キスインザダーク-嵐の夜に-【16】

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「アイツに、何をされた?」
そうしてシキは振り向かないまま訊ねてくる。幸人はびくりと体を強張らせ、濡れた唇を拭った。
「べ、別に……キスと、ちょっと体触られただけだよ」
シキが背中を向けたままでよかったと幸人は思う。今はシキの顔をまともになんか見ていられない。

ランに触れられていた時、シキじゃないといやだなんて思ってしまったことを、まだ自分の中で昇華しきれていない。
シキの力強い腕は心地好いしキスも気持ちがいいけれど、これではまるで、

(俺がシキのこと好きみたいだろ、冗談じゃないっ!)

きっとランのオーラにあてられて、混乱しているんだ、そうに違いない、と無理やり自分を納得させて、幸人は改めてシキの背中を眺めた。
「っていうかいつ俺がお前のものになったんだ、勝手なことばっか――あ、け、怪我は大丈夫なのか? あんなに血が、出て、た……けど」
もう元に戻っているが、右の羽根をもがれたはずだ。あんなに血がたくさん出ていたのに、今はその痕跡さえ見えない。
「血……? そう見えたのか。あれは俺たちにとっての魔力……だな。かなり失った」
シキが不思議そうな顔をして、ようやく振り向く。ランの再襲撃がないと悟って、どこかホッとしたようだった。
だが幸人の方はその言葉に青ざめる。
魔力というものが、彼らにとってどれだけ重要なものか分からない。しかし血のように見えたのだから、人間で言えば血液にも等しいものなのだろう。それを、かなりの量失ってしまったのだ。

幸人を、守るために。

「な、んで……そこまですんだよ? 俺、ただフレアが美味いってだけだろ。お前の欲しがってるレシピなんか、やれないぜ? だって俺にお前を不幸にする力なんてないんだから」
「お前が俺を? 逆だろう、俺がお前を――」
「あ、で、でも、アイツが言ってたんだ。実際そのレシピ手に入れた候補生に聞いたって」
「本当か……!?」
シキの目が大きく見開かれる。グッと腕を掴まれ、幸人は痛みに顔をしかめた。その反応を見るに、やっぱりいちばん欲しいものはそれなんだと、心臓が痛んだ。
「どうしたら手に入るんだ、何か条件はあるのか? それが分かれば」
「……お前自身が不幸になることだってさ」
幸人は少しだけためらって、シキに伝える。シキはそれを欲しがっていて、食材が分かればすぐに探し求めにいくのだろうと思うと、憂鬱な気分になってもだ。
「……俺が」
「そう。アイツも言ってたけど、ホントに皮肉だよな。悪魔になるために俺たちを不幸にしたがってるのに、お前らがいちばん欲しがるレシピは、自分自身の不幸だっていうんだから」
その不幸が、どういう種類のものなのか分からない。彼らにとって、何がいちばん不幸なのか。悪魔になれないこと? それとも魔力を失うこと? どちらにしろ、幸人では力になれないだろう。

「確かに……難しいな」
「だろ? でも、食材が分かったんだから、闇雲に探す必要なくなったじゃん。お前を不幸にしてくれそうな相手、探せよ、シキ。俺のこと守るためにその……魔力なくしたりしてるより、全然、いいだろ」
残念そうなため息をついたシキと距離を置くために、近かった胸を押しやる。
「なあ、なんで……俺のフレア食わなかったんだよ。結界張るのにだって力使ったんだろ? 俺のこと食ってたら、アイツにあんないいようにされなかったかもしれないのに」
シャツ越しに伝わってくるシキの体温が心地好くて、うっかりすがりついてしまいそうになる。そんなことできるはずないと手を離そうとするのに、拳を握るだけで叶わなかった。
「お前がいやだって言うからだろう」
「……え?」

「気持ちよくても、いやなものはいやなんだと、お前が言ったんだ。……食えなかった」

小さく呟かれた言葉に、目を瞠る。カッと、顔の熱が上がる。
そう言った記憶は確かにあるけれど、これから悪魔になろうという男の言葉ではない。
人を不幸に陥れたいのなら、そんなもの構わずに無理やり奪ってしまえばいいものを。
「そ、そんなの、だから、なんでっ……お前悪魔に向いてないんじゃないのか!?」
「馬鹿なことを言うな。お前がいやがることをしたくなかっただけだ。せっかく見つけた獲物なんだぞ」
くらりと目眩がするようだった。
最初の夜に散々いやがるあんなことをした男とは思えない。獲物だと言いつつ、食べることも不幸レシピを作ることもしないなんて。
「で、でも……お前が怪我したの俺のせいだし……窓から放られたのに戻ってくるなんて、また相当力使ったんじゃないの……羽根だって復活してるし」
「ああ……まあ、かなりな。お前が無事ならいい」
「何か、できる? 俺っ、……お前なんかに借り作りたくないん、だけど」
心臓の鼓動が速い。
シキにも聞こえてしまいそうで、無駄だと思いつつ胸を押さえる。
自分の言ったことを律儀に守ってまで、かばい通してくれた悪魔候補生が、何を望んでくるかは予測できた。今この状態で借りを返したいと言うことが、どんな状況を作り出すか理解していて、幸人は訊ねる。

例えば失くした力を補うためにフレアを食いたいと言われたら、キスくらいなら許容できる。それで借りが返せるなら安いものだ。あの夜みたいに多少乱暴でも、唇が触れるくらい、舌が絡まるくらい、なんでもない。
そう、思っていた。

「――キスをしてくれ」

驚いたように目を瞬いた後、シキはそう返してくる。
ん? と幸人は首を傾げた。

「待て、なんでだよ」
「なにがだ」
「キ、キスなら、その、すればいいだろ、お前がっ」
キスをしてくれというのは、つまり、シキが、幸人から、キスをしてもらいたいということで、幸人が、シキに、キスをするということだ。
「してくれないのか」
今まで、何度か唇を合わせたことがある。
だけどそれは毎回シキの方からで、ひどく突然で一方的なものだった。食われる方は時も場所も選べない。
「なら……別にいい」
「は? ちょっ、待てよ!」
ならこちらからするというわけでもなく、シキはふいと顔を背ける。

フレアを食べたいなら、どちらからかなんてこだわらずにキスしてくればいいのに、とそこまで考えて、こだわっているのは自分の方だと気がついた。
(た、たかがキスじゃねーか、どっちが主導権取るかなんて、関係ないし、そもそもキスっていうかコイツにとってはただの食事なわけだし!)
幸人は慌ててシキの腕を掴み引き止め、振り向いたシキの顔を見上げた。久しぶりに、真正面からその瞳を見た気がする。

「あ、の……さ、た、助けてくれて……ありがと」

だんだんと声が小さくなっていくのに気がついたけれど、もうどうしようもない。幸人は身長の差に少し悔しくなりながらも踵を上げた。
そっと、触れる。
馬鹿みたいに心臓が速くて、落ち着かない。肩を抱くシキの手がいつもより優しくて、わずかに震えているようにさえ思えた。

「傷……たくさんついてるな……」
ゆっくりと唇を離されて、もう食べたのかと思う暇もなく、シキの手が肩を、背中を撫でてくる。
「あ、こ、これは……、っつ……」
そういえば部屋には割れたガラスの破片が飛び散っていて、その上に押し倒されたのだった。今さら痛みを認識し始め、眉を寄せた。
「じっとしていろ、治してやる」
唇のすぐ傍、吐息が触れそうな位置でそう呟いたシキは、その傷に指を沿わせていく。

そういえば傷を治すこともできるんだっけと思い、ハッとする。
「い、いいよ、ガラスさえ入ってなければ小さい傷だし、お前、また力使っちまうだろ、よせって!」
傷を治すには魔力を使うはずだ。失った羽根を復活するのにも魔力を使ってしまったのに、そんな小さな傷に力を使わせるわけにはいかないと、シキの体を押しやる。だけど、シキは離れてくれなかった。
「お前の体に、俺以外がつけた痕が残ってたまるか。それに、魔力なんかもうとっくにフルチャージできてる。お前が俺と契約してくれたおかげでな」
シャツの襟を落とし、背を向けさせられる。肩に当たるのがシキの唇だと認識した時、聞き慣れない、聞きたくない言葉が入ってきた。
「な、フ、フルチャージしてんだったら俺がさっきキスしてやる意味なかっ……え、契約ってなに……?」
幸人は思わずシキを振り仰ぐ。

フルチャージできていたということもそうだが、契約してくれた、とはどういうことか。

「契約って、なんだよそれっ!? 俺はそんなこと一言も言ってないだろ!」
契約には双方の同意が必要だったはずだ。悪魔候補生の力を使い望みを叶えてもらえ、そして最後には結局不幸に陥っていく。そんな道、望んでいないはずなのに。どうして一方的に契約が結ばれているのか。
幸人は混乱と怒りとで、シキの胸を強く叩いた。
「俺の気持ち無視して、勝手に契約とかすんな、馬鹿っ! あっ……」
その手を絡め取られ、息を飲んだ。

「無視なんかしてない! お前は俺を求め、俺を呼んだだろう! シキ、と、お前が初めて名を呼んでくれた! あれが契約でないのなら、失った羽根がこんなに早く復活するはずがない!!」

「なっ……」
カアッと体中の熱が上がった。確かにあの時、シキの名を呼んだ。シキが初めてというなら、恐らくそうなのだろう。

シキじゃないといやだ――確かにそう思って、彼を呼んでしまった。

「ま、待てよ、俺、全然、そういうつもりじゃ……」
「もっと俺を求めろ、幸人。もっとだ」
「シキ、駄目っ……」
駄目だと言ったのに、シキの唇が降りてくる。そっと触れて離れていったそれが、嬉しそうに幸人の名をなぞった。
「……幸人」
「んっ……んん……」
そうして再び、触れて、奪ってくる。強く抱かれた腰と、絡め散ら取られれてしまった舌。隙間なくぴったりとくっついた唇が熱くて、思考がうまく働いてくれない。
「ん、んぁ……っふ、ん、いやだ、……っん」
舌を吸われ、表と表を合わせられ、軽く歯を立てられる。
その刺激のすべてが心地好くて、始めはしようと思っていた抵抗が、ほんの数秒でなくなってしまった。
じぃんと痺れるような、甘い痛み。膝から力が抜けて、崩れ落ちそうになるのに、力強いシキの腕はそれをさせてくれない。
「ふっ……う、んん、はっ、ん」
何度も、何度もキスを繰り返されて、幸人の呼吸が荒くなる。は、と吐いた息さえ奪うように口づけてくるシキに、やがてしがみつくしかなくなっていた。

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