- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.266, No.265, No.264, No.263, No.262, No.261, No.260[7件]
俺のCandy Star!-028-
そうして、GOD座とのタイマンACTのテーマも天使に決まり、皆木綴はかつてないスピードで脚本を仕上げてきた。気合いの入り方が違うということだろうか。
「天使」をテーマに戦うということで、衣装係の瑠璃川幸も熱が入る。予算の引き上げを渋る左京でさえ、補填は後でもできるなどと言う始末。
「すごいね、これ……」
「カンパニー総出で挑む感じだからな。演じるのはアンタら冬組だけど、俺ら他の組は裏方でサポートするぜ」
熱気、という言葉をこれほど痛感したことはないと紬は思う。
外せなかったバイトの帰り、買い出しに出掛けていたらしい万里とばったり出逢ってしまったのは、本当に偶然だった。
その手には、大量の布が詰め込まれた買い物袋。これから幸と、最終的な衣装チェックなのだとか。
「幸くん、こういうのは自分で買い付けるのかと思ってたけど」
「今手が離せないんだとよ。素材さえ決まってりゃ、店員に訊けるからって」
「な、なんだか申し訳ない感じだな……こんなに大事になるとは思ってなかった」
「なに言ってんだ、主役がよ。俺は楽しんでるけどな。衣装とか手伝うのもいいもんだ」
そう言って笑う万里に、紬は少し先の方向を指さす。
「えっと、じゃあ……お茶に誘うのも難しい、かな。息抜き?」
万里が驚いて目を瞬く。そして間を置かずに「んなわけねーじゃん」と返してきた。
「紬さんから誘ってくれんの久々じゃね? ここしばらく時間合わなかったし」
「そうだね、特に俺が脚本読みで時間取られてたから。一杯だけ、つきあってくれる?」
「おつきあいなら喜んで」
「そういう話じゃなくてね」
そんなことを言い合いながら、お気に入りのカフェに向かう。
会話の端々に、分かりやすいアプローチを挟んでくる万里のあしらい方も、慣れてしまった。
よく飽きないなあと思うほど、万里はことあるごとに想いを告げてくる。
優しい声は耳に心地良く、勝ち気な笑顔は怖いものなんてないと勇気をくれた。
「初日、明後日だな。台詞もうバッチリすか?」
このカフェに来るのは紬は三度目。薫り高いブレンドは、もちろん万里のおすすめだった。
「うん、入ってる。昨日また変えられたけどね」
「あー、丞さんと綴がやりあってたな。どっちの言い分も分かるけど。アドリブでやらない辺り丞さんらしい」
「最初はひとまず堅実にっていうのが、丞とのやり方だからかな。慣れてくるとひどいよ?」
「そーなんすか? ……さすが幼なじみ、よく分かってんのな」
珍しくむくれる万里に首を傾げ、その理由を探してみる。まさかとは思いつつ、やきもち? と笑ってみたら、否定は返ってこなかった。
(かわいい。万里くんて、大人っぽいなって思ってたけど、案外子供なところもあるよね。きっとまだ知らない顔を隠してるんだ)
その時、テーブルにコトリと小さなスコーンが運ばれてくる。
「あ? マスター、何これ」
だが紬はオーダーしていない。万里もだ。
それを運んできたのは、この店を取り仕切るマスター。口許のヒゲがなんとも渋い男だった。
「はい、サービスね」
「えっ? でも」
「万里ちゃん、今日はつむちゃんも来られたのね、良かったじゃない」
少し女性的な話し方をするこのマスターは、どうも万里を気に入っているらしく、「万里ちゃん」と呼ぶ。劇団の誰もしない呼び方だ。
万里はそれが気に食わないらしく、「万里ちゃんはヤメロ」と睨むが、マスターの方は気にも留めていない。
まるで親戚のおじさんが、甥っ子をかわいがるかのような言動を、紬は初めてこのカフェに来たときから微笑ましく眺めていた。
「えっ、あれ、今日は、って……?」
そして、いつも一人で来る万里と連れ立ってきたという理由でか、紬のことをつむちゃんと呼ぶ。
そんな可愛らしい愛称で呼ばれる年齢でもないのだが、不愉快なものではない。
紬はマスターを振り仰ぎ、言葉の真意を訊ねてみた。
「万里ちゃんねぇ、ここ数日は一人で来てたのよ。毎回そこに座ってね。つむちゃんとここ来た時のこと思い出して嬉しそうにしたり、向かい側につむちゃんがいないから寂しそうにしたりねぇ……かわいいったらなかったわ」
「えっ……」
「んな顔してねぇって!」
抗議する万里だが、顔が赤い。この席は、初めて万里につれてきてもらってから以来の、お決まりの場所だ。
窓際、隅っこ、カウンターからちらりと見える。そんな静かな場所。
窓際に並べられた鉢植えは、手入れが行き届いており、紬は毎回、元気に咲く花を見るのが好きだった。
万里はここで、紬と過ごした時のことを、これから過ごせることを思って、コーヒーを飲んでいたのだろうか。
「万里くん……」
「……だぁから、別に、深い意味はねぇんだっつの……紬さんがこの席好きみたいだったから、空いてりゃ選ぶだけで」
「一昨日なんかね、空くまでカウンターで飲んでたのよ、この子」
「今言うか……っ……!」
自然と、紬の口許が緩んでいく。
万里は本当に、一生懸命好きでいてくれる。
自分のどこをそんなに気に入ってくれたのか分からないが、その気持ちを嬉しいと思うほどには、万里が近くなっていた。
「公演始まったら、頻繁には来られなくなっちゃうかもだけど、また誘ってね、万里くん」
そう言って、スコーンをサービスしてくれたマスターに礼を告げて口へと運ぶ。悪くない反応だと万里も気づいてか、笑ってくれた。
「トーゼンっしょ」
明後日が初日だというのに、緊張よりも楽しみの方が勝っている。
そんなポジティブな思考は、我ながら珍しいなと思いつつ、紬は嬉しそうにブレンドをすする万里を、ずっと眺めていた。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-027-
「おはよう丞……」
「ああ……」
「稽古、行こうか」
「そうだな、どうせ昨日と同じなんだろうが」
翌朝、と言って良いのか分からないが、二人はうんざりとしながらも、昨日までの昨日とは明らかに違う距離感に安堵しながら、レッスン室へと向かった。
「おはようございます」
「おはようございます!」
最初にあれ? と思ったのは、誉からの独創的な詩のプレゼントがなかったこと。そして、密がマシュマロの袋を抱えていないこと。
昨日の昨日とは、明らかに違う。
「御影、マシュマロは?」
「……もう食べ終わった」
相当量があったはずだが、あれをもう食べてしまったのか。
いや、そんなことは今は問題ではない。
「有栖川も、今日はトンチキな詩をプレゼントしないのか」
「ワタシの渾身の詩は昨日披露しただろう。そもそもトンチキとはなんだね。ひとまずワタシの辞書にも加えておこう。褒められた気はしないがね」
丞も、紬も目を瞠った。やっぱり昨日の昨日と違う。紬は、慌てて携帯端末の画面を確認した。
「……丞っ、見て、日付!」
「――十三日だ!」
丞もその画面を覗き込んで声を上げる。久し振りに、十二でない数字を見た。
「やっと抜けたよ!」
「おっし!」
二人して思わずガッツポーズ。
どうせ今日も同じ日なのだろうと思っていただけに、驚きは隠せない。しかしそれよりも、ようやっと無間地獄から抜け出せた開放感が、全身を支配した。
「ど、どうしたんですか二人とも……?」
いづみが、そんな二人の様子を訝しんで訊ねてくる。傍から見れば、確かに異様な喜びようだろう。
「ええと、実は――」
不思議なことがあって、と続けようとした紬を、丞が止める。こんな話は、誰にしても信じないだろうと。実際、ループし始めた頃は丞自身、信じていなかった。
「やっぱり、そうかな……」
あははと笑い、内緒ですと紬は口唇に人差し指を当ててみせた。
いつのまに仲直りしたのだろうと、誉たちの不思議そうな視線が向かってきたけれど、紬たち自身、いつの時点が「仲直り」なのかは分からない。
ただストリートACTをして、楽しかったあの頃を思い出して、今本当にやりたいことを話しただけだ。
(あ、そうか。三角くんが言ってたのって、これか……)
仲直りなんてカンタン、とお日様みたいに笑った彼の言葉の意味が、ようやく分かる。
丞と芝居がしたい、主役として舞台に立ちたい、溜め込んでいたそのふたつの願いを、表に出しただけだ。
ようやく今日になった日の稽古をがんばろうと、清々し気持ちで紬は顔を上げる。
そして唐突に、気づく。
(昨日は、もう……ないんだ……。じゃあ、そっか……昨日のあれが、最後か……)
昨日がちゃんと昨日になったということは、万里が中庭で想いを告げてくることはなくなったのだ。
どの日の告白も真剣で、どの言葉も本当で、どの視線も熱っぽかった。あれがもう見られないのかと思うと、残念な気がしてくる。
昨日の昨日、もっとちゃんと身を入れて聞いていればよかったと、万里のカフェラテ色の髪を思い出した。
「紬? どうした、稽古始めるぞ」
「あっ、うん、ごめん丞」
丞に呼ばれハッと意識を切り替え、稽古の輪の中に入っていく。
昨日とは違う今日なのに、どうしてか寂しい気分が抜けていかなかった。
「あれ、紬さん今日もカテキョ?」
いつもより少し遅い時刻に玄関へ向かうと、後ろから万里の声がかかる。思わず心臓が跳ねた。どんな顔をしたらいいのか分からない。
「あ、う、うん。今日は違う子だけど。真面目だよね。俺なんか高校の時は芝居づけだったのに」
「今もだろ、芝居づけ。すっげ楽しそうな顔してんの」
「そうかな。秋組は今日稽古?」
「あー、学生組が昼揃ってんの珍しいからな。夕方までみっちりだぜ」
やれやれと肩を竦めながらも、万里も楽しそうな顔をしている。彼も彼なりに、芝居づけなのだろう。
紬はどこかでホッとする。
口説き落とすからと言っていたわりには、以前と変わらない態度で接してくれる万里。ちゃんと真剣に考えると言った紬の答えを、待っていてくれるのか。
「そっか。頑張ってね」
「カテキョ何時まで? 夕方空くんならどっか行こう、カフェ。紬さんと一緒にコーヒー飲みてぇ」
しかし間髪入れずに続けられた言葉に、紬はボッと頬を赤らめて言葉をなくした。
今まで一緒にカフェに行くことはあっても、「一緒に飲みたい」という言葉にはしていなかった。
「……万里くん」
「言ったじゃん、待ってるだけのつもりはねぇってさ。なんならオゴるし」
「いや、それはいいけど。……分かったよ、もう」
誰が聞いているか分からない玄関先で口説き文句なんて、とんでもない。
お互いにしか分からない事情だとしても、平静を装い続けられる自信はない。
諫めるように名を呼んだけれど、万里は悪びれもせずにそう言って笑う。
この勢いと情熱は、十代ならではのものなのか、それとも万里特有のものなのか。
仕方ないなと紬は諦めて、バイトが終わってからの約束を受け入れた。
「やりぃ。紬さんの好きそうなとこにすっから」
「え、でも前回もそうやって俺の好みだったよね。今回は万里くんの好きなとこでいいよ?」
「そっすか? じゃあ、あとでLIME入れるんで。あー、ちょっと分かりづらいとこにあっから、駅まで迎えに行くわ」
万里が携帯端末をいじりながら、店の場所を確認する。きっと紬への気遣い半分、少しでも一緒の時間を増やしたい想い半分、なのだろう。
紬は隠しもしない万里の想いがくすぐったくて、困ったように眉を下げた。
「万里くん、俺、そんなに簡単にオトされたりしないからね?」
年下の男の子に、そう簡単に口説き落とされるものかと牽制をしてみたのだが、万里はそれでも嬉しそうな顔をした。
「ハッ、そしたら俺、人生初のハードモード楽しむわ。好きだぜ紬さん」
「万里くん! 誰か聞いてたらどうするのっ」
「顔真っ赤。アンタのそういう可愛い顔、もっといっぱい見せてくれよな」
行ってらっしゃいと、万里はひらひら手を振ってくる。紬は今のうちに逃げ出してしまおうと、玄関のドアノブに手をかけた。
幸い誰にも聞かれていないようだけれど、心臓に悪いなあと、昨日見上げた空に視線をやった。
昨日は夜空、今日は昼の空。
流れる星は見えないけれど、万里の想いは変わっていない。
どうして、万里の告白がもう聞けないなんて馬鹿なことを考えていたのだろう? 彼は今日も一生懸命、好きでいてくれる。場所は考えてほしいけれど、やっぱり悪い気はしなかった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-026-
その日の夜、夕食が終わったあと、紬はいづみにみんなを集めてくれるように頼んだ。
「紬さん、みんな集めましたけど……」
「ありがとうございます。みなさん突然すみません、聞いてもらいたいことがあります」
支配人や亀吉も含めた、劇団の全員が談話室に集まる中で、紬はゆっくりと話し始める。
GOD座との確執、自分に自信が持てない理由。それでも芝居に触れていたいと切に願う気持ち。
他人から見たら、馬鹿馬鹿しい理由かもしれない。些細なものかもしれない。だけど今この気持ちを吐露しなければ、前には進めなかった。
傍に、丞がいてくれる。
壁際で、万里が見ていてくれる。
泣き出しそうな声をぐっとこらえて、紬は今思っていることをすべて吐き出した。
「GOD座とのタイマンACTは、分の悪い賭けです。この業界でトップ集団にいる劇団との勝負なんて、勝てる見込みはない。ほぼゼロに近いかもしれません。でも、俺はもう逃げたくない。自分の意志でこの街に戻ってきた以上、逃げるべきではないんです。たとえ結果が悪くても――」
胸の前で拳を握る。ドクドクと早鐘を打つ心臓の鼓動が、その拳にまで響いてきた。
「GOD座からの勝負を受けさせてください。あの時逃げ出した後悔を繰り返さないためにも。ひどく個人的な理由だとは分かっています。だけど……今この劇団で、みんなと芝居をしたいんです。お願いします」
そう言って、深く頭を下げる。
芝居がしたい。小さな頃からずっと胸の奥で輝くひとつの願い。
芝居がしたい。また、丞と。東や、誉や、密と。
そしていつか、万里と舞台で。
「紬さん……」
「逃げ出すなんてもう許さないぞ」
「やってやろうぜ」
いづみの、安堵した声。丞の、呆れたような声。万里の勝ち気な声。それには嬉しさが混じっていて、すうっと紬の肩から力が抜けていった。
「おう、逃げるなんて冗談じゃねぇ」
「やらない後悔よりも、やった後悔の方がいい」
「GOD座の弱点情報、流しまくりッス~」
「頼むぜ太一」
次々に賛同が聞こえてくる。
「しょうがないな、やるなら本気でいくぞ」
「俺も全力でサポートします!」
リーダー仲間からも、頼もしい声。
そして肝心の冬組からは。
「やれやれ、大変なことになったね」
「でも、リーダーの決めたことには従うよ。微力ながら、ボクもがんばろう」
「……うん」
「珍しく起きていたんだね」
「ワタシがマシュマロで釣っていたのだよ」
なるほど、と笑う声が聞こえる。
重要で重大な決定だと思うのだが、劇団の全員が、嬉しそうな顔をしていた。
紬は改めて、この劇団で芝居がしたいと思う。壊させたりしない――絶対にだ。
そう決意を新たにしたら、組の親睦を深めるとかでババ抜き大会が始まってしまって、笑みがこぼれる。紬もそれに混じって、久し振りに声を上げて笑った。
酔い覚ましにと、紬は中庭へ向かう。
もともとあんまり飲めないのは自覚していて、一杯だけと注がれたビールを、半分ほど飲んだだけ。それでも熱気にあてられたのか、顔が火照っている。
(逃げ出さないで、良かった。
GOD座からの勝負は、満場一致で受けることになった。自分の思いが叶ったのは嬉しいが、それ以上に、仲間とともに立ち向かえることが嬉しい。ぎくしゃくしていた、幼馴染みとも一緒だ。
(芝居が楽しみだなんて、そういえば久々だな。丞と再会してから、なんだか落ち込んでばかりだったし……)
夜風に頬を当て、涼む紬の背中に、声がかかる。
「紬さん」
振り向かなくても分かった。万里だ。彼もババ抜き大会を抜け出してきたのだろうか。
「万里くん、いいの? 秋組の応援とか」
「あー、今俺の番だったんだけど、イチ抜けしたからへーき。後は知らねーよ」
「あはは、万里くんてババ抜きまで強いの? えっと、イージーモードだっけ? すごいね」
万里にかかれば、どんなことでもイージーモードになってしまう。勝ち抜くところを見ていれば良かったかなと思い、笑った。
「紬さんアンタ酔っ払ってねぇ? 平気かよ」
「酔っ払ってないよ、大丈夫、大丈夫」
半信半疑、そんな万里の視線が向かってくる。顔は火照っているけれど、ちゃんと正気だ。足下だってふらついていないし、万里の顔だってよく見える。
「タイマンACT、楽しみだな。何かテーマがあるんだっけ?」
「ああ、うん、そう。多分返事をしたときにテーマ提示されると思うんだけど、何がくるんだろう……怖いけど、楽しみだよ」
期日は明日だ。GOD座も演じる以上、無茶な設定のものはこないだろう。
キャリアもトップクラスのGOD座が、MANKAIカンパニー相手に何を持ってくるのか。演じきれるか分からなくて怖いけれど、新しい役をもらえるという点については、わくわくとそわそわが止まらない。
「……良かった」
「え? なにが?」
「アンタ、昨日の様子からだと断るのかなって思ってたからさ。自信ないってすげぇ暗かったじゃん」
「リフレインするのやめてね、恥ずかしいから」
昨日までの自分を思い返すと、恥ずかしくてしょうがないのだ。
何があんなに自信をなくさせていたのだろう。理由はきっとたくさんあるけれど、のしかからせていたのは紬自身だ。
「俺もすっげぇ楽しみ。舞台の上の紬さん、見られるんだよな」
「あんまり期待しすぎると、実際見た時にがっかりするかもよ?」
「しねーよ、そんなん」
その瞬間まで楽しそうに笑っていた万里が、唐突に真剣な顔をする。
何か気に障ることでもあったかなと首を傾げれば、緊張したように万里が空気を吸い込んだ。
「月岡紬さん」
脚の横で拳をそっと握りしめ、万里はわざわざフルネームで紬を呼んでくる。
「え、あ、は、はい」
紬も思わず、居を正して背筋を伸ばした。
「アンタが好きだ」
今まででいちばん短くて、いちばん直線的で、いちばん切ない顔をして、最短距離で想いを告げてくる万里。
足下から、ざわりとせり上がってくる感情を、紬は何だと解釈したらいいのだろうか。
「今のアンタに言って、信じてもらえっかどうか分かんねーけどさ……」
「……酔っ払ってないって言ったよね、俺」
酒飲んでたし、と気まずそうに頬をかく万里を、紬はじっと見やる。
素面でない時に言っても、信じられないかもしれない、最悪、起きたら忘れているかもしれない。万里がそう心配するのは分かるけれど、紬はいたって素面だ。
「万里くんが俺なんかのこと好きになってくれたのは、嬉しい。……少し、考えさせてもらってもいいかな。すぐには、ちゃんとした答えを返せないと思うんだ。申し訳ないけど、今はこういうの考えられる状況じゃないしね」
そうして紬は、あの日の今日とは違う答えを万里に返す。
いつだか、前向きに考えてほしいと望んだ万里に応えて、しっかりと考えてみたい。どんな結果になるかは分からないが、頭から否定して拒絶するのは、もうできない。
摂津万里という男の子のことを、もう少し知りたくなってしまっている。
それが恋としてなのか、劇団の仲間としてなのか、はたまたライバルとしてなのか、考えたい。
「……つ、紬さん……? アンタ、驚かねーの? ヤローに告白されんの、慣れてんのか?」
「え? あ……」
万里と視線を合わせれば、すんなり告白を受け止めてしまった紬を、怪訝そうな表情で見つめてきていた。
しまったなと思う。紬にとっては何度目かの恋の告白でも、万里にとっては、ストリートACTを入れても二度目なのだ。慣れるものではないけれど、驚いたりはしなくなってしまった。
「もしかして俺、結構分かりやすかったのかな……自覚してから、まだそんな経ってねーのに」
「あっ、あの、違うんだ、なんていうかその……き、昨日のこと、演技じゃなかったのかなって思ってたから、その。あと俺、告白なんてされたことない」
「えっ、そーなんすか? 女にも? てことは、紬さんの方から告ったてこと?」
「……ストレートに告白したことはないよ……つきあおうか、って、それだけ……」
気まずそうにそう返せば、万里が困ったような顔をする。
やっぱりこの歳まで生きてきて、好きのひとつもまともに言ったことがないというのは、おかしなことだっただろうか。
「やべ、嬉しいんだけど、喜んでいいのか分かんね……俺最低じゃね?」
「えっ、な、なんで嬉しいの」
「紬さんの初めてもらっちまったんだろ、これ。それがすっげぇ嬉しい。紬さん女にモテねータイプとは思えねーのに、そういうのなかったんだなって、喜ぶ自分がすげぇ嫌。ごめん」
「……別に謝るようなことじゃないと思うけど……モテるっていうのは、万里くんみたいな子でしょ」
恋愛経験が少ないことを喜んでしまった、それでこの謝罪か、と思うと、本当に素直な子だなと感じてしまう。
経験の乏しさを指摘されているのに、悪い気はしないのは、万里のまっすぐな気持ちが向かってくるからだろう。
やっぱり女の子にも人気あるんだろうなと思うと、胃がずしりと重くなった。
「でも俺、ホントに好きって思ったの、紬さんが初めてかも。自分から告ったのもこれが最初だし。だから、紬さんがちゃんと真剣に考えてくれそうで、すっげぇ泣きそう、嬉しい」
「……うん、頑張って考えてみるね」
「言っとくけど俺、待ってるだけのつもりねーぜ? ぜってー口説き落としてやっから」
勝ち気な笑顔で、万里がそう告げてくる。どんな方法なんだろ、と紬は気恥ずかしさに視線を逸らした。
そもそも、いつこの無間地獄から抜け出せるのだろう。せっかくGOD座との勝負を受けると決めたのに、そこまでたどり着けないではないか。
自分の気持ちが負けてしまわないうちに、今日が昨日になるといい。
そこまで思って、負けてしまうことはないかなと考え直す。
「大好きだぜ、紬さん。アンタの演技も、アンタ自身も」
全力で好きと言ってくれるひとがいる。
ここにいてもいいのだと、全身で伝えてくれるひとがいる。
「じゃ、俺部屋に戻るわ。案外いい反応もらえて、すっげぇ嬉しい。おやすみ、紬さん」
「うん、おやすみ万里くん」
そう言って、万里は満足そうに寮の中へと戻っていく。紬はそんな彼にひらひらと手を振って、冬の夜空を見上げた。
星が流れる。
願い事を言う前に消えてしまったけれど、今心の中にある願いは、きっと自分自身で叶えられる。
そうだよね、と紬は目を閉じて、冬組のメンバーを思い浮かべた。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-025-
「……学生振りだな、お前と二人のACTは。ACTとバイトづけだった」
「そうだね……あの頃はほんとにお金なかったし。ひどいときはコンビニのお弁当も買えなくてさ。あ、でも冬に肉まん半分こしたのは楽しかったな」
「そんなことあったな。……お前の本音とか、今の俺には分からないけど、いちばん真剣に、本気で向き合えるのはこれしかなかったんだ。急に呼び出して、悪かったな」
歩調がゆっくりになる。
再会して今まで、少しも合わなかった二人のスピードが、初めて重なった瞬間だった。
「ううん……楽しかった。分かってたけど、やっぱり丞とお芝居するのは楽しいな。丞がどんな返し方をするのか分からなくて、すごくワクワクするよ」
「それは俺の台詞だ。お前の演技には、気づかされることが多い。お前と並びたい、負けたくない……いい芝居がしたいって、どんどん良くなっているのが実感できるんだ」
紬は驚いた。
丞がそんなふうに感じてくれていたなんて、今の今まで知らなかったのだ。
自分が思っているのと同じように、丞も楽しんでくれているのかと思うと、胸の中にあったずっしりと重い暗い気分が、霧散していくようだ。
小学生の頃、初めて芝居というものに触れた。なんの間違いか、学芸会で丞と一緒に舞台に立った。それからずっと、丞と芝居をするのが楽しみで仕方なかったのだと、紬はゆっくり口にする。
「とにかく楽しくて、できないことなんて何もないなんて思ってたよ。大学を卒業してからも、丞とずっと一緒に芝居をしていきたかった。でも……俺はGOD座に入れなかったしね。丞には、俺じゃ力不足なんだろうって痛感したよ。丞を引き立てて、伸ばしていけるひとは、GOD座にはたくさんいたでしょ。……悔しかったな」
「……そうでもなかったな……」
「え?」
「確かに技術はついたと思う。舞台慣れもした。……でも、いつも何か足りないって思ってたんだ」
丞は正面を見据えたま、GOD座にいた頃のことを思い返しているようだった。
丞がGOD座のトップだったことは紬も知っているし、めきめき実力をつけていって、楽しいのだろうと思っていたのに。
「なあ紬。お前、本当はどうしたいんだ? 勝負、下りるのか? GOD座との勝負だけじゃない、俺と主役競い合うくらいの気持ちは、ないのかよ?」
丞が振り向いて、責めるようにも、なだめるようにも、諫めるようにも、力づけるようにも、訊ねてくる。
紬は思わず立ち止まった。そうしてから、しまったと思う。
泣いてしまいそうだ。
「ほ、本当は……」
今までずっと我慢していたものが、あふれ出してくる。こくりと唾を飲み込んで、どうにか涙を我慢し、口を開いた。
「本当は、GOD座に負けたくない……主役として舞台に立ちたい、胸を張って、丞と芝居がしたいよ……!」
せっかく主役をやれるチャンスがきたのに、逃したくない。GOD座に恐れをなして、逃げ出したくなんてない。
万里が言ったように、逃げたくないのだ。
悔しい。幼馴染みである丞にならいさしらず、万里に心の奥底を見抜かれていたなんて。
「丞と……東さんと、誉さんと、密くんと……芝居がしたい……!」
そうしていつかは、他の組のみんなと。
「……紬、それをアイツらに言えよ。簡単に諦めんな。……俺も、支えるから」
丞の口調が、緩やかなものに変わっていく。最後の方は本当に流れる水のように澄んだ声で、紬は目を見開いた。
その口から紡がれた言葉を、にわかには信じられない。
疑うわけではないけれど、嬉しくて、信じられない。
「丞……っ、本当に……!?」
「……当たり前だ、俺たちは同じチームの、仲間なんだから」
ぶっきらぼうに言って視線を背ける丞に、紬は笑う。バツが悪いとき最初に右に視線をやるクセは、変わっていないのだと。
「丞にそう言ってもらえると、何でもできそうな気がするよ。嬉しい……あの頃に戻ったみたいだ」
重かった気持ちが、ふっと軽くなる。体も軽くなる。浮き上がってさえいそうで、紬はしっかりと地面を踏んだ。
「紬、俺はあの時――」
「あれっ、紬サン、丞サン!」
丞が何かを言いかけた時、知った声がそれをかき消していく。二人して振り向けば、そこには秋組の七尾太一と――、
「何してんだ? 稽古か?」
摂津万里の姿。
紬は思わず体を強張らせた。どうにもまだ、万里を前にすると身構えてしまう。
何度も聞いた恋の告白のせいか、万里の視線が気になって仕方がない。優しくて、熱っぽい視線に、なぜ気がつかなかったのだろうと、少しバツが悪い。
「まあ、そんなところだ」
「た、太一くんたちは? 買い物?」
会話を中断されたせいか、ため息を吐く丞に続いて、紬が訊ねる。
万里ではなく、太一の名を呼んでしまったのはとっさだったが、意識しすぎにも程があるよと、心の中で自分自身に悪態をついた。
「夕飯の買い出しッス~」
「人数増えたからな、大変なんだとよ。ったく、帰った途端これなんだからよ」
言って、万里は両手一杯の買い物袋を掲げてみせる。きっとじゃんけんか何かで負けてしまったのだろう。そう思うとおかしくて、紬はふふっと小さく笑った。
「俺も少し持つよ。大所帯って大変だよね。みんなで食べるご飯は美味しいけど」
「さんきゅ、紬さん。なんか、邪魔しちまったみてーで悪いな。太一のヤツ、空気読めっての」
万里の手からふたつほど買い物袋を取り上げて、隣に並ぶ。彼はちらりと丞の方を見やって、小さく謝罪をこぼしてきた。
紬もちらりと丞を振り向くと、元気いっぱいの太一に何やら訊ねられ、それでも律儀に返答している幼馴染みがいた。
「ううん、平気だよ。それより、万里くん今日のお買い物はどうだったの? 天馬くんやカズくんと出掛けてたんでしょ」
「あー、よさげなアクセは買ってきた。あと帽子な。途中で天馬がファンに捕まりそうになってやんの」
目に浮かぶよ、と紬は肩を竦めて笑う。丞は舞台の世界で名が知られているけれど、天馬は世間的に名が知られている。
「スターも大変だね」
「だーな」
何げない万里との会話。昨日はそういえば、なかったことだ。
昨日とは違う「昨日」で、万里と並んで歩いている。きっとカフェでの休憩をやめて、丞とストリートACTをしたことで、分岐が変わったのだ。
どうして、と考えるより、今は浮き上がったこの心のまま歩いていたい。
「なあ紬さん。今日行ったの、天鵞絨駅から四つ目くらいだったんだけど、良さそうなカフェ見つけたんだ。今度行かね?」
「えっ、ほんと? なんてお店かな……へえ、これ? 行ったことないけど……雰囲気良さそうだね」
「やっぱり気になると思った。あー、でもタイマンACTのこと考えると、これから稽古づけになっちまうか」
携帯端末で撮った写真を見せてくれる万里。なんの不思議もなく、「約束」が生まれてしまうけれど、「いつ」実現するだろうか。
いつもの流れなら、今夜また万里に「告白」をされ、紬はそれを断るはずだ。
気まずくなるだろうことは必至で、今までみたいに何も知らない振りをして、一緒にカフェなんて行けるのか。
それに、今万里が言ったように、これから稽古づけになってしまうだろう。
あれ、と紬は目を見開いて万里を振り向く。タイマンACTを受けるなんて言ってないのに。
心が軽くなったことだってかけらも言ってなくて、万里の中では「昨日」の落ち込んだままの月岡紬がいるはずなのに。
「ど、どうして……俺、受けるって言ったっけ? 万里くんに……」
「あ? そんなん、見てりゃ分かるっしょ。昨日となんか違ぇって」
まるで何でもないようにそう返してくる万里に、紬は頬の熱が上がるのを自覚した。
空いた方の手で口を覆い、思わず飛び出してきそうな恥ずかしさを押し込める。
(ば、万里くんって、どれだけ俺のこと見てるんだろう……恥ずかしいな。それとも、恋ってそんなものなの?)
目を離している時間が惜しいとでもいうほどに、相手のことを意識全部で追いかけるのだろうか。
そんな情熱的な恋はしたことがないけれど、万里の恋はきっとそうなのだ。
ちら、と万里を見やると、うっかり視線が重なってしまう。それは気まずそうに万里の方から逸らされた。じっと見ていたことに気づかれたと思ったのだろう。
(かわいい……)
万里の一生懸命な想いが伝わってくる。大事にしている想いが伝わってくる。
年下の男子高校生相手に、かわいいなんて思ってしまうほど、万里の恋は分かりやすい。どうして今まで気づけなかったのか、分からないくらいだ。
それは、万里が恋を自覚してから、まだ日が浅いということもあるだろうが、何よりも、紬自身に余裕がなかったせい。
劇団のこと、丞とのこと、GOD座との勝負、自分の不甲斐なさ。すべてが一気に押し寄せてきて、摂津万里というひとりの人間に、意識を向けるヒマがなかった。
(今日は……きみの告白を昨日とは違う気持ちで聞けるんだろうか……)
そうして会話もないまま寮に着いてしまう。
「サンキュな、紬さん。重かったろ」
万里は、紬の手の中にあった買い物袋をひょいと取り上げて、キッチンへ向かってしまう。あ、と呼び止める隙もなかった。
「そんなに重くなかったのにな……」
さりげなく気遣う万里には敵わないと、苦笑する。
「紬」
背後から声をかけられて、紬は振り返る。丞だ。
「さっきのこと、今日みんなに話せ。お前の思ってること、ちゃんと、全部」
さっき途切れてしまった会話を、丞がつなげてくる。まっすぐに見つめてきてくれる視線は、先ほどの言葉が嘘でないのだと伝えてくれる。
丞が――支えると言ってくれた。
「――うん、丞」
それだけで、どんな難しい芝居でも絶対に楽しくこなせると、根拠のない自信がわき上がってくる。紬はこの劇団に入って初めて、意気揚々と敷居をまたいだ。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-024-
「丞」
電車を降りると、改札の近くで丞が待っていてくれた。
さすがに目立つなあと苦笑する。身長があることもそうだが、堂々とした佇まいは、道行く人の視線を引きつける。役者として、羨ましい力だ。
「どうしたの? 丞が俺だけにLIMEしてくるなんて、初めてだね」
「……ちょっと、歩くぞ」
「うん?」
どこへ、と言いかける紬を放って、丞は歩き出してしまう。
紬の予定も訊かずに呼び出したところや、こうやって放っていってしまうところは、まだ昔みたいにはなってくれないなと、紬は丞の背中を追って歩き出した。
「ここらへんでいいか……」
「丞?」
丞がぴたりと立ち止まって、くるりと振り返る。また何か怒らせてしまったのかと肩を竦めたら、丞の表情が一瞬で変わった。
『いい加減にしろ! 今度という今度は、腹に据えかねた!』
よく通る声で、怒られる。今の状況からして、丞が紬自身を怒鳴りつけているようにも思えた。
だけど、紬には分かる。
昔は本当に毎日のように接してきた相手だ。分からないわけがない。
『どういうこと? なんのことだか分からない』
目の前の男は、丞ではない。紬も紬ではない。眉をつり上げて、目の前の男を睨みつけた。
『よく胸に手を当てて考えてみることだな。親父が亡くなった今、長男である俺が当主。お前はもう勘当だ』
『だったら言わせてもらうけど、アニキのそういう威圧的なところ、俺も嫌いだった――』
ケンカかと、事の成り行きを怖々見守っていた通行人も、ストリートACTであることに気づく。
このストリートでは珍しいことでもない。面白ければ観ていくし、つまらなければ素通りだ。
だがしかし、少し詳しい人間ならば、気づくはず。元GOD座のトップスターが、見たこともない男相手にストリートACTをしていると。
「ね、あれ丞さんじゃない?」
「ほんとだ、GOD座やめたって聞いて超ショックだったけど、こんなとこで観られるなんてラッキー!」
「相手の子、誰だよ? 見たことねーよな」
「俺も知らないな。でも……スター相手に負けてないんじゃね?」
「だよな、なんか……どっちも目で追っちまう」
兄弟がお家騒動を繰り広げていく中、通行人は芝居を邪魔しない程度にそんなことを囁き合う。もちろん、没頭している紬たちには届かなかったけれど。
『ここで話していても埒があかないよ、アニキ。裁判で決着をつけよう』
『いいだろう、望むところだ』
最後まで睨み合って、そのお家騒動はいったん幕が下りる。
はあ、と紬が息を吐いたあと、丞からも同じように息が吐かれた。
途端、わき上がる歓声。
「えっ?」
紬は思わず視線を周りに向ける。いつのまにかできていた人だかり。
「いつのまにこんな……」
「あっ、あの、投げ銭は結構です、そういうのじゃないんで」
丞も驚いて辺りを見回しているうちに、ギャラリーたちが財布を取り出して、観覧料としてのチップを渡そうとしてくる。紬はそれをやんわり断った。
お金のなかった学生時代は、よくそういうことをやっていたが、今は他に収入源もあるし、何よりそれが目的で来たわけではない。
丞もそうだろうと横目で見やると、ここに来るまでの表情が嘘のように、柔らかな「幼馴染み」がいた。
「丞……?」
「……行くぞ、紬」
「えっ、あ、うん」
丞はそう言って駅の方へ向かって歩き出してしまい、紬はギャラリーたちに観てくれたお礼を告げ、丞の背中を追う。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-023-
しかし次の日も、二人して朝から脱力する羽目になる。
「また十二日……」
「これで何度目だ、くそっ……」
携帯端末の表示も、朝のニュースのアナウンスも、昨日と同じ十二日。
劇団のメンバーの行動も変わりなくて、昨日あんなことまでしたのにと、本当にうんざりとした陰鬱な気分だ。
「たすく、つむぎ~、またさんかく消えちゃった~! はやく仲直りして!」
談話室に、昨日の昨日と同じように三角が飛び込んでくる。彼がループしているのも変わっていないようだった。
「ご、ごめん三角くん。でも、仲直りってどうしたら」
「証明できるもんでもないだろう。しかも、ぬいぐるみ相手に」
「カンタンだよ~仲直りなんて! 本当に思ってること、相手にちゃんと伝えれば大丈夫! 今日はちゃんと仲直りしてね!」
そう言って、三角はまたさんかくを探しに行ってしまった。
「本当に思ってること、か……」
「丞、いったんみんなのところに戻ろう。いつまでも稽古中断にはできないよ」
「ああ……そうだな」
丞の声が、昨日までのどの時点よりも静かになる。
じ、と見つめられたような気がして、丞を振り向いたけれど、紬がそうする頃にはもう、丞がレッスン室へと足を向けてしまっていた。
(丞……?)
昨日までの昨日と違う、と紬は感じ取る。何がどう、という具体的なものを言葉にはできないが、丞から感じる拒絶にしか思えないオーラが、和らいでいるような気がした。
(気のせいかな……また自分に都合のいいように考えちゃってるのかも)
そうして、昨日と同じ今日の朝練を繰り返し、朝食にありつく。
臣の作ってくれたオムレツは美味しくて大好きだが、丞は少しうんざりしているように見えて、紬はまあ仕方ないよねと口の端を上げた。
「あ、万里くんドレッシング、使うでしょ?」
「え? あ、あー、どもっす。……なんで分かったの紬さん。こえーなー」
万里が、いつものようにドレッシングを頼んでくる前に、紬はつい手渡してしまう。まだ何も言ってないのに、と万里はサラダの器を前に目を丸くしていた。紬はハッとして、頬を赤らめた。
「あっ、あの、うん、なんとなく……?」
「へー……やっぱ紬さんに隠し事とかできねーよな」
万里はドレッシングの瓶を受け取って、困ったような、嬉しそうな顔をした。
紬はその真意を探ろうとして、首を傾げる。万里の心の中なんて分からないけれど、もしかしたら。
(もしかしたら、俺が万里くんのことを見てるって思ったのかな……。変な期待させちゃったかも……)
好きな相手に、気を遣ってもらえたら嬉しい。言わなくても分かってくれるのは嬉しい。
だけどこの時点の万里は、まだちゃんとした告白をしていないことになっている。悟られているのかと、困ってもいるのだろう。
(今日も……俺は万里くんの告白、聞くのかな……正直、もうどう反応していいのか分からないんだけど……)
昨日と同じ今日、何度目なのだろう。
繰り返しても気持ちが変わることはないのに、万里は何度も好きだと言ってくれる。
いや、万里にとっては一度なのだが、紬は複数回、告白されている。慣れというものは怖いもので、初日にあれだけ混乱していた頭の中も、今ではちゃんと整理されていた。
万里は本当に一生懸命、好きでいてくれる。
日ごと日ごとに言葉を換えて、伝えてくれる。
今日はどんな言葉で、明日はどんな言葉で、その先はいったい……?
憂鬱だった今日が、ほんの少し楽しみになってきてしまっている。十中八九、万里のせいだ。
そうして紬は、今日も同じことを教えるためにバイトに出掛けようとする。それを、万里が玄関先で呼び止めてきた。
「紬さん、大丈夫すか?」
「え、な、何が?」
「……いや、朝メシん時、ちょっとおかしかったから……」
おかしかったかな、と紬は苦笑する。
そういえば一昨日も、体調が悪いのではないかと心配された。
今日はそんなつもりなかったけど、と万里を見やれば、気まずそうな顔をして髪をかき混ぜていた。
「もしかして、昨日のストリートACTのこと真面目に……取ってるわけねーよな、悪い、今のナシ。ちゃんと言いたいし、気づかないでいーよ」
「……なんのこと?」
紬は、万里が何を言いたいのか気づいていて、あえて気づかない振りをした。
このカフェラテ色の髪をした年下の男の子を、困らせたくない。彼にとっては今日の夜が本番で、紬はまだ気づいてはいけないのだ。事実、万里は気づかれていないことにホッとしたようだった。
「でも、今日はなんか昨日より元気そうで安心したわ。昨日ほんとブルーだったもんな」
「そ、そうかな……うん、昨日よりは大分楽かも。またあのカフェ行こうね万里くん」
何度も繰り返した今日を、紬は少しずつ昇華していっている。昨日よりは元気に見えるというのは、そのせいだろう。それを聞いて、万里はものすごく嬉しそうな顔をしてくれた。
(……かわいい……)
万里は本当に、そこら辺の高校生よりも大人びた表情をするけれど、ときどきこんなふうに、年相応の笑顔を見せることがある。
それは紬にとって嫌なことではなく、むしろ嬉しいと感じてしまう。
(あ、かわいいって、褒め言葉だけど、万里くんに言ったら怒られるかな……。俺もまさか、年下の男の子をかわいいって思う日がくるとは、思わなかったけど)
こっそりふふと笑って、紬は万里に見送られながら寮をあとにした。
その日の夕方、いつもの昨日と違うことがあった。
【バイト終わったら連絡してくれ】
丞から、そうLIMEが送信されてきていた。
今までグループLIMEを送ってきたことはあったけれど、個人的なものなんて一切なかったのに。
どうしたんだろうと、紬は不安になって、まだ慣れないLIMEを一生懸命操作して、返信した。
【今終わったけど、どうしたの?】
【天鵞絨駅で待ってる。気をつけてこいよ】
すぐに既読がついて返信されてくる。メンバーや丞の身に何かあったわけではないようだと、紬はホッとした。どうせ天鵞絨駅で降りるのだ、今日はカフェでの休憩を断念して、紬は電車に飛び乗った。
#シリーズ物 #ウェブ再録
/ /

そっと握りしめられたミカエルの手が、胸に当てられる。
『それでもいい。たとえ自分が不幸になっても、彼女を幸せにしたいんだ』
きゅう、と胸が締めつけられた。それは今この演目を観ている全員に言えることだろう。
「月岡紬」の演じる天使・ミカエルは、人間の女の子に恋をして、たとえ自分がどうなってもいいから、彼女を助けたいと切に願う役だ。
天使という儚いイメージのある役に、紬の繊細な演技はまさにハマり役だった。儚さの中にも、芯の強さを感じられる。
紬の演技に引っ張られてか、誉や密、東の演技にも磨きがかかっている。本当にそこに、その役として存在しているかのような静かな力強さが、冬組の公演にはあった。
(秋組の、勢いで引き込んでいくものとは違うな……役者の年齢層が高いってのもあんのか、しっとり……してる……)
万里はそれを舞台袖で眺めながら、自分の指先が動くのを自覚していた。
演じたい。
こんなに芝居をしたいと思ったのは、秋組の一人芝居を観た時以来だ。
(あん時とも、ちょっと違うか)
あの時はただただ衝撃で、負けたくないと思った。今は、あの人と一緒に演じてみたい。そんなふうに気持ちが変化している。
(俺にはあんなふうにできねぇ。こんなふうに観客を引き込めない……)
作風がまったく違うのだ、観客の感じ方も全然違うだろうことは理解できる。だが、紬には一生敵わないのだろうと分かった。
(すっげぇ綺麗。丞さんみたいな存在感はないって思ってたけど、全然、あんじゃん……)
舞台の上で、ひときわ目立つのはやはり主役だ。だがそれを抜いても、紬に目が惹かれる。
ミカエルに共感して、泣きそうになっている観客の、なんと多いことか。
(また、惚れちまった。何度目だよ、これ)
観客すべてをその世界に引き込む力を持ったひとを、好きになれた幸福。人生がイージーモードだなんてとんでもない。こんな気持ちを知らなかったせいだ。
この恋が叶うかどうか分からない。だけど紬に恋をできた、それが誇らしい。
まるで、人間に恋をして、自分が滅ぶと分かっていても、幸福そうに消えていったミカエルのようだと、泣き出しそうな想いをこくりと飲み込んだ。
(いつか、アンタと同じ舞台に立てたらいい)
万里の心に、新しい芽が吹く。
組が違えば共演は難しいかもしれない。それでもいつか、舞台の上であの演技に応えてみたいのだ。
そのためには、MANKAIカンパニーが存続していることが前提条件。
GOD座との勝負に勝てるよう、全力でサポートしようと、万里は紬の演技をじっと眺めた。
そうして、あっという間に前楽を迎えてしまう。
明日はGOD座の劇場で演じて勝負をすることになっており、カンパニーの劇場でこの演目をやるのはこれが最後だ。
複数回観に来てくれる客も増え、昨日より今日、今日より明日、と芝居をよりよくしていかなければという想いが、紬の中に闇を生んでしまった。
昨日、GOD座からの丞のファンが不満を漏らしているのを聞いてしまって、収まったと思った後悔の種が芽吹いてしまったのだ。
(主役を変えてほしい、か。確かに俺の演技に丞が合わせる形でしかない。あれじゃ、丞が死んでしまう。ファンにしてみたら当然の不満だよね……)
自分の演技では、丞の良さを引き出すことができない。
丞の勝ち気で派手なオーラは、舞台の上で最高の武器だ。それを活かせていないことが、悔しい。
(もっと、丞みたいにできたら……!)
華がない、才能がない、やめてしまった方がきみのためだ。そう言われたことが、いまだに胸の奥に残っている。
(そうだ、丞みたいに)
芝居を良くしたい。お客さんに満足してもらいたい。
「あの、監督、今日の芝居、少し変えてみてもいいですか……?」
「え? 変えるって……どんなふうに?」
「任せてもらえませんか」
「うん……? 紬さんが、そう言うなら」
不安そうないづみの声も、今の紬には届かない。ホームでの最後の演技、紬が選んだのは悪手だった――。
舞台の上で、紬が沈んだのが手に取るように分かる。
あ、と思った時にはもう、紬のミカエルではなくなっていた。違う、と思っているのに、紬自身も止められないのか、仕草がどんどん荒くなっていく。
(紬さん、どうしたんだよ……!? そんなん、アンタらしくねぇっ……!)
万里は裏方として照明や音響をチェックしている中、これまでの紬とは、正反対のミカエルがそこにいるのに瞬時に気づくのに、どうすることもできないでいた。
舞台は冬組のものだ。自浄するならば、冬組のメンバーでなければいけない。
それができないのなら、GOD座との勝負なんて、負けるのが目に見えている。
(いつもの紬さんなら、ここで声を張り上げたりしない。切なそうに微笑んで言うのに……、なんで……!)
「おい、紬さんどうかしたのか。いつものと違う」
その異変に気づいているのは、万里だけではない。
「わっかんねぇよ、客は喜んでるみたいだけど……」
「板の上でも、困惑してるな、あいつら。有栖川たちは、まだ軌道修正できるほどの力付けてねえんだろ」
「丞サンが、どうにか引き戻してくんないッスかね!?」
「だけど丞さんも、紬さんの演技に戸惑ってるみたいだが……」
秋組のメンツはもちろん、当然監督であるいづみ、勘のいい他の組のメンバーは気がついていた。
「摂津、お前何か変なこと言ったんじゃねぇのか」
「なンでだよッ、昨日は普通だったんだぜ、あの人」
紬に想いを寄せていることを知っている十座が、不審そうに声をかけてくる。
まったくもって心外だ。いつものように好きだという言葉と、明日も楽しみにしてるという期待と、頑張れよという発破をかけただけ。
そういえば、心なしか元気がなかったかなと思うけれど、万里の言葉で気分が落ち込んだわけではないと思いたい。
(紬さん、なんで……?)
芝居をよりよくしようと、演技を変えるのはままあることだと思う。秋組だってアドリブてんこ盛りで千秋楽を終えたのだ。やりすぎなければ、それは悪いことではない。
だが今の紬は、アドリブを挟むというレベルではなかった。万里は板の上の困惑をどうすることもできずに、祈るように見守るだけだった。
#シリーズ物 #ウェブ再録