- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.269, No.268, No.267, No.266, No.265, No.264, No.263[7件]
俺のCandy Star!-031-
「万里くん……どうして……?」
「あ? 何が」
「どうして何も訊かないの? 俺、今日あんな……あんなふうに舞台を壊したのに……楽しみにしててくれたじゃない。怒らないの?」
万里は瞬きをひとつして、コトンとカップをテーブルに置く。
「確かに今日の紬さんおかしかったし、どうしたんだろうって思ったぜ。丞さんの真似みたいなことしてさ。紬さんの良さが、ぜんぜん活かせてなかったじゃん? それは、アンタも自覚してんだろ?」
「うん……」
「戸惑ったし、どっかで戻るかなって観てたけど、怒るってより、悲しかった、かな……今も」
「え……」
紬は息を飲む。
怒りより悲しさの方が多いというのは、一体どういうことか。そもそも、何が悲しかったのか分からない。多分万里は、紬がそれを分からないこと自体も、悲しいのだろう。
責めるようなまなざしと、ほんの少しテーブルの真ん中で出逢って、そして別れた。
「紬さん、今まで俺が言ってきたこと、真面目にとってくれてなかったのかなって、すげぇしんどい。なあ、言ったよな? 俺、紬さんが好きだって。紬さんの演技が好きだって。それなのに、なんでアンタは……自分の演技好きになってくれねーのかなって」
目を見開いた。
「あ……」
万里はあの日から何度も、好きだと言ってくれた。
ループしていたことを考えれば、万里が自覚している以上に、その言葉を聞いてきたのに。その大切な言葉を、否定するようなことをしてしまったのだと、ようやく気がつく。
万里の言葉を信じていなかったわけではない。それを上回ってしまうほど、自身が弱かっただけだ。
「万里くん……」
「自惚れろってんじゃねーよ、ただ、自分のこと、もうちょっと好きになってもいんじゃね? 俺じゃ、力不足なんだなって実感したけどよ」
ハハハと万里は笑い、ブレンドを飲み干す。珍しく諦めたような笑い方をする万里に、紬の胸がズキンと痛んだ。
(そんな顔をさせたいわけじゃない。俺が自分に自信がないことで、万里くんにまで……そんな顔させたくないよ……)
「出よう、紬さん。もうそろそろ帰らねーと、明日の勝負に響くぜ」
万里が伝票を持って立ち上がる。もたついているうちに、万里は二人分の会計を済ませてしまって、紬は店を出てから財布を取り出し、万里に声をかける。
「万里くん、お金」
「いーから。んな小さいこと気にするヒマがあったら、明日のこと心配してな」
「小さいって……」
こっちは働いてるのにな、と続けるが、言い出した万里が引かないのも知っている。少し迷って、ごちそうさまと小さく呟いた。
「どうせくれるんだったら、指先くれたらいいのによ」
「え? どういう……」
お金を渡そうとした指先が、万里に攫われていく。
あ、と言うより早くそっと握られて、紬は息を飲んだ。万里は紬の手を握ったまま歩き出してしまって、紬は慌てて脚を踏み出す。
「ば、万里くん、手……っ、街中、っていうか、あの、ちょっと」
恋人同士でもないのに、そもそも男同士で、と紬の思考がぐるぐると回り出す。それでも万里は離してくれない。
「だーめ、アンタ逃げるから」
「にっ、逃げないよ!」
捕まえとかないとと、万里はやっといつものように笑ってくれて、紬の心臓がさっきとは違った意味で跳ねた。逃げないようになんて言っておきながら、きっと自分が手をつなぎたいだけに違いないのに。
「万里くん。あの、もう、逃げないから、あの、えっと」
街中では人目がある――気にかかるのがそこだということを、紬は自覚していただろうか。
「万里くん」
ねえ、と続ける紬の一歩先で、万里が立ち止まった。不思議に思って覗き込めば、万里の指先がゆっくりと離れていく。ほんの少し寂しい気持ちになった紬だが、次の瞬間そんなことは消し飛んでいった。
『それでもいい。たとえ自分が不幸になっても、彼女を幸せにしたいんだ』
今まで紬の手を握っていた手をじっと見つめて、万里は――いや、ミカエルがそう呟いた。
『ねえラファエル、馬鹿なことだと思うかい? 彼女のことを考えるだけで、視界の色が違うんだ。胸の奥がくすぐったくて、指先が熱い。きみも恋をすれば分かるよ』
口許にその手を当て、くくくとおかしそうに笑う。紬は瞬きを忘れて、ミカエルの仕草を眺める。
紬のミカエルは、ここではにかんで笑う。だけど万里のミカエルは、違う笑い方をした。
『恋なんてしない。そんなことをしても、天使の格が上がるわけでもないのに。いや、むしろ下がるかもしれないんだぞ』
そうして、紬はラファエルとしてミカエルに返す。
何度も稽古を通して接してきた台詞だ、出てこないわけがない。紬がそうしたことに、万里は口の端を上げたように見えた。
『いくら好きになったって、天使と人間じゃ報われない。ミカエル、さっさと諦めた方がいいぞ』
『彼女の恋人になりたいわけじゃないよ、ラファエル。言っただろう、ボクは彼女が幸せならそれでいいんだ』
『お前の考えていることがさっぱり分からん。せっかく忠告してやっているのに』
『ありがとうラファエル、でも、ボクは大丈夫だよ。あの人を見ていられる――それで幸せだから』
ラファエルのため息で、暗転のシーンだ。
唐突なエチュードはそれで終幕するが、紬は初めて触れる他人の「ミカエル」に愕然とした。
そして、初めて演じる「ラファエル」の役に、ただ茫然とした。
「万里くんは……すごいな、やっぱり……台詞全部覚えてるんじゃない?」
当て書きで作られた脚本とはいえ、ミカエルを掴むのにそれなりに時間がかかったというのに、台本をまともに読んだことのないはずの万里は、きっちりと役をこなしていた。
器用というにも程がある、と俯いたら、力強い万里の声。
「ま、俺がやるとこんなんってことで」
「ほんとにスゴイよ……とても真似できない」
苦笑して、改めて自分の不器用さと、不甲斐なさを思い知る。気まずくて髪を梳いたら、万里にその手を取られた。
「真似なんてさせっかよ。そんな簡単に真似できるような芝居なんて、してねーからな」
責めるようにさえ、万里の視線が突き刺してくる。
びく、と体を強張らせたが、万里の視線が和らぐことはなかった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-030-
だが結局、違和感の残るまま幕は降り、ホームでの演目は不完全燃焼のまま終わってしまった。
明日はGOD座の劇場での勝負だ、道具をすべて向こうに運ばなければいけない。
カンパニー総出で小道具、大道具を運び出す。雄三や鉄郎まで駆り出して、すべてを運び終わる頃には月が空を飾っていた。
「摂津、紬を知らないか」
寮へ戻る途中、丞から声をかけられて万里は振り向く。
「は? 紬さん? え、……もしかして、いねーの?」
「楽屋、飛び出してったままなんだ。LIMEも返信ないし、電話にも出ない」
「なっ……」
万里は目を見開いた。
てっきり、冬組メンツで反省会でもしているのだろうと思っていたのに。
丞の慌てようからすると、反省会どころではなかったようだ。
「既読はつくんすか? あー、見てはいるんだ……どこ行ってんだろ、心当たりないんすか」
「寮のレッスン室にも、もちろん部屋にもいなかった。最近お前と仲がいいみたいだったから、もしかしてと思ったんだが……」
「マジかよ……」
万里はガシガシと髪をかき混ぜる。
紬の性格を考えると、また考え込んでしまっているのだろう。後悔をひとりで背負い込んで溜め込むのは、紬の悪い癖だ。
万里は自分の携帯端末を取り出して確認するが、連絡なんて当然来ていない。LIMEでコールしてみるも、出てくれない。
「丞さん、俺が絶対連れて帰るから、冬組メンツのフォローしといてくんねぇ? あ、あと監督ちゃんにも。ぜってー心配してっだろ」
「だけど紬は俺にとって大事な幼馴染みだ。待ってるなんてできないぞ」
「知ってるよ、紬さんがいちばん信頼してんのも、丞さんなんだから。俺が見つけるより早く帰ってくるかもしれねーだろ。そんとき、アンタが出迎えてやらねーでどうすんだっつの」
とん、と丞の胸を叩く。
「仲直り」してからの二人は、本当に幼馴染みというだけかと思うほど、仲が良くなった。いや、良くなったというより、戻った、のだろう。
正直それを、心穏やかに見ていることはできなかったが、紬と丞の仲を変に疑うことはしたくなかった。紬が言わないのなら、違うのだと。
「摂津……」
「アンタは、明日に備えてちゃんと休んでな。紬さん帰ってきたら連絡してくれ」
万里は、丞の了解も取らずに、夜の街へと駆け出していった。
はあ、とため息を吐く。淹れてもらったマンデリンは冷めかけていて、カップを持っても温かくはなかった。
どうしよう、と紬は俯く。
静かなジャズの流れる店内、客足はまばら。それぞれが思い思いの時間を過ごしている中、紬の頭の中は絵筆を洗ったあとの水のように、濁りきっていた。
(どうして、どうしてあんなことしちゃったんだろう。俺の勝手で、わがままで、せっかくのホームでの楽を壊してしまった……)
芝居を良くしたかった。観ているひと全員が、納得して帰ってもらえるように、改良しようとしたつもりだった。丞のように舞台を引っ張っていけたら――そう思っていたのに、結果は散々だ。
見る人が見れば、今日の舞台は最悪の出来だっただろう。何か記事を書かれるとしたら、酷評される未来しか見えない。
「丞みたいにはなれないな……」
GOD座の主宰に言われた、才能がないという言葉は、真実だったんだと、紬は口唇を噛む。
華がないことなんて演技でカバーしてみせる、と言い切れるほどの力なんてない。
明日、またあの人に言われてしまうのかと思うと、怖い。才能がないと、役者なんてやめてしまえと、遥か高みから見下ろされるのが怖い。
紬はそこで、両手で持っていたカップを置いた。
(違う……あの人が怖いんじゃない……才能がないって言われるのが怖いんじゃない……)
自分に嘘をついて、昔のトラウマを持ち出して、怖がる理由をこじつけているだけだと、口唇を引き結ぶ。
本当は、
(本当は、また丞に嫌われるのが怖いんだ……。今日だってあんなに怒らせて、失望させたかもしれない……せっかく、俺と芝居したいって言ってくれたのに、絶対にすごく怒ってるよね……)
逃げ出した過去を掘り起こして、また後悔をして、今日最後に見た丞の顔を思い出す。
どうしてあんなことをした、と軽蔑さえしそうな顔で怒鳴りつけてきた。
自分が悪いのだからそれは仕方ない、丞が怒るのも無理はない。
そこまで思って、紬は冷水でも浴びたかのように、急速に体が冷えていく錯覚を味わった。
ざわりと、鳥肌が立つ。
(万里くんも……?)
つい先日この席の向かい側に座って、笑ってくれていたあの年下の男の子も、丞同様に怒っているだろうか。
いや、怒っていないはずがない。あんな演技をしてしまって、楽しみにしてくれていた彼が、怒らないわけがないのだ。
(ど、どうしよう……万里くんにまで、合わせる顔がなくなるなんて)
さすがに涙がこみ上げてくる。軽蔑されただろうか。
それはなくても、もう笑ってここに誘ってくれることはなくなるかもしれない。
大好きなコーヒーの話を、してくれなくなるかもしれない。
稽古のあと、LIMEでお疲れと送信してくれることも、朝食のたまごやきを分けてくれることも、中庭の花たちのことで楽しく言葉を交わすことも、なくなるかもしれない。
(どうしよう、やだ……いやだ、嫌だ、万里くん……っ)
涙を我慢して俯いて、紬はあのカフェラテ色の髪をしたひとを思う。
いてほしい時に傍にいてくれた、優しい男の子。
負けそうになった時、「なんとかなるんじゃね?」と夕食のメニューでも話すかのような気楽さで、引き上げてくれていた。
いてほしかった。今、ここに。
平気っしょ、なんでもねーって――なんて、あの明るい笑顔で言ってほしい。
(絶対怒ってるのに、無理……きっとあの眉つり上げて、どうしてあんな演技したのって言ってくるに違いないのに……なのに、俺っ……)
紬は背中を丸めて、吐息と一緒に呟いた。
「……逢いたい……」
万里に逢いたい。
温かくなくてもいい、美味しいコーヒーを飲みたい。
会話なんてなくてもいい、万里の世界にいることを許容してほしい。
(逢いたい……)
「紬さん! いた!」
幻聴かと思った。万里の声がする。
紬は思わず顔を上げて、声のした方を振り向く。
そこには、息を切らせた万里が確かに立っていた。
「え……万里くん……? ……どうして、なんでっ?」
「どうしてじゃねーよアンタもー、心配すっだろ、電話にくらい出ろ!」
ズカズカとフロアを突っ切り、万里はすぐに窓際のテーブルまでやってくる。ダン、とテーブルを叩かれて、やっぱり怒っているのだと、紬は肩を竦めた。震えていた端末は、どうせ丞や監督からの連絡だろうと思っていたのに、まさか万里からも来ていたなんて。
「ご、ごめん……俺、でも、よくここが」
あ、と紬は気づく。万里の背後、カウンターの向こう側で、この店のマスターがホッと安堵したような表情を見せたのを。
きっとマスターが心配して、万里に連絡してくれたのだろう。
「……帰ろ、紬さん。みんな心配してっから。つか丞さんがすげぇ慌ててんだよ。あ、連絡しとかねーと。紬さん確保、っと」
万里はそう言って、端末でLIMEを操作する。
紬はその様子を、信じられないものでも見るような思いで眺めていた。万里から、思っていたほどの怒りが感じられない。紬を見つけて、安堵して忘れているだけなのだろうか。
「心配……」
「そーだよ、あんな演技して。楽屋飛び出してったんだって? 心配、すんだろ。あ、マスター、ブレンド」
万里は丞への連絡を終えて、大仰なため息とともに椅子を引き、紬の向かい側に腰をかけた。
え、と紬は目を瞠る。
万里とは、もうこうやって一緒にコーヒーを飲むことはできないと、ついさっき思ったばかりなのに。当の本人に、それを覆されてしまった。
「一杯だけつきあって、紬さん」
万里は目の前で、笑ってくれる。軽蔑も怒りもなく、かといって見放したわけでもない。
紬は、不思議でしょうがなかった。あんな失態を犯した自分に、どうしてまだ笑いかけてくれるのだろうか。
マスターが運んできてくれた、熱いブレンドのカップを持ち上げて、万里はやっと一息ついたようだった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-029-
そっと握りしめられたミカエルの手が、胸に当てられる。
『それでもいい。たとえ自分が不幸になっても、彼女を幸せにしたいんだ』
きゅう、と胸が締めつけられた。それは今この演目を観ている全員に言えることだろう。
「月岡紬」の演じる天使・ミカエルは、人間の女の子に恋をして、たとえ自分がどうなってもいいから、彼女を助けたいと切に願う役だ。
天使という儚いイメージのある役に、紬の繊細な演技はまさにハマり役だった。儚さの中にも、芯の強さを感じられる。
紬の演技に引っ張られてか、誉や密、東の演技にも磨きがかかっている。本当にそこに、その役として存在しているかのような静かな力強さが、冬組の公演にはあった。
(秋組の、勢いで引き込んでいくものとは違うな……役者の年齢層が高いってのもあんのか、しっとり……してる……)
万里はそれを舞台袖で眺めながら、自分の指先が動くのを自覚していた。
演じたい。
こんなに芝居をしたいと思ったのは、秋組の一人芝居を観た時以来だ。
(あん時とも、ちょっと違うか)
あの時はただただ衝撃で、負けたくないと思った。今は、あの人と一緒に演じてみたい。そんなふうに気持ちが変化している。
(俺にはあんなふうにできねぇ。こんなふうに観客を引き込めない……)
作風がまったく違うのだ、観客の感じ方も全然違うだろうことは理解できる。だが、紬には一生敵わないのだろうと分かった。
(すっげぇ綺麗。丞さんみたいな存在感はないって思ってたけど、全然、あんじゃん……)
舞台の上で、ひときわ目立つのはやはり主役だ。だがそれを抜いても、紬に目が惹かれる。
ミカエルに共感して、泣きそうになっている観客の、なんと多いことか。
(また、惚れちまった。何度目だよ、これ)
観客すべてをその世界に引き込む力を持ったひとを、好きになれた幸福。人生がイージーモードだなんてとんでもない。こんな気持ちを知らなかったせいだ。
この恋が叶うかどうか分からない。だけど紬に恋をできた、それが誇らしい。
まるで、人間に恋をして、自分が滅ぶと分かっていても、幸福そうに消えていったミカエルのようだと、泣き出しそうな想いをこくりと飲み込んだ。
(いつか、アンタと同じ舞台に立てたらいい)
万里の心に、新しい芽が吹く。
組が違えば共演は難しいかもしれない。それでもいつか、舞台の上であの演技に応えてみたいのだ。
そのためには、MANKAIカンパニーが存続していることが前提条件。
GOD座との勝負に勝てるよう、全力でサポートしようと、万里は紬の演技をじっと眺めた。
そうして、あっという間に前楽を迎えてしまう。
明日はGOD座の劇場で演じて勝負をすることになっており、カンパニーの劇場でこの演目をやるのはこれが最後だ。
複数回観に来てくれる客も増え、昨日より今日、今日より明日、と芝居をよりよくしていかなければという想いが、紬の中に闇を生んでしまった。
昨日、GOD座からの丞のファンが不満を漏らしているのを聞いてしまって、収まったと思った後悔の種が芽吹いてしまったのだ。
(主役を変えてほしい、か。確かに俺の演技に丞が合わせる形でしかない。あれじゃ、丞が死んでしまう。ファンにしてみたら当然の不満だよね……)
自分の演技では、丞の良さを引き出すことができない。
丞の勝ち気で派手なオーラは、舞台の上で最高の武器だ。それを活かせていないことが、悔しい。
(もっと、丞みたいにできたら……!)
華がない、才能がない、やめてしまった方がきみのためだ。そう言われたことが、いまだに胸の奥に残っている。
(そうだ、丞みたいに)
芝居を良くしたい。お客さんに満足してもらいたい。
「あの、監督、今日の芝居、少し変えてみてもいいですか……?」
「え? 変えるって……どんなふうに?」
「任せてもらえませんか」
「うん……? 紬さんが、そう言うなら」
不安そうないづみの声も、今の紬には届かない。ホームでの最後の演技、紬が選んだのは悪手だった――。
舞台の上で、紬が沈んだのが手に取るように分かる。
あ、と思った時にはもう、紬のミカエルではなくなっていた。違う、と思っているのに、紬自身も止められないのか、仕草がどんどん荒くなっていく。
(紬さん、どうしたんだよ……!? そんなん、アンタらしくねぇっ……!)
万里は裏方として照明や音響をチェックしている中、これまでの紬とは、正反対のミカエルがそこにいるのに瞬時に気づくのに、どうすることもできないでいた。
舞台は冬組のものだ。自浄するならば、冬組のメンバーでなければいけない。
それができないのなら、GOD座との勝負なんて、負けるのが目に見えている。
(いつもの紬さんなら、ここで声を張り上げたりしない。切なそうに微笑んで言うのに……、なんで……!)
「おい、紬さんどうかしたのか。いつものと違う」
その異変に気づいているのは、万里だけではない。
「わっかんねぇよ、客は喜んでるみたいだけど……」
「板の上でも、困惑してるな、あいつら。有栖川たちは、まだ軌道修正できるほどの力付けてねえんだろ」
「丞サンが、どうにか引き戻してくんないッスかね!?」
「だけど丞さんも、紬さんの演技に戸惑ってるみたいだが……」
秋組のメンツはもちろん、当然監督であるいづみ、勘のいい他の組のメンバーは気がついていた。
「摂津、お前何か変なこと言ったんじゃねぇのか」
「なンでだよッ、昨日は普通だったんだぜ、あの人」
紬に想いを寄せていることを知っている十座が、不審そうに声をかけてくる。
まったくもって心外だ。いつものように好きだという言葉と、明日も楽しみにしてるという期待と、頑張れよという発破をかけただけ。
そういえば、心なしか元気がなかったかなと思うけれど、万里の言葉で気分が落ち込んだわけではないと思いたい。
(紬さん、なんで……?)
芝居をよりよくしようと、演技を変えるのはままあることだと思う。秋組だってアドリブてんこ盛りで千秋楽を終えたのだ。やりすぎなければ、それは悪いことではない。
だが今の紬は、アドリブを挟むというレベルではなかった。万里は板の上の困惑をどうすることもできずに、祈るように見守るだけだった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-028-
そうして、GOD座とのタイマンACTのテーマも天使に決まり、皆木綴はかつてないスピードで脚本を仕上げてきた。気合いの入り方が違うということだろうか。
「天使」をテーマに戦うということで、衣装係の瑠璃川幸も熱が入る。予算の引き上げを渋る左京でさえ、補填は後でもできるなどと言う始末。
「すごいね、これ……」
「カンパニー総出で挑む感じだからな。演じるのはアンタら冬組だけど、俺ら他の組は裏方でサポートするぜ」
熱気、という言葉をこれほど痛感したことはないと紬は思う。
外せなかったバイトの帰り、買い出しに出掛けていたらしい万里とばったり出逢ってしまったのは、本当に偶然だった。
その手には、大量の布が詰め込まれた買い物袋。これから幸と、最終的な衣装チェックなのだとか。
「幸くん、こういうのは自分で買い付けるのかと思ってたけど」
「今手が離せないんだとよ。素材さえ決まってりゃ、店員に訊けるからって」
「な、なんだか申し訳ない感じだな……こんなに大事になるとは思ってなかった」
「なに言ってんだ、主役がよ。俺は楽しんでるけどな。衣装とか手伝うのもいいもんだ」
そう言って笑う万里に、紬は少し先の方向を指さす。
「えっと、じゃあ……お茶に誘うのも難しい、かな。息抜き?」
万里が驚いて目を瞬く。そして間を置かずに「んなわけねーじゃん」と返してきた。
「紬さんから誘ってくれんの久々じゃね? ここしばらく時間合わなかったし」
「そうだね、特に俺が脚本読みで時間取られてたから。一杯だけ、つきあってくれる?」
「おつきあいなら喜んで」
「そういう話じゃなくてね」
そんなことを言い合いながら、お気に入りのカフェに向かう。
会話の端々に、分かりやすいアプローチを挟んでくる万里のあしらい方も、慣れてしまった。
よく飽きないなあと思うほど、万里はことあるごとに想いを告げてくる。
優しい声は耳に心地良く、勝ち気な笑顔は怖いものなんてないと勇気をくれた。
「初日、明後日だな。台詞もうバッチリすか?」
このカフェに来るのは紬は三度目。薫り高いブレンドは、もちろん万里のおすすめだった。
「うん、入ってる。昨日また変えられたけどね」
「あー、丞さんと綴がやりあってたな。どっちの言い分も分かるけど。アドリブでやらない辺り丞さんらしい」
「最初はひとまず堅実にっていうのが、丞とのやり方だからかな。慣れてくるとひどいよ?」
「そーなんすか? ……さすが幼なじみ、よく分かってんのな」
珍しくむくれる万里に首を傾げ、その理由を探してみる。まさかとは思いつつ、やきもち? と笑ってみたら、否定は返ってこなかった。
(かわいい。万里くんて、大人っぽいなって思ってたけど、案外子供なところもあるよね。きっとまだ知らない顔を隠してるんだ)
その時、テーブルにコトリと小さなスコーンが運ばれてくる。
「あ? マスター、何これ」
だが紬はオーダーしていない。万里もだ。
それを運んできたのは、この店を取り仕切るマスター。口許のヒゲがなんとも渋い男だった。
「はい、サービスね」
「えっ? でも」
「万里ちゃん、今日はつむちゃんも来られたのね、良かったじゃない」
少し女性的な話し方をするこのマスターは、どうも万里を気に入っているらしく、「万里ちゃん」と呼ぶ。劇団の誰もしない呼び方だ。
万里はそれが気に食わないらしく、「万里ちゃんはヤメロ」と睨むが、マスターの方は気にも留めていない。
まるで親戚のおじさんが、甥っ子をかわいがるかのような言動を、紬は初めてこのカフェに来たときから微笑ましく眺めていた。
「えっ、あれ、今日は、って……?」
そして、いつも一人で来る万里と連れ立ってきたという理由でか、紬のことをつむちゃんと呼ぶ。
そんな可愛らしい愛称で呼ばれる年齢でもないのだが、不愉快なものではない。
紬はマスターを振り仰ぎ、言葉の真意を訊ねてみた。
「万里ちゃんねぇ、ここ数日は一人で来てたのよ。毎回そこに座ってね。つむちゃんとここ来た時のこと思い出して嬉しそうにしたり、向かい側につむちゃんがいないから寂しそうにしたりねぇ……かわいいったらなかったわ」
「えっ……」
「んな顔してねぇって!」
抗議する万里だが、顔が赤い。この席は、初めて万里につれてきてもらってから以来の、お決まりの場所だ。
窓際、隅っこ、カウンターからちらりと見える。そんな静かな場所。
窓際に並べられた鉢植えは、手入れが行き届いており、紬は毎回、元気に咲く花を見るのが好きだった。
万里はここで、紬と過ごした時のことを、これから過ごせることを思って、コーヒーを飲んでいたのだろうか。
「万里くん……」
「……だぁから、別に、深い意味はねぇんだっつの……紬さんがこの席好きみたいだったから、空いてりゃ選ぶだけで」
「一昨日なんかね、空くまでカウンターで飲んでたのよ、この子」
「今言うか……っ……!」
自然と、紬の口許が緩んでいく。
万里は本当に、一生懸命好きでいてくれる。
自分のどこをそんなに気に入ってくれたのか分からないが、その気持ちを嬉しいと思うほどには、万里が近くなっていた。
「公演始まったら、頻繁には来られなくなっちゃうかもだけど、また誘ってね、万里くん」
そう言って、スコーンをサービスしてくれたマスターに礼を告げて口へと運ぶ。悪くない反応だと万里も気づいてか、笑ってくれた。
「トーゼンっしょ」
明後日が初日だというのに、緊張よりも楽しみの方が勝っている。
そんなポジティブな思考は、我ながら珍しいなと思いつつ、紬は嬉しそうにブレンドをすする万里を、ずっと眺めていた。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-027-
「おはよう丞……」
「ああ……」
「稽古、行こうか」
「そうだな、どうせ昨日と同じなんだろうが」
翌朝、と言って良いのか分からないが、二人はうんざりとしながらも、昨日までの昨日とは明らかに違う距離感に安堵しながら、レッスン室へと向かった。
「おはようございます」
「おはようございます!」
最初にあれ? と思ったのは、誉からの独創的な詩のプレゼントがなかったこと。そして、密がマシュマロの袋を抱えていないこと。
昨日の昨日とは、明らかに違う。
「御影、マシュマロは?」
「……もう食べ終わった」
相当量があったはずだが、あれをもう食べてしまったのか。
いや、そんなことは今は問題ではない。
「有栖川も、今日はトンチキな詩をプレゼントしないのか」
「ワタシの渾身の詩は昨日披露しただろう。そもそもトンチキとはなんだね。ひとまずワタシの辞書にも加えておこう。褒められた気はしないがね」
丞も、紬も目を瞠った。やっぱり昨日の昨日と違う。紬は、慌てて携帯端末の画面を確認した。
「……丞っ、見て、日付!」
「――十三日だ!」
丞もその画面を覗き込んで声を上げる。久し振りに、十二でない数字を見た。
「やっと抜けたよ!」
「おっし!」
二人して思わずガッツポーズ。
どうせ今日も同じ日なのだろうと思っていただけに、驚きは隠せない。しかしそれよりも、ようやっと無間地獄から抜け出せた開放感が、全身を支配した。
「ど、どうしたんですか二人とも……?」
いづみが、そんな二人の様子を訝しんで訊ねてくる。傍から見れば、確かに異様な喜びようだろう。
「ええと、実は――」
不思議なことがあって、と続けようとした紬を、丞が止める。こんな話は、誰にしても信じないだろうと。実際、ループし始めた頃は丞自身、信じていなかった。
「やっぱり、そうかな……」
あははと笑い、内緒ですと紬は口唇に人差し指を当ててみせた。
いつのまに仲直りしたのだろうと、誉たちの不思議そうな視線が向かってきたけれど、紬たち自身、いつの時点が「仲直り」なのかは分からない。
ただストリートACTをして、楽しかったあの頃を思い出して、今本当にやりたいことを話しただけだ。
(あ、そうか。三角くんが言ってたのって、これか……)
仲直りなんてカンタン、とお日様みたいに笑った彼の言葉の意味が、ようやく分かる。
丞と芝居がしたい、主役として舞台に立ちたい、溜め込んでいたそのふたつの願いを、表に出しただけだ。
ようやく今日になった日の稽古をがんばろうと、清々し気持ちで紬は顔を上げる。
そして唐突に、気づく。
(昨日は、もう……ないんだ……。じゃあ、そっか……昨日のあれが、最後か……)
昨日がちゃんと昨日になったということは、万里が中庭で想いを告げてくることはなくなったのだ。
どの日の告白も真剣で、どの言葉も本当で、どの視線も熱っぽかった。あれがもう見られないのかと思うと、残念な気がしてくる。
昨日の昨日、もっとちゃんと身を入れて聞いていればよかったと、万里のカフェラテ色の髪を思い出した。
「紬? どうした、稽古始めるぞ」
「あっ、うん、ごめん丞」
丞に呼ばれハッと意識を切り替え、稽古の輪の中に入っていく。
昨日とは違う今日なのに、どうしてか寂しい気分が抜けていかなかった。
「あれ、紬さん今日もカテキョ?」
いつもより少し遅い時刻に玄関へ向かうと、後ろから万里の声がかかる。思わず心臓が跳ねた。どんな顔をしたらいいのか分からない。
「あ、う、うん。今日は違う子だけど。真面目だよね。俺なんか高校の時は芝居づけだったのに」
「今もだろ、芝居づけ。すっげ楽しそうな顔してんの」
「そうかな。秋組は今日稽古?」
「あー、学生組が昼揃ってんの珍しいからな。夕方までみっちりだぜ」
やれやれと肩を竦めながらも、万里も楽しそうな顔をしている。彼も彼なりに、芝居づけなのだろう。
紬はどこかでホッとする。
口説き落とすからと言っていたわりには、以前と変わらない態度で接してくれる万里。ちゃんと真剣に考えると言った紬の答えを、待っていてくれるのか。
「そっか。頑張ってね」
「カテキョ何時まで? 夕方空くんならどっか行こう、カフェ。紬さんと一緒にコーヒー飲みてぇ」
しかし間髪入れずに続けられた言葉に、紬はボッと頬を赤らめて言葉をなくした。
今まで一緒にカフェに行くことはあっても、「一緒に飲みたい」という言葉にはしていなかった。
「……万里くん」
「言ったじゃん、待ってるだけのつもりはねぇってさ。なんならオゴるし」
「いや、それはいいけど。……分かったよ、もう」
誰が聞いているか分からない玄関先で口説き文句なんて、とんでもない。
お互いにしか分からない事情だとしても、平静を装い続けられる自信はない。
諫めるように名を呼んだけれど、万里は悪びれもせずにそう言って笑う。
この勢いと情熱は、十代ならではのものなのか、それとも万里特有のものなのか。
仕方ないなと紬は諦めて、バイトが終わってからの約束を受け入れた。
「やりぃ。紬さんの好きそうなとこにすっから」
「え、でも前回もそうやって俺の好みだったよね。今回は万里くんの好きなとこでいいよ?」
「そっすか? じゃあ、あとでLIME入れるんで。あー、ちょっと分かりづらいとこにあっから、駅まで迎えに行くわ」
万里が携帯端末をいじりながら、店の場所を確認する。きっと紬への気遣い半分、少しでも一緒の時間を増やしたい想い半分、なのだろう。
紬は隠しもしない万里の想いがくすぐったくて、困ったように眉を下げた。
「万里くん、俺、そんなに簡単にオトされたりしないからね?」
年下の男の子に、そう簡単に口説き落とされるものかと牽制をしてみたのだが、万里はそれでも嬉しそうな顔をした。
「ハッ、そしたら俺、人生初のハードモード楽しむわ。好きだぜ紬さん」
「万里くん! 誰か聞いてたらどうするのっ」
「顔真っ赤。アンタのそういう可愛い顔、もっといっぱい見せてくれよな」
行ってらっしゃいと、万里はひらひら手を振ってくる。紬は今のうちに逃げ出してしまおうと、玄関のドアノブに手をかけた。
幸い誰にも聞かれていないようだけれど、心臓に悪いなあと、昨日見上げた空に視線をやった。
昨日は夜空、今日は昼の空。
流れる星は見えないけれど、万里の想いは変わっていない。
どうして、万里の告白がもう聞けないなんて馬鹿なことを考えていたのだろう? 彼は今日も一生懸命、好きでいてくれる。場所は考えてほしいけれど、やっぱり悪い気はしなかった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-026-
その日の夜、夕食が終わったあと、紬はいづみにみんなを集めてくれるように頼んだ。
「紬さん、みんな集めましたけど……」
「ありがとうございます。みなさん突然すみません、聞いてもらいたいことがあります」
支配人や亀吉も含めた、劇団の全員が談話室に集まる中で、紬はゆっくりと話し始める。
GOD座との確執、自分に自信が持てない理由。それでも芝居に触れていたいと切に願う気持ち。
他人から見たら、馬鹿馬鹿しい理由かもしれない。些細なものかもしれない。だけど今この気持ちを吐露しなければ、前には進めなかった。
傍に、丞がいてくれる。
壁際で、万里が見ていてくれる。
泣き出しそうな声をぐっとこらえて、紬は今思っていることをすべて吐き出した。
「GOD座とのタイマンACTは、分の悪い賭けです。この業界でトップ集団にいる劇団との勝負なんて、勝てる見込みはない。ほぼゼロに近いかもしれません。でも、俺はもう逃げたくない。自分の意志でこの街に戻ってきた以上、逃げるべきではないんです。たとえ結果が悪くても――」
胸の前で拳を握る。ドクドクと早鐘を打つ心臓の鼓動が、その拳にまで響いてきた。
「GOD座からの勝負を受けさせてください。あの時逃げ出した後悔を繰り返さないためにも。ひどく個人的な理由だとは分かっています。だけど……今この劇団で、みんなと芝居をしたいんです。お願いします」
そう言って、深く頭を下げる。
芝居がしたい。小さな頃からずっと胸の奥で輝くひとつの願い。
芝居がしたい。また、丞と。東や、誉や、密と。
そしていつか、万里と舞台で。
「紬さん……」
「逃げ出すなんてもう許さないぞ」
「やってやろうぜ」
いづみの、安堵した声。丞の、呆れたような声。万里の勝ち気な声。それには嬉しさが混じっていて、すうっと紬の肩から力が抜けていった。
「おう、逃げるなんて冗談じゃねぇ」
「やらない後悔よりも、やった後悔の方がいい」
「GOD座の弱点情報、流しまくりッス~」
「頼むぜ太一」
次々に賛同が聞こえてくる。
「しょうがないな、やるなら本気でいくぞ」
「俺も全力でサポートします!」
リーダー仲間からも、頼もしい声。
そして肝心の冬組からは。
「やれやれ、大変なことになったね」
「でも、リーダーの決めたことには従うよ。微力ながら、ボクもがんばろう」
「……うん」
「珍しく起きていたんだね」
「ワタシがマシュマロで釣っていたのだよ」
なるほど、と笑う声が聞こえる。
重要で重大な決定だと思うのだが、劇団の全員が、嬉しそうな顔をしていた。
紬は改めて、この劇団で芝居がしたいと思う。壊させたりしない――絶対にだ。
そう決意を新たにしたら、組の親睦を深めるとかでババ抜き大会が始まってしまって、笑みがこぼれる。紬もそれに混じって、久し振りに声を上げて笑った。
酔い覚ましにと、紬は中庭へ向かう。
もともとあんまり飲めないのは自覚していて、一杯だけと注がれたビールを、半分ほど飲んだだけ。それでも熱気にあてられたのか、顔が火照っている。
(逃げ出さないで、良かった。
GOD座からの勝負は、満場一致で受けることになった。自分の思いが叶ったのは嬉しいが、それ以上に、仲間とともに立ち向かえることが嬉しい。ぎくしゃくしていた、幼馴染みとも一緒だ。
(芝居が楽しみだなんて、そういえば久々だな。丞と再会してから、なんだか落ち込んでばかりだったし……)
夜風に頬を当て、涼む紬の背中に、声がかかる。
「紬さん」
振り向かなくても分かった。万里だ。彼もババ抜き大会を抜け出してきたのだろうか。
「万里くん、いいの? 秋組の応援とか」
「あー、今俺の番だったんだけど、イチ抜けしたからへーき。後は知らねーよ」
「あはは、万里くんてババ抜きまで強いの? えっと、イージーモードだっけ? すごいね」
万里にかかれば、どんなことでもイージーモードになってしまう。勝ち抜くところを見ていれば良かったかなと思い、笑った。
「紬さんアンタ酔っ払ってねぇ? 平気かよ」
「酔っ払ってないよ、大丈夫、大丈夫」
半信半疑、そんな万里の視線が向かってくる。顔は火照っているけれど、ちゃんと正気だ。足下だってふらついていないし、万里の顔だってよく見える。
「タイマンACT、楽しみだな。何かテーマがあるんだっけ?」
「ああ、うん、そう。多分返事をしたときにテーマ提示されると思うんだけど、何がくるんだろう……怖いけど、楽しみだよ」
期日は明日だ。GOD座も演じる以上、無茶な設定のものはこないだろう。
キャリアもトップクラスのGOD座が、MANKAIカンパニー相手に何を持ってくるのか。演じきれるか分からなくて怖いけれど、新しい役をもらえるという点については、わくわくとそわそわが止まらない。
「……良かった」
「え? なにが?」
「アンタ、昨日の様子からだと断るのかなって思ってたからさ。自信ないってすげぇ暗かったじゃん」
「リフレインするのやめてね、恥ずかしいから」
昨日までの自分を思い返すと、恥ずかしくてしょうがないのだ。
何があんなに自信をなくさせていたのだろう。理由はきっとたくさんあるけれど、のしかからせていたのは紬自身だ。
「俺もすっげぇ楽しみ。舞台の上の紬さん、見られるんだよな」
「あんまり期待しすぎると、実際見た時にがっかりするかもよ?」
「しねーよ、そんなん」
その瞬間まで楽しそうに笑っていた万里が、唐突に真剣な顔をする。
何か気に障ることでもあったかなと首を傾げれば、緊張したように万里が空気を吸い込んだ。
「月岡紬さん」
脚の横で拳をそっと握りしめ、万里はわざわざフルネームで紬を呼んでくる。
「え、あ、は、はい」
紬も思わず、居を正して背筋を伸ばした。
「アンタが好きだ」
今まででいちばん短くて、いちばん直線的で、いちばん切ない顔をして、最短距離で想いを告げてくる万里。
足下から、ざわりとせり上がってくる感情を、紬は何だと解釈したらいいのだろうか。
「今のアンタに言って、信じてもらえっかどうか分かんねーけどさ……」
「……酔っ払ってないって言ったよね、俺」
酒飲んでたし、と気まずそうに頬をかく万里を、紬はじっと見やる。
素面でない時に言っても、信じられないかもしれない、最悪、起きたら忘れているかもしれない。万里がそう心配するのは分かるけれど、紬はいたって素面だ。
「万里くんが俺なんかのこと好きになってくれたのは、嬉しい。……少し、考えさせてもらってもいいかな。すぐには、ちゃんとした答えを返せないと思うんだ。申し訳ないけど、今はこういうの考えられる状況じゃないしね」
そうして紬は、あの日の今日とは違う答えを万里に返す。
いつだか、前向きに考えてほしいと望んだ万里に応えて、しっかりと考えてみたい。どんな結果になるかは分からないが、頭から否定して拒絶するのは、もうできない。
摂津万里という男の子のことを、もう少し知りたくなってしまっている。
それが恋としてなのか、劇団の仲間としてなのか、はたまたライバルとしてなのか、考えたい。
「……つ、紬さん……? アンタ、驚かねーの? ヤローに告白されんの、慣れてんのか?」
「え? あ……」
万里と視線を合わせれば、すんなり告白を受け止めてしまった紬を、怪訝そうな表情で見つめてきていた。
しまったなと思う。紬にとっては何度目かの恋の告白でも、万里にとっては、ストリートACTを入れても二度目なのだ。慣れるものではないけれど、驚いたりはしなくなってしまった。
「もしかして俺、結構分かりやすかったのかな……自覚してから、まだそんな経ってねーのに」
「あっ、あの、違うんだ、なんていうかその……き、昨日のこと、演技じゃなかったのかなって思ってたから、その。あと俺、告白なんてされたことない」
「えっ、そーなんすか? 女にも? てことは、紬さんの方から告ったてこと?」
「……ストレートに告白したことはないよ……つきあおうか、って、それだけ……」
気まずそうにそう返せば、万里が困ったような顔をする。
やっぱりこの歳まで生きてきて、好きのひとつもまともに言ったことがないというのは、おかしなことだっただろうか。
「やべ、嬉しいんだけど、喜んでいいのか分かんね……俺最低じゃね?」
「えっ、な、なんで嬉しいの」
「紬さんの初めてもらっちまったんだろ、これ。それがすっげぇ嬉しい。紬さん女にモテねータイプとは思えねーのに、そういうのなかったんだなって、喜ぶ自分がすげぇ嫌。ごめん」
「……別に謝るようなことじゃないと思うけど……モテるっていうのは、万里くんみたいな子でしょ」
恋愛経験が少ないことを喜んでしまった、それでこの謝罪か、と思うと、本当に素直な子だなと感じてしまう。
経験の乏しさを指摘されているのに、悪い気はしないのは、万里のまっすぐな気持ちが向かってくるからだろう。
やっぱり女の子にも人気あるんだろうなと思うと、胃がずしりと重くなった。
「でも俺、ホントに好きって思ったの、紬さんが初めてかも。自分から告ったのもこれが最初だし。だから、紬さんがちゃんと真剣に考えてくれそうで、すっげぇ泣きそう、嬉しい」
「……うん、頑張って考えてみるね」
「言っとくけど俺、待ってるだけのつもりねーぜ? ぜってー口説き落としてやっから」
勝ち気な笑顔で、万里がそう告げてくる。どんな方法なんだろ、と紬は気恥ずかしさに視線を逸らした。
そもそも、いつこの無間地獄から抜け出せるのだろう。せっかくGOD座との勝負を受けると決めたのに、そこまでたどり着けないではないか。
自分の気持ちが負けてしまわないうちに、今日が昨日になるといい。
そこまで思って、負けてしまうことはないかなと考え直す。
「大好きだぜ、紬さん。アンタの演技も、アンタ自身も」
全力で好きと言ってくれるひとがいる。
ここにいてもいいのだと、全身で伝えてくれるひとがいる。
「じゃ、俺部屋に戻るわ。案外いい反応もらえて、すっげぇ嬉しい。おやすみ、紬さん」
「うん、おやすみ万里くん」
そう言って、万里は満足そうに寮の中へと戻っていく。紬はそんな彼にひらひらと手を振って、冬の夜空を見上げた。
星が流れる。
願い事を言う前に消えてしまったけれど、今心の中にある願いは、きっと自分自身で叶えられる。
そうだよね、と紬は目を閉じて、冬組のメンバーを思い浮かべた。
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「だけど、俺は紬さんみたいには演じられない。丞さんにだってだ。紬さん、アンタのミカエルを演じろよ。俺、ちゃんと最後まで観てるからさ」
ざわりと肌があわ立つ。
自分のミカエル――そんなに簡単なことを、どうして紬は見失ってしまったのだろうか。
今、万里が演じたミカエルが、紬のものとは違っていたように、きっと丞が演じても同じものにはならないだろう。あの力強さは、ストーリーを根本から変えてしまうかもしれない。
今の万里だって、天使としての儚さは欠片もなくて、初めての恋を楽しんでいるだけのように思えた。
真似なんかさせない。そんな芝居してない。
強気な万里の声が、頭の中でこだまする。
(俺の、ミカエル……)
紬は視線を右にやり、下にやり、上を向いて左に泳がせ、そうして正面、万里の目をじっと眺めた。
「ん? オッケ?」
「……万里くん、一個だけ頼みがあるんだけど」
「めっずらし、何よ、アンタの頼みなら何だって叶えてやるぜ?」
紬の珍しいおねだりに、万里はピュウと口笛を吹く。
そんなに難しいことじゃないんだけどと苦笑して、紬は口を開いた。
「あのね、いつもの……言ってくれないかな。それだけ。一回だけでいいから」
「いつもの?」
万里がぱちぱちと目を瞬く。
いつもの、でちゃんと伝わるかどうか分からなかったけれど、紬にはまだ、そうやって頼むことしかできない。
いつもの、という謎かけみたいなおねだりに、万里は最初答えが分からなかったみたいだが、気がついてナルホドと指を鳴らした。
「そんなんでいいのかよ?」
「だめかな」
「んなわけねーじゃん。紬さん、好きだぜ。すっげぇ好き。紬さん自身も、紬さんの演技も、好きだ」
これが万里の、いつもの。
紬が願った、いつもの。
夜とはいえ街中で、何度目かの告白だ。
よく照れないなあと、紬は今まで思ってきた。
だけど、今は万里の気持ちがよく分かる。ミカエルの気持ちが、よく分かる。
明日はきっと、今までのどのミカエルよりも、ミカエルらしいミカエルになれるだろう。
「……ありがとう万里くん。明日、頑張るね、俺のミカエルで」
「ああ、超楽しみだな。元気になったみたいでよかった。んじゃ、帰ろうぜ。さすがに怒られるわ」
LIMEいっぱい入ってっし、と携帯端末の画面を見て顔を引きつらせる。丞に別の意味でも怒られるんだろうなと思うと気が重いが、それはふたりの責任だ。
数歩先で振り向いて待っていてくれる万里を追って、寮への道をふたりで歩いた。
「なあ紬さん」
寮の前、ぴたりと万里が立ち止まる。どうしたのだろうと振り向いて、バツの悪そうな万里をそこに見つけた。
「万里くん?」
「俺もさ、一個だけお願いしてもいいすか」
ずっとそれを言いあぐねていたのか、どうりでここまで口数が少なかったわけだ。
しかし万里の頼み事とは、いったい何だろう。いつもいつでも力をくれる彼の頼み事なら、聞いてあげたい。
「うん? 俺ができることかな」
「そう難しいことでもないんだけどさ」
先ほどの紬を真似たつもりか、ぽりぽりと頬をかいて苦笑する万里。そうして気まずそうに口を開き、
「あのさ……ちょっと、抱き締めさせて」
「えっ!?」
「ほんとにちょっとだけでいいんだよ、ぎゅってするだけ……それ以上なんにもしねーし、後ろからでもいーから」
まさかそんなことだとは思わず、紬はうろたえる。考えてみれば、万里からは恋を告白されているのだし、抱き締める以上のことを望んでくる可能性だって、あったのだ。
むしろ抱き締めるだけですむならいいじゃないかと、わけの分からないことを自分に言い聞かせようとしてしまう。
「……ダメっすか?」
「あっ、う、ううん、大丈夫……さっき俺のお願い聞いてもらったし、お返しってことなら」
そうは言ったものの、どうしていればいいか分からない。
どうぞと両腕を広げるのもおかしいし、目を閉じてしまったら、キスでも待っているようになってしまう。
紬は結局、脚の横で軽く握った手を揃え、万里の腕を待った。
「サンキュ……」
半歩、万里が歩み寄ってくる。距離が縮まって、紬の視界は万里の肩で隠された。
片腕を背中に回し、万里は大切そうに紬を抱き締めてくる。
万里の両腕が伸びてくると思っていた。だけど小さく呟かれた礼のあと、互いの隙間を埋めたのは、万里の右腕だけだった。
「……好きだ、紬さん……」
耳元の囁く声に、万里のすべてが詰め込まれているような気がした。
恋心、不安、嫉妬と熱情。
本当なら両腕で抱き締めて、自分のものにしてしまいたい――そんな情動が伝わってくるようだった。片腕なのは、万里のせめてもの防衛ラインなのだろう。
(万里くん……)
「俺にとっては紬さんがスターだからさ、紬さんのミカエル、観せて。いつか……同じ板に立たせてくれよな」
万里はそう言って、今一度紬を強く抱き締めた。
(あったかいな、万里くん……)
冬の夜、凍えるほどの寒さではないのに、抱いてくれる万里の腕の暖かさが胸にしみいってくる。紬は素直に体を預け、脚の横で揃えていた腕を、そっと上げた。
そっと腰を抱く程度、今の紬にはそれが精一杯だ。
「ありがとう、万里くん」
万里の腕が緩む。紬は体を離し、正面からじっと眺めた。困惑したような顔をする年下の男の子に微笑んで、半歩後ずさった。
「俺、ちょっと劇場の方行ってくるね。今日の反省してこなきゃ」
「あ、う、うん……?」
「おやすみなさい、万里くん」
あんなに重苦しかった体の闇が、紬の中から全部出ていってくれる。紬はひらひらと手を振って、万里に背を向けた。
「…………今、俺……抱き返された……?」
そんな紬の背中を見送って、その事実を自分に都合のいいように取るべきか、単に礼のつもりなのかを計りかねて、万里はただそこに立ち尽くした。
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