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金色の曼珠沙華-016-

金色の曼珠沙華 2017.10.01

#シリーズ物 #ウェブ再録

 翌朝、十座は誰より早くレッスン室についたつもりだった。「左京さん」 しかし、そこにはストレッチ中の…

金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華-016-



 翌朝、十座は誰より早くレッスン室についたつもりだった。
「左京さん」
 しかし、そこにはストレッチ中の左京の姿。
 気まずいな、と思うより早く、顔が見られて嬉しいと思う。
「ああ……早ぇな」
「……っす。昨日、全然できなかったんで……」
 自主練っすと続けると、左京がふいっと視線を背ける。
 それに気がついて、やっぱり避けては通れない話題を、十座はあえて口にした。
「左京さん、あの……俺の気持ち、迷惑っすか」
 左京が逃げられる距離で、左京に手が届いてしまわない距離で、十座は呟く。
 いつもまっすぐ射抜いてくる左京の視線が、今日はやっぱり突き刺さってこない。それが、寂しかった。
「迷惑じゃないとでも思ってんのか。言っておくが、稽古に私情挟みやがったら、ただじゃおかねぇからな」
 分かっていた答えだけれども、左京の声で、目の前で音にされると、心臓はこれ以上ないくらいに痛む。
 ああ、と吐息のように諦めを吐き出して目蓋を伏せ、こくりと唾を飲み込んだ。
「オーケイ、ボス」
 この恋を簡単に諦めることはできない。だけど左京を困らせたくない。兵頭十座のままでは、どうしてもあふれてくる気持ちを抑え込むことが難しい。
 ランスキーは目蓋を持ち上げ、口許に笑みを浮かべてみせた。




 朝早く目が覚めた。左京はベッドの上に起き上がり、大きなため息をつく。昨日あまり眠れなかったせいか、頭がひどく重く感じられた。
 眠れなかった原因ははっきりと分かっていて、久しぶりに自己嫌悪に陥る。
(ガキ相手に……マジで怒ってどうすんだ……)
 はあーともう一度息を吐き、ベッドを下りた。
 昨日少しもまとめられなかったレシートが、机の上に乱雑に広げられている。几帳面な左京にしては、珍しいことだった。いつもならどんなに疲れていても、片付けくらいはするのにだ。
 一昨日、恋らしきものを告白された。
 らしきものというのは、とても本気だとは思えなかったからだ。いや、思いたくなかったからだ。
 よりによって、一回りも年下の男からだなんて。
 百歩譲って、一回り違うだけなら頭でも撫でて、なだめてやったものを、自分より背の高い男相手に、そんな心の余裕などできやしない。
 気まぐれというより、焦りに思えてしょうがなかった。相手の男が――兵頭十座がライバルとしているであろう摂津万里が、どうも恋を知って演技の幅を広げたことが、十座の心を曇らせ、焦らせたのだろう。
 置いていかれるわけにはいかない、誰でもいいから、と――そう思ったに違いない。
 だから信じていなかった。あの泣きそうな顔を見るまでは。
 突っぱねて突き飛ばして、レッスン室を出ていく直前、髪をぐしゃりとかき混ぜ歯を食いしばって、嗚咽を抑えているような十座を見てしまうまでは。
 まさか、本気なのかと、そこで気がついたのだ。
 もう少し真剣に聞いてやるべきだったか、と思うのと同時に、腹立たしかった。
 わき上がってくる、どうしようもない怒りの正体を理解できずに、一昨日は眠れなかったのだ。
 翌朝、廊下で鉢合わせた時も、気まずさといら立たしさで、いつもよりドスの利いた声になっていただろう。
 怒りの正体に気がついたのは、昨日の夕方。
 秋組のみんなで集まって稽古をするはずだったのだが、十座だけが、補習だとかで参加できないことが分かった時だ。
 補習を投げ出していいわけがない。それが本当だったならば、だ。
 だけど左京は、根拠なく、補習は嘘なのだろうと気がついてしまった。
 廊下ですれ違った時の様子からして、避けたかったのだろう。
 気まずい気持ちは分かる。左京自身、気まずくてしょうがなかった。
 それでも、稽古は稽古だと割り切ろうとしていたのに。
 十座は、避けたのだ。
 今でも腹の底から怒りたい。許されることなら殴りつけてやりたい。自分を避けるために、補習なんて卑怯な言い訳をして、稽古を疎かにした十座を。
 十座の、芝居にかける情熱は、大したものだと思っていた。
 どんなに下手でもめげることなく、素直に指導を受け入れて、吸収していくあの素直な土壌は非常に好ましく、成長していく様を見ているのは、とても楽しかったのだ。
 自分にできる限りで育てていこうと、そういう意味では好意を持っていた。
 だけど十座の方は、好意の種類が違っていたのだと気がついた瞬間の、言い様のない焦燥感と怒り。
 不器用だった、今でも不器用な自分に似ているせいか、同じ気持ちでいてほしかった。
 芝居が最優先事項であってほしかった。
 その想いを、裏切られたと思ってしまうのは、左京の身勝手だ。
 十座は自分ではない。それは分かっているのに、気持ちが追いついていかない。
 こっちは、芝居がいちばんなのだと思って接していたのに、違っていたことへの落胆と怒りを抑えきれず、昨日、あろうことか秋組のメンバーの前で、ぶつけてしまった。「補習」を受けて帰ってきた後に、再開させた稽古中、慣れたはずの旗揚げ公演の演目にさえ、集中できていないことが、どうしても我慢できなかったのだ。
 自分の視線を気にして、役に入り込めていない弟子を、そのまま黙って見ていることはできなかった。
 それは多分に、八つ当たりも入っていただろう。
 悪いことをしたとは思っている。
 どこまで本気で、どれだけ真剣なのかは分からないが、恋をあんな風にさらけ出され、盛大に拒絶されるなんて、自分だったら耐えきれない。相手を殴りつけてでも黙らせていただろう。
 だけど十座はそれをしなかった。それどころか、殴りかかってきた万里の拳を止めたのだ。役者の顔をなんだと思ってるんだと。
 そこでまた分からなくなった。
 いったい、兵頭十座の中で「芝居」はどれほど重要な位置にあるのだろう。本気かどうかも分からない「恋」より、上なのか下なのか。人の顔の心配をするほどなのに、最優先にはできないのはどうしてなのだろう。
 黒か、白か。
 人というものは、そこまで単純にできてはいない。理屈では分かっているのに、感情として分からない。
「だいたい……恋愛なんか畑違いだってんだ……」
 左京自身、まともな恋愛とやらをしたことがない。
 その感情を知らないわけではないし、異性の肌だって知っている。気になる女性がいないわけでもない。
 だけど、三十まで生きてきて、人生を上手く運べているかといえばノーだ。
 そんな古市左京のどこに惹かれたのか、一度問いただしてみたいものだと、左京は短く息を吐く。
 ひとまず昨日のことは謝らないといけないなと、レッスン室へと向かう。
 晴れない気分は芝居で晴らしたい。自分以外の誰かになって、忘れてしまえばいい。こんな陰鬱で不愉快な気分は、さっさと吹き飛ばしてしまうに限る。
 ストレッチを終えて、今日は「ルチアーノ」でもやってみようかと目を閉じて額に指先を当て、台詞をたぐり寄せた、その時。
「……左京、さん」
 レッスン室のドアが開き、今いちばん逢いたくない、今いちばん逢わなければならない男が顔を出した。
 驚いているあたり、左京がいると分かっていて来たわけではなさそうだ。
「ああ……早ぇな」
「……っす、昨日、全然できなかったんで……」
 朝が強いタイプには見えないが、こうして朝早く自主練に出てくるあたり、やはり彼に取って芝居は優先順位が高いらしい。
 それとも、左京と同じく、眠れなかったのだろうか。
 左京は十座からふいと目を逸らし、気持ちを落ち着け、何かエチュードでもやるかと口を開きかけた時、それよりも早く十座の声が聞こえた。
「あの、左京さん。俺の気持ち……迷惑っすか」
 目を瞠る。
 まさか、あれだけ打ちのめされておきながら、自ら話題に出してくるとは思っていなかった。
 エチュードが終わったら、どうにかして切り出そうと思っていたのだが、完全にペースが狂ってしまう。
 十座は、左京がいつでも出ていけるようにとか、ドアの前を避け、左京にはどうやっても触れられない距離で、まっすぐに見つめてくる。
 迷惑かと訊かれれば、それは間違いなく、迷惑だ。応えられるわけもなく、できればそんな感情は捨ててほしいとさえ思う。
「迷惑じゃないとでも思ってんのか。言っておくが、稽古に私情挟みやがったら、ただじゃおかねぇからな」
 左京は心の底からの本音を、あえて口にした。ここで濁して、期待を持たせるようなことはできない。そんなものは、優しさでも何でもない。
 十座もそれが分かっていたのか、落胆した様子は見られなかった。口許に諦めた笑みさえ浮かべて、短い吐息が聞こえた。
「オーケイ、ボス」
 そうして目蓋を持ち上げた十座の声は、普段より少しトーンが低い。ボスと言ったところからも、「ランスキー」なのだと理解した。


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金色の曼珠沙華 2017.10.01

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 太一とのやりとりで、少しだけ気分は上昇したものの、気まずいことには変わりない。特にルームメイトの摂…

金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華-015-

 太一とのやりとりで、少しだけ気分は上昇したものの、気まずいことには変わりない。特にルームメイトの摂津万里とは。
 寝ていてくれないか、と願って開けた自室のドアの向こう、万里はまだ就寝していなかった。当然だ、寝るような時間帯ではない。
「……」
「……」
 ベッドの上と、フロアとで、視線が重なる。
 やっぱりどうにも気まずくて、十座は自分から視線を逸らした。
 負けたような気分にはなったけれど、あんな醜態をさらした後では、幾ほども変わらないだろう。
「なあ兵頭、お前さ」
「うるせぇ黙れ」
 はしごに足をかけたところで声をかけられるが、何も話すことなんかないと声を遮る。太一と違って、万里は恐らくストレートにあの時のことを訊いてくるはずだと、顔を背けベッドに上がった。
「左京さんのことマジなんだろ?」
「……うるせぇ黙れ、寝る」
 案の定、気を遣うことも言葉を飾ることもせず、万里は言葉を重ねてきた。
 真剣に恋をしているのは間違いないけれど、あまりこの男には、とやかく言われたくないのも本音である。
「怒るなよ。別に、からかおうってわけじゃねぇんだからよ。協力するつもりもねーけど」
「……あ?」
 笑われると思っていたのに、想像とは違って万里の声は静かだった。
「ただ、お前が悩んでた気持ちは分かるつもりだから。そんだけ」
「…………は?」
「ヤケになるんじゃねーぞっつってんだよ」
 笑うどころか、悩んでいた気持ちは分かるなんて言われてしまって、少々居心地が悪い。
 理解できるということは、少なくとも体感として知っているのだろう。
 人を好きだという気持ち。
 好きになってはいけない相手を、好きになってしまった気持ち。
 そこまで思って、十座はハッと気がつく。
「おい摂津、まさかてめぇも左京さんのこと――」
「なんでそーなるんだよ、ふざけんな!」
 十座は慌てて起き上がり、続いて万里もがばりと体を起こした。どういう誤解だよと、万里は面倒そうに髪をかき混ぜる。誤解なのかと十座はホッとした。
 ただでさえ面倒な相手に惚れてしまったのに、この上ルームメイトが恋敵なんてことになったら、目も当てられない。
「…………俺もおんなじような感じだっつってんだ。理解しろや、アホが」
「おんなじ……? てめーまさか、劇団内に……?」
 さすがにこれは、予想できなかった展開だ。
 好きな女でもできたのかと左京は言っていたが、まさか劇団内になんて。
 しかもこの口振りでは、唯一女性である監督でもないようだ。
「誰だ……?」
「ハ、当ててみな」
 十座は眉を寄せて考え込む。万里といちばん仲がいいのは、春組の茅ヶ崎至だ。深夜にまでゲームをするほどらしいし、その中で恋が芽生えても不思議ではない。
「……至さんか?」
「分かるけどちげぇ」
 だが、どうも至ではないようだ。ならばよく一緒に買い物へ行っている天馬か、秋組の中でいちばん万里を慕っている太一か。そう思って名を出し訊ねてみたのだが、年下に興味はないと却下される。
 かといって、年上で中性的なイメージのある東でもないと、先手を打たれた。てっきり添い寝された時に何かあったのかと思ったが、違うらしい。
 しかしそうなると、対象が限られてくる。そうして十座は、ハッと思い出した。臣が、最近仲がいいらしくてと言っていた相手のことを。
「…………紬さんか?」
 それは、冬組のリーダーでる月岡紬。
「やっと当たりな。てめーと好み合わなくて安心したぜ」
 万里が笑う。分かってみれば納得してしまうけれど、それでも不思議だった。
 一見して趣味も合わなそうな相手なのに、どこでどう何が間違って、そんなことになっているのだろうと。
 それを言ってしまったら、十座の左京への想いも同じなのだが、万里の恋は上手くいっているのだろうか?
「つきあってんのか」
「いや、まだちゃんと告ってもねーよ。まさかてめーに先を越されるとは、思ってなかったけどな」
 ちゃんと、というのはどういう状態だろう。好意があることをにおわせてはいる程度だろうか。
 十座が稽古から逃げて、補習を受けていることになっていた時間帯、万里は紬とカフェに出かけ、彼氏に立候補してもいいかと訊ねている。紬にはそれをストリートACTだと思われ、本気にしてもらえなかったという経緯があるのだが、それは十座の知り得るところではない。
「なあ、なんつって告ったんだよ。あの人のこった、ストレートに言わねーと信じちゃくれねぇだろ」
 万里は口の端を上げてはいるが、先ほど告げてきたように、からかおうと思ってのことではないようだ。
「……ストレートに言っても、信じちゃくれなかった。まあ、その気持ちは分かるけどな」
 左京を好きになったことを、誰にも責められたくない。左京が信じてくれなかったことを、責めたくない。
「あー、だから実力行使ってか。下手打ったんじゃねーのか、それ」
「うるせえ黙れ、寝る」
 言われなくても理解している。
 キスなんてするつもりではなかったのだ。心証はよくないだろう。
 それでも性懲りもなく、左京が好きだ。
 十座はばさっと布団を被り直して、無理やり眠ってしまおうと万里の声を遮った。
 数秒の沈黙があったけれど、天井を見つめたままの十座に、声がかけられる。
「なぁ」
「…………んだよ」
 それは喧嘩の前でも後でもない声音で、万里にしては幼いトーンに聞こえた。
「諦めんの? 左京さんのこと」
 十座はゆっくりと瞬く。疑問符をつけてはいても、それは祈りのようだ。諦めてほしくないという、奥底に眠った本音は、きっと万里自身の恋が叶っていないからだろう。
「……簡単に諦められるくらいなら、最初から言ったりしねぇ」
 諦められる恋ならば、こんなに苦しくなったりしない。
 いつか笑い話になったとしても、左京を好きだという気持ちに変わりはない。
 いつか左京より好きな相手ができたとしても、この恋を忘れることはないだろう。
「初恋なんだ、どうやったら諦められるのかも分からねぇしな」
「……だよなあ、俺もそんな感じだわ」
 万里の、ホッとした声が聞こえる。きっと万里自身は、十座の恋で安堵なんてしたくないのだろうが、伝わってきてしまって、十座は苦笑した。
 まさか劇団一いけ好かない男が、唯一この想いを共有できる相手だなんて。こちらの方こそごめんだがなと声には出さずに思い、目蓋を落とし、そして開いた。
「摂津」
「……んだよ。寝んじゃねーの」
「少し……気が楽になった。こういう想い抱えてんのは俺だけじゃねえのかって、まだ左京さんのこと好きでいてもいいんだって思ったらな。……そんだけだ」
 同性相手のこんな恋なんて、誰にも相談できないと思っていた。もちろん、万里相手に何かを相談しようとは思わないが、同じ想いを抱えている人間がいると知っているのと、そうでないのとは、大きな違いがある。
 自分だけではないという安堵感は、妙な仲間意識を連れてきてしまった。
「てめーに礼言われるなんざ気色悪い」
「礼なんか言ってねぇ。耳悪いのかてめー」
「あァ?」
「んだコラ」
「やんのか」
「寝んじゃねーのかよ」
「てめーが突っ掛かってきてんだろうが!」
「寝かせろよ、昨日眠れなかったんだ……」
 妙な仲間意識が生まれながらも、馴れ合うなんてとんでもない。最終的にはいつものやり取りになってしまって、お互いのため息で打ち切られる。
 あんな風に恋をさらけ出された夜とは思えないほど、穏やかに、十座は眠りについていった。


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金色の曼珠沙華 2017.10.01

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 湯気の立つ浴場に足を踏み入れたのは、太一の方が先だった。「あ、十座サン、石鹸取ってくださいッス~」…

金色の曼珠沙華

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 湯気の立つ浴場に足を踏み入れたのは、太一の方が先だった。
「あ、十座サン、石鹸取ってくださいッス~」
「ああ……ほら」
 いつもと変わりない太一の様子に、ああさすがGOD座にいた役者だなと感じてしまう。何でもない演技をするのは、多分太一の優しさだろう。鼻歌まで歌って、ゴキゲンだ。場の雰囲気が暗くなってしまわないようにと思ってのことだろう。さすがは、秋組のムードメーカーだ。
 泡立てたタオルで体を洗い、髪を洗い、湯船に向かえば、誰が持ち込んだのか黄色いひよこの玩具が、ふよふよ浮かんでいた。
「誰のなのか分かんないんッスよね~。むっちゃんあたりかなぁ~。あ、それとも冬組の誰か……」
 つんつんとひよこをつつき、太一は笑う。そうした後で、表情を曇らせた。
「十座サン、そういえば一個訊きたいんッスけど」
 びく、と体が硬直した。十座の視線が泳ぐ。
「GOD座って、なんでMANKAIカンパニーを目の敵にしてんだろ? 十座サン何か知ってるッスか?」
「あ?」
 面食らってしまう。さっきの今で、太一が訊いてきそうなことなんて、ひとつしかないと思っていたのに。まさかそんなことだなんて。
 太一にとって、他人が誰に恋をしていようと、それがたとえ同性相手だろうと、気に留めるほどのことではなかったのだろうか?
「お、俺が知ってるわけないだろうが。お前は……何も知らされなかったのか? あの時……」
 太一は、GOD座が送り込んできた元スパイだ。
 今回のタイマンACTでも分かるが、GOD座が突っかかってくるのは何か理由があるはずだ。だが太一はふるふると首を振った。
「舞台に立たせてやるって言われて、浮かれるのと同時に怖くなって、何でかなんて訊く余裕なかったッスよ~。まあ、訊いてもあの人が教えてくれるとは思えないッスけどね。でも、訊いておけばよかったなって今なら思う。そうしたら対策何か立てられたよね、カンパニーを守る方法。俺っちにとってここは、大事な場所ッスからね~」
 あんなことをしでかしたのに、受け入れてくれた場所。そう呟く太一の横顔は、普段のどこか幼い様子を隠して、一人前の男に見えた。十座は湯船の中で指を組み、静かに口を開く。
「……怒らねーのか、太一は」
「え? 怒るって……十座サンをッスか? なんでっ?」
「あ、いや……お前の大事な場所で、その……変なモメごと起こしちまって」
「あー、あ、そ、それね、あ、うん、あの、や……ちょっと、びっくりは、したッスけど……」
 太一の顔が、髪と同じく真っ赤に染まっていく。それを見てようやく、ああわざと考えないようにしていただけなんだな、と気がついて、臣のように気が遣えない自分に嫌気が差した。
「で、でもほらっ、仕方ないッスよ、左京にぃはカッコイイし、十座サンが好きになっちゃっても、なんていうか、分かるっていうか、あ、別に俺っちも左京にぃが好きとかじゃなくて」
「悪い……」
「変なモメごとって言うのやめようよ十座サン。恋ってのは、しようと思ってできるもんでもないんッスよ~。大事にしないと! く~、俺っちもいつか、可愛い女の子と運命的な恋に落ちたいッス!」
 ぐ、と拳を握ったせいでしぶきが立つ。
 左京への想いが運命的なものだとは思わないが、しようと思ってした恋でないのは確実だ。
「それに、臣クンも気にしてないと思うッス。ていうか、左京にぃにちょっと怒ってたし、万チャンだってあれ、十座サンのために殴りかかってったでしょ。変なことだと思ってたら、あんなことしないッスよ~」
 万里が十座のためにというのは首を傾げるが、秋組のメンツは十座が心配しているほど、この恋をおかしなものだと思っているわけではないようだ。
 稽古中や公演中に、左京への感情をむき出しにするつもりは毛頭ないが、それならひっそり想っている分には許されるだろうか。
「そうか……」
「そうそう、そうッスよ~、俺っち応援するッス」
「いや、それはやめてくれ太一」
 身近で触れる「恋」に、本人以上に熱を上げそうな太一に、十座はストップをかけた。そうされた太一の方は、わけが分からずに首を傾げる。
 応援されたくない恋なんて、あるのだろうか。
「あ、いや、応援してくれるってのは……こんな状況じゃありがたいんだが、俺の気が大きくなっちまう」
「えーと……調子に乗っちゃうかもってことッスか?」
「ああ、それは左京さんが困る。ただでさえ困らせて、あんなことまで言わせちまったのに。これ以上、俺の気持ち押しつけるわけにはいかねぇだろ」
 十座は顔を背けて俯いた。金輪際ふざけたことを抜かすなとまで言われているのだ、信じてくれたにせよ、左京にとってこの想いが迷惑であることは明白だ。
 これから先も一緒に芝居をするのに、こんな想いは邪魔にしかならない。応援なんてされてしまったら、押し込めて、しまいこんでおけなくなってしまう。
「で、でも、そんなの」
「太一、俺は今のままでいい。昨日は俺の気持ちを信じようとしなかった左京さんが、今日は信じてくれてた。それだけでいいんだ。すまねえな」
 どうにも納得のいっていないような太一を、押さえつけるように続け、十座は口の端を上げた。
 左京が信じてくれた、それだけでいい――そう思うのは嘘じゃない。もともと言うつもりのなかった想いだ、知られたか知られないままかの違いしかない。
「俺は、左京さんと……太一や臣さんと、……まあ、一応、摂津と、一緒に舞台に立てりゃあそれでいいんだよ」
「……十座サンはそういう風に恋をするんッスね……やっぱ男の中の男って感じッス!」
「何言ってんだ」
 十座がそう言うのなら、と太一は先ほどまでの勢いを落としてくれ、浴槽の中ですとんと腰を下ろす。
 初めての恋を、あんな形でさらけ出された後とは思えないほどに、十座の心の中は落ち着いていた。
 それは太一が、臣が、万里が、この気持ちを拒絶しないでいてくれたことが大きいだろう。
 誰一人として、軽蔑もせず受け止めてくれている。あの万里でさえだ。
( ――――本当にここは、食えないヤツらばっかりだ)
 予想もしていなかった恋。予測できなかった享受。
 当人なのに、どこか置いてけぼりになってしまった感覚を味わって、十座は冷えた体を湯船でたっぷりと温めた。


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金色の曼珠沙華 2017.10.01

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「おーい、何度目だぁ~?」 相手役である万里が、呆れ八割と怒り二割で振り向いてくる。こう何度も詰まっ…

金色の曼珠沙華

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「おーい、何度目だぁ~?」
 相手役である万里が、呆れ八割と怒り二割で振り向いてくる。こう何度も詰まってしまっていては、万里がそうするのも仕方がない。十座はぐしゃりと髪をかき混ぜて、小さく息を吐き出した。
「悪い摂津……もう一回頼む」
「…………ンだよ、気色悪い」
 十座は素直に謝って、稽古の続行を促した。
 万里とはケンカばかり繰り返してきたが、今回ばかりは自分に非があるだろう。補習だと嘘をついて稽古に出なかった挙げ句、こんな状態では稽古になっていない。
 先ほど隅の方からも、十座サン調子悪そうッスね~、そうだなあ……なんて心配そうな声が聞こえてきた。
(集中しねぇと……)
 臣や太一に気づかれているということは、当然左京なんかはとっくに気がついているのだろう、と気持ちを切り替えようとしたその時――。
「摂津、退いてろ!」
 左京の怒鳴り声が耳に入った。それとほぼ同時に、隣にいた万里が左京の方を振り向く。
「はぁ? うわっ、なっ、おい!」
 万里が声を上げるのと同じタイミングで飛び退く。
 バシャリ。
 十座は息を飲んだ。痛いと思う方が先で、冷たいと思ったのはそのすぐ後。
「……っ」
 水だ、と認識したのは、髪からしたたり落ちる雫が冷たかったから。
 受けた衝撃をやり過ごして目を開ければ、青ざめた顔の太一や、目を見開いて驚く臣、何が起きたのか把握しきれずに、呆気にとられながら見つめてくる万里。
 そして、怒りを隠しもせずに睨みつけてくる左京が見えた。
 ガゴンガゴンと、左京が放り投げたバケツが床にぶつかって、乱暴な音を立てる。あれに入っていた水をぶちまけられたのかと、そこでゆっくりと認識した。
「な、……にしてんだ、アンタ」
「左京さん、いくらなんでもこれは」
「ホントにやるとは思ってなかったッスよ左京にぃ~」
 稽古中、まさに水を差した形の左京を、三人が責める。
 だけど十座には、左京の怒りの理由が分かるから、責めることはできない。自分が左京の立場だったら、拳に物を言わせていただろうなとさえ思うのだ。
 太一の動揺と、臣の戸惑いと、万里の不審。それを全部足した以上の怒りが、まっすぐに向かってくる。
「兵頭……てめぇ、昨日俺が言ったこと忘れたわけじゃねぇよな。あァ?」
 十数センチの距離を開けて、左京が十座の目の前で立ち止まった。それを受けて、十座はあれ以降ようやく、左京をまっすぐに見つめ返した。
「……っす」
 ――演じてるお前のことは、信用してる――
 もとより左京の言葉を聞き逃すはずもない。一言一句、覚えている。
 左京の戸惑い、拒絶、何もかも。
「芝居に集中できねえなら、色恋にうつつ抜かしてんじゃねぇ!!」
 ひゅ、と息を飲んだ。それとほぼ時を同じくして、三人の驚く声。
「は、え、いろこ……色恋って、マジかお前」
「十座、お前……」
「えええええマジッスかああああ十座サン……っ」
 縁がないと思っていた、とでも言わんばかりの、万里の視線。
 大人になったなと言いたげな、臣の穏やかな口許。
 恋という単語に、異様に興味を示す太一の赤い顔。
 できれば知られたくなかった。特に、いつもケンカばかりしている万里には。きっと笑われるに決まっている。
 恋なんてどうにでもなんだろ。そう言われそうで怖い。
 万里ならどうにでもなるかもしれないが、こちらはどうにもならないのだ。
「左京さん……」
 好きになってしまったことを後悔はしていないが、こんなところで言わなくてもいいだろうと、初めて左京を責めたい。
 怒るのなら、突っぱねるのなら、自分だけの時にしてほしい。
 これからどう接していけばいいのだろう。恋も、失恋も、初めて味わったせいで分からない。こんな時周りは、放っておいてくれるのか、くれないものなのか。
 だが恋をしているという事実は知られてしまっても、まだ相手が左京だということは知られていないのだ。どうにでもごまかしてしまえる、と口唇を引き結んだ矢先。
 責め合うための視線が、空中で絡み合った。
「左――」
「俺を好きだなんだとほざくヒマがあるなら、殺陣の一つや二つこなしてろ!!」
「左京さん!!」
 十座は思わず叫んでいた。
 どうして。どうして今、ここで、それを言わなければならないのか。
 頭のいい左京なら、それがどんな影響を及ぼすかくらい分かりそうなものなのに。
 それとも、そんなことに考えが及ばないくらいに、怒っているのだろうか。
 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
 知られてしまった。恋の相手が左京だということが。
 男が、男になんて――普通じゃない。
 いったい何を言われるか分かったもんじゃない。弁解しておかなければ、秋組の崩壊につながるかもしれない。それだけは避けたい。
 避けたいのに、口唇が動いてくれない。
 違うんだ、左京さんの思い違いで、昨日のことは、ほんの冗談で――ただそう言えばすむだけのことだ。
 左京に思いきり殴られて、驚かすなと臣や太一に心配されて、アホかよと万里に笑われて、それで終わるはずだ。
 なのに、歯がぶつかってカタカタと音を立てるだけで、言葉はひとつも出てきてくれない。
 嘘じゃない。嘘にしたくない。冗談だなんて、言いたくない。
(好きになってくれなんて言ってねえだろ、左京さん。アンタを好きな俺のことを、見ててほしかっただけだ、アンタはそれさえ許してくれねぇのか……っ!)
 十座は口唇を強く噛む。そうしていないと、左京を困らせる言葉だけが出てきそうだったからだ。
「あ、の……それは、左京さんの芝居に惚れてるって意味じゃあ、ないんですか。あるでしょ、そういうの」
「そっ、そうッスよ、俺っちだって左京にぃのガラの悪い……あわわわ凄みのある演技好きッスよ~」
「演技に惚れてるってだけじゃ、キスなんかしてこねぇだろうが。……気色悪い」
「えっ」
「え……」
「……えぇ!?」
 さあっと血の気が引いていった。
 三人の驚愕と、突き刺さる視線が痛い。けれど、それとは比較にならないくらい、体が冷たくなっていくようだった。
 いったい、どれだけさらけ出されればいいのだろう、この、初めての恋は。
 左京がそこまで暴露するとは思っていなかったが、もう何をどう弁明しても無駄だろうことは分かった。
 拒絶され、信じてももらえず、仲間にこんな形で知らされるなんて――そこまで思って、十座はあることに気がつく。左京が、昨日と違って十座の気持ちを否定していないことに。
 色恋にうつつを抜かすな、好きだなんだとほざくヒマがあるなら、演技に惚れてるってだけでキスなんか――拒絶に変わりはないけれど、一度も否定をしていない。
 ざわりと肌があわ立った。
 これは紛れもない、歓喜だ。
(ああ、馬鹿みてぇだな、俺は、たったそれだけで……)
 左京に、どんな心境の変化があったのか分からない。だけど、否定をしないでいてくれる。それだけで、何もかもが帳消しになったかのような感覚に襲われた。
 そんな風に感じて、俯く十座を見つめる万里の視線は、やがて左京へと向かっていく。
「おいオッサン、てめーにはデリカシーってもんはねぇのかよ。他人の前で言うこっちゃねぇだろ。そういうことはてめーら二人でカタぁつけろや」
 怒りにか、左京の胸ぐらを引き掴み、全力で睨みつける万里。十座がハッとして顔を上げた時には、その手を振り払う左京がそこにいた。
「ヤクザ相手にメンチ切るたぁ、いい度胸じゃねーか、摂津。……ガキが生意気言ってんじゃねぇ!」
「んだとてめっ……」
「万里!」
「万チャン!」
 手を振り払われた万里は、ケンカ慣れしているせいなのか、反撃に出る。
 止めようと万里の名を呼ぶ臣と太一がいたが、そんなもので止まる勢いではなかった。
 だが万里の反撃は、左京の膝によって軌道を逸らされ、万里を驚かせることになる。
 そして十座は、左京のその涼しい顔に見惚れてしまっていた。
 止めなければと思った一瞬あとに、負けず嫌いの万里の拳が握り直される。
「はっ、そういやアンタ、現役ガチだったっけ。マジで相当修羅場くぐってきたんだろ、――なァ!」
 万里の拳が左京の顔に向かっていく。なぜ万里がそんなに怒っているのか理解ができないが、十座はとっさに足を踏み出した。
「やめろ摂津!」
 パシリとその拳を手のひらで受け止めて、左京を庇う。
 万里が目を見開いたのを、至近距離で確認した。
「な……」
「やめろ。役者の顔をなんだと思ってやがんだ」
「はあぁ~? おいあのなあ、俺はてめーのっ……」
 万里の言葉が半端なところで途切れる。それを不思議には思ったけれど、十座は万里の手を下ろさせ、左京に向き直った。
「……すんませんっした、左京さん」
 そう言って頭を垂れる。
 礼を期待したわけではないし、そんなものもらったら困るところだった。
 今、左京を万里の拳から庇ったのは、左京を守ったわけではない。左京なら上手く避けるだろうと思った。
 それでもあれ以上繰り広げられる喧嘩で、左京に見惚れていたくなかった。
「…………金輪際、ふざけたこと抜かすんじゃねーぞ」
「……っす」
 左京を今以上に好きになりたくない。なれない。左京が困ることが、今回の件で充分に分かったからだ。
 ほうっと息を吐いた時、やってられっか、と小さく呟いて万里がレッスン室のドアへと向かっていく。それに気がついた臣が、慌てて声をかけた。
「あっ、おい万里、どこ行くんだ」
「こんなんで稽古になんかなるわけねーだろ、やってられっか!」
「万チャン!」
「おいオッサン! ガキだってなあ、マジな恋くれーしてんだよ!」
 ドアのところで振り向いた万里は、左京を指さしてそう叫ぶ。そうして乱暴にドアを開け、出ていってしまった。
 十座は力なく笑う。
 まさかいちばん言われたかった言葉を、万里に言われるなんて。
 ガキだって、真剣に恋をしている。
 どれだけ望みがなくても、どれだけ拒絶されようと、これは恋だと胸を張って言える。
(まさか、てめーがなぁ、摂津……)
 相容れない相手だと思っていたその男が、誰よりも先に許してくれた。万里にそのつもりがなくても、今、十座が救われたのは事実だ。
 そんな十座の横で、息を吐く男がひとり。
「……摂津の言う通り、今日は稽古にならねーだろ。リーダーが抜けた上に、腑抜けたままのガキがいるんじゃな。休ませてもらうぞ。……なんだ伏見、なんか言いたそうな顔だな」
「……いえ……おやすみなさい、左京さん」
 そうして左京までもが、稽古にならないとレッスン室を出ていってしまう。
 取り残されたのは、どうしよう臣クンとおろおろする太一と、眉間にしわを寄せてため息を吐く臣と、びしょ濡れのままの十座。
「太一、俺はここ片付けておくから、十座と一緒に風呂行ってこい。あのままじゃ風邪を引くかもしれないからな」
「えっ、あっ、そ、そうだよね、十座サン濡れたまんま……大変ッす!」
 そんな会話の後、ぱたぱたと太一が十座に駆け寄ってくる。それはまるで、散歩に行こうと飼い主にしっぽを振って寄ってくる、ワンコのような仕草だった。
「十座サン、お風呂。お風呂行きましょ! 風邪引いちゃうッスよ~」
「あ、臣さん、俺がやるんで……」
「いいから、お前は風呂だ。大事な秋組のメンツなんだからな、風邪なんか引いてくれるなよ。まあ……いろいろあるだろうが、愚痴くらいならいつでも聞くから」
 元気出せ、と臣は十座の背中をぽんぽん叩いてくれる。左京とのことを言っているのだろうと簡単に推察できて、十座は俯く。左京を困らせたどころか、臣や太一にまで気を遣わせてしまっている。
 やっぱりこの恋は、ここで終わらせてしまわないといけないと目を伏せた。
「……っす」
 十座は臣にぺこりと頭を下げ、厚意に甘え、冷えた体を温めてこようと、太一とともに浴場へと向かった。


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金色の曼珠沙華 2017.10.01

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 携帯端末の画面に、ピョコンとメッセージが浮かんでくる。【よぉ、補習だって? ダッセぇな兵頭。メシ前…

金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華-012-


 携帯端末の画面に、ピョコンとメッセージが浮かんでくる。
【よぉ、補習だって? ダッセぇな兵頭。メシ前の稽古早々に切り上げたから、てめーが帰ってきたらもっかい集まるぞ】
 秋組のリーダーである摂津万里からのLIMEだ。十座は自分の机で、ノートを広げたままため息を吐いた。
【こら万里。まあ十座、そういうことだから、稽古のことは気にしないで補習受けてこいよ。なんか万里にも用事あるっぽくて、さっき切り上げたんだ】
【十座サンお疲れッス~】
 稽古のスケジュール合わせにと、全員でグループ登録したものだ。臣と太一からもメッセージが飛んでくる。自分から何かを提案したことはないが、なるほどこういう風に使うのかと、今さらながらに考えた。
 誰もいない教室で、十座は教科書を見るともなしに眺める。
 本当は補習なんて受けていない。
 一応単位は足りているはずだし、テストなら他にも何人か赤点になった連中を集めて追試、という形になるはず。
 たとえ十座オンリーの追試なのだとしても、教師が試験管として居るはずだ。
 補習にしても時間の制限があるのだから、十座がのんびりしていていいはずはない。
 まだ左京と顔を合わせる覚悟ができていない十座が取った、馬鹿らしい策だ。
 こんなことで逃げ切れるわけもないのにと、グループLIMEに【分かった】と返信した。
 いつまでもこんなことで逃げているわけにはいかない。十座は額の前で指を組み、祈るように目を閉じた。




 できるかぎり時間を引き延ばして寮に戻れば、久し振りにカレーではない夕食が待っていた。
 料理の名前を聞いても覚えられやしないが、臣が作ってくれた料理が美味そうなことだけは分かる。
「ほら十座、育ち盛りなんだから目一杯食え。お前朝食抜いただろ?」
「あ、あざす……」
「万里が帰ってくる前に食べておけよ。稽古途中だったからな」
「え、摂津……どっか出掛けてんすか」
「ああ。どうも最近、冬組の紬さんと仲がいいみたいで、二人ででかけてったよ。大変なときになぁ……」
 そう言って臣は肩を竦める。気分転換に連れてったんスよきっと~という、太一の笑い声も聞こえる。
 そうだ、今は自分の恋心なんかで悩んでいる場合ではない。冬組が大変なことになっているのだ。
「答えの期限……もうすぐでしたよね、臣さん」
「ああ、そうだな……監督も悩んでるみたいだが、決めるのは俺たちじゃないし、冬組は冬組でなんかモメてるみたいだしな」
 何もできない自分が歯がゆいよと苦笑する臣に、十座は自分が恥ずかしくなった。大変な時に、自分のことしか考えられなかったなんて。
 だからガキだと言われるのだと、臣の作ってくれたスープを口に運んだ。
 数日前、冬組があのGOD座にタイマンACTを申し込まれた。
 タイマンという言葉は十座の耳に慣れていたが、ACTがつくと分からない。その疑問に答えてくれたのは左京だったが、どうも同じテーマで演目を行い客の票数によって勝ち負けを決めるサシの勝負らしい。
 秋組公演の際に、太一が送り込まれてきたことからも思うが、どうもGOD座は、MANKAIカンパニーを目の敵にしているように思う。業界トップクラスの劇団が、どうして無名の劇団なんかを、とは思うが、十座が考えたって仕方のないことだ。
 秋組がしかけられた勝負であれば、一も二もなく受けて立っていただろうが、臣が言ったように決めるのは挑まれた冬組だ。
 その彼らに必要ならば、何にだって力を貸そう。
 そうだ、今は望みもない恋のことを考えている時ではない。
 リビングのソファで、新聞を読んでいる左京のことを考えている場合ではないのだと、ほんの少し視線をやって、そして逸らした。
 漏れてくるため息は、どうしても止められなかったけれど。



 万里が冬組の月岡紬と一緒に寮へ帰ってきてすぐ、じゃあ稽古再開~と、面倒そうに言い放った秋組リーダーに、紬がえっ、今からもう一回!? と驚いていた。
 まーなと楽しそうに笑った万里が、どこか今までと違って見えた。
 どこがどう、というわけでもないのだが、迷いを吹っ切ったような顔をしている。
「おー兵頭、どーだったんだ補習は。俺も一回受けてみてーわそんなん」
 どうやったら受けられんのか教えてほしいくらいだ、とむやみやたらに突っかかってくるのは相変わらずで、気のせいだなと十座はため息だけで、馬鹿がと返してやった。
「万里、先に左京さんのシーンからの方がいいんじゃないか?」
「あ? なんでよ、さっきの続きからなら俺と兵頭の」
「ほら十座はさっきメシ食ったばかりだろ、少し休憩を」
「臣クンさすがッス~、そういうとこやっぱモテ男の鉄板ネタッスよね!」
「いや俺はモテたことなんかないぞ?」
「あー、なら俺と左京さんのシーンからで」
「いい、摂津――」
「甘やかすな摂津、さっきの続きからだ」
 食べたばかりでは、アクションシーンの稽古はキツいだろうと気遣ってくれる臣に、自分はすぐでも大丈夫だと十座が言い掛けた時、左京の声が割り込んでくる。
 全員の視線が左京へと向かって、十座も思わずそうしたが、左京と視線が合ってしまって慌てて逸らした。
「補習受けてたのも、稽古に遅れたのも、兵頭の責任だ。メシ食ったばかりだからってサボんじゃねぇ」
「さ、左京にぃ厳しーッス~」
「さすがに手厳しいですね……」
「まー俺は別にどっからでもいーけどよ。お前合わせられんの?」
 万里が振り向いて訊ねてくる。十座はああと頷いて、レッスン室の真ん中まで歩みを進めた。
「左京さんの言う通り、稽古に出られなかったのは俺の責任だ。気を遣ってくれた臣さんにはすまねぇが、いつも通りでいい」
「そうか、余計な口出しだったみたいだな、すまん。あ、十座。今日の差し入れはシュークリームだからな」
「……っす」
 臣の言葉に息を深く吸い込み、兵頭十座からランスキーに変わる。
 それを見て、万里が楽しそうに歩み寄ってきた。
 なんてことない、いつもの稽古だ。
 いつも通りの台詞、いつもと同じ立ち位置、いつもと変わらない仕草。
 だけど今日は、いつもと違うものがひとつだけあった。
(なんで……っ!)
 ランスキーになりきることができない。
 台詞を紡いでも、銃を抜いて敵を狙う仕草をしても、昨日までできていたランスキーになれない。
「兵頭、台詞!」
「あっ……、……悪い、もう一回……」
 台詞が詰まって、万里の声が飛んでくる。
 台詞を間違えることはもうなくなっていて、アドリブにだってスムーズに返せるようになっていたのに――そこまで思って、先日左京に褒められたことを思い出してしまった。
(駄目だ、こんなんじゃ……集中しろ、呆れられんだろ!)
 十座は歯を食いしばってふるふると首を振る。
 台詞だけで役に入り込めるような技術は、まだ持ち合わせていない。集中しなければ、兵頭十座を捨てることができない。
 それなのに、左京の視線がそれを邪魔してくれる。
 レッスン室に入る少し前から、左京の視線を全身に感じていた。気のせいではすませられないほど、あからさまに、左京の視線が突き刺さるのだ。
 そんな状態で、ランスキーにはなれない。
 気が逸れているというのも理由のひとつだが、左京の視線が注がれているのなら、兵頭十座でいたいのだ。
 その視線に、どんな意味が含まれているのかは分からない。間違っても好意ではないのだろうが、嬉しがってしまう自分に気がついていた。
『逃げ道なら、ちゃんと確保して、……――っ』
 そして、また台詞が続かなくて詰まらせてしまう。
 普段であれば、たとえ少し詰まっても、殺陣中なのだからと呼吸でごまかせるシーンだというのに、それにさえ頭が回らなかった。


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金色の曼珠沙華 2017.10.01

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 朝練でレッスン室を使えるのが一日おきだというのが、今日は有り難かった。 レッスン室ともなれば、メン…

金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華-011-

 朝練でレッスン室を使えるのが一日おきだというのが、今日は有り難かった。
 レッスン室ともなれば、メンバーが全員集まるはずで、つまり左京もくるはずだ。
 今は顔を合わせづらい。どんな顔をしていればいいのか分からない。
 寮内もそう広くはないし、どこかでばったりと逢ってしまう可能性はあるし、その時自分がどんな顔をすればいいのか分からないという以上に、左京の顔を見たくない。
 恋をしている現状、相手の顔を見たくないというのもどうかと思うが、本音だ。
 左京がどんな顔をするか分かるから、見たくない。
 眉間にしわを寄せてあからさまに顔を背けて、舌を打って、一声もくれずに違うルートをたどるのだろう。それが分かるから、逢いたくない。
 十座はベッドの上で寝返りを打って、大きくため息をついた。
(言ったことを後悔はしてないつもりだったが……正直、しんどいな。あの人の顔が見たいのに、見たくねぇなんて……)
 夕方の稽古は、予定通り秋組がレッスン室を使う。それまでに心の準備を、覚悟をしていなければならない。
 十座はベッドの上に起き上がり、結局一睡もできなかった体をフロアへと下ろす。
 眠気覚ましに外を走ってこようと、ウェアに着替えた。重い足取りを自覚して、廊下で左京の部屋を振り返る。
 きっとまだ眠っているのだろう。
 ちゃんと眠れただろうか。
 自分が昨日言ったことなんて、気に留めていてくれないんだろう。
 寂しい。
 ……いろいろな想いを混じらせて、十座は体を翻す。
 登校に間に合うギリギリの時間まで走っていれば、左京に鉢合わせることもないはずだと、玄関のドアを静かに開け放した。




「天チャン、ちょっと待って待って、ねえ、十座サンがいないんすよ~」
「はァ? いねえって、なんでだよ。あのガタイで目立たねぇわけねーだろ?」
 学生組の朝食が終わって、そろそろ登校の時間だ。
 咲也は朝から元気だし、真澄は監督にいってらっしゃいのキスをおねだりしているし、万里が一限から行くわけもなくて、いまだにテーブルでのんびりしている。社会人である至も、トーストだけちょうだいなどと、手っ取り早く朝食をすませようとしている。この後に、特に早い時間の制限があるわけではないまったり組が起き出してきて、各々の朝食をとるはずだ。
 欧華高校に通う太一は、いつも天馬を送り迎えしている井川氏の車に、十座とともに便乗して登校している。十座の強面は、いつの間にやら天馬のボディガードの役目も果たしており、暗黙の了解のようになっていた。
 だが今朝は、一緒に行くはずの十座の姿が見えない。
「万チャ~ン、十座サン見てないッスか?」
「あぁ? 朝っぱらから胸くそ悪くなる名前聞かせんじゃねーよ、見てねーし。起きたらもういなかったぜ」
 ルームメイトである万里に訊ねてみるも、そっけない答え。
 犬猿の仲とはいうが、そろそろもう少しくらい打ち解けてもいいのになあと、太一は肩を竦めた。
 しかし万里が起きた時にいなかったということは、もう先に学校へ行ってしまったのだろうか? 別に歩いていけない距離ではないのだ、何らかの理由でそうしてもおかしくはない。
 だがそれならそれで、十座なら声をかけていくはずだ。あんな強面であっても、いや、だからこそか、十座は律儀な男だった。
「どうする、もう行かないと――」
 天馬が困り顔で太一に話しかけたその時、玄関のドアが慌ただしく開いた。ジャージ姿で首からタオルを下げ、この寒い時期に汗まみれの十座だ。
「悪い、天馬、太一。先に行ってくれ。シャワー浴びてから行くから」
「じゅっ、十座サンもしかして早朝トレッスか? いったい何時に起きて……」
「十座さん、待ってるから仕度してきてくれ」
「え、あ、いや、でも……遅れんだろ」
「いーよ、ちょっとくらい。どーせ俺は撮影とかでしょっちゅう遅れてるしな」
「そーッスよ~三人で行きましょ~」
 置いていけるわけないと、天馬や太一が十座に声をかける。ざっと汗を流すくらいなら、そんなに時間もかからないだろうし、何より天馬は、こうして友達と登校することを貴重なものだと思っている。多少の遅れはなんでもないのだ。
「あ、ああ……なら、すぐに。悪いな」
 十座はその厚意を受けて、浴場へと駆けていく。その背中を見送って、太一は少し首を傾げた。なんだか十座の元気がないなあと。
「ねえ万チャ――」
「万里さん、コーヒー淹れてくれよ。太一の分も」
「あぁ? なんで俺が」
「いいだろヒマしてんだし。アンタのコーヒー、結構美味いし」
「ふざけんな。結構、じゃなくてめちゃくちゃ美味いって言え」
 十座が来るまでリビングで待っていようと、天馬が万里にコーヒーを頼む。
 十座の様子がおかしいことを、万里に訊ねそこねた太一だったが、まあ朝っぱらから元気がいいのは、シトロンとサックンくらいかなあ~と位置づけて、万里の淹れてくれる美味しいコーヒーにありつくために、ソファに腰をかけた。



 ざっと汗を流し、体の水分を拭き取る。まだ湿る髪を乱雑にかき上げて、Tシャツに袖を通し学校指定のシャツと学ランを羽織った。
 もうこれでいいと、浴場を後にした十座の視界に、廊下の向こうから歩いてくる人物が入ってきた。
 ビキ、と体が硬直したかのような感覚を味わう。十座に一瞬遅れて、相手もこちらに気づいたようだ。
「……んで、まだいるんだ? いつもならもうとっくに学校行ってんだろ、兵頭」
「っい、今、から……行くっす……ちょっと、ランニングしてて」
 相手――古市左京は、眉間に深くしわを寄せ、ちっと舌を打ち、顔を背ける。
 十座が想像した通りの仕草で、いっそ笑ってしまいそうだ。なんでまだいるんだ、ということは、登校したことを見越して部屋から出てきたのだろう。
(怒ってんな……まぁ当然だが……)
 ズキンズキンと心臓が痛む。こんな左京を見たくて想いを告げたわけではない。想像通りではあるが、現実にそうされると――つらい。
 十座は太腿の横で拳を握り、足を踏み出した。見ていたくないなら、早々に視界から消し去るべきだ。
 天馬や太一を待たせているのだし、こんなところで立ち止まっているわけにはいかないと、足早に左京の横を通りすぎた。
 締めつけられる心臓を制服の上から押さえ、できる限りの距離を取って。
 そうしてリビングに足を踏み入れれば、万里と談笑している天馬、太一が見えた。
「悪い二人とも、待っててもらって」
「あっ、十座サン! 速かったッスね~」
「おー、じゃ、行こうぜ」
「二人とも、カップはそのままでいいぞ、片付けておくから。ほら、万里もそろそろ学校行けよ」
 いつの間にか臣まで加わっていて、変わらない日常の風景にホッとしてしまう。
「あっ左京にぃ、行ってくるッス~」
「行ってきます」
「あー、じゃあ俺も出るわ~、なんか朝っぱらからカミナリ落ちそうだし~」
「おはようございます左京さん。たまご、目玉焼きでいいですか?」
 ようやっと登校する学生組と入れ違いに、左京が入ってくる。
 一限は休講だという臣は、左京に朝食を準備しようと腰を上げた。
 ああ、といら立ちの含まれた声を十座は背中で聞いたけれど、聞かなかったことにしようと口唇を引き結んで、寮を後にした。


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金色の曼珠沙華-010-

金色の曼珠沙華 2017.10.01

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 十座はこの先一体どうすればいいのか、何も答えが見つからないまま自分の部屋に戻る。 ルームメイトであ…

金色の曼珠沙華

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 十座はこの先一体どうすればいいのか、何も答えが見つからないまま自分の部屋に戻る。
 ルームメイトである万里が使っている方のベッドから、慌てたような音が聞こえたけれど、そんなもの気にしている余裕もない。
「な、なんだよ兵頭、遅かったな。今まで自主練してたってのかよ」
 よくやるわと笑いを含んだ声が聞こえた。普段だったらお望み通り突っ掛かってやるところだが、そんな気分になれるわけもない。
 十座は万里に何も答えずに、着替えとタオル片手に浴場へと向かう。十座の珍しい態度に、面食らった万里に見向きもせずだ。
 十座は乱暴に服を脱ぎ捨て、風呂の扉を開ける。この時間帯はさすがに誰も入っていなくてホッとした。
 頭から湯を被り、ボディタオルに無心で泡を立てる。体を洗う間中ずっとずっと喉が痛くて、何度も何度も唾を飲み込んだ。
 離れていってくれない。頭から離れていってくれない。ふざけるなと怒鳴りつけたあの時の、左京の表情。
(ふざけてない……ふざけてねえ、……ふざけてねえんだよ……!)
 好きだと言う恋情に、果たしてふざけたものがあるのだろうか。真面目に捉えてくれなかった左京が、憎らしくさえ思う。
 だけど真面目に考えられない気持ちも分かるから、責めきれない。自分がもし男に恋なんて告白されたら、同じような態度を取るだろう。
 それでもこちらは真剣なのだ。
 左京に分かってもらいたい。左京に触れたい。あの口唇に。あの髪に。あの肌に。
 十座は泡を流した指先で、そっと口唇に触れる。感触を味わっている暇などなかった。それでもこの口唇は、左京に触れたのだ。
「……っ」
 まずい、と瞬間的に感じる。十座は自身の中に生まれてしまった欲望を自覚して、自己嫌悪に陥った。あれだけ派手に拒絶された後だというのに、どうして劣情というものは膨れ上がってしまうのか。
「ん……っ」
 立ち上がりかけた自身を見下ろして、触れてみた。こうなってしまっては、おさめる方法はひとつしかない。包み込み、扱きあげ、こすり、撫でて、上り詰めていく。
「……っは、はあっ……ん、う……さ、きょ……さん……ッ」
 思い浮かべるのは、悲しいかな左京しかいなかった。
 あの顔で、どんな風に乱れるのか。あの声で、どんな風に喘ぐのか。
 あの瞳が情欲に濡れたら、あの口唇に求められたら、あの声で呼ばれたら、きっとそれだけでイけてしまう。
 汗に濡れた左京を想像するだけで、あの厚くない胸板を思い浮かべるだけで、眼鏡を外した左京が、ベッドの上で髪を乱している様を考えるだけで、言葉にできないほどの背徳感と罪悪感と、快感が波のように押し寄せる。
「左京さん……ッ」
 白濁とした体液が飛び出していく。
 風呂の天井を見上げ、湯気の向こうに左京を浮かべ、十座は肩で大きく息をした。
「っはあ、はあー、は……はぁ……」
 額を流れた汗が目に染みて痛む。十座は項垂れて、シャワーで汚れを洗い流した。
 ぽたり、ぽたりと髪を、顎を伝い落ちていく雫。それは十座の顔を隠し、小さな呟きさえ洗い流していく。
「……すんません、左京さん……」
 吐息のような、小さな小さな呟き。
 十座はぎゅっと強く拳を握りしめ、泣きたい衝動を押し込めて、しまい込んで、鍵をかけた。


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