- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.302, No.301, No.300, No.299, No.298, No.297, No.296[7件]
金色の曼珠沙華-018-
「……」
やはり自分とふたりでは、やりづらいのだろうなと、少し口唇を噛む。
昨日、芝居に集中しろと怒鳴ったせいなのか、迷惑だとさっき言ったせいなのか、兵頭十座からの視線は感じなかった。「役」として接してくるだけだ。
それを望んでいたはずなのに、十座が役に入り込めば入り込むほど、怖くなる。
「左京くん、十座と何かあった?」
十座の出ていったドアをじっと見つめていたせいか、東を不審がらせたようだ。まさか言えるわけもなく、左京はふるふると首を横に振った。
「いや、別に」
「……そう。てっきり愛の告白でもされたのかと思ったのにな」
そんな左京に、東のつまらなそうな声。
「なっ……、あ」
左京は思わず勢いよく振り向いてしまってから、しまったと思った。これでは肯定しているようではないか。
「くそっ……」
「ああ、やっぱりそうなの。そんなことで動揺するなんて、かわいいな、左京くん」
「そんなことってお前……って、頭を撫でるな、ガキじゃねぇんだぞ」
東はふふふと笑いながら、何でもないようにぽんぽんと頭を撫でてくる。
彼にとって、同性から告白されるのは大したことではないのだろうか。
そうなのだろうなと、彼の容姿をじっと眺めて思う。中性的な顔と肢体、優しげな声は、男女ともに惑わされやすいだろう。
「……アイツから聞いたのか? その……俺を、……ってこと」
「聞かなくても分かるよ、十座はきみのことばかり見ていたじゃない。……左京くん? もしかして、全然気がつかなかったの?」
ぐ、と言葉につまる。
十座の気持ちなんて、気づくどころか最初は信じることさえしなかった。東が気づいていたということは、そんなにあからさまだったのだろうか。
いや、しかし昨日の秋組メンツの驚きぶりを見るに、誰ひとりとして気づいていなかったはずだ。
「そ、そもそも選択肢にねぇだろ。男だぞ、アイツも俺も。しかもあんなガキが」
最初から対象外なのだ、恋情を含んだ視線なんて気づくはずもない。責められる謂われはないはずだ。
「左京くん、あの年頃の子って成長早いよ? あっという間に大人になっちゃうんだから」
「ハ、それならそれで、他のことにも目を向けられるようになんだろ。こんな……一回りも違うヤローなんて好きになってねーで、いい女探せばいい。幸い、立ち直りは早ぇみてーだしな」
昨日あんなことがあったのに、と左京は付け加える。それを聞き逃さなかった東は、あんなこと? と首を傾げてくる。そこで初めて、しまったと思う。
「そんなにひどい振り方したの?」
「いや、あの」
振り方と言ってしまっていいのだろうか。明確に拒絶はしたつもりだけれども、必要以上だったかもしれない。
いくら怒りが先立っていたとはいえ、当事者ではないメンバーの前での派手な拒絶は、余計だったと今なら思う。
万里が殴りかかってくるのも無理はない。犬猿の仲である十座に関わる事項で、万里があそこまで怒るとは思わなかったが、あの二人には、あの二人にしか分からない絆のようなものがあるのだろうか。
「あぁ……それはまた、こっぴどく振ったもんだね。十座は、健気だなあ……」
昨日のできごとをにおわせてしまった以上、黙っているのも居心地が悪くて、左京は飾らずに十座との間にあったことを話してみた。言葉にしてみて改めて、ひどいことをしたものだと思う。
「健気って、なんでだ」
「あの子、多分きみを一言も責めなかったでしょ。左京くんを困らせたくないから、無理して普段どおりにしてるんだと思うよ。だってさっきの十座、少し様子がおかしかった」
壁にもたれ、東はゆっくりと口にする。まるで見ていたかのように言い当てられて、左京は言葉を失った。
確かに、十座からは好意と、懇願と、謝罪しか出てこなかった。
好きだ、信じてほしい、すんません、それだけ。
どうして今ここで、という視線は感じたけれど、音として責めることはしなかった。
困らせたくないというならば、最初から言わなければいい。そんな野暮な答えは返せない。
好きで、好きで、どうしようもないのが、恋だ。
あふれて、しまいこめなくて、抑え切れなくなるのが、恋だ。
「おかしかったって、そんなこと分かるのか、お前に。兵頭の何を知ってるってんだ?」
「左京くん、それヤキモチ」
「違う。お前は俺にどうしろってんだよ。まさか兵頭を受け入れろってんじゃねぇだろうな? 俺は根っからのノーマルなんだよ、お前はどうだか知らねーがな」
左京くん、と諫めるような東の声。左京は口をつぐみ、俯いた。人を傷つけることには慣れている。怖がられることも、嫌われることも。だけどそれは、今必要なことではない。
「……悪い。こんなこと、言うつもりはなかった」
「いいよ、怒ってない。ボクはね、自分の容姿がそういう風に見られるのは理解してるつもりだよ。磨いてるしね。実際、男性にもそういう意味で声をかけられたことはあるし、昔のお客さんの中にも、たくさんいるんだ」
東は、元添い寝屋だ。客の隣に寄り添い、話をしたり話を聞いたり。いかがわしい行為をするものではないが、カタギだと言っていいものかどうか。
そんな経験上なのか、東の人を見る術には舌を巻くものがあった。うっかり気を抜けば、すべて見透かされてしまうだろう。
「さすがに男性とセックスはしたことないけど、みんなとても優しかったよ」
昔を懐かしむように目を伏せ、東は笑う。
「左京くんは、他人に優しくされることに、少しも慣れてないよね」
ぱち、ぱち、と目を瞬く。東の言いたいことが分からずに、少しだけ眉を寄せた。
「ヤクザもんに優しくしてぇヤツなんざいねぇだろうが。怖がられてなんぼの商売だぞ」
「だからだよ左京くん。怖がられることも嫌われることも慣れてるのに、優しくされることに慣れてないから、すごく戸惑ってるのが分かるんだ。自分に向かってくる好意なんて、ないと思ってない?」
「――」
戸惑っているという東の言葉が、すとんと左京の中で腑に落ちた。
嫌悪感より先に、不信感が襲ってきたあの時。「そんなわけない」と頭から否定した、第一の理由。
恋心を抱かれるほど、できた人間ではない。
むしろ世間一般からは避けられる部類の肩書きを持っているのに、一時の気の迷いや焦りなんかで、惑わせないでほしい。
どうせいつか、しぼんでなくなってしまうに決まっているのだから。
「十座の気持ちを受け入れてって言ってるんじゃない。否定はしないであげてほしいんだよ。ねえ、きっとこのカンパニーの誰もが、きみのことを大事に思ってるんだから。好意なんてありえないなんて、そんな寂しいこと言うもんじゃないよ」
気を抜いたつもりはなかったのに、東の術中にまんまと落ちてしまった。
話を聞いて、なんでもないことのように受け入れて、その上で「お願い」をしてくる、綺麗な顔をした男。
彼にお願いをされて、悪い気はしないだろう。お願いなら仕方ないと思わせる柔らかな圧力がある。
「ボクだってね、左京くんのこと好きだよ?」
「お前のそれは恋じゃねぇだろ……」
「恋に変えてほしい?」
「ふざけんな、変えんじゃねぇ。そんなもん、アイツの戯れ言だけで十分だ」
左京はそう言って眼鏡のブリッジを押し上げ、視線を背けた。
素直に認められるような性格ではないし、気まずくて仕方がない。自分でも気がつかなかった事実を、見抜かれてしまって。他人をガキ呼ばわりしている場合ではない。
「ふふ、慣れてない分、強引にこられたら押し切られてしまいそうだよね、左京くんて。案外早くほだされるかもしれないよ」
「誰が! 俺はあんなガキ相手にするつもりは毛頭ねえからな!」
はいはい、と東は笑う。子供扱いされているようで腹が立つが、まさか殴りつけるわけにもいかない。
左京は、ため息ひとつで意識を切り替えた。演者として、切り替えの早さは必要になってくると、無理やり自分を納得させた。
「そんなことより雪白。あのことどうするつもりなんだ、冬組は。他人の色恋沙汰に、首突っ込んでる場合じゃねぇだろ」
「あのこと? ……ああ、タイマンACTのことかな。ボクみたいな素人がいて、太刀打ちできるものじゃないと思うけどね、紬が決めたことに従うつもりだよ」
またうまくかわしたものだねと、東の少し責めるような視線がよこされ、そして逸らされた。
結成して間もない冬組に、タイマンACTを申し込んできた劇団がいる。何が気に入らないのか知らないが、主宰はずいぶんと大人げないのだなと、知った時には呆れたものだ。
「ただ……紬がどうもね、丞とモメてるみたいで。タイマンACT以前の問題っていうか」
「入団当初から、何かギスギスしたものを感じるな。今の冬組が、GOD座に勝てるわけがない。雪白、こっちのことは気にしてないで、まず自分たちの組をどうにかしな」
遠回しに、これ以上余計な口を出すなと告げて、左京はレッスン室を後にする。東の傍にいたら、墓穴を掘ってしまいそうだ。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-017-
馬鹿げた恋心を、芝居への情熱に変えてくれるなら、そちらには応えてやりたい。
左京は口の端を上げて、やろうとしていたルチアーノから、カポネへと意識を切り替え、ランスキーと二人きりで演じるシーンの台詞を吐き出した。
『お前にできるのか? ランスキー』
『情報を横流ししてるヤツがいるんだったら、俺が必ず見つけてみせる』
『ふ……ん?』
『情報が漏れれば、金が入ってこなくなる。見逃せねぇ』
眉間のしわを深くして、ランスキーは顔を背ける。組織の不利益につながるのなら、黙っていられないと。
カポネは背けられたその視線の先に回り込み、下からすくい上げるように覗き込んだ。
『てめーが裏切ってる可能性もあるな? 弟の手術に大金がいるんだったら、敵方に情報流して利益を得てる、ってのも考えられるだろ』
『ボス』
ネクタイの結び目を直してやる仕草を加え、カポネは鋭い眼光でランスキーを射抜いた。
お前じゃないだろうなという脅迫めいた声音は、下っ端の者なら震え上がっていただろう。
だがランスキーはルチアーノと並ぶ「ボスのお気に入り」だ。
結び目を直したその手首を取り、同じく強い力で睨み返してくる。
『俺を疑っているのか』
『俺が信じてんのは、金と、時間と、自分ひとりだけだ』
『……ボス……』
『ルチアーノを見張れ、ランスキー』
口にした名前に、ランスキーは目を瞠る。カポネの言いつけで、行動を共にするようになった男の名前だ。最初こそウマが合わなかったようだが、今では仕事を通して相棒と呼べる間柄になった相手。
『ルチアーノは違う!』
『なら、お前か? 証拠を持ってこい。ルチアーノでも、お前でもないって証拠をな』
漏れている情報は、幹部クラスのメンバーしか知らない物もある。
となると、犯人は限られてくるのだ。
ランスキーは顔を歪ませて、小さく呟いた。
『……悪魔の証明、だな』
『そう難しいことでもねぇだろう。裏切り者を俺の前に連れてこい、そう言ってるだけだ』
オトシマエはこちらでつけさせてもらう、とカポネは凶悪に口の端を上げてみせる。今回は、さすがのランスキーも背筋を震わせて絶句した。
それでも分かったと呟いて、カポネの私室を出ていく。 そうやってランスキーが踵を返した瞬間、左京の集中力が切れる。
「……っ」
ぐらりと歪む視界の不快さに耐えかねて、体をよろめかせた。
その肩を、ぐっと支える手のひらがある。兵頭十座のだと、思った。
『大丈夫か、ボス』
左京は目を瞠った。それは十座ではなく、ランスキーの手のひら。まだ芝居を続けていたのだ。
もちろん、脚本にこんなシーンはない。ランスキーが部屋を出ていって、一旦暗転のはずだ。だからこそ左京が、気を抜いてしまったというのに。
『ひどく疲れているようだな……まあ、組織に裏切り者がいるんだ、いつ寝首をかかれるか分からねぇし、安眠もできない、か』
カポネをしっかりと立たせ、ランスキーは苦笑する。組織を裏切っているのはランスキーなのだが、目的は金でしかない。カポネの命には興味がないのだ。そんな心配はするなとでも言いたげな笑みだ。
左京はぞわりと背筋を震わせた。
いつのまに、こんなにすんなりと役に入り込むようになったのだろう。
万里とのシーンはお互いの負けず嫌いも手伝って、演じているうちに、どんどん熱くなっていっているようだが、臣や太一とのシーン、左京とのシーンは、まだどこか遠慮がちで、引っ張っていかないと入り込めないようだったのに。
やはり兵頭十座の中で「芝居」の優先順位は高いらしいと、嬉しく思うのと同時に恐ろしい。
これではすぐに追いつかれてしまう。
若いということは、知らないということだ。
ただ、兵頭十座にはその「知らないこと」を素直に吸収する土台がある。教えれば、経験を積めば、そのまま自分の技量にしていくだろう。
羨ましい。
そう感じている自分に気がついて、カッと頬の熱を上げた。
経験も、技術も、まだ左京の方が上だ。それなのに、若い才能に嫉妬するなんて大人げないと。
どうにかカポネに戻って、アドリブで返してやろうと口を開いたその時、レッスン室のドアが開く。
「あれ、稽古のスケジュールを間違えたかな。おはよう十座、左京くん」
ひょいと顔を出したのは、冬組の雪白東だ。左京はハッと顔を上げて振り向いた。
「あ、いや、自主練で使ってただけだ。今朝は冬組だろ。すまねぇな雪白」
今朝のレッスン室利用は冬組が優先だ。もう稽古に起きてくる時間なのかと、左京は壁の時計を振り仰ぐ。ちょうどシーンも途切れたことだし、冬組の連中に譲らなければと、十座の傍から離れた。
ほうっと吐き出された呼吸の音を背中で聞いて、十座が左京を追い越し、東に会釈をしてレッスン室を出ていくのを見送った。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-016-
翌朝、十座は誰より早くレッスン室についたつもりだった。
「左京さん」
しかし、そこにはストレッチ中の左京の姿。
気まずいな、と思うより早く、顔が見られて嬉しいと思う。
「ああ……早ぇな」
「……っす。昨日、全然できなかったんで……」
自主練っすと続けると、左京がふいっと視線を背ける。
それに気がついて、やっぱり避けては通れない話題を、十座はあえて口にした。
「左京さん、あの……俺の気持ち、迷惑っすか」
左京が逃げられる距離で、左京に手が届いてしまわない距離で、十座は呟く。
いつもまっすぐ射抜いてくる左京の視線が、今日はやっぱり突き刺さってこない。それが、寂しかった。
「迷惑じゃないとでも思ってんのか。言っておくが、稽古に私情挟みやがったら、ただじゃおかねぇからな」
分かっていた答えだけれども、左京の声で、目の前で音にされると、心臓はこれ以上ないくらいに痛む。
ああ、と吐息のように諦めを吐き出して目蓋を伏せ、こくりと唾を飲み込んだ。
「オーケイ、ボス」
この恋を簡単に諦めることはできない。だけど左京を困らせたくない。兵頭十座のままでは、どうしてもあふれてくる気持ちを抑え込むことが難しい。
ランスキーは目蓋を持ち上げ、口許に笑みを浮かべてみせた。
朝早く目が覚めた。左京はベッドの上に起き上がり、大きなため息をつく。昨日あまり眠れなかったせいか、頭がひどく重く感じられた。
眠れなかった原因ははっきりと分かっていて、久しぶりに自己嫌悪に陥る。
(ガキ相手に……マジで怒ってどうすんだ……)
はあーともう一度息を吐き、ベッドを下りた。
昨日少しもまとめられなかったレシートが、机の上に乱雑に広げられている。几帳面な左京にしては、珍しいことだった。いつもならどんなに疲れていても、片付けくらいはするのにだ。
一昨日、恋らしきものを告白された。
らしきものというのは、とても本気だとは思えなかったからだ。いや、思いたくなかったからだ。
よりによって、一回りも年下の男からだなんて。
百歩譲って、一回り違うだけなら頭でも撫でて、なだめてやったものを、自分より背の高い男相手に、そんな心の余裕などできやしない。
気まぐれというより、焦りに思えてしょうがなかった。相手の男が――兵頭十座がライバルとしているであろう摂津万里が、どうも恋を知って演技の幅を広げたことが、十座の心を曇らせ、焦らせたのだろう。
置いていかれるわけにはいかない、誰でもいいから、と――そう思ったに違いない。
だから信じていなかった。あの泣きそうな顔を見るまでは。
突っぱねて突き飛ばして、レッスン室を出ていく直前、髪をぐしゃりとかき混ぜ歯を食いしばって、嗚咽を抑えているような十座を見てしまうまでは。
まさか、本気なのかと、そこで気がついたのだ。
もう少し真剣に聞いてやるべきだったか、と思うのと同時に、腹立たしかった。
わき上がってくる、どうしようもない怒りの正体を理解できずに、一昨日は眠れなかったのだ。
翌朝、廊下で鉢合わせた時も、気まずさといら立たしさで、いつもよりドスの利いた声になっていただろう。
怒りの正体に気がついたのは、昨日の夕方。
秋組のみんなで集まって稽古をするはずだったのだが、十座だけが、補習だとかで参加できないことが分かった時だ。
補習を投げ出していいわけがない。それが本当だったならば、だ。
だけど左京は、根拠なく、補習は嘘なのだろうと気がついてしまった。
廊下ですれ違った時の様子からして、避けたかったのだろう。
気まずい気持ちは分かる。左京自身、気まずくてしょうがなかった。
それでも、稽古は稽古だと割り切ろうとしていたのに。
十座は、避けたのだ。
今でも腹の底から怒りたい。許されることなら殴りつけてやりたい。自分を避けるために、補習なんて卑怯な言い訳をして、稽古を疎かにした十座を。
十座の、芝居にかける情熱は、大したものだと思っていた。
どんなに下手でもめげることなく、素直に指導を受け入れて、吸収していくあの素直な土壌は非常に好ましく、成長していく様を見ているのは、とても楽しかったのだ。
自分にできる限りで育てていこうと、そういう意味では好意を持っていた。
だけど十座の方は、好意の種類が違っていたのだと気がついた瞬間の、言い様のない焦燥感と怒り。
不器用だった、今でも不器用な自分に似ているせいか、同じ気持ちでいてほしかった。
芝居が最優先事項であってほしかった。
その想いを、裏切られたと思ってしまうのは、左京の身勝手だ。
十座は自分ではない。それは分かっているのに、気持ちが追いついていかない。
こっちは、芝居がいちばんなのだと思って接していたのに、違っていたことへの落胆と怒りを抑えきれず、昨日、あろうことか秋組のメンバーの前で、ぶつけてしまった。「補習」を受けて帰ってきた後に、再開させた稽古中、慣れたはずの旗揚げ公演の演目にさえ、集中できていないことが、どうしても我慢できなかったのだ。
自分の視線を気にして、役に入り込めていない弟子を、そのまま黙って見ていることはできなかった。
それは多分に、八つ当たりも入っていただろう。
悪いことをしたとは思っている。
どこまで本気で、どれだけ真剣なのかは分からないが、恋をあんな風にさらけ出され、盛大に拒絶されるなんて、自分だったら耐えきれない。相手を殴りつけてでも黙らせていただろう。
だけど十座はそれをしなかった。それどころか、殴りかかってきた万里の拳を止めたのだ。役者の顔をなんだと思ってるんだと。
そこでまた分からなくなった。
いったい、兵頭十座の中で「芝居」はどれほど重要な位置にあるのだろう。本気かどうかも分からない「恋」より、上なのか下なのか。人の顔の心配をするほどなのに、最優先にはできないのはどうしてなのだろう。
黒か、白か。
人というものは、そこまで単純にできてはいない。理屈では分かっているのに、感情として分からない。
「だいたい……恋愛なんか畑違いだってんだ……」
左京自身、まともな恋愛とやらをしたことがない。
その感情を知らないわけではないし、異性の肌だって知っている。気になる女性がいないわけでもない。
だけど、三十まで生きてきて、人生を上手く運べているかといえばノーだ。
そんな古市左京のどこに惹かれたのか、一度問いただしてみたいものだと、左京は短く息を吐く。
ひとまず昨日のことは謝らないといけないなと、レッスン室へと向かう。
晴れない気分は芝居で晴らしたい。自分以外の誰かになって、忘れてしまえばいい。こんな陰鬱で不愉快な気分は、さっさと吹き飛ばしてしまうに限る。
ストレッチを終えて、今日は「ルチアーノ」でもやってみようかと目を閉じて額に指先を当て、台詞をたぐり寄せた、その時。
「……左京、さん」
レッスン室のドアが開き、今いちばん逢いたくない、今いちばん逢わなければならない男が顔を出した。
驚いているあたり、左京がいると分かっていて来たわけではなさそうだ。
「ああ……早ぇな」
「……っす、昨日、全然できなかったんで……」
朝が強いタイプには見えないが、こうして朝早く自主練に出てくるあたり、やはり彼に取って芝居は優先順位が高いらしい。
それとも、左京と同じく、眠れなかったのだろうか。
左京は十座からふいと目を逸らし、気持ちを落ち着け、何かエチュードでもやるかと口を開きかけた時、それよりも早く十座の声が聞こえた。
「あの、左京さん。俺の気持ち……迷惑っすか」
目を瞠る。
まさか、あれだけ打ちのめされておきながら、自ら話題に出してくるとは思っていなかった。
エチュードが終わったら、どうにかして切り出そうと思っていたのだが、完全にペースが狂ってしまう。
十座は、左京がいつでも出ていけるようにとか、ドアの前を避け、左京にはどうやっても触れられない距離で、まっすぐに見つめてくる。
迷惑かと訊かれれば、それは間違いなく、迷惑だ。応えられるわけもなく、できればそんな感情は捨ててほしいとさえ思う。
「迷惑じゃないとでも思ってんのか。言っておくが、稽古に私情挟みやがったら、ただじゃおかねぇからな」
左京は心の底からの本音を、あえて口にした。ここで濁して、期待を持たせるようなことはできない。そんなものは、優しさでも何でもない。
十座もそれが分かっていたのか、落胆した様子は見られなかった。口許に諦めた笑みさえ浮かべて、短い吐息が聞こえた。
「オーケイ、ボス」
そうして目蓋を持ち上げた十座の声は、普段より少しトーンが低い。ボスと言ったところからも、「ランスキー」なのだと理解した。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-015-
太一とのやりとりで、少しだけ気分は上昇したものの、気まずいことには変わりない。特にルームメイトの摂津万里とは。
寝ていてくれないか、と願って開けた自室のドアの向こう、万里はまだ就寝していなかった。当然だ、寝るような時間帯ではない。
「……」
「……」
ベッドの上と、フロアとで、視線が重なる。
やっぱりどうにも気まずくて、十座は自分から視線を逸らした。
負けたような気分にはなったけれど、あんな醜態をさらした後では、幾ほども変わらないだろう。
「なあ兵頭、お前さ」
「うるせぇ黙れ」
はしごに足をかけたところで声をかけられるが、何も話すことなんかないと声を遮る。太一と違って、万里は恐らくストレートにあの時のことを訊いてくるはずだと、顔を背けベッドに上がった。
「左京さんのことマジなんだろ?」
「……うるせぇ黙れ、寝る」
案の定、気を遣うことも言葉を飾ることもせず、万里は言葉を重ねてきた。
真剣に恋をしているのは間違いないけれど、あまりこの男には、とやかく言われたくないのも本音である。
「怒るなよ。別に、からかおうってわけじゃねぇんだからよ。協力するつもりもねーけど」
「……あ?」
笑われると思っていたのに、想像とは違って万里の声は静かだった。
「ただ、お前が悩んでた気持ちは分かるつもりだから。そんだけ」
「…………は?」
「ヤケになるんじゃねーぞっつってんだよ」
笑うどころか、悩んでいた気持ちは分かるなんて言われてしまって、少々居心地が悪い。
理解できるということは、少なくとも体感として知っているのだろう。
人を好きだという気持ち。
好きになってはいけない相手を、好きになってしまった気持ち。
そこまで思って、十座はハッと気がつく。
「おい摂津、まさかてめぇも左京さんのこと――」
「なんでそーなるんだよ、ふざけんな!」
十座は慌てて起き上がり、続いて万里もがばりと体を起こした。どういう誤解だよと、万里は面倒そうに髪をかき混ぜる。誤解なのかと十座はホッとした。
ただでさえ面倒な相手に惚れてしまったのに、この上ルームメイトが恋敵なんてことになったら、目も当てられない。
「…………俺もおんなじような感じだっつってんだ。理解しろや、アホが」
「おんなじ……? てめーまさか、劇団内に……?」
さすがにこれは、予想できなかった展開だ。
好きな女でもできたのかと左京は言っていたが、まさか劇団内になんて。
しかもこの口振りでは、唯一女性である監督でもないようだ。
「誰だ……?」
「ハ、当ててみな」
十座は眉を寄せて考え込む。万里といちばん仲がいいのは、春組の茅ヶ崎至だ。深夜にまでゲームをするほどらしいし、その中で恋が芽生えても不思議ではない。
「……至さんか?」
「分かるけどちげぇ」
だが、どうも至ではないようだ。ならばよく一緒に買い物へ行っている天馬か、秋組の中でいちばん万里を慕っている太一か。そう思って名を出し訊ねてみたのだが、年下に興味はないと却下される。
かといって、年上で中性的なイメージのある東でもないと、先手を打たれた。てっきり添い寝された時に何かあったのかと思ったが、違うらしい。
しかしそうなると、対象が限られてくる。そうして十座は、ハッと思い出した。臣が、最近仲がいいらしくてと言っていた相手のことを。
「…………紬さんか?」
それは、冬組のリーダーでる月岡紬。
「やっと当たりな。てめーと好み合わなくて安心したぜ」
万里が笑う。分かってみれば納得してしまうけれど、それでも不思議だった。
一見して趣味も合わなそうな相手なのに、どこでどう何が間違って、そんなことになっているのだろうと。
それを言ってしまったら、十座の左京への想いも同じなのだが、万里の恋は上手くいっているのだろうか?
「つきあってんのか」
「いや、まだちゃんと告ってもねーよ。まさかてめーに先を越されるとは、思ってなかったけどな」
ちゃんと、というのはどういう状態だろう。好意があることをにおわせてはいる程度だろうか。
十座が稽古から逃げて、補習を受けていることになっていた時間帯、万里は紬とカフェに出かけ、彼氏に立候補してもいいかと訊ねている。紬にはそれをストリートACTだと思われ、本気にしてもらえなかったという経緯があるのだが、それは十座の知り得るところではない。
「なあ、なんつって告ったんだよ。あの人のこった、ストレートに言わねーと信じちゃくれねぇだろ」
万里は口の端を上げてはいるが、先ほど告げてきたように、からかおうと思ってのことではないようだ。
「……ストレートに言っても、信じちゃくれなかった。まあ、その気持ちは分かるけどな」
左京を好きになったことを、誰にも責められたくない。左京が信じてくれなかったことを、責めたくない。
「あー、だから実力行使ってか。下手打ったんじゃねーのか、それ」
「うるせえ黙れ、寝る」
言われなくても理解している。
キスなんてするつもりではなかったのだ。心証はよくないだろう。
それでも性懲りもなく、左京が好きだ。
十座はばさっと布団を被り直して、無理やり眠ってしまおうと万里の声を遮った。
数秒の沈黙があったけれど、天井を見つめたままの十座に、声がかけられる。
「なぁ」
「…………んだよ」
それは喧嘩の前でも後でもない声音で、万里にしては幼いトーンに聞こえた。
「諦めんの? 左京さんのこと」
十座はゆっくりと瞬く。疑問符をつけてはいても、それは祈りのようだ。諦めてほしくないという、奥底に眠った本音は、きっと万里自身の恋が叶っていないからだろう。
「……簡単に諦められるくらいなら、最初から言ったりしねぇ」
諦められる恋ならば、こんなに苦しくなったりしない。
いつか笑い話になったとしても、左京を好きだという気持ちに変わりはない。
いつか左京より好きな相手ができたとしても、この恋を忘れることはないだろう。
「初恋なんだ、どうやったら諦められるのかも分からねぇしな」
「……だよなあ、俺もそんな感じだわ」
万里の、ホッとした声が聞こえる。きっと万里自身は、十座の恋で安堵なんてしたくないのだろうが、伝わってきてしまって、十座は苦笑した。
まさか劇団一いけ好かない男が、唯一この想いを共有できる相手だなんて。こちらの方こそごめんだがなと声には出さずに思い、目蓋を落とし、そして開いた。
「摂津」
「……んだよ。寝んじゃねーの」
「少し……気が楽になった。こういう想い抱えてんのは俺だけじゃねえのかって、まだ左京さんのこと好きでいてもいいんだって思ったらな。……そんだけだ」
同性相手のこんな恋なんて、誰にも相談できないと思っていた。もちろん、万里相手に何かを相談しようとは思わないが、同じ想いを抱えている人間がいると知っているのと、そうでないのとは、大きな違いがある。
自分だけではないという安堵感は、妙な仲間意識を連れてきてしまった。
「てめーに礼言われるなんざ気色悪い」
「礼なんか言ってねぇ。耳悪いのかてめー」
「あァ?」
「んだコラ」
「やんのか」
「寝んじゃねーのかよ」
「てめーが突っ掛かってきてんだろうが!」
「寝かせろよ、昨日眠れなかったんだ……」
妙な仲間意識が生まれながらも、馴れ合うなんてとんでもない。最終的にはいつものやり取りになってしまって、お互いのため息で打ち切られる。
あんな風に恋をさらけ出された夜とは思えないほど、穏やかに、十座は眠りについていった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-014-
湯気の立つ浴場に足を踏み入れたのは、太一の方が先だった。
「あ、十座サン、石鹸取ってくださいッス~」
「ああ……ほら」
いつもと変わりない太一の様子に、ああさすがGOD座にいた役者だなと感じてしまう。何でもない演技をするのは、多分太一の優しさだろう。鼻歌まで歌って、ゴキゲンだ。場の雰囲気が暗くなってしまわないようにと思ってのことだろう。さすがは、秋組のムードメーカーだ。
泡立てたタオルで体を洗い、髪を洗い、湯船に向かえば、誰が持ち込んだのか黄色いひよこの玩具が、ふよふよ浮かんでいた。
「誰のなのか分かんないんッスよね~。むっちゃんあたりかなぁ~。あ、それとも冬組の誰か……」
つんつんとひよこをつつき、太一は笑う。そうした後で、表情を曇らせた。
「十座サン、そういえば一個訊きたいんッスけど」
びく、と体が硬直した。十座の視線が泳ぐ。
「GOD座って、なんでMANKAIカンパニーを目の敵にしてんだろ? 十座サン何か知ってるッスか?」
「あ?」
面食らってしまう。さっきの今で、太一が訊いてきそうなことなんて、ひとつしかないと思っていたのに。まさかそんなことだなんて。
太一にとって、他人が誰に恋をしていようと、それがたとえ同性相手だろうと、気に留めるほどのことではなかったのだろうか?
「お、俺が知ってるわけないだろうが。お前は……何も知らされなかったのか? あの時……」
太一は、GOD座が送り込んできた元スパイだ。
今回のタイマンACTでも分かるが、GOD座が突っかかってくるのは何か理由があるはずだ。だが太一はふるふると首を振った。
「舞台に立たせてやるって言われて、浮かれるのと同時に怖くなって、何でかなんて訊く余裕なかったッスよ~。まあ、訊いてもあの人が教えてくれるとは思えないッスけどね。でも、訊いておけばよかったなって今なら思う。そうしたら対策何か立てられたよね、カンパニーを守る方法。俺っちにとってここは、大事な場所ッスからね~」
あんなことをしでかしたのに、受け入れてくれた場所。そう呟く太一の横顔は、普段のどこか幼い様子を隠して、一人前の男に見えた。十座は湯船の中で指を組み、静かに口を開く。
「……怒らねーのか、太一は」
「え? 怒るって……十座サンをッスか? なんでっ?」
「あ、いや……お前の大事な場所で、その……変なモメごと起こしちまって」
「あー、あ、そ、それね、あ、うん、あの、や……ちょっと、びっくりは、したッスけど……」
太一の顔が、髪と同じく真っ赤に染まっていく。それを見てようやく、ああわざと考えないようにしていただけなんだな、と気がついて、臣のように気が遣えない自分に嫌気が差した。
「で、でもほらっ、仕方ないッスよ、左京にぃはカッコイイし、十座サンが好きになっちゃっても、なんていうか、分かるっていうか、あ、別に俺っちも左京にぃが好きとかじゃなくて」
「悪い……」
「変なモメごとって言うのやめようよ十座サン。恋ってのは、しようと思ってできるもんでもないんッスよ~。大事にしないと! く~、俺っちもいつか、可愛い女の子と運命的な恋に落ちたいッス!」
ぐ、と拳を握ったせいでしぶきが立つ。
左京への想いが運命的なものだとは思わないが、しようと思ってした恋でないのは確実だ。
「それに、臣クンも気にしてないと思うッス。ていうか、左京にぃにちょっと怒ってたし、万チャンだってあれ、十座サンのために殴りかかってったでしょ。変なことだと思ってたら、あんなことしないッスよ~」
万里が十座のためにというのは首を傾げるが、秋組のメンツは十座が心配しているほど、この恋をおかしなものだと思っているわけではないようだ。
稽古中や公演中に、左京への感情をむき出しにするつもりは毛頭ないが、それならひっそり想っている分には許されるだろうか。
「そうか……」
「そうそう、そうッスよ~、俺っち応援するッス」
「いや、それはやめてくれ太一」
身近で触れる「恋」に、本人以上に熱を上げそうな太一に、十座はストップをかけた。そうされた太一の方は、わけが分からずに首を傾げる。
応援されたくない恋なんて、あるのだろうか。
「あ、いや、応援してくれるってのは……こんな状況じゃありがたいんだが、俺の気が大きくなっちまう」
「えーと……調子に乗っちゃうかもってことッスか?」
「ああ、それは左京さんが困る。ただでさえ困らせて、あんなことまで言わせちまったのに。これ以上、俺の気持ち押しつけるわけにはいかねぇだろ」
十座は顔を背けて俯いた。金輪際ふざけたことを抜かすなとまで言われているのだ、信じてくれたにせよ、左京にとってこの想いが迷惑であることは明白だ。
これから先も一緒に芝居をするのに、こんな想いは邪魔にしかならない。応援なんてされてしまったら、押し込めて、しまいこんでおけなくなってしまう。
「で、でも、そんなの」
「太一、俺は今のままでいい。昨日は俺の気持ちを信じようとしなかった左京さんが、今日は信じてくれてた。それだけでいいんだ。すまねえな」
どうにも納得のいっていないような太一を、押さえつけるように続け、十座は口の端を上げた。
左京が信じてくれた、それだけでいい――そう思うのは嘘じゃない。もともと言うつもりのなかった想いだ、知られたか知られないままかの違いしかない。
「俺は、左京さんと……太一や臣さんと、……まあ、一応、摂津と、一緒に舞台に立てりゃあそれでいいんだよ」
「……十座サンはそういう風に恋をするんッスね……やっぱ男の中の男って感じッス!」
「何言ってんだ」
十座がそう言うのなら、と太一は先ほどまでの勢いを落としてくれ、浴槽の中ですとんと腰を下ろす。
初めての恋を、あんな形でさらけ出された後とは思えないほどに、十座の心の中は落ち着いていた。
それは太一が、臣が、万里が、この気持ちを拒絶しないでいてくれたことが大きいだろう。
誰一人として、軽蔑もせず受け止めてくれている。あの万里でさえだ。
( ――――本当にここは、食えないヤツらばっかりだ)
予想もしていなかった恋。予測できなかった享受。
当人なのに、どこか置いてけぼりになってしまった感覚を味わって、十座は冷えた体を湯船でたっぷりと温めた。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-013-
「おーい、何度目だぁ~?」
相手役である万里が、呆れ八割と怒り二割で振り向いてくる。こう何度も詰まってしまっていては、万里がそうするのも仕方がない。十座はぐしゃりと髪をかき混ぜて、小さく息を吐き出した。
「悪い摂津……もう一回頼む」
「…………ンだよ、気色悪い」
十座は素直に謝って、稽古の続行を促した。
万里とはケンカばかり繰り返してきたが、今回ばかりは自分に非があるだろう。補習だと嘘をついて稽古に出なかった挙げ句、こんな状態では稽古になっていない。
先ほど隅の方からも、十座サン調子悪そうッスね~、そうだなあ……なんて心配そうな声が聞こえてきた。
(集中しねぇと……)
臣や太一に気づかれているということは、当然左京なんかはとっくに気がついているのだろう、と気持ちを切り替えようとしたその時――。
「摂津、退いてろ!」
左京の怒鳴り声が耳に入った。それとほぼ同時に、隣にいた万里が左京の方を振り向く。
「はぁ? うわっ、なっ、おい!」
万里が声を上げるのと同じタイミングで飛び退く。
バシャリ。
十座は息を飲んだ。痛いと思う方が先で、冷たいと思ったのはそのすぐ後。
「……っ」
水だ、と認識したのは、髪からしたたり落ちる雫が冷たかったから。
受けた衝撃をやり過ごして目を開ければ、青ざめた顔の太一や、目を見開いて驚く臣、何が起きたのか把握しきれずに、呆気にとられながら見つめてくる万里。
そして、怒りを隠しもせずに睨みつけてくる左京が見えた。
ガゴンガゴンと、左京が放り投げたバケツが床にぶつかって、乱暴な音を立てる。あれに入っていた水をぶちまけられたのかと、そこでゆっくりと認識した。
「な、……にしてんだ、アンタ」
「左京さん、いくらなんでもこれは」
「ホントにやるとは思ってなかったッスよ左京にぃ~」
稽古中、まさに水を差した形の左京を、三人が責める。
だけど十座には、左京の怒りの理由が分かるから、責めることはできない。自分が左京の立場だったら、拳に物を言わせていただろうなとさえ思うのだ。
太一の動揺と、臣の戸惑いと、万里の不審。それを全部足した以上の怒りが、まっすぐに向かってくる。
「兵頭……てめぇ、昨日俺が言ったこと忘れたわけじゃねぇよな。あァ?」
十数センチの距離を開けて、左京が十座の目の前で立ち止まった。それを受けて、十座はあれ以降ようやく、左京をまっすぐに見つめ返した。
「……っす」
――演じてるお前のことは、信用してる――
もとより左京の言葉を聞き逃すはずもない。一言一句、覚えている。
左京の戸惑い、拒絶、何もかも。
「芝居に集中できねえなら、色恋にうつつ抜かしてんじゃねぇ!!」
ひゅ、と息を飲んだ。それとほぼ時を同じくして、三人の驚く声。
「は、え、いろこ……色恋って、マジかお前」
「十座、お前……」
「えええええマジッスかああああ十座サン……っ」
縁がないと思っていた、とでも言わんばかりの、万里の視線。
大人になったなと言いたげな、臣の穏やかな口許。
恋という単語に、異様に興味を示す太一の赤い顔。
できれば知られたくなかった。特に、いつもケンカばかりしている万里には。きっと笑われるに決まっている。
恋なんてどうにでもなんだろ。そう言われそうで怖い。
万里ならどうにでもなるかもしれないが、こちらはどうにもならないのだ。
「左京さん……」
好きになってしまったことを後悔はしていないが、こんなところで言わなくてもいいだろうと、初めて左京を責めたい。
怒るのなら、突っぱねるのなら、自分だけの時にしてほしい。
これからどう接していけばいいのだろう。恋も、失恋も、初めて味わったせいで分からない。こんな時周りは、放っておいてくれるのか、くれないものなのか。
だが恋をしているという事実は知られてしまっても、まだ相手が左京だということは知られていないのだ。どうにでもごまかしてしまえる、と口唇を引き結んだ矢先。
責め合うための視線が、空中で絡み合った。
「左――」
「俺を好きだなんだとほざくヒマがあるなら、殺陣の一つや二つこなしてろ!!」
「左京さん!!」
十座は思わず叫んでいた。
どうして。どうして今、ここで、それを言わなければならないのか。
頭のいい左京なら、それがどんな影響を及ぼすかくらい分かりそうなものなのに。
それとも、そんなことに考えが及ばないくらいに、怒っているのだろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
知られてしまった。恋の相手が左京だということが。
男が、男になんて――普通じゃない。
いったい何を言われるか分かったもんじゃない。弁解しておかなければ、秋組の崩壊につながるかもしれない。それだけは避けたい。
避けたいのに、口唇が動いてくれない。
違うんだ、左京さんの思い違いで、昨日のことは、ほんの冗談で――ただそう言えばすむだけのことだ。
左京に思いきり殴られて、驚かすなと臣や太一に心配されて、アホかよと万里に笑われて、それで終わるはずだ。
なのに、歯がぶつかってカタカタと音を立てるだけで、言葉はひとつも出てきてくれない。
嘘じゃない。嘘にしたくない。冗談だなんて、言いたくない。
(好きになってくれなんて言ってねえだろ、左京さん。アンタを好きな俺のことを、見ててほしかっただけだ、アンタはそれさえ許してくれねぇのか……っ!)
十座は口唇を強く噛む。そうしていないと、左京を困らせる言葉だけが出てきそうだったからだ。
「あ、の……それは、左京さんの芝居に惚れてるって意味じゃあ、ないんですか。あるでしょ、そういうの」
「そっ、そうッスよ、俺っちだって左京にぃのガラの悪い……あわわわ凄みのある演技好きッスよ~」
「演技に惚れてるってだけじゃ、キスなんかしてこねぇだろうが。……気色悪い」
「えっ」
「え……」
「……えぇ!?」
さあっと血の気が引いていった。
三人の驚愕と、突き刺さる視線が痛い。けれど、それとは比較にならないくらい、体が冷たくなっていくようだった。
いったい、どれだけさらけ出されればいいのだろう、この、初めての恋は。
左京がそこまで暴露するとは思っていなかったが、もう何をどう弁明しても無駄だろうことは分かった。
拒絶され、信じてももらえず、仲間にこんな形で知らされるなんて――そこまで思って、十座はあることに気がつく。左京が、昨日と違って十座の気持ちを否定していないことに。
色恋にうつつを抜かすな、好きだなんだとほざくヒマがあるなら、演技に惚れてるってだけでキスなんか――拒絶に変わりはないけれど、一度も否定をしていない。
ざわりと肌があわ立った。
これは紛れもない、歓喜だ。
(ああ、馬鹿みてぇだな、俺は、たったそれだけで……)
左京に、どんな心境の変化があったのか分からない。だけど、否定をしないでいてくれる。それだけで、何もかもが帳消しになったかのような感覚に襲われた。
そんな風に感じて、俯く十座を見つめる万里の視線は、やがて左京へと向かっていく。
「おいオッサン、てめーにはデリカシーってもんはねぇのかよ。他人の前で言うこっちゃねぇだろ。そういうことはてめーら二人でカタぁつけろや」
怒りにか、左京の胸ぐらを引き掴み、全力で睨みつける万里。十座がハッとして顔を上げた時には、その手を振り払う左京がそこにいた。
「ヤクザ相手にメンチ切るたぁ、いい度胸じゃねーか、摂津。……ガキが生意気言ってんじゃねぇ!」
「んだとてめっ……」
「万里!」
「万チャン!」
手を振り払われた万里は、ケンカ慣れしているせいなのか、反撃に出る。
止めようと万里の名を呼ぶ臣と太一がいたが、そんなもので止まる勢いではなかった。
だが万里の反撃は、左京の膝によって軌道を逸らされ、万里を驚かせることになる。
そして十座は、左京のその涼しい顔に見惚れてしまっていた。
止めなければと思った一瞬あとに、負けず嫌いの万里の拳が握り直される。
「はっ、そういやアンタ、現役ガチだったっけ。マジで相当修羅場くぐってきたんだろ、――なァ!」
万里の拳が左京の顔に向かっていく。なぜ万里がそんなに怒っているのか理解ができないが、十座はとっさに足を踏み出した。
「やめろ摂津!」
パシリとその拳を手のひらで受け止めて、左京を庇う。
万里が目を見開いたのを、至近距離で確認した。
「な……」
「やめろ。役者の顔をなんだと思ってやがんだ」
「はあぁ~? おいあのなあ、俺はてめーのっ……」
万里の言葉が半端なところで途切れる。それを不思議には思ったけれど、十座は万里の手を下ろさせ、左京に向き直った。
「……すんませんっした、左京さん」
そう言って頭を垂れる。
礼を期待したわけではないし、そんなものもらったら困るところだった。
今、左京を万里の拳から庇ったのは、左京を守ったわけではない。左京なら上手く避けるだろうと思った。
それでもあれ以上繰り広げられる喧嘩で、左京に見惚れていたくなかった。
「…………金輪際、ふざけたこと抜かすんじゃねーぞ」
「……っす」
左京を今以上に好きになりたくない。なれない。左京が困ることが、今回の件で充分に分かったからだ。
ほうっと息を吐いた時、やってられっか、と小さく呟いて万里がレッスン室のドアへと向かっていく。それに気がついた臣が、慌てて声をかけた。
「あっ、おい万里、どこ行くんだ」
「こんなんで稽古になんかなるわけねーだろ、やってられっか!」
「万チャン!」
「おいオッサン! ガキだってなあ、マジな恋くれーしてんだよ!」
ドアのところで振り向いた万里は、左京を指さしてそう叫ぶ。そうして乱暴にドアを開け、出ていってしまった。
十座は力なく笑う。
まさかいちばん言われたかった言葉を、万里に言われるなんて。
ガキだって、真剣に恋をしている。
どれだけ望みがなくても、どれだけ拒絶されようと、これは恋だと胸を張って言える。
(まさか、てめーがなぁ、摂津……)
相容れない相手だと思っていたその男が、誰よりも先に許してくれた。万里にそのつもりがなくても、今、十座が救われたのは事実だ。
そんな十座の横で、息を吐く男がひとり。
「……摂津の言う通り、今日は稽古にならねーだろ。リーダーが抜けた上に、腑抜けたままのガキがいるんじゃな。休ませてもらうぞ。……なんだ伏見、なんか言いたそうな顔だな」
「……いえ……おやすみなさい、左京さん」
そうして左京までもが、稽古にならないとレッスン室を出ていってしまう。
取り残されたのは、どうしよう臣クンとおろおろする太一と、眉間にしわを寄せてため息を吐く臣と、びしょ濡れのままの十座。
「太一、俺はここ片付けておくから、十座と一緒に風呂行ってこい。あのままじゃ風邪を引くかもしれないからな」
「えっ、あっ、そ、そうだよね、十座サン濡れたまんま……大変ッす!」
そんな会話の後、ぱたぱたと太一が十座に駆け寄ってくる。それはまるで、散歩に行こうと飼い主にしっぽを振って寄ってくる、ワンコのような仕草だった。
「十座サン、お風呂。お風呂行きましょ! 風邪引いちゃうッスよ~」
「あ、臣さん、俺がやるんで……」
「いいから、お前は風呂だ。大事な秋組のメンツなんだからな、風邪なんか引いてくれるなよ。まあ……いろいろあるだろうが、愚痴くらいならいつでも聞くから」
元気出せ、と臣は十座の背中をぽんぽん叩いてくれる。左京とのことを言っているのだろうと簡単に推察できて、十座は俯く。左京を困らせたどころか、臣や太一にまで気を遣わせてしまっている。
やっぱりこの恋は、ここで終わらせてしまわないといけないと目を伏せた。
「……っす」
十座は臣にぺこりと頭を下げ、厚意に甘え、冷えた体を温めてこようと、太一とともに浴場へと向かった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
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そうしてダイニングに向かえば、朝食を作ってくれている臣に出くわした。これはこれで気まずくて、失敗したと左京は頭を抱える。こんなことなら、自室にこもっていた方がマシだ。
「左京さん、おはようございます。早いっすね」
目玉焼きとスクランブルエッグ、どちらがいいですかと訊ねられ、目玉焼きをターンオーバーでと返す。
「了解です。自主練してたんですか? 十座もさっき、外に出ていきましたけど……ランニングかな。あんまり無茶しないといいけど」
テーブルに置かれていた新聞を広げ、左京は読むともなしに紙面を眺める。内容なんか当然頭に入ってこなくて、臣の声がやけに鮮明に耳に残った。
「おはようって声かけたんですけどね。気まずそうに目ぇ逸らしてったの、ちょっとしんどいなあ」
「……何が言いてぇんだ」
「早く仲直りしてくださいねってことですよ。俺、昨日のことは左京さんを殴りたいですし。いつも万里と十座の喧嘩を止める左京さんが、火種になっちゃダメですよ」
やはり出てくる話題はそれしかなくて、秋組の連中は本当に、遠慮という言葉を知らないのではと思ってしまう。
気を遣って話題に触れないようにするなんてことは、この連中にはできないらしい。
「……昨日のことは悪いと思ってるさ。俺も大人げなかったしな。けど急にあんなこと言われたら、誰だってああなんだろ……」
「ハハ、そりゃ、俺だって実際そうなったら混乱するし、いつもの自分じゃいられなくなると思いますよ。はい、目玉焼き。左京さんは醤油派でしたっけ?」
同意と、綺麗に焼いた目玉焼きの皿をよこされる。並べられたご飯とみそ汁、サラダと煮物の小鉢。
しょうゆさしを差し出されて、左京は新聞を閉じてああと頷いた。
「アイツには稽古中に私情は挟むなって言っておいたし、お前や七尾、もちろん摂津にも、あの件で迷惑をかけることはもうないと思う。俺はアイツを受け入れられねぇし、お互いどうにか昇華するしかねぇんだよ」
「時間はかかりそうですけどね……十座のヤツ、たぶん初恋でしょう? いつも一緒に稽古する相手ってのは、相当我慢しないと、忘れられない」
「初恋、ねぇ……ハハ、憐れなもんだよな。まさか初めての恋の相手が俺だなんてよ。もう少しまともなヤツにしとけばいいのに」
左京は、白いご飯を丁寧に口許へ運びながら苦笑する。
早いところ忘れて、次の恋をしてほしい。
恋も、恋をなくすことも、きっと十座の演技に艶を加えて、磨いていってくれるに違いないのだ。
そうやって成長した十座と、同じ舞台に立ちたい。
恋心さえ除けば、左京にとっても十座は大事なメンバーなのだ。そんなこと、絶対に言いたくないけれど。
「左京さんは今日も仕事ですか?」
「ああ……メシの時間には帰ってこられると思うが」
団員のスケジュールを把握し、自分の手が空いていれば食事を作ってくれる臣は、組どころか劇団全体にとってなくてはならない存在だ。まさか三百六十五日、ずっとカレーを食べているわけにもいかないだろう。
「いつも悪いな伏見。無理のない範囲でいいんだぞ」
「え? ああ、はい、分かってますよ。俺の場合料理することも息抜きなんで、楽しんでますけどね。特に、菓子を作ると十座が喜んでくれるし。あの無愛想な顔とあのガタイでそわそわしてんの見ると、ほんと和みますよ」
そういうもんかね、と左京はみそ汁の器を置き、仕事にでかける準備をしようと、食べ終わった食器をシンクへと運ぶ。
ちょうどその時、ア~ニキ~と迫田が顔を出した。朝からうるせえ、と左京は迫田を怒鳴りつけ、臣は肩を震わせて笑う。
「迫田さんも、ご飯どうですか」
「いやっ、自分はは食ってきたんで! あざっす!」
「そいつをもてなす必要なんざねえ、放っておけ伏見。迫田、おとなしく待ってろ」
「アイアイサー!」
言った傍からうるせえぞ、と左京の方こそ声が大きい。臣は迫田にコーヒーを入れてやり、忠犬が飼い主を待つような様子を微笑ましく眺めるのだった。
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