次に逢うときは

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コポコポと音を立てて、マグカップにコーヒーを注ぐ。いつもはこのまま飲むけれど、今日は砂糖とミルクを少しずつ入れた。どうにも甘ったるい気分が抜けていかない。
この部屋には何度か来たことがあるというのに、まだ余韻が残っているせいだろうか。

スマートフォンを見れば、いくつもの通知が届いていた。
電話の着信、メールの受信、トークアプリの方にもたくさんのものがあった。ひとまず確認を後にして、ニュースサイトを開く。

トップニュースに、手塚は自分の名前を見つけた。そして、優勝という文字も。

全豪オープンシングルスでの優勝を果たしたのは、つい昨日のこと。プロとしてテニスをするようになって、初めてのことだった。
強敵がたくさんいた。戦ったことがない相手もいた。癖まで知っている相手もいた。そのライバルたちを討ち果たし、初めて手にした優勝カップ。

――優勝、したのか。

夢だと思っているわけではないが、コートを離れると途端に現実感がなくなる。
ラケットを握っていた手は今、マグカップを握っている。ウェアはTシャツに替わり、腕にリストバンドもしていない。
ここにいるのは、プレイヤーとしての自分ではない。気持ちが逸るのは、覚めやらぬ興奮のせいか、それとも焦りのせいか。
まだ一つの大会を制しただけだ。大変なのはこれからで、かかるプレッシャーも期待も跳ね上がるだろう。
優勝したからといって、そこで満足していてはいけないと、マグカップをグッと強く握りしめた。

「朝っぱらからんな顔してんじゃねーよ」

声をかけられて、ハッとして振り向く。そこには、素肌の上半身を惜しみなくさらす恋人の姿。ほどよく鍛えられた半身には、情事の名残であるキスマークがちりばめられていた。

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「空調が効いているとはいえ、そんな格好でうろつくな、跡部」
「ノリが悪いな、ここはハニーくらい返せよ」

ガラじゃないと背けた顔を指で振り向かされて、唇を奪われてしまう。慣れた感触に、思考はクリアになっていく。

「まぁた小難しいこと考えてやがんだろ、手塚ァ。今日くらい素直に喜んでおけ」
「喜んではいる」
「そうかい。ま、昨夜は確かに理性吹っ飛ぶくらいだったようだが?」

跡部が、指先でするりと自身の脇腹をなでる。手塚は言葉に詰まった。確かに昨夜は、自制がきかなかった気がすると思い起こして。

「すまない、無茶をさせた」
「構わねーさ。お前のボールを受けるヤツは大勢いるが、お前の熱を受け止められんのは俺だけだからな」

そう言って、唇を突き出してくる。手塚はそれに応え、ついばむようなキスをした。案外に柔らかな唇を食はんで、ちゅっと口角を吸う。は、と吐かれた息ごと覆えば、昨夜の熱がよみがえってくる。

昨日、大会の会場に跡部が現れた時には本当に驚いた。
何も聞いていなかったせいもあるだろうが、彼の肩に大きな花束が担がれていたせいだ。大会運営が用意したものではなく、個人で準備したものだと分かったのは、彼が好んでいる情熱の赤いバラだったから。
勝敗を決した直後だったというのに、そんな立派なものをすぐに手渡せる状態だったということは、つまり跡部は手塚の勝利を信じて疑わなかったということだ。

『戦友で、好敵手で、永遠の恋人であるお前に』

その信頼が、何よりも嬉しかった。
優勝インタビューをなんとかこなして、コーチ陣たちに挨拶を済ませ、跡部の部屋に引きずり込んだことを覚えている。いや、どちらが引きずり込んでどちらが引きずり込まれたということはない。熱を求め合った結果だ。

「こら、くすぐってぇじゃねーの」

唇だけでなく、頬や額にも唇を落とせば、跡部が笑いながら身をよじる。彼自身忙しい身のはずだが、こうして祝いに来てくれたのは本当に嬉しい。
恋人でありながら頻繁に逢えないのはお互いの事情で、双方に責任がある。
跡部は実業家として跡部家の仕事をしながらもテニスを続け、手塚も手塚で様々な大会で素晴らしい成績を収め、上位ランキングプレイヤーにまで登り詰めていた。
多忙を極める二人がなかなか逢えないのは仕方がない。お互い、自分で選んだ道だ。

「跡部は、どこもかしこも触り心地がいいな」
「ふ、それは俺様だからなぁ。だからってこんなとこでサカるんじゃねえ」
「なら、ベッドへ」
「コーヒー冷めるぜ」

腰を引き寄せると、じらすように鼻先をつつかれる。む、と唇を尖らせて眉を寄せたら、おかしそうに笑われた。

「今日は帰国前にインタビュー入ってるんじゃねえのかよ」
「お前を抱く時間くらいある」

言って、抱き寄せた恋人の唇を塞いだ。舌を捕らえて絡め、吸い上げる。上顎を舐め,舌に軽く歯を立て、擦り上げる。解放する寸前でまた捕まえて、混ざる唾液を飲み込み、飲み込ませた。
やんわりと押し戻そうとしていた跡部の指先から力が抜けていくのが分かる。それを確認して、手塚はようやく跡部の唇を解放した。

「頼む跡部、いいと言ってくれ」

このまま強引にコトを進めることだって当然可能だ。実際、何度かそうやって体を重ねたことだってある。だけど、今日はイエスの言葉がほしい。

「ここ、何時に出れば間に合う?」

訊ねられて、手塚は壁に掛けられた時計を見やる。インタビューを受ける場所はここから三十分もかからない。跡部の耳元で「九時半」と囁いた。
現在、七時四十分。身支度のことを考えても、充分とは言えないまでも時間は確かにあった。

「いいぜ手塚。抱いていきな」

腰を抱いていた手を取って尻に移動させ、跡部が耳元で囁いてくる。啼かされる立場でありながらこの威勢のよさが、手塚にはなじみ深い。
キスをしながら寝室へと移動し、二人でベッドへ沈む。弾みでカチリカチリと歯がぶつかった。

「んっ……んン」

シャツの裾から、跡部の手のひらが滑り込んでくる。素肌の感触が好きなのは同じようだなと、手塚も跡部の胸に手のひらを滑らせた。
初めて触れた時よりも厚くなった胸板のラインを指先でなぞり、首筋に舌を這わせる。湿り気を帯びた吐息が寝室の空気を揺らし、ずくりと腰がうずいた。

「手塚、首……痕つけんな、俺もこの後仕事入ってんだよ……」
「そうなのか、すまない」

気をつけるとは言いつつも、逆に痕を残してやりたい気分にもなる。しかしそれを実行したら機嫌を損ねるのはわかりきっていて、なんとか抑え込んだ。

「胸なら構わないか? というか、誰かに見せる機会などないだろう」
「ふ、まあ中学生ガキだった頃に比べたらな」

あの頃はロッカールームや合宿所の浴場やらで散々裸体を晒してきた。今はそんなこともない。よく抑えられたものだなと思いつつ、跡部の肌を吸う。所有印とまでは思わないが、新しく付けた痕に多少なりとも優越感を覚える。

「手塚、俺にも付けさせな」

跡部の指先が、左肩をなでる。そこは自分たちにとって大切な場所で、拒否する理由などない。手塚は体重をかけすぎないようにしつつ身を寄せた。
跡部の舌が、腕の付け根を這う。少しくすぐったかったけれども、その感覚さえ愛おしい。吸われる感触に充足感を覚え、耳元で跡部の名を呼んだ。
抱き合って唇を合わせ、体のラインを確かめる。足の付け根をなでれば、跡部の膝がびくりと揺れた。

「ここが弱いのは昔から変わらないな」
「感じるようにしたのはテメーだろ、手塚ァ」
「そうだな」

躊躇なく頷いて、ぐいと脚を押し広げた。
初めて触れ合ったのは、中三の夏。それまでも、それからもずっと、お互いしか知らない。

「あ……ッあぁ」
「まだ柔らかい」

昨夜の名残で、跡部の後孔は柔らかかった。それでもローションを纏った指を侵入させる。絡みついてくる中の肉の熱さに、息が荒れた。

「ん、やっ……ぁう、あ、手塚、はぁっ……」

ぐんとのけぞって快感を受け止める跡部を見下ろし、汗のにじむ額に口づける。ぬちゅりぬちゅりとわざと音を立ててやれば、責めるように名を呼ばれた。けれど効果は逆の方向に働いてしまう。跡部はそれを分かっているのだろうかと、中を押し広げた。

「っひう……!」

背がしなった隙に腕を差し入れて抱き込む。

「跡部」

窺うように名を呼べば、潤んだ瞳でじっと見つめられる。

「いちいち確認すんじゃねぇ……馬鹿」
「俺だけが求めているわけじゃないと実感したいんだ」

言いながら指を引き抜き、猛る熱を押し当てた。首に回された跡部の腕が嬉しくて、息を吐いて腰を押し進める。

「だから、馬鹿だって、言ってんじゃ、ねーのッ……」

体を揺さぶられるせいか、跡部の声が途切れがちになる。

「なんのために、仕事、調整して、きたと思って、ん……っあぁ……っ」

上気する頬とにじむ汗が、彼の色気をさらに増幅させる。
頻繁に逢えるわけではない。それを理解しているからこそ、機会は逃さない。肌の感触も、熱も、触れられるものならいつだって触れていたいのだと、抱いてくる腕の強さで示してくれる。

「そうか……」

嬉しい、と耳元で囁き、グッと奥まで入り込む。踊る脚を抱えて、何度も何度も打ち付けた。

「あ、あぁッ……んぁ、は、んッ……ふ、う、く……うぅっ、あ」

腰に、跡部の脚が絡みついてくる。聞き慣れてしまったと思う淫らな声も、未だに興奮剤になる。中の熱さも、汗ばんだ肌も、すべてが快感につながっていく。

「跡部……、……ッん、う……はあっ、跡部、中、すごいな……っ」
「いっ……あ、あぅ、や、ばか、こんな奥っ……だめだ、や、まだ……っ」
「奥、好きな、くせにっ……」
「い……く、からっ……手塚、イイ……ッ、手塚、てづかぁっ……」

跡部の体が快感に震える。手塚は眉間にしわを寄せ、グッと彼の脚を掴んだ。

「……ッ跡部、脚、外せ……っ」
「いい、からっ、中……で……!」

そんなわけにいくかと頭では思いつつも、誘惑に負けてしまう。跡部の中に欲を吐き出し、二人で体を震わせた。

「……っは、はぁ、はあっ……、っは、ぁ……仕事があると言ったのはお前じゃないか、跡部……」
「欲し、かったん、だから、しょうがねえ、だろ……ふ、はは、満足だ」

いつものしたたかな笑みで見上げられ、「まったくこの男は」と思いつつも、幸福さを噛みしめながら繋がりを解く。弛緩した跡部の体をなで、唇にキスをした。

「シャワー、浴びてこいよ。着替え用意しておいてやる」
「跡部、お前は?」
「ばぁか、一緒にシャワーなんか浴びて無事ですむと思うなよ。俺の方はここからでも仕事の指示は出せる」

それもそうかと頷く。この状態で二人でバスルームに向かったりしたら、間違いなく第二ラウンドが始まってしまう。跡部の言葉に甘え、身支度を調えさせてもらうことにした。
情事の名残を洗い流すのは少し寂しいが、そうも言ってられない。
そうしてシャワーを終えれば、用意された着替えと軽食が待っていた。入れ替わりで跡部がシャワーへと向かい、手塚は運動後の腹にサンドイッチを詰め込んだ。

「車呼んでるから、乗ってけ。俺も一緒に出るから」

シャワーから上がり身支度を調えた跡部は、つい先ほどまでベッドで乱れていた男と同一人物とは思えない。姿勢の良い佇まいは実業家然としていて、知ってはいても新鮮さを感じてしまう。

「それとな、これ渡しておくぜ」

ポンと何かを投げてよこされ、手塚は左手でそれを受け止めた。「なんだ?」と手を広げてみれば、鍵。キーチェーンのプレートには、“K“と刻印されている。

「ここの鍵だ。英国こっちに来ることがあれば、俺がいなくても使ってくれていい」
「……跡部……」

手塚はドイツを拠点としているが、大会ともなればその開催地へ出向くことも多々ある。今回だってそうだった。この地に来ることは少なくない。運が良ければ、逢えるだろう。

「ああ、ありがとう」

跡部の気持ちが嬉しくて、手塚は素直に受け取って礼を告げた。跡部も嬉しそうな顔をしてくれて、体の中に何かが満ちてくる。
会場まで送ってもらう車の中で、手のひらを重ね合わせる。会話はなくとも、互いの気持ちが流れ込んでくるようだった。

「じゃあな手塚。また次の機会に」
「ああ、あえて嬉しかった」

目的地に着いてドアを開け、手塚は車を降りる。名残惜しくないわけではない。ここから先はランキングプレイヤー手塚国光でいなければならない。
それでも、シートに手をついて身を寄せた。
ドアを閉めるまでは、彼の恋人でいたい。

「跡部。次に逢うときは、お前に指輪を贈ろう」

告げた言葉に一瞬目を見開いたものの、跡部はすぐに口角を上げた。

「――ああ、楽しみにしてるぜ」

そうして互いの真ん中で唇を合わせる。触れるだけのキスを交わして、手塚は車の外へと体を起こしてドアを閉めた。どこかで写真を撮られていようと構わないとさえ思い、車が走り出すと同時に背を向けた。
次に逢うときまでに、彼の薬指にぴったりの指輪を探しておこう。そう胸に決意して。

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