永遠の情熱に

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「本?」

オウムのように返されて、手塚はああと頷いた。
跡部と合流して足を向けたのは、大型書店。いつもなら参考書のフロアに先に立ち寄るけれど、今日の目的は勉学ではない。
エスカレーターでそのフロアを素通りする。一段空けてあとにつく跡部を振り返り、どうにも新鮮な光景に口許がゆるみそうになった。

「お前もよく本を読むだろう。読むのが苦手だという人はいるが、そうでないなら紙の本というものは良い」
「ああ、そうだな。ページをめくるときの感触は、俺も好きだぜ。それにしても、本か……本ね。悪くねー選択じゃねーの、手塚ァ」

いつものしたたかな笑顔でそう返されて、手塚はホッとする。彼が読書を好んでいるのは知っていたが、家にはそれこそ本屋並の書庫さえあるだろう。つまらないと思われたらどうしようかと思っていたが、杞憂に終わったようだ。

「普段はどんなジャンルを? 海外文学か」
「ん、ああ……そうだな。戯曲なんか好きだぜ。この本屋、原書は置いてあんのか?」

跡部は海外で生活していた期間が長い。海外文学は翻訳されたものより原文の方が読みやすいのだろうか。
それには正直ホッとした。目当ての本は原書だったからだ。跡部なら原書でも難なく読むだろうが、日本の作品を好んでいれば少し悩みどころたった。

「俺は大抵ここで買っているな。品揃えは良いと思う」
「お前も洋書読むのか。へえ」

跡部が戯曲を好むと知って、先にそのコーナーへ向かおうかと提案してみる。だが、それには跡部の眉根が寄った。

「馬鹿。先に俺へのプレゼントにしろ。お前のことを知りたいって言ったじゃねーのよ」
「……そうだった。すまない」

ここへは跡部へのプレゼントを買いに――自分のことをもっとよく知ってもらうために来たのだった。隠しもしない跡部の想いに胸がむずがゆくなる。ごまかすように眼鏡を押し上げ、目的のフロアで降りた。

「ミステリーか」
「ああ。ファンタジーも面白いんだが、シリーズ化している物が多くて、どれを勧めたらいいか分からない」
「確かにそっちはなじみがねえな。ほう……なかなかいろいろあるじゃねーの」

面白そうだ、と機嫌の良さそうな声が聞こえる。本屋の醍醐味は、知らないジャンルを気軽に手に取れるというところだ。通販もできるが、こうして実際に中身を見て好みかそうでないかを判断できるのは、とても良い。そこから新たな興味が生まれることも多々あるだろう。

「で、お前が好きなやつはどれだよ?」
「ああ、この作家なんだが」

手塚は作家別に分けられた棚の前で足を止め、見慣れた名前が表示された札を指す。それほど作品数が多いわけではないが、表示札を作られるくらいには本がある作家だった。

「作家買いしてんのか」
「読みやすいというのもあるんだが、トリックや犯人を暴くまでの過程が面白くてな。気づくと没頭している」
「そういう感覚は分かるぜ。翻訳物だと、訳者で決めるときもある。微妙なニュアンスが俺に合ってるかどうかで判断するが、安堵感てヤツだろうな。こいつなら間違いねえって感覚」

ああ、と手塚は頷く。この感覚まで同じだとは思っていなかったが、嬉しくなった。跡部と感覚を共有できるものがまた増えたのだと。

「特に気に入っているものはこれなんだが……」

そう言って棚から本を取り出し、見慣れてしまった表紙を確認する。跡部に差し出してやると、あらすじも中身も確認することなく、満足そうに笑った。

「じゃあそれにしろ」
「いいのか?」
「お前が気に入ってるヤツなんだろ。読むのが楽しみだぜ」

ひとつ、目を瞬く。なんの躊躇もなく信頼を向けてくる跡部景吾が、本当に愛おしい。ここが公共の場でなければ、間違いなく抱きしめていただろう。

「ならばこれにしよう」
「なあ手塚。お前も誕生日もうすぐじゃねーの。俺も……俺の好きな物をお前に贈りたい」

購入を決めてフロアを移動しようとすれば、跡部が引き留めてくる。
確かに手塚自身の誕生日ももうすぐだ。十月四日生まれの跡部から少し遅れた三日後、十月七日。恋人ができて初めての誕生日だ。

「……お前も?」
「ああ、今改めて実感したぜ。惚れたやつの好きな物もらうってのが、どれだけ嬉しいか。俺が好きな物もらうより、なんていうか……すげえいいなって思ったんだ。なら、惚れたやつに俺の好きな物を贈る気持ちはどんなもんかって考えちまった。駄目か?」
「いや、そんなことはない。嬉しい」

お前の好きな物を贈ってくれと提案してきたのは跡部の方だが、手塚も嬉しく思ったのは間違いない。
そんな発想がなかったせいもあるだろうが、自分を知ってもらいたいと思う自分の気持ちさえ新鮮で、そわそわした。実際贈る本を手に取った今でさえ、胸が落ち着かない。
気に入ってくれるといい。せめて苦手な文体でないといい。どんな感想を抱いたか教えてほしい。少し先の未来を思い描いて、期待と興奮でいっぱいだ。

「俺も、お前が好きな物をもらいたい。跡部がどんなものに心を動かされているのか知りたいと思っている」
「ハハッ、まあ俺がいちばん心を動かされんのはテメーだけどな、手塚ァ」
「それは俺もお前がいちばんだが」

自信満々に「だろうな」と返してきた跡部は、携帯端末で何かを検索し始める。

「この本屋に置いてあればいいんだが。なかったら違う本屋付き合えよ」
「在庫検索の端末が確かあったはずだが……」
どうやら跡部も、手塚と同じく本をプレゼントしてくれるようだ。フロアの隅に置かれていた検索システムへと足を向け、たどたどしい手つきで検索する跡部の姿に口許が緩みそうになって、ふいと顔を背ける。抱きしめてしまいそうだ。

「あったぜ、手塚ァ。これどこの棚だ?」
「ああ、これならそっちの棚だな。ドキュメンタリー?」

印刷されたシートに従って棚に移動すれば、目当ての物がすぐに見つかったようで、跡部が棚から取り出した。それは一人の男性が描かれている洋書。

「一言で言えば、実際にあったことを基にしたサクセスストーリーだな。まあ俺様の人生には及ばねえが、こういうのは読んでいて気持ちがいい」
「なるほど。今まで触れなかった分野だ」

差し出された本を取り、ぱらりとめくる。数行読んで頷く。

「ではこれを。読むのが楽しみだ」

跡部に渡し直し、お互いに相手への贈り物が決まったことに満足げな顔を合わせた。
一階に集約されたレジカウンターに移動しようとしたところ、エスカレーターの傍にブックカバーが陳列されていた。サイズ別に様々なものが置かれており、手塚と跡部は目を見合わせる。

「どれが好みだ?」
「これなんか可愛いじゃねーの。お前に似合うぜ」
「俺が可愛いものを持っていてどうする。おい、跡部」
「もう決めたぜ。お前は?」

制止を聞く気はないようで、手塚も彼に合う可愛らしいものを選んでやった。
悪くねぇじゃねーのなどと言われてしまえば、少し意地悪をしたかった気持ちもしぼんでいってしまう。上機嫌の跡部をちらりと見やった。
今日逢えて良かったと心から思う。たまにはわがままを言ってもいいのだろうかと、少し肩の力が抜けた。あんなに悩んでいた彼への贈り物がすんなり決まったこともあるが、彼からも同じ贈り物をもらえるなんて。
自分をさらに知ってもらえる喜び。
彼をもっと知ることができる幸福。

「なあ手塚。来年もこうやって、自分の好きな物贈り合わねーか。すげぇ楽しいじゃねーの」
「……ああ、お前さえ良ければ、ずっと続けていたいと思う。こんなに幸福な気持ちになるとは思わなかった」
「提案してやった俺様に感謝しな」

こつりと拳を合わせ、その手を繋いで一階へ向かう。プレゼントということで、綺麗にラッピングしてもらった。本と、可愛らしい猫モチーフのブックカバーを。
当日はたくさんの人に祝ってもらうのだろうからと、少し早いがお互いにプレゼントを交換する。ちらりと見やると、同じくそうした相手と瞳がぶつかった。

「嬉しそうな顔してんじゃねーの」
「お前もだろう」

夕暮れ時、このまま別れてしまうにはまだ早い。切り出したのは、跡部の方だった。

「今から俺の家こねーか、手塚。もう少し……一緒にいたい」
「…………少し、でいいのか?」

やぶさかではないが、と手塚は眼鏡を押し上げる。それは牽制の意味もあった。この状態でこれ以上一緒にいて、抑えきる自信がない。
それに気づいたのか、珍しく跡部が視線を背ける。赤くなった頬に頭を抱えたくなったが、その手を取られて体が傾いだ。

「前言撤回するぜ」

これは拒絶かと一瞬思いかけたけれども、触れてきたのは唇だった。触れた唇の熱さに、外だぞなどという野暮な言葉が飲み込まれていく。

「一緒にいろ、手塚。永遠にだ」
「ああ、そうだな跡部。永遠に」

そうやって、二人は跡部家へと足を向けた。
あの時触れた熱が、今日、永遠になる――。

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