- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.248, No.247, No.246, No.245, No.244, No.243, No.242[7件]
俺のCandy Star!-010-
先日冬組がストリートACTに出掛けた際、GOD座主宰の神木坂レニに遭遇したらしい。
万里はGOD座が嫌いだ。もともと芝居には興味もなかったし、この世界に入らなければ知らなかった劇団でもある。
だが、どうしてだか向こうはこちらを敵視していて、カンパニーを潰そうと画策しているらしい。
万里の率いる秋組も、かつてスパイを送り込まれた。今では立派にMANKAIカンパニーの一員である、七尾太一だ。
舞台をめちゃくちゃにしようと命令していた連中を、力でなんとかするのは簡単だった。ただでさえ秋組はガラの悪い連中が揃っているのだ。
だけどそれではカンパニーにとってよくない。GOD座を力でねじ伏せても、他の組に迷惑がかかる。
拳に頼ることはできない。
勝負するなら正々堂々と、芝居でやってやる。
今回のタイマンACTを申し込まれたのが、もしも秋組だったら、間違いなくそう言って受けて立っていただろう。
俺がいるのに勝てないわけがない、と言える持ち前の自信とポジティブさは、自慢である。
だが、冬組はまだ一度も公演を経験していない。それどころか、五人中三人が素人だ。さらにそのうち一人は寝るのが大好きという始末で、稽古がちゃんとできているのかも怪しい。
「勝負を受けても、勝てる見込みなんてないじゃない……」
「受けねーの?」
「…………万里くんに、こんなこと言っていいのか分からないけど」
「……ん、なに」
紬の視線が逸らされる。
自分に自信が持てないのか、紬は遠慮がちに呟くことが多い。もっとぶつかってきてくれていいのになと、万里は紬から目を逸らすことをせず、じっと見つめた。
「自信がないよ……俺じゃなくて、丞なら、GOD座にいた丞なら、もっとみんなをリードして、うまく引っ張っていってくれると思うのに」
確かに、そこは万里も不思議だった。
紬は人の上に立つ野心家タイプではないし、自然と人が寄ってくるような、独特のカリスマ性があるわけでもない。
悪い意味でなく、横から、後ろから、誰かをサポートする腹心タイプだと思っていた。丞を上手くサポートすれば、冬組としての完成は早かったのではないかと思う。
「でも、立候補したんだろ? ちょっとでも、やりたいって気持ちがあったんじゃねーの」
「……誰もいなかったからね。丞が手を挙げなかったのは、意外だった」
「あー……GOD座にいたからっていう、引け目でもあったんかな。ふぅん、でも、それで手を挙げるアンタは偉いと思うぜ? 他の連中のためでもあったんだろ。監督ちゃんも困っただろうし」
「違うよ。万里くんは俺を買いかぶってるよね」
コーヒーカップを両手で持ち上げて、紬は苦笑する。
万里は眉を寄せて少し首を傾げた。買いかぶっているというのは、どういうことだろう。
そりゃあ紬と知り合って間もないし、こうしてカフェでお茶をするようになったとはいえ、プロフィールも知らなければ、プライベートなことなど何も知らない。
今目の前にいる月岡紬という存在を、きっとまだ上辺だけしか知らないのだろう。
「どういうことすか」
「……みんなのためとかじゃないよ、自分のため。ああいうところで場がギスギスするのって苦手だし、それに……丞に言い訳したかったのもあるかもしれない」
「丞さんに? なんで。つかアンタら、何があったんだよ。幼馴染みって俺いたことねーけど、もっと仲いいもんだと思ってた」
万里は少し逡巡して、思い切って切り出してみる。今まで意図的に避けてきた話題だ。
丞との間に何かあったのは明白で、紬がそれを気にしているのも伝わってくる。
自分たちの間がぎくしゃくしていることが、冬組をまとめられない、最大の原因であることも、紬は気づいているようだ。聞くことで、もし気持ちが軽くなるのならそうしてやりたいし、アドバイスができるものならしてやりたい。
「紬さん。……無理に話さなくてもいいけど、アンタはちょっと吐き出した方がいいんじゃね? 溜め込んでっと、そのうちブッ倒れるぜ。それこそ他のメンバーに迷惑かけることになる」
「う……万里くん痛いとこついてくるよね……。なんで分かっちゃうかな、溜め込んでるって」
「誰が見たって一目瞭然だろ」
そう言って笑うものの、本当の理由は違う。相手が紬だから分かるのだ。
紬の存在を知って、まだ少ししか経っていないし、恋をしてからで言えばもっと少ない。
だけど、視線のすべてが、感情のすべてが、熱のすべてが、紬へと向かっていく。
(アンタのことが好きだからだよ。アンタしか見てねぇからだよ。……気づけって)
恋なんて馬鹿馬鹿しいと思っていたけれど、そう悪いものでもないと気づいた。それだけでも新発見だ。
退屈だった人生に、突然降って湧いたような熱。
芝居と、恋。
恥ずかしくて誰にも言えないけれど、今の万里を形成する大事なものだ。
「……万里くん、俺ね、一回芝居から逃げ出したことがあったんだ。上手くやれてると思ってた。それなりに自信もあったんだ。でも、躓いて、一気に崩れちゃったみたいなんだよね。自惚れていた自分が恥ずかしかったし、俺にはやっぱり無理だったんだって、背を向けたんだよ。……丞は、それを怒ってるんだと思う」
ぽつりぽつりと話し始める紬に、万里はゆっくりと息を吐く。
逃げ出すという単語が、胸に突き刺さった。
万里自身、一度カンパニーから逃げ出したことがある。自分ではそれを逃げだとは思っていなかったけれど、追ってきたいづみに指摘されて、秋組メンツの一人芝居を観て、焦りから逃げ出そうとしていたのだと気がついたのだ。
だけど、万里はそこで引き返した。逃げることをやめた。
このまま負けたくない、勝ちたい、認めさせたい。そう思って震えた心。
紬はそうできなかったのだと思うと、なんと言ってやればいいのか分からない。
その時一緒にいれば、どうにかできたかもしれないのにと思うと、出逢えていなかった事実が悔しくてたまらない。
「だから、リーダーを引き受けたのもね、もう逃げない理由を作ろうとしてたんだ。簡単に抜けたりできないでしょ?」
「あー……それ言われると痛ぇな……俺なんか辞めかけた時もリーダーだったし」
ぽりぽりと頭をかきながらそう呟くと、紬は心底驚いた顔をした。
入団する前のことなんて知らないのだから、当然といえば当然だが、紬こそ万里を買いかぶっていると感じてしまった。
「そ、そうなの? 秋組はケンカが多かったって聞いたけど……そんなに深刻だったんだ?」
「多かったっつーか、今でもケンカはするしな。つか俺のことはいいんだよ。俺が言いたいのはさ、逃げても、その後どうするかってことだよ。紬さんだって、もう逃げたくないって思って、ここに戻ってきたんじゃねーの?」
「う、うん……それはそうなんだけど……俺にはまだ、覚悟が足りないなって」
「真面目すぎんだよ、紬さんは。俺なんか覚悟とかねーし、いざとなったらアイツらがどーにかすんだろうし。だけど、だからこそ余計に逃げたくねえっつーかな」
万里は秋組のメンツを思いふっと笑う。人に言わせれば、それは信頼というものだろう。一朝一夕でどうにかなるものではない。
「紬さんは、頼るの苦手なタイプっすか? そんな危なっかしいのにさ。紬さんが助けてってひとこと言えば、すげえ効力あると思うけどな。……俺なんか全力で手ぇ貸すし」
「……言えないよ、助けてなんて……」
紬がしょんぼりと肩を落とす。
ほぼ同時に、万里もしょんぼりと肩を落とした。
もちろん紬には気づかれないようにだ。
(フツーに流されたし。まーそうだろな、俺が紬さんのこと好きなんて、夢にも思わないんだろうし)
手を貸す、と実は結構意を決して言ってみたつもりだが、紬には伝わっていないようだ。頭の中はそれどころではないのだろう。
「けどさあ、逃げることなんて、生きてりゃ誰にでも一回くらい経験あんだろうに。丞さんも、それでいつまでも怒ってつれない態度取るとか、ガキみてーだな」
「丞は悪くないよ。それまで一緒にやってたんだし、一人で勝手に逃げ出した俺が悪いんだから」
ため息とともにそう呟いたら、紬から即座に反発が返ってきて、目を瞠った。
あんな態度を取られていながら、紬は丞に悪意のかけらも持っていない。かといって無関心になるわけでもなく、関係を修復したいと思っているのだろう。それは「逃げていない」ことと同義ではないだろうか?
後悔が根っこの方にあるにせよ、紬の芯は強いのだと気づく。
それと同時に、気分が沈んだ。
「紬さんは……丞さんのこと好きなんすか」
馬鹿なことを訊いたと思う。
幼馴染みなのだから、嫌いなわけはないと思うのに、つい口から飛び出してしまった。
「え、だって幼馴染みだし……できれば、あの頃に戻りたいんだけどな……今そんなこと言ってる場合じゃないけど……」
「……そっすよね、悪い、変なこと訊いて」
ガシガシと髪をかき混ぜて、項垂れる。
分かっているのに、丞に向かっている視線の半分でもいいから、自分にも向けてほしいと思ってしまう。言わなきゃ伝わらないと分かっているのに、気づいてくれよと身勝手なことを考える。
(恋ってこんなもんなのか? 馬鹿みてーじゃん俺。……嫉妬とか、かっこ悪い)
心臓がズキズキと痛む。
できることならここでかき抱いて、もっとこっちを頼ってくれと言ってしまいたい。紬の混乱が目に見えるから、絶対にできやしないのだけれど。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-009-
「紬さん、悪い遅れて」
「ううん、俺も今準備できたとこだから」
万里は稽古のあと、軽くシャワーを浴びて玄関へと駆けた。そこにはもう約束していた相手が待っていて、心臓が跳ねる。
しかし稽古は、同じような時間に終わるはずだ。万里がそこからシャワーをしていた時間を考えると、どうやっても十分は待たせている。
嘘が下手だよなあと思うくらいに、分かりやすかった。
「あ、シャワーしてきたんだ? この時期にシャワーだけって、寒くない?」
「へーきっすよ。つか稽古でトばしすぎてあっつかった」
「あはは……秋組の稽古大変そう」
二人で約束のカフェに向かって歩き出しながら、先ほどまでの稽古のことを呟き合う。
冬と言われる季節だ、ほんの少し肌寒くはあるけれど、稽古のあとは不思議とそんなことを感じない。気持ちいいくらいに熱に浮かされて、他のメンバーに引っ張られながらも、新たな発見につながるのが面白い。
「この間紬さんに教えてもらったパントマイム? やってみたんすけど……難しいすね。何やってんだって左京さんには不審がられたし」
「そんなに簡単にやられたら怖いな……。でも、万里くんにはすぐ追いつかれそう」
「俺、正直小さい動きとか仕草って苦手なんだよな。できるけど、キレイかっつーとそうでもないだろうし。そこらへん紬さんには勝てないっすよ。前も言ったかもだけど、紬さんの、仕草だけで伝える技術っつーのかな、すげぇと思うぜ。アンタの演技、好きだし」
ひょいと顔を覗き込んで、口許に笑みを浮かべる。びっくりして大きく見開かれた瞳と出逢って、そこに自分が映り込んでいることに幸福を感じた。
(アンタのこと、好きだし)
そう、言えたらいい。
この気持ちに気がついてからというもの、万里の世界は一変した。
一八〇度とまでは言わないが、一五〇度くらいはくるりと変わってしまったように思う。
紬のことを考えるだけで胸がくすぐったい。憂鬱だった朝さえ、紬の顔を見られると思うと嬉しい。芝居が面白いと思うのと同時に、紬に追いつきたいと思うようにさえなった。
落とそうか、落とすまいか、未だに悩んでいるけれど、多分スイッチひとつで、転がり落ちてしまうだろう。
「そ、そうストレートに言われると恥ずかしいな……でも、ありがとう万里くん」
気まずそうに視線を逸らして、恥ずかしそうに頬をかく紬。彼らしい反応に笑い、万里は正面に向き直る。
(へーきへーき、これっくらい想定内っしょ。……想定内、想定内)
想定内ではあるが、予想以上に可愛らしかった。
紬を好きだという気持ちは、もうごまかしようもなくて、否定するつもりもない。
だけど、それと落としにかかるかどうかは別物だ。彼が女であれば、遠慮なく口説かせてもらうし、落とす自信もある。
だけど、紬は男だ。
万里とて男もイケるなんて今回初めて知ったし、普通は恋愛対象外だ。いや、男もイケるというよりは、紬だからだ。
例えば中性的な東にも欲情なんてしないし、女装が好きな幸にも、年齢がどうこうでなく欲情しない。咲也の一生懸命なところは可愛いと思うが、だからって性的対象にはならない。ゲーム仲間の至にだって、いつか認めてもらいたいと思っている左京にだって、多少胃袋を掴まれた感のある臣にだって、欲情はしない。十座なんてもってのほかだし、もっと言えばいづみにだってそういう目を向けたことはない。
紬だから、触れてみたい。
紬のような丁寧な仕草で、紬に触れたい。抱き締めたい。キスをしたい。
だが一方的な想いでどうにかできるのは、想像の中だけ。
こんな劣情を目一杯含んだ感情を、紬が受け入れてくれるかどうか――無理に決まっている。
よくて普通に振られるか、避けられる。悪くすれば軽蔑のまなざしを向けられて、ジ・エンドだ。
どう考えてもうまくいかない。
それに、紬の性格からすると、気にして引きずってしまうだろう。せっかく告白してくれたのに、せっかく好きになってくれたのに、傷つけてしまったと。
下手をすればそこからさらに自身を卑下して、自信をなくしてしまうかもしれない。
それが、万里が恋を打ち明けるのをためらう理由。
紬にこの想いを告げて、自分が傷つくのは構わない。自分自身が選択したからだ。だけど、振ってしまった方の紬は、選択できない。落ち込みやすいんだろうなというのは、ここ数日接してきただけでも分かる。
言いたいことを言えずに、欲しいものを欲しいと言えずに、我慢して溜め込んで、自分一人で抱え込もうとするひとだ、と見ていて分かる。
そんな紬に、この感情を押しつけることなんかできるはずもない。
ただでさえ、今劇団が大変なことになっているのにだ。
「なあ紬さん。そういやアレどーなったの」
「アレ?」
お気に入りのカフェに着いて、お互いそれぞれ好きな物をオーダーする。緑の豊かな静かな店内は、紬の心を落ち着けてくれるだろうか。万里は頼んだキリマンジャロを口に含みながら訊ねる。
紬は首を傾げたけれど、すぐに万里の言いたいことに気がついて、視線を落とした。
「うん、大変なことになっちゃったよね……ただでさえできあがってない俺たちの組が、まさかGOD座とタイマンACTだなんて」
紬の声が沈んでいく。一緒に頼んだシフォンケーキを取り分けるフォークも、心なしか力がないように見えた。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-008-
古市左京は、ふとおかしなことに気がついた。
いや、おかしなというのも語弊があるのだが、視線の先にいる男の仕草が、明らかに先日より良くなっている。
摂津万里は勘の良い男だと思う。若いということもあるだろうが、技術を吸収しやすい素質もあるのだろう。
入団当初からは考えられないほど、真面目に稽古に参加しているのは、当然と言ってしまえばそれまでだが、良い傾向だ。
『ランスキー、表はやっぱ固められてるぜ。どうする』
『どうするもこうするも、突破するしかないだろうルチアーノ』
『だーな。早いところこんなとこ抜け出して、いい女抱きてーわ』
『生きて帰って美女を抱くのが勝利者、か。お前はそればっかりだな』
うるせーよ、とルチアーノが弾の装填を終える。ランスキーと視線を交わして、ふたり同じタイミングで足を踏み出し、敵側の弾を避けて突破口を作る――そんなシーンだ。犬猿の仲だったふたりの距離が一気に縮まる、見せ場でもある。
秋組の公演としてここは成功を収めたし、素人の集団にしては、かなりできが良かった。
四組ある劇団で、今は冬組のできあがりを待っている最中。順番的に言えば、そのあとは春夏の第二公演が控えていて、秋組が舞台に立つのはまだまだ先になる。
だからといって、稽古をサボることはできない。慣れた旗揚げ公演、世に出ている映画やドラマのトレースなどを繰り返している。
稽古に変化は付けているつもりだし、基礎力の底上げを、地道に行っていかなければいけない時期だ。
だが、これはどうしたことだろう。
(摂津の演技が、変わった……?)
具体的にどこがどう、というわけではない。
アドリブを挟んでくるのはいつものことだし、それにどう返そうか迷う十座がいるのも、いつものことだ。だけど、違う。
「……伏見、摂津のヤツどう思う?」
「万里ですか? 上手いこと、みんなを引っ張っていくようになってくれましたよね」
隣で二人の演技を見ていた臣に訊ねてみるけれど、左京の望んでいるような答えは返ってこない。
入団当初の生意気っぷりを知っていれば、臣がそうやって安堵するのも分かるのだ。そういう意味では、望んだ答えでもある。
(まあ小せぇ変化だしな……俺の気のせいかもしれん。……あ)
そう思った端から、気のせいでないと否定もする。
敵の弾がかすったのか、ルチアーノに血を拭う仕草が加えられている。先日にはなかったものだ。その仕草にランスキーが気づいて、さりげなくを庇うように立ち回る。
万里の演技に引っ張られて、十座もどんどんのめり込んでいっているように見えた。
そうして、シーンが途切れる。
「なあ、休憩はさまね?」
「ああ……ちょっと走りすぎた」
場から二人が戻ってくる。かっけ~ッス、とタオルを渡すワンコもとい太一に、とーぜんだろと笑って返す万里をちらりと見やり、左京は隣にもたれた十座に顔を向けた。
「ずいぶん入り込んでたな、兵頭」
「……摂津のやろーがアドリブ入れてくるんで、なりきらないとやってらんねぇんす」
「ああ、切り返しがスムーズだった。上手くなったじゃねぇか」
「あざす」
十座の、芝居に対する熱は、左京にとってもいい刺激になっている。
一回りも下のガキどもと競えるか、と一線を置いていたのだが、そんな逃げを蹴散らしさえするほどの勢いがあるのだ。指導をすれば素直に受け入れるし、その通りに吸収していく。成長していく姿を見るのは、なんとも楽しい気分だった。
今は言う通りにしかしてこないかもしれないが、やがては自分の意見というものを持って、左京とやりあうことになるかもしれない。
「兵頭。摂津の演技……何か気づいたか?」
「え? 演技、すか?」
左京は今のシーンを、外野として見ていただけだが、同じあの場で演じていた十座には、どう感じられただろうか。
そこに気づく段階までは、まだ成長していないかもしれないが、これをきっかけに十座自身の、そして左京自身の演技も変わっていくかもしれない。
十座は少し考え込んでいるようだったが、師匠の問いかけには何かあるのだと気づいて、真剣に向き合ってくれている。
「どうって、なんかその……今日もアドリブは多かったんすけど、それは別に不思議なことでもねーんで、省くとして。……左京さんの言いたいことに適ってるかどうかは分かんねぇが……」
「なんだ」
「なんか、丁寧っていうか……小さい仕草がやけに目についた、かな、とは……思います。目についたってのが正しい表現とは思わねーけど」
正直、そんなに期待はしていなかったのだが、十座はちゃんと気がついていた。左京はひとつ瞬きをして、十座の言葉を引き継ぐ。
「良い意味で目立ってんだな。色気がある。指先の動きひとつ、視線のやり方ひとつ。弾の装填にぞくりときたのは初めてだ」
ああ、と十座の納得が音になって返ってくる。正直、生意気なガキに使いたい言葉ではないが、色気があるというのは決していやらしい意味ではない。
「なんていうか、あれは」
「そうだな、あれは」
他に表現できる言葉はないかと探して、口を開いた。
「艶、っぽい」
「艶っていうか」
自分以外にもうひとつ同じ音がして、思わず隣を振り向く。驚いたことに、十座と声が重なったのだ。
十座も驚いたようで、目をぱちぱちと瞬いている。
「……っふ、は、まさかな、お前の口から艶なんて出てくるとは思わなかったぜ。摂津相手になあ」
「……左京さん、それアイツにはぜってー言うなよ。あんなのにちょっとどきっとしたとか、知られたくね、……あ」
「したんだな」
「…………聞かなかったことにしてくれ……」
左京は笑い、普段の二人からは考えつかない事態に、肩をすくめた。気まずそうに睨みつけてくる十座は、しまったと項垂れる。
こういうところは素直なのに、どうして万里とはケンカばかりなのだと、息を吐いた。
「お前も、艶のある演技ってヤツ目指せばいいだろう」
「そんなん、簡単にできるもんでもねーだろうが……アンタと違って、俺はまだまだ、……力が足りねぇ」
「ま、そのうちな。しかし摂津のやつ……女でもできたのか? いい傾向ではあるが、……兵頭? どうした」
じっとこちらを見つめたままの十座に気がつき、左京は声をかける。それにハッとして、十座は視線を背けた。
「女できると……ああいうのやれるんすか」
「別に女作れってんじゃねぇ。プライベートの変化は、芝居にも出てくる。誰かを真剣に想う気持ちはな、人を成長させんだよ。それくらい理解しろ、ガキ」
ため息交じりにそう返してやると、十座は口唇を引き結んで俯く。きっとまだ恋の一つもしたことがないのだろう。
そう解釈して、万里の変化を思い起こす。
指先の細かな動きは、惚れた相手に触れることを思ってのことだろうか。視線の中に含まれる熱は、惚れた相手を追いかける時のものだろうか。
何にしろ、よい傾向である。
あの生意気なガキを射止めた相手、というのも気になるところだが、演技に悪影響が出ないならば誰でもいいと、左京は腕を組んで満足そうに微笑んだ。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-007-
ソファの背にもたれて、万里はコントローラーを握る。
今日は休日ということで、至との耐久ゲームだ。以前から約束していたものであり、万里もそれなりに楽しみにしていたもの。やりこんだゲームだし、オンラインのランキングは、二人そろって上位を争っている。
「万里、なんか今日覇気がない」
「覇気とか何それ」
隣に座る至から声がかけられた。もちろん視線は画面に向かったままだ。面倒そうではあるものの、心配はしてくれているのだろう。事実、あまりいい戦績を残せていない。
タッグバトルをしている以上、万里の行動が至の戦績にも直結する。
真面目にやっておかねばとは思うのだが、どうにも気が乗らない。
「至さん……」
「なに。つかそこ邪魔」
「ぶっちゃけた話してもいいすか」
「俺わりとお前のぶっちゃけた話聞いてると思うけど。あ、あれか、恋の悩みか。ハハッワロス」
「ちげーって」
「んじゃあこれ終わらせてから。今日の万里使い物になんねーし、ほんとマジ殺す」
それはごめん、と素直に謝って、ラストバトルをちゃっちゃと終わらせる。気が乗ったというより、早く終わらせたかったというだけで、高得点をはじき出す技術には舌を巻くけれど。
「で、なに」
至は万里とタッグを組まずに、一人プレイタイプのコンテンツを選んで、始めてしまっている。万里は手持ちぶさたにコントローラーをいじり、呟いた。
「至さんって抜くとき何使う?」
「下ネタキタコレ。万里もオトコノコだなぁ」
さすがに至の手も一瞬止まったが、男同士ではそう珍しい話題でもない。
何かオススメでも聞きたいのか、抜けなくて困っているのかとでも解釈しただろう。
「至さん今フリーなんだろ? グラビアなんかでイケんの?」
「時と場合と好みによる。疲れてっと、あんまそういう気分にもならない」
「あー、疲れ、疲れね……」
疲れで、そういう気分にならないというのは分かる。だが万里はそんなことで困っているのではない。逆に、抜けるから困っている。
「あのさー。例えばな、例えばよ、抜きネタで身近な人使っちゃうことってあんの? ほら、職場の女とかさ」
「身近はない。めんどくせーのやだから、意識的に除外対象なんだよな。なに万里、身近なコが出てきちゃったカンジ? 青いな高校生」
まあ、と万里はやんわりと肯定する。
初めて紬で抜いたあの日から、ずっとだ。
紬を思えば、もったいないほどすぐにイケるのに、他の女ではダメだった。抜けないわけではないが、そんな無駄なことをするなら紬でイキたい。
これはいくらなんでもおかしい。身近というだけならまだ納得はできるが、加えて同性なんて。胸もないどころか、自分と同じものがついているのに、欲情するなんておかしい。
生きていく上で好みが変わることはあるだろうが、対象の性別まで変わってしまうものだろうか。
「一回くらいなら、問題ないんじゃないの? そりゃあ毎日顔合わせんのは気まずいだろうけどさ。クラスの子か? あー、今めっちゃ気まずそうなお前の顔想像してわろた。マジウケる」
「殴っていいすか至さん。つか、俺だって一回くらいならって思ってたけど! 三日連チャンとかわけ分かんねーことになってんだよ!」
「そんなに出てくんなら、ヤッちゃった方が早くね」
「できるわけねーだろがッ」
「……だろーね。俺だって、好きな子相手にそんなんできない。早いとこ告ったら?」
ちらりと万里を横目で見やり、至は珍しくゲーム中に真面目な声を上げる。
「……は? 告る?」
言葉の意味が分からなくて、万里が隣を振り向いた時にはもう、その視線はゲーム画面に向かっており、至の真剣さを計ることはできない。
しかし、万里の脳裏にぴったりとこびりついたその単語を、どう処理していいものやら。
「待って待って至さん。告るってそれつまり、俺がその……相手を好きってことじゃん?」
「万里。それ、恋愛ゲーだったらアウトな発言な。恋心自覚してないとか、攻略キャラにもなれなくね? モブだな完全に」
「いやいやいや、自覚も何も、ちげぇんだって、そういう、好きとか、あれじゃ、なくてさ」
「動揺しすぎわろ」
「アンタが変なこと言うから!」
こっちは、真剣にどうしようか悩んでいるのに、とソファに拳を叩きつけ、万里は大きなため息。
(違う。好きとかそういうんじゃねぇ)
初めて紬を相手にした夜、それは一瞬考えた。もしかしたらと。
だけど、否定したい。
(否定したい、のに。追い打ちかけんな……)
万里はソファから腰を上げ、ドアへと向かう。今これ以上ここにいたら、墓穴を掘りそうだ。
事実でなくても、至の言葉によって誘導されてしまうかもしれない。それは避けたい。
もし「そう」だと思ったあとに勘違いだと気づいた時、立ち直れるか分からない。
「お、敵前逃亡」
「敵じゃねーし、いやある意味敵だけど。飲み物切れたから持ってくんだよ」
「あー、ならコーラよろ。ロックで」
「……りょーかい」
氷入りのコーラをロックと言う人間は初めてだなと、小さなため息を吐いて、万里は一〇三号室をあとにする。
キッチンへ向かえば、冬組の連中が集まって何やら話し込んでいた。その中には、当然紬もいて、少し気が引ける。
(このタイミングな)
よりによって、今でなくてもいいだろうに。だけど普通にしていなければと、口唇を引き結んだ。
「あれっ、万里くん。至さんとこでゲームじゃなかったの?」
「ちょい休憩な。なに、監督ちゃん、モメてんの?」
「あ、ううん、そうじゃないの、大丈夫」
総監督である立花いづみに声をかけるが、深刻なケンカの類いではないらしい。結成したばかりの冬組だ、まとまるにはもう少し時間がかかるのだろう。
自分のカップにコーヒーを注ぐ。インスタントではやはり美味しくないだろうな、と思うと、どこかカフェで美味しいコーヒーを飲みたい。
ふと視線を上げると、コーヒーの匂いに気がついたらしい紬と、視線がかち合ってしまった。
「インスタント?」
「……美味いコーヒーは外で飲めるし。なに、冬組みんなして集まって。どっか出掛けんの?」
「あ、うん。密くんがさ……もう一週間も経つのに部屋に何もないんだよね。最低限のものくらい揃えておかないと……お布団とかチェストとか」
「あー、そういや文無しなんだっけか。どこでも寝てるみてーだし、特に困ってないのかと思ってた」
冬組に所属する御影密には、記憶がない。記憶というか、御影密という名前以外、何もない。金も、過去も。
秋組も大概変な連中ばかりだと思っていたが、冬組も相当なものである。
「布団以外で寝てて、体痛くならないかな……俺なんか無理だなぁ……」
「まー俺も布団は好きっすけど」
特にふかふか柔らかな布団は。そこまで思って、万里は顔が火照るのに気がついた。
紬に向かって、「好き」という単語を発してしまったせいだろう。
布団に対して言っただけであって、決して紬を好きだと言ったわけではない。
それなのに、余計なことに気づいてしまいそうで、心臓がドックドックと跳ねた。
「あはは、俺も好きだよ」
そう返されて、思わずカップを取り落としそうになる。内臓か何かが出てきそうな口許を押さえ、万里は紬から顔を背けた。
(布団! 布団のことだっつの! 俺も、向こうも!)
好きと言ってしまった。好きと言われてしまった。
互いの頭には確かに布団があるのだけれど、万里の方は、そこからいかがわしいことにつながってしまいそうで、ふわふわ浮かんでいる思考を、ぱたぱたと手で仰いで散らす。
「あー、そんであれか。冬組みんなでお買い物ってか。仲がよろしいこって」
「……うん、親睦を深めるためにも、いいんじゃないかなって、思うけど」
「ふぅん……大丈夫すか? アンタ……丞さんとなんかワケありっぽいけど」
万里は、出掛ける仕度をしてやってきた丞を紬越しに眺める。面倒そうな顔をしているが、彼も一緒に行くのだろう。
幼馴染みだというのに、よそよそしいどころか険悪なムードになるところを、万里も見ている。
それを含めてのお出掛けならば、万里が口を出すことではない。
冬組として、早くまとまらなければ始まらないというのは、事実だからだ。
「な、なんで? 大丈夫だよ」
紬はそう言って何でもないように笑うけれど、無理をしているのが明白だ。
役者だというのに、こんなところは隠すのが下手である。
「……なら、いーんすけど。愚痴なら、いつでも聞いてやっから。そうだ、明日稽古の前か後か、どっちでもいーからカフェ行こうぜ。紬さんの気に入りそうなとこあるからさ」
だけど万里は、紬を虐めたいわけではない。できれば笑っていてほしいのだ。
「え、本当? うん、行こう。楽しみにしてるよ」
くるりと表情が変わる。
ホッとしたような力の抜けた笑顔に、万里の中で何かがはがれ落ちていった。
(あっ……)
ざわりと、鳥肌が立つ。足下からせり上がってくる何かに、全身を支配されたような感覚を味わって、万里は熱を上げた。
「じゃあ、行ってくるね万里くん」
「あ、お、おー、いってらー」
紬はひらひらと小さく手を振って、玄関の方へ駆けていく。
その背中を視線で追いかけて、見えなくなってから思わずそこにしゃがみ込んだ。
顔が火照る。手のひらが熱くなる。ドクドクと心臓が音を立てる。
(やべェ……なにこれ……な、んなんだよ、これ……!)
自覚してしまった。
自覚、してしまった。
これは、恋だ。
膝の間で項垂れてみても、息を止めてみても、一気に吐き出してみても、拳を床に叩きつけてみても、入れたコーラが氷で薄まりかけても、気づいた事実は簡単に覆ってくれそうにない。
「マジかー……」
小さく呟いて嘆くけれど、さっき至の部屋にいた時とは明らかに違う部分がある。
(俺、紬さんのこと好きなんかよ……)
否定する言葉が出てこないことだ。
ついさっきまで、絶対に違うと胸を張って言えていたのに、紬のホッとしたような顔を見たあとの今では、否定なんかしたくない。
否定したら、彼のあの笑顔まで否定しているように思えて、できない。
(どーすんだ、これ。さすがにイージーモードじゃできね……ってか忘れてた、コーラ)
イージーモード、という用語で万里はようやく思い出す。至にコーラのロックを頼まれていたのだっけと。
面倒そうに腰を上げ、テーブルの上に置いていたコーラのグラスと、コーヒーのカップを手に、至の部屋へと戻る。
案の定、遅すぎると無茶なクエストを要求されたのだけれど、気づいてしまった最難関の恋に比べたら、超イージーモードだと、万里は口許に無理やり笑みを浮かべてやった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
俺のCandy Star!-005-
おかしい。
本格的におかしい。
万里は談話室のテーブルに肘をつき、垂れた頭を抱え込む。
(あ……りえねっつの……!!)
その頭の中で力一杯否定してはみるものの、事実は、事実だ。
万里は一昨日も昨日も、紬をネタにして抜いてしまった。
しかもちゃんと気持ち良かったのだ。まあ抜けたのだから、ちゃんとも何もないが、三度ともなると「うっかり」は通用しないような気がする。「興味」なら一回だっていいはずで、「確認」ならば二回で終わる。
それなのに、昨夜で三回目。
もはや後ろめたさより、疑問の方が大きい。
なぜ紬なのか。
特に女のような顔をしているわけではない。女装しても似合うだろうなとは思うものの、積極的に見たいかと言ったらそうでもないのだ。
女の格好をしていると言えば、夏組の瑠璃川幸だが、格好だけで抜けるほど単純でもない。そもそも年下に興味はないし、毒舌な女は実姉だけで充分だ。
談話室をちらりと見渡せば、キッチンから片付けの手伝いを終えた紬の姿。
心なしか元気がないように思えるが、どうしたのかと声をかける勇気はない。
紬の視線は、左京と何やら話し込んでいる丞に向かっており、寂しそうな顔を隠しもしていない。
幼馴染みと聞いているが、それにしては初日からずっとぎこちない。ケンカでもしているんだろうなと思うくらいしか、万里にはできなかった。
他人のイザコザに首を突っ込む趣味はないし、今は個人的にそれどころではない。
視線を前に戻し大きなため息をついたら、目の前にコトンと置かれるマグカップ。驚いて差し出してきた人物を振り返ってみれば、月岡紬の姿があった。
「うわっ」
「あ、ごめん万里くん、また何か邪魔しちゃったかな……」
隣に自分用のカップを置くも、万里の態度を気にしてか、腰を落ち着けようとはしていない。突然で驚いただけで、別に拒絶したつもりはなかったのだ。
「いや、いーすよ。これ、くれんの? どもっす」
「あ、淹れてくれたのは臣くんなんだけど……隣、いいかな」
談話室を見れば、確かに臣がみんなにコーヒーを配っている。紬は万里の分を持ってきてくれたのだろうと、なぜかホッとした。
紬に気づかれているわけではないらしい。当然だ、そんなヘマはしていない。
万里はなんでもないように頷いて、紬が座るのを待ってカップに手をかけた。
「どしたんすか。今日は稽古いーの?」
「コーヒー飲んでからかな。食事後に、急に動いてもよくないしね」
「あ、なーる」
「えっと、あのね……実は万里くんに訊きたいことがあって」
どき、と胸が鳴る。
やはり態度に出てしまっていたのではないだろうか。微妙に紬を避けていること。
それでも動揺を隠して、万里は促した。すると紬は、ポケットから携帯端末を取り出して、困ったように眉を下げる。
「ラ、LIMEのやり方が分からなくて、ちょっと困ってるんだ……万里くんそういうの詳しい?」
「は? LIME? って、アンタ今までどうしてたんだよ」
「えーと……」
拍子抜けである。
万里とてマニアックな知識があるわけではないが、日常生活や劇団員たちとの交流に、支障のない程度には使えている。むしろLIMEの何が分からないのか、分からないくらいだ。
「見せて。アプリは入れてあんの? あーそれはできたわけな」
しょんぼりと肩を落とす紬を目にして、そういや機械が苦手って言ってたっけと、手を差し出す。
ごめんねと紬は苦笑して、万里の手の上に端末を乗せてきた。キャリアやバージョンは違っても、操作方法は直感で分かる。万里は画面をタップして、アプリを立ち上げた。
「すっげ、フレ登録が企業公式しかねぇ」
初めて見たわと凝視して、笑う。きっと最初の操作説明で、画面に出た通りにオススメを登録しているにすぎないのだろう。
「稽古の予定とか、これでやり取りするだろって、さっき丞に怒られちゃって……」
「あー、まあ出先とかだったらそうなるわな。えーと、じゃあ……ひとまず俺のID登録すっから、練習すりゃいーすよ」
「いいの? ありがとう」
「そういやカフェ行きたい時とか、どうするか決めてなかったし。これで好きな時に連絡して」
さっきまで、丞に怒られたせいかしょんぼりしていた紬の顔が、パッと明るくなる。開花するように、なんて言葉が頭に浮かんで、万里は項垂れた。
(あー! うぜぇ! かわいい!)
いったい何なのだ、これは。
悪い感情ではないだろうに、不可解で不愉快だ。
今まで、「できない」ことも「分からない」こともなかったのに。
紬に対するこの感情がなんなのか、さっぱり分からない。
「と、登録ってどうするの?」
「あー、IDを直で打つか、送受信……」
登録の方法を見ようと、紬が画面を覗き込んでくる。これだけ小さな画面だと、どうしても距離が縮まってしまう。万里はその事実に気がついて、息を飲んだ。
(近ぇ!)
危うく端末を落としそうになって、慌てて思考をあさっての方角に向ける。距離を置こうと、万里は紬に端末を返し、自分の端末を取り出した。
「え、どうするの?」
「今相互でID受けられるようにしたから。ここな。相手の端末も同じ状態なら、こうやって触れ合わせるだけで登録できんだよ」
言って、紬に向かって端末を差し出してみる。あ、と気がついて紬も同じようにしてきた。コツ、と小さな音を立てて触れ合った端末に、相手のIDが表示された。
「わ、何か出てきた。これ万里くんの? 登録、でいいんだよね」
「そーそー、これでフレ登録できたっしょ。ぷっは、つか紬さんのアイコン、デフォルトじゃん。逆に分かりやすいわ」
「え、これ変えられるの?」
紬は本当に、機械やSNS系のシステムに疎いらしく、万里にはそれが新鮮でならない。
学校で仕方なくつるんでいる連中には、そんなヤツはいないし、劇団のメンツもそれなりだ。
一成なんかはいっそ鬱陶しいくらい詳しいし、意外にも左京はマメだったりする。連絡ツールとして、と登録させられた十座のIDも入っているが、活用したことなどない。
向こうがどれくらい使えるのかも分からないが、アイコンが菓子に変わっているところをみるに、それなりに使いこなせているのだろう。
万里は、紬はやっぱり今までいなかったタイプ、と心の中で思って笑う。
紬の端末でコーヒーカップを撮ってやり、それをアイコンに変えた。やり方は見せたから、次からは自分の好きなものでできるだろう。そこまで勘の悪い男だとは思っていない。
「なんか、一気にそれっぽくなった。ありがとうね万里くん。声かけやすいから、つい頼っちゃうな」
嬉しそうに端末を眺める紬に、万里は目を瞬く。
まったく紬の言動は読めない。頼ってもらえるのは、少し、嬉しい。
ケンカが強いせいか、虎の威を借る狐どもが声をかけてくるのは多かったが、こうしてなんでもないことで頼りにしてくれるのは、やっぱり新鮮だ。
万里はたった今登録した紬のIDをタップして、メッセージを送った。
【いつでも声かけて】
そう、短く。
アプリの画面上で受け取った紬は小さく「あ」と声を上げ、次いで口許を緩めた。そうして慣れない手つきで画面を操作する。程なくして、万里の端末に、同じく短いメッセージ。
【ありがとう、よろしく万里くん】
たったそれだけ。きっと改行の仕方も分からないのだろう、紬の精一杯。
喉の辺りが締めつけられて、痛い。
心臓の辺りがきゅうと音を立てているようで、怖い。
「あ、じゃあ俺稽古に行かなきゃ。また怒られちゃう……」
「お、おー、がんばっす」
紬が満足そうに立ち上がり、そういえばと気がついて、慌ててコーヒーを飲み干す。
片付けておくからいーすよと声をかけると、紬は困った顔をする。
「アイツらのもまとめてやった方が早いっしょ。アンタは早く行く。怒られっぞ」
「あ、う、うん、そうだね。ありがとう、じゃあお言葉に甘えるよ」
紬が気にしないような言葉を選び、万里は談話室の外、レッスン室の方を指さした。足早に向かっていく紬の背中を眺めて、万里はまたひとつ、大きなため息をついた。
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「でも、ありがとう万里くん。聞いてもらったらちょっと楽になったよ。万里くんみたいな子でも、逃げ出すことがあるんだなって思うと、ホッとした。……あっ、ごめん、あの、俺っ、そんなつもりで言ったんじゃ」
「あ? あー別にいっすよ、事実なんだし。あの頃の自分思い出すとマジで恥ずかしいんで、これ以上はナシな」
「……どんなだったんだろう。今度秋組の人たちに聞いてみよう」
「つーむーぎーさぁん、怒るぜ、んなことしたらっ」
あははと、紬がやっと小さく笑ってくれる。万里はホッとして、冷めかけたキリマンジャロを口に運んだ。
(好きだな、やっぱり……紬さんのこと……)
改めて実感する。笑ってくれることが嬉しい。芝居でなく、他人の表情がこんなに気になることなんてなかった。
好きだと言ってしまえたら、どんなに楽だろう。
以前までの万里なら、紬の都合も気にせずに告げていたことだろう。
(笑っててほしいんだよな。困るの目に見えてんのに、言えっかよ……)
はあ、とため息を吐けば、それを耳にした紬がひょいと覗き込んでくる。
「万里くん? どうしたの……今日、なんだか元気がないよね」
面食らって、万里は二度、三度目を瞬く。そうして、項垂れて頭を抱えた。
(か……んべんしてくれ、紬さん。今それを、アンタが言うのかよ……!)
元気のない紬を元気づけたかったのに、逆に心配させてしまうなんて。
本人はそれどころじゃないはずなのに、どうしてこの人は、と嘆きさえしたい気分だ。
こちらのことを気にかける余裕があるのなら、せめて少し、ほんのかけらだけでもいいから、自分に自信を持ってほしい。なんなら万里の中にある無駄なほどの自信を、抜き取っていってくれたっていいのに。
「万里くん……ごめん、今日、無理につきあわせちゃったのかな……」
苛々するほど、紬には自信がない。
生来そうなのに加えて、逃げ出したことが彼の中の自信を、覆い隠してしまっているのだろうか。
「大丈夫っすよ。つーかアンタが元気ねーからだよ。移った」
「えっ、あっ、ご、ごめ」
「謝るくれーなら、笑ってよ。俺それだけで元気出っから」
「そんな馬鹿な……あはは……」
困ったように笑う紬を、万里は目を細めて見つめる。
言ったことは本当だ。紬が笑ってくれれば、元気が出る。
ただ、自分では笑わせてやれないことが悔しくて寂しい。きっと丞と仲直りできたら、紬は心の底から嬉しそうに笑うのだろう。
そう思うと、苦しくて仕方がない。
(俺じゃ無理、って気持ち、分かっちまうんだよな……)
自分がリーダーではGOD座に勝てないと言う紬と、自分が相手では、紬を安心させてやれないと思う万里の、重なる消極的ライン。
こんなところで同じ気分を分かち合いたくはなかったと、万里は息を吐いた。
「紬さん、出よう。そろそろ帰らねーと、まぁた左京さんに怒られちまう」
「あ、うんそうだね……明日も稽古頑張ろう、万里くん」
「そっすね」
店を出て二人で歩くけれど、当然手なんかつなげない。紬が落ち込んでいるのが分かるのに、元気づける言葉のひとつも出てこなかった。
(今の俺じゃ、紬さんの力にはなれねーのかな。落ち込んでる時には励ましたり、……抱きしめたり、そういうの、駄目、……だろうな)
もっと近づきたい。もっと大人になりたい。そうすれば、紬を包んであげられるのに。
(しんどい。カフェ友のままじゃ、抱きしめることもできやしねー)
万里は、隣をとぼとぼと歩く紬を横目で見やる。このままの距離じゃ、抱きしめることはおろか、頬に触れることさえできやしない。
「紬さん……あのさ」
「ん?」
「アンタ、今、フリー?」
「……えーっと、フリーって? どういう……」
「あー、彼女いるかどうかってこと。いんの?」
「え、いないよ……そういう余裕、ないしね」
「好きなヤツも?」
うん、と紬が頷く。なら、入り込む余地はあるのかなと、万里は思ってしまう。丞への感情が幼なじみへのもので間違いないのなら、支える相手は自分だっていいはずだ。
万里は、足を止めた。
「だったら」
こくりと唾を飲んで、思い切って音を吐く。
「万里くん?」
気がついた紬が、数歩先で立ち止まって振り向いてくれた。
どうかしたのかと心配そうなその顔を、満開の笑顔に変えるには、ただの仲間じゃ駄目なのだ。
もっと近く、ずっと深く。
「俺、アンタのカレシに立候補してもいいっすか」
らしくなく、心臓が早鐘を打つ。そういえば自分から想いを告げるのは初めてだったと、太腿の横で拳を強く握った。
紬はどう反応を返してくるだろう。言ってしまった言葉はもう戻ってくれないし、これで終わってしまうかもしれない。
「万里くん……」
紬は戸惑って眉を下げ、少し思案するように視線を逸らし、どう言おうか迷って口許に指を当てる。
「ごめん、きみのこと……そういうふうには見られない……」
良い返事は期待していなかったけれど、ああ、と万里はゆっくりと息を吐いて口唇を引き結ぶ。
(だよな。分かってたけど、つれぇ……)
初めて味わう失恋というものが、こんなにもつらいなんて。これでもう、紬と一緒にカフェに行くことはできなくなるだろうなと、息を止めた。
「あれ、万里くん? 台詞ない? のかな? 俺の返し方下手だった、よね、ごめん……」
のに。
紬から不可解な言葉が吐かれる。万里は首を傾げた。
(台詞? 台詞ってなに……返し方……、って、ああ!)
唐突に悟って、万里は思わずそこにしゃがみ込んだ。
「マジかよ……」
「ば、万里くん?」
紬が不安そうな声で歩み寄ってくるが、脱力感が抜けずに振り仰いでやることもできない。
紬は、先ほどの告白を、ストリートACTだと思って返してきたのだ。真面目な、本気の告白だとはかけらも思っていないということになる。
(対象外だってのは分かってっけど、実際そういう対応されるとサガるわ……きっつ……)
だが、考えようによってはそう悪いことでもない。
万里のことを「そういうふうには見られない」というのは、つまり芝居だったからだ。こちらが本気なのだと分かれば、違う答えが返ってくるかもしれない。
最初は無理でも、徐々に気になる存在になるかもしれない。まずは意識してもらうことが、いちばん初めの難関だ。
「あーも~……! 逆に覚悟できたわ!」
「万里くん、どうしたの、大丈夫? さっきの、ごめ――」
「……っし、スイッチ入った。マジでいく」
万里はひとつの深呼吸のあと、勢いを付けて体を起こす。至近距離にあった紬の顔に笑いかけ、再び歩き出した。
わけの分からない紬は、その場で首を傾げたまま足を踏み出せないでいる。それに気がついた万里は、振り向いて笑った。
「何してんの紬さん、帰ろ。置いてくぜ」
「あ、う、うん……?」
腑に落ちていないような顔をしながらも、紬はついてきてくれる。
ふたりで並んで歩けるこの距離を、壊したくはないのも本音。紬にもっと近づきたいと思うのも本音。
もう、紬を好きだというこの気持ちを押し込めていたくない。押し込められるほど、小さなものではなかった。
せっかく好きになった紬の価値を、溜め込むことで下げたくない。
(悩んでんなら、聞いてやりたい。支えられるんだったら、俺がしてやりたい。いつか……紬さんと板に立ちてぇな)
自信がないというのなら、そんな紬をも好きになるヤツがいるんだと言ってやりたい。
(押しに弱そうだもんな、紬さん。頼み込んだら、もしかしてってのも、あんだろ)
この恋を叶えたい――それはもちろんあるのだけれど、紬に伝えたい。
あなたを真剣に想っている人間がここにいますと。
それで少しでも、紬が自分自身を好きになってくれたらいい。
そう思って、万里はひとつ、心に決めた。
限りなくゼロに近くても、可能性が少しでもあるのなら。
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