華家
-HANAYA-
好きなものを好きな時に
No.305
金色の曼珠沙華 2017.10.01
#シリーズ物 #ウェブ再録
背後でドアが閉まるのを確認して、ため息ひとつ。カポネは、左京へと戻った。「で、どんな仕事なんだ、ボ…
金色の曼珠沙華
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背後でドアが閉まるのを確認して、ため息ひとつ。カポネは、左京へと戻った。
「で、どんな仕事なんだ、ボス」
いつもより更に低い声音は、人に聞かれたらマズい内容だと分かっていて、ひそめているせいだろう。
ただそれは、役の上でのことのはず。
「……もういいだろう、兵頭。戻れ」
ここはレッスン室ではない。ましてや舞台の上でもカポネの私室でもない。ランスキーでいる理由はないというのに。
「仕事の話じゃないんですか?」
「兵頭」
「ヒョウ……? 次のターゲットか。殺しはあんまり好かねえが、命令なら――」
「いい加減にしろ兵頭! 戻れって言ってんだ!!」
左京は背後の男を振り返り、自分より大きなその体をドアに押しつけた。胸ぐらを掴んだその手を振り払われる前に、ほんの少し躊躇って――口唇を合わせる。
びく、と彼の体が強張ったのは、ダイレクトに伝わってきた。
触れるだけ。たったそれだけの行為に、こんなにも勇気がいるものだとは思っていなかった。
演技だと思えば、それも何でもないかもしれない。
だけどこれは、今だけは、演技であってはならないと、左京は左京のままで口唇を合わせた。
そうされた方の十座は体を硬直させて、まだランスキーなのかそうでないのか分からない。
左京は押しつけるだけだった口唇を離し、少し高い目線を見上げた。
「……兵頭」
焦点が合っていないような気がする。呼んでみても、いつものように視線が合わない。
役に入り込んでしまった人間を引き戻す方法なんて、誰も教えてくれなかった。稽古に入り浸っていた旧MANKAIカンパニーでも、そんな状態に陥る人間はいなかったのだ。
正気に戻させるには、一種の衝撃が必要だと思ったのだが、見当違いだっただろうか。
「兵頭、戻れ」
まさか役者の顔を殴るわけにもいかないし、ランスキー相手に自分の技が通用するとは思えない。万里の拳を防いだ時でさえ、反応が少しでも遅れていたら、まともに食らっていたというのに。
リミッターの外れた十代が、何をするかなんて、自分がいちばんよく分かっている。
「兵頭……!」
兵頭十座が誰かを傷つけてしまう前に、どうにか元に戻したいのに、どうすればいいのか分からない。
無駄に歳を食っていても、こんな時なんの役にも立たなくて、心の底から腹立たしい。
十座や万里の情熱が、自分に本気を出させた。一緒に演じていたいと思わせた。
これでは違う、「演じて」いるのではなくなってしまう。兵頭十座が、どこかへ行ってしまう。
左京は、「兵頭十座」が演じる「誰か」と一緒に舞台に立ちたいのだ。
「兵頭十座ァ!」
日常生活でまで、カポネとしてランスキーに接したいわけではない。兵頭十座に、古市左京として接していたいのだ。
稽古で、エチュードで、舞台で、違う誰かになる――それが「演じる」ということだ。
そう思って名を呼ぶのに、固まったまま何も発してこない。左京は項垂れて、十座の肩に額を預けた。
「戻らねぇのかよ、これでもっ……」
絞り出すように呟き、駄目元でもう一度口唇でも合わせてみようかと思ったその、瞬間。
「さ、きょう、さ……あの、ど、どういう状況っ……すか、これ」
「――は?」
震える声が頭の上から降ってくる。左京は顔を上げ、そこに顔を真っ赤にした兵頭十座を見つけた。
「兵、頭?」
「あの、と、とりあえず、離れて、もらえねぇか……」
十座は口許を覆い、そのせいで声はくぐもるけれど、聞き取れない距離ではない。その口調は間違いなく兵頭十座のもので、初めて恋をした相手との接近に、どぎまぎしているだけの男だった。
「戻っ……た、のか?」
「あ? 戻ったって、なんすか? それよりアンタ、なんでこんなっ……キ、キス、なんか……!」
ぐいと肩を押しやってくる十座の言葉に、左京は目を瞠る。
十座は今、キスという単語を口にした。
ランスキーだった瞬間のはずなのに、それを知っているのだとしたら、どの時点からかはともかく、祈るように何度も名を呼んだ時には、すでに十座だったことになる。
カアッと全身の熱が上がったような気がした。
「――てめぇ! 戻ってんなら戻ってるって言え、この馬鹿! 黙ってされるがままになりやがって!」
「アンタにキスなんかされて、硬直しねえわけねえだろうが! どういう状況なんだ!」
ガッと再度胸ぐらを掴んで責めてみるも、十座からは開き直った正論が返される。
硬直していたのは放心状態だったのかと気がついて、左京は途端にとてつもない羞恥に襲われた。十座の状態に気づかずに、元に戻ってくれと懇願したことも、彼ははっきり覚えているのだろう。
左京は片手で顔を覆い、赤くなったそれを見られないようにと、十座の傍を離れる。
「左京さ――」
「待て、ちょっと待て、今、頭ん中整理する……できれば忘れてろ」
「いや、無理っす……つか、アンタとふたりっきりってこの状況が、俺にはマズイんで……できれば、部屋、戻りたいんだが」
「あ? マズイって、な……に、……!」
十座の言葉が意味するところに気がついて、左京はボッと顔を赤らめた。恋情には劣情が伴うもので、それは理解していたが、改めて言われると身構えてしまうのも事実。
「だから左京さん、そこ、どいてくれ。さ、っきの、キ、キスのことは、アンタのひどい気まぐれだと思って、おくんで」
十座がふいと顔を背ける。
やはりランスキーが抜けなかったことは覚えていないのか、記憶がすっ飛んでいるようだった。
それならそれで、今忠告しておかないといけない。左京はドアにもたれて、十座の提案を行動で却下してみせた。
「ハ、俺のキスで正気に戻っておきながら、気まぐれなんて言われちゃたまんねぇな」
「正気……? なんのことすか」
「お前、今日のことどこまで覚えてる? 今日お前が、兵頭十座として何をしていたか、思い出せるか?」
十座の目が数度瞬かれる。
泳ぐ視線と、傾げられる首は、左京の問いに否定を返していた。
「えっと……朝、左京さんとレッスン室で逢って……それから……」
「覚えてねぇんだろ。ずっとランスキーとして過ごしてたみてぇだからな」
「……え?」
「お前はついさっきまで、兵頭十座じゃなくランスキーだったってことだよ。役が抜けなかったんだろう」
「あ……」
十座は目を瞠って、心当たりがあるとでも言うように口許を押さえる。だんだんと表情が曇っていくのが見て取れて、左京も眉間にしわを刻んだ。
「……俺のせいか」
静かにそう呟くと、十座の肩がびくりと揺れる。それが否定なのか肯定なのか、言葉にはされなかったけれど。
「俺があの時、演じてるお前のことは信用してるって言ったから、意図的にランスキーになってたのか」
「…………違うって言ったら、たぶん嘘になるんすけど、それだけじゃ……なかったと、思う」
「どういうことだ」
「アンタを、困らせたくなかった。今でも、困らせたくねえ」
左京は、十座の一言一句を聞き逃すまいと、ゆっくり瞬く。困らせたくないという感情は理解できる。できるが、それがどうして、ランスキーになることにつながっていくのか。
「俺のままじゃ、アンタが好きだって気持ちを抑えられねえんだ。うっかり手ぇ出しちまうかもしれねーし、アンタは迷惑だって言ったから、俺は……それじゃ駄目だと」
愕然とした。
まさかそんなに重く捉えていたなんて。
(こんな……に、か……)
誰かにならないと抑えきれないほどの感情が、自分に向けられているなんて。
我を通すよりも、押さえ込む方が重要になってしまうほどの想いなんて、慣れていない。恐らく、初めてそこまでの感情をもらった。
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