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みんな知らない

NOVEL,A3!,千至 2018.08.04

#両想い #千至 #ワンライ

 休憩スペースで、至は微糖の缶コーヒーを飲んでいた。 本当はコーラが良かったけれど、それは駄目だ。な…

NOVEL,A3!,千至

みんな知らない


 休憩スペースで、至は微糖の缶コーヒーを飲んでいた。
 本当はコーラが良かったけれど、それは駄目だ。なぜか寮にいるようなスイッチが入ってしまう。職場でそれはまずいのだ。何しろ至は筋金入りの猫かぶり。別に悪気があるわけではないし、仕事や人間関係が円滑になるための手段としか思っていない。
 苦みのあるコーヒーはそんな意識を保つためのアイテムだ。
 だけど、ひとつだけ、至を素に戻してしまうものがある。

「ね~、見たぁ?」
「見た見た! 今日絶対いいことある!」
「だよね、超レアじゃん、卯木さんの笑顔とか~」

 休憩室の外をご機嫌で歩いていく女性社員たちの会話に、危うく口に含んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
(は?)
 至は眉間にしわを寄せる。
 これだ。至を素に戻してしまうもの。

「そもそも海外行ってること多いから、社内で見られることも少ないよね」
「それ~! 最近は出張少なくなったけど」
「同じフロアでよかった~目の保養だわ~」

(先輩、なんかレアキャラ扱いになってる)
 ガチッ、と飲み口を軽く噛んで、話題の人物を思い浮かべた。
 卯木千景。職場では先輩であり、劇団では仲間であり、個人的には恋人だ。
 彼の名前が出てくると、途端に猫がかぶれなくなる。だからできれば、会社では彼に逢いたくない。名前も聞きたくない。

(うそ。逢いたい……顔、見たい)
 最初に好きになったのは、絶対に自分の方だ。千景を包む毒のような闇に、どうしてか惹かれた。

「この暑い中爽やか笑顔だった~幸せ~」
「ホントだよね。ベスト暑くないのかな? 腰ほっそ」
「卯木さんが汗かいてるとこ見たことなくない?」

 ないね~などと言いながら、女性たちは休憩室の前を通り過ぎていく。至はハア、と息を吐いた。彼女たちは、千景のいったい何を見ているのだろうと。
 確かにあのうさんくさい笑顔は爽やかに見えるだろう。それが千景の仮面であるというのに。寮で見せるのとは全然違う。
 しかし一人の女性についてはどこを見ているのか。暑くなる前まで着用していたジャケットを脱げば、確かに体のラインが浮き彫りになる。見んな、ときつく目を閉じて、不愉快さを散らそうと試みた。

(確かに見た目細く見えるけど、わりと筋肉ついてるから! あんなのでガンカン突かれるこっちの身にもなっ……――)

 そこまで思って、ハッと我に返る。まだ仕事中だというのに、千景との濃密な時間を思い出すのはよろしくない。とても平静ではいられなくなる。
(やば……この間のが、ちょっと、激しかった、から)
 ついうっかり、と視線を泳がせるけれど、頭から離れていかない。ホテルのベッドの上で、千景のあの体に乗っかられる自分というのが、いまだに現実だとは思えない。
 片想いだと思っていたのに、そうではなかったと知ったときの衝撃。なかなか手を出してくれなかったこともあり、千景と恋人同士であるということが、夢みたいに思えるのだ。
 だからだろうか、いけないと思うのに、千景とのことを必要以上に思い出してしまうのは。
(先輩だって汗かくし……首筋とか、おでこ、すごい色っぽいんだよね……)
 会社の誰も知らないことかもしれない。千景は汗まで調節できるのか、仕事中に汗で不快そうにしているところは見たことがない。だけど、そんな彼もちゃんと汗をかく。

 ベッドの上で、至を組み敷き、髪を湿らせ、汗を落とす。

 茅ヶ崎、と吐息のように呼ぶ声に、荒れた息に、顎から落ちてくる汗に、感じてしまうことを、彼はきっと気づいてる。
 体の間で互いの汗が混じるのを、幸福に思っていることも。
 抱き寄せた肌に浮かんだ汗をぺろりと舐めるのが、わりと好きなことも。
 不謹慎にも稽古中に、運動で浮かぶ汗にドキリと胸が鳴ってしまうことも。
 きっと、全部知っているに違いないのだ。

(駄目だ、やっぱあの人のこと考えて平静でいられるわけなかった)
 顔どころか、体が火照る。
 至は携帯端末を取り出して、LIMEを立ち上げた。
 今日時間があれば、と誘おうとして、失敗する。

『あと2時間、我慢してろ、茅ヶ崎。何があっても定時で上がれよ』

 文字を打ち込む前に、千景からのメッセージが画面に現れた。当然すぐに既読マークがついて、え? と至は首を傾げ、ハッとして顔を上げた。
 休憩室の前の廊下、会議資料らしきものと携帯端末を持った千景の姿。
 よこされる目配せは、いさめるようでも、なだめるようでもあった。
 もしかして見られていたのだろうかと思うと、恥ずかしくてしょうがない。こんな言葉を送ってくるということは、顔に出ていたに違いないのだ。千景との濃密な行為を思い出していた破廉恥な思いが。
 千景は休憩室に入ってくる様子はなく、そのまま歩みを進める。会議室の方向だなと気がついて、至は急いで文字を打ち込んだ。
『会議、ちゃんと終わるんですか、定時に』
『ああ。そんな余計な心配するくらいなら、明日足腰立たないかもって方を心配しておくんだな』
 誘った以上千景も定時で上がれるのだろうなと言質をとったつもりだったが、そう返されてしまって撃沈した。
 それならそれで、せいぜい密度の濃い時間を過ごさせてもらおうと、残った仕事を片づけに休憩室をあとにするのだった。



#両想い #千至 #ワンライ

触れたい背中

NOVEL,A3!,千至 2018.07.21

18歳以上ですか? yes/no

NOVEL,A3!,千至

触れたい背中

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ねがいごとひとつ

NOVEL,A3!,千至 2018.07.07

#両想い #千至 #ワンライ

 中庭が、いつものごとく騒がしい。 この劇団に入団して、ここで過ごしていくと決めてから、およそ騒がし…

NOVEL,A3!,千至

ねがいごとひとつ



 中庭が、いつものごとく騒がしい。
 この劇団に入団して、ここで過ごしていくと決めてから、およそ騒がしくなかった日などないのだが、今日は一段と騒がしいような気がした。
 今日は7月7日、七夕という日らしい。
 その行事の由来などは知っているが、そういったお祭り騒ぎに参加しようなどと、今まで思わなかった。そもそもがそういう行事に疎かったし、たまに知ったものがあっても任務だったり、独りきりだったりと、なかなか体験することがなかったのだ。

(アイツがいたら、やってたのかな。密も引っ張ってきて、短冊に願い事とやらを書くんだろう)

 千景は、リビングや談話室で書いた短冊を我先にとつるしに行く劇団のメンバーたちを少し離れたところから眺め、あの時離れるまで一緒にいた大切な家族を思い起こした。
 織り姫と彦星が年に一度逢えようとも、もう二度と逢えない大切な家族。反吐が出そうなほど胸くそ悪い組織に属していながらも、あの時は確かに幸福だったと、千景は唇を引き結んで拳を握った。

 今この瞬間が、幸福でないわけではない。
 あんなことをしでかした自分を受け入れてくれたこの劇団には感謝しているし、命に代えても守り抜くと決めている。

 だけど、寂しい。
 あの男がいないことが、とても、寂しい。

 もし彼がここにいたら、満面の笑みでみんなの輪の中に混ざっていただろう。彼にみんなを逢わせたかった。みんなに彼を逢わせてみたかった。

「っしゃ、会心の出来」

 楽しそうな声が聞こえた。千景がそちらを振り向けば、今まさに短冊を書き終えたらしい、茅ヶ崎至の姿。
 意外だなと思った。至が、こういう行事に参加するなんて。職場での彼はもちろん、ここでの彼はゲームにしか興味がないのかと思うほど、引きこもりだ。それでも恋人関係になってからは、外に出るようになったのだとか。しかし外とは言っても、結局は屋内に行くようなものだから、日を浴びないのは変わらない。

「茅ヶ崎も、短冊つるすのか?」
「まあ、便乗しなきゃソンですし? 一年に一度、恋人に逢えて織り姫も彦星も浮かれてくれてるうちにね」
「……へぇ。あんまりかわいげない答えだな」
「ハハッ、かわいげとかワロス」

 成人した男に、と至は肩を震わせる。曲がりなりにも恋人なのだから、多少は可愛いと思うこともあるのになと、口には出さないで千景はため息だけ吐いた。

「それで、なんて書いたんだ。随分時間かかってたみたいだけど」
「ん? コレです」
「……〝単発SSR祈願〟?」

 至は千景に得意げに短冊を向けてみせてくる。いったいどんな壮大な願い事が書かれているのかと思ったら、なんてことはない、いつもの茅ヶ崎至だった。これは果たして安堵していいものかどうか。

「ちょうど、そろそろ推しのイベントが始まるんですよね。だからこうして祈願を」
「お前……俺をノーロマンだのなんだの言うくせに、そっちも大概ロマンがないぞ」
「うるさいですよ。推しのSSRは究極のロマンです」
「はいはい」

 言って、至は短冊をつるしに笹の方へ向かっていく。そんな彼を笑顔で迎える他のメンバーが、なんとも微笑ましい。至も楽しそうな笑顔で、ここは彼にとっても居心地のいいところなのだろう。
 そういうところだからこそ、自分をさらけ出した願いを書けるに違いない。

 自分の背で届くところにつるせばいいものを、空に近い方がいいと思ってか、少しかかとを上げて笹に手を伸ばしている姿が、携帯端末の画像フォルダに収めたいくらいに可愛らしい。
 無意識に口の端を上げるけれど、彼を愛しいと思えば思うだけ、後ろめたさと寂しさが体の中に降り積もる。

 大切な人が、傍にいなくて寂しい。
 それなのに、笑っていられることが後ろめたい。

 こんなに簡単に幸福になっていいはずがないのに、湧き上がってくる温かな想いがある。
 それと同時に、簡単に願い事が書けてしまう至を羨ましいとさえ思う、黒い気持ちが這い上がってくる。

「ねえ、先輩の短冊見つからなかったんですけど、ちゃんとつるしました?」
「自分の終わったのになにをしてるのかと思ったら、探してたのか?」

 短冊を無事につるし終わって、満足そうな顔をしているかと思ったが、千景のもとに戻ってきた至は不満そうな顔つきだった。いや、不満というよりは、不安そうだった。
 探し足りなかったかなと、笹を再度振り向く至に、安心させてやろうという思いで口を開いた。

「心配しなくても、お前は見落としてないぞ茅ヶ崎。俺は短冊書いてないから」
「え?」

 恋人の短冊を見落としてたまるかという思いでもあったのだろうと、千景は笑いながらそう続けた。だけど予想に反して、至はさらに不安に駆られた顔つきで振り向いてきた。

「書いてないって……なんでですか? 短冊、まだいっぱいありましたよ? 真澄なんか、一枚じゃ足りないって3枚くらいにびっしり監督さんへの愛の告白書いてて……や、あれは願い事になってないけど、さらに二つ並べるとハートになるってヤツもあったし」
「うーん、願い事とかないっていうか、思いつかなくてね」

 白紙の短冊がなかったわけではない。今からでも書きに行こうと、指先を掴んで引っ張りかける至をやんわりと制した。

「願い事……ないんですか……?」
「そうだな。まあ、大抵のことは自分でなんとかするし」

 ひとつ噓をついた。願い事がないわけじゃない。叶いそうもない願いがあるだけで。
 願い事なんか書けやしない。あの楽しそうな輪の中に入っていく勇気もない。

「紙切れに書いた願い事が叶うなら、俺は何枚でも――」

 何枚でも書くのに、と言いかけて、ハッと口をつぐんだ。

「いや、なんでもない」
「……ない、の、か……」
「茅ヶ崎?」
「…………なんでもないです」

 至は掴んでいた千景の指先をするりと放して、俯いて顔を背ける。寂しそうで、残念そうで、いったいどうしたのかと訊ねかけたけれど、パッと上げられた顔に遮られた。

「さすが、ノーロマン先輩ですね。ま、先輩に短冊の願い事とか、ハードル高かったんでしょ」
「あのな茅ヶ崎」
「俺、部屋に戻りますね。デイリー課題まだ終わってなくて」

 肩を竦めて、至は本当に部屋へと戻っていく。もしかして願い事を確認してからかいたかったとか、こっそりサプライズで叶えたかったとか、そういうことをしたかったのだろかと考えてみるも、至自身の願い事も大概ロマンがなくて、そんなに可愛らしいことを考えているとは思えなかった。
 千景は、不思議に思いつつも、ハードルが高いのも事実だなと苦笑して、綺麗に飾られた笹を振り仰いだ。


 その日の夜、月にかかっていた雲も空気を読んで退散し、空には綺麗な天の川が流れた。
なぜかいつもよりほんの少し豪勢な夕食を団員みんなで楽しんで、それぞれが思い思いに過ごし――たと思う。
 ただ、至の元気がないなと思ったのは、千景だけだろうか。笑ってはいるものの、ぎこちないような気がした。ため息も、多かったような。
 どうしたんだ、と訊いていい間柄ではある。会社での先輩後輩であり、ルームメイトであり、それ以上の関係でもあるのに、しょんぼりと落ち込んでいるように見える背中に、どう声をかけていいのか分からなかった。

「千景」

 不意に呼ばれて、千景はそちらを振り向いた。相変わらず気配のない、御影密だ。彼も、大切な家族のひとり。

「なんだよ」
「見せたいものがある」
「はァ?」

 昔からの癖もあり、密に接する時は他の団員より雑な対応をしてしまう。あの頃の日常を思い出せるせいか、変えようとは思わない。密と仲がいいですもんねと、至がたまに頬を膨らませるのも知っているが、至が本気でどうにかしてほしいと願っているわけではないことも知っているから、密との距離感を変えようという思考はなかった。

「見せたいもの?」
「外。っていうか、屋根……」
「屋根? 意味が分からん、ひとりで寝てろ」
「千景が見なきゃいけないものが、ある。……登れない?」
「ふざけるな」

 密の方も大概扱いが雑で、遠慮のなさが浮き彫りになる。だけどこれは、本当に昔からだ。
 彼が――オーガストがまだ、生きていた頃からの。

 千景は密に挑発されるがままに、2階の回廊から軒に手をかけ、壁を蹴り上げて体を宙に舞わせ、屋根に手をついて降りる。密の方も軽い身のこなしで登ってきた。ふたりでこうしていると、組んで任務に就いたことを思い出す。
 だが、心なしか嬉しそうな横顔は、そんな昔を懐かしむためではなかっただろう。

「それで、なんだ。二人で月見でもないだろう」
「あれ、さっき見つけた」
「は? 笹じゃないか。見つけたもなにも、昼間からずっと飾ってあるだろ」

 密が指を指したのは、寮の壁に沿わせるように立てられた、笹。2階を覆い、屋根にまでかかっている。大きいわけではなく、少しでも空に近いようにと、大分底上げして立てられているせいだ。
 だがその笹は、千景だって見ている。立てるのを手伝わされもした。それなのに、密は何を見つけたと言って人をこんなところまで駆り出したのか。

「あそこの短冊。緑色の」
「え? ……ああ、誰だあんなとこに」
「立てる前につけたんだと思う……至が」

 密が口にした名前に、千景は目を瞠った。
 笹の、ひどく先端の方に、エメラルドグリーンの短冊が見える。下からでは絶対に確認できない位置だ。笹の色と相俟って、あると知って見なければ埋もれてしまいそうなものでもある。この屋根の、この位置からしか、見られない。

「え、でも、茅ヶ崎の短冊、違うヤツだったけど……」
「2枚書いたんじゃないの……名前ないけど」
「は? 名前がないんだったら、アイツのとは――」
「さっさと読んで、千景」

 オレは早くここで眠りたいと続ける密に、部屋で寝ろと悪態混じりに返してやりつつも、風に揺れる短冊を注視してみた。

〝先輩の願い事が叶いますように〟

 目を見開く。
 これは確かに、茅ヶ崎至しか書けないものだ。この劇団で卯木千景を〝先輩〟と呼ぶのは、彼しかいない。
 千景は、心臓から沸騰した血がせり上がってくるような感覚に襲われて項垂れて頭を抱えた。
 至の元気がなかった理由はこれか、と理解できてしまう。
 せっかく願い事が叶うようにと祈ったのに、千景はその願い事がないと言ってしまったせいで、無駄になってしまったと落ち込んだのだろう。それでもなんでもないように振る舞って、いつも通りゲームにいそしむふりをしたのか。
 そう思うと、彼がいじらしくて仕方がない。

 本当の願いをかけらも知らないで、無責任にも叶うようにと祈ってくれた彼が、どうしようもないほど愛おしい。

「アイツは俺を昇天させたいのか……」

 願いはひとつだった。
 もう一度オーガストに逢いたい。
 そのためには、彼がこちらに降りてくるか自分が昇天するしかないのだが、別の意味でも昇天しそうである。

「馬鹿なヤツ……」
「千景、ニヤニヤしてて気持ち悪い」
「うるさい、アイツには言うなよ」
「マシュマロ」
「…………明日買ってきてやる」
「楽しみ」

 千景はひょいと器用に屋根を降り、迷うことなく103号室へと向かった。

「どこ行ってたんですか?」
「ん? ちょっと」

 部屋のドアを開ければ、ソファでいつも通りゲームを楽しんでいるように見える至の姿。それでも指先の動きがいつもより鈍くて、無駄に落ち込ませてしまったんだなと、千景は反省することしきり。

「願い事ね、あったんだ」
「え? そうなんですか……って、は!?」

 そんな至の隣に腰をかけ、肩に頭を預けた。こんなことをするのは初めてかなと思ったら、間違っていなかったようで、至があからさまに動揺してゲーム機を床に落とした。

「あ"ッ、やべっ……」
「……拾わなくていいの?」
「え、あ、あの、でも」

 至はそれでも、拾おうとしない。きっと拾おうとすれば千景の頭がずれてしまうからに違いない。触れていたい、触れられていたいという思いがあるようで、千景はホッとして口の端を上げる。
 同じ思いだと。

「あの、それで、先輩の願いって……?」
「話せない」
「は?」
「今はまだ、話せないんだ、俺の願い」
「何それ」
「だから、話せる時がきたら、聞いてくれる? 茅ヶ崎」
「焦らしプレイキタコレ」

 できることなら叶えさせてあげたかったのに、とでも思っていそうな横顔をちらりと盗み見て、千景は続ける。

「茅ヶ崎はマゾだから大丈夫だろ」
「マゾプレイはゲームに限ります」
「うーん、まあ、死ぬ時くらいには、言えるかな?」
「いつだよおつおつ」
「鈍いなあ、やっぱりお前もノーロマン」
「意味が分かりません」
「その時まで、ちゃんと一緒にいろってことだ」
「え、は、…………え?」

 千景は、至が意味を把握できるまで待ち、彼が驚嘆で口を覆ったのを確認して、その手を剥ぎ取って唇にキスをした。


 願い事はひとつだった。
 ひとつだけのはずだった。
 増えた。きっとこれから、彼の傍でもっと増えていくに違いない。


 いつかまたオーガストに逢えるまで、傍で、ともに――。


#両想い #千至 #ワンライ

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愛のひとつも囁けない-020-

カクテルキッス02 2018.07.01

#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #カクテルキッス

「……あのさぁ至さん」「忘れろ、万里」 気まずそうに声をかけてきた万里を振り向けず、至は押し殺した声…

カクテルキッス02

愛のひとつも囁けない-020-


「……あのさぁ至さん」
「忘れろ、万里」
 気まずそうに声をかけてきた万里を振り向けず、至は押し殺した声でそう呟く。万里が何を言うのか想像できるような、したくないような。
 殴られるかもしれない。いつだか密が千景に対して怒っていたように、なんでそんなことしてんだと、怒りをぶつけてくるかもしれない。
「千景さんと付き合ってたんすか」
「付き合ってねーわ! っつーか忘れろ頼むから!」
 万里が、ギシリと隣に腰を下ろしてくる。第一声がそれとは、万里は意外と純粋培養だったのかと、自虐的に嗤ってしまった。
「はァ?」
「付き合ってなんかねーわ、つかそれ地味にダメージ食らうから、ほんとやめろ、ガチで……」
 付き合ってなどいない。そんな、双方向の想いがないと成し遂げられない、ハードルの高い関係は築けない。今だって、キスをすれば黙らせられると思っていたのだろう。所詮、想っているのはこちらだけなのだと、思い知らされただけだ。
「うわー、マジか、至さんの片想いかよ」
 ハハッと万里の笑う声が聞こえる。片想いという単語がむずがゆかったが、至は少し視線を泳がせてからようやく万里を振り向いた。
「……否定はしないけど、引かないの、万里」
「なんで?」
「いや、なんでって……ヤロー同士でこんな」
 言いづらい、と頬をかく。
 同性愛や性同一性障害は、最近なにかと話題にされがちだが、身近でない限り所詮は他人事だ。
 まだまだ偏見も多い中、劇団のみんなに知られたくなかった理由のひとつ。
「付き合ってはねーけど、寝てはいるんだわ、先輩と。落ちたのは俺だけで、ほんと笑えるんだけど」
「セフレってヤツなー。ま、確かに言いづらいか」
「万里のことだから、なに馬鹿なことしてんだって、殴るかと思った」
「俺そんなイメージっすか」
「わりとバイオレンスだろ、秋組」
 否定はしない、と万里は笑う。そうして彼は膝の上で手を組んで、声のトーンを落とした。
「アンタが、千景さんのこと何とも思ってないのにそれだったら、確かに殴ってたかもな。でも……好きなら、別にいいんじゃないすか」
「……いや、よくはなくね?」
「なあ至さん」
「ん?」
 万里が、膝に肘をついた状態で、覗き込むように振り向いてくる。今度こそ責められるのかと心の準備をしたら、
「俺、今付き合ってる人いるんすよ。劇団(ここ)に」
「は? そりゃおめでと、……って、え? 劇団(ここ)に? えっ、まさか監督さん?」
 万里が真剣に交際している相手なんて、想像がつかなかった。しかしこの劇団内ということは、唯一の女性である立花いづみか、と考え、瞬時に真澄のことを思った。
「あ~それはそれで言いづら……」
 あれだけいづみにアプローチしている真澄を差し置いて、というのは、確かに至とは違う問題があるのかもしれないと、同情しかけた。
「ちげーって。カントクちゃんは可愛いと思うけど」
「あ? なんだ、違うのかよ。びっくりさせん、な……」
 だが至の予想は外れていたようで、苦笑が返ってくる。ホッと胸をなで下ろすと同時に、はたと気がついた。
 この劇団内で、監督でない相手と付き合っているということは、つまり。
「え」
 つまり、同性とである。
「……ガチで?」
「まあ」
「えええ全然気づかなかったんだけど何だよそれ! いつからっていうか……あの、相手は聞いてもいいもん?」
「紬さん」
「……はァあ!?」
 ためらいもなく答えてきた万里に、至は目を瞠って思わずソファから腰を上げた。
「紬って、えええ、紬!?」
「うん」
 慌てる様子も隠す様子もない万里に、脱力してソファに座り直す。
 まさか紬と付き合っていたなんて、欠片も思わなくて、驚愕と、安堵がどっと押し寄せてくる。
「紬、紬かあ……なるほどねー」
 そりゃあ至が千景を好きだと言っても、驚かないわけだと、背もたれに体を預け、天井を見上げた。改めて安堵する。
 万里に、誰かに、否定されたり、拒絶されたり、軽蔑されたりしたら、心が折れるところだったと。
 いや、叶わない以上、ここで折れていた方がいいのかもしれないが、もう少しだけあがいてみたい。
「あ、ちなみにもう一個カップルいんのな。そっちは俺が言うわけにもいかねーけど」
「はァ――!? なん……何なんだよこの劇団、ホモばっかりかよ……!」
 がくりと項垂れて、頭を抱える。一人で、普通じゃないのだと悩んでいたことが馬鹿みたいだと、ひどく複雑な気分だった。
「いや、俺は女もイケっし。つか紬さん以外の男は無理。至さんも、……んー、ねーな」
「俺だってそーだわ、お前に欲情なんかしない」
「千景さんは? ガチなタイプ?」
「ん、あー……そうみたい。前からそういうのは匂わされてたんだけど、ちょっと二人で飲みにいったときに、な。一夜限りのはずが、なんで続いたのか、分かんない」
 思えばあの最初のキスがいけなかったのだ。あれがそもそもの間違いで、すべての始まりだ。
 それを考えるとやっぱり千景のせいで、悔しくて〝都合のいいオンナ〟には、とてもじゃないがなれやしない。
「惚れるなよって、言われてたのにな……」
 自嘲気味に呟いて、いまだに募っていく千景への想いを実感する。
「あんなカクテル飲ませておいて、俺にまたキスするなんて、マジでずるい男……」
「カクテル? ってか、アンタ大丈夫なのか? 会社で倒れたって聞いたけど」
「は? ……あー、そういうことになってたんだ。別に倒れてないって。先輩んとこいただけ」
「仕事しろよ社会人」
「サボリ魔だったお前に言われたくねーわ」
 う、と言葉に詰まる万里に、至は笑った。まだ、笑うことができる。
「ちょっとあることでトラブってて、心配だったんだよ、先輩が。でも、たぶん余計なことだったんだろうな、あの人には」
「へー。ま、詳しくは聞かねーけど、摑みどころねーもんなあ、千景さんは……」
「それな。優しく料理なんか作ってくれたと思ったら、XYZなんか出してきやがって」
「は?」
 今思い出しても腹が立つ。〝最後〟という意味を持つカクテルに、睡眠薬なんか入れるなんて。あれが最後の触れ合いなのだろうかと考えることもできるが、それにしては先ほどのキスは熱っぽすぎた。
「カクテル、作ってくれたんだよ。意味知ってるだろ、お前なら」
「えっ、と、ちょい、待ち、至さん、それって」
「〝最後〟とか、〝もう後がない〟とか、もう終わりって意味だよな」
 余計なことを知ってしまった至とは、これ以上続けていられない。そういう意味なのだろう。
 千景の生きている世界のことを詳しく聞こうとも、やめてくれと出しゃばるつもりもないというのに。
「都合のいいオンナでいれば良かったのかね」
「いやいや、ちょっと待って至さん、何言ってんすかアンタ」
「は?」
「それ、意味ちゃんと調べた?」
 引きつった笑いを浮かべる万里に、至は首を傾げる。調べるも何も、千景だってそう言っていたのに、他に何の意味があるのか。
「なあ、XYZって、アルファベットの最後じゃん」
「ああ、うん、だから――」
「あった、ほら、これ」
 万里は携帯端末で何かを検索していたようで、その画面を至に向けてくる。
 飛び込んできた文字を、万里の声が奏でた。
「〝これ以上ない〟〝これほどのものにはもう出逢えない〟――〝最後の恋〟だってさ」
 見せられた画面には、確かにそう書いてある。
 至は瞬きを忘れて、画面と、その向こうにある万里の顔を凝視した。
「え……?」
 後がないというのは、これ以上ないとも捉えられる。最後に飲むカクテルとして、これ以上のものには出逢えないという意味もあるらしい。意中の相手と飲むのであれば、最後の恋にしたいと示すこともあるようで。
「両想いなんじゃねーの?」
 鈍すぎ、と付け加えられた万里の苦笑が、数秒遅れて脳に届く。
「……――は?」
 耳に慣れないその言葉は、千景の毒より強力に、至の頬を朱に染めていくようだった。


#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #カクテルキッス

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愛のひとつも囁けない-019-

カクテルキッス02 2018.07.01

#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録

 誰かの話し声がする、とぼんやりする頭で考えた。体がずしりと重いせいか、その話し声が邪魔で仕方ない。…

カクテルキッス02

愛のひとつも囁けない-019-



 誰かの話し声がする、とぼんやりする頭で考えた。体がずしりと重いせいか、その話し声が邪魔で仕方ない。もう少しゆっくり寝かせてほしいと。
「お前らしくない……」
「うるさいぞ」
「少し、痕が残るかも……これ、みんなになんて説明するの」
「舞台だし、そんなに目立たない。もし目立っても莇が何とかしてくれるだろうし、噓をつくのは得意だからな」
 至はその声に聞き覚えがあるような気がして、そっと目蓋を持ち上げた。
 薄ぼんやりとした視界に、千景と、密らしき男のシルエット。
「ミッション、失敗した……?」
「……メイがロストした。どこか他の組織からも、狙われてたみたいだな、あそこ」
「メイ……組んだことはなかったけど、……そう、残念だね」
「俺に対する罰則はランクダウンだけ。特に対処は必要ないだろう」
「うん……でも、気をつけて」
「分かってる」
「この包帯……燃やしておいていい? エイプリル」
「ああ、悪いな」
 千景がシャツを着直して、ボタンを留めるのが見えた。それを認識して、至はハッと意識を覚醒させる。思わずガバリと体を起こすと、そこは見慣れた寮の自室だった。
「至、起きた」
 二人分の視線がこちらへ向く。至はまず自身の状態を確認した。あの部屋で着たもののまま、ジャケットとネクタイはハンガーに掛けられている。
 連れ帰られたのかと理解し、目の前の二人を睨みつけてみた。
 あのカクテルを飲んだあとの記憶がない。気にくわないのは、千景が悪びれもせず、じっとまっすぐ見つめ返してくることだ。
「密、出てくれ」
「……分かった」
 千景が密にそう頼んで、密は何も言わずに承諾して、汚れた包帯を持って部屋を出ていってしまう。
 腹の中に、言い様のないどす黒い思いが渦巻いた。いくら密が自分たちのことを知っているとはいえ、今は彼を挟まないでほしかった。
「俺に、何したんですか」
「何って? 抱いたことか? それとも――」
「とぼけんのかよ! 薬なんか盛って、どうするつもりだったんだアンタは!」
 怒りで思わず立ち上がるも、足下がふらつく。
 何を飲まされたのか分からない。千景があのカクテルを作っているところを、ちゃんと見ていたにもかかわらず、彼が何か入れた形跡はなかったのに。いや、疑って見ていたわけではない。純粋に、見惚れていた。
 彼が自分のために食事を、カクテルを作ってくれたのが本当に嬉しかったのに、こんな仕打ち。
「怒るなよ、ただ眠らせただけだ。ミッション失敗したせいで、どこで見られているか分からない。生きたお前と表から出るには危険だったし、裏の道はお前に知られるわけにはいかなかった」
「だったら俺に説明してくれてたら、目を閉じてるとか何か、できましたよ!」
「落ち着け茅ヶ崎、声がでかい」
 ぐいと腕を引かれ、ハッとする。そういえばここは寮内だったと、息を吸い込んだ。
「無理を承知で言うぞ、茅ヶ崎。もうこれ以上俺を知ろうとするな。今度は本当に眠らせるだけじゃ済まないかもしれない」
 捕まれた腕に、千景の指が食い込んでくる。その痛みより、ズキズキと痛む心臓の方が重症だった。
「関係、ない、ですよ……先輩が裏で何をしてようと、関係ないですよ、俺には! 俺はっ……」
 今目の前にいるあなただけで充分だ。
 そう言ってしまえたらいい。
 それをぐっとこらえて飲み込んで、千景の腹に触れ爪を立てやった。
「つっ……」
「こんな怪我で俺を抱いておいて、ホントに勝手な男ですね。密には手当てさせるくせに、俺には傷口も見せないとか」
「茅ヶ崎」
 お前が触れるようなものじゃない――そう言われた声が、まだ耳に残っている。
 近づけたと思ったら線を引かれて、少しも距離は縮まっていない。
「ああ、そういえば俺は、先輩にとって都合のいいオンナでしたっけ。余計なことには首突っ込まずに、足開いてればいいんですか。そんなのがいいなら、勝手に他の誰か、聞き分けのいい男でも抱いてればい――」
「茅ヶ崎!」
 両肩を押されて、ソファへ逆戻りさせられる。
「誰が……そんなことを言っている……ッ」
 上から押さえつけるようなキスで唇が塞がれて、抗議という名の八つ当たりは、最後まで音にできなかった。
「んっ……う」
 両肩を押さえつける千景の力強い腕から、熱が伝わってくる。この期に及んで、千景に触れたがる心がどうしようもない。
 入り込んでくる舌先と一緒に、千景の唾液を移される。絡む舌は正直で、千景を引き込み、千景の中に入り込み、ちゅ、と吸い合う。簡単にベッドの中の熱を思い起こしそうで怖い。
 卯木千景という男が、本当に恐ろしい。
 見境なく、浅ましく求めさせるこの男が、恐ろしくて、恨めしくて、憎たらしくて、――愛しい。
「あっ……はぁ、んぅ」
 ソファの背もたれに頭を預けて、千景の背中に腕を回そうとしたそのとき、
「至さァん、起きれたんす、か……」
 ノックのあと、ゲーム仲間である摂津万里がドアを開けた。
 二人はハッとして、バッと体を離した。だが、ドアとソファの位置を考えると、どう取り繕っても無駄なくらい、見られただろう。
 至は口を押さえ、千景から顔を背ける。千景はほんの少し荒い息を吐き、指先で濡れた唇を拭った。
「……場所をわきまえろ、茅ヶ崎」
 それだけ言って、ソファから離れていく。顔を背けたせいで、万里とすれ違い、部屋を出ていく千景を見送ることはなかった。
 ドアが閉まる音は聞こえたけれど、頭を抱える。まさか万里に見られるなんて。
 寮内だということを忘れていたわけではないけれど、サイアクだ、とソファの上で拳を握った。


#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録

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愛のひとつも囁けない-018-

カクテルキッス02 2018.07.01

#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #カクテルキッス

 すう、すう、と規則正しい寝息が聞こえる。 千景はベッドの縁に腰をかけ、額に張り付いた至の髪をそっと…

カクテルキッス02

愛のひとつも囁けない-018-


 すう、すう、と規則正しい寝息が聞こえる。
 千景はベッドの縁に腰をかけ、額に張り付いた至の髪をそっと払いのけた。
 ひどく疲れた表情をした至を見下ろし、眉間にしわを寄せてぐっと唇を噛んだ。
 そうして自身に痛みを与えても、心臓の痛みはすべてを上回る。
「茅ヶ崎……どうして」
 どうしてこんなところまで来たのかと、彼を責めたい。
 なぜこの場所を教えてしまったのかと、密を責めたい。
 なんでこらえきれずに抱いたのかと、自分を責めたい。
 至はもう、気づいているに違いない。自分が、どんな世界に身を置いているのか。元々至に対しては、他の人間より話してしまっていたが、ジョークで留めておいてくれたはずだ。
 だけどもう、ごまかしは利かない。いわく彼の妄想は、あらかた当たっている。
〝あの夜組織の命令で動いて〟〝あの製薬会社調べるために〟〝治るまで戻るつもりはなかった〟……すべてが事実だ。
 知られてしまったと焦る思いより、心臓をかきむしりたいほど、幸福に感じることがあった。
 至は、あの事件に千景が関わっていると分かっていながらも、火事を起こしたのは千景ではないと、断定しているような節が見られる。ただのひと欠片も、疑っていなかった。
 それだけで、体が歓喜に震えたなんて、至は絶対に知らないだろう。
 本来なら、組織のことを知られた時点で抹殺対象だ。以前であれば、目撃者も邪魔者も、すべて消してきた。以前のままの自分なら、至の喉に手をかけるくらいはしていたかもしれない。
 それなのに、この手は至を抱くためにしか動いてくれなかった。
 はあーとゆっくり息を吐く。
 口許を手で覆えば、震えているようにさえ感じられた。
 知ってしまった恋情は、どこまで育つのだろう。この感情で身を滅ぼすかもしれない。
 いや、自分だけならまだいい。恋に溺れるあまりどこかでミスをして、劇団さえ危うい立場にしてしまったら――そう考えると、恐ろしくてたまらない。
 抑えなければいけないのに、知られてはいけないのに、茅ヶ崎至という男は、簡単に決壊させてしまう。
「お前が怖いよ、茅ヶ崎……」
 そっと髪を撫で、千景はベッドから腰を上げた。
 至はきっと、気づいた千景の真実を、見て見ぬふりをするのだろう。千景が望むようにだ。
 千景はキッチンへと向かい、ミネラルウォーターで喉を潤す。
「……ふ、っは……」
 ごくりと水を飲み干して、ぐいと口許を拭う。
 命をかけて守るものが、もうひとつ増えた。
 千景はその対象を指折り数え、苦笑する。
「……重いな」
 組織に彼らの存在を知られてはいけない。
 彼に、これ以上踏み込ませてはいけない。
 彼に……この想いを悟らせてはいけない。
 潮時だと思いながらも、茅ヶ崎至へと向かっていく想いを実感するたびに、足下からざわざわとせり上がってくる幸福さに、愚かしいと拳を握った。
(駄目なんだよ、茅ヶ崎……)
 これ以上は、本当に危険だ。
「何飲んでるんですか」
 そう思って短く吐いた息は、背後からかけられた声に驚いて、ひゅっとまた口の中へ戻ってきた。
「……起きたのか」
「体が思うように動きませんけどね……」
 振り向いた先に、シャツを羽織っただけの至の姿。さすがに下着は着けていたが、シャツの隙間から見えるキスマークが、情事の名残を匂わせていた。
 千景は、眼鏡のブリッジを押し上げるふりをして、視線を背け、冷蔵庫を開ける。
「何か食べるか? お前、昼も食ってないんだろう」
「ああ、そうですね……シャワー、借りても?」
 怠そうな声と仕種で、至はきょろりと室内を見回す。千景は顎をしゃくってバスルームを指し、至を誘導した。どうも、と小さく呟いて、至はそちらへ向かっていく。
 千景はこっそり横目でそれを見送って、食材と酒類を台の上に並べていった。



 数十分ほどして、至がシャワーから上がってくる。髪くらい乾かしてこいと呆れると、人の家でドライヤーの場所なんか分かるわけないと、反論された。
 持ってきてやると、シャワーでさっぱりしたのか、至は上機嫌で温風を当てる。
 まるで何でもない日常のようで、千景は苦笑した。
 そんな日常はありはしないのにと。
「ねえ、もしかして、先輩が作ってくれてるんですか」
「他に誰がいるんだ」
「料理できたんですね。ほんとチートすぎ……」
 呆れも諦めも混じらせて、至のため息がドライヤーの温風とともに空気を揺らす。
「大したものじゃないぞ」
「とか言いながら、なんか肉出てきたんですけど」
 至はドライヤーをカチリと止めて、テーブルの方へやってくる。冷凍肉を使ったただのサフランチキンだが、千景とこういった料理のイメージが、どうも結びつかないらしく、口許はおかしそうにゆがんでいた。
 確かに、作ることが特別好きというわけではない。が、スパイスの調合や買い込みは好きだ。そんなところを見るに、食べることは嫌いではないし、作るのもそれなりに楽しいのだろう。
「一時期、食べられないときが続いたけどな。こういうのは、嫌いじゃない」
 至がテーブルに着くのを待って、トマトのファルシも追加して並べた。
 オーガストの死と、ディセンバーの裏切りを知らされた頃、本当に何も喉を通らなかった。口に入れても、嘔吐感がこみ上げてきて、飲み込むことさえできなかった時期がある。
 激しい怒りと、悔しさと、孤独。
 それら全てが、生きることを拒絶しているかのようで、このまま死ぬかもしれないと思ったことさえ。
「……今は、そんなことないんですか?」
「そうだな……食べるのを忘れることはあるけどね」
「あー俺もたまに。ネトゲとか時間経つの早いんですよ。今は、臣の作ってくれる飯がうますぎて、食いっぱぐれたくないけど。まあ、あと、監督さんのもね」
 至は胸の前で手を合わせ、小さくいただきますと呟いている。何だかんだで一般的なしつけを施されている彼を、羨ましいと感じてしまった。
 ゲームに没頭して食べるのを忘れる、と何でもないように返してくる気安さに、笑える自分がいる。
 千景が食べられなかった理由は、そんな軽いものではないのに、さほど重要なものでもないように受け止めてしまう彼が、憎らしくて、恨めしくて、眩しくて――愛しい。
「茅ヶ崎、何か飲む?」
「何があるんですか」
「日本酒と、ビール以外なら」
「マジか。……なら、この料理に合うもの、先輩のおすすめで」
「俺の?」
 ん、と至が頷くのが見える。そう返されるとは思っていなくて、並ぶボトル類を眺め、そうして目蓋を伏せた。
「……何が出ても文句言うなよ」
「おk」
 千景は、バカルディとコアントローを、シェイカーに量り入れ、レモンジュースを少し多めに入れる。
 トップをはめて振ると、中の氷が音を立てた。押し上げて引き戻し、下げ、引き上げる。少しずつ速さを加えていくと、至の視線が、じっとこちらを見つめているのに気がついた。
「なに」
「いや、チートっぷりに驚いてるだけですよ。さすがにそれは予想してなかった」
「たまに作るだけだ。好みの味は、自分で作った方が早くてね」
 シェイクし終えて、ショートグラスに中身を注ぐ。白いスモークのような色は、千景を満足させた。
 そのグラスを、至の前に差し出す。
「初めて見ますけど、何ていうカクテルなんですか?」
 至はそれをじっと眺め、千景を振り仰いでくる。どこかで、ホッとした。
 そのカクテルの意味を、彼が知っていたらどうしようかと、期待と不安でいっぱいだったのだ。
 気づいてほしくない、気づいてほしい。
 自分でも、もうどちらの思いが大きいのか分からなくなっていた。
 千景は眼鏡を押し上げて、レシピから話す。
「ホワイト・ラムと、コアントローっていうリキュール。あとはレモンジュース。レモンは少し多めにしておいたから、さっぱりしてると思うけど」
「へぇ……」
「カクテル名はXYZ」
「え」
 至の体が、分かりやすく強張ったのが見て取れる。どういう意味で捉えたのだろうか。その反応を見るに、千景が込めた真実の意味には気づいていないのだろう。
 それならそれでいいと、その方がいいと、千景は付け加えた。
「さすがに分かるか? それが、〝最後の〟って意味を持っていることくらい」
 XYZはアルファベットの最後の三文字。噓偽りのない意味だ。
「あー、はい、さすがに。何だっけ、漫画でもありましたよね。もう後がないとか、助けを求める意味だとかって」
 至の視線は、千景からずっと逸らされない。まっすぐに見つめてくるその瞳に、怯えはひと欠片もないように見えた。
「先輩。ひょっとして俺、知りすぎましたか?」
「……そうだな。お前の存在は、危険だよ」
「……ですよね」
 至の存在に、心が乱れる。
 鼓動が、分かりやすく跳ねる。本当に、危険な存在だと思った。
「茅ヶ崎、俺が怖いか?」
「はい」
 迷いのひとつもなく肯定したにもかかわらず、至はようやくカクテルに視線を戻して、ためらいもなくグラスに口をつける。
 その液体が至の唇を濡らし、口の中に流れ込むのを、千景はじっと眺めていた。
「え……な、に、これ、せんぱっ……」
 至の手からグラスが落ちて、床で割れ、彼の体が傾いで倒れ込むのさえ。
 どさり。
 抱き留める資格はないだろうなと、彼の意識がないことを確認してから抱き上げる。
「……まったく、馬鹿な男だ……」
 ひとまずリビングのソファに彼を寝かせ、食卓と割れたグラスを片付ける。ポケットに入れた小瓶の中身も、洗い流した。


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