不意打ちのアイラブユー

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カフェの窓から、広がる青空を見上げた。

「すっかりいい天気になったじゃねーの」

そうだなと、テーブルの向かい側に座る相手から同意が返ってくる。少し残念そうに聞こえたのは気のせいだろうか。跡部はティーカップをソーサーに置き、意地悪く片眉を上げてみせた。

「俺様と逢ってるっていうのに、不満そうじゃねーの、手塚ァ」
「そんなことはない」

心外だとでも言わんばかりに即答されて、跡部はふっと笑って椅子の背にもたれた。跡部も、本当にそうだと思って言ったわけではない。

「ただ、練習を中断したのはもったいなかったかもしれないと思っただけだ」
「くそ真面目が」

言いつつも、貶しているわけではない。手塚らしいなと好感を持つ。

「お前のところは練習なかったのか?」
「氷帝はプライベートも大事にさせてる。自主練するか、体を休めるか、羽を伸ばすか。それはアイツらの自由だ」
「そうか。なら、出先であの雨に降られたヤツらもいるかもしれないな」

風邪を引かないといいがと手塚もカップを口に運ぶ。
ついさっきまで、外は雨が降っていた。雷まで鳴っていたのだが、今では雨雲もどこかへ行ってしまったらしい。
雨では屋外コートでプレイをするのは難しい。走り込みもだ。多少の雨ならば継続するが、雷雨では無理だ。手塚の率いる青学テニス部は今日も練習に励んでいたようだが、途中で切り上げたらしい。

「まあ落ち込むな。おかげで俺と逢う時間ができたんだからよ」
「落ち込んではいない。急に呼び出してすまないな。逢って何をしたいというわけでもなかったんだが」

そう言って、手塚は傍らに置いていた携帯端末を持ち上げる。なぜだか険しい表情に変わって、跡部は目を細めた。何か良くない報せでもあったのだろうか。

「どうした?」
「ああ、……いや、すまない。連絡がないということは、問題ないということだと思いたいんだが」

言葉を濁して端末をテーブルに置きつつも、ひどく気になることがあるようだった。なるほどそれでかと、跡部はようやく得心がいく。
恋人同士という間柄でも、手塚からの誘いは多くない。今日に限ってどうしたことかと思ったが、何か不安なことがあるらしい。誰かを案じているようだが、その時間を一人で過ごすのが心許ないといったところだろう。
適当に、顔が見たかったとでも言っておけばいいのになと、嘘のつけない不器用な恋人を、それでも彼らしいと思った。
連絡がないといえば、と跡部も自分の端末に視線を向ける。二時間ほど前、珍しい人物から電話があったことを思い起こした。

「そういえば、なあ手塚。お前のところの生意気なルーキー、今アメリカに行ってんだろ?」
「越前のことか」
「今朝、妙な電話かけてきやがった。公衆電話からな」
「……なに?」

手塚の声がワントーン低くなる。

「言っておくが、俺はナンバー教えちゃいねえぜ。どこから漏れたんだか。まさかお前じゃねえだろうな?」
「いや、教えていない。それよりどういうことだ。跡部のところにも電話したのか……?」

跡部のところにもという言葉を怪訝に思って、跡部は目を瞠って手塚を振り向いた。

「お前のとこにもかかってきたのか。ああ、いや俺にかけてくるくれえだから、当然お前にも電話するだろうな」

親しさや距離感からいっても、跡部にかけて手塚にかけないということはないだろう。しかし、それを置いても妙なことがあった。
着信履歴が、ないのだ。
跡部は確かに越前リョーマと会話をしたのに、その証拠がなくなっている。さらにあの生意気なルーキーは、おかしなことを言っていた。

「過去にタイムスリップしたようだと言っていたが、無事に戻ってこられるのだろうか」

肘をついて組んだ手に、手塚の口許が隠れる。跡部は目を細めた。まさかこの男は、越前が言ったことを頭から信じているのだろうかと。タイムスリップなんて非現実的なことが起こるわけもないのに。

「手塚、お前な……」
「確かに越前から電話があったのに、履歴がないのもその影響なのかもしれない。跡部、お前とはどんな話をしたんだ」

履歴がないという言葉に、跡部は息を呑んだ。そんなことまで同じ現象が起きているなんて、普通では考えられない。どちらか一方だったら、うっかり履歴を消してしまったのだろうと言えたが、二人とも身に覚えがないのに消えているなんて。

「何時頃だ、それ」
「正確には分からないが、雨が降ってくる直前だ」
「……俺も同じだな。越前のやろう、俺様の優雅な眠りを邪魔しやがって」
「待て跡部。お前そんな時間まで寝ていたのか? 朝が弱いとは意外だが」
「うるせえ、今はそういう話じゃねえだろ」
「お前と暮らすことになったら、朝起こさないといけないな……」

ため息交じりに呟かれた言葉に、思わず「は?」と素っ頓狂な声が上がった。一秒遅れて、顔の熱が上がってくる。目の前のこの男は、何を口走ったか自覚しているのだろうか。
お前と暮らすことになったら。
不意を突かれて、何も返せない。この男のことだから深い意味も自覚もないのだろうに、困惑が心臓を高鳴らせた。

「テメーのそういうところは本当にタチが悪いな、手塚ァ」

まだ中学生の段階では現実味もないが、タイムスリップとやらに比べたら、ずいぶんとリアルな話ではある。
しかしながら、今はそんなことを気にしている状況ではない。跡部はゆっくりと息を吸い込んで、そして吐き出した。

「手塚、越前なら大丈夫だ。マフィアだかなんだかに屈するようなヤツじゃねーし、今頃のしちまってるかもなあ」
「いや、それはそうなんだが……というか、俺がけしかけたようなものだ。気が気ではない」
「あーそれは俺も同じかもな。逃げ回って手に入れた栄光なんざ、俺にとっては無価値だからな。ふ、しかしまあ、惚れた女と逃げ回ってるなんて、アイツもなかなかやるじゃねーの」

自分の責任だと気を揉む手塚に、自分も同じことをしたと告げてやる。それで越前がどういう行動に出るか、分からないわけではない。

「特別に交際をしているわけではないようなんだが……まあなんとも思ってないということもないんだろうな」
「そういう女がいるなら、余計に心配ねえだろうが。自分の後輩、もう少し信用してやれ」

固く握られた拳に、手のひらを重ねてやる。逃げ回って、やられるだけの男ではない。それは、傍で見てきた自分たちならすぐに理解できることではないのか。

「信用……そうだな。越前なら、必ず無事に戻ってくると信じている」
「ああ、それでいいんだよ」
「……ありがとう、跡部」

そう言って、拳を覆ってやった手の甲にそっと口づけてくる。越前のことも心配だが、跡部にはこの男の方こそ心配だ。

「そろそろ出よう、跡部。どこか打てるコートでもあればいいんだが」
「……屋内でもよけりゃ手配するぜ? あの雨じゃ、まだ水がはけてねえだろ」
「頼む」

表情に目立つことはないにしても、手塚の声が嬉しそうで、跡部は肩を竦める。手塚と打ち合うのは跡部も好きだし、一緒にいる時間が多くなるのは純粋に嬉しい。
カフェの会計を済ませ店を出たところで、手塚が不意に振り向いてきた。

「跡部、さきほど言ったことは戯れではないからな」
「……アーン?」

さきほど? と小首を傾げ、店での会話を思い起こしてみる。けれどすぐには思い当たらなくて、答えを求めて手塚を見やった。
すいと左手を持ち上げられたかと思えば、手塚の唇が寄せられる。よりにもよって、薬指にだ。

「朝は、俺が起こしてやる」

言うだけ言って、手塚はくるりと体の向きを変える。跡部が手配した屋内コートの方向へと。

「何をしている跡部。早く行くぞ」
「……~~~~て、づかぁ……っ! テメーは毎度毎度、脈絡がねえんだよ!」

振り回されるこちらの身にもなれと言いながら後を追えば、俺を振り回しているのはお前の方だがなどと返ってくるのだ。
さきほどまで後輩を案じて沈んでいた男は一体どこへいったのやら。思いがけない気持ちを受け止めて、跡部は晴れ渡る青い空を赤い頬で見上げた。

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