No.266

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俺のCandy Star!-029-

俺のCandy Star! 2017.07.17

#シリーズ物 #ウェブ再録

 そっと握りしめられたミカエルの手が、胸に当てられる。『それでもいい。たとえ自分が不幸になっても、彼…

俺のCandy Star!

俺のCandy Star!-029-


 そっと握りしめられたミカエルの手が、胸に当てられる。
『それでもいい。たとえ自分が不幸になっても、彼女を幸せにしたいんだ』
 きゅう、と胸が締めつけられた。それは今この演目を観ている全員に言えることだろう。
「月岡紬」の演じる天使・ミカエルは、人間の女の子に恋をして、たとえ自分がどうなってもいいから、彼女を助けたいと切に願う役だ。
 天使という儚いイメージのある役に、紬の繊細な演技はまさにハマり役だった。儚さの中にも、芯の強さを感じられる。
 紬の演技に引っ張られてか、誉や密、東の演技にも磨きがかかっている。本当にそこに、その役として存在しているかのような静かな力強さが、冬組の公演にはあった。
(秋組の、勢いで引き込んでいくものとは違うな……役者の年齢層が高いってのもあんのか、しっとり……してる……)
 万里はそれを舞台袖で眺めながら、自分の指先が動くのを自覚していた。
 演じたい。
 こんなに芝居をしたいと思ったのは、秋組の一人芝居を観た時以来だ。
(あん時とも、ちょっと違うか)
 あの時はただただ衝撃で、負けたくないと思った。今は、あの人と一緒に演じてみたい。そんなふうに気持ちが変化している。
(俺にはあんなふうにできねぇ。こんなふうに観客を引き込めない……)
 作風がまったく違うのだ、観客の感じ方も全然違うだろうことは理解できる。だが、紬には一生敵わないのだろうと分かった。
(すっげぇ綺麗。丞さんみたいな存在感はないって思ってたけど、全然、あんじゃん……)
 舞台の上で、ひときわ目立つのはやはり主役だ。だがそれを抜いても、紬に目が惹かれる。
 ミカエルに共感して、泣きそうになっている観客の、なんと多いことか。
(また、惚れちまった。何度目だよ、これ)
 観客すべてをその世界に引き込む力を持ったひとを、好きになれた幸福。人生がイージーモードだなんてとんでもない。こんな気持ちを知らなかったせいだ。
 この恋が叶うかどうか分からない。だけど紬に恋をできた、それが誇らしい。
 まるで、人間に恋をして、自分が滅ぶと分かっていても、幸福そうに消えていったミカエルのようだと、泣き出しそうな想いをこくりと飲み込んだ。
(いつか、アンタと同じ舞台に立てたらいい)
 万里の心に、新しい芽が吹く。
 組が違えば共演は難しいかもしれない。それでもいつか、舞台の上であの演技に応えてみたいのだ。
 そのためには、MANKAIカンパニーが存続していることが前提条件。
 GOD座との勝負に勝てるよう、全力でサポートしようと、万里は紬の演技をじっと眺めた。





 そうして、あっという間に前楽を迎えてしまう。
 明日はGOD座の劇場で演じて勝負をすることになっており、カンパニーの劇場でこの演目をやるのはこれが最後だ。
 複数回観に来てくれる客も増え、昨日より今日、今日より明日、と芝居をよりよくしていかなければという想いが、紬の中に闇を生んでしまった。
 昨日、GOD座からの丞のファンが不満を漏らしているのを聞いてしまって、収まったと思った後悔の種が芽吹いてしまったのだ。
(主役を変えてほしい、か。確かに俺の演技に丞が合わせる形でしかない。あれじゃ、丞が死んでしまう。ファンにしてみたら当然の不満だよね……)
 自分の演技では、丞の良さを引き出すことができない。
 丞の勝ち気で派手なオーラは、舞台の上で最高の武器だ。それを活かせていないことが、悔しい。
(もっと、丞みたいにできたら……!)
 華がない、才能がない、やめてしまった方がきみのためだ。そう言われたことが、いまだに胸の奥に残っている。
(そうだ、丞みたいに)
 芝居を良くしたい。お客さんに満足してもらいたい。
「あの、監督、今日の芝居、少し変えてみてもいいですか……?」
「え? 変えるって……どんなふうに?」
「任せてもらえませんか」
「うん……? 紬さんが、そう言うなら」
 不安そうないづみの声も、今の紬には届かない。ホームでの最後の演技、紬が選んだのは悪手だった――。



 舞台の上で、紬が沈んだのが手に取るように分かる。
 あ、と思った時にはもう、紬のミカエルではなくなっていた。違う、と思っているのに、紬自身も止められないのか、仕草がどんどん荒くなっていく。
(紬さん、どうしたんだよ……!? そんなん、アンタらしくねぇっ……!)
 万里は裏方として照明や音響をチェックしている中、これまでの紬とは、正反対のミカエルがそこにいるのに瞬時に気づくのに、どうすることもできないでいた。
 舞台は冬組のものだ。自浄するならば、冬組のメンバーでなければいけない。
 それができないのなら、GOD座との勝負なんて、負けるのが目に見えている。
(いつもの紬さんなら、ここで声を張り上げたりしない。切なそうに微笑んで言うのに……、なんで……!)
「おい、紬さんどうかしたのか。いつものと違う」
 その異変に気づいているのは、万里だけではない。
「わっかんねぇよ、客は喜んでるみたいだけど……」
「板の上でも、困惑してるな、あいつら。有栖川たちは、まだ軌道修正できるほどの力付けてねえんだろ」
「丞サンが、どうにか引き戻してくんないッスかね!?」
「だけど丞さんも、紬さんの演技に戸惑ってるみたいだが……」
 秋組のメンツはもちろん、当然監督であるいづみ、勘のいい他の組のメンバーは気がついていた。
「摂津、お前何か変なこと言ったんじゃねぇのか」
「なンでだよッ、昨日は普通だったんだぜ、あの人」
 紬に想いを寄せていることを知っている十座が、不審そうに声をかけてくる。
 まったくもって心外だ。いつものように好きだという言葉と、明日も楽しみにしてるという期待と、頑張れよという発破をかけただけ。
 そういえば、心なしか元気がなかったかなと思うけれど、万里の言葉で気分が落ち込んだわけではないと思いたい。
(紬さん、なんで……?)
 芝居をよりよくしようと、演技を変えるのはままあることだと思う。秋組だってアドリブてんこ盛りで千秋楽を終えたのだ。やりすぎなければ、それは悪いことではない。
 だが今の紬は、アドリブを挟むというレベルではなかった。万里は板の上の困惑をどうすることもできずに、祈るように見守るだけだった。


#シリーズ物 #ウェブ再録