No.689

(対象画像がありません)

冷たい雨

NOVEL,テニプリ,塚跡,塚跡お題100本マラソン 2025.03.08

#お題 #片想い #両片想い

「跡部!」 手塚が呼び止める声が聞こえたけれど、立ち止まってなんかいられない。いや、もう――傍にすら…

NOVEL,テニプリ,塚跡,塚跡お題100本マラソン

冷たい雨

「跡部!」
 手塚が呼び止める声が聞こえたけれど、立ち止まってなんかいられない。いや、もう――傍にすらいられない。
 土砂降りの雨の中に飛び出してまで、逃げた。冷たい雨は頬を、手の甲を容赦なく打ち付けるけれど、これはきっと罰に違いない。
 友人に――好敵手に、恋情なんか抱いてしまった自分に対する、罰だ。
 跡部は脇目も振らず走った。一瞬の油断で、自分の中の恋心に気づかれてしまったのは、一生の不覚。隠し通す自信はあったのに、どこかでこの気持ちを知ってほしいという思いがあったのかも知れない。
 手塚とはテニスができればそれでよかった。それで満足しているべきだったのに、どうしてさっき、手を伸ばしてしまったんだろう。
 どうしてうたた寝している手塚の髪に触れ、そこに口づけてしまったんだろう。
 きっと手塚は眠ってなどいなかったのだ。唇が触れた瞬間強張ったあの反応で、それくらい分かる。
 それでも、騙されたなんて思わない。こらえきれなかった自分が悪いのだと、ただひたすらに、逃げた。
 制服が雨を吸って、ひどく重い。図書館から、どこをどう走ってきたのか覚えていない。ただ手塚のいないところに行かなければと思った。
 拒絶の言葉を聞くのは辛い。どれだけこの容赦ない雨が痛くても、拒絶された時の胸の痛みに比べたらずっとマシなはずだ。
「くそ、なんで……」
 なんでこらえきれなかったんだと、何度も何度も後悔した。同時に、ここで終わる恋ならもっとちゃんと触れておけばよかったとも思う。
 触れられた方はたまったものではないだろうが、恋なんてだいたいが身勝手なものだと相場が決まっている。
 ざあざあ、バシャバシャ、雨足は少しも弱まらない。
 視界が雨で煙って、どちらへ行けばこの地獄のような現実から逃れられるのか分からなかった。
「――跡部、待て!」
 思わず足が止まる。耳を疑った。激しい雨音に混じって、いちばん聞きたくない――いちばん聞きたい声が聞こえてくる。跡部は目を瞠って息を呑んだ。開いた唇の中に雨が入り込んでくる。
「……っ」
 だが立ち止まっている場合ではなかったと、再び走り出す。
「……っ待てと言っているんだ、跡部!」
 バシャバシャと水を跳ねさせながら前へ前へと走ったのに、追いつかれてしまった。ぐっと強く腕を掴まれ、強引に止まらされる。
「何をこんな、雨の中!」
「い……って」
 ぐいと力強く引かれて、振り向かされる。最後の抵抗にと、顔だけは手塚からめいっぱい背けた。
「風邪を引いたらどうする」
 そんなことを言う手塚の方こそ、傘を差していない。風邪を引いたらどうするのだと言い返してやりたいが、口を開いたら違う言葉が飛び出してきそうだ。
「跡部、こちらを向け」
「…………いやだ」
 両腕を掴む手塚の指が、ぐっと食い込んでくる。怒っているのだろう。それはそうだ、友人としてしか認識していない同性に、髪とはいえキスなんかされたのだから。怒って当然だ。
 追いかけてくるとは思わなかった。
 罵声のひとつでも浴びせたいということだろうかと、跡部は拒絶される覚悟を決めた。
 いっそひと思いにバッサリと斬ってうち捨てられたい。
「子どもみたいなことを言うんじゃない、こっちを向くんだ跡部」
「ガキだろ、俺も、テメェも!」
 跡部のそんな心中もお構いなしに、手塚は執行猶予を与えてくる。跡部は思わず叫んで、手塚を睨みつけた。結局彼の思惑通り振り向いてしまったけれど、これからどうしたらいいのか。どう、されるべきなのか。
「……――泣いているかと、思った」
 やっと視線がかち合ったことにか、手塚は僅かに安堵したような表情を見せる。跡部は目を瞠った。この雨では泣いていても気づかれないだろうし、実際泣きたい気分ではあった。
「ハッ、誰がだよ。泣きたいのはテメェの方だろ、手塚ぁ。俺なんかに手ぇ出されて、気持ち悪いってよ」
 雨のせいで、声を張らなければ相手に届かない。言葉にすることで、また後悔がせり上がってきた。触れなければよかったと思う気持ちで一杯だ。
「どうしてそうなるんだ」
「どうしても何もねえだろ、普通はっ……」
「では俺は普通ではないのだろう。今、とても浮かれて――心臓がうるさい」
「……は?」
 浮かれている? と頭の中で手塚の言葉を反芻する。なぜ手塚が浮かれなければならないのだと、降り注ぐ雨粒以上にクエスチョンマークが落ちてくる。
「今、すごく、期待で、……こんなに」
 何を言われているのか分からないと混乱している内に、手塚の左手が跡部の右手を搦め捕ってくる。そしてそのまま、心臓へと手のひらを誘導した。
 トトン、トトン、トトン。
 速いスピードで、手のひらを打ち付ける心音。雨よりは弱いのに、手のひらを通して奥深くまで染み込んでいくようだ。
「な、んで」
「分かるだろう」
「わかん、ねえよ、だって、俺、さっきお前に、キス……髪の毛」
 困惑で、言葉が途切れ途切れになる。手塚の心音に合わせるかのように刻まれていくそれに、さらに混乱した。 心臓の音が伝わってくるのが苦しくて、手を離そうとするのに手塚は許してくれない。
 むしろより一層強く胸に押しつけてきて、逃げられなくなった。
「だから、それで浮かれていると言ってるだろう。人の話を聞け」
「なんでって訊いてんじゃねえかよ! テメェこそ俺の話を聞きやがれ!」
「理解しろ、俺はお前が好きなんだ! あんなことをされたら期待して、浮かれもする!」
 多方向から、追突されたような衝撃を味わう。
 何を言っているんだ。何を言われたんだ。
「お前が、俺を好きなのかもしれないと期待して、ちゃんと……聞きたいと思っているんだが」
「俺、……は」
 膝から力が抜けていきそうだった。
 こんなことが起こるなんて、明日はこの雨が雪にでも変わるのだろうか。
「お前からキスをされて嬉しかったが、俺はできれば唇にキスをしたい。こんなことになって初めてアプローチするなと罵られるかもしれないが、まさか、そんなこと、思いもしないだろう」
 それは跡部だって同じだ。両想いだなんて考えもしない。ずっと押し殺して、秘めて生きていくつもりだったのに。
「てづ、か……悪い、ちょっと、支えててくれ。幸福で崩れていきそうだ」
 寄りかかれば、手塚は素直に背を抱いて支えてくれる。跡部も同じように手塚の背に腕を回し、びしょ濡れの男を抱きしめた。
「好きだ、手塚。ずっと好きだった」
 言い終わるか終わらないかのうちに、跡部は手塚にキスをする。
 手塚が望んでくれたように、今度はちゃんと、唇に。


お題:リライト様 /冷たい雨
#お題 #片想い #両片想い