- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.515, No.514, No.513, No.512, No.511, No.510, No.509[7件]
永遠のブルー-018-
ボールに変な回転がかかっている。それに気がついたのは、同じような球を受けて三回目くらいだった。
また新しい技を生み出そうとしているのかと、何とか返してやりながら呆れ果てた。
全国大会の決勝戦は明後日だ。ここにきてまた進化するのか、この男は。
――――どんどん強くなりやがる。俺も、負けてられねーなァ!
無二のライバル――そう思っているのはこちらの方だけだろうと理解していても、この男には負けたくない。それが惚れた相手ならなおさらだ。
「オラ、本気で来いよ! 手塚ァ!」
ボールを返す。返される。思わぬコースを描く。踏み込んで叩き返す。
決まった、と思ったそのボールは、なぜかアウトボールになってしまった。
「……なんだ? 今の……また変な回転かかってやがったが」
「やはり、なかなか難しいな」
手塚の視線が、ころころと転がったボールを追っていく。やはり狙って回転をかけていたようだ。ボールが手塚の元に戻っていく手塚ゾーンでないのは分かるが、いったい何をしようとしているのだろう。
「てめぇ……よりにもよってこの跡部景吾を新技の練習台に使うとは、どんな太い神経してやがんだ。アーン?」
「好きにしろと言っていただろう。それに、お前くらいでないと練習にならない」
跡部は頭を抱えた。これを嬉しいと思ってしまっていいのかどうか。
強い相手でないと練習にならないというのは、跡部自身にも覚えがある。絶対にそれと同じなのに、強さを認識されているのがどうしようもないくらいに嬉しい。
「で? 具体的に何をどうしたいんだよ。ボールを引き寄せるんじゃなくて、今度ははじき飛ばしたいってか?」
当てずっぽうに言ってみた言葉に、手塚がこくりと頷く。本気か、と呟いたが、この男が本気でなかったことなどない。
「以前、越前が言っていたんだ。簡単にできるものではないと言ったんだが、可能ということだろうと返されてしまってな……」
グリップを握る手をじっと見下ろす手塚に、跡部は顔を覆って瞳に力を集中させた。回転のかけ方によっては確かに可能だろうが、それは理論上だ。そんなもの、ほぼ不可能に近い。
だが彼が手塚国光だということを考えると、不可能も可能になってしまいそうだった。事実、先ほど返したボールは見事にアウトボールになった。
「……手塚、それ止めろ。肘に負担がかかる。分かってんだろ!」
「問題ない。俺の体は俺がいちばんよく分かっている」
「問題ねえわけねえだろ! だいたいあの時だって、お前は肩への負担を認識しちゃいなかった!」
関東大会、シングルス1。跡部にとって忘れられない試合になったあのゲーム。
無意識に肘をかばって、肩に負担をかけていたことを、忘れたわけではないだろう。つい先日まで、九州でリハビリを受けていたではないか。ボールに回転をかけるのは、比例するように肘に大きな負担がかかってくる。
「それは俺が未熟だからだろう」
「ああそれには違いねえ! どれだけ体を作り込もうが、どんなに経験積もうが、俺たちの体はまだガキなんだよ! 専属のトレーナーやドクターがついてるわけでもねえのに、無茶な使い方すんな!」
同年代の男子よりは鍛えていると言っても、まだ発展途上の体だ。それは跡部自身にも言えることだが、跡部はきっちりと自覚をしている。
体が悲鳴を上げるほどの負担が、この先の選手生命にも関わってくるというのに。
手塚国光という男を、本当に誤解していたと改めて思う。少しも思慮深くなどない。少しも冷静などではない。すぐそこの近い未来しか見えていないのではないだろうか。
「……立海は、強い」
「そんなことは知っている! いいか手塚。たかがなんて言いたかねえがな、これからお前が体験するであろう試合のひとつだ。その先があるだろうが! プロになるんじゃねえのかよ!?」
ラケットの先端を向けた先の手塚が、ぐっと唇を引き結んだのが見える。
プロになることを彼の口から聞いたわけではない。だがあの熱のこもったプレイを見ていれば分かる。あの容赦のないボールを受けてみれば分かる。彼がどこを目指しているのかを。
「お前が青学の全国制覇に懸ける思いがハンパじゃねえことだって知ってる! けどな! お前の肘を犠牲にした上での勝利に、何の意味があるってんだ!」
「たかが一つの通過点にすぎなくとも、俺にとっては大切な試合だ。手を抜いた試合では、たとえ勝利したとしても意味がない」
「テメェ、大石が怪我で出られないってなった時、すげぇ落ち込んでたこと忘れたのか。あれをテメェが大事にしてる連中にまた味わわせる気かよ」
ネットを挟んで、睨み合う視線が絡まる。どちらにも譲れない部分がある。そしてどちらかというと、跡部の方が切実だ。
「お前がその技を完成させたいっていうなら、他の相手を探しな、手塚。俺はもうお前の球は返さねえ。お前の肩を壊す相手に、よりにもよってこの俺を選ぶんじゃねえ!」
あの時手塚の肩を壊させたのは自分だ。また同じ思いをするなんて冗談ではない。
公式戦でもなく、大事な試合を控えた相手の――ましてや惚れた男の肩や肘を壊したいわけがないのに。それを償いにしろとでもいうのだろうか。いや、この男のことだから何も考えていないに違いない。不可能だと思っている技を完成させること以外には、何も。
だがたとえ恨まれようとも、手塚に返すべきではない。高みを目指しているのならなおさらだ。ここで壊れていいプレイヤーではない。
そう思っているのはなにも自分だけではないのに、どうしてそれが分からないのかと、怒りさえこみ上げてくる。
「手塚、お前は青学の連中のためにやってるのかもしれねえが、まったく周りが見えちゃいねえ。少しはアイツらを信じろ。てめぇが万が一試合落としたって優勝できるってチームなんじゃねえのかよ」
自身も勝利を収めて全国制覇したいという気持ちは、分からないでもない。特にこの男は、負けず嫌いだ。
だけどそのために体を壊してしまっては元も子もない。
「……お前の肩を壊した俺のことはともかく、アイツらのことは信じてやれよ」
「跡部、俺は」
「もし欠片でも! ほんのわずかでも……っ俺を友人と思ってくれるなら、お前の肩をまた壊すかもしれねえ球を返すこっちの気持ちも考えやがっ……」
ハッとして顔を背け、口を覆う。こんなこと言うつもりではなかったのに、あまりに分からず屋の男相手に、つい口から飛び出してしまった。
肘に負担がかかると知っていて、悪化させる球など打ちたくない。彼が強く進化することはライバルとしても喜ばしいことだが、もう少し周りを見てほしい。
少しだけでいいから、跡部景吾という男の負担も気にかけてほしい。そんな身勝手な思いを吐露してしまった自分が不甲斐ない。
「悪い、俺のことはいいんだよ。とにかくテメェの肘が悪化するんだったら俺は絶対に反対するからな」
こみ上げてきた涙をごまかして背を向け、これ以上の打ち合いはごめんだと示してみせる。こんなことで気づかれやしないだろうが、もう少し上手く恋情を隠せないものだろうか。
「…………すまない、確かにお前のことは考えていなかったな」
手塚がラケットを下ろす気配がする。ホッとするのと同時に、やはり彼の中で跡部景吾という男は少しも重要な位置にいないということを実感させられて、心臓がズキンズキンと痛んだ。
分かっていたことだが、やるせない。
「忘れるところだった、あの日全力で応えてくれたことを。俺の選手生命に関わると分かっていながらそうするのは、どれほど恐ろしかったか、考えなかったわけではない。また勝つことだけで、頭がいっぱいだった」
そう言って、手塚はネット際まで歩んでくる。越えることはせず、そのままの位置で跡部の背中に向かってまっすぐ視線を投げかけてくる。
「だが、なぜ欠片でもなどと思うのか分からない。俺はお前を良い友人だと思っている、跡部」
つ、と止め切れなかった雫がひと筋、頬を伝う。
背を向けていて良かった。たった一言で、報われた思いだった。
「また……テニスをしてくれるだろうか」
この期に及んで、それでもまだ望んでくれるのかと、歓喜に打ち震える。
この男は本当にテニス馬鹿だ。テニス、テニス。テニス、テニス、テニス!
「俺様はわりと本気で怒ってんだがなぁ……」
全身全霊をかけて体中で叫んでいる手塚国光に、お前が好きだと叫んでやりたい。
跡部は気づかれないように頬の雫を拭って、勝ち気な笑みで振り向いた。
「青学が全国制覇したら考えてやるぜ。テメェの勝ち負けにこだわらずだ」
「……そこは普通俺が勝ったらではないのか」
「俺様の温情だろーが」
なるほどと頷きながらも、不服そうな表情をする手塚にふっと笑って、跡部はベンチへ向かう。ラケットをバッグにしまい、どれだけもかかなかった汗をタオルで拭った。
「試合の観戦はするだろう?」
「ああ、仕方ねーから青学の応援でもしてやるよ」
「そうか。……今まで付き合わせてしまって悪かったな、跡部。感謝している」
「フン……ま、せいぜい頑張るんだな」
手塚もラケットをバッグにしまい、帰る支度をしている。跡部がこれ以上打つつもりがないことを理解しているようで、心なしか残念そうにも見えた。
「ああ、お前とのテニスがかかっていることだしな」
油断せずに行く、とバッグを担いで、「では」と出入り口へと向かっていく。跡部はバッグを担ぎ損ねて、絶句したまま立ち尽くした。
「あ…………んの野郎っ……!」
ややあってカアッと熱が上がってくる。
他意がないのは分かっているのに、嬉しくて仕方がない。「もう嫌だあんなヤツ」とそこにしゃがみ込んでしまったけれど、火照る顔と心音は少しも治まってくれない。
こうなったら全力で応援してやろうじゃねーの、と思ってしまうのは、どうしようもなかった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー-017-
その後しばらくして戻ってきた保護者、もといコーチ陣に全員こってりとしぼられ、無事に帰途につく。散り散りになっていく直前、手塚と目が合った。では明日と無言で頷く彼に軽く手を挙げて返し、踵を返した。
「明日もデートかいな、跡部」
背後から声をかけられ、びくりと肩が揺れる。この声は忍足だ。せっかくのいい気分を台無しにしてくれやがってと恨みがましく振り向いてやれば、思っていた以上に真剣な眼差しと出逢ってしまった。
「気色悪い物言いすんじゃねえ。公式戦は終わったんだ、テメェにとやかく言われる筋合いはねえぜ」
「責めてるんとちゃうで。ただなぁ……見てるこっちは心配になんねん。手塚、鈍いやろ。色恋沙汰には」
「……あァ? ――……ッ」
息を呑んで、目を瞠った。
まっすぐに見つめてくる忍足の瞳に、ざあっと血の気が引いていった。
『鈍いやろ、色恋沙汰には』
――――なんで。
追突されたかのような衝撃だ。跡部はとっさに手を伸ばして、忍足の胸ぐらを引き掴む。
「忍足テメェッ……、それ、誰かに……!」
忍足の瞳は確信的だった。間違いなく気がついている。秘めるはずだった跡部の想いに。
どうしてだ、と額に汗がにじむ。
知られていい想いではない。
幸いにも周りには誰もいない。忍足もそれを見越して言ったのだろうことから、むやみに喧伝したいわけではなさそうだったが、心臓は嫌な音を立てるばかりだ。
「アホか、誰にも言うてへんわ。何もメリットないやんけ。俺のことそないにデリカシーのない男や思てんのか」
否定をしてやりたいが、困惑が先立って、何も音にできない。「泣くで」と忍足がわざとらしい泣き真似をしたことで、跡部はようやく落ち着きを取り戻す。得することがないから誰にも言っていないというのはひどく彼らしくて、心から安堵した。
「まあ、俺は言うてへんけど、滝は気づいとるで。どうしよて慌てとったからな」
「な……んだと」
安堵した傍から、冷水を浴びせられる。
忍足は見かけによらずロマンス好きであるから仕方がないにしろ、滝にまでこの想いを気づかれていたなんて。跡部は眉間にしわを寄せた。
正レギュラー落ちしてから、その席を取り戻そうとはしていたようだが、以前に比べてサポート側に回ったようなところがある。一歩下がって跡部以上に全体を見渡そうとするその力が、気づかせる原因だったかもしれない。
「アイツも心配してんのやろ。どう転んだって、ハッピーエンドやないからなあ」
「…………言ってくれるじゃねーか」
「そない言うけど、手塚に告る気ないんやろ」
「ああ、当然だ」
言えるわけがないと、手塚の帰っていった方を振り向く。
忍足の言う通り、どう転んだってハッピーエンドにはならない。言うだけ無駄どころか、損でしかない。傍にいられるだけでいいなんて言うつもりもなくて、ただ同じ高みを目指していければそれでいいと思っている。
「気づかれたないんやったら、まずその目ぇやめた方がええで、跡部。そないに切ない目で見とったら、遅かれ早かれバレるわ……」
言われてハッと我に返り、跡部はふいと顔を背ける。
忍足がこの気持ちに気づいているところを見るに、確かにそうなのだろう。
「悪いな、忍足。こんなの、気持ち悪いだろ」
歩を進めながら、跡部は自嘲気味に呟く。忠告してくれるということは、友人として見放されてはいないのだろうけれど、それでも大多数の華やかな恋とは違う。
「自覚をした以上、俺はもう自分の気持ちをごまかしたりはしねえ。だがこれは生涯秘めておくべきものだ。テメェにも萩之介にも、迷惑はかけねえから安心してくれていいぜ」
協力を仰いだりできるものではない。愚痴をこぼすことでもない。独りで戦うべき馬鹿げた感情だ。
跡部はそう言い放ち、満天の空を見上げる。流れ星に願うのは、この思いが溢れてしまわないことだけだった。
「アホやなぁ、跡部……。俺のロマンス好きナメとったらあかんで。こないな身近にオモロ……ちゃうわ、滅多に見られへん恋物語が転がっとるんやで? 喜んで首突っ込ましてもらうわ」
「…………お前今、面白いって言いかけただろ。余計な世話だぜ」
肩を竦めながらそう返してきた忍足に、跡部の方こそ突っ込ませてもらう。人の初めての馬鹿げた恋を面白いとは何事だ。いや、忍足がわざとそうやって茶化して、重たくならないようにしてくれているのは理解していても、面白くない気分ではあった。
「せやけど、こっちは心配になんねん。何でも独りで抱え込みよってからに。愚痴くらい吐いたらええやん、このボケが」
跡部景吾を捕まえて「ボケ」などとのたまえるのは、この男くらいだろうか。
生まれてこのかた愚痴とやらを吐いたことがないのだが、どういったものがそれに当たるのだろう。
「愚痴聞くだけやないで。手塚に逢いたい時は時間作る手伝いしたってもええし、逆に顔合わせとうない時はガードもしてやれる。周りを上手く使うなんて、跡部には朝飯前やんなあ?」
「……いや、逢いに行ったら駄目だろうが。忍足、テメェなんでそこまで……」
忍足は良い友人だと思っている。
テニスの才能は認めているし、もっと上手くなると信じてもいる。だけどこんなに踏み込んで支えてもらえるほど、深いつながりだっただろうか?
「言うたやん。こないに美味しい恋物語、見逃す手はないやろ。しかもそんじょそこらのもんちゃうで、跡部や、跡部。どないなロマンス小説も裸足で逃げ出してくっちゅーねん」
彼の原動力はそこにつながっているのかと、呆れもするし納得もしてしまう。
おもちゃにされるのは敵わないが、忍足とて心の底から面白がっているわけではないはずだ。
「跡部は、テニスと同じで情熱的な恋するんやなあて思たら、なんや嬉しいわぁ……。まあ相手がアレやけど。もう少し楽な相手にせえよ」
「うるせえな、できるもんならとっくにしてるぜ」
コントロールなんか効かねえんだよと続ければ、まあそれが恋やもんなあと返ってくる。チッと舌を打てば、ぽんぽんと背を叩かれた。
「まあそんな悲愴な顔せんとき。楽しんだらええやん、初恋なんやろ。一生に一度やで。しかも片想いやなんて、お前この先味わえへんかもしれんやろ」
「あ? なんでだ」
「自分のスペック自覚しぃや。頭脳明晰・容姿端麗・スポーツ万能、加えて跡部家の御曹司や。肩書きのバーゲンセールかっちゅうねん。そないな男になびかんヤツがおるんか?」
「いねえだろうが、それは恋じゃねえだろ」
そうだ、忘れかけていたが、自分は跡部家を継ぐ身なのだ。生涯のパートナーも、それなりの相手を選ばなければならない。もしくは、選ばされる。
どちらにしろ、手塚国光は範疇外だ。
頭の痛い話である。この先、それなりの相手を選ぶ時、この想いはどうなっているのだろう。小さくなっているだろうか。消えていてくれるだろうか。
相手に不誠実でないよう祈るばかりだが、今はあまり考えていたくない。
この恋を楽しむという発想はなかったけれど、忍足の言うことは理解できる。
この先誰に恋をしようとも、初めては今この瞬間だ。手塚国光に向かっていく、この想い一つのみだ。
この気持ちを認めると決めた以上、ネガティブに構えているのは跡部景吾らしくない。
――――そうだ、いつだってどこでだって、俺は前を見据えている。それが跡部景吾だ!
想いが叶わないからそれが敗北というわけではない。目を背けるから敗北なのだ。
ふつふつと体の中に何かが沸き上がるような感覚を味わう。これはコートに立つ時と似た感覚で、ラケットを握りしめる時とおんなじだ。
「忍足、ありがとよ。俺様としたことが、俺様らしさを見失うところだったぜ」
「さよか」
好きになってしまったものはしょうがない。好きになってもらえないのもしょうがない。
だけど、せっかくこの胸に芽生えた馬鹿げた恋心を、悟られないように楽しむことができる。
ゲームはいつでも真剣に楽しむ。それが自分だったはずだ。
「クックック……ハァーッハッハッハ! 俺様の好きな持久戦になりそうじゃねーの!」
いつまで続くか分からない。永遠に続くかもしれない。だがそれも手塚ならば相手にとって不足はない。
昏く沈んでいた気分が、急上昇してきた。明日逢うのが楽しみだと、跡部は肩を竦める忍足の隣で口の端を上げた。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー-016-
本来の準々決勝日程だった十八日は、途中で激しい雨に見舞われた。試合中断を経て、翌十九日に勝敗は決した。氷帝の敗北という形で。
跡部にとっては、公式戦での初の敗北だった。
だが不思議と遺恨がないのは、気持ちがいいくらいに完全燃焼できたからだろう。それくらいに激しい戦いだった。
今持てる、いや、それ以上の力を出せた。
悔しさがないわけではない。だがそれは己の未熟さゆえで、相手を恨む道理もない。全国大会制覇という道は絶たれてしまったが、満足だと跡部は思っている。
もちろんそれはこれ以上を望まないということではなく、負けは負けだと自分を納得させることができる試合だったというだけだ。
跡部景吾は常に前を見据え、上を目指している。
部員の誰もがそれを理解しているからこそ、どこからも恨み言が出てこない。気絶してまでコートに立っていることを選んだ誇り高き王に、そんなものを投げる輩は存在しない。
「肉だぁ? んなもん、いつでも俺様が」
「跡部が連れてってくれんの高級店だろ、ちょっと居心地が悪いんだよな。美味いけどよ」
「ガッて焼いてガッと食うのがいいんじゃん」
空腹を訴えて、焼き肉をしこたま食べたいというレギュラー陣たちに、そういうものかと小首を傾げる。
「男子中学生には質より量いうことやろ」
「たまにはいいんじゃないかな? 慰労会でわいわい騒ぐのも」
「ああなるほど、お祭り騒ぎがしたいわけね。それならテニス部全体のはまた改めて開いてやるぜ」
明日以降の試合が氷帝にはない以上、ほどほどにしておけと注意することもない。お祭り騒ぎがしたいのであれば余計に跡部家で何かしてやりたいが、いかんせん今日の今日では時間が足りない。彼らをねぎらうのはまた別の機会にしようと、メンバーの提案を受け入れた。
それが間違いだったのかもしれない。
なぜよりによって足を踏み入れた焼肉店に青学のメンバーがいるのか。
いや、他校のメンツもいたのだが、何しろ厄介な恋心は手塚にしか意識が向かないのである。
席の配置的に手塚の顔が見られないのはいい。突如始まってしまった焼肉バトルとやらも、おかしなことを考えないでいられるという意味ではありがたかった。
しかし、ただでさえ疲れているのに、この恋情を誰にも気づかれないようにと気を張るのは疲労が上乗せされる。明日は久しぶりにゆっくり過ごしてみようかと思うほどにだ。
――――本当なら、祝いの一つでも言ってやるべきなんだろうが……まだ俺にその余裕がねえ。俺様をここまで悩ませるとは、やるじゃねーの手塚ァ。
いや、青学にはまだ試合が残っているのだから、祝いは早いかもしれない。だが何か会話のきっかけにでもなれば……と思ったところで、ハッと我に返り項垂れた。
話しかけるきっかけを探してしまうなんて、らしくない。
自覚をすると、こうも急激に転がり落ちていくものなのかと、気恥ずかしい思いでいっぱいだ。
ちらりと、手塚の背中に視線をやる。バトルとは言いつつ黙々と好みの肉を食べているらしい手塚に、思わず笑みが漏れる。激戦をこなした彼も、空腹だったのだろう。
プレイヤーとしての彼は知っているが、普段どんな生活をしているのか、少しも知らない。
やはり和食の方が好きなのだろうか。嫌いな物もあるだろうか。
いつか食事を共にすることがあれば、好みを訊いてみたい。それくらいなら、ライバル……友人としての範疇に収まるだろうか。
秘めなければと思うのに、勝手に育っていってしまう恋情が煩わしい。それと同時にくすぐったい。手塚を見ていたいのに、長くは見ていられない。
世の恋をしている連中は毎日こんな矛盾と戦っているのだろうか。それならば敬意さえ抱く。なんて面倒な感情なんだと、運ばれてきた『粉悪秘胃コーヒー』とやらに口を付けた。
信じられないほど体に悪そうなその液体に、一瞬魂が飛びかけたように思う。
「座ったまま尚君臨するのか、跡部よ……」
さらに信じられないことに、手塚のその声で意識を取り戻した。
「くわぁっ……!」
死ぬほど不味い粉悪秘胃とやらのノルマは達成した、と口許を押さえる。
――――くそ、手塚の『跡部』って声で意識を取り戻すとは……俺様はいったいどれだけアイツが好きだってんだ……!?
タイミングの問題ではあるだろうが、どうにも気恥ずかしい。粉悪秘胃が不味かったことで、歪む表情をごまかせたのは幸いだった。
しかし何かにつけて手塚に突っかかっていた自分が、こうも手塚に構わないのも不自然ではないかと、「決着をつけるぜ手塚ぁ!」と出てきた壺漬けカルビを網の上に置いた。
不自然ではないようにと気を張っていたせいで、壺に不自然に書かれた「乾」という文字に気づけなかったのは、跡部の落ち度かどうか。
目にしみる煙と鼻をつく異臭。焼肉店の排煙装置はいったいどうなっているのだと言いたいが、それどころではない。
「おい避難だ! 全員避難しろ!」
「身を低くして口と鼻を覆うんだ!」
ともかく部員たちを全員避難させなければ。逃げ遅れなどあってはならないと、跡部は最後まで全員の避難を確認するため現場に残った。
「跡部、お前も早く逃げろ」
「手塚、そっちはもう誰も残ってねえかッ?」
「問題ない、全員退避した」
手塚も無事であることにホッとして、外に避難する。死屍累々と横たわる部員たちも、どれが誰だか分からない状態だ。
くらりと目眩がする。酷い気分だと前のめりになった体を、手塚の腕が支えてくれた。
「わ、悪い、平気だ」
「お前がいちばん近くにいただろう。無理をするな、座っていた方がいい」
俺も少し疲れたと言いつつ大きなため息を吐く手塚には、鳴った心音は気づかれていないらしい。
――――この期に及んで俺は……!
くぅと歯を食いしばり、ふるふると首を振る。
気分が悪いのと同時に機嫌が急上昇するという、わけの分からない事態に陥り、跡部はこめかみを押さえた。
「大変なことになってしまったが、皆はこれで英気を養えたのだろうか……」
「んなわけねえだろ……楽しんではいたようだがな。ああそうだ手塚、決勝進出だな。一応祝いは言っておいてやるぜ」
「ああ……次も勝つ」
どこまでいっても手塚国光は勝ち気だなと、どこかで安堵する。もう公式戦で相対することはないが、これからはそっとこの傲慢なライバルを見守ることにしよう。
「跡部、明日は空いているか? できたら決勝までにもう一度やりたいんだが」
そっと見守ろうと決意した傍から、打ち砕かれていく。跡部は思わず手塚を振り仰ぎ、ぱちぱちと目を瞬いた。
「まだ俺様を練習台にしたいってか? お前本当に図々しいっていうか、いい神経してやがるな。俺はテメェんとこに負けたんだぜ」
「嫌ならばいいが、お前がそういうことを気にする性質たちだとは思っていない。越前との勝負は本当に見事だった。厭みでなく、純粋にそう思っている」
「そーかい、ありがとよ。…………何時だ? こうなりゃとことん付き合ってやるぜ」
気恥ずかしさにふいと顔を背け、携帯端末でスケジュールを確認した。
休み明けの学校行事のことや家の仕事の諸々を午前中に終わらせれば、手塚の要望には応えられそうだ。貪欲にテニスをしたがるこの男の力になれるなら、多少のリスケジュールは厭わない。
「助かる。暑さ対策もしたいところだな」
「じゃあやっぱり屋外だな。予約しておくからいつでもいいぜ」
分かったと頷く手塚に笑ってやると、無遠慮な指先が伸びてくる。それは額の髪をそっと払ってすぐに離れていった。
「……は……?」
「少しは顔色がよくなったな。先ほどは本当に青かった」
「へ、平気だっつっただろうがっ……いやそれより店内大丈夫なのか? 煙は排出されてんのかよ……」
唐突な接触について来れなかった心音が、三秒出遅れてドキンドキンと早鐘を打ち始める。ごまかすように店を振り向いて、跡部はシャツの胸元をぐっと握りしめた。
「あのバトルのせいで、店にはとんだ迷惑をかけてしまったな。明日は全員グラウンド二百周だ」
止めなかったこちらにも責任はあると、跡部は被害額算出を頭の中で始める。偽物のシャトーブリアンを出していたことを差し引いても、こちらの方が分が悪い。必要に応じて弁護士にも出張ってもらおう。
「次の試合に響かねえことを祈るぜ」
「まったくだな」
油断ならないと腕を組む手塚。何だかんだ言いつつ仲間たちが大事でしょうがないのだろうに、顔にも態度にも出ない不器用なこの男が、心の底から愛おしい。
もう自分の恋情をごまかすのは難しいなと苦笑して、このタガが外れてしまわないように唇を引き結ぶ。手塚が触れた髪をさらりとかき上げ、ゆっくりと息を吐き出した。
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永遠のブルー-015-
一回戦、二回戦、と順当に勝ち進んだ。さすがに全国クラスのプレイヤーが揃っていたが、氷帝の敵ではない。優勝を狙っているのだ、当然のことではあるのだが。
三回戦は明日行われる。三回戦――準々決勝、氷帝学園は、青春学園と当たる。つまり、手塚の率いるチームとだ。
「よう、手塚。無事に勝ったみてえじゃねーの」
「跡部か。そちらも同じようだな」
青学は組み合わせの結果、一回戦は対戦相手がいなかった。充分な力を保ったままの二回戦、負けるはずがなかったのだけれども。
コートから上がってきた青学のメンバーに、激励とも挑発とも取れる言葉を投げかけてやる。後ろにいる氷帝メンバーの視線が、自分を通り越して青学の連中に向かっているのがひしひしと伝わってきた。
次はいよいよ、対決だ。関東大会の再現かと言われているのは知っているが、同じ轍を踏む気はさらさらない。勝って次の試合に臨むのだ。
「手加減はしねぇぜ」
「こちらの台詞だ」
睨み合う視線が、空中で絡まる。この会話と視線のやりとりだけ見ていれば、とても昨日まで自校の練習以外で打ち合っていた仲だとは思えない。
「それはそうと、大石の手首そんなに酷いのか? なんなら医者紹介するが」
「いや、それには及ばない。気遣いだけもらっておこう」
「そうかい。大石、早く完治することを祈ってやるぜ」
「あ、ああ、うん、ありがとう……?」
手塚の傍で、大石が手首を押さえるのが見える。なぜ跡部に見舞いを言われるのか分からないといったふうに首を傾げるのが愉快だった。それ以上は手塚とも言葉を交わさずに、踵を返す。
「やっぱ怪我してんのか、大石のヤツ」
「手首って言ってましたね、跡部さん。大石さんのムーンボレー、受けてみたかったんですが」
「大石が欠場ってことは、また菊丸は他のヤツと組むのか?」
ミーティングのために学園へ戻る道中、話題はやはり明日の対戦相手である青学メンバーの、とりわけ怪我での欠場となっている大石のことだった。今朝からその噂は駆け巡っていたが、手塚や本人が認めているなら本当なのだろうと。
「ま、何にしろシングルス1は跡部と手塚で決まりだろ」
「まーた何時間もかかるのかよ。すぐに決めろって言いたいところだが、相手が手塚じゃなあ……」
メンバーたちは口々にそう言っているが、跡部は眉を寄せる。手塚と当たれば確かに決着までに何時間もかかりそうだが、どうもそうはなりそうにない。
「悩んでるんか、跡部」
「あ? ああ……恐らくだが、アイツは俺様とは当たらねえぜ」
「どうしてそう思うの?」
「越前リョーマがいる」
オーダーを組む際は、たいていが部長をシングルス1に据える。
それが慣例になっている学校がほとんどではあるが、何も規則として決まっているわけではない。相手校のオーダーを予測し、勝てるプレイヤーをぶつけるというのは、立派な戦略でもある。
そこで、あのくせ者揃いの青学が素直に手塚をシングルス1に据えるかどうか。可能性は、限りなくゼロに近い。
関東大会で越前リョーマに敗北した日吉は、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。
見ていた限りでは、実力をすべて出したようには見えなかった。未知の部分が多い。そんな愉快なプレイヤーを、シングルス3や2に据えるわけもないとなると、当然最後のシングルス1。
氷帝が実力主義だということを知っている以上、跡部がシングルス1であることを疑いもせずに当ててくるだろう。
――――受けて立ってやろうじゃねーの。
こちらとしても、手塚が相手でない方がやりやすい。気づいたばかりの恋情を押し込めるには、まだ頭が整理しきれていない。
よりにもよって初めての恋というのが厄介だった。なにがしかの経験でも積んでいれば別だったかもしれないが、何が正解なのかも分からないのだ。
いや、ただ一つ、誰にも知られてはいけないということだけは正確に理解している。
弱点を探るのを得意としている跡部景吾が、弱点を探られてはいけないのだ。
大事な試合を前に、こんな馬鹿げた感情について悩んでいるなんて、笑い話にもならない。
――――誰にも悟らせねえ。これは俺の……俺だけの戦いだ。
生涯続く、長い長い戦いだ。そして跡部の辞書に、敗北の二文字はない。
「ホンマに、厄介な相手やで」
「俺もそう思うよ、忍足」
「青学はくせ者揃いだよなあ~」
「少しも気が抜けないですよね」
向日や鳳がそう続けたのを受けて、忍足と滝が苦笑しながら肩を竦めたことに、跡部は気がついていなかった。
#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #永遠のブルー
永遠のブルー-014-
手塚の球速が落ちているような気がする。昨日より、明らかに遅い。そして、弱い。肩に不調があるのかと思っても、口にできない。手塚が言わない以上、肩に問題はないのだ。
どうしたって対等な間柄にはなれないのだろうか。そう思うと、心臓が痛い。初めから友人として付き合えていれば違ったかもしれないが、今さらどうにもできなかった。
手塚が打ったサーブをあえて受けず、跡部は腰に手を当てて声を張り上げた。
「止めだ止めだ、手塚ぁ!」
「……なぜだ」
「なぜだも何もあるか。テメェ全然身が入ってねえじゃねーの。そんなヤツと打ったって意味がねえぜ」
ギッと睨みつければ、向こうからも同じような瞳が返ってくる。
「お前に言われたくない。今日は、逢った時からおかしかった」
「なっ……」
返す言葉が見つからない。
やはりあの夢が影響しているのか、忍足たちに言われた言葉が影響しているのか、コート脇で待っている手塚を見つけた時には足が止まってしまった。交わした言葉もぎこちなかったかもしれない。
今さら後悔しても遅いが、まさか手塚に指摘されるとは思っていなかった。
「俺様のことはどうでもいいんだよ! テメェそんな調子で明日からの全国は大丈夫なんだろうなぁ!」
「問題はない。俺自身はな」
「あ? ……なんだよ、青学のヤツらに何かあったのかよ。おい手塚」
問いかけに答えずに、手塚はベンチに向かってしまう。ラリーを続ける気はないようで、タオルで汗を拭った後に腰を下ろしてしまった。跡部は少し怪訝に思いながらも、それを追ってベンチへと向かった。
「大石が……試合に出られない」
「怪我か? そういや関東大会も……ウチ相手に急造コンビでやりやがってくれたな」
ややあって、手塚がこくりと頷く。抽選会で見かけた時はそんな様子ではなかったが、中学最後の夏の大会を蹴るとなると、相当の怪我なのだろう。足か、手か。背中でもまずい。
「そりゃ……悔しいだろうな。練習中に痛めたのかよ?」
「いや、子供が生まれそうな妊婦さんを助けた時にらしい。手首では、致命的だ」
「なんだそりゃ。大石らしいといえばらしいのか。だがな手塚。そんな情報を俺様に教えちまっていいのか? 黄金ゴールデンペアのオーダーはないってことだろうが。テメェに部長っていう自覚はあんのかよ」
隣に腰をかけ、滝に言われた言葉を手塚に向けても言ってやる。
大石は大事な戦力だっただろうに、それが出場できないという痛手を伝えてしまっている状態だ。ダブルスをどう組んでくるのか分からないが、それを加味する時間を与えている。
「どうせすぐに知れ渡るだろう。それに跡部のところと当たるのは、順当に行けば日程的には明後日だ。対策はできる」
「……ああ、偵察か。氷帝はセキュリティ的に無理だが、そっちは入り込み放題だろうしな……」
ドキ、と胸が鳴った。手塚の中で氷帝と当たるのは決定事項のようで、その上『跡部のところ』というのがどうしようもなく嬉しい。跡部が氷帝を率いるキングであることを、認識してくれているのだ。
「大石が納得している以上どうしようもないんだが、やはりベストメンバーで臨めないのは悔しいな。俺などより、ダブルスを組んでいた菊丸の方が無念さや憤りは大きいだろうが……もしかしたらそれが、先ほどのプレイに現れていたかもしれない。すまなかった」
「いや……いいさ。それだけテメェには重要なことなんだろ。メンバーを大事にしてる証拠じゃねーの」
手塚の瞳が瞬かれる。すいと正面に顔を戻して、こくりと頷いた。それは先ほど跡部が言った『部長としての自覚はあるのか』という問いかけに答えているような気もして、跡部はその横顔を眺めて目を細めた。
テニスに対する真摯な思いには、素直に敬意を表したい。揶揄を含んだ問いかけにすら真面目に答えてくれる手塚に、胸がトクンと音を立てる。
ややあって、跡部は、諦めることにした。
――――もういい、認めてやるぜ。どうやら俺は、テメェのことが好きらしい。
横顔が眩しい。膝の上で握った拳が輝いているようにも見える。プレイにも現れてしまうほど気にかけられる大石を、羨ましく思ってしまった。
トクントクンと小気味よいリズムを刻んでいた胸が、ズキンズキンと痛み出す。
後ろめたくてしょうがない。
ライバルという関係でいたかったのに、自分だけ不埒な想いを抱えてしまった。しかもどうやら抱かれたい側らしいと破廉恥な夢を思い出して、頭を抱える。
「どうした、跡部」
「いや、なんでもねえよ……」
どこか潔癖に見えるこの男に対して、そんな劣情を抱くようになるなんて、誰が想像しただろう。斜め上過ぎて、誰にも言えやしない。もちろん、本人にもだ。
これが女性相手で、ゆっくりと愛を育んでいけるような状況ならば、男らしく即座に恋を告げていただろう。
だが、手塚は駄目だ。何をどうしたって、叶うはずがない。
男で、テニスのことしか考えていないライバルなんて、初めての恋にしてはハードルが高すぎる。いっそ棒高跳びではないかと言いたいくらいだ。
手塚の方にしても、同性にこんな想いを抱かれているなんて気持ちが悪いだろう。自分だったらごめんである。
同性愛というものに偏見はないとは言うが、それは自分の身に降りかかってこないからだ。拒絶されるのが目に見えている。何より、手塚にこんなことで煩わしい思いをさせたくない。恐らくプロへの道を見据えているのだろうし、色恋沙汰は面倒だろう。
それくらいならば、生涯の好敵手としてやり過ごしてみせる。
跡部はゆっくりと息を吐き、同じ量だけ吸い込んだ。
「なかなか上手くいかねえもんだよなぁ、手塚ぁ」
「そうだな。だが、上手くいきすぎてしまったら、それは自身の成長を止めることになってしまうだろう。俺は……青学オレたちは、必ず乗り越えてみせる」
「同感だが、勝利をいただくのは俺が率いる氷帝だぜ」
「いや、負けるわけにはいかない」
「ククッ、負けず嫌いなライバルを持って嬉しいぜ。俺様の進化の糧にしてやるよ」
む、と眉を寄せた手塚に笑って、跡部は腰を上げる。ぐっとラケットを握りしめ、手塚を振り向いた。
「手塚、もう一ゲーム付き合いな。俺様も気合いを入れ直すぜ」
「ああ、俺から言おうと思っていたところだ、跡部」
手塚も立ち上がり、強い瞳で見返してくる。お前のサービスからでと放ったボールをパシリと受け止められて、充足感がせり上がってくる。
自分たちはこれでいいはずだと、跡部はコートに入る。
気づいてしまった恋情は、生涯この胸に秘めておこう。そう決意して、手塚のボールをリターンエースで返してやった。
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永遠のブルー-013-
トークアプリの画面を眺めながら、眉間にしわを寄せる。『今日は都合が悪くなった』とメッセージを打って、送る前に消して、打ち直して、再び削除する。それを何度繰り返しただろうか。
別に予定が入ったわけでもないのに、嘘を吐くことになってしまう。今は顔を見たくないからという理由でだ。
他にも『明日から大会が始まるのに、敵校の部長と逢ってなんかいられるか』『お互い気まずい』『部員もいい顔をしないだろう』という理由は付けられただろうが、いちばんの理由は、朝見た夢のせいで跡部だけが気まずいということだ。
いくら押し込めてカギをかけていようとも、記憶は消えていってくれない。夢の中で手塚に抱かれたという非現実的な記憶は。
こんな状態で顔など見たりしたら、どうなるか分からないのだ。
手塚には何の非もないのに、八つ当たりしてしまうかもしれない。そんな荒れたテニスを手塚としたくない。
彼とのテニスは純粋かつ強欲であるべきで、個人の事情や感情に流されたくはなかった。
だけど、逢いたくないと思う傍らで、逢いたいと思う自分がいる。
複数の部員たち相手にボールを打つだけではやはり物足りないし、約束は約束だ。反故にはしたくない。ポリシーにも反するという矜持が、アプリの画面を閉じさせた。
「跡部、今日もため息が多いで」
忍足にそう指摘され、振り向く。自覚はなかったけれど、どうやらここ数日ため息が多いらしい。
「頻繁にスマホ見てるのも珍しいな。誰かとデートの約束?」
ずいぶんと余裕だねと、滝も着替えながらそう訊ねてくる。どこか確信めいた様子でだ。年頃の男子がスマホの、しかもトークアプリを眺めているとなれば、そう連想するのもおかしなことではないのかもしれないが、正直その類いの連想は今はありがたくない。
「なんでそうなる」
「今日は何となく大人びた顔っていうか、何て言うんだろう、ねえ忍足」
「俺に振らんといてや、滝。まあ分かるけどなぁ……なんやフェロモンみたいなんまき散らしとるで、跡部」
「……いつもと変わらねえ気がするが?」
「全然ちゃうわ、自覚せえよ」
「他の部活に来てる女の子たちが、一様に顔を真っ赤に染めてコート脇を駆け抜けていくんだよね。今までそんなことなかったじゃない」
肩を竦める二人に、今日そんな光景があったのかと首を傾げる。それも以前からあった光景のような気がするが、確かに珍しい。
跡部が、応援してくれているらしい女生徒に視線のひとつも投げかけてやれなかったことは。
それだけ集中できていたのだろうと思うが、悪いことをしたなとも思ってしまう。
「テメェらがどう思おうが知ったこっちゃねえが、俺様は今テニスのことしか頭にねえんだよ。今日もな、……あ」
ピロンと音がして、端末がメッセージの受信を報せてくれる。通知からアプリを開き直すと、『今から向かう』と至極簡潔な言葉が表示された。相手は、手塚だ。青学も今日の練習が終わったらしい。
「見てみろ、相手は手塚だ。アイツ相手に、そんな色っぽい話になるわけねーだろ」
ぽんと端末を忍足に投げてやる。何もやましいことはないと示すためにだ。しかしそれは色恋方面にやましいことはないという意味にしかならず、滝と忍足の怒気をはらんだ声が重なった。
「は? 手塚?」
「待って、なんでそうなるの」
「何考えてんのや跡部、明日から全国大会やで」
「よりにもよって、対戦するだろう相手校の部長と今日もテニス? え、昨日もじゃなかった? もしかして君たち、手塚が戻ってきてからずっとやってるの?」
やはりいい顔はされないなと、跡部は片眉を上げる。自分自身、部員の誰かが対戦校の連中と今の時期につるんでいたら注意くらいはしたかもしれない。血縁関係は置いておいてだ。
だが今、部長自らその暗黙のルールを破っていることになる。忍足たちの疑問も懸念も、充分に理解できた。
「青学の連中は知って……るわけないだろうね。知ってたら止めるよ。あえて言うけど、君たち部長の自覚はあるのかな?」
「アイツの怪我のこと負い目に思ってんのやろうけど、せやったら余計に肩酷使させん方がええんやないか?」
忍足の言葉に、跡部はわずかに目を瞠る。負い目に感じているのは事実だ。ぎゅうと心臓が締めつけられたような気がした。
「テメェらが言いたいことは分かるぜ。だが……悪いな、約束なんだ」
忍足に放った端末をすいと取り上げて、無理に口の端を上げる。そうしてラケットバッグを担ぐ。あまり手塚を待たせたくない。
そう感じる気持ちが、どこから来るのか――認識したくはなかった。
「ちょっ……待ちや跡部っ……」
「え……ねえ、ど、どうしたらいいんだろう忍足……」
「知らんわ、どうにもできんやろ、こんなん……!」
困惑したような彼らの声を、閉めたドアの向こうで聞いて、跡部は足を踏み出した。
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「越前がいない?」
待ちに待った決勝戦。参加選手はもちろん、応援団や観戦者も一様に浮き足立っている。
そんな中で、信じられない言葉が舞い込んできた。なんとシングルス1で出場予定の越前リョーマがまだ来ていないというのだ。
いったい何だってそんなことに? と聞き耳を立てていたら、どうにもトラブルで軽井沢から帰ってきていないらしい。
あの生意気なルーキーが、避暑地でバカンスでもあるまいなと思うが、ともかく今重要なことは、越前がいないということだ。
あの男がいなければ、青学の優勝は難しくなってくる。対戦校である立海も、不戦勝など望んではいないだろう。
「事情は把握した。ついて来い、桃城」
「あ、跡部さん!?」
「国内で良かったな。連れ戻すぞ」
青学の連中が目を剥くのが見える。返答を聞く前に跡部は携帯端末を取り出し、ヘリの用意をさせた。
「いいのかい、跡部」
「正直ボクたちじゃ、どうしようもないからね……跡部、お願いするよ」
「あァ、一つ貸しにしといてやる」
「おっと……こりゃ大変」
探しに行くと息巻いていた桃城を引き連れて踵を返す直前、手塚と視線がかち合う。
頼む、と無言で頷く手塚に跡部も無言で頷き返して、途中で忍足を呼びつけた。
「行くぜてめぇら」
「お、忍足さん、これ、突っ込むべきっすかね……ヘリって」
「跡部相手にそんなん無駄やで桃城……ところでなんで俺も行かなあかんねん……」
「ナビゲーターが必要だろうが」
「強引やなあ」
渋々ながらもヘリに乗り込む忍足を振り向いて、跡部は口を開く。
「向こうで何かあった時、俺以外に冷静な判断を下せるヤツが必要だろうが。テメェを評価してやってんだ」
「……さよか。しかしまぁ、健気なもんやで……」
素直に喜びたくないのか、忍足は窓からアリーナを振り向く。意趣返しのつもりなのだろうが、
「アーン? 聞こえねえな」
離陸に供えてヘッドセットを装着する跡部に、それは通用しなかった。
通信機を介して受けた報告に、跡部は愕然とした。
「あの馬鹿が……!」
歯を食いしばり、握りしめた拳を当てる。
「跡部、どないしたん」
そんな跡部の様子に気がついて、忍足が声をかけてくる。息を吸い込んで、じっと前を見据えた。
「桃城、手塚が反撃を始めたようだぜ」
「え!? ホントっすか、さすが手塚部長!」
「ホンマか跡部? 相手はあの真田やろ」
対戦相手は王者立海大のナンバー2だ。当然ながら一筋縄ではいかない。反撃を開始したということは、あまり芳しくない戦況ということだ。だからこそ、手塚は。
「だが……再び自らの腕を犠牲にして、な」
「え……はぁ!? どういうことっすか……!」
「落ち着きや桃城。なんや跡部、手塚ゾーンやったら、アイツかて加減くらい分かっとるやろ」
「そうじゃねえ。あれ以上に無茶な回転かけてボールをはじき出すんだよ……肘への負担はハンパじゃねえ。手塚もそう言ってやがった。使うなって言ったのに、あの野郎……!」
組んだ手をグッと握りしめる。真田はそれほどに強敵だということだ。それは理解ができる。理解はできるが、許容はできない。
周りを信じろと言ったのは数日前だ、忘れたとは言わせない。腕を犠牲にしてまで勝たなくても、誰も責めやしないだろう。
こんなことなら向こうに残っていれば良かった。残って何ができるわけでもないが、せめてベンチに戻ってきたあの男を殴ってやりたい。
「跡部。跡部、止めや……手、傷ついてまうで」
「んな小せえ傷がなんだってんだ! アイツは……っ」
「お前が背負うことやないで! 分かっとるんか、お前が背負うべき責任は越前こつちの方やろ!」
忍足の手のひらで拳を包まれて、ぐっと言葉に詰まる。
「俺らが……跡部が必ず越前を連れて戻るって信じて戦っとるんとちゃうんか。もしかしたら、時間稼ぎしとるんかもしれん。手塚が心配なんは分かるけど、こっちも信じてやらんとなぁ」
跡部はゆっくりと息を吐いて、シートにもたれる。信じろと言った自分の方こそが、手塚を信じ切れていなかったなんて。
あの日本気で怒った跡部の気持ちは伝わっているだろうし、覚えていてくれていると思いたい。テニスのことだけしか考えていなくても構わない。
ただ覚えていてほしい。心の底から案じる人間がいるのだということを。
「……悪い、取り乱しちまった」
「俺を引っ張ってきたお前の判断は正しかったっちゅうことや。冷静な判断ができるヤツがおらんとなぁ?」
「素直に礼を言いづれぇヤツだなてめーはよ」
こんな事態になるとは思わなかったが、忍足には手塚への気持ちが知られているということも気が楽だった。自分が取り乱してしまう理由を明確に理解し、的確に抑えてくれる。
「跡部さんと手塚部長って、一見合わなそうなのに、仲良いんすね。テニス馬鹿同士、気が合うってヤツっすか」
「……てめーらにだけは言われたかねーぜ。なぁ忍足」
「ホンマやで」
揃いも揃ってテニス馬鹿だらけじゃねーかと睨みを利かせてみるけれど、「そっすね!」と少しも厭みが通じない。その素直さが武器でもあるのだろうかと、落ち着きを取り戻した跡部は一つ瞬く。
――――手塚、死ぬんじゃねーぞ、頼むから。
必ず越前を連れて戻る。だから、この先テニスができなくなるようなことにだけはしないでほしい。
どうか、神様――。
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