五分間

この記事は約4分で読めます。

出口へと向かう途中、やけに騒がしいなと眉が寄る。
飛行機の発着アナウンスをはじめ、搭乗客や見送りの人々で、空港はわりといつでもざわついているものだ。しかし今日は、度を超しているように思えた。

「なんだか騒がしいですね、跡部社長」
「あぁ、大方どこだかのアーティストでも到着したんだろうよ。それよりこの後のスケジュールだ」

跡部の不機嫌を察知した秘書がそう声をかけてくる。顔に出てしまうとはまだ未熟だと、跡部はふいと顔を背けた。
にぎやかなのは嫌いではないが、考え事をするには少し煩わしい。早々に立ち去ろうと足を踏み出す。しかし騒ぎの原因も同じ方へ向かっているようで、徐々に近づいてくる。立ち止まってやり過ごした方が得策かと、歩調を緩めてその人だかりに視線を向けた。
マイクやカメラを向ける記者やそれらからかばうように歩く男がいるのを見るに、やはり著名人だろうと思われる。後ろには、ミーハーなファンたちが大勢ついてきていた。ファンサービスのひとつでもしてやればいいのにと肩を竦めつつ、騒ぎの中心にいる男を視界に認めた。

瞬間。
時が止まったかのような感覚を味わう。

なぜこの男がここにいるのか――それは視線の先の相手も同じ気持ちだったようで、互いの真ん中で視線が絡み合った。
数か月ぶりの邂逅だ。
視界が、彼以外すべてモノクロになったように見える。

「……手塚」

音になったかどうか分からない。同じように、彼の――手塚の唇が「跡部」という形をたどるのが見えた。
跡部は立ち止まり、手塚も立ち止まる。周りの人間が、不思議そうに手塚と跡部の二人を見比べる。傍についていた秘書も、不思議そうに「社長?」と呼んできた。

跡部はこくりと唾を飲み、口を開く。

「……五分だ。五分、待機しろ!」

視線を外さないままに命じた後で、示し合わせたわけでもないのに手塚と跡部は同じタイミングで同じ方向へと走り出した。

「跡部! 来い!」

伸ばされた手を取るのに、迷いはかけらもなかった。

どよめきと、黄色い悲鳴。フラッシュがたかれる感覚と、聞こえるシャッター音。そんなものは後でどうにでもできる。今はただ触れた手のひらの熱を感じていたいと、指を絡めた。
トップアスリートたちに追いつける者など、そこには存在していない。まるで逃避行のように、二人は人混みを駆け抜けた。

言葉を交わすより先に、唇を重ねた。人通りのない通路の陰で抱き合い、奪う。

「……っはあ、っふ……んん、んっ」
「ん、ぅ……は」

跡部の腕は手塚の首を強く抱き寄せ、手塚の腕は跡部の背をぐっと抱きしめる。
互いの耳にだけ届く絹擦れの音。混ざり合う唾液の音。離れた唇から漏れる吐息の音。離れた傍からまた奪い合った唇が、くぐもった声を奏でる。

どうしてこんなに長く離れていられたのだろう。
どうしてこんなにも、触れ合わずに過ごしていられたのだろう。

指に髪を絡ませ、頬を撫でる。ついばんで舌を吸い、歯を立てては指先で喉を愛撫した。目蓋を持ち上げれば至近距離で視線がぶつかり、安堵した吐息が相手の唇に覆われていく。
濃密なキスを何度も繰り返して、宥めるように相手の背中を撫でた。

「なんで……こんなとこいるんだよ」
「お前こそ……」

息を整えるために肩口に顔を埋め、互いの匂いを吸い込む。慣れきったはずの匂いなのに、いつだって充足感で満たされる。

「いつまでこっちにいるんだ」
「明日の夜、向こうに立つ」
「とんぼ返りじゃねーの」
「ああ。お前に逢えるとは思わなかった」

この空港で逢えたのは、本当に偶然だ。お互いのスケジュールなど把握していなかった。跡部はイギリスから一時帰国したに過ぎず、手塚もまた大会後アメリカからこちらへ来ただけのようだ。思いがけない邂逅が、責めたいほどに嬉しかった。

「夜は……時間あるのかよ」
「空ける。必ず」

鼻先を擦り合わせ、確認するように唇を触れ合わせる。〝空ける〟ということは、予定が入っているのを調整するということだ。
ともに過ごす時間は、お互いの努力がないと作ることができない。それを理解しあっているからこその言葉に、跡部は素直に感謝した。

「続きは夜だ」
「ああ」

そろそろ戻らないといけないと、名残惜しく感じながらも手塚の体を押しやる。時間が許せばこのままどこかに連れ去ってしまいたいけれど、そうもいかない。

「すまない跡部、言い忘れるところだった」
「アーン?」

秘書の待つ場所へ戻ろうと足を踏み出したとき、手塚に呼び止められて振り向く。

「誕生日おめでとう」
「――ああ、ありがとよ」

今日というこの日にここで逢えたことが何よりのプレゼントだ。
跡部はそのまま歩を進める。向こうに戻るまでにこの甘ったるい気分を静めておかなければと、触れ合った唇を指先でなぞりながら。

コメント

タイトルとURLをコピーしました