華家
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No.299
金色の曼珠沙華 2017.10.01
#シリーズ物 #ウェブ再録
翌朝、十座は誰より早くレッスン室についたつもりだった。「左京さん」 しかし、そこにはストレッチ中の…
金色の曼珠沙華
favorite いいね ありがとうございます! 2017.10.01 No.299
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翌朝、十座は誰より早くレッスン室についたつもりだった。
「左京さん」
しかし、そこにはストレッチ中の左京の姿。
気まずいな、と思うより早く、顔が見られて嬉しいと思う。
「ああ……早ぇな」
「……っす。昨日、全然できなかったんで……」
自主練っすと続けると、左京がふいっと視線を背ける。
それに気がついて、やっぱり避けては通れない話題を、十座はあえて口にした。
「左京さん、あの……俺の気持ち、迷惑っすか」
左京が逃げられる距離で、左京に手が届いてしまわない距離で、十座は呟く。
いつもまっすぐ射抜いてくる左京の視線が、今日はやっぱり突き刺さってこない。それが、寂しかった。
「迷惑じゃないとでも思ってんのか。言っておくが、稽古に私情挟みやがったら、ただじゃおかねぇからな」
分かっていた答えだけれども、左京の声で、目の前で音にされると、心臓はこれ以上ないくらいに痛む。
ああ、と吐息のように諦めを吐き出して目蓋を伏せ、こくりと唾を飲み込んだ。
「オーケイ、ボス」
この恋を簡単に諦めることはできない。だけど左京を困らせたくない。兵頭十座のままでは、どうしてもあふれてくる気持ちを抑え込むことが難しい。
ランスキーは目蓋を持ち上げ、口許に笑みを浮かべてみせた。
朝早く目が覚めた。左京はベッドの上に起き上がり、大きなため息をつく。昨日あまり眠れなかったせいか、頭がひどく重く感じられた。
眠れなかった原因ははっきりと分かっていて、久しぶりに自己嫌悪に陥る。
(ガキ相手に……マジで怒ってどうすんだ……)
はあーともう一度息を吐き、ベッドを下りた。
昨日少しもまとめられなかったレシートが、机の上に乱雑に広げられている。几帳面な左京にしては、珍しいことだった。いつもならどんなに疲れていても、片付けくらいはするのにだ。
一昨日、恋らしきものを告白された。
らしきものというのは、とても本気だとは思えなかったからだ。いや、思いたくなかったからだ。
よりによって、一回りも年下の男からだなんて。
百歩譲って、一回り違うだけなら頭でも撫でて、なだめてやったものを、自分より背の高い男相手に、そんな心の余裕などできやしない。
気まぐれというより、焦りに思えてしょうがなかった。相手の男が――兵頭十座がライバルとしているであろう摂津万里が、どうも恋を知って演技の幅を広げたことが、十座の心を曇らせ、焦らせたのだろう。
置いていかれるわけにはいかない、誰でもいいから、と――そう思ったに違いない。
だから信じていなかった。あの泣きそうな顔を見るまでは。
突っぱねて突き飛ばして、レッスン室を出ていく直前、髪をぐしゃりとかき混ぜ歯を食いしばって、嗚咽を抑えているような十座を見てしまうまでは。
まさか、本気なのかと、そこで気がついたのだ。
もう少し真剣に聞いてやるべきだったか、と思うのと同時に、腹立たしかった。
わき上がってくる、どうしようもない怒りの正体を理解できずに、一昨日は眠れなかったのだ。
翌朝、廊下で鉢合わせた時も、気まずさといら立たしさで、いつもよりドスの利いた声になっていただろう。
怒りの正体に気がついたのは、昨日の夕方。
秋組のみんなで集まって稽古をするはずだったのだが、十座だけが、補習だとかで参加できないことが分かった時だ。
補習を投げ出していいわけがない。それが本当だったならば、だ。
だけど左京は、根拠なく、補習は嘘なのだろうと気がついてしまった。
廊下ですれ違った時の様子からして、避けたかったのだろう。
気まずい気持ちは分かる。左京自身、気まずくてしょうがなかった。
それでも、稽古は稽古だと割り切ろうとしていたのに。
十座は、避けたのだ。
今でも腹の底から怒りたい。許されることなら殴りつけてやりたい。自分を避けるために、補習なんて卑怯な言い訳をして、稽古を疎かにした十座を。
十座の、芝居にかける情熱は、大したものだと思っていた。
どんなに下手でもめげることなく、素直に指導を受け入れて、吸収していくあの素直な土壌は非常に好ましく、成長していく様を見ているのは、とても楽しかったのだ。
自分にできる限りで育てていこうと、そういう意味では好意を持っていた。
だけど十座の方は、好意の種類が違っていたのだと気がついた瞬間の、言い様のない焦燥感と怒り。
不器用だった、今でも不器用な自分に似ているせいか、同じ気持ちでいてほしかった。
芝居が最優先事項であってほしかった。
その想いを、裏切られたと思ってしまうのは、左京の身勝手だ。
十座は自分ではない。それは分かっているのに、気持ちが追いついていかない。
こっちは、芝居がいちばんなのだと思って接していたのに、違っていたことへの落胆と怒りを抑えきれず、昨日、あろうことか秋組のメンバーの前で、ぶつけてしまった。「補習」を受けて帰ってきた後に、再開させた稽古中、慣れたはずの旗揚げ公演の演目にさえ、集中できていないことが、どうしても我慢できなかったのだ。
自分の視線を気にして、役に入り込めていない弟子を、そのまま黙って見ていることはできなかった。
それは多分に、八つ当たりも入っていただろう。
悪いことをしたとは思っている。
どこまで本気で、どれだけ真剣なのかは分からないが、恋をあんな風にさらけ出され、盛大に拒絶されるなんて、自分だったら耐えきれない。相手を殴りつけてでも黙らせていただろう。
だけど十座はそれをしなかった。それどころか、殴りかかってきた万里の拳を止めたのだ。役者の顔をなんだと思ってるんだと。
そこでまた分からなくなった。
いったい、兵頭十座の中で「芝居」はどれほど重要な位置にあるのだろう。本気かどうかも分からない「恋」より、上なのか下なのか。人の顔の心配をするほどなのに、最優先にはできないのはどうしてなのだろう。
黒か、白か。
人というものは、そこまで単純にできてはいない。理屈では分かっているのに、感情として分からない。
「だいたい……恋愛なんか畑違いだってんだ……」
左京自身、まともな恋愛とやらをしたことがない。
その感情を知らないわけではないし、異性の肌だって知っている。気になる女性がいないわけでもない。
だけど、三十まで生きてきて、人生を上手く運べているかといえばノーだ。
そんな古市左京のどこに惹かれたのか、一度問いただしてみたいものだと、左京は短く息を吐く。
ひとまず昨日のことは謝らないといけないなと、レッスン室へと向かう。
晴れない気分は芝居で晴らしたい。自分以外の誰かになって、忘れてしまえばいい。こんな陰鬱で不愉快な気分は、さっさと吹き飛ばしてしまうに限る。
ストレッチを終えて、今日は「ルチアーノ」でもやってみようかと目を閉じて額に指先を当て、台詞をたぐり寄せた、その時。
「……左京、さん」
レッスン室のドアが開き、今いちばん逢いたくない、今いちばん逢わなければならない男が顔を出した。
驚いているあたり、左京がいると分かっていて来たわけではなさそうだ。
「ああ……早ぇな」
「……っす、昨日、全然できなかったんで……」
朝が強いタイプには見えないが、こうして朝早く自主練に出てくるあたり、やはり彼に取って芝居は優先順位が高いらしい。
それとも、左京と同じく、眠れなかったのだろうか。
左京は十座からふいと目を逸らし、気持ちを落ち着け、何かエチュードでもやるかと口を開きかけた時、それよりも早く十座の声が聞こえた。
「あの、左京さん。俺の気持ち……迷惑っすか」
目を瞠る。
まさか、あれだけ打ちのめされておきながら、自ら話題に出してくるとは思っていなかった。
エチュードが終わったら、どうにかして切り出そうと思っていたのだが、完全にペースが狂ってしまう。
十座は、左京がいつでも出ていけるようにとか、ドアの前を避け、左京にはどうやっても触れられない距離で、まっすぐに見つめてくる。
迷惑かと訊かれれば、それは間違いなく、迷惑だ。応えられるわけもなく、できればそんな感情は捨ててほしいとさえ思う。
「迷惑じゃないとでも思ってんのか。言っておくが、稽古に私情挟みやがったら、ただじゃおかねぇからな」
左京は心の底からの本音を、あえて口にした。ここで濁して、期待を持たせるようなことはできない。そんなものは、優しさでも何でもない。
十座もそれが分かっていたのか、落胆した様子は見られなかった。口許に諦めた笑みさえ浮かべて、短い吐息が聞こえた。
「オーケイ、ボス」
そうして目蓋を持ち上げた十座の声は、普段より少しトーンが低い。ボスと言ったところからも、「ランスキー」なのだと理解した。
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