- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
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No.519, No.518, No.517, No.516, No.515, No.514, No.513[7件]
永遠のブルー-022-
「跡部、なんや眠そうな顔しとるなあ。ジローも顔負けやで」
食堂での、忍足の厭みに応戦するだけの気力もない。本当に眠いとこめかみを押さえる。
ここ数日、充分な睡眠を取れたとはとてもじゃないが言えない状態である。
「…………ベッドが硬ぇ……」
「出たわ、この坊ちゃんが」
枕が変わった云々で眠れないほど繊細ではないつもりだが、家のベッドに比べると粗末過ぎて寝るのに集中力がいる。心身ともに休める道具であるはずなのに、これでは意味がない。
加えて、目を閉じるとどうしても手塚のことが浮かんでくる。
「眠れねえんだよ。厄介なもんだな……近くにいすぎると、楽しむ余裕がなくなってくる」
「純情やな。泣けてくるわ」
「うるせえ」
食堂を見渡すと、手塚は不二や菊丸とテーブルを共にしている。楽しめる状況ならばあそこに割って入ったかもしれないが、今はそんな気力もない。
――――くそ、今日も腹が立つほどいい男じゃねーの。……って、あァ? ……なんだ、アイツ。
少し元気がないように見えるな、と手塚の所作を目で追いかける。先日あった同士討ちのせいだろうか。
選抜に招聘された中学生の半数が、脱落させられた。その中には、手塚が目をかけていた越前リョーマも含まれている。
もっとも、越前は試合もせず不戦敗扱いだったのだが、それも手塚が元気がないことに拍車をかけているのだろう。
「アイツ、試合になると容赦ねーのにな……甘ぇんだよ」
「ウチはもともと実力主義やから、脱落者が出るんは慣れとるだけや。甘いて悪態吐いとるけど、そんなとこにも惚れとんのやろなぁ」
「だから、うるせえって言ってんだろ」
「この際やから訊いたるけど、なんでアイツなん? どこがええんやろ、アレ」
何がこの際だと跡部は苦虫を噛みつぶしたような顔をする。どうにもこうにも面白がっているこの友人を、叩きのめしてやりたい気分だ。
「話したら、三日三晩かかりそうだが?」
未だに視線だけで手塚を追いながら答えてやれば、予想だにしなかったのか、忍足は珍しく赤らんだ顔を背ける。一矢報いた気分になったものの、戦況は良くない。
手塚には、友人としてしか見られていないのが分かっている。それは当然のことで、誰を責める気にもなれない。
早いところ諦めてしまわなければと思うのに、想いは日に日に募るばかりだ。
それこそ毎日顔が見られる状況というのがまずい。忘れる、諦めると決意した傍から鉢合わせてしまうものだから、簡単に決意が揺らぐ。
自分はこんなにも意志の弱い生き物だったのかと知らされることになって、頭が痛い。
それも手伝って、毎晩ろくに眠れていない。
今朝も入れ替え戦が組まれているというのに、こんなことでどうするのだ。
現在跡部は七番コート、手塚は八番コートだ。今日の対戦相手はお互い五番コートの高校生。手塚なら難なく五番に上がるだろう。こちらも負けるわけにはいかない。
叶わない想いなら、忘れなければいけない想いなら、せめて友人として対等な位置にいたい。
それが、自分なりの誠意だ。
「跡部、珍しく眠そうだね。平気かい?」
食事を終えたらしい不二が、返却口に向かう道すがら声をかけてくる。不二にまで悟られるとはと舌を打ち、自分の不甲斐なさを呪った。
「跡部なあ、ベッドが硬い言うて寝られへんらしいで」
「ええーっ。跡べー、もしかしていつもは天蓋付きのおっきいベッドとかで寝てんのー?」
贅沢ー、と菊丸までもが加わってくる。
「いや、天蓋はついてねえが、俺様のベッドはキングサイズだぜ」
「あぁ……それならここのは狭いだろうね。二段ベッドだし」
どうしようもないけれどと不二が続ける。これが中学生だけの選抜合宿で、ある程度融通の利くところなら部屋割りなどに口も手も金も出しただろうが、そうもいかない。この環境に慣れる方が先決だなと指先で眉間を揉んだ。
「跡部、入れ替え戦は問題ないのか?」
そんな跡部に、手塚が声をかけてくる。
「この程度で俺様の前進は阻めねーぜ」
そうか、とだけ言って手塚は食器の返却口へと向かう。あまりみっともない姿を晒していたくない跡部としては、ありがたかった。
「あれ、手塚が一番心配そうにしてたのににゃー。まあ手塚らしいっちゃ手塚らしいけど」
「は?」
「跡部の顔色が良くない気がするって言うから、わざわざ遠回りしてあげたのにね」
仕方ないなと不二も菊丸も肩を竦める。「じゃあ跡部も今日の入れ替え戦シヤツフルマツチ頑張ってね」と、二人とも手塚を追っていった。
じわじわと上がってくる熱は、きっと頬を紅潮させていることだろう。忍足の視線が痛い。
「あーとべ」
「うるせえ」
「何にも勝る栄養剤やなあ」
「うるせえ、ちくしょう……」
悔しい、と髪をかき上げつつ、テーブルに寄りかかる。
友人として接していたいと思ってやった傍から、やはりこれだ。いっそ気づいていての仕打ちではないのかと思うほど、逃げ道を塞がれる。
――――駄目だ、くそ。……やっぱりアイツが好きだ。どうしようもねえ。
ぐるぐると思考が巡る。忘れる努力より、諦める努力より、今は抑えきる方に力を使わなければいけない。まったく腹の立つ! と拳をテーブルに叩きつけて、愛しい男を呪ったりなんかした。
無事に入れ替え戦に勝利し、跡部は五番コートに上がった。言わずもがな、手塚も同様だ。
与えられた特訓をこなし、食事と入浴を済ませ、座学ルームでパソコンを広げる。
談話室では絶えず誰かいて騒々しいし、自室もだ。トレーニングルームでは自主トレをしてしまうということで、許可をもらって使わせてもらっている。
跡継ぎとしても、勉学としても、テニス以外の情報収集も欠かせない。
加えて、わずかではあるが家の事業の手伝いや、生徒会の引き継ぎ事項も済ませなければならない。
メールのチェックと世界情勢、株の動きを確認して経済誌を電子で購入しようとしたその時、出入り口のドアが開いた。
「ここにいたのか、跡部」
姿を現したのは手塚だった。
「どうしたよ、手塚」
「……既読にならなかったから、どこかで行き倒れているのかと思ったぞ」
「アーン?」
眼鏡を指先で押し上げる手塚は、少しばかり怒っているように思う。どうやら自分を探していたようで、跡部はポケットに入れていた携帯端末を取り出した。手塚から『どこにいる?』とメッセージが入っていたことに、今気がついた。
「悪い。気づかなかったぜ」
「コートにもいなかったからな。ここにいると黒部コーチに聞いたんだ」
「家の仕事があるんだよ。他のところじゃ集中できねえ」
「邪魔をしてしまっただろうか」
気まずそうな手塚に気がついて、跡部は「いいや」とパソコンを閉じる。
手塚がわざわざ探していたということは、よほど大事な用事があったのだろう。視線で促せば、手塚は隣に腰を下ろした。
「何かあったのか?」
「眠れないなら眠れないなりに、早めに体を休息させた方がいいんじゃないかと言おうと思っていたんだが……家のことなら仕方がないな」
「……もしかして、わりと心配させちまったのか」
朝も、顔色が悪いと心配してくれていたようで、こくりと頷く手塚に、申し訳ない気持ちが膨らむ。
良質な睡眠が取れていないというだけで、充分とは言わないまでも休息はしている。日々の試合や特訓にも支障は来きたしていないはずなのだが、こうして探してくれるほどには心配をかけていたようだ。
「ありがとな。今日はもうこのまま休むぜ」
雑誌を読むくらいは部屋でやろうかと思っていたが、止めることにした。これ以上手塚を煩わせてしまってはいけない。
「跡部、手を出せ」
「なんだよ?」
言われて素直に手のひらを差し出せば、その手の上にぽすんと落とされる、ふわ、もふ。
跡部はぱちくりとまあるく目を見開いた。
「…………なんだこれ」
「猫だ。多分」
手のひらに落とされたのは、ふわふわもふもふとしたぬいぐるみ。頭の上に小さな耳と、お尻にしっぽがついている。手触りがよく、撫でてやりたい気分にもなるが、なにも跡部は固有名詞を訊いたわけではない。なぜこれを自分によこすのかということだ。
「犬と熊もあったんだが、何となく猫にした」
「いやそうじゃなくてだな……っていうかこれユキヒョウじゃねーの」
「そうか」
動物は好きだが、ぬいぐるみを集める趣味はない。しかも両手に乗るほどのサイズだ。
手塚の真意が分からなくて、首を傾げながら手塚を見やる。
「ベッドはどうにもならないだろうからな。少しでも、なんというか……リラックスできるようなものがあればと」
跡部は目をさらに大きく見開いて、ぬいぐるみと手塚とを交互に見やった。
何事にも頓着しないような男が、リラックスできそうなものとして相手に渡すのがぬいぐるみだというのがどうにもらしいが、まさかそんな思考に行き着くなんて。
「そういやお前、今日の自由時間いなかったな……? もしかしてこれを買いに行ってたのかよ」
「気の利いたものでなくてすまない。アロマとかいうものもあったが、同室の者にも配慮しなくてはと不二が言っていたのでな」
香りのするものは、好きな者にとっては良いが、好まない者だっている。そこを指摘するあたりさすがは不二だが、これを枕元に置いて眠る姿を晒さなければならない跡部への配慮は、どうやらないらしい。
「だが、存外に似合うな」
「似合ってどうするんだよ。嬉しかねぇ」
満足そうに頷く手塚にそう返すけれど、本当は嬉しい。嬉しいということをそのまま表していいのか分からなくて、困っている。
友人としての範疇は、どこまでだろうか。
眠れていないことを気にかけて、ガラにもなくこんなものを買いにいってくれた手塚に、ちゃんと礼は告げたいのに。
「……気に入らなかっただろうか」
その空気を誤解してか、心なしか手塚の声が沈んでいるような気がして、跡部はハッとした。ぬいぐるみを隅々まで眺め、口を尖らせる。
「気に入らないわけじゃなくてな、照れくさいんだよ。ガキじゃあるまいし、ぬいぐるみなんて……。でもまあ、よく見れば可愛いじゃねーの」
「よく見なくても可愛いと思うが」
「フン、ありがたくもらっといてやるよ、手塚ァ」
優雅に寝そべった形のユキヒョウを膝に抱え、指先で頭を撫でる。まさかこんなプレゼントをもらえるなんて、予想外にもほどがある。たまっていた疲れなんて、一気に吹き飛んでしまいそうだ。
――――嬉しい……まさかな、跡部景吾ともあろうものが、ぬいぐるみ一つでこんなに、……こんなにも幸福な気持ちになるなんて……。
胸が温かくなる。いつも手塚を想う時は熱くなるものだが、今は違う。ずっと穏やかな温度だ。トクン、トクン、と心音も緩やかで心地がいい。距離が近いせいか、手塚の鼓動さえ聞こえてきそうだ。
激しいばかりだと思っていた恋の情動は、こんな静けさも併せ持っていたのだと知る。
初めてのことばかりだなと、自然と口許がほころんでいく。
「手塚、ありがとな。嬉しいぜ……本当に」
「そうか」
どれだけ伝わっているだろう、この充足感。伝わってしまってはいけないのに、欠片だけでも伝えたい。
跡部はゆっくりと息を吐いて、隣に腰掛ける手塚の右肩に寄りかかった。
「十分経ったら起こしてくれ」
目を閉じて、静かに呼吸をする。そして密やかに手塚の体温を感じる。膝の上でユキヒョウを大事そうに抱えていれば、少しは伝わるだろうと信じて。
「分かった、一時間ほど経ったら起こす」
「ふ、ずいぶん長ぇ十分だ……」
本気なのか冗談なのか、顔が見えないこの状態では分からない。もっとも、手塚の顔が見えたところで分かりはしないだろうけど。
そうして跡部は、本当に一時間後に起こされるまで、過ぎるほど良質な睡眠時間を手に入れたのだった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー-021-
U-17選抜合宿ということで、氷帝のレギュラー陣が招聘された。
夏で終わりだと思っていたテニス漬けの生活がまた始まるのは喜びたい。何しろ跡部はテニスが好きだ。しかし、悩みどころがないわけではなかった。
氷帝が呼ばれているということは、当然手塚の率いる青学も呼ばれているからだ。
「なんでそんなに悩んでんねん。手塚に逢えるんやし、嬉しいんとちゃうんか?」
バスで隣の席に座る忍足が、無遠慮にそんなことをのたまうのも、頭が痛い。
周りはそんなことを聞いても「ライバルとして」と思ってくれるだろうが、この男の場合、違う。手塚に対する恋情を知られているというのは、時折厄介だった。
「あれから休日にはほぼテニスしてるんだぜ。今さらそんな可愛らしいことは思わねーよ」
「ホンマこのテニス馬鹿どもは……しょうがないヤツらやで」
夏の大会が終わってから、休日はほぼ手塚と一緒だった。次世代に託す以上、部活漬けというわけにもいかなくて、お互い徐々に生徒会も引き継ぎをしている。
要するに、物足りないのだ。
そんな時にお互いの存在は都合が良い。そう言葉にすると聞こえが悪いけれど、目指す高みが同じ相手などそうそういない。
技を磨くために、力を衰えさせないように、逢えばテニスに打ち込んできた。
都内のコートを制覇でもする気かというほど巡り、時には跡部の家にあるコートでも時間を気にすることなくプレイを楽しんだ。
そんな相手と「逢える」ことが嬉しいなんて次元では既にない。
共に過ごす中で、恋情の隠し方も上手くなったと思う。無遠慮に入り込んでくる手塚の言葉にも、慣れてきたと思う。
だがこれは想定外だった。
――――合宿ってことは宿舎があんだろ。つまりそこに寝泊まりするってことだろうがよ! ひとっ……ひとつ屋根の下で! ふざけんな!
この合宿は日帰りではない。となると寝泊まりする施設があるはずで、共同生活は必至だ。
どれほどの広さなのか、全部で何人が生活を共にするのかは分からない。しかし選手一人一人に部屋が与えられるほどの施設でもないだろう。
いやこの際部屋割りは関係ない。関係ないこともないが、万が一にも一緒の部屋になったとしたら、氷帝の誰かと替わってもらうという逃げ道がある。
だが跡部に取ってはそれ以前の問題だ。
朝から晩まで、手塚と一緒に生活する環境なんて、どうしたらいいのか。
嬉しいのと同時に、後ろめたくてしょうがない。
好きだというだけならまだしも、破廉恥な劣情さえ抱えているというのに。
好きな女の傍ではろくに寝られないという表現を、小説などの中で見たことがあるが、そんなことあるのかと半信半疑だった。その時の自分を蹴り倒してやりたい。
まさにそれというか、同じ施設に手塚が眠っているというだけで寝られそうにない跡部の方が、かなり重症である。なんとも純情なものだ。
始まる前からこの調子でどうするのだと、無理やり気合いを入れ直す。ため息が出てくるのはどうしようもなかったけれど。
合宿所の施設は、思っていたよりも良い設備が整っていた。さすがエリート養成所といったところか。いくつか氷帝にも取り入れたいなと思うものがあったが、もう跡部の判断で導入するべきものではない。これからは寄贈という形になるだろう。
「すごい設備だな。今日は合宿所の案内や説明だけで終わってしまいそうだ」
隣を歩く手塚がそう呟く。施設は広く、ここでのルールもたくさんありそうだ。大人数での移動ということもあり、彼の言う通りになりそうだった。
「そうだな。だが明日からはみっちりスケジュールが組まれているんだろうぜ。一分一秒、無駄にはできねえ。さっき聞いた入れ替え戦シヤツフルマツチ、氷帝以上に実力主義ってことだ」
十六面あるコートを使い、対戦して上のコートに上がる。プレイヤーは多数おり、スタイルもバラバラだ。
今まで触れなかったプレイに触れることで、個々の力は底上げされていくだろう。もちろん競争心なども充分満たされる。特に、学校はもちろん中学生も高校生も入り交じってというのが有意義そうだ。全国区レベルの選手ばかりを集めたこの合宿、思っていた以上に侮れない。
「仮にテメェと当たっても、全力で叩きのめさせてもらうぜ、手塚」
「それはこちらも同じだ。跡部」
フンと鼻で笑って返してやったが、居心地が良いような悪いような。
なぜこの男は当然のように隣を歩いているのだろうか。青学の連中だって全員いるのに、引率はどうしたと振り返れば、緊張した面持ちの大石がどうにかくせ者どもを引き連れていた。
あれはお前の役目じゃねえのかと無言で手塚の横顔を睨み上げてみるけれど、視線が合ってしまいそうで恐ろしい。長くはそうしていられなくて、跡部はスタッフに案内されるままに施設内を歩く。
正直、手塚とのテニス談義は楽しいのだ。どの設備をどう使うのか、どんなふうに有効なのか、トレーニング方法を模索する。
打てば響くとばかりに、思っていることとほぼ同様の言葉が返ってくる。同意ばかりではないが、手塚の意見にも頷くことができる。
そんなふうに接していると、時間が経つのが本当に早い。食事を経て、自由時間になってしまった。
興味津々で宿舎内を歩き回る者、休憩スペースで談笑する者たち、少しでも過ごしやすい部屋にしようと整理し出す者、様々だ。
跡部はユニフォームに着替え、コートに向かう。一日に一度はラケットを握らないと落ち着かない。特に、こんな合宿に呼ばれた状況ならなおさらに。
中学生とはいえ、U―17であることには変わりがない。代表として選抜される可能性があるのなら、残ってみせる。それには誰よりも努力を重ねなければならない。王座にあぐらをかいているだけの王に、誰がついてくるものか。
厳しい合宿になるだろうことは想像ができる。だけど跡部にとっては都合がよかった。
考えないでいられる。
手塚のことを。手塚が好きだということを。
むしろそんなこと考えていたら、すぐさま置いていかれるだろう。
部屋割りも問題はなかったし、練習中や宿舎内で顔を見る機会が今までより増えるというだけだ。
何も動揺することはない。そう言い聞かせながらトスを上げる。この黄色い球をただ追い、打ち、相手のコートに叩き込むだけでいい。
色恋にうつつを抜かしている暇がどこにある! と強く叩きつけ、バウンドせずにネットの向こうを転がっていくボールを眺めた。
「熱心だな」
後ろの方から聞こえた声に、ビク、と体が強張った。
考えないようにしているというのに、なぜこの男はズカズカとこちらのテリトリーに踏み込んでくるのだろう。跡部はラケットを下ろして大きく息を吐き、声の主を振り返った。
「お前も自主トレか、手塚」
「ああ。やはりボールを打つのがいちばん落ち着くのでな」
落ち着きたいと思うほど、手塚も浮き足立っているということだろうか。らしくないなと苦笑して、籠からボールを手に取った。
「悪いが、ラリーはできねえぜ。こっちに集中したい」
「構わない。隣のコートを使わせてもらうぞ」
そう言って跡部を通り過ぎ、隣のコートに向かっていく手塚をチラリと見やる。
打ち合いたい気持ちがないわけではないが、それよりも何よりも、テニスに集中したい。この合宿で何か得られるかもしれない。そんな漠然とした思いがあるせいだろう。
中途半端な気持ちで乗り切れるほど、この合宿は甘くないはずだと確信している。
迷いがあると自覚をしている状態で、手塚とは打ち合いたくない。テニスは何よりも己を雄弁に語る。手塚にはすぐに気づかれてしまいそうだ。
テニスにすべてを懸けきれない己の中途半端さを知られたくない。そんな自分の球を、あの男に受けさせたくない。自分の未熟さが許し難くて、跡部は籠のボールがなくなるまで何度もサーブを打ち放った。
「何かあったのか?」
「あぁ?」
同じく籠いっぱいのサーブを打ち終えた手塚が、ボールを拾いながら訊ねてくる。どれがどちらの打った球だか分からないが、だいたい半半になるようにと籠に入れていく。
「いつも自信たっぷりに打っているだろう。その覇気がなかったように思う」
「人の練習盗み見てんじゃねーよ」
「隣なんだ、嫌でも見えるだろう」
「別に……大したことじゃねーよ。集中できてなかっただけだ」
見抜かれてしまうほど、身が入っていなかったらしい。跡部は汗をかいた髪をぐしゃりとかき混ぜ、チッと舌を打った。
「何か悩みがあるなら、聞くが」
最後の一個を、奪うように拾った手塚を、跡部は茫然と見上げる。
まるで他人に興味のなさそうなこの男が、悩みを聞くと?
一瞬思考が停止した。
跡部自身、部員たちの悩みを聞いてやることは多々あったものの、悩みを聞いてやると言われたことは一度もない。そんな姿は彼らに晒していないからだ。
「解決してやるとは言えないが、少しでも軽くなるのなら」
手塚の顔は至極真面目だ。いや、手塚の顔が真面目でなかったことなどないが、思っていることをそのまま口にしてくれているようだった。
跡部は、沸き上がってくるむずがゆさに、思わず項垂れて額を押さえた。そうして肩を震わせて笑う。
「っふ、はは、ククククッ……」
「……跡部」
「いや悪い、だって、まさかなあ、お前がよ」
真剣な提案を笑われて、むっとした声に諌められる。だが、そうする以外にごまかせなかったのだ。嬉しいと感じてしまう自分を。
気にかけてもらえているとは思っていなかった。友人だとはいっても、気持ちの比重は自分の方が大きい。恋心を抜いてさえ、きっと。
「ありがとよ、手塚。その気持ちだけで充分だぜ」
顔を上げて、笑ってみせる。手塚にこんな迷いは話せない。
「跡部」
「テメェを煩わせるほどのもんじゃねーんだよ。テニスしか頭にねえ手塚国光に気にかけてもらえるなんて、俺は贅沢者じゃねーの」
わざと皮肉げにそう続けると、手塚の眉間にしわが寄った。テニスしか頭にないというのが、不服だったのだろうか。
「なぜ俺がお前を気にかけていないなどと思うんだ? お前は普段あれだけしたたかなのに、どうして俺のことになるとそうなるのか分からない」
「なっ……」
言葉が出てこない。手塚と自分の気持ちの比重はどうしようもないと密やかに思っていたことが、気づかれていただなんて。
羞恥がせり上がって頬が赤く染まった後、さっと青ざめる。まさか余計なことにまで気づかれていやしないだろうなと。
この男が恋愛方面に長けているとは到底思わないが、時折予想の斜め上をいく。跡部の中の不埒な感情に気づいているのだろうか。
「まだ俺の肩のことを気にしているんじゃないだろうな」
「……それは」
気にしていないといえば嘘になる。あれからまだ二か月しか経っていないのに。そう思って、案外に時間が経っていないことを実感した。
もっと長い間、一緒に時を過ごしたように思っていたけれど、そうでもなかったのかと。
もっとずっと長い間、手塚国光という男に焦がれていた気がする。
考えまいとすればするほど、頭の中を、体中を支配するこの恋情。
純粋にテニスだけをしていたいのに、別の欲が這い上がってくる。手塚に対してしたたかでなんていられない。
いつでも自信がないのだ。
この恋情で、この劣情で、彼を穢してしまわないか、ずっと、ずっと、怖がっている。
「お前とは常に競い合い、己を……互いを高めていけると思っていた。お前もそう思っていると感じていたのは、俺だけだろうか」
手塚の静かな声に、跡部はゆっくりと瞬く。視線が下を向いていくのを自覚して、目蓋をそっと伏せて小さく首を振った。
「負い目を感じるのは、テメーに無礼ってことか。努力はしてやる」
「ああ、助かる。お前とは良い友人でいたいからな」
「…………分かってるぜ」
分かっている。やはり気持ちの比重は自分の方が多く、重いのだと。
その事実を早く自分の中で昇華してしまわなければいけない。
テニスにもっと打ち込めばいいのだろうか。いや、テニスという世界に手塚がいる限り、どうしても連想してしまう。
まったく厄介な男に惚れたものだと、大きく息を吐き出した。
下手をすれば一生ついて回る問題だ。それでもテニスからは離れられないと、グリップを握り直した。
「まだやるのか?」
「ああ、足りねえよ」
「そうか、俺もだ」
手塚が持っていたボールをひょいと奪い笑ってやると、手塚もラケットを握り直した。つくづく負けず嫌いな男だと、跡部は肩を竦める。
「そういえば跡部、一度訊きたかったんだが」
「なんだよ?」
「俺はお前に、プロになることを一度でも話していただろうか? 決勝戦の前、お前は何の疑問も持たずに俺にプロになるんだろうと言っていたが」
それぞれのコートに向かう前、手塚が訊ねてくる。
どこに不思議に思う要素があるのだろうと片眉を上げて笑ってやった。
「そんなの、見てりゃ分かるぜ」
十人が十人、手塚はプロになるだろうと言うはずだ。事実、プロのコーチも大会に視察に来ていた。ただの部活動で終われるわけがない。
世界が、手塚国光というプレイヤーを放っておかないだろうと確信さえ持っている。
「……そうか」
それだけ言って顔を背ける彼は、何を考えているのだろう。何か悩んでいるのならと気にかけてくれた手塚の方こそが、悩んでいるようにも見えた。
だが彼の悩みを聞いてやりたいと思うほどにはまだ、跡部の方にも余裕がない。忍足の言うように楽しめるほど、この恋は簡単なものではなかった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー-020-
シャワー上がりの濡れた髪をタオルで拭きながら、跡部は携帯端末を耳に押し当て、そっと目を閉じる。
『いいのか、跡部。お前も忙しいだろう』
そうすることで、聞こえてくる声が、全身に染み渡っていくようだった。
「いや、構わねえよ。だが……お前こそ本当に大丈夫なんだろうな?」
肘は、と続けてやった相手は、言わずもがな愛しい男だ。
手塚は全国大会決勝戦でまた無茶なプレイをした。そのゲーム自体は観戦できなかったが、越前リョーマを連れて戻った時に見た彼の腕は、痛々しい状態だったことを思い出す。
『問題ない』
「……てめぇの〝問題ない〟って言葉ほど信用ならねえもんはねぇなぁ?」
跡部は苦笑して肩を竦めた。肩を痛めた状態でチームメイトに止められつつもコートに出て、跡部と長い試合をした後に、リハビリへ向かった男が何を言うのか。
しかも、テニスがしたいだなんて。
「お前は本当にテニスが好きだな」
『……ああ、好きだ。それはお前も同じではないのか』
息を呑んだ。
手塚の声で『好きだ』という言葉を聞くことになるとは。うめきそうだった唇を噛んで、手のひらで覆った。
――――ちくしょう、なんて破壊力だよ……!
顔の熱が上がる。耳の中で、手塚の声がぐるぐると回った。
「そうだな、俺様も同じだぜ」
ゆっくりと息を吐いて手塚に返す。同じように『好きだ』とは言えなかった。
『跡部、明日』
「ああ、分かってる。テニスしようぜ、手塚」
向こうからホッとしたような吐息が聞こえる。明日の約束を取り付けて、跡部は通話を切った。
「……あぁ……、あー……――っくそ」
端末をベッドに放り投げて、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる。予想もしなかった出来事に、ドクンドクンと心臓が大きな音を立てていた。
腰に手を当て、深呼吸を繰り返す。項垂れて、何度も目を瞬く。視線を泳がせても、息を止めてみても、熱が治まりそうになかった。
跡部はベッドに放り投げた端末を振り向き、困ったように眉を寄せる。
躊躇う気持ちはあったが、やがて、負けた。
ベッドに腰をかけ、ローブをそっとめくる。下着を緩やかに押し上げる物を目に認め、諦めたように息を吐いた。
手のひらで覆うように触れると、布越しにも熱が伝わってくる。吐く息も、それと同じように熱い。跡部は中へと手を忍ばせて、そのまま自分自身に指を絡めた。
「は、……っあ」
左手を選んでしまったのは、無意識だと思いたい。いや、無意識だからこそいけないのか。
これが手塚の左手だったら――なんて、そんなこと。
「んんっ……ぁ」
根元からしごき上げ、先端をこね回す。にちゅにちゅと淫猥な音を立てるそれが、浅ましい想いを跡部に知らしめてくる。
皮膚を撫で、形を確かめ、筋をなぞった。
は、は、と短い呼吸が空気を揺らす。じんわりと汗がにじんでくる。
せっかく入浴を済ませたのに、これでは意味がない。意味がないのに、今さら止められない。
「い……ッ、うぁ、あ……っ」
左手だけでは物足りなくなって、両手で自身を慰める。天井を仰ぎ、快感だけを追った。ふるふると首を振るのは、堪えきれない快楽のせいか、それとも後ろめたさからなのか。
「手塚、……てづかぁ……っ」
どうしても手塚のことを考えてしまう。初めて手塚に抱かれる夢を見た日から、何度も何度も、こうして自慰をしてきた。
そうして何食わぬ顔でテニスをするのだ。
手塚はそんなこと思いも寄らないだろう。肘は大丈夫なのかと心配して名を呼んだその口で、こんなに熱の籠もった欲を吐くなんて。
「あ、あ、っ……はあっ……あぁ」
背徳感で余計に快感が上乗せされる。ピンとつま先立った爪が、部屋のカーペットを掻いた。
鼻先からぽたりと汗が落ちる。びくびくと脚が揺れ、腰が沈む。のけぞった背を震わせ、断続的な声を上げて、跡部は自分の手のひらを汚した。
「あっ……あぁ……あ、はあ……んぅ」
荒い呼吸がだんだんと整っていく。そうするにつれて罪悪感がせり上がってきた。
何をしているんだ。
我に返ってしまえば、心やましいことこの上ない。
耳元で声を聞いたのがいけなかった。手塚が『好きだ』なんて口にしたのがいけなかった。
汚れを拭き取って、跡部は盛大にため息を吐く。年頃の男子が劣情を抱くことになんらおかしなことはないが、相手が相手だ。
明日も逢う男だというのが後ろめたさに拍車をかける。
――――そうだ、明日も逢えるってのに。
そしてそれ以上に、明日も手塚と逢えるということを嬉しいと感じてしまう自分を、情けなく思う。
全国大会が終わってからも、手塚とは頻繁に逢っていた。彼が言うように、多忙でないわけはないのにだ。
テニス部も次の世代に託さなくてはいけないし、生徒会の仕事もある。夏の大会が終わったからと言って、休んではいられない。それを抜いても、中等部を卒業したらイギリスに留学しなければならないのだから、やることはたんまりとある。
「イギリスか……」
テニスをしに行くのではない。もちろん部活動としてはできるだろうが、目下の目的は経済学の修得だ。いずれ跡部家を継ぐ者として、祖父から命じられている。
それに不満はない。幼少の頃から決まっていたことだ。そして、自分にならばできるという自負もある。祖父の期待を裏切ることはできない。
「……こんなところで、……こんなことで立ち止まってるわけにはいかねえんだがな」
だが未練はある。これまででいちばん情熱を注いできたものだ。だから手塚をテニスに誘うし、誘われれば何を置いてもイエスを返す。どこまでも高みを目指したい。自分にならできるという自信があった。
跡部はベッドに座ったままぐっと右手を上に伸ばす。ルームライトの光が、すぐそこにあるかのような錯覚を覚える。そんなわけはないのに、掴めるような気さえした。
「まったく困ったもんだぜ」
正直、あの男に出逢わなければ、このまま何の躊躇いもなく跡部家の後継者としての道を突き進んでいただろう。
だけど出逢ってしまった。
あの試合の時の情熱が、今もまだこの胸にくすぶっている。余計な感情をまとって、跡部景吾という体の中に住み着いてしまっている。魂を搦からめ捕って、テニスという世界に縛り付けられてしまった。
『それはお前も同じではないのか』
手塚の声が、脳裏によみがえる。耳元で聞こえたあの声が。
「ああ……好きだぜ手塚。テニスも、お前も」
いつかは離れなければならないとしても、今はまだ、傍にいたい。
跡部の戦いは、静かに、密やかに、今も続いていた。
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永遠のブルー-019-
「越前がいない?」
待ちに待った決勝戦。参加選手はもちろん、応援団や観戦者も一様に浮き足立っている。
そんな中で、信じられない言葉が舞い込んできた。なんとシングルス1で出場予定の越前リョーマがまだ来ていないというのだ。
いったい何だってそんなことに? と聞き耳を立てていたら、どうにもトラブルで軽井沢から帰ってきていないらしい。
あの生意気なルーキーが、避暑地でバカンスでもあるまいなと思うが、ともかく今重要なことは、越前がいないということだ。
あの男がいなければ、青学の優勝は難しくなってくる。対戦校である立海も、不戦勝など望んではいないだろう。
「事情は把握した。ついて来い、桃城」
「あ、跡部さん!?」
「国内で良かったな。連れ戻すぞ」
青学の連中が目を剥くのが見える。返答を聞く前に跡部は携帯端末を取り出し、ヘリの用意をさせた。
「いいのかい、跡部」
「正直ボクたちじゃ、どうしようもないからね……跡部、お願いするよ」
「あァ、一つ貸しにしといてやる」
「おっと……こりゃ大変」
探しに行くと息巻いていた桃城を引き連れて踵を返す直前、手塚と視線がかち合う。
頼む、と無言で頷く手塚に跡部も無言で頷き返して、途中で忍足を呼びつけた。
「行くぜてめぇら」
「お、忍足さん、これ、突っ込むべきっすかね……ヘリって」
「跡部相手にそんなん無駄やで桃城……ところでなんで俺も行かなあかんねん……」
「ナビゲーターが必要だろうが」
「強引やなあ」
渋々ながらもヘリに乗り込む忍足を振り向いて、跡部は口を開く。
「向こうで何かあった時、俺以外に冷静な判断を下せるヤツが必要だろうが。テメェを評価してやってんだ」
「……さよか。しかしまぁ、健気なもんやで……」
素直に喜びたくないのか、忍足は窓からアリーナを振り向く。意趣返しのつもりなのだろうが、
「アーン? 聞こえねえな」
離陸に供えてヘッドセットを装着する跡部に、それは通用しなかった。
通信機を介して受けた報告に、跡部は愕然とした。
「あの馬鹿が……!」
歯を食いしばり、握りしめた拳を当てる。
「跡部、どないしたん」
そんな跡部の様子に気がついて、忍足が声をかけてくる。息を吸い込んで、じっと前を見据えた。
「桃城、手塚が反撃を始めたようだぜ」
「え!? ホントっすか、さすが手塚部長!」
「ホンマか跡部? 相手はあの真田やろ」
対戦相手は王者立海大のナンバー2だ。当然ながら一筋縄ではいかない。反撃を開始したということは、あまり芳しくない戦況ということだ。だからこそ、手塚は。
「だが……再び自らの腕を犠牲にして、な」
「え……はぁ!? どういうことっすか……!」
「落ち着きや桃城。なんや跡部、手塚ゾーンやったら、アイツかて加減くらい分かっとるやろ」
「そうじゃねえ。あれ以上に無茶な回転かけてボールをはじき出すんだよ……肘への負担はハンパじゃねえ。手塚もそう言ってやがった。使うなって言ったのに、あの野郎……!」
組んだ手をグッと握りしめる。真田はそれほどに強敵だということだ。それは理解ができる。理解はできるが、許容はできない。
周りを信じろと言ったのは数日前だ、忘れたとは言わせない。腕を犠牲にしてまで勝たなくても、誰も責めやしないだろう。
こんなことなら向こうに残っていれば良かった。残って何ができるわけでもないが、せめてベンチに戻ってきたあの男を殴ってやりたい。
「跡部。跡部、止めや……手、傷ついてまうで」
「んな小せえ傷がなんだってんだ! アイツは……っ」
「お前が背負うことやないで! 分かっとるんか、お前が背負うべき責任は越前こつちの方やろ!」
忍足の手のひらで拳を包まれて、ぐっと言葉に詰まる。
「俺らが……跡部が必ず越前を連れて戻るって信じて戦っとるんとちゃうんか。もしかしたら、時間稼ぎしとるんかもしれん。手塚が心配なんは分かるけど、こっちも信じてやらんとなぁ」
跡部はゆっくりと息を吐いて、シートにもたれる。信じろと言った自分の方こそが、手塚を信じ切れていなかったなんて。
あの日本気で怒った跡部の気持ちは伝わっているだろうし、覚えていてくれていると思いたい。テニスのことだけしか考えていなくても構わない。
ただ覚えていてほしい。心の底から案じる人間がいるのだということを。
「……悪い、取り乱しちまった」
「俺を引っ張ってきたお前の判断は正しかったっちゅうことや。冷静な判断ができるヤツがおらんとなぁ?」
「素直に礼を言いづれぇヤツだなてめーはよ」
こんな事態になるとは思わなかったが、忍足には手塚への気持ちが知られているということも気が楽だった。自分が取り乱してしまう理由を明確に理解し、的確に抑えてくれる。
「跡部さんと手塚部長って、一見合わなそうなのに、仲良いんすね。テニス馬鹿同士、気が合うってヤツっすか」
「……てめーらにだけは言われたかねーぜ。なぁ忍足」
「ホンマやで」
揃いも揃ってテニス馬鹿だらけじゃねーかと睨みを利かせてみるけれど、「そっすね!」と少しも厭みが通じない。その素直さが武器でもあるのだろうかと、落ち着きを取り戻した跡部は一つ瞬く。
――――手塚、死ぬんじゃねーぞ、頼むから。
必ず越前を連れて戻る。だから、この先テニスができなくなるようなことにだけはしないでほしい。
どうか、神様――。
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永遠のブルー-018-
ボールに変な回転がかかっている。それに気がついたのは、同じような球を受けて三回目くらいだった。
また新しい技を生み出そうとしているのかと、何とか返してやりながら呆れ果てた。
全国大会の決勝戦は明後日だ。ここにきてまた進化するのか、この男は。
――――どんどん強くなりやがる。俺も、負けてられねーなァ!
無二のライバル――そう思っているのはこちらの方だけだろうと理解していても、この男には負けたくない。それが惚れた相手ならなおさらだ。
「オラ、本気で来いよ! 手塚ァ!」
ボールを返す。返される。思わぬコースを描く。踏み込んで叩き返す。
決まった、と思ったそのボールは、なぜかアウトボールになってしまった。
「……なんだ? 今の……また変な回転かかってやがったが」
「やはり、なかなか難しいな」
手塚の視線が、ころころと転がったボールを追っていく。やはり狙って回転をかけていたようだ。ボールが手塚の元に戻っていく手塚ゾーンでないのは分かるが、いったい何をしようとしているのだろう。
「てめぇ……よりにもよってこの跡部景吾を新技の練習台に使うとは、どんな太い神経してやがんだ。アーン?」
「好きにしろと言っていただろう。それに、お前くらいでないと練習にならない」
跡部は頭を抱えた。これを嬉しいと思ってしまっていいのかどうか。
強い相手でないと練習にならないというのは、跡部自身にも覚えがある。絶対にそれと同じなのに、強さを認識されているのがどうしようもないくらいに嬉しい。
「で? 具体的に何をどうしたいんだよ。ボールを引き寄せるんじゃなくて、今度ははじき飛ばしたいってか?」
当てずっぽうに言ってみた言葉に、手塚がこくりと頷く。本気か、と呟いたが、この男が本気でなかったことなどない。
「以前、越前が言っていたんだ。簡単にできるものではないと言ったんだが、可能ということだろうと返されてしまってな……」
グリップを握る手をじっと見下ろす手塚に、跡部は顔を覆って瞳に力を集中させた。回転のかけ方によっては確かに可能だろうが、それは理論上だ。そんなもの、ほぼ不可能に近い。
だが彼が手塚国光だということを考えると、不可能も可能になってしまいそうだった。事実、先ほど返したボールは見事にアウトボールになった。
「……手塚、それ止めろ。肘に負担がかかる。分かってんだろ!」
「問題ない。俺の体は俺がいちばんよく分かっている」
「問題ねえわけねえだろ! だいたいあの時だって、お前は肩への負担を認識しちゃいなかった!」
関東大会、シングルス1。跡部にとって忘れられない試合になったあのゲーム。
無意識に肘をかばって、肩に負担をかけていたことを、忘れたわけではないだろう。つい先日まで、九州でリハビリを受けていたではないか。ボールに回転をかけるのは、比例するように肘に大きな負担がかかってくる。
「それは俺が未熟だからだろう」
「ああそれには違いねえ! どれだけ体を作り込もうが、どんなに経験積もうが、俺たちの体はまだガキなんだよ! 専属のトレーナーやドクターがついてるわけでもねえのに、無茶な使い方すんな!」
同年代の男子よりは鍛えていると言っても、まだ発展途上の体だ。それは跡部自身にも言えることだが、跡部はきっちりと自覚をしている。
体が悲鳴を上げるほどの負担が、この先の選手生命にも関わってくるというのに。
手塚国光という男を、本当に誤解していたと改めて思う。少しも思慮深くなどない。少しも冷静などではない。すぐそこの近い未来しか見えていないのではないだろうか。
「……立海は、強い」
「そんなことは知っている! いいか手塚。たかがなんて言いたかねえがな、これからお前が体験するであろう試合のひとつだ。その先があるだろうが! プロになるんじゃねえのかよ!?」
ラケットの先端を向けた先の手塚が、ぐっと唇を引き結んだのが見える。
プロになることを彼の口から聞いたわけではない。だがあの熱のこもったプレイを見ていれば分かる。あの容赦のないボールを受けてみれば分かる。彼がどこを目指しているのかを。
「お前が青学の全国制覇に懸ける思いがハンパじゃねえことだって知ってる! けどな! お前の肘を犠牲にした上での勝利に、何の意味があるってんだ!」
「たかが一つの通過点にすぎなくとも、俺にとっては大切な試合だ。手を抜いた試合では、たとえ勝利したとしても意味がない」
「テメェ、大石が怪我で出られないってなった時、すげぇ落ち込んでたこと忘れたのか。あれをテメェが大事にしてる連中にまた味わわせる気かよ」
ネットを挟んで、睨み合う視線が絡まる。どちらにも譲れない部分がある。そしてどちらかというと、跡部の方が切実だ。
「お前がその技を完成させたいっていうなら、他の相手を探しな、手塚。俺はもうお前の球は返さねえ。お前の肩を壊す相手に、よりにもよってこの俺を選ぶんじゃねえ!」
あの時手塚の肩を壊させたのは自分だ。また同じ思いをするなんて冗談ではない。
公式戦でもなく、大事な試合を控えた相手の――ましてや惚れた男の肩や肘を壊したいわけがないのに。それを償いにしろとでもいうのだろうか。いや、この男のことだから何も考えていないに違いない。不可能だと思っている技を完成させること以外には、何も。
だがたとえ恨まれようとも、手塚に返すべきではない。高みを目指しているのならなおさらだ。ここで壊れていいプレイヤーではない。
そう思っているのはなにも自分だけではないのに、どうしてそれが分からないのかと、怒りさえこみ上げてくる。
「手塚、お前は青学の連中のためにやってるのかもしれねえが、まったく周りが見えちゃいねえ。少しはアイツらを信じろ。てめぇが万が一試合落としたって優勝できるってチームなんじゃねえのかよ」
自身も勝利を収めて全国制覇したいという気持ちは、分からないでもない。特にこの男は、負けず嫌いだ。
だけどそのために体を壊してしまっては元も子もない。
「……お前の肩を壊した俺のことはともかく、アイツらのことは信じてやれよ」
「跡部、俺は」
「もし欠片でも! ほんのわずかでも……っ俺を友人と思ってくれるなら、お前の肩をまた壊すかもしれねえ球を返すこっちの気持ちも考えやがっ……」
ハッとして顔を背け、口を覆う。こんなこと言うつもりではなかったのに、あまりに分からず屋の男相手に、つい口から飛び出してしまった。
肘に負担がかかると知っていて、悪化させる球など打ちたくない。彼が強く進化することはライバルとしても喜ばしいことだが、もう少し周りを見てほしい。
少しだけでいいから、跡部景吾という男の負担も気にかけてほしい。そんな身勝手な思いを吐露してしまった自分が不甲斐ない。
「悪い、俺のことはいいんだよ。とにかくテメェの肘が悪化するんだったら俺は絶対に反対するからな」
こみ上げてきた涙をごまかして背を向け、これ以上の打ち合いはごめんだと示してみせる。こんなことで気づかれやしないだろうが、もう少し上手く恋情を隠せないものだろうか。
「…………すまない、確かにお前のことは考えていなかったな」
手塚がラケットを下ろす気配がする。ホッとするのと同時に、やはり彼の中で跡部景吾という男は少しも重要な位置にいないということを実感させられて、心臓がズキンズキンと痛んだ。
分かっていたことだが、やるせない。
「忘れるところだった、あの日全力で応えてくれたことを。俺の選手生命に関わると分かっていながらそうするのは、どれほど恐ろしかったか、考えなかったわけではない。また勝つことだけで、頭がいっぱいだった」
そう言って、手塚はネット際まで歩んでくる。越えることはせず、そのままの位置で跡部の背中に向かってまっすぐ視線を投げかけてくる。
「だが、なぜ欠片でもなどと思うのか分からない。俺はお前を良い友人だと思っている、跡部」
つ、と止め切れなかった雫がひと筋、頬を伝う。
背を向けていて良かった。たった一言で、報われた思いだった。
「また……テニスをしてくれるだろうか」
この期に及んで、それでもまだ望んでくれるのかと、歓喜に打ち震える。
この男は本当にテニス馬鹿だ。テニス、テニス。テニス、テニス、テニス!
「俺様はわりと本気で怒ってんだがなぁ……」
全身全霊をかけて体中で叫んでいる手塚国光に、お前が好きだと叫んでやりたい。
跡部は気づかれないように頬の雫を拭って、勝ち気な笑みで振り向いた。
「青学が全国制覇したら考えてやるぜ。テメェの勝ち負けにこだわらずだ」
「……そこは普通俺が勝ったらではないのか」
「俺様の温情だろーが」
なるほどと頷きながらも、不服そうな表情をする手塚にふっと笑って、跡部はベンチへ向かう。ラケットをバッグにしまい、どれだけもかかなかった汗をタオルで拭った。
「試合の観戦はするだろう?」
「ああ、仕方ねーから青学の応援でもしてやるよ」
「そうか。……今まで付き合わせてしまって悪かったな、跡部。感謝している」
「フン……ま、せいぜい頑張るんだな」
手塚もラケットをバッグにしまい、帰る支度をしている。跡部がこれ以上打つつもりがないことを理解しているようで、心なしか残念そうにも見えた。
「ああ、お前とのテニスがかかっていることだしな」
油断せずに行く、とバッグを担いで、「では」と出入り口へと向かっていく。跡部はバッグを担ぎ損ねて、絶句したまま立ち尽くした。
「あ…………んの野郎っ……!」
ややあってカアッと熱が上がってくる。
他意がないのは分かっているのに、嬉しくて仕方がない。「もう嫌だあんなヤツ」とそこにしゃがみ込んでしまったけれど、火照る顔と心音は少しも治まってくれない。
こうなったら全力で応援してやろうじゃねーの、と思ってしまうのは、どうしようもなかった。
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永遠のブルー-017-
その後しばらくして戻ってきた保護者、もといコーチ陣に全員こってりとしぼられ、無事に帰途につく。散り散りになっていく直前、手塚と目が合った。では明日と無言で頷く彼に軽く手を挙げて返し、踵を返した。
「明日もデートかいな、跡部」
背後から声をかけられ、びくりと肩が揺れる。この声は忍足だ。せっかくのいい気分を台無しにしてくれやがってと恨みがましく振り向いてやれば、思っていた以上に真剣な眼差しと出逢ってしまった。
「気色悪い物言いすんじゃねえ。公式戦は終わったんだ、テメェにとやかく言われる筋合いはねえぜ」
「責めてるんとちゃうで。ただなぁ……見てるこっちは心配になんねん。手塚、鈍いやろ。色恋沙汰には」
「……あァ? ――……ッ」
息を呑んで、目を瞠った。
まっすぐに見つめてくる忍足の瞳に、ざあっと血の気が引いていった。
『鈍いやろ、色恋沙汰には』
――――なんで。
追突されたかのような衝撃だ。跡部はとっさに手を伸ばして、忍足の胸ぐらを引き掴む。
「忍足テメェッ……、それ、誰かに……!」
忍足の瞳は確信的だった。間違いなく気がついている。秘めるはずだった跡部の想いに。
どうしてだ、と額に汗がにじむ。
知られていい想いではない。
幸いにも周りには誰もいない。忍足もそれを見越して言ったのだろうことから、むやみに喧伝したいわけではなさそうだったが、心臓は嫌な音を立てるばかりだ。
「アホか、誰にも言うてへんわ。何もメリットないやんけ。俺のことそないにデリカシーのない男や思てんのか」
否定をしてやりたいが、困惑が先立って、何も音にできない。「泣くで」と忍足がわざとらしい泣き真似をしたことで、跡部はようやく落ち着きを取り戻す。得することがないから誰にも言っていないというのはひどく彼らしくて、心から安堵した。
「まあ、俺は言うてへんけど、滝は気づいとるで。どうしよて慌てとったからな」
「な……んだと」
安堵した傍から、冷水を浴びせられる。
忍足は見かけによらずロマンス好きであるから仕方がないにしろ、滝にまでこの想いを気づかれていたなんて。跡部は眉間にしわを寄せた。
正レギュラー落ちしてから、その席を取り戻そうとはしていたようだが、以前に比べてサポート側に回ったようなところがある。一歩下がって跡部以上に全体を見渡そうとするその力が、気づかせる原因だったかもしれない。
「アイツも心配してんのやろ。どう転んだって、ハッピーエンドやないからなあ」
「…………言ってくれるじゃねーか」
「そない言うけど、手塚に告る気ないんやろ」
「ああ、当然だ」
言えるわけがないと、手塚の帰っていった方を振り向く。
忍足の言う通り、どう転んだってハッピーエンドにはならない。言うだけ無駄どころか、損でしかない。傍にいられるだけでいいなんて言うつもりもなくて、ただ同じ高みを目指していければそれでいいと思っている。
「気づかれたないんやったら、まずその目ぇやめた方がええで、跡部。そないに切ない目で見とったら、遅かれ早かれバレるわ……」
言われてハッと我に返り、跡部はふいと顔を背ける。
忍足がこの気持ちに気づいているところを見るに、確かにそうなのだろう。
「悪いな、忍足。こんなの、気持ち悪いだろ」
歩を進めながら、跡部は自嘲気味に呟く。忠告してくれるということは、友人として見放されてはいないのだろうけれど、それでも大多数の華やかな恋とは違う。
「自覚をした以上、俺はもう自分の気持ちをごまかしたりはしねえ。だがこれは生涯秘めておくべきものだ。テメェにも萩之介にも、迷惑はかけねえから安心してくれていいぜ」
協力を仰いだりできるものではない。愚痴をこぼすことでもない。独りで戦うべき馬鹿げた感情だ。
跡部はそう言い放ち、満天の空を見上げる。流れ星に願うのは、この思いが溢れてしまわないことだけだった。
「アホやなぁ、跡部……。俺のロマンス好きナメとったらあかんで。こないな身近にオモロ……ちゃうわ、滅多に見られへん恋物語が転がっとるんやで? 喜んで首突っ込ましてもらうわ」
「…………お前今、面白いって言いかけただろ。余計な世話だぜ」
肩を竦めながらそう返してきた忍足に、跡部の方こそ突っ込ませてもらう。人の初めての馬鹿げた恋を面白いとは何事だ。いや、忍足がわざとそうやって茶化して、重たくならないようにしてくれているのは理解していても、面白くない気分ではあった。
「せやけど、こっちは心配になんねん。何でも独りで抱え込みよってからに。愚痴くらい吐いたらええやん、このボケが」
跡部景吾を捕まえて「ボケ」などとのたまえるのは、この男くらいだろうか。
生まれてこのかた愚痴とやらを吐いたことがないのだが、どういったものがそれに当たるのだろう。
「愚痴聞くだけやないで。手塚に逢いたい時は時間作る手伝いしたってもええし、逆に顔合わせとうない時はガードもしてやれる。周りを上手く使うなんて、跡部には朝飯前やんなあ?」
「……いや、逢いに行ったら駄目だろうが。忍足、テメェなんでそこまで……」
忍足は良い友人だと思っている。
テニスの才能は認めているし、もっと上手くなると信じてもいる。だけどこんなに踏み込んで支えてもらえるほど、深いつながりだっただろうか?
「言うたやん。こないに美味しい恋物語、見逃す手はないやろ。しかもそんじょそこらのもんちゃうで、跡部や、跡部。どないなロマンス小説も裸足で逃げ出してくっちゅーねん」
彼の原動力はそこにつながっているのかと、呆れもするし納得もしてしまう。
おもちゃにされるのは敵わないが、忍足とて心の底から面白がっているわけではないはずだ。
「跡部は、テニスと同じで情熱的な恋するんやなあて思たら、なんや嬉しいわぁ……。まあ相手がアレやけど。もう少し楽な相手にせえよ」
「うるせえな、できるもんならとっくにしてるぜ」
コントロールなんか効かねえんだよと続ければ、まあそれが恋やもんなあと返ってくる。チッと舌を打てば、ぽんぽんと背を叩かれた。
「まあそんな悲愴な顔せんとき。楽しんだらええやん、初恋なんやろ。一生に一度やで。しかも片想いやなんて、お前この先味わえへんかもしれんやろ」
「あ? なんでだ」
「自分のスペック自覚しぃや。頭脳明晰・容姿端麗・スポーツ万能、加えて跡部家の御曹司や。肩書きのバーゲンセールかっちゅうねん。そないな男になびかんヤツがおるんか?」
「いねえだろうが、それは恋じゃねえだろ」
そうだ、忘れかけていたが、自分は跡部家を継ぐ身なのだ。生涯のパートナーも、それなりの相手を選ばなければならない。もしくは、選ばされる。
どちらにしろ、手塚国光は範疇外だ。
頭の痛い話である。この先、それなりの相手を選ぶ時、この想いはどうなっているのだろう。小さくなっているだろうか。消えていてくれるだろうか。
相手に不誠実でないよう祈るばかりだが、今はあまり考えていたくない。
この恋を楽しむという発想はなかったけれど、忍足の言うことは理解できる。
この先誰に恋をしようとも、初めては今この瞬間だ。手塚国光に向かっていく、この想い一つのみだ。
この気持ちを認めると決めた以上、ネガティブに構えているのは跡部景吾らしくない。
――――そうだ、いつだってどこでだって、俺は前を見据えている。それが跡部景吾だ!
想いが叶わないからそれが敗北というわけではない。目を背けるから敗北なのだ。
ふつふつと体の中に何かが沸き上がるような感覚を味わう。これはコートに立つ時と似た感覚で、ラケットを握りしめる時とおんなじだ。
「忍足、ありがとよ。俺様としたことが、俺様らしさを見失うところだったぜ」
「さよか」
好きになってしまったものはしょうがない。好きになってもらえないのもしょうがない。
だけど、せっかくこの胸に芽生えた馬鹿げた恋心を、悟られないように楽しむことができる。
ゲームはいつでも真剣に楽しむ。それが自分だったはずだ。
「クックック……ハァーッハッハッハ! 俺様の好きな持久戦になりそうじゃねーの!」
いつまで続くか分からない。永遠に続くかもしれない。だがそれも手塚ならば相手にとって不足はない。
昏く沈んでいた気分が、急上昇してきた。明日逢うのが楽しみだと、跡部は肩を竦める忍足の隣で口の端を上げた。
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その日以降、跡部の枕元には可愛らしいユキヒョウのぬいぐるみが置かれることになったが、「キングたるもの美しい獣の一匹や二匹引き連れているものだぜ」という、傲岸不遜極まりない宣言を受けた同室のメンバーは、もはや何も言えないらしい。たとえ「美しい獣というより可愛らしい獣だな」と思っていたとしても。
「どうなん、その後」
「まあ以前よりは眠れるようになったな」
「跡部あのユキヒョウちゃん可愛いね! 俺の羊も貸してあげよっか!」
「ありがとな、ジロー。気持ちだけもらっとくぜ」
そしてそれ以来、可愛らしい獣のおかげで跡部にも比較的良質な眠りが訪れるようになっていた。しかしながら、訊ねてきた忍足は「そういうんちゃうんやけどなあ」と跡部の返答には不服そうだ。
滝が送ってくれたジュレロワイヤルを口へと運びながら、跡部は忍足を見やる。彼が何を言いたいかは分かっていた。その上であえてかわしてみせたのだ。
日に日に募っていく手塚への気持ちは、秘めておかねばならない。
手塚が自分のことを気遣ってくれたことはとても嬉しく思っている。だからこそだ。友人として認識してくれている手塚に、自分が応えられるめいっぱいの誠意。
「黙っとることが誠意かっちゅー見方もあるけどなぁ……見とるこっちはもどかしぃてならんわ。むしろここにおらん滝が羨ましいっちゅーねん」
「テメェが勝手に首突っ込んでるだけだろうが。俺の戦いに口出すんじゃねーよ」
以前よりぐっと近づいてしまった距離は、嬉しくも、苦しくもある。無理に諦めようとしたり、忘れようとは思わなくなった。いつか、時間の経過とともに薄れていってくれることを願うばかりだ。
「今日は総入れ替え戦チームシヤツフルなんだ、余計なことは考えたくねえ」
この想いを余計なものとするのは気が引けるが、恋に浮かれたままの気持ちで勝てるほど容易な試合ではない。
この合宿でさらに強くなったつもりだが、それは相手も同じことだ。油断なんて言葉は跡部景吾の辞書にない。
それは、手塚も同じようだった。
始まった総入れ替え戦チームシヤツフル、手塚の対戦相手は青学の元部長・大和。在籍中の試合では手塚の圧勝だったらしいが、すでに勝った気分でいる切原に肯定は返さなかった。
「全国大会優勝、おめでとうございます。部長として大変だったでしょう」
「ありがとうございます。チームのメンバーに恵まれました」
「それはそうと、君はなぜこんなところにいるんですか?」
二人が交わす会話が聞こえてくる。大和の言葉に、跡部は違和感を覚えた。手塚ほどの選手が、選抜に呼ばれないわけはないのに、なぜ、なんて。
「聞きましたよ、ドイツのプロチームから誘いを受けているそうじゃないですか。とっくにドイツに行ったものだと思っていました」
目を瞬く。どうしてそれを考えていなかったのか。手塚の体が、わずかに強張ったように見えた。
「――ドイツ?」
「なんや手塚クン、スカウト受けとったんかいな」
考えてみれば当然のことだ。手塚ほどの選手に、声がかからないわけがない。
彼自身も望んでいるプロへの道。それが目の前に拓けているのに、何故こんなところで、たかがコートを二つ上がるための試合に挑んでいるのか。
その理由は、容易に知れた。
「選抜候補の一員としてベストを尽くすこと……今は、それしか考えていません」
「やれやれ。青学の柱の次は日本ジュニアの柱というわけですか」
馬鹿が、と跡部は奥歯を噛みしめる。大和と一緒になって責め立ててやりたい気分だった。
いくら目指し努力を重ねても、プロになれるプレイヤー、さらに成功を収める人間なんてほんの一握りだ。
その一握りになるだけの実力があり、チャンスが巡ってきているのに、何を足踏みしているのかと。
――――くそ、気づいてやれなかった。迷っていたんじゃねえのかよ、手塚。
つい先日だ。お前がプロになろうとしているのなんて見ていれば分かると言ってやったのは。思えば手塚がそんなことを訊いてくること自体がおかしかったのだ。他人からどう見えていようと、自分の意志は貫き通す男だというのに。
自分の想いをコントロールするのに精一杯で、垣間見た彼の迷いに気づけなかったことが悔やまれる。
手塚はまた、五番コートを勝たせるために、中学生選抜の思いが込められたこの試合を勝利に導くために、腕に負担をかけている。
「手塚ァ、無茶するんじゃねえ! また腕を痛めたらどうする!」
声をかけても、手塚は聞きやしない。とことん頑固で不器用な男だ。
なぜそうなのだろう。どうして自分の声が届かないのか。心配していると自分はちゃんと告げたはずだ。
気に留めておくような重要な存在ではないということなのかと、眉間にしわを寄せかけたけれど、思い出す。
良い友人だと思っていると、口下手な彼がきちんと伝えてくれたあの言葉を。
ならば、届くはずだ。
「手塚ぁ!」
今度は手塚が振り向いてくれる。
「柱ってヤツは、なにもお前の専売特許じゃねえだろ。アーン? ちったぁ俺たちのことを――信用しろよ」
以前は、青学の連中を信用してやれとしか言ってやれなかった。だけど今度は、自分も含めて信用してみろと言ってやれた。
ひとつ瞬いた後に交錯した視線には、もう迷いは見当たらない。
「もっと、楽しませてもらってもいいですか。――テニスを」
迷いの晴れた手塚国光は天衣無縫へと到達し、その場にいた者たちをどよめかせる。ただ一人、跡部景吾を除いては。
――――さすが、俺様の惚れた男じゃねーの。
手塚がその領域に到達しようと、何の不思議もない。ぞくぞくするほどの充足感に満ち足りて、跡部は手塚のプレイを余すところなく見つめ続けた。
そうして無事に勝利を収め、こちら側に戻ってこようとした手塚を、足を上げて阻む。
「――ドイツ、行きたいんだろ? アーン?」
この期に及んで選抜チームを云々などとは言わせない。手塚がいるべきところはここではないのだから。
「跡部……」
「行って、とっととプロになっておけ。俺もすぐに追いかける」
激励のようにも、挑発のようにも受け取れるだろう。とっととプロになって、同じくプロになる自分との再戦に備えておけと。
それは明確に伝わったようで、手塚は力強く頷いてくれた。微笑みさえたたえてだ。それだけで、充分だ。
「二勝一敗、いよいよ王手だ!」
手塚の背中を見送って、跡部はチームの仲間を振り返る。
手塚から引き継いだ中学生選抜に、勝利を。
それは容易なことではなかったけれど、跡部はプライドもこだわってきた美技もかなぐり捨ててボールを追った。十一月には珍しい雪も、左足首の痛みも、すべてを受け止めて走る。
ただこのボールを返すために。ただこのチームを率いていくのにふさわしいと自他共に納得させるために。
「約束は果たさせてもらうぜ、手塚あぁ――!」
ここで躓くようならば、柱を担う資格などない。手塚を追いかける道など拓かれない。
入江のコートに返ったボールが、跡部に向かってくることは――なかった。
続行不能となった体をベンチに横たわらせられる。
勝てはしなかったけれど、餞になるだろうか。
跡部は雪が降りてくる空をじっと眺め、もう帰るバスに乗っただろう手塚を思い描いた。
「ドイツは…………遠いな……」
勝敗を決する最終戦が始まった今、跡部の小さな呟きが他の誰かの耳に入ることはなかった。
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