- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.307, No.306, No.305, No.304, No.303, No.302, No.301[7件]
金色の曼珠沙華-023-
「左京さん、あの、俺……役になってる間、他の連中に何か迷惑とか、かけたっすか」
「いや、それはないらしい。伏見や雪白が、そう言ってた」
「そうすか……良かった……」
「そんなにホッとするくらいなら、最初からやるな。お前はまだ経験が足りねぇんだ、俺といる時だけ違う誰かになろうとしても、切り替えのスイッチがうまく作動しないんだよ。そのたび戻らなくなるんじゃ、それこそ迷惑だ」
「すんません……」
項垂れて肩を落とす十座に、左京は長く息を吐く。年長者として、そんな危険なことはさせられない。今回は運良く戻ることができたが、いつ何がきっかけで壊れてしまうか分からないのだ。
「だからな、迷惑って言ったのは、忘れろ」
「……え?」
「先日言ったように、恋情が演技に深みを与えるのは、間違ってない。事実、あの時お前とやった演目は、面白かった。だから無理に押さえつけようとするな。せっかく、その、好きな、相手ができたんだったら。それが俺だとは思わなかったが、お前が俺を……好きだってのは、別に、いいかと、思って、いる」
自分の放ったたった一言が、危うく人ひとりの人生を悪い方向に変えてしまうところだった。
十座の心を深く傷つけたのは間違いないだろうが、手遅れになる前に気がついてよかった。
「悪かったな、兵頭。一昨日のことも、昨日のことも、今朝のことも」
「……いいんすか? 左京さん」
茫然とした顔で、十座は訊ねてくる。何が、と考えかけて、大いに勘違いさせる言葉だったかもしれないと思い、訂正するために口を開いた。
「勘違いするなよ、別にお前の気持ちを受け入れるとかそういう――」
「そうじゃねえ、そんなの分かってる。い、いいんすか、その……アンタを好きだって言っても」
声が震えているのに気がつく。
左京は目を瞠った。
そんな小さな願いさえ、自分は踏みつぶそうとしていたのだと気がついて。
まさか自分が、自身に関わる色恋沙汰に、ここまで不器用だとは思っていなかった。
「……いい。それくらい、許容してやる」
好意には慣れていない。理屈では分かっても、まっすぐに向かってくるそれが、どれほどの力を持っているのか、知らないのだ。
まさかそれを体感させてくれるのが、一回りも年下の男だとは思わなかったけれど、
「あざす……っ」
今の今まで不安と怯えでいっぱいだった十座の顔が、ぱあっと明るくなる。
今まで見たこともないようなその笑い顔に、左京は目を瞬くことさえ忘れていた。
好きだと言ってもいい――それだけのことが、十座には嬉しいのか。
ますますもって、自分なんかに惚れてないで、他にいい女でも見つければ良いのにと、非常にもったいない思いを抱えることになる。
「好きだ、左京さん」
「……もう、稽古以外で演じるとか馬鹿なことすんなよ、兵頭」
「っす」
素直に受け入れてくれて、左京はホッとする。こんなに簡単なことで、危機を回避できるなら安いものだ。
「そうだ、これ……詫びのつもりで買ってきたんだが」
そう言って、左京はコンビニの袋を差し出してみる。
「いや、詫びって……俺がするべきだろ」
「いるのかいらねぇのか」
「もらうっす。エクレア、……あんみつ……!」
分かりやすく、十座の表情が変わる。視点を変えてみれば、こんなにも違うのかと思うほど、表情の移り変わりが楽しくてしょうがない。
どうやらあんみつは好物らしく、選んで良かったと短く息を吐いた。
「あ、の……左京さんも、半分、食わねぇか。このエクレア、美味いんで……」
袋の中身を確認した十座が、おずおずと口にしてくる。それでも半分、と提案してくるあたりに笑ってしまった。
左京はせっかくだがと断ろうとして、声を飲み込んだ。この機会を逃してしまったら、次に二人で話せるのはいつになることやら。
「……お前がいいなら、もらうが。少し、訊きたいことがある。いいか?」
言って、十座に選択肢を与える。ふたりきりというこの状況がマズイというのは理解しているし、好きだと言うことさえ抑えつけてきた男に、酷なことを言っているとは思った。
だけどそれでも、それよりも理解しなければいけないことがあるのだ。
「い、いいっすけど……何を」
「座れ、そこ」
「……っす」
テーブルの傍に、十座が腰を下ろす。左京は気づかれないように深呼吸をして、テーブルを挟んで対角線上に腰を下ろした。ここならば、間違ってもいきなり押し倒されたりはしないだろうと。
「あ、エクレア……」
十座は袋のまま器用にエクレアを半分にして、片方を口に運びもう片方を左京に渡してくる。正直この手の甘いものはあまり得意でもないのだが、せっかくくれるというのだ、もらっておこうと左京は一口、食む。
(甘ぇ……。よくこんなもの、……嬉しそうに食いやがるな)
ちらりと視線を向けてみれば、エクレアを二口ばかりで食べきる十座の嬉しそうな顔。普段の仏頂面を知っているだけに、その変化はやはり面白かった。思わず、左京の口の端が上がる。
「本当に好きなんだな」
「左京さんをすか?」
「馬鹿、甘ぇもんのこと、…………いや、訊きたいことってのは、それなんだが」
好きという単語で、なんの躊躇もなく左京を連想してくる十座に、左京は羞恥で顔を背けた。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-022-
背後でドアが閉まるのを確認して、ため息ひとつ。カポネは、左京へと戻った。
「で、どんな仕事なんだ、ボス」
いつもより更に低い声音は、人に聞かれたらマズい内容だと分かっていて、ひそめているせいだろう。
ただそれは、役の上でのことのはず。
「……もういいだろう、兵頭。戻れ」
ここはレッスン室ではない。ましてや舞台の上でもカポネの私室でもない。ランスキーでいる理由はないというのに。
「仕事の話じゃないんですか?」
「兵頭」
「ヒョウ……? 次のターゲットか。殺しはあんまり好かねえが、命令なら――」
「いい加減にしろ兵頭! 戻れって言ってんだ!!」
左京は背後の男を振り返り、自分より大きなその体をドアに押しつけた。胸ぐらを掴んだその手を振り払われる前に、ほんの少し躊躇って――口唇を合わせる。
びく、と彼の体が強張ったのは、ダイレクトに伝わってきた。
触れるだけ。たったそれだけの行為に、こんなにも勇気がいるものだとは思っていなかった。
演技だと思えば、それも何でもないかもしれない。
だけどこれは、今だけは、演技であってはならないと、左京は左京のままで口唇を合わせた。
そうされた方の十座は体を硬直させて、まだランスキーなのかそうでないのか分からない。
左京は押しつけるだけだった口唇を離し、少し高い目線を見上げた。
「……兵頭」
焦点が合っていないような気がする。呼んでみても、いつものように視線が合わない。
役に入り込んでしまった人間を引き戻す方法なんて、誰も教えてくれなかった。稽古に入り浸っていた旧MANKAIカンパニーでも、そんな状態に陥る人間はいなかったのだ。
正気に戻させるには、一種の衝撃が必要だと思ったのだが、見当違いだっただろうか。
「兵頭、戻れ」
まさか役者の顔を殴るわけにもいかないし、ランスキー相手に自分の技が通用するとは思えない。万里の拳を防いだ時でさえ、反応が少しでも遅れていたら、まともに食らっていたというのに。
リミッターの外れた十代が、何をするかなんて、自分がいちばんよく分かっている。
「兵頭……!」
兵頭十座が誰かを傷つけてしまう前に、どうにか元に戻したいのに、どうすればいいのか分からない。
無駄に歳を食っていても、こんな時なんの役にも立たなくて、心の底から腹立たしい。
十座や万里の情熱が、自分に本気を出させた。一緒に演じていたいと思わせた。
これでは違う、「演じて」いるのではなくなってしまう。兵頭十座が、どこかへ行ってしまう。
左京は、「兵頭十座」が演じる「誰か」と一緒に舞台に立ちたいのだ。
「兵頭十座ァ!」
日常生活でまで、カポネとしてランスキーに接したいわけではない。兵頭十座に、古市左京として接していたいのだ。
稽古で、エチュードで、舞台で、違う誰かになる――それが「演じる」ということだ。
そう思って名を呼ぶのに、固まったまま何も発してこない。左京は項垂れて、十座の肩に額を預けた。
「戻らねぇのかよ、これでもっ……」
絞り出すように呟き、駄目元でもう一度口唇でも合わせてみようかと思ったその、瞬間。
「さ、きょう、さ……あの、ど、どういう状況っ……すか、これ」
「――は?」
震える声が頭の上から降ってくる。左京は顔を上げ、そこに顔を真っ赤にした兵頭十座を見つけた。
「兵、頭?」
「あの、と、とりあえず、離れて、もらえねぇか……」
十座は口許を覆い、そのせいで声はくぐもるけれど、聞き取れない距離ではない。その口調は間違いなく兵頭十座のもので、初めて恋をした相手との接近に、どぎまぎしているだけの男だった。
「戻っ……た、のか?」
「あ? 戻ったって、なんすか? それよりアンタ、なんでこんなっ……キ、キス、なんか……!」
ぐいと肩を押しやってくる十座の言葉に、左京は目を瞠る。
十座は今、キスという単語を口にした。
ランスキーだった瞬間のはずなのに、それを知っているのだとしたら、どの時点からかはともかく、祈るように何度も名を呼んだ時には、すでに十座だったことになる。
カアッと全身の熱が上がったような気がした。
「――てめぇ! 戻ってんなら戻ってるって言え、この馬鹿! 黙ってされるがままになりやがって!」
「アンタにキスなんかされて、硬直しねえわけねえだろうが! どういう状況なんだ!」
ガッと再度胸ぐらを掴んで責めてみるも、十座からは開き直った正論が返される。
硬直していたのは放心状態だったのかと気がついて、左京は途端にとてつもない羞恥に襲われた。十座の状態に気づかずに、元に戻ってくれと懇願したことも、彼ははっきり覚えているのだろう。
左京は片手で顔を覆い、赤くなったそれを見られないようにと、十座の傍を離れる。
「左京さ――」
「待て、ちょっと待て、今、頭ん中整理する……できれば忘れてろ」
「いや、無理っす……つか、アンタとふたりっきりってこの状況が、俺にはマズイんで……できれば、部屋、戻りたいんだが」
「あ? マズイって、な……に、……!」
十座の言葉が意味するところに気がついて、左京はボッと顔を赤らめた。恋情には劣情が伴うもので、それは理解していたが、改めて言われると身構えてしまうのも事実。
「だから左京さん、そこ、どいてくれ。さ、っきの、キ、キスのことは、アンタのひどい気まぐれだと思って、おくんで」
十座がふいと顔を背ける。
やはりランスキーが抜けなかったことは覚えていないのか、記憶がすっ飛んでいるようだった。
それならそれで、今忠告しておかないといけない。左京はドアにもたれて、十座の提案を行動で却下してみせた。
「ハ、俺のキスで正気に戻っておきながら、気まぐれなんて言われちゃたまんねぇな」
「正気……? なんのことすか」
「お前、今日のことどこまで覚えてる? 今日お前が、兵頭十座として何をしていたか、思い出せるか?」
十座の目が数度瞬かれる。
泳ぐ視線と、傾げられる首は、左京の問いに否定を返していた。
「えっと……朝、左京さんとレッスン室で逢って……それから……」
「覚えてねぇんだろ。ずっとランスキーとして過ごしてたみてぇだからな」
「……え?」
「お前はついさっきまで、兵頭十座じゃなくランスキーだったってことだよ。役が抜けなかったんだろう」
「あ……」
十座は目を瞠って、心当たりがあるとでも言うように口許を押さえる。だんだんと表情が曇っていくのが見て取れて、左京も眉間にしわを刻んだ。
「……俺のせいか」
静かにそう呟くと、十座の肩がびくりと揺れる。それが否定なのか肯定なのか、言葉にはされなかったけれど。
「俺があの時、演じてるお前のことは信用してるって言ったから、意図的にランスキーになってたのか」
「…………違うって言ったら、たぶん嘘になるんすけど、それだけじゃ……なかったと、思う」
「どういうことだ」
「アンタを、困らせたくなかった。今でも、困らせたくねえ」
左京は、十座の一言一句を聞き逃すまいと、ゆっくり瞬く。困らせたくないという感情は理解できる。できるが、それがどうして、ランスキーになることにつながっていくのか。
「俺のままじゃ、アンタが好きだって気持ちを抑えられねえんだ。うっかり手ぇ出しちまうかもしれねーし、アンタは迷惑だって言ったから、俺は……それじゃ駄目だと」
愕然とした。
まさかそんなに重く捉えていたなんて。
(こんな……に、か……)
誰かにならないと抑えきれないほどの感情が、自分に向けられているなんて。
我を通すよりも、押さえ込む方が重要になってしまうほどの想いなんて、慣れていない。恐らく、初めてそこまでの感情をもらった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-021-
その日左京は、普段立ち寄らない場所に佇んでいた。腕を組んで、所狭しと並べられたものを睨みつける。
(分からん)
そこは、コンビニのデザートコーナー。シュークリームやエクレア、プリンにヨーグルト、小さなケーキを陳列してある一角だ。
十座と話をするにあたって、ひとまず何で釣り上げたらいいのかと考えた結果、考えるまでもなくスイーツが浮かんできた。
内緒にしているようなのだが、十座はこういった甘いものが好きらしい。
他人の好物になど興味もない左京までもが知っているのだ、隠せていない気もしたが、今はそれを考えている場合ではない。
しかし、甘いものと一口に言っても、種類はいろいろある。
大きく分けても洋物か和物か。洋物なら、ケーキかそれともプリンか。和物なら、あんみつかどら焼きかまんじゅうか。
さすがにそこまでの好みはさっぱり分からない上に、こんなに種類があると目移りしてしまう。
もし嫌いなものだったら、釣られてくれないだろうし……と考えると、躊躇してしまうのだ。
ヤクザがそんな風に、コンビニスイーツの前で何分も考え込んでいる光景など、滑稽以外の何物でもない。
気まずいわ恥ずかしいわで、居心地が悪い。早いところ決めてしまいたいと、左京はため息ひとつ。
もういい、と商品をふたつ、手に取った。それはハズレのなさそうなエクレアと、見た目で選んでしまった小さなあんみつ。
俺の買ってやったもんを、食えねぇとは言わせねえとばかりに、八つ当たりのような思いでレジへと向かった。奇しくもあんみつは十座の好物なのだが、左京はそれを知る由もない。
「しかしこんなもんで釣れるか……?」
自分だったら、絶対にふざけんなと突っぱねるところだと、コンビニの袋を掲げてみせる。
ついでに買ってしまった、小さなカクテルの蓋を開け、匂いと子供だましのアルコールを楽しんだ。
飲まなきゃやってられんとは思うが、今からバーに入っていては帰りが遅くなってしまう。それでは本末転倒だ。カクテルの色を楽しめないのは残念だが、それはまたの機会にしようと、足を踏み出した。
そうして寮の玄関を開ければ、どこかへ出掛けようとしていたのか、東に出くわす。
「あ、左京くんやっと帰ってきた」
「あァ? なんだ、どこか出掛けるところか?」
「きみを迎えに」
「面白い冗談だな」
「九割本気だよ。そろそろ帰ってきてくれないと困るなって思ってたからね。あのね左京くん、LIMEはちゃんと見てね? 既読付かないから、きみの方にも何かあったのかと思った」
「は? ……ああ、悪い、全然見てなかった」
言われてみて、左京は携帯端末を取り出す。LIMEメッセージ十五件、と表示されていて、顔が引きつった。
特にこういったツールを駆使する方でもない左京に、東が何をわざわざ、と不審に思うが、
「……なに……?」
「十座が大変なんだ」
表示されたメッセージと東の言葉が、左京の体を硬直させた。
「あっ、左京さんお帰りなさい」
「伏見、どういうことだ」
メッセージを確認する前に、リビングの方から臣が顔を出す。何があったのだと、左京は足早に廊下を歩いた。
「また摂津と何かやらかし……いや、それはねぇか。GOD座が何かしかけてきたか」
「や、そうじゃなくて、十座が十座じゃないっていうか……」
「あァ?」
臣は左京を出迎えた廊下で、リビングの方をしきりに気にしている。リビングに十座がいるのであろうことは察せて、まさか怪我でもしたのかと、臣を押しのけてリビングに足を踏み入れた。
ソファの上に、十座の姿。特に包帯も絆創膏も見えなかった。松葉杖も見当たらなくて、怪我といった方向の「大変」ではなさそうだった。
「なんだ……驚かすな……」
「あれ、十座じゃないんですよ」
「何を言って」
左京はふと気がつく。十座の目の前、テーブルにバラした拳銃があることに。
もちろんモデルガンだが、相当精巧な造りで、組み立てから楽しむというものだった気がする。旗揚げ公演以降ずっと置いてあるものだ。
十座の手が、それを組み立てるために動く。
「ここ二時間くらい、ずっとあんななんだよね、十座。話しかけても返事してくれなくて、機嫌でも悪いのかと思ってたけど、なんかそういうレベルじゃない感じ」
「俺もさっき声かけたら、何か用かって返されました。その時すごく既視感があったんですよね。……舞台の上で感じた視線と同じだなって」
「……ランスキーってことか」
たぶん、と臣が頷く。
確かにランスキーならば、臣が演じていたデューイに良い印象は持っていないだろう。口調がキツくなってしまうのも頷ける。
そして、あの銃の扱い方。
演目の中で、銃を組み立てるシーンがあるわけではないが、稽古中に万里が、面白がって組み立てていたことは覚えている。
「メシとかは普通に食ってくれたんすけどね……監督のカレー。でも……」
「でも?」
「デザート、食ってくれなくて」
臣が肩を竦めて苦笑する。
「正直、それがなきゃおかしいとは思わなかったっていうか、情けないんですけど。それ以外は普通なんで……」
「ボクも、取り寄せの水まんじゅう一緒に食べようと思ってたんだけどね……あの調子だし」
「……劇団のメンバーに迷惑はかけてねーのか? 役の上ではマフィアだぞ。その、……暴力を振るったりとかは」
左京は、銃を組み立てるランスキーを眺めながら、東や臣に訊ねる。十座の元々の資質に加えて、ランスキーの思想が入り込んだ状態では、コトが起きたらそう簡単に止められないだろう。
「ああ、それは心配しなくていいよ。幸と椋は今ボクの部屋で塗り絵してるし、天馬やカズ、あと万里は、一緒に出掛けてるし。春組はレッスン室。三角は……さんかく探しかな。冬組はそれぞれ自室か外でトレーニング、紬はバイト。十座と接してるのは、ボクたちだけだよ。カントクもね、GOD座のことで悩んでて部屋にいるみたいだし」
「そうか……それならいい。アイツらに何かあったら、申し訳が立たねぇからな……」
左京は眉を寄せて、口唇を引き結ぶ。
あの現象の引き金を引いたのは、もしかして自分かもしれないと。
(朝から、ずっとだ)
自分の気持ちは迷惑かと訊ねてきた十座に、本音として迷惑だと答えた。
その後だ、十座が左京のことを「ボス」と呼んできたのは。
それからずっと、ランスキーが抜けていない。朝レッスン室で東と鉢合わせた時、彼自身も十座の様子がおかしいと言っていたことを思い出す。
(自惚れかもしれねぇが、俺が……あんなことを言ったからなのか、兵頭)
演じてるお前のことは信じてる、と、そう言った記憶がある。
それを素直に真に受けて、「古市左京に惚れていない男」を演じるつもりなのだとしたら、それはやはり左京が引き金を引いたことになる。
左京はひとつ短いため息をついて、足を踏み出した。
「左京くん」
「左京さん?」
「どうにか戻してくる。口出すんじゃねぇぞ。もちろん手もだ」
十座へと向かっていく左京に声をかけた二人に、左京は短くそう告げ、眉間に指先を当てて意識を集中した。
役へ、入り込むための。
『ランスキー』
声のトーンを少し落とし、ランスキーへと声をかける。ランスキーはその声に反応して、ひょいと顔を上げた。鋭い瞳を隠しもせずに。
「帰ってたんですか、ボス」
『銃の手入れか、精が出るな』
「ああ……俺にはコイツしかねぇからな」
『フン、それにしちゃあ乱暴な扱い方だ。愛用のもんならもっと大事にしてやれ。銃は女と一緒で、ひどく繊細なんだ』
「ふん? ルチアーノみたいなことを言うんだな。銃が喋るわけでもねぇのに。で、なんですか。そんなこと言うために俺に声かけたわけじゃないだろ、ボス」
『――仕事だ、来い』
指先で招く仕草を入れる。ランスキーはそれを見て、口の端を上げた。金になるもんなら、なんでもいいとばかりにだ。
「十秒待ってくれ、コイツを終わらせる」
『長い。七秒だ』
「変わらないだろう」
『俺に口答えとは良い度胸だな、ランスキー』
「……終わった。で、どんな仕事なんですか」
『五秒じゃねーか。……ここではまずい』
そう言って、カポネはクイと顎をリビングの外へやり、出ろと示す。ランスキーは立ち上がり、カポネの後についてリビングを出ていった。
そんな二人の背中を黙って見送り終えてから、東と臣はゆっくりと息を吐く。
「左京くんて、いつもあんな感じ?」
「ええ、まあ、あの演技でいつも引っ張ってってもらうんですよ。今日はまた一段と気迫がすごいですけど」
「ふうん……芝居バカだね」
冬組にも芝居バカはいるけど、と東は笑う。
「ねえ臣、食べる? ボク一人じゃこれ、余っちゃうし」
そう言って、取り寄せした甘味を指さす。臣はそれを見て一瞬頷きそうになったけれど、やめておいた。
「いえ、十座にやってください。左京さんが戻してくれるでしょうし」
「そう……そうだね。大人しく待っておこうか。じゃあボクは、小さな王子さまたちのところに戻るよ。なんなら臣も一緒に塗り絵するかい?」
「塗り絵ですか……チビの頃にしかやったことないんで……そうですね、邪魔でなければ」
歓迎するよ、と東と臣もリビングを出て行く。十座のことが気にかかるせいか、足取りはどうしてもそわそわしがちだったけれど。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-020-
「あ」
そうして仕度を終えてきてみれば、近くをランニングし終えて帰ってきた十座と、鉢合わせてしまう。
謝るなら今のうちかと口を開きかけたが、後ろには迫田が控えている。あまり聞かれたい話ではないなと、十座の横を通りすぎる際にひとこと。
「き、昨日は悪かったな」
小さく、それだけ。
「昨日……?」
十座がそれに振り向いてくる。何もなかったことにしたいのかと瞬時に感じて、眉を寄せた。
「ああ……俺が仕留め損ねたって思ってたヤツですか。殴られたところはまだ痛いが、別に気にしてない。ボス、護衛は?」
(え?)
でかけるんだろ、と十座の声。左京は目を瞠って振り返った。
(兵頭じゃ、ねぇ)
誰も信じていないようなその瞳、自嘲するような口許、そして何よりその言葉。
ずしりと、胃の辺りが重くなったのを感じた。
「……いらねぇ」
「気をつけて」
十座は――いや、ランスキーはそれだけ言ってリビングへと向かっていってしまう。左京はその背中を全力で睨みつけて、踵を返した。
「は~、さすがっすね、エチュードってヤツでしたっけ? 今一瞬、アニキがアニキじゃなかったッス」
「……演じてたつもりはねえがな……」
「旗揚げ公演のは、ハマり役だったってことっすかね! あっ、アニキ早く行かないと!」
迫田が玄関のドアを開けて、左京を急かす。仕事は仕事だ、行かなければいけない。気分が重い。足が重い。
(あの野郎、ずっとランスキーで通すつもりだってのかよ……!)
十座が、ランスキーになりきって返してきているのは一目瞭然で、その理由が分からないわけでもない。「兵頭十座」では対処しきれないのだろう。
気まずくて何もできなくなる不器用さを、恐らく自覚しているのだ。こっちだって悪いと思っているのに、謝る機会を与えてくれない。
芝居に打ち込むのが、演じるのが好きだからという理由なら大歓迎だ、応援だってしてやりたい。
だけど今の十座は、とてもそうは思えない。
いや、芝居をすること自体が好きなのは分かるのだが、稽古でない時にさえ役に入り込むというのは、逃げだ。
まっすぐぶつかる度胸もないのか、と迫田が運転する車の後部座席で、不機嫌そうに眉を寄せた。
「アニキ、チョーシでも悪いっすか? なんか今日、やけに静かっすね?」
「あァ?」
「いや、何でもないっす! なんか、ちょっと、元気……ないかなって思っただけで!」
「別に……昨日あまり眠れなかっただけだ。気にすんな」
「あー、じゃあ着くまで寝ててくだせぇアニキ! 俺静かにしてるんで!」
迫田はそう言うが、眠れるとは思えない。
時間的な問題でも、音の問題でもない。
目を閉じると、どうしても昨日のことを思い出してしまうのだ。大人げなくぶちまけてしまった不満。十座をガキと言いつつ、こちらの方こそ子供みたいなことをしてしまった失態。
こんな、劇団内での色恋沙汰を考えている場合ではないというのに。
「迫田、そういえばGOD座に関して何か分かったか?」
左京は、迫田に頼んでいた調べ物の結果を確認する。
「あっ、すいやせん、まだ……。公演日程とか今までの舞台の感想は、いっぱい転がってんすけどね。ムカつくほどにベタ褒めの。カンパニーに何か恨みでもあるんじゃないかってのは、全然……」
「そうか。悪いな、個人的なもんまで頼んじまって」
GOD座の理不尽な絡みは、絶対に何かあると踏んでいるのだが、なかなかに難しい。団員個人が恨みを買っているのではないようなのが、また面倒くさい。
個人的に何かあったというのなら、職権でもなんでも濫用して潰してやるものを、とさえ思っている。
職業的にいちばん恨みを買いやすいのは、いわずもがな左京だが、あの劇団に関わった覚えはない。商魂たくましいとは思うが、別に組の不利益につながるわけでなし、銀泉会としては関係がない。
あとは、監督である立花いづみ。
彼女に個人的な感情があるのだとしたら、どうしたらいいのか。好意の裏返しだとしてもタチが悪い。印象には確かに残るだろうが、心証が悪いどころではないだろう。好意からくるものであれば、なんて馬鹿なことをしたんだと笑ってやろう。
(まあ、そりゃ……俺にも言えるか……)
いづみとの出逢い――というか、再会は、最悪なものだった。カンパニーのシアターを、取り壊そうとしていたところだったのだから。
今となってはそんなことできやしないし、あれでも精一杯、取り壊しを延期させたのだ。返済を待ってもらっているのも、考えてみれば危ない綱渡りだ。
(俺がここまでしてんだぞ、それをGOD座のヤツら、ぽんぽんと簡単に壊そうとしやがって……!)
しかけられたタイマンACTは、負けた時のリスクが大きすぎる。
MANKAIカンパニーの解散なんて、できるわけもないのに。
せっかく冬組まで集まったのだ。春組から冬組まで、誰もが負けず劣らずの個性を持った、真似しようとしてもできない劇団になり得る。
それを、好意だか悪意だか知らないが、そんなもので壊させてたまるかと、左京は膝の横で拳を握る。
(芝居がしてぇんだ、俺は……。こんな職に就いちまった俺が、唯一……たったひとつだけ、他人に誇れる力だろう)
自分以外の誰かになって、これまで出せなかった自分の中のすべてを解放したい。
それには、今のカンパニーのメンバーが必要不可欠だ。
総監督であるいづみはもちろんのこと、リーダーである摂津万里、あの元気さで場を盛り上げてくれる元スパイの七尾太一、なだめ役である伏見臣、そして――目を瞠るほどの情熱で周りを引き込んでいく兵頭十座。
(アイツは、役者にとって大事なもん備えてるってこと、気づいてねぇんだろうな。技術ももちろん大事だが、結局ひとを動かすのは思いの力強さだ。摂津だって、お前のポートレイトで戻ってきたんだろうに……)
十座の情熱は、見ていて気持ちが良い。あの強面の奥に隠されていた情熱に気がついた者は、どんどん引き込まれていくだろう。
万里とは別の、華がある。
それをすべて芝居に注がれたら、技術が追いついたら、秋組はもっと良くなる――そう確信していた。
(どこでどう間違って、俺なんかに惚れちまったんだろうな)
窓の外を流れる景色を、見るともなしに眺めながら、左京は小さく息を吐く。
応えられるものなら、応えてやりたいけれど、無理だ。
まともな恋愛とはほど遠い職業ではあるが、ベッドをともにするなら女の方がいい。ドライな関係を望む女がいれば夜の相手だってするし、金銭的な援助以外ならできる範囲でやってきた。
だけど、十座のはそういった関係を望むものではない。
優しくされることに慣れてないよね、と東が言ったように、そんなものに触れたことなどない。家族は別として、だ。
組長とのつなぎが欲しかったり、肉体的な快楽を求めていたりと、必ずどこかに打算があって、見返りを何も求めない優しさなんて、知らない。恋情なんてもっとない。
怖がられることにも、嫌われることにも、慣れていた。 だけど、好かれることには、少しも慣れていないのだ。相手が、何を、どこまで望んでいるのか、分からない。
(俺の初恋らしきもんじゃ、参考にもならねぇしな。今でも、アイツが大事じゃないわけじゃない。だが、今さらどうこうなりてぇとは思ってねーしな……)
左京の初恋らしきものの相手は、いづみだ。幼い頃の淡い恋心。
この歳になって再会したのは本当に驚いたが、彼女に何かを望むことはない。強いて言えば、変な男にだけは引っかかってくれるなと祈るばかりだ。
年下だろうが年上だろうが、カレー好きの相手と幸福になってほしいとは思っている。
冷静な気持ちで結婚式に参列できるとは思えないが、そういう道を選んだのは自分の責任である。
(訊いてみた方がすっきりするか……? いや、もちろん受け入れられるわけじゃねえんだが、許容できる範囲なら、別に……いいかと……)
例えば想っているだけだとか、見ているだけだとか、そういう範囲なら、別に拒絶するつもりはない。
突然でびっくりしただけで、そういう想いが止められないのは理解している。恋情には劣情が伴うもので、事実、キスもされてしまったし、抱きたいとも言われている。さすがにそれは許容できないが、心は押さえつけられない。
(まさか、ヤローだらけの劇団で、監督さん以外の身を案じることになるとはな。そういうのには、いちばん縁遠いと思っていた兵頭相手に)
キッとブレーキが踏まれて車が停車する。組の事務所に着いたのかと、いつもより速く感じる時間にハッと我に返り、迫田が開けてくれたドアから外に出た。
ともかく、十座と話をする機会を作らねばと、重かった気分を少しだけ浮上させて。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-019-
そうしてダイニングに向かえば、朝食を作ってくれている臣に出くわした。これはこれで気まずくて、失敗したと左京は頭を抱える。こんなことなら、自室にこもっていた方がマシだ。
「左京さん、おはようございます。早いっすね」
目玉焼きとスクランブルエッグ、どちらがいいですかと訊ねられ、目玉焼きをターンオーバーでと返す。
「了解です。自主練してたんですか? 十座もさっき、外に出ていきましたけど……ランニングかな。あんまり無茶しないといいけど」
テーブルに置かれていた新聞を広げ、左京は読むともなしに紙面を眺める。内容なんか当然頭に入ってこなくて、臣の声がやけに鮮明に耳に残った。
「おはようって声かけたんですけどね。気まずそうに目ぇ逸らしてったの、ちょっとしんどいなあ」
「……何が言いてぇんだ」
「早く仲直りしてくださいねってことですよ。俺、昨日のことは左京さんを殴りたいですし。いつも万里と十座の喧嘩を止める左京さんが、火種になっちゃダメですよ」
やはり出てくる話題はそれしかなくて、秋組の連中は本当に、遠慮という言葉を知らないのではと思ってしまう。
気を遣って話題に触れないようにするなんてことは、この連中にはできないらしい。
「……昨日のことは悪いと思ってるさ。俺も大人げなかったしな。けど急にあんなこと言われたら、誰だってああなんだろ……」
「ハハ、そりゃ、俺だって実際そうなったら混乱するし、いつもの自分じゃいられなくなると思いますよ。はい、目玉焼き。左京さんは醤油派でしたっけ?」
同意と、綺麗に焼いた目玉焼きの皿をよこされる。並べられたご飯とみそ汁、サラダと煮物の小鉢。
しょうゆさしを差し出されて、左京は新聞を閉じてああと頷いた。
「アイツには稽古中に私情は挟むなって言っておいたし、お前や七尾、もちろん摂津にも、あの件で迷惑をかけることはもうないと思う。俺はアイツを受け入れられねぇし、お互いどうにか昇華するしかねぇんだよ」
「時間はかかりそうですけどね……十座のヤツ、たぶん初恋でしょう? いつも一緒に稽古する相手ってのは、相当我慢しないと、忘れられない」
「初恋、ねぇ……ハハ、憐れなもんだよな。まさか初めての恋の相手が俺だなんてよ。もう少しまともなヤツにしとけばいいのに」
左京は、白いご飯を丁寧に口許へ運びながら苦笑する。
早いところ忘れて、次の恋をしてほしい。
恋も、恋をなくすことも、きっと十座の演技に艶を加えて、磨いていってくれるに違いないのだ。
そうやって成長した十座と、同じ舞台に立ちたい。
恋心さえ除けば、左京にとっても十座は大事なメンバーなのだ。そんなこと、絶対に言いたくないけれど。
「左京さんは今日も仕事ですか?」
「ああ……メシの時間には帰ってこられると思うが」
団員のスケジュールを把握し、自分の手が空いていれば食事を作ってくれる臣は、組どころか劇団全体にとってなくてはならない存在だ。まさか三百六十五日、ずっとカレーを食べているわけにもいかないだろう。
「いつも悪いな伏見。無理のない範囲でいいんだぞ」
「え? ああ、はい、分かってますよ。俺の場合料理することも息抜きなんで、楽しんでますけどね。特に、菓子を作ると十座が喜んでくれるし。あの無愛想な顔とあのガタイでそわそわしてんの見ると、ほんと和みますよ」
そういうもんかね、と左京はみそ汁の器を置き、仕事にでかける準備をしようと、食べ終わった食器をシンクへと運ぶ。
ちょうどその時、ア~ニキ~と迫田が顔を出した。朝からうるせえ、と左京は迫田を怒鳴りつけ、臣は肩を震わせて笑う。
「迫田さんも、ご飯どうですか」
「いやっ、自分はは食ってきたんで! あざっす!」
「そいつをもてなす必要なんざねえ、放っておけ伏見。迫田、おとなしく待ってろ」
「アイアイサー!」
言った傍からうるせえぞ、と左京の方こそ声が大きい。臣は迫田にコーヒーを入れてやり、忠犬が飼い主を待つような様子を微笑ましく眺めるのだった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-018-
「……」
やはり自分とふたりでは、やりづらいのだろうなと、少し口唇を噛む。
昨日、芝居に集中しろと怒鳴ったせいなのか、迷惑だとさっき言ったせいなのか、兵頭十座からの視線は感じなかった。「役」として接してくるだけだ。
それを望んでいたはずなのに、十座が役に入り込めば入り込むほど、怖くなる。
「左京くん、十座と何かあった?」
十座の出ていったドアをじっと見つめていたせいか、東を不審がらせたようだ。まさか言えるわけもなく、左京はふるふると首を横に振った。
「いや、別に」
「……そう。てっきり愛の告白でもされたのかと思ったのにな」
そんな左京に、東のつまらなそうな声。
「なっ……、あ」
左京は思わず勢いよく振り向いてしまってから、しまったと思った。これでは肯定しているようではないか。
「くそっ……」
「ああ、やっぱりそうなの。そんなことで動揺するなんて、かわいいな、左京くん」
「そんなことってお前……って、頭を撫でるな、ガキじゃねぇんだぞ」
東はふふふと笑いながら、何でもないようにぽんぽんと頭を撫でてくる。
彼にとって、同性から告白されるのは大したことではないのだろうか。
そうなのだろうなと、彼の容姿をじっと眺めて思う。中性的な顔と肢体、優しげな声は、男女ともに惑わされやすいだろう。
「……アイツから聞いたのか? その……俺を、……ってこと」
「聞かなくても分かるよ、十座はきみのことばかり見ていたじゃない。……左京くん? もしかして、全然気がつかなかったの?」
ぐ、と言葉につまる。
十座の気持ちなんて、気づくどころか最初は信じることさえしなかった。東が気づいていたということは、そんなにあからさまだったのだろうか。
いや、しかし昨日の秋組メンツの驚きぶりを見るに、誰ひとりとして気づいていなかったはずだ。
「そ、そもそも選択肢にねぇだろ。男だぞ、アイツも俺も。しかもあんなガキが」
最初から対象外なのだ、恋情を含んだ視線なんて気づくはずもない。責められる謂われはないはずだ。
「左京くん、あの年頃の子って成長早いよ? あっという間に大人になっちゃうんだから」
「ハ、それならそれで、他のことにも目を向けられるようになんだろ。こんな……一回りも違うヤローなんて好きになってねーで、いい女探せばいい。幸い、立ち直りは早ぇみてーだしな」
昨日あんなことがあったのに、と左京は付け加える。それを聞き逃さなかった東は、あんなこと? と首を傾げてくる。そこで初めて、しまったと思う。
「そんなにひどい振り方したの?」
「いや、あの」
振り方と言ってしまっていいのだろうか。明確に拒絶はしたつもりだけれども、必要以上だったかもしれない。
いくら怒りが先立っていたとはいえ、当事者ではないメンバーの前での派手な拒絶は、余計だったと今なら思う。
万里が殴りかかってくるのも無理はない。犬猿の仲である十座に関わる事項で、万里があそこまで怒るとは思わなかったが、あの二人には、あの二人にしか分からない絆のようなものがあるのだろうか。
「あぁ……それはまた、こっぴどく振ったもんだね。十座は、健気だなあ……」
昨日のできごとをにおわせてしまった以上、黙っているのも居心地が悪くて、左京は飾らずに十座との間にあったことを話してみた。言葉にしてみて改めて、ひどいことをしたものだと思う。
「健気って、なんでだ」
「あの子、多分きみを一言も責めなかったでしょ。左京くんを困らせたくないから、無理して普段どおりにしてるんだと思うよ。だってさっきの十座、少し様子がおかしかった」
壁にもたれ、東はゆっくりと口にする。まるで見ていたかのように言い当てられて、左京は言葉を失った。
確かに、十座からは好意と、懇願と、謝罪しか出てこなかった。
好きだ、信じてほしい、すんません、それだけ。
どうして今ここで、という視線は感じたけれど、音として責めることはしなかった。
困らせたくないというならば、最初から言わなければいい。そんな野暮な答えは返せない。
好きで、好きで、どうしようもないのが、恋だ。
あふれて、しまいこめなくて、抑え切れなくなるのが、恋だ。
「おかしかったって、そんなこと分かるのか、お前に。兵頭の何を知ってるってんだ?」
「左京くん、それヤキモチ」
「違う。お前は俺にどうしろってんだよ。まさか兵頭を受け入れろってんじゃねぇだろうな? 俺は根っからのノーマルなんだよ、お前はどうだか知らねーがな」
左京くん、と諫めるような東の声。左京は口をつぐみ、俯いた。人を傷つけることには慣れている。怖がられることも、嫌われることも。だけどそれは、今必要なことではない。
「……悪い。こんなこと、言うつもりはなかった」
「いいよ、怒ってない。ボクはね、自分の容姿がそういう風に見られるのは理解してるつもりだよ。磨いてるしね。実際、男性にもそういう意味で声をかけられたことはあるし、昔のお客さんの中にも、たくさんいるんだ」
東は、元添い寝屋だ。客の隣に寄り添い、話をしたり話を聞いたり。いかがわしい行為をするものではないが、カタギだと言っていいものかどうか。
そんな経験上なのか、東の人を見る術には舌を巻くものがあった。うっかり気を抜けば、すべて見透かされてしまうだろう。
「さすがに男性とセックスはしたことないけど、みんなとても優しかったよ」
昔を懐かしむように目を伏せ、東は笑う。
「左京くんは、他人に優しくされることに、少しも慣れてないよね」
ぱち、ぱち、と目を瞬く。東の言いたいことが分からずに、少しだけ眉を寄せた。
「ヤクザもんに優しくしてぇヤツなんざいねぇだろうが。怖がられてなんぼの商売だぞ」
「だからだよ左京くん。怖がられることも嫌われることも慣れてるのに、優しくされることに慣れてないから、すごく戸惑ってるのが分かるんだ。自分に向かってくる好意なんて、ないと思ってない?」
「――」
戸惑っているという東の言葉が、すとんと左京の中で腑に落ちた。
嫌悪感より先に、不信感が襲ってきたあの時。「そんなわけない」と頭から否定した、第一の理由。
恋心を抱かれるほど、できた人間ではない。
むしろ世間一般からは避けられる部類の肩書きを持っているのに、一時の気の迷いや焦りなんかで、惑わせないでほしい。
どうせいつか、しぼんでなくなってしまうに決まっているのだから。
「十座の気持ちを受け入れてって言ってるんじゃない。否定はしないであげてほしいんだよ。ねえ、きっとこのカンパニーの誰もが、きみのことを大事に思ってるんだから。好意なんてありえないなんて、そんな寂しいこと言うもんじゃないよ」
気を抜いたつもりはなかったのに、東の術中にまんまと落ちてしまった。
話を聞いて、なんでもないことのように受け入れて、その上で「お願い」をしてくる、綺麗な顔をした男。
彼にお願いをされて、悪い気はしないだろう。お願いなら仕方ないと思わせる柔らかな圧力がある。
「ボクだってね、左京くんのこと好きだよ?」
「お前のそれは恋じゃねぇだろ……」
「恋に変えてほしい?」
「ふざけんな、変えんじゃねぇ。そんなもん、アイツの戯れ言だけで十分だ」
左京はそう言って眼鏡のブリッジを押し上げ、視線を背けた。
素直に認められるような性格ではないし、気まずくて仕方がない。自分でも気がつかなかった事実を、見抜かれてしまって。他人をガキ呼ばわりしている場合ではない。
「ふふ、慣れてない分、強引にこられたら押し切られてしまいそうだよね、左京くんて。案外早くほだされるかもしれないよ」
「誰が! 俺はあんなガキ相手にするつもりは毛頭ねえからな!」
はいはい、と東は笑う。子供扱いされているようで腹が立つが、まさか殴りつけるわけにもいかない。
左京は、ため息ひとつで意識を切り替えた。演者として、切り替えの早さは必要になってくると、無理やり自分を納得させた。
「そんなことより雪白。あのことどうするつもりなんだ、冬組は。他人の色恋沙汰に、首突っ込んでる場合じゃねぇだろ」
「あのこと? ……ああ、タイマンACTのことかな。ボクみたいな素人がいて、太刀打ちできるものじゃないと思うけどね、紬が決めたことに従うつもりだよ」
またうまくかわしたものだねと、東の少し責めるような視線がよこされ、そして逸らされた。
結成して間もない冬組に、タイマンACTを申し込んできた劇団がいる。何が気に入らないのか知らないが、主宰はずいぶんと大人げないのだなと、知った時には呆れたものだ。
「ただ……紬がどうもね、丞とモメてるみたいで。タイマンACT以前の問題っていうか」
「入団当初から、何かギスギスしたものを感じるな。今の冬組が、GOD座に勝てるわけがない。雪白、こっちのことは気にしてないで、まず自分たちの組をどうにかしな」
遠回しに、これ以上余計な口を出すなと告げて、左京はレッスン室を後にする。東の傍にいたら、墓穴を掘ってしまいそうだ。
#シリーズ物 #ウェブ再録
/ /

しかし訊きたいのは、理解したいのはその部分だ。
ゴホ、とわざとらしく咳払いをして、口を開いた。
「お前、俺なんかのどこを好きになったんだ?」
十座の頬が、さっと染まる。好きという言葉を口にしながら、どこでそんな照れが発生するのか、左京にはどうにも分からない。
「ど、どこって言われてもな、そんなの……全部って、言うしかねえ」
「具体的に言、……言われても、なんか、困るが……きっかけ、とか、その、あるだろ、何か。理由もねぇのにそんなこと言われたって、こっちだって気まぐれだと思うだろうが」
「何度言ったら分かるんだ左京さん、気まぐれなんかで男好きになれるわけがない。抱きてえなんて思わねえだろ」
「……なら、いつからだ」
十座が今、本気で好いてくれているのはどうにか受け止めることができる。
だけどいつから、どこを、どうして、そんなに好いてくれているのかは分からない。好意に慣れていないせいか、読み取ることができないのだ。いっそ芝居の方が楽にできる。
「俺だってな、お前の相手をしてるほどヒマじゃねえんだよ。気になる女がいねえわけでもねえし、はっきり口にできねえもんに、いつまでも罪悪感なんか持っていたくないんだよ」
「ああ、監督のことか」
あんみつの蓋を開けながら、十座は寂しそうに口の端を上げる。左京は目を見開いて、そんな十座を振り向いた。
まさか言い当てられるとは思っていなくて、彼女に対して、そんなに分かりやすい態度を取っているのかと、顔を赤らめた。
「な、んで、知って」
「そんなもん、見てりゃ分かるだろ。アンタを目で追ってると、高確率で視界に監督が入ってくるんだ。アンタにとって、監督は特別な女なんだろうなってのは、分かるさ」
ずき、と胸が痛んだ。
思い返せば、彼女を目で追っていることが多かったかもしれない。恋情をほんのりと含んだ自分のそれを、目一杯恋情を含んだ十座の視線が包み込んでいたことに、少しも気がつかなかった。
「でも左京さんが、監督とどうこうなりてぇってのは諦めてんのかって思うと、嬉しいのと同時に、なんか、寂しい、っていうか……うまく言えねえけど、すんません」
俯く十座に、左京は苦笑する。その謝罪は、うまく表現できないことに対してなのか、左京の恋を応援できないことに対してなのか。
「なんていうかその……左京さんはずっと、好きな相手できても、抱きもしねぇで押し込めてくだけなのかって思ったら、悔しいっていうか……ヤクザって肩書き、ずっと背負って生きてくのかって」
「……兵頭……」
ガツンと、頭を殴られたような衝撃を感じる。
いづみにこの淡い恋心を打ち明けていないのは、十座の言う通り、ヤクザという業を惚れた相手に背負わせるつもりがないからだ。
初恋の女には、綺麗なままでいてほしい。だから、変な男に引っかかってくれるなと祈るのみだ。
それに、気づかれているなんて思っていなかった。
「左京さんはそういう風に人を好きになるのかって、心臓が痛ぇ。そう思った時には、アンタを好きなんだと気づいてた。多分きっかけとしちゃ、アンタの言葉がでけぇんだろうが」
「……俺の? 何か、言ったか……?」
「怖がられることに慣れてるなんて強がるなってヤツだ。アンタは覚えてねぇかもしれねえが」
え、と言葉を止めて、左京は記憶をたぐり寄せる。
いつだか、欧華高校の近くを通りかかった時、ひとり寂しそうに歩く十座を見かけて、声をかけたことがある。何度思い返しても、十座の言うそれはあの時のことしか思い浮かばないのだが、
「そんな、前から……?」
随分と前から、十座の心の中にいたらしいことに気がついた。
強がりが痛々しくて見ていられず、何の気なしに口にした言葉が、恋に変わるほどの魔法になっていたなんて。
「自分でも気づいてなかったことに気づかされて、最初は恥ずかしかったんだがな。でも……気が楽になってて、すげえなって思ったのが、たぶん、最初だ」
そういえば十座は、ことあるごとに「左京さんを怖いと思ったことはない」と告げてきていた。同じような思いを抱えていることに気づかれていたのかと、こちらの方こそ恥ずかしい。
「そ、そうなのか……」
「俺だって最初は、悩んだんだが……もう、仕方ないって思うようになった。アンタを好きな気持ちは、止まらない」
じ、とまっすぐに見つめてこられる。なんだか久し振りにまっすぐ正面からの視線を感じた気がして、気恥ずかしさに左京は眼鏡を押し上げた。
「左京さん、好きだ」
飾ることのない、いや、飾ることを知らない十座の、素のままの言葉。
芝居をするときと同じくらいの情熱で、十座は恋をしている。それが全部自分に向かってきているのかと思うと、こそばゆくて仕方がない。
「な、何をそんなに嬉しそうな顔してやがんだてめぇ。さっきも言ったが、想ってんのを許可したからってな、お前を受け入れるつもりはねえんだぞ。ガキの相手なんざしてられるか」
「分かってる。それでも、嬉しいのは仕方がない。言ったら駄目だって思って我慢してたもんを、言葉にできるってのは……楽なんだ。明日の稽古、絶対うまくできる。摂津のヤローにも、ぜってぇ負けねえ」
「……お前ら似たもの同士だな。本当は仲がいいんじゃねーのか」
「気色悪いこと言うな。誰があんな、……、……礼は、言わなきゃなんねえかもだが」
十座が途中で言葉を止め、視線を泳がせる。
あれだけ反発し合っている相手をして、礼を言わなければならない状態というのは、いったいどういうことだ。左京は首を傾げて訊ねてみた。
「摂津と何かあったのか?」
「いや、俺と同じような状況なんで、アイツのおかげで気が楽になった部分もあって」
「同じ……って、おい、まさかアイツもここの誰かに惚れてんのか」
あ、と十座が声を飲む。しまったというような表情をしたが、それは肯定にしかならない。左京は頭を抱えながらも、それであの急成長かと納得もしてしまう。
「誰だ、相手。いや誰にせよ、過ちがあったりしたら内部から崩壊しかねん。一応釘は刺しておきたい」
十座ばかりか、万里もメンバーに恋をしているなんて。監督を除けば男だらけのこの劇団で、恋愛禁止令など出す選択肢もなかったせいで、このザマだ。
同性同士でと野暮なことを言うつもりはないが、風紀が乱れたらどうするのだと、年長者の複雑な思いが左京にため息をつかせる。
「ありそうなとこで、茅ヶ崎か、皇か……いや、違うな。……ああ、月岡か……」
「分かるんすか」
「当たってんのか」
「あ」
「お前ちょっとは隠してやれ……」
「なんで摂津のは気づくのに、俺の気持ちには全然気づかなかったんだ、アンタ」
「気づくか馬鹿、慣れてねぇんだよ! その、こういう風に好かれんのは……なくて」
うっかり吐き出した事実に、十座がぱちぱちと目を瞬く。一回りも年上の自分が、恋愛に不慣れだなんてこと、口が裂けても言いたくなかったのに。
「慣れて、ねえんすか……」
「や、ヤクザもん相手に、本気で惚れるヤツもいねえだろうが」
「俺がいるだろ」
十座が、遮るように言葉を重ねてくる。迷いのないまっすぐな瞳と力強い声音は、左京の体を動けなくさせた。
指先が前髪に触れる。髪をかき分けるようにうごめいた指先は、ゆっくりと頬へ降り、視線が重なった。
それを断ち切るために目を閉じたのは、多分間違いだったと思う。
口唇と口唇が、また重なってしまった。
触れるか触れないかの距離で吐息を感じたものの、左京は目を閉じたまま。
前触れを連れてそっと触れた口唇は、前触れもなく離れていく。
「……忘れないでくれ、左京さん。俺の言う好きは、こういう好きだ。アンタが許したんだぜ」
指先が、たった今触れ合っていた口唇をなぞる。ニィと上げられる口角は、イタズラ好きの子供のようでもあり、恋を知った一人前の男のようにも見えた。
「なっ……ちょ、――調子に乗るんじゃねえぞ、このエロガキ! こんなことまで許可してねえ!」
そこでやっと我に返り拳を振り上げてみたものの、ひょいと難なくかわされてしまう。それがまた悔しくて、ぎりと歯を食いしばった。
「兵頭!」
「アンタにとって、キスなんか、なんでもないのかと思ってたけど、そうでもないんだな。さっき俺を俺に戻してくれたキスは、それなりに意味があったってことでいいんすか?」
「あるわけねえだろ! あれで戻るくらいは、お前にとって俺の存在がデカいってだけだ!」
「まあ、そうすね。あれで戻れなかったら、もったいないと思う。戻してくれて、あざっした、左京さん」
ぺこりと頭を下げて、十座は左京の部屋を出ていってしまう。楽しそうに、嬉しそうに。左京の手に今ものが握られていたら、確実に投げつけていただろう。
「あ……んのやろ……っ、ちょっと甘い顔すりゃこれだ……!」
左京はダンとテーブルを叩き、触れてしまった口唇を覆った。
最初のキスと違って、逃げる余裕はあったように思う。指先が髪に触れたその時点で身を引いていれば、十座は深追いしてこなかっただろうに。
頭を抱えて、くしゃりと髪をかき混ぜる。
キスなんてなんでもない、そうだそのはずだ、と左京は小さく呟く。
(か、飼い犬に噛まれたとでも思ってりゃいいんだよ、こんなことっ……!)
ケツの青いガキではないのだ、口唇が触れたくらいで騒ぎ立てることもない。
そう思っているのに、心臓が速い。
一度も二度も三度も変わらない。そのうち一度は自分からしかけたもので、十座だけを責めることもできないと分かっている。
引き金を引いてしまったのは自分だと、このとき改めて自覚してしまい、長く長くため息を吐いた。
好きだと言う気持ちは許容してやる、と言った時の嬉しそうな顔は、そう悪くもなかったななどと思いながら。
#シリーズ物 #ウェブ再録