんのだぞ!」
ダブルスのパートナーであった入江や、チームメイトの真田が引き留めてくるけれど、跡部は歩みを止めはしない。
「俺に……足りないものが見つかった」
これから己の鍛錬かと悟ったらしい真田は、それ以上引き留めてくることはなかった。
跡部は海へと向かう。腸が煮えくり返りそうな衝動は、自分への怒りだった。
手塚から任された中学生選抜を引き継いで、どこかで満足してしまったのかもしれない。すぐに追いかけると言っておきながらこの体たらくかと、怒りだけがわき上がってくる。
この燃えたぎる不甲斐なさを落ち着けて、頭を冷やさなければいけない。
跡部は海へと向かう途中、携帯端末を取り出す。
十秒、最後の躊躇いを見せて、通話のボタンをタップした。
「ミカエル。俺は来年から経済学を学ぶためにイギリスへ留学予定だったな」
『さようでございます、坊ちゃま』
「――キャンセルだ。すべての手配を白紙にしてくれ」
ミカエルの驚愕する声が聞こえた後、わずかの沈黙があった。
跡部が無茶なことを言うのは珍しいことではないし、彼に仕える者たちは跡部の意向を汲んで完璧に準備を調えてくれた。それでもこの申し出には、すぐに動き出すことができないようだ。
『そんな、大旦那様が……お爺様がなんとおっしゃるか』
現在跡部を束ねているのは祖父に当たる人物だ。第一線を退いたとは言うが、その威厳や影響力は未だに健在である。そんな祖父の言いつけを、破ろうというのか。
『まさか家をお捨てになるおつもりで……?』
不安そうなミカエルの声が聞こえる。そういう選択肢もあったけれど、跡部はこくりと唾を飲んで口を開いた。
「いや、跡部を捨てる気はない。継ぐのは俺だ。小さい頃に言ったろう、頂点に立つ俺を見せてやると」
『ええ、ええ、覚えておりますとも!』
「心配するなミカエル。俺が約束を破ったことは一度もねえだろ? ……手配のキャンセルだけ、よろしく頼む」
そう言って通話を切り、目の前に広がる海を眺める。
跡部を捨てるつもりはない。嫡子として生まれたことを享受し、矜持もあった。これまで仕えてくれた使用人や、もちろん父母への感謝、祖父への畏敬の念がある。寄せられる期待を受け止めるだけの度量は、あるつもりだった。
だが、見つけてしまったのだ。自分に足りないものを。
――――手塚、お前が日本代表の座を捨ててまで選んだプロへの道……その純然たる意志の強さ、しかと見せてもらったぜ。お前にあって俺になかったもの……それは覚悟だ。俺には跡部があるからと、どこかで逃げがあったんだろう。
手塚を追いかけると言った言葉に、嘘偽りはない。ミカエルにも言ったように、約束を破ったことは一度もないのだから。
覚悟を決めた手塚に惨敗し、跡部はハッキリと覚悟を決めた。このままでは手塚を追いかけてもすぐ壁にぶち当たる。他人の心配などしている場合ではなかったのだ。
跡部はザブザブと海に入り、押しては引く並を脚に受ける。そして高らかに笑った。
次こそ。
――――次こそ、世界の舞台で逢おうじゃねーの、手塚ァ!
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観客席で、跡部は祈るように両手を組んでいた。
ウィンブルドン、センターコート。今日はついに決勝戦だ。優勝経験もあるアメリカの選手と、対するのはもちろん手塚国光。
手塚のプレイヤーとしての素質や評価は高いものの、まだ優勝には届かないのでは、というのが世論だった。
手塚がどれだけ努力してきたか知っている身としては、そんなものはね除けてみせてほしい。手塚にはまだ早いなんて言われているけれど、勝つのに早いも遅いもあるかと拳を握りしめた。
自身の試合よりよほど緊張する。勝利への執着が強い気がする。
――――見てぇんだよ。アイツが優勝カップ持ってるところ。
それはどれほど美しく、誇らしいことだろう。
「手塚……」
跡部は大きく息を吸い込んで、ベンチでグリップの具合を確認する手塚を見つめた。
気のせいだろうか。
手塚が一瞬、こちらを見たように思えた。
観戦に来るということは伝えているし、応援するということも。だけど座席の位置など教えていない。
単なる偶然だろうと、こんな時にも高鳴ってしまう胸を押さえる。
「景吾くん」
声をかけられて、ハッと振り向く。そこには、滝がひらひらと手を振りながら立っていた。緊張で固まっていた体から、ドッと力が抜けていくようだった。
「よう、萩之介。忍足と不二もか、珍しい組み合わせだな」
滝の後ろに、見知った顔も覗く。こうして顔を見て話すのは久しぶりで、不二に至っては本当に数年ぶりだ。
「跡部、久しぶりだね。招待してくれてありがとう。青学を代表してお礼を言わせてもらうよ」
「ああ。悪いな、バラバラの席でしか取れなくてよ」
とんでもないと不二が首を振る。せっかくの手塚の晴れ舞台だ、彼をよく知る人物たちには間近で見せてやりたかった。
以前滝が、『どうせなら同窓会でも開こうか』と言っていたのを思い出して、かつての青学のレギュラーメンバーをイギリスに招待した。もちろん観戦チケットを取ってだ。
「本来なら副部長だった大石が来るべきなんだろうけど、英二のお守りに慣れてるのも大石だしね」
不二がふふっと笑って肩を竦めるのに、菊丸がはしゃいでいるのが目に見えるようだぜと跡部も笑った。
「お前ら、ナマで観るの初めてか?」
「手塚がプロになってからは、そうだね」
「中継入る試合は、録画とかで観てるけど、なかなかスケジュールが合わなくて」
「俺らはこっちの道に進まんかったけど、やっぱり体がウズウズしよるなぁ……なんせセンターコートやで」
券面に指定された席に座り、指先で膝を叩く忍足に、跡部は微笑む。テニスの道に進まなかったからと言って、あの頃がなかったことになるわけではない。皆同じようにあの黄色いボールを追いかけていた。
「今日の対戦相手、強いよね。手塚はどう攻めるかな」
「まあ、越前を倒したヤツだからな。アイツもどっかで観てるはずだが……」
「越前は残念だったね。でもそれで余計に火がつくタイプだし、心配はしてないけど」
「俺らの世代から、まさか三人も立て続けにプロになれるヤツが出るとは思わんかったで。せやけどついにウィンブルドン決勝戦か」
感慨深いわぁと忍足が呟く。
「せや、忘れとったわ。ベスト8おめでとうさん、跡部」
「そうだった。おめでとう跡部」
「景吾くんと手塚の試合は、鳥肌が立ったよ」
「ああ、ありがとよ。俺様としては優勝狙ってたんだが、まぁ……満足だぜ」
そうは言うものの、実のところ優勝という栄冠にさほど執着はなかった。どちらかといえば、手塚と再戦するということの方に重きを置いていたような気がする。
そしてそれを最高の形で迎え、上り詰めた至高。あの関東大会と比べても遜色のないほどの高みだ。
「ねえ跡部、手塚は……何か言ってた? 試合前、君に」
滝の横から、不二がひょいと顔を覗かせる。何か、という曖昧な言葉に、跡部は首を傾げた。選手にとって試合前の精神統一は大事なファクターだ。大会のスポンサーになっているとはいえ、控え室に行けるものではない。手塚と言葉を交わす機会はなかった。
「いや、邪魔もできねえし、声もかけてねえぜ」
「そう……ならいいんだ。気にしないで」
気にしないでと言われると気になってくる。そういえば、何か相談したいことがあると準々決勝の後に言っていたが、そのことだろうか?
不二にも何か相談していたのだろうかと口を開きかけた時、間もなく試合が開始されるというアナウンスが入った。
「始まるで」
忍足がポンと背中を叩いてくる。反対隣の滝が、小さく「景吾くん」と呼んでくる。
「傍にいるから」
膝の上の拳にそっと手のひらを重ねて、すぐに離れていく。まあ気づかれているだろうなとは思ったのだ。彼らを傍に呼んだ理由には。
手塚のテニスを見届ける自分の傍に、いてほしい。
あの頃ともにボールを追った仲間であり、手塚への想いを知る数少ない大切な友人たち。
この世界中の誰よりも好きな男が栄冠を手にするその瞬間を、共に迎えてほしいというわずかな不安と感謝の念を、きっと分かっていて来てくれたに違いない。
「勝てよ、手塚……!」
胸の前で、ぐっと拳を握る。
もう自分は、信じるだけだ。惚れた男のまっすぐ過ぎる信念を。
さすがに、長い試合になった。相手は優勝経験もある選手。球速はいまだに衰えていない。
相手選手にポイントが入るたび、歓声が上がる。手塚にポイントが入るたび、歓声が上がる。もはやどちらの応援をしているというわけでもない観客が増えてきた。
ただこの白熱したゲームの行く末を見守るだけだ。
それほど、両選手のプレイは勝利に対して切実で、相手に対して誠実だった。
返す一球一球が、相手を陥れるためでなく自分が勝つためのものであり、返せなかった怒りは自分自身だけに向いている。
ぐっと握った拳に、汗を感じる。瞬きをすることさえ躊躇われ、跡部はじっと手塚を見つめた。荒い息と、流れる汗。相当苦しいのだろう様子が伝わってくる。
それでも力強いサーブを打つ彼の勇姿が、本当に眩しい。あの球を自分が受けてみたかったと、未だに思う。満足のいく試合だったけれど、欲は果てしない。
「手塚、いつもより鬼気迫るものがあるね……」
「そらそうやろ、決勝戦やし。押され気味やけど、大丈夫かいな」
「手塚は勝つぜ。何しろアイツ、よりによってこの俺に宣言しやがったからな。必ず優勝カップを手にするって。破りやがったら承知しねぇ」
「え、手塚が、……跡部に? いつ」
不二の小さく驚いた声が耳に入る。
「俺との試合が終わった後だな」
「ああ、それで……へえ。それは、まあ、負けられないよね」
なるほどと正面に視線を戻し、不二は頷く。ライバルにそう宣言した以上、無様なところは見せられないということだろうか。
だが跡部にはそれもしっくりこなかった。手塚にライバル意識を持たれていると感じたことなどないからだ。
この想いは、恋にしろライバル意識にしろ、一方通行だ。だがそれでもあの男を想うことを止められないのだから、どうしようもない。
「そうでもしないと踏ん切りがつかないっていうのは、手塚らしいな」
愉快そうにも、呆れたようにも笑う不二を振り向こうとしたけれど、ちょうどその時手塚のボールが相手選手の足元を撃ち抜く。わっと歓声が上がった。見逃さなくてよかったと安堵のため息を吐く。
あと二ポイントだ。それで決まる。
今はこの試合に、手塚の勝利を祈ってやることに集中したい。
――――手塚。大丈夫だ、お前なら。……手塚。
何度も、何度も手塚の名を呼ぶ。心の中で呼んだつもりではあるけれど、もしかしたら音になってしまっていたかもしれない。
「……マッチポイント……!」
あと一ポイント。手塚のサービスだ。場内が、しんと静まりかえる。ボールのラインを確かめて、トン、トン、と突く音ばかりが聞こえてくる。
不二が、滝が、忍足が、食い入るように身を乗り出す。
跡部は、思わず浮きかける腰を必死で落として、歯を食いしばった。
高いトスが上がる。手塚の熱い視線が、その一球を見つめる。振り上げられたラケットが、そのボールを打つ。パァンと銃声のように響いたインパクト音で、心臓が撃ち抜かれたような感覚を味わった。
そしてその弾丸は相手選手のラケットに捕まることなく、芝を跳ねて背後のスポンサーウォールに当たる。それが跡部グループのものだったのは、果たして偶然だっただろうか。
「ゲームアンドマッチ! ウォンバイ手塚!!」
審判のコールがなされる。
手塚は腹の辺りで拳を握り、青い空を見上げる。その瞬間、ワァッと歓声が沸いた。
「ホンマに勝ちよったわ」
「手塚も、さすがに嬉しそうだね……」
「アレは俺でも分かる」
忍足たちが口々にそう言うが、跡部は数秒茫然としていた。耳をつんざくような歓声も、拍手も、耳に入ってこない。
「手塚……」
ただ、小さく名を呼ぶ。今度こそ、確かに音になってしまったのを自覚する。そしてその瞬間、体中にようやく血が巡ったかのような感覚を味わい、思わず立ち上がった。
「――手塚ァ!!」
声を張り上げ、今度はその名を叫んだ。この歓声の中で彼の耳に届くはずがないと思いつつも、呼ばずにはいられなかった。
そう、届くはずはないと思っていたのに、手塚の視線がしっかりと顔ごとこちらを向く。視線がちゃんと重なった。
跡部はぐっと強く拳を握り、胸の前に突き出してみせる。それを受けてか、手塚がゆっくりと拳を掲げた。口許に浮かんだ笑みは、彼にしては珍しいものだった。
歓声がさらに大きくなる。立ち上がって歓喜する客たちが増える。跡部はその観客たちに埋もれて、手塚からはもう見えないかもしれない。
だけどあの一瞬、確かに応えてくれたと分かる。
指先まで熱が巡るようだ。跡部は突き出していた拳をもう片方で覆い引き寄せる。
「やったな……手塚……!」
手塚ならやると思っていた。信じていた。実際目の前で栄冠を手にされて、感極まって泣いてしまいそうだ。
手塚、と呼ぶ吐息が拳にかかる。熱いなとその息を飲み込んで、目蓋を閉じた。
授与式後のインタビューでは「戦いはまだこれからです」などとまた不敵なことを言っていて、跡部は肩を竦める。
確かにひとつの大会を制しただけであり、すぐにグランドスラム制覇とはいかないだろう。来年はその座を守れるかどうかということも課題のひとつだ。
「景吾様、そろそろお時間です」
後ろから声をかけられ、もうそんな時間かと秘書を振り返る。
「これから仕事終わらせて祝勝会なんだ。ゆっくりできなくて悪い」
「跡部も大変だね。ボクたちのことは気にしないで」
「明日は来られるんだろ?」
もちろん、と不二が頷く。
今日の祝勝会は上位者たちを祝うものだが、明日は跡部主催でごく親しい人物たちだけを集めたパーティーがある。当然手塚や越前も主役のうちであり、この試合に招待した青学メンバーはゲストとして招いている。
「じゃあ、明日な。忍足、ジローのヤツに寝坊すんなよって言っとけ」
「それくらいなら任されたるわ。多分引きずってくんのは樺地やろうけどなぁ」
あの頃と変わらない光景を思い浮かべ、跡部は愉快そうに喉を鳴らして戦友たちに背を向けた。
「…………ねえ、不二。この後時間あるかな? ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「奇遇だね、ボクもそう言おうと思っていたところだよ、滝。忍足も」
残された三人は、跡部の背中を眺めながら、どこか確信めいた密談のために会場を後にするのだった。
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