No.436

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ふたりの約束-008-

カクテルキッス04 2019.08.04

#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #記憶喪失 #カクテルキッス

「おっ、千景さんおかえりっす。邪魔してるぜ」「お、おかえりなさい先輩。おつです」 どうしても声が上ず…

カクテルキッス04

ふたりの約束-008-


「おっ、千景さんおかえりっす。邪魔してるぜ」
「お、おかえりなさい先輩。おつです」
 どうしても声が上ずってしまって、至は項垂れて顔を覆う。おかえりなさいと出迎えるのがどうしてこんなに照れくさいのか。
 それを見て腹を抱えて笑う万里の背中に、蹴りを入れてやった。
「ただいま」
 ややあって、千景の口から小さく呟かれる音。至は、少し違和感を覚えた。千景の声は、呆れ百パーセントのように思えたが、その中にわずかに疲労が感じられて。
 やはり裏の仕事だったのだろうかと瞬けば、千景と目が合って、逸らされた。後ろ暗いことがあるのか、千景は眼鏡のブリッジを押し上げる。
 深く訊くつもりはないのだから、いつも通りにしていてくれればいいのにと、至はソファの上で体を起こした。
「じゃあ、俺戻るわ。邪魔しちゃ悪いし」
「はっ? ば、馬鹿かお前、いいのに」
「んなわけにいくかよ。じゃ、おやすみ~」
 そうやって万里が部屋を出ていってしまって、千景と二人きりになってしまう。二人でいる時間が増えるのは嬉しいのだが、なんだか居たたまれない。
「き、気を遣わせちゃってますね。別にいいからって、アイツに言っておきます」
「……ああ」
 千景が、疲れた様子で隣に腰を下ろす。
 そういえば、入団当初はこのソファに座ることさえなかったのになと、部屋の片隅に置かれた白いチェアに視線をやった。そもそもこの部屋で過ごすことさえなくて、分厚い壁を感じていた。
 それが、今は、隣に座ってくれている。
 確実に距離は縮まっていて、嬉しい反面落ち着かない。本当に、今までどうやって千景の傍で過ごしてきていたのか、分からなくなった。
 必要のない力が体に入って、変に強張らせる。カチンコチンとまではいかずとも、ぎこちないのは自覚していた。万里が変に気を遣うから、余計に緊張してしまう。明日は文句を言ってやろうと、小さく拳を握りしめた。
「茅ヶ崎」
「はひっ?」
 呼ばれて、声が上ずる。
 変な声を上げてしまったと?を染めて振り向いたが、千景の顔は背けられていて、自分一人が浮かれているのかと羞恥が襲ってきた。
「……」
「あ、あの……? なんです? まさか〝呼んだだけ〟なんて甘いこと言わないですよね? キャラじゃないわ」
 だが、呼んだにも関わらず、千景からはそのあと何も言われない。顔を背けたまま、呼吸だけしているように思えた。
 至は、おかしなことに気づく。いつもなら、愛機を足の上に乗せてネット住民になっているのに、今日はそれがない。
 かといってイチャイチャしたいという雰囲気でもない。そもそも、寮内ではそういうことをしない約束をしているのだから、それは別に構わないのだが、先ほどから千景の様子がおかしい。
(先輩、どうしたんだろ……)
 千景の心の中など読めやしない。何かあったのだろうことは分かるが、それは踏み込んでもいいことなのか。聞いてほしいことがあるのなら、千景は?を交えた真実を告げてくる。それもない。
 促すために、千景のジャケットをツンッと引っ張ってみる。それを振り払うように千景はソファから立ち上がり、至に背中を向けた。
「先輩?」
 途端に不安が襲ってくる。心臓が嫌な音を立てて、振り払われた手には汗が浮かんだ。
「なあ茅ヶ崎」
 千景は振り向かないままで、声だけ投げてくる。硬くて冷たい声で、振り向かない背中で、拒絶されているように思えた。
 そしてそれは、
「……別れよう」
 最悪の形で音になって至の耳を支配した。
「…………――え?」
 何を言われたのか分からない。至は、たった今耳に届いた音を、ひとつひとつ反芻した。
「わ、か……、れ、……って、え、なにそれ、待って、何でですか!?」
 思わずソファから腰を上げる。千景の背中に混乱をぶつけ、何故突然そんなことを言い出したのか問いただした。
「なんで、こんないきなりっ……俺、先輩の気に障ること何かしました!?」
 別れよう、と千景は言ったのだ。いくらなんでも突然過ぎる。気持ちが冷めていたり、倦怠期でも挟んでいれば、まだ納得できたかもしれない。
 だけど、冷める余裕なんてない。倦怠期を挟む暇すらなかった。
 踏み越えてはいけないラインを、知らずに踏み越えてしまったのだろうか。これ以上はダメだという千景からのサインを、うっかり見逃していたのだとしたら。
「し、仕事で何かあっ……、すみ、ま、せん、こんなこと訊くつもりじゃなくて、あの、えっと」
 裏の仕事で何かあったのかもしれないと思い、訊ねかけて口を噤んだ。
 たった今、踏み越えてはいけないラインを越えたのかという考えが、頭をよぎったばかりだというのに。
「どうして、突然」
「……お前が悪いわけじゃない。ただ、俺が、……――飽きた、だけだ」
 掴んだ手をやんわりと外して、千景はゆっくりと言い放つ。
 冷水を浴びせられたような気がする。ようやく振り向いてくれた瞳が、?を含んでいるのか、探ることさえできなかった。
「飽き、た……って、なにそれ……」
 ガンガンと頭が痛む。右から左から、鈍器で殴られてでもいるようだった。
 目の前がチカチカするけれど、セックスで達した時とはまるで違う。衝撃は似たようなものだが、不愉快で仕方がない。
「飽きたってなんですか! なにそれ、ほんと、マジで言ってるんですか!? この間だってあんな、……俺にあんなことしたくせにっ……!」
 飽きるほど一緒にいただろうか。体の関係だけは長いせいで、若干マンネリ化していたかもしれない。だけど数日前、翌日に響くほどの行為をしたのを覚えている。飽きたというなら、あれは何だったのか。
「お前に欲情はするよ。ただ、たぶんそれは愛情じゃない。恋情でもない。ただの性欲だ」
「だったらセフレに戻ったっていいじゃないですか!」
「お前はそれに耐えられるのか? 一度でも俺と心が通ったと錯覚した状態で、愛情の欠片もないセックスをして、イけるわけないだろう」
「錯覚……って、な、なかったことにするつもりじゃ、ない、ですよね」
 愕然とした。心は確かに通い合ったと思っていたのに。体で?がってきた分以上に、これから心も通わせられると思っていたのに。
「茅ヶ崎は知らないだろうけど、戦闘後とかミッション完了したあとって、そういう意味で興奮してるんだよ。ザフラでのあれは、それに流されただけってこと。それに気づかずに浮かれてるお前が、憐れに思えてきてね」
 何かを成し遂げた後は、気分が高揚するのは理解ができる。ザフラの夜は至にとっては非日常で、興奮だってしていた。
 だけど、告げた想いは本物だ。受け入れてもらえるなんて、抱きしめられたあの瞬間まで考えていなかった。
「錯覚だって言うなら、最初から突き放せよ、クソが……っ!」
 あの時の温もりも、震えていた声も、まっすぐ見つめてくれた瞳も、全部が〝興奮のせい〟だったと言うのか。それならいっそ、あの時突き放してほしかった。
「サイ、アク……最低、先輩がそんな人だなんて思わなかった」
「俺の本質を見極められなかった、お前の落ち度でもあるだろ」
「俺のせいにすんのかよ、このペテン師!」
「褒め言葉かな」
 罵っても、にらみつけても、千景の瞳は揺らがない。本当に、別れるつもりなのだと至の声が詰まった。
「茅ヶ崎、俺とのことはもう」
「なんで、ですか……だって、あの時」
「……茅ヶ崎」
 小さく、ふるふると首を振る。
 飽きた、性欲だけだった、憐れだから、なんて、そんなもので納得なんかできやしない。
 想いが錯覚でもなんでも、千景はあの時確かに言ったのだ。
「俺のこと愛してるって言っ――……」
「茅ヶ崎!」
 言うか言わないかのうちに、千景の両手で?を掴まれ、乱暴に唇が塞がれる。思わず目を閉じてしまったのは、反射的なものもあったし、慣れもあった。
「んっ、う、う……!」
 千景の熱い舌が入り込んでくる。至の舌はすぐに搦め捕られて、呼吸さえ奪われた。舌の裏を、表を、脇を舐ねぶられて、自身の舌先で上顎を愛撫するはめになってしまう。
「っは、あ……んぅ、ん」
 は、と千景の吐息が耳に届く。ちゅ、ちゅうと小さな水音が聞こえる。衣擦れがくすぐったい。
 もしかして、千景の悪戯なのではないだろうか。
 それにしたってタチが悪いが、まだこんなキスをしてくれるのに。至は腕を持ち上げて、千景の背中に回そうとした。
「あっ……ふ」
 それを察知したのか、一度吸い上げてから体が押しやられる。乱れた呼吸を整える余裕がない。千景が、濡れた唇を親指でグイと拭うのを見てしまったせいで。
「悪い茅ヶ崎。俺とのことは、忘れてほしい」
 その顔が、苦痛そうに歪む。そうしてそのまま、千景は部屋を出ていってしまった。
 パタンと閉まったドアを眺め、至は茫然と佇む。何が起こっているのか、頭が認識してくれない。
 右を見て、左を見て、この部屋に一人きりだということは把握した。ゆっくり、ゆっくりと振り返り、そっとソファに腰を下ろした。
「フラレ、た、のか……」
 千景は部屋を出ていった。別れた男となんか一緒にいられないということだろう。唇を拭うほど、苦痛そうに顔を歪めるほど嫌だったキスで至を黙らせて、愛してるの言葉も聞いてくれないまま、一方的に別れを告げていった。
 たった十日ほど。
 両手の指で足りるくらいしか、千景と恋人同士でいられなかった。
 至はぼんやりと一〇三号室の天井を見上げ、ゆっくりと深呼吸をした。
 きっと夢だったのだ。それでなければ、彼が言うように憐れみでしかなかったに違いない。
 ルームメイトの想いを無碍にできなかっただけなのだろう。無碍にしてもらった方が良かったが、ひとときでも、浮かれた気分でいられた。
「………………もう、寝よ」
 髪をくしゃくしゃとかき混ぜて、ロフトベッドを見上げる。さすがにゲームをする気分にもなれなかった。
 ズキンズキンと痛む心臓を押さえて、なんとか着替えを終え、動きの鈍い手足でどうにか梯子を登った。倒れ込むようにしてベッドに寝転がれば、先ほど見上げた天井がもっと近くに見える。
 至が千景と恋人同士でいようが、憐れみの目を向けて別れを告げられようが、この天井は変わらない。きっと千景の態度は、初めて肌を合わせたあの日以前と変わらなくなるはずだ。
 この部屋で眠るかどうかは分からない。いや、きっと帰ってこないのだろうと、一度だけ行ったことのある彼のアジトのことを思い浮かべた。今もそこに向かっているに違いない。
「遠い、なぁ……無理、歩けない、もうこのベッドから降りられないかもしんない」
 あんまりだ、と抗議しに行こうかと思ったが、その気力が湧いてこない。抗議したって、千景の気持ちは変わらないのだろうから、行くだけ無駄である。
 そもそもが何を考えているか分からない男なのに、真意を確かめに危険を冒してまであそこへは行けない。
「やっぱ、俺じゃ、無理かぁ……」
 息を吸って、吐く。千景を引き留めるだけの力はない。これ以上傷つく勇気もなくて、腹の上で拳を握る。
 いつだか、密に言われた。彼の傍にいるつもりなら覚悟が必要だと。それはこういったことも含まれていたのだろうか。
 お互いコミュニケーションが苦手なのは分かっているが、どうしたらいいのか分からない。一方的な別れに納得は当然いかないが、受け入れるしかない。すがりついてまで引き留められない。
(俺にだってメンツってもんがあるし、人並みにプライドもあるしね。……カッコつけておきたい時がある)
 なりふり構わずに千景にすがりついて、体だけ引き留めたってしょうがない。千景の体だけが欲しいのではない。心も、全部欲しい。
 〝忘れてほしい〟と言ったあの男が、すがりついたくらいで意志を変えてくれるわけもない。
 まだ、千景の声がこだまする。
 忘れてほしい。忘れてほしい。忘れてほしい。
 ごろりと寝返りを打って、ぐぎゅうと締めつけられるような痛みを擁する胃を押さえる。
 勝手な男だ、と歯を食いしばった。
 忘れてほしいと言いながら、あんなキスをしていくなんて。まるで恋人同士みたいな熱いキス。
「……すれ、られるわけ、ないだろ、クソがッ……!」
 ギリギリと痛む胃を抱え込むようにして、至は強く目をつむった。


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