左手をつかんだあとに永遠のキス

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発行物詳細

2023/06/25 永遠の交響曲JB2023

【装丁】文庫サイズ/104P/R18/600円
【書店通販】フロマージュブックス様予定
【自家通販】BOOTH(https://hanaya0419.booth.pm/
【あらすじ】手塚の試合を観にきた跡部だが、優勝を手にした手塚に「話がしたい」と誘われて――?

せっかく6月の塚跡オンリーなので、プロポーズネタを。

 これからやることを指折り数えながら、どこへいくともなしに歩く。気がつけば、街並みを見下ろせる穴場のスポットにまで来てしまっていた。
「あぁ、すげえなこれは」
「こんなところがあったのか」
「お前も来たことなかったのか」
「練習ばかりで、なかなかこういう場所はな」
 隣で手塚が頷く。眼下に、優しい光を放つ街並みが広がる。大聖堂や橋のライトアップは特に美しく、目の保養をさせてもらった。
「式とかどうする? やるなら、アイツら呼びてえな。氷帝の連中。お前も青学のヤツら招待しろよ」
「ああ、そうできればいいな。あとは、選抜で世話になった人たちか……」
「広いとこ探さねえとな。新居どこにするかも……」
「一緒に住めるのか? それは嬉しい」
「別居婚じゃつまんねえだろ」
 お互い多忙な身だ、結婚して同居したからといっていつでも一緒にいられるということにはならないが、帰る場所が同じというのは嬉しい。山積みの問題を早いところ片付けて、新婚生活と行きたいものだ。
「ひとまずウィンブルドン終わったら家族に話しておく。そっちのご家族の都合がつけば、いつでも挨拶に行くぜ」
「分かった。そうなると、俺も少し大会のペースを考えないといけないな。やることがたくさんある」
 手塚も、できることをひとつひとつ考えているようで、指を折って数えている。試合をセーブさせてしまうのは申し訳ないが、自分たちだけで決めてしまっていいことではない。
 面倒だなと手塚の気が変わってしまわないか心配ではあったが、今のところその懸念は杞憂だったようだ。
「結婚、か……まだ現実味がねえな……」
「明日、指輪でも買うか?」
 無計画なプロポーズのおかげで、心構えも準備も何もできていない。分かりやすい約束の証しをと提案してくる手塚に、跡部はああと気がついて左手を持ち上げ、空っぽの薬指をじっと眺めた。
「ん? ああ、ここに合うヤツな。ひとまず婚約指輪か。形式張ったものでなくても、揃いで買おう」
「分かった」
 こくりと頷く手塚。もうすぐここが輝きで彩られるのかと思うと、嬉しくて仕方がない。幸福な気持ちで、跡部はその薬指に口づけた。
「そういや、なあ手塚、俺たちキスもして、…………ね、え」
 交際どころか告白さえすっ飛ばしてのプロポーズだった。するべきものを何もしていないなと改めて認識したら、手塚に手首をつかまれた。ぐっと引き寄せられ、さきほど自身で口づけた薬指に手塚の唇が当てられる。
 は、と息を吐いて、現実だということを認識する。
 顔を上げた手塚と視線が重なって、目蓋がゆっくり落ちていくのと同じ速度で距離が近づいていく。ややもせず触れた唇は、想像よりもずっと柔らかかった。
「…………外ですんなよ……」
「ああ、すまない」
 初めてのキスだ。
 優しいひかりを放つ夜の光景に包まれながらというのは非常にロマンチックだが、誰かに見られていたらどうするのだろう。どうもしないとでも返してきそうな手塚の満足そうな表情に跡部はむっと口を尖らせて、手塚がやったように今度は手塚の左手首を取って持ち上げた。
 空っぽの薬指に唇を寄せて、誓いのようなキスをする。
「目を閉じてろ」
 小さくそう言い放ち、手塚が素直に目を閉じてくれたのに若干驚きながらも跡部も目を伏せ、唇同士を出逢わせた。
 どこで誰が見ていようと、お互いが何も見ていなければどうでもいい。世界にたった二人きりのような感覚を味わいながら、初めての唇の感触を楽しんだ。
「跡部、結婚しよう」
「ああ、手塚」
 指を絡め合って、もう一度キスをする。
 問題は山積みだが、本当にこの男と結婚するのか。
 まだ、少しも実感が湧かない。ふうーと息を吐きながら肩に顔を埋めてもだ。
 思えばこの左肩が壊れたことがきっかけだったなと思い出す。もう二度と壊れないようにと祈るように頬をすり寄せたら、腰を抱く手塚の腕が力強くなったように感じた。
「跡部、先ほども言ったように俺はお前と共に過ごすことをさほど重要には思っていなかった。今までがそうだったからな」
「ん? ……まあそりゃ俺もそうだが。お前が世界のどこで何をしていようと、テニスでつながっていられると思ってた」
「だがそれは、知らなかったからなのだと思う。俺は今、お前の唇の感触を知ってしまった。もっと知りたいと思うのは、おかしなことではないだろう」
「……は…………?」
 跡部はゆっくりと体を起こし、その言葉が持つ意味を把握して、カッと頬を紅潮させてぐっと手塚の体を押しやった――つもりだったが、腰の腕はさらに力を強め、離れることができなかった。
「ちょっ、ま、待てお前っ、いきなりそれはっ……ていうかどっちがどっち……っ」
 唇以外の感触も知りたい――体の隙間をなくすように抱き寄せられれば、手塚が望むことはすぐに分かる。分かるが、思考がついていかない。男女のように、役割が明確に分かれているわけではないのが、跡部の混乱に拍車をかけていた。
「おま、え、俺のこと、どう、したいん、だよ」
「抱いてみたい。もっと言うなら、手で、指で、唇で、舌で、俺のすべてで乱れていくお前を見たい」
「なっ……ん、てめっ……てめーが俺に抱かれるって選択肢は!」
「あるわけないだろう」
 指先が腰を撫でて、手塚がどちら側でいたいのか分かったが、素直にはいそうですかと受け入れてやるのは悔しい。逆というものも考えてみろと言ってみたが、無駄だった。キングを自負する跡部よりも傲岸不遜で頑固なこの男は、テニス以外でも変わらない。
「跡部、駄目か?」
「……っ」
 駄目か? などと下手に出て訊ねているようでも、腰はがっちりと抱え込んでいる。駄目だなどと返せるわけもない。まだ口約束だけとは言え結婚の約束をしたのだし、肉体的な繫がりをもつのはおかしなことではない。そもそも恋い焦がれた男から誘われて断れるわけもなかった。
「駄目なら諦め――」
 跡部が答えを出す前に、予防線を張ったのか手塚が引こうとする。跡部は指先で唇に触れて、その言葉を止めた。
「手塚、お前の口から諦めるなんて言葉聞きたくねえ」
 いつだって手塚は諦めなかった。
 肩が壊れても肘がおかしな色になっても、勝利に執着してきたはずだ。その男の口から、諦めるなどという音がこぼれていいはずがない。
「お前の望むような反応できねーかもしれねーぞ。何しろ男に抱かれた経験はねえ」
「構わない。こちらも男を抱いた経験などないからな。初心者同士でいいだろう」
 まあそうだろうなとは思うが、真面目な顔をして言うものだから思わず笑いがこみ上げてくる。心の準備も、体の準備もできていない。だがもし失敗しても初心者同士なのだからという免罪符ができた。
「分かった。いいぜ手塚、俺がお前に抱かれてやるよ」
 そう言ってニッと口の端を上げてやれば、手塚が僅かにホッとしたような顔を見せる。
 きゅっと心臓が締めつけられるような感覚を味わい、交際0日の婚約者たちは夜のドイツを歩いた。

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