- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.410, No.409, No.408, No.407, No.406, No.405, No.404[7件]
喫茶ペテン師にて
二見重人は、少し冷めたコーヒーを飲み干して、はあ、とため息をついた。
見失ってしまったのが痛いなと、ネオンの輝く窓の外を睨みつける。この歓楽街まで追ってきたはいいものの、途中で見失ってしまった。あまり良くない噂もあるこの歓楽街に、〝彼〟がいるなんてこと考えたくない。
(いや、でもあれは確かに只野だし……)
重人がここにいるのは、ある一人の生徒の動向を確認するためだ。ここ最近校内での様子がおかしく、気にかかっていたところに、つい先日、彼を見かけてしまった。私服だったが、わりと派手目な服装で、年上の男と歩いているところをだ。
普通なら、他校の友人か、親戚か、と思ったことだろう。だが、友人と思うには歳が上過ぎたし、上等なスーツを着たその男とは不釣り合い過ぎた。
何か困っているのだろうかと、尾行してみたが、重人のそのときの服装では悪目立ちしてしまい、気づかれる前に写真だけ撮ってその場をあとにしたのだ。
(何か変なことに巻き込まれてるのか? 詐欺とか、クスリ……いや、只野に限ってそんなこと)
校内で様子がおかしくなる前の只野は、快活で真面目に勉学に励む生徒だった。そんな彼が、何を目的に歓楽街に消えていくのか。
何か困っているのなら、相談してほしい。そうは思うが、彼に取って自分は一教師でしかない。どこまで踏み込んでいいものか。
ともかく、目的と現状を確認しなければと思い、服装をかなり派手めにして、重人はここ数日勤務が終わってからこの歓楽街を歩き回っていた。
だが、只野は見つからない。活動時間がズレている以上仕方のないことだが、その間にもし取り返しのつかない事態にでもなったらたまらない。
重人はもう一度、大きなため息をついた。
そのとき、
「お客さん、申し訳ないけどそろそろ閉店なんだよね」
そう声をかけられふっと影がかかり、重人はハッとして声の主を振り仰いだ。グリーンティーを思わせる色の髪と、眼鏡。人のよさそうな顔をしていたが、レンズの奥の瞳がどうにも気にかかった。
が、時計を見れば日付が変わる少し前。終電には間に合うけれど、そんなに時間が経っているとは思わなかった。
「ああ、すみません……じゃ、お会計」
「どうも」
気づけば、店内に重人以外の客はいない。そもそも、この歓楽街で喫茶店というカテゴリならば、それも仕方ないのかと納得はできる。場所柄、客が立ち寄るのは健全な飲み屋、カラオケ店、もう少し奥まった場所のキャバクラや性的サービスの店だろう。
「お釣りです。酔ってはないみたいだけど、駅まで大丈夫ですか?」
「え、あ、ああ……大丈夫。……ねえマスター、アンタ、この界隈長い?」
こういう場所になじみがないわけではないが、実情を探るにはそこをよく見ている人物に訊くのが手っ取り早い。重人は一つ瞬いて、その男に訊ねてみた。
「この界隈、とはまた……曖昧な質問だ」
「気分を害したなら失礼。けど、こんなとこに喫茶店開いて、しかもそこそこ続けていられるみたいなのは、素直にすごいと思ってね。長いのなら、少し訊きたいことがあった」
「おかげさまで、繁盛はしてるよ。なに、きみ、刑事さん? 聞き込みなら、できる限りの協力はするけどね」
「いや、こんなチャラい刑事いないだろ……」
違いない、と男は笑う。その一瞬あと、レンズの奥の瞳が色を変えた気がした。
男はくいと顎で傍のテーブルを示す。話しが長くなると思ったのか、協力的で助かった。重人は、示されたそこに腰を落ち着け直した。
「珍しいな。俺のこと知ってて来たわけじゃなさそう」
「え?」
「で、何が知りたいって?」
「あ、ああ……えっと……最近ここらにこの男が来てるはずなんだが、動向が探れない」
重人は、何か含んだような物言いをする男に不審さを感じながらも、早いところ話しを聞きたいと切り出す。先日撮った只野の写真を見せると、男の眉が少し動いた。
「こっちのスーツの男?」
「いや、そっちじゃない」
「ああ……うん、なるほどね」
「何か知っているのか? 彼が変なことに巻き込まれているなら、早くどうにかしないと」
男は明らかに、何か知っている様子だ。手がかりに早くもぶち当たったのは、運が良かった。
「教えてもいいけど、情報料高いよ?」
「あ? 情報料?」
男はにっこりと人のよさそうな笑顔を向けてくるが、放つ言葉は正反対の色を持つ。
「ちょっとヤバめな感じだからな。他人の懐に入り込むのにリスクはつきものだろ。対価が欲しい。というか、俺の本業そっちなんだけどね。知らないで俺に訊いてくる度胸に免じて、相場より安くはするよ」
「あー……いわゆる情報屋ってヤツ?」
話には聞いたことがあるが、本当に存在するなて思わなかった。
だがしかし、その情報は確実なものなのか分からない。重人の方こそ、金銭を支払うならガセネタであるリスクは回避したいのだ。
「残念だ、俺は割と薄給でね。アンタの満足しそうな金額なんて払えそうにない」
「そう? 充分払えると思うけど?」
「高いんじゃなかったのか」
「人によるんじゃないかな? 俺を満足させてくれればいいだけだから。体でね」
「断る」
「いいね、即座に把握して毅然と突っぱねるその態度。気に入った。ん、じゃあこれはどう? キスひとつ、情報ひとつ」
自慢ではないが、重人は自分の顔がそういう方面で使えることを知っている。男女問わずだ。だから学校ではあんなふうにしている(それだけではなく楽だからでもある)。そういう意味で声をかけられたこともある。事実、この数日この界隈をうろついていただけでも相当だった。
この男からそれを提示されるとは思っていなかったが、断るしかないことは始めから決まっている。
「……情報が先でも可能?」
しかし、只野が変なことに巻き込まれているかもしれないのだ。キスひとつで手がかりが聞けるのなら、いいのではないだろうか。キスもしたことがない状態なら拒んだだろうが、生憎そんなに初心でもない。
「いいよ。……この子ね、確かに見たことあるよ。俺が見た時は区議の男と一緒だった。その区議、浮気が原因で離婚されて奥さんへの慰謝料で大変だってのに、こんなとこ来るのかなって、少し気になった。浮気相手、男だったってのもあってね」
「え……!?」
重人は目を瞠った。それは、つまり、只野がそういうターゲットにされているということなのかと。
「でもさっき見せてもらった写真は違う男だった。……はやりのパパ活、ちょっと前の言葉で言えば、援交かな?」
「ふざけんな! 買春じゃねぇか!」
いくら言葉を変えても、たどり着くところはそこだ。重人は青ざめて、只野が食い物にされている可能性が大きくなった以上、ゆっくりしてもいられないと立ち上がった。
それに合わせるように立ち上がった男に腕を引かれ、抱き寄せられる。ぶつかったその拍子に、テーブルの上のタバスコが倒れ、カタタと音を立てた。
「んっ……」
唇が触れたと思ったら、ぺろりと舐められてビクリと肩が揺れた。驚いて油断した唇の隙間に舌をねじ込まれて、深く、深くむさぼられる。
「んっ、は、……んぅ」
舌が引き出され、絡む。ちゅ、と水音を立てて吸われれば、しびれるような痛みと熱を感じ、体から力が抜けていった。
「は……」
「お代を忘れてもらっちゃ困るね」
「べ、別に逃げるつもりじゃなかった」
強く腰を抱かれ、唇を指先で撫でられる。約束は約束で、払う気はあったのだが、気がせいてしまっただけだと男に謝罪した。思っていたよりも気持ちのいいキスに、警戒心が薄れてしまったこともあり、するりと言葉が出てくる。
「……アンタに抱かれれば、今よりもっと質のいい情報がもらえるのか?」
「そうだな、割と好みだし。名前は?」
「…………至」
だけど、この男が何者なのか分からない。重人は、偽名を名乗った。なぜその音が出てきたのか、重人には分からない。とっさにしては、それらしい名前だったと思う。
「ふぅん。至、俺に抱かれてみる?」
「名前も知らない男に抱かせるほど安くない」
「ああ、ごめん。千景だよ、卯木千景」
「……ちかげ、さん」
胸が鳴る理由が分からない。その男の名を口にするだけで、どうしてこんなに胸が熱くなるのだろう。
重人は、情報を手に入れるためなのだと自分に言い訳をしながら、今度は自分から……千景にキスをした。
#劇中劇パロ
右手に吐息を 左手にキスを
夢かと思った。
(マジでか……)
千景の寝顔が、すぐ傍にある。ぱち、ぱちぱちと何度瞬いても、消えていかない。本物なのだと、そこで初めて実感した。
先日舞台の上で見た彼の寝顔より、穏やかなように見える。ドキンドキンと胸が鳴って、吐息が震える。吐息で起こしてしまわないように、右手をそっと口許に当てた。
濃密な時間だった。体のあちこちがまだ鈍く痛む。それでもこんなに幸福な痛みはない。恋人として繫がった、はじめての夜。
「千景さん……」
思わず、吐息のように名を呼ぶ。
「ん……? おはよう、茅ヶ崎……」
「あ、戻った」
聞こえてしまったのか、千景が目を覚ます。もう少し見ていたかったという気持ちもあったが、ひとりで起きているのも寂しくて、まあちょうどいいかななんて考えた。
「なに?」
「名前。昨夜っていうかついさっき? まで、至って呼んでたのに」
「え? ああ……」
千景さんと呼んでもいいかと訊ねた至に、呼んでと返してくれて、さらに至と呼んでくれた。
千景の声で呼ばれるその音はくすぐったくて、心臓が落ち着かなかった。と思う。思うというのは、そんなこと気にする余裕がなかったせいだ。
「どっちがいい?」
「どっちでも。俺を呼んでるのには変わりないでしょ」
「なるほど分かる」
「分かるんですか」
茅ヶ崎と呼ばれるのも、至と呼ばれるのも、千景の声でなら、どちらでも構わない。そうする時、千景の意識の中に自分が存在しているのなら、いっそ〝お前〟だって構わない。
「名を呼ぶ時に、俺の存在が茅ヶ崎の中を占めていられるなら、なんだっていい」
あ、と至は息を吐く。二人でおんなじことを考えていたのかと。猫かぶりといい恋の仕方といい、彼とはわりと似たところがあるらしい。
「……千景さん」
「うん」
「先輩?」
「うん。あと、もうひとつ」
「え?」
「……エイプリル」
エイプリルという、四月を表す言葉に、至は瞬時に悟った。
オーガスト、ディセンバー、エイプリル。月の名を持つひとたちの、大事な秘密。
「……それ、俺が知ってちゃ駄目な名前でしょ」
「そうだな」
悪びれもせず、千景は吐息と一緒に呟く。
「知ってて。でも、忘れてほしい」
「先輩、ほんとずるい。そうやって俺のこと巻き込んで、離れられなくするんですよね」
「だってお前は巻き込まれてくれるだろ?」
千景の左手がそっと頬に伸びてくる。触れるか触れないかのその手は、わずかに震えているようだった。無理やり巻き込んでおきながら、受け入れてもらえるかどうか不安なのだろう。
至はむくれたフリをして、千景の手を取り口づけた。
「仕方ないから、巻き込まれてあげますよ」
千景が何を隠していて、何を抱えているのかは分からない。それでも、せっかく手に入れた恋を手放す選択肢はどこにもなかった。
取った手の指が、互いの意志で絡められていく。視線はすでに磁石のように離れてくれなくて、吐息さえ奪える距離。
先に目を閉じたのは千景の方で、触れ合わせたのは至が先で、どちらが先にキスを深くしたのか分からない。
朝日に溶けて触れ合う最中、二人の手と手はずうっと触れていた――。
#千至 #片想い #セフレ #ウェブ再録 #右手に殺意を左手に祈りを
右手に殺意を 左手に祈りを-021-
頭が痛い、ととぼとぼ歩く至を見つけて、千景は後ろから腕を引いた。
「茅ヶ崎、見つけた」
「うわっ、……先輩、どうしたんですか」
「どうしたんですかじゃない、お前、体調悪そうだったから」
今朝は至より早く出なければならなくて、気づかなかった。アポ先からランチを挟んで戻ってきてみれば、辛そうに頭を押さえる彼を見たのだ。
横から声をかける同僚に邪魔をされて、千景は声をかけられなかったのだが、あと少しで定時を迎えるというときに、やっと捕まえられた。
「あ~、昨日ちょっと眠れなくて……先輩またどっか違うトコで寝たんでしょ。全然戻ってこなかったから」
「いや、ちょっとやることがあって。……別に待ってたわけじゃないよな?」
「当たり前でしょ。まだあそこで寝られませんか?」
休憩に出てきたのか、至の手には缶コーヒーが握られている。
待っていたのかなんて、期待しても無駄なことを考えて、自爆したように落ち込んだ。
「俺がごまかせてるうちはいいですけど……咲也たち、心配しますよ」
「……努力はする。すぐには生活を変えられない」
「……待ってます」
「で、体調大丈夫なのか? 寝不足ってだけ?」
「大丈夫ですよ」
至はそう言って笑っているが、心配は尽きない。
「今日、帰り待ってろ。放っておけない」
「……そういうとこね、ほんと……」
ぼそりと呟かれて、千景は聞き取れずに訊ね返す。文句を言われたのか、了承をされたのかさえ分からなかった。
「なに?」
「いいえ、なんでも……じゃあ、帰り、LIME入れますね」
至がひらりと手を振って、自身の課の方へ歩いていってしまう。その背中を見送って、こういう時に引き留めたくなるのも、恋心のなせる技なのだろうかと小さく息を吐いた。
「茅ヶ崎、鍵よこせ。俺が運転する」
仕事を終えて、二人で駐車場へ向かった。
「先輩に運転させるとか、あんまり好きじゃないんですけど」
「なに言ってるんだ、こんなときに。いいからお前は助手席だ」
体調が悪い時くらい、頼ってほしい。
それともそんなに頼りないのかと、責めたい思いさえあった。
「先輩、急に過保護になりましたね。どういう心境の変化です?」
シートベルトを締めた至が、薄く笑みを浮かべてそう呟く。
ずっと背負っていた闇の真実を知って、少しずつ、少しずつ小さくしていって、密との和解をしてから、自分の中の感情がとてもたくさんになったことは、千景も自覚していた。
後悔、自責、孤独。
それを感じることもまだある。
だけど、人と触れ合っていたい、誰かの声を聞いていたい。そう思うこともあるようになった。
「俺が過保護だとおかしい? 誰かを大事にしたいって思う気持ちは、変かな」
受け入れてくれたカンパニーを、春組を、とりわけいつも傍にいてくれた茅ヶ崎至を、大事にしたい。そう思うこの気持ちは、彼らにしてみたら、急すぎて戸惑うのだろうか。
(まあ、俺自身がまだ戸惑ってるからな……)
「変じゃないですけど……ちょっと、心臓が保たないっていうか……昨日のも、ちょっと」
「昨日って……お前の幸せを祈ってるってヤツ?」
「それです」
至は苦虫を噛みつぶしたような顔をして俯く。
本心で言った言葉なのだが、彼には受け入れ難いものなのか、それとも。
(もしかして、あれで気がついちゃったかな。……いいけど)
千景はエンジンをかけるのをやめ、ステアリングからも手を離した。
「先輩?」
「茅ヶ崎、俺は今でも自分の中の感情に戸惑ってる」
車を発進させないどころか、手を下ろしてしまった千景を不思議に思って、至は振り向いてくる。感じる視線さえ嬉しいと思ってしまう感情があった。
「公演を通して、ないと思ってた感情があったことに驚いてるんだ。ずっと密を誤解していたことも後悔したし、なんであの日傍にいられなかったのか、責めたい思いもたくさんある」
千景がぽつぽつと口にすれば、至は今までそうしてきたように、静かに聞いてくれる。相づちをうつでもなく、何かを訊ねるでもなく、ただ静かに隣にいてくれた。
「とても傷つけたと思う。アイツも……オーガストも」
今でも泣き出してしまいそうなくらい、恐ろしいほどの後悔が残っている。密に向いていた憎しみが、ぜんぶ自分に返ってきているかのようだった。
「お前は俺の幸せなんて祈ってくれてるみたいだけど、そういう俺が、そんなもの望んでいいのかな」
膝に置かれた手に、至の指先が触れてくる。
(あ……)
憎しみが、触れた箇所を通って彼に流れ込んでいってしまうような錯覚に捕らわれて、千景は手を引こうとした。だけどそれを察知したのか、引くよりも早く至が握りしめる。
「先輩。そういう考え、良くないですよ。密も、オーガストさんも、先輩が幸せになって恨み言を言うような人じゃないでしょう。オーガストさんを知らない俺が言えることじゃないですけど、今度こそ、信じきってあげてくださいよ」
じんわりと汗が浮き出ていた体から、すっと力が抜けていく。
(今度こそ……、か……。知らない俺が言えることじゃないって、……こんなの、お前にしか言えないことだぞ、茅ヶ崎)
密に言われても、たとえオーガストに言われても、千景は受け入れきれないだろう。信じきれなかった自責の念を知っている、数少ない無関係の人間だからこそ、耳を傾けられるのか。
千景は運転席のシートにもたれ、ひとつ深呼吸をした。
「今……好きな人がいるんだ」
手を握ってくれていた至の手が揺れて、動揺がダイレクトに伝わってくる。
「へ、……え、先輩にも、そういう感情、あったんです、ね」
「だから、戸惑ってるって言っただろう……こんなふうになるなんて思わなかったんだ」
至が握ってくれていた手を、今度は千景の方が握り締めて、顔を背けてしまった彼をじっと見つめた。
「俺は、もうお前を抱けない」
「そ、そりゃそうでしょうね、好きな人って、男ですか? そいつの代わりにされるなんて、まっぴらですよ」
「そういう意味じゃない。好きなヤツと、欲の処理だけのセックスなんてしたくないって言ってるんだ」
今まで散々体を重ねてきた。乱暴な行為もあったのに、今さら何を言っているのだろう。千景は、自分自身でも呆れてしまった。
だけど、それは、本音だ。
「……は……?」
「茅ヶ崎に好きな相手がいるのは分かってる。だけど、こっちもどうしようもないんだ。だから……茅ヶ崎、できれば好きな相手と上手くいく努力をしてくれないか」
「え、……え? う、うまくって、あの」
「欲の処理がしたいなら、他に適当な男を捜せなんて、言いたくない」
至が、どうして千景とのセックスに甘んじていたのか分からない。
代わりにされるのはまっぴらだという彼こそ、その人の代わりにしているに違いないのに、どうしても責める気になれなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください、何でいきなりそんなことになって」
「急なことで驚くのは分かる。でも昨夜言ったことは本当だ。お前の幸せを、心の底から祈ってる」
好きな相手というのが、男であろうと女であろうと、彼に好意を持たれて悪い気などしないだろう。
叶わないなどと諦めていないで、叶える努力をしてほしかった。
「茅ヶ崎なら、きっとOKもらえるんじゃない?」
握り締めていた手をそこで離そうとした時、ぐんと引かれて体が助手席の方へと傾いだ。
「じゃあOKくださいよ!」
「え、……っん、ぅ?」
唇がぶつかる。触れるなんて可愛らしいものではなかった。
勢いだけでぶつかって、離れて、千景がそこで目にしたものは、泣き出したいのを我慢した至のマゼンタ。
「言ったら、OKくれるんですよね?」
「ち、が、さき?」
「好き、です……から、先輩」
もう一度、至の唇が触れてくる。
OKが欲しいとねだっておきながら、告げるべき唇を塞いでくるのはどういうことか。
いや、そんなことを考えている場合ではない。千景はそっと至から体を離し、訊ねた。
「……俺?」
視線はそこで絡まって、ほどけない。
思ってもみなかったことで、千景は動揺した。
いつからなのか、どうしてあんなひどい仕打ちをした自分をなのか、なぜ先に言ってくれなかったのか。いや、言える状況でなかったことは理解できるのに、理不尽に彼を責めたい気にさえなった。
「全然気づかなかったんですか? 本当に? にぶ……」
「待ってくれ」
「やです」
「いやそうじゃなくて、混乱してて」
「俺の方が混乱してます。何それ、いつからそうなってんですか。詐欺師」
「仕方ないだろう、分からなかったんだ。恋なんてしたことないし、突然っ――」
突然気がつかされたんだから、と改めて至の顔を確認して、ボッと顔が赤らむのを自覚した。
「突然……?」
「……突然、好きだと、気づきました」
「ふはっ、なんで敬語」
まだ頭が混乱しているせいだと言いたい。しかし、上手く言葉が出てこなかった。こんなことがあっていいものかと。
「先輩……俺、今すごく、幸せですよ」
それでも、至が嬉しそうに、本当に幸福そうに笑ってくれる。
「俺の幸せ祈ってくれるんでしょう? 俺の幸せには、先輩が必要不可欠なんで。そこんとこよろしく」
「……俺の幸せにも茅ヶ崎が絶対に必要なんだけど、そういうことでいいのかな?」
「おk」
「OKは俺が言うんじゃないのか」
ふ、と二人で笑う。互いの真ん中で手を握り合って、はじめてのキスをした。
#千至 #片想い #セフレ #ウェブ再録 #右手に殺意を左手に祈りを
右手に殺意を 左手に祈りを-020-
玄関を出て、そこで立ち止まる。至が踵を返して、正面から向き合った。
「じゃあ、質問します、けど」
「ああ」
「正直に言ってくれます?」
「できるだけ」
「……今、幸せですか? 先輩」
「え……?」
千景は目を瞠った。
至には驚かされることばかりだが、また予想を裏切られる。万里が絡むどころか、至には関わりのなさそうなことだった。
「前に比べて、馴染んできたかなって思ってるんですけど……ここ、居心地いいですか」
以前は、団員に囲まれて笑っていても、うわべだけだった。事情を知っていた至には、うわべにすらも思えなかったのか、気にかかっていたらしい。
ざわりと肌があわ立った。
(茅ヶ崎……!)
まさか、幸福を願ってくれているなんて思わなかった。万里のことで、いや、それを抜いても、ひどく犯して彼を傷つけただろうに、どうしてそんな言葉が出てくるのか分からない。
愛しい。
恋より大きな感情が、体に染み渡っていくようだ。
「……幸せ、だよ。心からそう思ってる。壊してしまわなくてよかったと」
正直に、胸の内を伝えた。
居心地がいいどころではなく、終(つい)のすみかにしたいとさえ思う。
本音なのだということは至にも伝わったのか、彼は安堵して頬の緊張を緩めてくれた。この劇団の連中は、どこまでお人好しなのかと、呆れる思いも降り積もる。
千景は右手で至の左手を持ち上げた。
「え」
「茅ヶ崎」
「は、はい?」
「俺は、お前の幸福を祈ってる。以前お前を脅したことがあるよな。あれは、解除するよ。この劇団のヤツらには、誰にも手を出させない」
いつだか、殺意を込めて至の喉を絞めたことがある。その右手で、今度は彼の幸福を祈るなど、おこがましいかもしれない。だけどどうしても、そうせずにはいられなかった。
「殺意さえ祈りに変えてくれるお前の幸福を、心の底から祈るよ」
そうして、もう痕など少しも残っていない手首に口づけた。
あとひとつ、自分にできることがある。どうしてか茫然とする至の手を放し、千景は寮の中へと戻った。
「おっ、千景さん戻ってきた。なんだったんスか、至さんの」
「二人でナイショ話、ずるいネ~」
「ふふっ、大人の話かな?」
「う~ん、まあ、危ない取り引きとかね」
「千景さんが言うと冗談に聞こえないッス……」
「それな」
笑い声が談話室に響き渡る。
千景はひとつの決意をして、万里を呼んだ。
「万里、ちょっと来て。さっきのお願い、思いついた」
「マジか。なんか怖ぇわ~」
そうは言うものの、万里は警戒のひとつもせずにソファから立ち上がって、歩んできてくれる。
リーダーというものは、全員器が大きいのだろうかと、千景は短く息を吐いた。
「単刀直入に訊くけど」
人に訊かれてはまずい話題であるため、万里の部屋を貸してもらい、唐突に訊ねる。
「万里は今、誰か好きな相手いる?」
「は? なんすかそれ。別にいねーっすけど」
「じゃあ、茅ヶ崎をどう思ってるのかな。随分仲がいいみたいだけど」
できれば、好意を持っていてほしい。そんな祈りを込めたはずだったが、どうしても嫉妬が混ざった。これでは駄目だと眼鏡を押し上げ、ゆっくりと深呼吸した。
「茅ヶ崎とは、そういうことになれない?」
「……は〰〰? 何言い出すのかと思ったら。ない、ないない。絶対ねぇっすわ」
万里は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を一変させて、千景の提案をはねのける。可能性など欠片もないと、きっぱり言われてしまった。
「確かに俺ら、仲はいいっすよ。ゲームしてんのは楽しいし、たま〰〰にそういうファンサすることもあっけど、そういうのじゃないんで」
「茅ヶ崎が、お前のこと好きだとしてもか? 少しも可能性はない?」
ルール違反だとは思った。誰にも言わないと約束した事柄を、あろうことか当人に告げてしまうなんて。
だけど想いを知ることで、意識し出すこともあるのではないかと、こと恋愛に関しては素人なりに考えたつもり。あとで至にどれだけ罵られても、彼の恋を叶えてやりたいのだ。
「至さんがぁ? アンタあの人の何見てんの……」
「何って……きみらより付き合い浅いんだけど……」
「至さん本人からちゃんと聞いたんすか?」
「いや、明確に名前は出さなかったけど、好きな人がいるみたいなのは事実で」
「それで俺を連想すんのかよ。分からなくはないけど、俺らどっちかにでもそういう気持ちがあれば、とっくにどうにかなってるわ。距離も近いし、モノにするチャンスなんてゴロゴロ転がってる。俺だって至さんだってそう鈍い方じゃねーし、どんだけ隠しても気づくっつーの」
「……違うのか……?」
はあ〰〰と面倒そうなため息が吐き出される。千景は戸惑った。万里が言うように、至の思い人は別人なのだろうか?
「退団を賭けてもいいっすよ。至さんに好きなヤツいるのが本当でも、相手は絶対に俺じゃない」
万里にとっても大事な場所である、劇団からの脱退を賭けられるくらい、自信があるようだ。
いちばん傍にいる男がそう言うのだから、信じた方がいいのかもしれない。千景は困った顔をして、唇を引き結んだ。
「悪い……変なことを頼んで」
「や、別にいっすよ。アンタが至さんのことすっげぇ大事に思ってるってだけでしょ。自分の恋心犠牲にしてまで」
う、と言葉に詰まる。万里の楽しそうな顔を直視できずに、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「ハハッ、俺今まで千景さんのこと分かりづれぇって思ってたけど、気のせいだったんすかね。全然そんなことないわ」
上手くやっていけそう、とポンポン腕を叩いてくる万里に、いやそれは気のせいじゃないと思う、とは言わないでおいて、二人で一緒に部屋を出た。
#千至 #片想い #セフレ #ウェブ再録 #右手に殺意を左手に祈りを
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暴れる男を押さえつけて、枕を押しつけた。
何度経験しても胸くその悪い感触だ、と千景――いや、エイプリルは眉を寄せて舌を打った。
手の下で暴れているのはヒトではない。電池の入ったヌイグルミだ。やけに大きくて力の強いヌイグルミ。
そうでも思わなければ、やっていられない。
反面、ヒトであると認識していないと、今度は自分がヒトでなくなったような感覚に襲われる。
助けてくれ。枕の下からそんな言葉が聞こえた気がした。
悪いが助けられる立場にはない。個人的な恨みもなければ、助ける義理もないのだ。
いや、恨みというか、悪意はあった。組織の密売ルートに干渉してこなければ、目をつけられて自分にこんな任務が回ってくることもなかったのにと。
組織を甘く見ていたのが、この男の運の尽きだろう。
エイプリルは深く息を吸い込み、そこで止めて、震える唇を、笑うことでごまかした。
「憐れな男に神のご加護を――クソッタレ」
そうして、手にしたベレッタの引き金を引く。
サイレンサーを通過し、枕を突き抜けて、弾丸は男の頭を撃ち抜いた――。
あとの〝始末〟は組織の専門部隊に任せればいい。エイプリルは〝卯木千景〟に戻り、普段通りの生活をすればいいだけだ。
(……こんな、震えた手で、どうやって……)
仕事用のグローブを外し、ヒトを殺したホテルを離れても、手の震えは治まらない。血の匂いがするようで、どこにも触れられない。
どこにも行けない。アジトにも戻れやしない。もう誰もいないあそこに戻って、何になると言うのか。
(こんなんで、よくアイツの敵を討つなんて……)
くらりと視界が揺れる。殺したいほど憎い相手がいるのに、そこまでたどり着けない。
そもそも〝彼〟も本当に生きているのか分からない。
生きているのか死んでいるのか分からない相手の代わりに、命じられるままに邪魔な人間を消していく――反吐が出そうだと頭を振った。
そのとき。
プライベート用のスマートフォンが着信を知らせる。煩わしいと思うが、音が鳴り止まない。こんな気分の時にいったい誰だと、怒鳴りつけてやろうかと取り出した電話の画面に、
「……茅ヶ崎?」
会社の後輩の名前が浮かんでいた。
『あ、やっと出てくれた。もしかして取り込み中ですか?』
「……取り込み中だったけど?」
彼の名は茅ヶ崎至。潜入した商社の後輩社員だ。とは言っても直接関わりのある部署ではないが、ある理由でそれなりに親しくしている相手だった。
『は~昨日の今日で浮気とかマジ意味がワカラン』
「何が浮気だ。何の用?」
親しく、というのはつまりそういう意味であり、しかしながら恋人ではない関係、である。
『俺が先輩に電話するなんて、用件はひとつだけだと思いますけど』
「昨夜のじゃ足りなかったか? 淫乱」
『あれで満足させてるつもりだったんですか? ヘタレ』
「殴るぞ。……茅ヶ崎、悪いけど、今日はそういう気分になれないんだ」
満足させているかどうかは問題ではない。自分の性欲が満たされればそれでよかったし、相手を気遣わないで済む関係は、千景には心地が良かった。
だけど、今日は逢うわけにはいかない。
こんな気持ちのまま、触れるわけにはいかないのだ。彼まで汚れてしまう。
『……逢いたいんですけど』
「俺は逢いたくないんだよ」
『何かありました? 声がおかしい』
「何もない」
『嘘つき』
即座に見抜かれる。電話越しだというのに、いったい何をどこまで分かっているのだろう。いっそ恐ろしい。
そういえば、彼には最初から、貼り付けたような笑顔が嘘くさくて気になったと言われていたのだったか、と思い出す。
『今どこですか?』
「茅ヶ崎、逢えない」
『俺を抱くくらい簡単ですよね』
「話を聞け……」
『聞いてるから言ってんですよ。何があったか知りませんけど、俺のことめちゃくちゃに犯して忘れればいいでしょ』
そういう問題ではない、と言いたいのに、どこにも行きたくない自分を受け入れてくれるのは、たぶん彼しかいない。
『……ね、今、どこですか?』
端末越しに聞こえる声が、いつもより優しく感じられる。千景はめいっぱいためらって、近くのホテルを指定した。
「眼鏡、してないんですね」
「裏の仕事中だったんだ。ヒトを殺してきてね」
シャツの裾から手を忍ばせて至にそう告げるが、彼は動じる様子もない。信じていないのか、どうでもいいのか。
「何の反応もないのはちょっと傷つくな。俺のことどうでもいいみたいだ」
「どーでもよくはないですけど、他の相手のことなんて聞いても楽しくないですし」
「……他の相手?」
「あれ? そういう意味じゃなかったんです? てっきりベッドの上で抱き殺してきたのかと思ったんですけど」
なるほどそういう誤解をするのかと、千景は笑ってしまう。普通の生活をしていれば、所属した組織の命令でヒトを殺すなどという発想には至らないのか。
「そういうんじゃないよ……そもそも、今はお前しか抱いてないのに」
「うわ殺し文句か」
ベッドの手前まできて、至が身を寄せてくる。正直、本当にそういう気分にはなれなかったけれど、誰かの温もりが欲しい。許されるものではないが、罪ごと包み込んでもらいたい。
至が望むのならばと、腰を抱いてベッドに落ちていこうとしたけれど。
「やめましょ」
腰の手をやんわりと押しやって、至が行為の中断を促してきた。彼の方から誘ってきたはずなのに。
「どうして」
「そういう気分じゃないなら、盛り上がらないし」
「お前がしたいって言ったんだろ」
「分かりません? 口実ですよ。あんな声出されて、放っておけるわけなかったから。……ああ、俺らしくもない。他人にこんなふうに思うこと、ないのに」
言って、至が千景を抱きしめる。シャツ越しの体温はいつもと変わらず、情欲でない何かが全身を包み込んでいくようだった。
「何があったのか分からないですけど、ひとりにしたら駄目だって思ったんですよ。実際に逢ったら、余計にそう感じちゃって」
「茅ヶ崎……」
きゅう、と心臓が締めつけられる。この感情は、いったいなんだろう。
ヒトを殺したこの手で、触れてはいけない。だけど、触れたい。触れてほしい。
「そんな泣き出しそうな顔したひとに抱かれても、気持ちよくなんてならないですよ。せっかくだから、一緒にお風呂入って暖まりましょうか。一緒に眠って、明日の朝一緒にモーニング行きませんか」
「一緒……」
「はい」
そんなことは経験がない。千景は戸惑って、返事ができないでいた。
「抱きたくなったら、抱いてくれてもいいですよ」
ほらお風呂行きましょう、と手を引いてくれる至に、胸が鳴る。
自覚をしたら駄目だと、千景は唇を引き結んだ。この感情を受け入れてしまったら、憎しみさえ消えてしまう。
手を引いてくれる至を逆に引き寄せて、背中から抱きしめた。
「……せ、ん、ぱい?」
「…………なんでもない。風呂、入ろう」
至を追い越してバスルームに向かう。
抱きたくなったら、と言われた通り、抱きたくなったからそこで至を抱いた。体の温度が上がるのと同じ速度で、じわじわと侵食されていくようだ。
自覚したらいけない。
憎しみを凌駕するほどに――この男のすべてが欲しいなんてこと。
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