キスインザダーク-嵐の夜に-【19】

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6.幸福の行方

構内の木陰で、恋を告白された。申し訳ないといった風に呟く相手は、サークルの先輩である斉木だ。
「……すみません、先輩」
だけど幸人は、その好意を押し戻すことになる。
「あっ、う、うん、そうだよな、分かってる分かってる、やっぱ男同士だし、気持ちわる――」

「好きな人がいるんです。だから、先輩の好意には応えられません」

斉木の言葉を遮って、幸人は続けた。
割と遅かったなと思うのは、悪魔候補生のイタズラで斉木の気持ちを知ってから、半年ほど経っているからだ。
(半年か……)
斉木の気持ちを知って半年。幸人が恋を知って半年。長いような、短いような。
「……断る理由それなんだ? 無理なのは分かってたけど、絶対男同士だからって言われると思ってた」
「や、そりゃ驚きましたけど。けど俺にとっては、相手の性別より、俺に好きな人がいるってことの方が重要なんで」
斉木の気持ちを事前に知らなければ、驚きはもっと大きかっただろうと思う。だけど言った通り、重要なのは幸人に明確な理由があることだ。

(大好きな人がいる)

この半年、他人に恋を告白されるたびに口にしてきた言葉。相手はヒトではないけれどと、心の中で補足するのも忘れていない。
「あー、なるほど。古賀が変わったのってそれのせいかー。サークルの女子たちもさ、狙ってる子多いの知ってた?」
「変わりました? 俺」
「前はさ、ちょっと危なっかしいなあって思ってた。人が好すぎるっていうかな。それで目が離せなかったんだけど。なんていうかその……切なそうっていうか寂しそうっていうか、そういう顔見せるようになったから」
気まずそうに斉木は口にする。他人というものは、見ていないようで案外しっかりと見ているものだと、幸人は苦笑した。
「女子だと多分、母性本能刺激されるんだろうな。俺もさ、何か悩んでるんだったら力になってやりたいとか、そういうこと思ってたわけで。……どんなひと? 古賀にそんな顔させるのって」
「勝手なヤツですよ。俺の気持ちなんか考えもしないで自分の価値観で行動するような。……でも、こっち(・・・)のことちゃんと知ろうとしたり、無茶なことしてまで俺を守ってくれる。そういう相手です」
そう言って笑えば、つい先日のことのように感じられた。

「敵わねーなぁ……古賀がそんな可愛い顔するなんてさ。超不幸……」
斉木が口にした言葉に、幸人の胸が鳴る。半年前彼に憑いていた悪魔候補生は、どうなったのだろう。無意識にでも契約を交わしてしまった斉木は、どんな不幸を演出されたのか。
「なんかここ半年くらいイイコトないな~。ツイてないっていうか」
(いや、それはむしろまだ憑いてるんじゃないかな、先輩……。テスト期間終わっても、契約した人間がいれば、こっちにいられるのかな……)
斉木に取り憑いた悪魔候補生は、幸人の目には見えない。離れた場所にいるのか、関わりがないから見えないのか。

どちらにしろ、もう悪魔になってしまったシキ相手では、候補生のようにはいかない。
(逢いたいだけなんだけどな……)
どんな代償を払えば、シキは来てくれるのだろう。フレアか、それとも魂そのものか。

「でも、悪いことばっかじゃないかな」
「え?」
「フラれんのは分かってたけど、軽蔑されなかったみたいだからさ。そこは、やっぱ、嬉しいっていうか。ありがとな、古賀。お前の恋が叶うように祈ってるよ」
「……ありがとうございます」
叶うことなんてない、と思いつつ斉木の背中を見送った、瞬間。

ぽつ、ぽつり。

頬に何か冷たいものが当たる。雨だ。
(え? 今日雨なんて予報あったっけ?)
朝のニュースを思い浮かべている間にも、落ちてくる雫は量を増し強さを増し、遠くの方では雷まで聞こえ始めた。
構内を、雨から逃れるように走る学生たち。空を見上げてうんざりした声を上げる者、備えあれば憂いなしとばかりに鞄から折りたたみ傘を取り出す者たち、様々だ。

幸人は、木の葉陰で雨を凌ぎながら、妙な既視感に囚われていた。
(雷鳴……予報になかった雨……?)

あの時と、一緒だ。

そう考えてしまった途端、胸が大きく跳ね上がった。
(もしかして、また……?)
強くなった雨はザアザアと音を立てて、水滴を踊らせて、草木に、建物に、人に、遊ぼう遊ぼうとくっついて回る。
葉の隙間から落ちてくる雨に打たれながら、幸人は視線を泳がせた。

(また、候補生のテスト始まったんじゃ)

テストというのなら、定期的か突発的に行われるはずだ。周期がどれほどかは分からない。協会とやらの気まぐれで始まるのかもしれない。そもそも毎回この世界で行われるのかも、幸人には分からないのだ。悪魔の世界のことを訊く前に、シキはいなくなった。
テストが終わった後、契約がどうなるのか。もし次のテストが始まったらまたフレアを狙われるのか。
(もし候補生が俺のフレアを狙ってくるんだったら、こんなとこにいられない。いや、アイツの結界がない以上どこにいても同じだけど、あの時結ばれたアイツとの契約は? 契約した相手(オレ)が他の候補生に食われても、アイツは平気なのかな……)
まだ候補生だったシキを、あの時そうとは意識せずに呼んだ。

求めて、呼んで、結ばれた。

「……っ」
結ばれたという単語に、幸人はボッと顔を赤らめる。確かに体も結んでしまったけれど、そういう幸福な意味ではない。
(何期待してんだよ、俺。ダメだ、違う、アイツは来ない。きっと今頃向こうで幸せに……悪魔の幸せってなんなのか分かんないけど、アイツはこれには関わってない)
逸る心臓を押さえ、小さく首を振る。
関わっていない。関わっていないはず。そもそも本当にテストが行われているかも分からない。
――でも。
(でも――シキ、逢いたい)
候補生のテストなのだとしても、この雷鳴に乗って気まぐれに悪魔がやってきたりはしないのか。人に召喚されるのを待っているだけでは、不幸は手に入らないだろう。
召喚されないならこちらから、と思う悪魔がいてもおかしくない。
そう思ってしまった瞬間、幸人は雨の中に飛び出していた。
体を打つ雨を気にも留めず、幸人は駆ける。

パシャパシャと音を立てる水溜まり、遠くで響く雷鳴、時間は少し早いけれど、ぐしょりと濡れるスニーカーもあの日と同じ。

「シキ……っ」
いるはずがない、いるわけがない、分かっている。そう何度も呟きながら、幸人は家路を急いだ。
あの日、あの時、シキを見つけたあの場所に。
「はあ、はあっ、はあ、……っはぁ」
息が乱れ、心臓が痛くなってくる。それでもシキを想う時の痛みよりは大分マシで、幸人は何度もその痛みを飲み込んだ。
あの角を曲がってまっすぐ。そこが、あの場所。
(いるわけない、いるわけないのに……! でもっ……)

でも、もしかしたら。

そんな小さな期待を胸に、角を曲がった。
「あ……」
速かった足が、次第にゆっくりになる。緩やかになったその歩調は、その場所で、ついに止まる。
誰もいない、そこで。
幸人は荒かった息を整えて、くしゃりと髪をかき混ぜる。

「やっぱり……いるわけないよな……」

候補生のためのテストで、すでに悪魔になれたシキが来るわけがない。分かっているのに、何を期待してしまったんだろうと、情けなくなってくる。
(逢いたい……)
だけど、理屈も常識も考えていられないほど、あの男に逢いたいのだ。
「シキ……っ」
あれから何度も呼んだ名前を呟くけれど、応えてくれることはない。流れ落ちてきた涙を拭って、幸人はそこを離れた。
冷たい。気持ち悪い。早く風呂に入って着替えたい。
そんなことばかりを考えながら、マンションの階段を上がった。エレベーターを選ばなかったのは、こんなに情けないところを誰にも見られたくなかったからだ。
部屋に着くまでに、もう少しくらい心を落ち着けようという思いも手伝って、六階分、ゆっくりと一段一段、踏み締めた。
(今誰かが望みを叶えてくれるなら、この気持ち全部持っていってほしい)
もし今がテスト期間中ならば、候補生がたくさんいるはずだ。望みを叶えてもらえるなら、不幸になったって構わないとさえ思う。
「ほんと、重症……」
苦笑しつつ、六階にたどり着いて共有廊下へと足を踏み出した。

――そこで。

(え……)
幸人は息を飲んだ。

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