- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.254, No.253, No.252, No.251, No.250, No.249, No.248[7件]
俺のCandy Star!-016-
「え、……っと……?」
「演技も、もちろん好きだけどな。それだけじゃねーの。月岡紬さん――俺は今、アンタに本気の恋をしてんだよ」
好きという単語だけでは、きっと伝わらないだろう。
十座が左京を好きだと言ったことに、演技に惚れているという意味では? とフォローした男がいるように、芝居の話をした今の流れでは、そう捉えられてしまうはず。
そもそも男から「好き」と言われて、すぐに恋と結びつけられるわけもない。
だからあえて、恋という音にしてみた。
そうして、五秒。
「……――え!?」
紬がようやくその意味に気がついて、慌て出す。腕の中にいたブサイクなぬいぐるみが落ちて転がるけれど、もちろんそんなものに構っている余裕などない。
「ま、待って万里くん、それは、そのっ……万里くんが、俺を、……す、好きって、こと、なの、かな?」
「だぁからそう言ってんじゃん」
「俺、男だよ……?」
「あー、知ってっし」
紬の反応は当然といえば当然で、想定の範囲内だ。まず性別の壁がいちばん初めに立ちはだかる。
「きみより年上……」
「それにしちゃ頼りねーけど、問題なし」
もともと年上好みだしとつけ加え、紬の顔を覗き込む。怯えさせないように距離は取ったつもりだったが、紬の肩がびくりと跳ねたのに気がついた。
「……んな心配しねーでも、力尽くでとか無理やりとか、しねーから。でも、知っておいてほしかった。紬さんは、自分に自信ねーのかもだけど、俺はアンタのそういうとこ全部ひっくるめて、好き。すっげぇ好き。俺の好きなもん、否定しねーでくんねぇかな」
紬に触れてみたい思いはある。キスだってしたいしその先だって。
だけどまずいちばん初めに、紬からの想いが欲しい。
それを手に入れるまで、手を出すつもりはかけらもない。
こんなに好きになってしまった月岡紬を、本人であろうと否定してほしくはなかった。
「待って……ほんとに、ごめん、待って、混乱して、うまく考えがまとまらない」
紬はくしゃりと髪をかき混ぜ、視線を下に向ける。そうすれば、万里の視線と出逢うことはなくなるからだろう。
途切れる言葉が、紬の焦りと混乱を伝えてきて、ほんの少し、悪いことをしたかなと思う。さらに混乱させるようなこと、何もこんな時に言わなくてもいいだろうにと、万里が外野であったら思ったことだろう。
だけど、今だからこそ言わなければいけないと思ったのだ。自分自身を否定する紬を、大好きになってしまった男もここにいるのだと。
「……無理? 俺のこと気持ち悪い? 紬さん」
静かにそう呟くと、ハッと紬が顔を上げる。自分の態度が、万里を傷つけたと思ったのだろう。一瞬だけかちあった視線は、やっぱり紬の方から逸らされた。
「き、気持ちわるい、とは……思わないっていうか、思いたく、ないけど、ちょっと待って……本気で言ってるの?」
「本気っすよ。ヤロー相手にこんな冗談言うほど、女に不自由してねーし」
「本気なら余計に分からないよ、どうして俺なの? 万里くんなら、他にたくさん……いるでしょ、男の俺に、そんな」
「いても、紬さんがいい」
ふるふると小刻みに首を振りながら、紬は数歩後ずさる。
それを追おうとはせずに、万里はその場で即答した。
「生理的に無理ってんでなきゃ、ちょい真面目に考えてみて、俺のこと。いちばんはGOD座との勝負考えて。前向きな感じで。その次は紬さん、アンタ自身のことを。こっちも前向きな感じな。三番目はまぁ……丞さんのこと? また何かあったんだろ。仲直りできますよーに。そんでその次くらいでいいから、俺のこと。もちろん前向きな感じで頼むわ」
今必要なことを指折り数えて、並べてみせる。
いちばん初めに考えてほしいなんて、贅沢は言わない。頭の片隅にでも置いておいてくれたら、それでいい。
「だけど俺、無理だよ、万里くんのこと、そんなふうに見られない。今は芝居のことで頭一杯なのに」
「まあ、こんな時に何言ってんだって話だよな。でも、ダメでも言っとくのと、ダメだからって溜め込んだままなのとじゃ、意識が違うじゃん? 悩んでよ紬さん。俺がどれっくらいアンタのこと好きか、説明しろってんならつきあうし」
「い、いいそんなの、聞かなくて!」
万里の方は準備万端なのに、紬は顔を真っ赤にして拒絶してくる。
ちぇ、と舌を打つが、こんなものは想定内だ。
「万里くん、本当にダメだよ……お願い、いくらその……好きって言ってくれても、受け入れられるわけがない。男同士なんて……無理……俺だって、つきあうのは女の子がいいんだよ」
紬は、混乱をどうにか収めようと額を押さえ、万里の気持ちを押し返す。
必死で言葉を選んでいるのが見て取れて、万里は口唇を引き結んだ。
断られるのは分かっていたけれど、実際にそうされてしまうと、考えていたよりずっと、胃がずしりと重い。
紬を困らせてしまっている事実と、受け入れてもらえない大切な気持ち。
「万里くんのことは、一緒にカフェでおしゃべりできるっていう風にしか、見てない。これからも……変わらないから、諦めてくれると有り難い、です」
目蓋を伏せて、万里の視線に捕まってしまわないように、ゆっくりと優しく拒絶してくる。
口をきいてくれるだけまだマシかなと、最悪のラストまで想像していた万里としては、上々の反応だ。
ふう、と短く息を吐いて、万里は一度だけ、ごめんと呟いた。
「簡単に諦められるくれーなら、最初っから言ったりしねーよ」
そのお願いは聞けない、というごめん。それにしか謝れない。紬を好きになったことが、悪いことだとは思っていない。
今困らせていることも、時期が早いか遅いかの差だけで、いずれは困らせることになっただろうと思うと、悪いという気持ちはない。
「俺は紬さんのことが好きだ。これからも変わらないから、そこは諦めて。あと、そういうの抜いても、GOD座との勝負、受けてもらいてーなって思う。紬さんの芝居、まだエチュードレベルのしか見たことねーからさ。舞台に立ってる紬さんが見たい。綴のシナリオ絶対いいのできあがってくっから、楽しみに待っときゃいいよ」
恋というものが、こんなに自分勝手なものだなんて思わなかった。紬の都合も、劇団の都合も、構っていられないほど、身勝手な望みだ。
「ま、まだテーマも決まってないのに、そもそも俺は主演を降りて――」
「あーダイジョブ、ダイジョブ。俺ん中でスターは紬さんだから。どんな役でも惚れるぜ?」
「えぇ……っ?」
主演だろうが何だろうが構わないと、ひらひら手を振ってみせれば、絶句して固まった様子の紬。だけど心からの言葉だ。紬が演じる役ならば、何だって惚れてしまう自信がある。
例えば悪魔だろうが犯罪者だろうが、女形だろうが天使だろうが、紬の繰り出す仕草のひとつひとつに、目を奪われるに違いない。
「本当に、楽しみにしてっから。じゃーおやすみ紬さん。頭冷やしすぎて風邪引かねーようにな」
そう言って、転がっていたぬいぐるみを拾い上げ、紬の手に渡してやる。真っ赤な頬は、悪くない反応だ。
ちょっとしたイタズラ心で、その頬を指先でつついてみた。
「紬さん、覚悟しとけよ。絶対オトしてやっからな」
紬の頬が、さらに赤くなったのを確認して満足し、万里は踵を返す。無事に恋を告白し終え、寮の中へと戻っていった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-015-
ミーティングが終わったようだと思ったのは、レッスン室から人が出ていく気配がしたからだ。
万里は携帯端末の画面から顔を上げ、ソファの上からレッスン室の方を向く。
だけど、何か様子がおかしい。
乱暴にドアが閉まる音、廊下を歩く音、玄関のドアが開いて、また乱暴に閉まる音。
それから少しして、一人の足音。ぺたぺたとスリッパが床をこするそれは、沈みきった気分を表しているように思えた。
(あれ……稽古ん時はそれなりにいい雰囲気だったのにな……。まーたなんかあったのか?)
そのあとに、階段を上がっていく三人ほどの足音が聞こえる。
ほんの少し聞こえてくる声は、東と誉だろうか。だとすれば、眠そうな密もいるに違いない。
(じゃあさっきの……紬さんか? やべーな、俺の乱入が裏目に出てなきゃいいんだけど……)
そうして、ゆっくりとした足音をつれて、いづみが談話室に入ってくる。万里はすかさず声をかけた。
「監督ちゃん、どーなった? 明日の返事のこと話してたんだろ?」
「あ、うん……ひとまず勝負は受けないことになった……と思う……」
「えっ、なんで!?」
万里は驚いて目を瞠る。
素人集団とはいえ、死ぬ気で練習すればいい舞台はできあがる。
秋組だっていい例だ。あれだけダイコンだった十座が、稽古を、公演を重ねるたびに上手くなっていったのだ。可能性は充分にある。
「紬さんには重荷だったんだと思う。私も、背負わせすぎちゃったし、ただでさえなんだかギスギスしてるところに、これじゃあ……」
しょんぼりといづみが俯く。普段、劇団の連中にそういった弱音を吐かないいづみが、そんなふうに言葉にするなんて、よほど重症らしい。万里は慌てて腰を上げた。
「また丞さんとやり合ったんかよ。つーか、紬さんは? 出てった?」
「え、あ、ちょっと頭冷やしてきますって言ってたから、外だと……丞さんもトレーニング行くようなこと言ってたけど……」
「リョーカイ」
万里は追いかけたそうないづみを制して、談話室を出る。
勝負を受けるかどうか返事をするのは明日だ。断って本当に後悔しないのか、紬に直接訊ねてみたい。
紬が、冬組が後悔しないのならば、秋組はそれに従おう。反対する連中がいたら説得に回ってもいい。だがまずは、万里自身が納得したい。
万里は玄関を出て、ひとまず中庭へと足を向けた。そこの植物の世話をしているのを、知っていたからだ。
(紬さん、俺の声はアンタに届くか?)
そうして向かった中庭で、万里は紬を見つけた。
「…………紬、さん?」
落ち込んで俯いて、泣いてでもいるだろうかと思ったその予想に反して、紬の背筋はピンと伸びていた。それはいいが、その腕の中の物体はいったいなんだろう。
「え、あ、万里くん……」
万里に気がついて振り向いてくる。少し気まずそうな表情は、万里がここに来た理由に気づいていてか。
「なあ、何それ」
「あっ、これ? なんか、上から落ちてきたんだよね。かわいいけど……もしかして万里くんの?」
「んなわけあるかよ」
「……だよね」
紬の腕の中に、水色のぬいぐるみ。それをかわいいと言う紬の気が知れないが、和めているのならそれはそれでよしだ。
「万里くん……もしかして、監督から聞いた?」
そうして、切り出してきたのは紬の方。
稽古の乱入と、ミーティングがあったことを知っている事実。このタイミングで声をかければ、誰もがそう思うだろう。万里は「ああ」と頷いた。
「そっか……ごめんね、劇団の借金、返す方法考えなくちゃだもんね」
「そんなん、左京さんに任せときゃいーんだよ。他のヤツらだって力貸してくれんだろ。俺は……なんで勝負断るのかってのを訊きたいんだ」
「だって負ける未来しか見えないよ、俺がリーダーで、主演じゃ、さ……」
ぬいぐるみを抱いたまま、紬は顔を背ける。
負けると分かっていて、カンパニーを解散の危機に晒すことはできないと。自分ひとりの問題ではないから、巻き込むことなんてできないと。
「俺はそんな未来見えてねぇ」
万里は、そんな紬に力強く否定を返した。
万里も紬も、もちろん予知ができるわけではない。だからこそ怖がるし、否定をしてやれる。
「なあ、ためしに受けてみたっていんじゃね? このままじゃ、アンタが自信喪失して、遅かれ早かれ冬組は壊れるぜ」
このカンパニーを潰さない条件は、ふたつ。冬組までの公演を千秋楽まで無事に終わらせること。そして借金を完済することだ。
ここでGOD座の勝負から逃げて、冬組の完成はあり得るのだろうか。「逃げた」事実だけがまた紬に襲いかかるだけだ。
「やりもしないうちから、なに消極的になってんだよ。みんなも協力してくれるって言ってただろ」
「…………万里くんには、分からないよ……何でもできるでしょ? きみや丞が冬組を引っ張っていってれば、違う答えもあったかもしれないけど、俺は……」
紬の消え入りそうな声に、万里は目を瞠った。
何でもできる。それを賛辞と捉えたことはないし、罵倒の区分にしたこともない。
だけど、初めて心に突き刺さる。言ったのが紬だからか、それとも今まさに上手くいかないことが、目の前にあるからか。
「紬さん。ちょい前まで、俺も自分でそう思ってた。何でもできた。つまんねーけど、成功はしてたぜ。それがアンタの言う【何でもできる】なら、なんてつまらねー人生かって、今なら思う」
万里は、紬を正面からじっと見つめる。
責められているように感じたのか、紬がハッと息を飲んだのが聞こえた。ごめんと言い出す前に、万里は言葉を紡いだ。
「でも今、思うようにいかないことがあるんすよ。すげぇ夢中になってる。無理かもって思うのに、そう思った傍から……このまま諦めたくないって、足下からせり上がってくるもんがあるんだよ」
戸惑ったように、紬の目が瞬かれる。その仕草ひとつ取っても、万里には見逃したくないものだ。
「なんだと思う? アンタも知ってるもんだぜ」
「え? えっと…………俺にも分かる物っていったら、お芝居……かな……。でも、だったら余計に勝負なんか受けられないよ。ここがなくなったら困るでしょ、万里くんだって」
GOD座の勝負を投げ捨てる弱さと、なくしたくない居場所。
責めるようなまなざしだ。きっと理解してほしいのだろう。演じる当事者でもない万里に、簡単に「受けろ」とは言ってほしくないのだ。
「そんなん、どうにかなんじゃね? 芝居なんて、どこでだってできんじゃん」
「……え……?」
「名前変えて、団員もっと増やせば、今のMANKAIカンパニーじゃなくなるっしょ。ヤツらの条件は【MANKAIカンパニーの解散】だぜ?」
場所が変わってもいい。名前だって変わって構わない。
今いる仲間たちと芝居ができれば、どこだって満開に咲ける。
そう言って不敵に笑えば、ぱちぱちと目を瞬いた紬が、小さく噴き出した。
「はは、万里くんむちゃくちゃだよそれ。そんなの、神木坂さんが手を引くとは――」
「あ、それ、その顔」
「え?」
「俺が今夢中になってるものな。そうやって笑うひと。……俺、紬さんのこと好きだぜ」
好きなひとの笑顔を見ていたい。
至極分かりやすい、恋の定義。
考えてみれば、今までそれなりにつきあってきた相手にそんなこと、思ったこともなかった。
今目の前で、事態を把握できずにぽかんと口を開けるこの男に、初めての恋をしている。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-014-
GOD座の勝負を受けるかどうか、返事をしなければいけない期限は明日だ。
寮全体が、どこかそわそわしている、と万里は感じている。
約一名、別の意味でソワソワしているのは十座だが、おかげで左京の機嫌が悪そうである。
気づいているらしく、一定の距離以上は近づかないようにしているのが、健気に思えてしまうから、恋というのは厄介だ。
「十座、プリン食うか?」
「……っす」
そんな十座を気にしてか、臣がデザートのプリンを差し出す。いや、これはいつもの光景だなと、万里はポケットから携帯端末を取り出して、アプリを立ち上げる。
【大丈夫っすか】
と送ったLIMEには、既読の印さえついていない。今冬組は稽古の途中なのだろう。そんな状態で、万里からのLIMEに応答することはできない。
ちょっと覗いてこようかなと、万里は談話室をあとにした。
小さくドアをノックして、そっと開ける。すぐ傍で、総監督である立花いづみが、メンバーに指示を出していた。
「あれ万里くん、どうしたの? 今日は秋組の稽古ないよね」
「んー、ちょっと他の組の稽古も見たくて。秋組の参考になっかなーと思ってさ」
「熱心だね、偉い。隅っこの方で見ててくれる? 何かアドバイスあったらお願い」
「りょーかい」
いづみに言われるままに、鏡張りになっている側とは逆の壁にもたれる。
いづみにはああ言ったものの、本当は紬の様子を見にきただけだ。
秋組には秋組のやり方というものがあるし、参考にはなるかもしれないが、稽古に取り入れるかどうかは別である。
万里の存在に気がついたメンバーが、少しぎこちなく視線をよこしてくる。監督以外の視線に、まだ慣れていないのだろうか。
(確かに、こんなんでGOD座とタイマンってのもな。酷だぜ……)
GOD座はこの演劇天国ビロードウェイで、間違いなくトップの劇団だ。舞台に興味がある人間なら、必ず名前を知っていると言っても良いほどの、圧倒的な支持を得ている。
対してこのMANKAIカンパニーは、ようやく冬組まで構成人数がそろっただけの、素人集団。
演技力も各々バラバラな上、キャリアもない。
実力派で通っている皇天馬や、不思議な役の入り込み方をする斑鳩三角、幼い頃の勘と度胸を混ぜ合わせた、演技派の左京あたりを混ぜて公演でもするのなら、そこそこできあがったものになるかもしれない。
冬組で経験者と言えば丞と紬だが、簡単そうなエチュードでさえ、ぎこちない。
(紬さんが、萎縮しちまってんなぁ……)
本人も自覚していて、それが余計に動きを硬くしてしまっている。それに丞が苛立つ様子が、万里の位置からでも手に取るように分かった。
さらに、GOD座の勝負を受けるかどうか決める期日が、明日だということが、他のメンバーさえも硬くしていた。
(気にすんなっつっても、無理だろうしな)
万里は反動をつけてもたれていた体を起こし、いづみに小さく声をかける。
「監督ちゃん、俺もちょっと入っていい? エチュード。今やってんの【飲み会】だろ? よゆー」
「えっ、あっ、ちょっと万里くん!」
いづみの答えも聞かずに、万里は足を踏み出した。
『悪い悪い、遅れちまって』
笑いながら、少しも悪びれずに万里は輪の中に入っていく。
ガヤガヤとしているであろう居酒屋の中、各々で好きなドリンクを頼んでいる最中らしい。
目を瞠ったのは全員で、少し眉を寄せたのは丞で、首を傾げたのは誉。相変わらず眠そうなのは密で、東は察して、メニューを渡す仕草を入れてくる。ぱち、と目を瞬いた後の紬と視線が合って、その一瞬で役に入り込んだのが分かる。
『遅い。何してたんだよ?』
『だから謝ってんじゃん。帰り際に仕事頼まれたの、断れなかったんだ』
『まぁまぁ、楽しみにしてたからってそう怒らないの。ねえ、何を頼む?』
『あ、とりあえずナマで。そういや表に救急車止まってたけど、なに、急性アル中でも出た?』
『この店じゃないみたいだけどな。あ、すいません鶏の唐揚げ追加で』
『だし巻きたまごも。え、ふたつ? ああきみはひとつ全部食べるだろうしね。はいはい』
『ねぇ今日のアイスなに』
『もうデザートの話かよ!』
『オレには最重要事項だ』
紬が怒ったように口をとがらせ、東がなだめる。丞が店員を呼び止め、誉もオーダーを追加し、密がメニューの内容を店員に訊ねている。
みんなでメニューを覗き込む仕草は、居酒屋メニューが、本当に所狭しと書き記されているかのようだった。
それぞれ別の会社で働く友人同士なのか、と万里はその中で気づき、話題を切り替える。
新人の女の子が可愛いと笑う東や、凡ミスを重ねてしまったと落ち込む誉。来週出張、という密に全員がお土産頼むわと笑い、WEBデザイナーのツテはないかと訊ねる丞に、先輩に聞いてみるよと紬が答える。
さっきまでのぎこちなさが嘘のように、ぽんぽんと会話が飛び出していった。
人数分の生ビールがそろったところで、何度目かの乾杯を行う。
「はい、終了っ」
そうしていづみの合図で、万里が飛び入りしたエチュードは世界を閉じる。その声に万里はハッとして、大きく息を吐いた。
「あ~……悪い、ついやりたくなっちゃって」
「ふふ、面白かったよ万里」
「……お腹空いた」
「密くん、ひとまずこのマシュマロで我慢しておきたまえ」
「摂津とやるのは初めてだな。思ったより勘がいいのか」
「思ったよりってなんすか」
「すまん言葉のあやだ」
丞の言葉には笑って返して、間近で見た冬組のコミュニケーションにホッとした。演技を通してではあるが、さほど悪いものでもなさそうだ。
あとはやはり、自信がつけばより良いものになっていくだろう。
「うーん、やっぱりいつもとメンツが違うと、別物になってくるね。面白い。今度は空いてる子たちにも入ってもらったりしようかな」
「おー、いんじゃね? 監督ちゃん。太一とか椋なんて喜んでやりそうだな。あと、兵頭とか。アイツ、芝居に関してはマジうざってーくらい熱心だしよ」
「そうだね。ありがとう万里くん、相談してみるよ」
ぎこちない紬の様子に、いても立ってもいられなくなっただけなのだが、稽古の改善につながったのならよしとしよう。
そう思って紬を振り向くと、気まずそうに丞に視線を向けていた。
今のエチュードでも分かったが、紬と丞の演技は対照的だ。仕草で表現することは二人ともあるのだが、割と大きく、目立つ丞の動作に対して、紬の仕草は細かなものだ。どちらがどれだけ良いというわけではない、それは持ち味だ。
紬はそれを気にしているのだろうか。
自分より丞がやれば、と言っていたのを思い出し、万里は何げないふうを装って口にした。
「にしても紬さんの演技ってすげーのな」
「え?」
紬の視線が、ようやく万里の方を向いてくれる。万里は腕を上げ、ジョッキを持ち上げる仕草を加えた。
「乾杯した時さぁ、ビールの泡零れたんだろ。ジョッキの縁見て慌ててたもんな。俺ふつーにジョッキ合わせただけだから、ああいいうの表現できねーもん」
万里の言葉に、ぱちぱちと目を瞬く紬。無意識だったのか、気づかれると思っていなかったのか。
「だから、憧れる」
それは心の底からの言葉だった。
万里が率いる秋組は、アクションが売りだ。細かな動きよりは、大袈裟なほどの動作が必要となってくる。
だが実践で使うかどうかは別として、できるに越したことはない。万里が今、紬のような繊細な仕草ができるかといったら、それはノーを返すしかない。
紬の演技に、紬自身に、スター性はない。だけど、ずっと見守っていたくなるような、そんな気持ちにさせてくれる。
万里はまた一回り、紬への想いを大きくさせた。
「……ありがとう、万里くん」
紬はそう言うも、付け加えてきたのは苦笑だった。
言い方を間違ったかなと、万里は眉を寄せる。シナリオ通りにはいかなくて、初めてハードモードの恋をしている。
改めてそう感じたが、今ここで恋を告げるわけにもいかないだろう。他のメンバーもいる中なんて、公開処刑のようなものだ。昨日の秋組状態になってしまう。
「……じゃ、監督ちゃん、これからミーティングだろ? さすがにいるわけにはいかねーから、俺は戻るわ」
「あっ、万里くん」
「アンタらがどっちを選択するか分からねーけど、俺個人としちゃあ、勝負を楽しみにしてっから。お疲れ~」
話し合いを邪魔するわけにもいかないと、万里は踵を返し、ドアのところで冬組のメンバーを、……紬を振り返る。ひらひらと手を振って、稽古室をあとにした。
紬の演技に触れたのは、これで四度目。
オーディションと、ストリートACTと、昨日の勘違いと、今。
十座ほど芝居に情熱を持っているわけではないし、左京ほど芝居に精通しているわけでもない。
だけど、紬の演技は、好きだ。是非ともGOD座の勝負を受けて、自信を勝ち取ってほしい。
そしていつか、同じ舞台で演じられたら幸せだ。
ミーティングが終わったら、紬にそれを言いに行こう。
心の中の大好きを全部集めて、水仙のようなあの人に、恋を伝えに飛んでいこう。
だからどうか自信を持って――。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-013-
「……やめろ。役者の顔をなんだと思ってやがんだ」
「はあぁ~? おいあのなぁ、俺はてめーのっ……」
十座のためだなんて言いたくないけれど、多少なりともそういう思いがあったのは本当だ。
望まない形で自分の想いを晒されて、拒絶され、十座は左京に、文句のひとつも言ってやっていいはずだ。
それなのに、なぜ当の本人が止めてくるのか。万里はいら立ちを隠しもせずに十座を睨みつけた。
「……兵、頭……」
だけどそこで言葉を失う。
(な、……んて顔、してやがんだよ……)
十座とは、言い争いの中で、殴り合いの中で、芝居の中で、寮生活の中で、それなりにいろんな表情に接してきた。
ほぼ九割が不機嫌そうな表情だったけれども、それでもこれはない。見たことがなかった。
泣き出しそうな顔なんて。
なんと声をかければいいのか分からない。
左京を責めもせず、十座は頭を下げる。すんませんでした、と呟かれる言葉を傍で聞いていて、万里の怒りは最高潮に達した。
(……んでだよ! なんでてめーはそうまでして、あんなことまで言われて、そんでも左京さん好きなんだよ!? アホか!)
やってられるか、と万里は踵を返し、レッスン室のドアへと向かう。
「あっ、おい万里、どこ行くんだ」
「こんなんで稽古になんかなんねーだろ! やってられっか!」
「万チャン!」
万里は乱暴に稽古場のドアを開け、左京を振り返る。そのすぐ傍には水に濡れたままの十座がいて、さらにいら立ちが増した。
「おいオッサン! ガキだってなぁ、マジな恋くれーしてんだよ!」
そう吐き捨てて、万里は稽古室を後にする。
首にひっかけていたタオルを引き下ろして、ダンダンと足音をとどろかせ、部屋に向かいながら、気づく。
別に十座のために怒ったわけではない。
確かに腹は立ったし、文句くらい言えよとは思ったが、いちばんの理由は、ガキ扱いされたこと。
ガキが恋をしてはいけないのか。そもそもどこまでがガキなのか。成人していたらよかったのか。
ガキだから、と拒絶されるのは気にくわない。
「くそっ……」
まるで自分の恋を笑われているようだった。
十座と左京ほどではないにしろ、万里も紬と年が離れている。
紬にこの恋を打ち明けても、子供だからとやんわり拒絶されるのだろうか。
そう思うと、悔しくて辛くて腹立たしくて、思わず声を張り上げていた。
「馬鹿にしてんじゃねーぞ……!」
万里は部屋に戻るなり、ロフトベッドに乗り上がり、ドサリと体を投げ出す。腕で目元を覆えば、泣き出しそうだった十座の顔が浮かんできて、自分のベッドなのに居心地が悪い。
まさかこんな身近に、同じような恋にハマった男がいたなんて。少しも気がつかなかった。いや、万里が紬のことしか見ていなかっただけだろうか。
十座はどんな言葉で気持ちを告げたのだろう。どういった経緯でキスまでしてしまったのだろう。
なんだか、十座に先を越されてしまったような気分になって、悔しい。
「アイツも……悩んだんかな……」
左京に気持ちを告げるに至るまで、どれほど悩んで、葛藤して、口唇を噛んで、拳を握って、我慢してきただろう。
それでなくても不器用な男だ。色恋方面には疎そうに見えて、自分の気持ちを受け入れるにも、時間がかかったかもしれない。
それでも十座は、左京に伝えたのだ。伝わるように、伝えたのだ。
はあ、とため息をつく。
カレシに立候補してもいいか。
そう紬に告げた言葉は、本気にしてもらえなかった。笑われたのではないと考えれば、マシな方かもしれないが、芝居だと思われたのは正直悔しい。
シチュエーションが悪かったのもあっただろうが、もっとちゃんと、真剣に気持ちを打ち明ければよかった。
「もっかい……ちゃんと言わねーと……」
せめてこれが本当の恋なのだと、紬に伝えたい。
演技ではなく、摂津万里として月岡紬が大好きなのだと伝えたい。
叶わなくてもいいなんて、消極的なことはもう考えない。この体の中にある言葉全部で伝えてみよう。
ガキだろうがなんだろうが、マジな恋をしているのだから。
そうして決意を新たにした頃、ルームメイトである十座が部屋に戻ってくる。
万里はベッドの上で体を起こし、髪を下ろしたままの十座を見下ろした。さすがに風呂に入ってきたらしく、顔色は悪くなかった。
ベッドの上と、下とで、視線がぶつかる。
それは珍しく十座の方から逸らされて、万里は目を瞬いた。どうしても気まずいのだろう。いちばん知られたくなかった相手に、あんな形で知られてしまったのだから。
何も言わずにはしごを上がる間も、意図的に顔を背け、ごろりと横になり、ばさりと布団をかぶった十座に、万里は声をかけた。
「なあ兵頭、お前さ」
「うるせぇ黙れ」
まだ何も言わないうちから、ドスの利いた声ではねのけてくる。だが万里はそんな声など慣れている。構わずに、言葉を続けた。
「左京さんのことマジなんだろ?」
「……うるせぇ黙れ、寝る」
「怒んなよ、なにもからかおうってわけじゃねーんだからよ。協力するつもりもねーけど」
仲のいい友人だったら、協力くらいはしたかもしれないけれど、十座ではそんな面倒なことしたくない。しかも相手があの左京では、二人して返り討ちに遭うのがせいぜいだ。
「ただ、てめーが悩んでた気持ちは分かるつもりだから。そんだけ」
「…………は?」
「ヤケになるんじゃねーぞっつってんだよ」
「おい摂津、まさかてめぇも左京さんのこと――」
「なんでそーなるんだよ、ふざけんな!」
十座が慌てて起き上がり、続いて万里もがばりと体を起こした。
気持ちは分かる、という言葉だけではそう誤解するのも仕方ないかもしれないが、冗談じゃない。そこは誤解をといておかないと、面倒でたまらない。
「…………俺もおんなじような感じだっつってんだ。理解しろや、アホが」
「おんなじ……? てめーまさか、劇団内に……?」
ベッドの柵越しに、珍しく十座と言葉を交わす。鈍い男もさすがに察したようで、目を瞠ったのがよく分かる距離だ。こんなことでもなければ、この男とコイバナなんてしなかっただろう。
「誰だ……?」
「ハ、当ててみな」
「…………至さんか?」
「分かるけどちげぇ」
やっぱそうくるかぁと、万里は項垂れて髪をガシガシとかき混ぜる。確かに仲がいい相手ではあるけれど、恋愛感情なんて持てやしない。
「臣さんとか……メシもデザートもうめぇし」
「胃袋掴まれてんのはてめーの方だろが」
「天馬……太一?」
「年下にキョーミねぇ。あ、年上でも東さんとかもちげーからな」
どうして、肝心な相手が出てこないのだろう。自分では分かりやすいと思っていたのに、そうでもなかったのだろうか。安堵する反面、この分ではやっぱり紬にも伝わっていないのだろうなと、落ち込みもした。
「……紬さん……?」
「やっとアタリな。てめーと好み合わなくて安心したぜ」
やっと紬の名前が出てきたけれど、十座は特に驚いた顔をしていない。分かってしまえば、不思議でもなかったということなのだろうか。
「つきあってんのか」
「まだちゃんと告ってもねーよ。まさか、てめーに先を越されるとは思ってなかったけどな。なあ、なんつって告ったんだよ。あの人のこった、ストレートに言わねーと信じちゃくれねぇだろ」
昨日想いを告げたということは、万里が紬に告白したのと同じ時間帯なのだろう。
いくら同じ劇団内、同じく同性相手、年上を好きになってしまったからといって、そんなところまでかぶらなくてもいいのになと、万里は口の端を上げた。
「……ストレートに言っても信じちゃくれなかった。まあ、その気持ちは分かるけどな……」
「あー、だから実力行使ってか。下手打ったんじゃねーの、それ」
「うるせぇ、黙れ」
十座はまた布団をかぶってしまって、会話が途切れてしまう。思ったより落ち込んではいないみたいだと、万里もベッドに体を沈めた。近い天井を眺め、ひとつ、問いかける。
「なぁ」
「……んだよ」
「諦めんのかよ。左京さんのこと」
あれだけ派手に拒絶されて、望みもないだろう恋を、このまま続けていけるのか。
協力するつもりも応援するつもりもないけれど、諦めてしまえとは、かけらも思わない。親近感とでも言えばいいのか、妙な仲間意識が生まれてしまっていた。
「簡単に諦められるくらいなら、最初っから言ったりしねぇ」
「……――だよなあ」
万里はホッとして、息を吐く。同じく望みもないのに、紬を好きでいることをやめられない自分を、許されたような気がして。
(明日、ちゃんと言おう。振られるんだろーけど、俺が紬さんのこと好きなのは変わりねーし)
そうして目を閉じたら、珍しく十座の静かな声で呼ばれた。
「摂津」
「……んだよ。寝んじゃねーの」
「少し……気が楽になった。俺だけじゃねえのかって、まだ左京さんを好きでいていいんだって思ったらな。……そんだけだ」
「てめーに礼言われるなんざ気色悪い」
「礼なんか言ってねぇ。耳悪いのかてめー」
「あァ?」
「んだコラ」
「やんのか」
「寝んじゃねーのかよ」
「てめーが突っかかってきてんだろうが!」
「寝かせろよ、昨日眠れなかったんだ……」
同じような境遇でホッとしつつも、結局はいつも通りの自分たちに戻って、互いのため息で言い争いを無理やり打ち切る。
やっぱり馴れ合えるもんじゃねーなと、万里は髪をかき上げて目を閉じた。
紬ももう眠っているだろうか。それとも、GOD座とのタイマンACTで悩んでいるだろうか。
まさか、自分が今日言ったことで、悩んでくれたりはしていないだろうけれど、明日に響かない程度に睡眠を取ってほしいと、祈るようにゆっくり息を吐いた。
(おやすみ、紬さん)
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-012-
万里は、隣で演じる男の様子がおかしいことに、数分前から気がついていた。
何度もやってきた演目だし、千秋楽も大成功を収めたものなのに、今さらセリフに詰まるのかと、十座の動きを注視した。
『逃げ道なら、ちゃんと確保して――、……っ』
台本をもらった当初ならいさしらず、詰まるような箇所ではなかったはずだ。
軽い殺陣が入っているとはいえ、稽古や公演を通して、ここはスムーズになっていたはずなのに。
「おーい何度目だぁ?」
万里は思わず隣を振り向いた。
役である「ルチアーノ」から「摂津万里」へと戻る。こう何度もセリフを詰まらせてもらっては困るのだ。アドリブを挟もうにも、今の十座にそれに返せる余裕があるとは思えない。
十座とはいつもケンカ腰になってしまうが、芝居に対する情熱は万里も認めていて、悔しいから自分も真面目に、と思うこともたまにある。たまにだ。
絶対に口にしたくはないが、努力は目を瞠るものがあるし、少しすればちゃんとこなしてくるところは、万里も認めている。
だが前述したように、十座とはいつもケンカ腰で、馴れ合うような仲ではない。稽古中に衝突することだって日常茶飯事だ。
「やる気あんのかコラ、あぁん?」
だから今回も、十座は何か文句の一つでも返してくると思ったのだ。
「…………悪い、もう一回頼む」
しかし、素直に謝罪し稽古の再開を望んできた。ケンカ相手にものを頼むなんて、悔しくて仕方がないだろうに。
自分だったら絶対に嫌だと、万里は目を瞬いた。
「……ンだよ、気色悪い」
調子が狂う。好戦的になっていた分、毒気を抜かれたような気分になってしまって、握りかけていた拳を引っ込めた。
だが、そのあとも十座の調子は戻らず、違うシーンをやった方がいいのではないか、と万里が思っていたところへ、左京の声が聞こえてきた。
「摂津、退いてろ!」
「はぁ? うわっ、なっ、おい!」
その声を振り向くとほぼ同時に、左京の手に掴まれたバケツから水が飛んでくる。
万里はすんでのところで避けられたが、どうもそれはすぐ傍にいた十座を狙ったものらしく、彼は避けもせず、まともに食らってしまっていた。
ぽたぽたと髪から雫がしたたり落ちる様を、万里は呆気にとられながら見つめていた。
「な、…………にしてんだアンタ」
「左京さん、いくらなんでもこれは」
「ほっ、ほんとにやるとは思ってなかったッスよ、左京にぃ~」
稽古中に、まさに水を差してくれた男を振り向いてみれば、同じく諫めるように左京の肩を掴む臣と、泣きそうになりながらおろおろしている太一が見えた。
察するに、調子の出ない十座の目を覚まさせようとしてのことだろう。
だがしかし、臣の言うとおり、これはいくらなんでも酷だ。いつもの怒鳴り声でもいいだろうに、この寒い時期に冷たい水とは。
さすがにこれは、リーダーとして意見しなければならないだろうかと足を向けたが、バケツを放った左京がそれより早く十座に詰め寄ってきた。
十座は左京に文句を言うでもなく、あえてその怒りを受けているように見える。
「兵頭……てめぇ、俺が昨日言ったこと忘れたわけじゃねぇよな。あぁ?」
「…………っす」
十座の低い声が耳に入る。
昨日? と思い起こしてみるも、稽古中変わったことは特になかったはずだ。
稽古のあとに何かあったのだろうか。十座はよく自主練をしているようだが、特につきあわない万里には分からない。紬とカフェに行く約束もしていたし、ケンカ相手のことなど気に留めていられないのだ。
だけど、昨日は確かにおかしかったと思い出す。
部屋で鉢合わせると、いつも突っかかってくるのに、黙ってベッドに上がっていっただけだし、いつまで経ってもいびきが聞こえてこなかった。
寝られなかったのかと考えれば、今日の不調も頷けるが、眠れないほどの何があったのか。
あれほど熱を入れている芝居にも、身が入らないほどの、何が――。
「芝居に集中できねぇんなら、色恋にうつつ抜かしてんじゃねぇ!」
左京の放った言葉に、三人が驚く声が聞こえた。息を飲んだのは、音をぶつけられた十座だけだった。
「いろこ……、色恋って、……マジかお前」
「十座……」
「ええええマジっすかぁあああ十座さん」
万里は心の底から驚いた。
色恋ということは、十座が誰かに恋をしているということで、相手のことで頭がいっぱいだということ。
芝居にしか興味がないと思っていた。女になんか目もくれないのだろうと。いっそ女を知らないのではないかと思うほど、十座とそっち方面が結びつかない。
「……左京さん」
十座が、初めて左京を責めるように呼ぶ。他人には知られたくなかったのだろう。多分、特に万里には。からかわれるのが目に見えている、とでも思っているに違いない。
確かに、以前の万里ならそうしていただろう。相手は誰だとか、どこまでいってんだとか、紹介しろよとか。不器用な恋しかできないだろう十座を、ここぞとばかりにからかっていたと思う。
だけど、同じように恋をする者として、もうそんなことはできやしない。
十座が本気なら本気な分だけ、からかえば自分にだって返ってくる。そしてあの様子では、十座は恐らく本気なのだ。
相手が誰だか分からないが、芝居に身が入らないほどの熱で、相手を視線で追いかけているのか。
(兵頭が、恋ねぇ……あんま想像つかねーけど、マジなのは分かる……)
どんな女なのだろうと思いを馳せかけた時、左京のよく通る声が稽古場に響き渡った。
「俺を好きだなんだとほざくヒマがあるなら、殺陣の一つや二つこなしてろ!!」
「左京さん!」
それを追いかけて被せるように、十座の声が重なる。
だけど、聞こえてしまった。
万里は目を見開いて、勢いよく十座を振り向く。
(え、……今、なんつったこの人。なん、つった……!?)
意味を把握できないほど、頭の回転は遅くない。だがにわかには信じ難かった。
つまり十座は、左京のことが。
「さ、左京さん……それは、左京さんの芝居に惚れてるって意味では、なく……?」
「そ、そうっすよ、俺っちだって左京にぃのガラ悪い……あわわ凄みのある演技好きっす!」
臣が、太一が、フォローするような問いかけを投げる。
だけど万里には分かってしまう。
演技に惚れているだとか、追いつきたいとか、認めてもらいたいだとかで、この不器用な男が、好きだなんだとほざくわけがないと。
「演技に惚れてるってだけじゃ、キスなんかしてこねぇだろうが。気色悪い」
臣も太一も、万里もさすがに息を飲んだ。
舌を打って全力で拒絶する左京の声に、十座が青ざめているのが傍でよく分かった。口唇が震えている。
左京に触れただろうその口唇が、色を失っていくようだった。
万里の中に、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
他人の色恋沙汰に首を突っ込むほど、野暮な男ではないつもりだったが、これには口を出させてもらいたい。
ガッと左京の胸ぐらを掴み、ギッと全力で睨みつけた。
「おいオッサン、てめーにはデリカシーってもんはねぇのかよ」
「あァ?」
「他人の前で言うこっちゃねーだろが。そういうことはてめーら二人でカタぁつけろや」
十座は、知られたくなかっただろう。
本気の恋なのに、よりによって左京に惚れてしまったなんて。しかも全力で拒絶されるところを、劇団の仲間に晒されるなんて。
拒絶するのは仕方ないにしても、時と場所を考えてやってほしい。
「ヤクザ相手にメンチ切るたぁいい度胸じゃねーか、摂津。……ガキが生意気言ってんじゃねぇ!」
胸ぐらを掴んだ手を振り払われて、万里はとっさに身構える。それはケンカ慣れしていたせいなのだろう、拳はまっすぐに左京の腹へと向かっていく。
「万里!」
「万チャン!」
臣と太一が叫ぶ中、だが万里の拳は左京の腹に当たることなく、彼の膝で蹴り上げられて、軌道が逸れていった。
「なっ……」
予想していなかった。左京に拳を避けられるなんて。しかもただ避けられるのではない、軌道を逸らされた。予想外だったことを抜いても、屈辱である。が、仕方ない気もした。万里は口の端を上げる。
「ハハッ、そういやアンタ、現役ガチだったっけ。マジで相当な修羅場くぐってきたんだろ、――なぁ!」
左京は現役のヤクザだ。暴力沙汰には慣れているのだろう。
ほぼカタギと変わらないと聞いたような記憶はあるが、それでも万里より年齢も上である以上、経験の差は出てくる。
だったらこっちも遠慮しないだけだと、万里は顔に向けて拳を繰り出した。眼鏡がある分、弱みではあるはずだと。
「やめろ摂津!」
だけどその拳は、左京自身の手で止められるより早く、他人の手のひらで阻まれる。万里は目を瞠った。ぐ、と拳を握り込んで押しのけてきたのは、十座だった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-011-
「でも、ありがとう万里くん。聞いてもらったらちょっと楽になったよ。万里くんみたいな子でも、逃げ出すことがあるんだなって思うと、ホッとした。……あっ、ごめん、あの、俺っ、そんなつもりで言ったんじゃ」
「あ? あー別にいっすよ、事実なんだし。あの頃の自分思い出すとマジで恥ずかしいんで、これ以上はナシな」
「……どんなだったんだろう。今度秋組の人たちに聞いてみよう」
「つーむーぎーさぁん、怒るぜ、んなことしたらっ」
あははと、紬がやっと小さく笑ってくれる。万里はホッとして、冷めかけたキリマンジャロを口に運んだ。
(好きだな、やっぱり……紬さんのこと……)
改めて実感する。笑ってくれることが嬉しい。芝居でなく、他人の表情がこんなに気になることなんてなかった。
好きだと言ってしまえたら、どんなに楽だろう。
以前までの万里なら、紬の都合も気にせずに告げていたことだろう。
(笑っててほしいんだよな。困るの目に見えてんのに、言えっかよ……)
はあ、とため息を吐けば、それを耳にした紬がひょいと覗き込んでくる。
「万里くん? どうしたの……今日、なんだか元気がないよね」
面食らって、万里は二度、三度目を瞬く。そうして、項垂れて頭を抱えた。
(か……んべんしてくれ、紬さん。今それを、アンタが言うのかよ……!)
元気のない紬を元気づけたかったのに、逆に心配させてしまうなんて。
本人はそれどころじゃないはずなのに、どうしてこの人は、と嘆きさえしたい気分だ。
こちらのことを気にかける余裕があるのなら、せめて少し、ほんのかけらだけでもいいから、自分に自信を持ってほしい。なんなら万里の中にある無駄なほどの自信を、抜き取っていってくれたっていいのに。
「万里くん……ごめん、今日、無理につきあわせちゃったのかな……」
苛々するほど、紬には自信がない。
生来そうなのに加えて、逃げ出したことが彼の中の自信を、覆い隠してしまっているのだろうか。
「大丈夫っすよ。つーかアンタが元気ねーからだよ。移った」
「えっ、あっ、ご、ごめ」
「謝るくれーなら、笑ってよ。俺それだけで元気出っから」
「そんな馬鹿な……あはは……」
困ったように笑う紬を、万里は目を細めて見つめる。
言ったことは本当だ。紬が笑ってくれれば、元気が出る。
ただ、自分では笑わせてやれないことが悔しくて寂しい。きっと丞と仲直りできたら、紬は心の底から嬉しそうに笑うのだろう。
そう思うと、苦しくて仕方がない。
(俺じゃ無理、って気持ち、分かっちまうんだよな……)
自分がリーダーではGOD座に勝てないと言う紬と、自分が相手では、紬を安心させてやれないと思う万里の、重なる消極的ライン。
こんなところで同じ気分を分かち合いたくはなかったと、万里は息を吐いた。
「紬さん、出よう。そろそろ帰らねーと、まぁた左京さんに怒られちまう」
「あ、うんそうだね……明日も稽古頑張ろう、万里くん」
「そっすね」
店を出て二人で歩くけれど、当然手なんかつなげない。紬が落ち込んでいるのが分かるのに、元気づける言葉のひとつも出てこなかった。
(今の俺じゃ、紬さんの力にはなれねーのかな。落ち込んでる時には励ましたり、……抱きしめたり、そういうの、駄目、……だろうな)
もっと近づきたい。もっと大人になりたい。そうすれば、紬を包んであげられるのに。
(しんどい。カフェ友のままじゃ、抱きしめることもできやしねー)
万里は、隣をとぼとぼと歩く紬を横目で見やる。このままの距離じゃ、抱きしめることはおろか、頬に触れることさえできやしない。
「紬さん……あのさ」
「ん?」
「アンタ、今、フリー?」
「……えーっと、フリーって? どういう……」
「あー、彼女いるかどうかってこと。いんの?」
「え、いないよ……そういう余裕、ないしね」
「好きなヤツも?」
うん、と紬が頷く。なら、入り込む余地はあるのかなと、万里は思ってしまう。丞への感情が幼なじみへのもので間違いないのなら、支える相手は自分だっていいはずだ。
万里は、足を止めた。
「だったら」
こくりと唾を飲んで、思い切って音を吐く。
「万里くん?」
気がついた紬が、数歩先で立ち止まって振り向いてくれた。
どうかしたのかと心配そうなその顔を、満開の笑顔に変えるには、ただの仲間じゃ駄目なのだ。
もっと近く、ずっと深く。
「俺、アンタのカレシに立候補してもいいっすか」
らしくなく、心臓が早鐘を打つ。そういえば自分から想いを告げるのは初めてだったと、太腿の横で拳を強く握った。
紬はどう反応を返してくるだろう。言ってしまった言葉はもう戻ってくれないし、これで終わってしまうかもしれない。
「万里くん……」
紬は戸惑って眉を下げ、少し思案するように視線を逸らし、どう言おうか迷って口許に指を当てる。
「ごめん、きみのこと……そういうふうには見られない……」
良い返事は期待していなかったけれど、ああ、と万里はゆっくりと息を吐いて口唇を引き結ぶ。
(だよな。分かってたけど、つれぇ……)
初めて味わう失恋というものが、こんなにもつらいなんて。これでもう、紬と一緒にカフェに行くことはできなくなるだろうなと、息を止めた。
「あれ、万里くん? 台詞ない? のかな? 俺の返し方下手だった、よね、ごめん……」
のに。
紬から不可解な言葉が吐かれる。万里は首を傾げた。
(台詞? 台詞ってなに……返し方……、って、ああ!)
唐突に悟って、万里は思わずそこにしゃがみ込んだ。
「マジかよ……」
「ば、万里くん?」
紬が不安そうな声で歩み寄ってくるが、脱力感が抜けずに振り仰いでやることもできない。
紬は、先ほどの告白を、ストリートACTだと思って返してきたのだ。真面目な、本気の告白だとはかけらも思っていないということになる。
(対象外だってのは分かってっけど、実際そういう対応されるとサガるわ……きっつ……)
だが、考えようによってはそう悪いことでもない。
万里のことを「そういうふうには見られない」というのは、つまり芝居だったからだ。こちらが本気なのだと分かれば、違う答えが返ってくるかもしれない。
最初は無理でも、徐々に気になる存在になるかもしれない。まずは意識してもらうことが、いちばん初めの難関だ。
「あーも~……! 逆に覚悟できたわ!」
「万里くん、どうしたの、大丈夫? さっきの、ごめ――」
「……っし、スイッチ入った。マジでいく」
万里はひとつの深呼吸のあと、勢いを付けて体を起こす。至近距離にあった紬の顔に笑いかけ、再び歩き出した。
わけの分からない紬は、その場で首を傾げたまま足を踏み出せないでいる。それに気がついた万里は、振り向いて笑った。
「何してんの紬さん、帰ろ。置いてくぜ」
「あ、う、うん……?」
腑に落ちていないような顔をしながらも、紬はついてきてくれる。
ふたりで並んで歩けるこの距離を、壊したくはないのも本音。紬にもっと近づきたいと思うのも本音。
もう、紬を好きだというこの気持ちを押し込めていたくない。押し込められるほど、小さなものではなかった。
せっかく好きになった紬の価値を、溜め込むことで下げたくない。
(悩んでんなら、聞いてやりたい。支えられるんだったら、俺がしてやりたい。いつか……紬さんと板に立ちてぇな)
自信がないというのなら、そんな紬をも好きになるヤツがいるんだと言ってやりたい。
(押しに弱そうだもんな、紬さん。頼み込んだら、もしかしてってのも、あんだろ)
この恋を叶えたい――それはもちろんあるのだけれど、紬に伝えたい。
あなたを真剣に想っている人間がここにいますと。
それで少しでも、紬が自分自身を好きになってくれたらいい。
そう思って、万里はひとつ、心に決めた。
限りなくゼロに近くても、可能性が少しでもあるのなら。
#シリーズ物 #ウェブ再録
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まだ混乱している。ガクガクと膝が揺れて、紬は思わずそこにしゃがみこんだ。
(えっ……と、えっと、待って、なに……言われた? 万里くん、なに言ってるの……!?)
目の前が、チカチカと光っているような錯覚に陥る。くらくらと目眩さえするようで、上手く思考が働いてくれない。無意識に触れた頬は熱くて、きっと赤くなっているんだろうと紬は思う。
聞き間違いでなければ、今し方、恋を告白された。同じ劇団に所属する、年下の男の子に。
「む、無理だよね、普通に考えて……」
はははと笑いが漏れる。きっと気の迷いに違いなくて、応えることはできない。
そもそも女の子に告白されたって、今はそれどころではないのに、男の子からでは、どうしたって性別という壁が立ちはだかる。そういったことは、まったく考えたことがなかった。
「じ、冗談に決まってるよ……俺が落ち込んでるからって、笑わせようとしてくれたんだ……万里くん優しいからな……」
(万里くんてきっと女の子に人気あるよね……慣れてそうだし、試してみたかったんでしょ、そうだよね……、手近なとこで、カフェ友の俺って、ことで……)
紬はそこにへたりこんだまま、先ほどの万里の表情を思い浮かべていく。
呆れた顔、優しく笑う顔、嬉しそうに好きだと告げる顔。
それがどんどん思い出されていって、顔の熱が上昇した。
冗談に決まっている。そうでなくても気の迷いに違いない。
だけど、万里の声が頭の中でぐるぐると回る。
紬さんのことが好き、笑ってるところが見たい、本気の恋してんだよ、エトセトラ。
どれもが、本当の万里の言葉に思えて仕方がない。
(でも、ダメ、そんなふうに考えられない。友達なら歓迎なんだけど、恋人とか。男同士なのに……)
ふるふると首を振る。
もし万里の言葉が、本当に、真実、本気の恋だとしても、受け入れることはできない。
同性愛というものに、生理的な嫌悪はないと思っているが、それが自分の身に降りかかるとなれば話は別だ。
(そもそも、今はそんな、恋とか……考えてる余裕なんかないのに……! 万里くんも分かってて言ってる……ひどいな、余計に混乱増えただけだよ……)
万里とつきあうことはできない。
リーダーとして、主演として、GOD座の勝負を受けることはできない。
その気持ちは、もうどうしようもない。
好きなことは変わらないから諦めて、と彼は言っていたけれど、そっちこそ諦めてほしい、と紬は珍しく眉を寄せた。
明日にでももう一度、ちゃんと断ろうと大きく息を吐いて、紬はようやく立ち上がる。
頭は冷えたような、さらに悪化したような。
寮の玄関に向かって歩き出し、ふと思い出した。
昨日万里と歩いたストリート。
『俺、アンタのカレシに立候補していいすか』
瞬間、理解する。
「あっ……」
昨日のあれも、万里にとっては告白だったのだと。
カフェの帰り、いつもと変わらぬストリート、というシチュエーションで、てっきり唐突なストリートACTをしかけてきたのだと思い込んでいたが、どうやら違っていたらしい。
(あ、だから万里くん……今日、ちゃんと、言おうって、思ったのかな……)
ストリートACTだと思った紬は「そんなふうに見られない」と、今日と同じように返してしまったのだが、そのあと万里の台詞が続かなかった。
そういえば悲しそうな顔をしていたなと、今さらに思い出し、ずき、と心臓が痛んだ。
万里は二度、恋を告白してくれた。
紬は二度、彼の気持ちを拒絶した。
気持ちというものは、自分の意思でどうにかなるものではない。
だから紬が万里の気持ちを受け入れられないのも、仕方ないとは思う。
だが、真剣に受け止めていただろうかといえば、否定するしかない。
一度目はACTだと思い、二度目は混乱が先立って、真剣に考えていなかった。突然過ぎたのもあるが、もっと真面目に考えてから、応えてやるべきだったのではないか。
高校生なんて、まだ子供で、難しい年頃だ。
紬の知っている高校生たちと比べると、万里はひどく大人びた表情をするせいか、忘れていた。真剣に想いを告げてくれたのなら、こちらも大人として、しっかりと真面目に考えて、答えを出したい。
(それでも、無理な理由を探すしかないけど……。どうして俺なんか、好きになってくれたんだろ? だって、逢ってまだちょっとしか経ってないよね……)
万里とは、この劇団に入ってからの交流しかない。お互い存在さえ知らなかったはずだ。
恋に時間は関係ないということを、万里は紬に知らしめる。
(万里くんよりずっと一緒にいた丞とは、ケンカしたままだっていうのにな……)
はあ、と深く息を吐く。
そんな無責任なヤツと舞台に立ちたくない、と幼馴染みに拒絶された。
そのあとで、別の他人に好きだと言われた。
(本当に、どうしてこうなっちゃうのかな……。俺はただ、あの頃みたいに、丞と一緒に芝居がしたいのに。きっと楽しいよね。万里くんにも、どうせならそうやって楽しんでる俺を見てほしいし……)
劇団の借金もGOD座との確執も、何も考えずに、ただ芝居がしたい。それを見てほしい。
そしてできれば、見た人に何かを植え付けたい。土に根を張る植物のように、深く、その人の心の中に住み着いてみたい。
(やっぱり、俺に芝居は向いてないのかな)
苦笑して、とぼとぼと中へと戻る途中、腕に抱いたぬいぐるみがパアッと光った。
「うわっ……」
それはほんの数瞬で、声を上げた頃にはもう、光った事実さえなかったかのように、静まり返っていた。
「な、なんだろう、今の……。っていうかこのぬいぐるみ、誰のかな? 万里くんじゃないってことは、他の……俺と丞は省くとして、密くんとこ何もなかったけど、増えたのかな。マシュマロみたいな手触りだし……あ、でも誉さんかな。詩興がわくのかも……東さんは、昔のお客さんからこういうのもらってたり……」
この可愛らしいぬいぐるみの持ち主を想像すると、紬の心がほんの少し浮き上がる。
明日の朝食の時にでも訊いてみようと、部屋に戻る。
トレーニングに行ったのか、丞はおらず、どこかホッとしながら入浴を済ませ、その日は眠りに落ちていった。
#シリーズ物 #ウェブ再録