華家
-HANAYA-
好きなものを好きな時に
No.296
金色の曼珠沙華 2017.10.01
#シリーズ物 #ウェブ再録
「おーい、何度目だぁ~?」 相手役である万里が、呆れ八割と怒り二割で振り向いてくる。こう何度も詰まっ…
金色の曼珠沙華
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「おーい、何度目だぁ~?」
相手役である万里が、呆れ八割と怒り二割で振り向いてくる。こう何度も詰まってしまっていては、万里がそうするのも仕方がない。十座はぐしゃりと髪をかき混ぜて、小さく息を吐き出した。
「悪い摂津……もう一回頼む」
「…………ンだよ、気色悪い」
十座は素直に謝って、稽古の続行を促した。
万里とはケンカばかり繰り返してきたが、今回ばかりは自分に非があるだろう。補習だと嘘をついて稽古に出なかった挙げ句、こんな状態では稽古になっていない。
先ほど隅の方からも、十座サン調子悪そうッスね~、そうだなあ……なんて心配そうな声が聞こえてきた。
(集中しねぇと……)
臣や太一に気づかれているということは、当然左京なんかはとっくに気がついているのだろう、と気持ちを切り替えようとしたその時――。
「摂津、退いてろ!」
左京の怒鳴り声が耳に入った。それとほぼ同時に、隣にいた万里が左京の方を振り向く。
「はぁ? うわっ、なっ、おい!」
万里が声を上げるのと同じタイミングで飛び退く。
バシャリ。
十座は息を飲んだ。痛いと思う方が先で、冷たいと思ったのはそのすぐ後。
「……っ」
水だ、と認識したのは、髪からしたたり落ちる雫が冷たかったから。
受けた衝撃をやり過ごして目を開ければ、青ざめた顔の太一や、目を見開いて驚く臣、何が起きたのか把握しきれずに、呆気にとられながら見つめてくる万里。
そして、怒りを隠しもせずに睨みつけてくる左京が見えた。
ガゴンガゴンと、左京が放り投げたバケツが床にぶつかって、乱暴な音を立てる。あれに入っていた水をぶちまけられたのかと、そこでゆっくりと認識した。
「な、……にしてんだ、アンタ」
「左京さん、いくらなんでもこれは」
「ホントにやるとは思ってなかったッスよ左京にぃ~」
稽古中、まさに水を差した形の左京を、三人が責める。
だけど十座には、左京の怒りの理由が分かるから、責めることはできない。自分が左京の立場だったら、拳に物を言わせていただろうなとさえ思うのだ。
太一の動揺と、臣の戸惑いと、万里の不審。それを全部足した以上の怒りが、まっすぐに向かってくる。
「兵頭……てめぇ、昨日俺が言ったこと忘れたわけじゃねぇよな。あァ?」
十数センチの距離を開けて、左京が十座の目の前で立ち止まった。それを受けて、十座はあれ以降ようやく、左京をまっすぐに見つめ返した。
「……っす」
――演じてるお前のことは、信用してる――
もとより左京の言葉を聞き逃すはずもない。一言一句、覚えている。
左京の戸惑い、拒絶、何もかも。
「芝居に集中できねえなら、色恋にうつつ抜かしてんじゃねぇ!!」
ひゅ、と息を飲んだ。それとほぼ時を同じくして、三人の驚く声。
「は、え、いろこ……色恋って、マジかお前」
「十座、お前……」
「えええええマジッスかああああ十座サン……っ」
縁がないと思っていた、とでも言わんばかりの、万里の視線。
大人になったなと言いたげな、臣の穏やかな口許。
恋という単語に、異様に興味を示す太一の赤い顔。
できれば知られたくなかった。特に、いつもケンカばかりしている万里には。きっと笑われるに決まっている。
恋なんてどうにでもなんだろ。そう言われそうで怖い。
万里ならどうにでもなるかもしれないが、こちらはどうにもならないのだ。
「左京さん……」
好きになってしまったことを後悔はしていないが、こんなところで言わなくてもいいだろうと、初めて左京を責めたい。
怒るのなら、突っぱねるのなら、自分だけの時にしてほしい。
これからどう接していけばいいのだろう。恋も、失恋も、初めて味わったせいで分からない。こんな時周りは、放っておいてくれるのか、くれないものなのか。
だが恋をしているという事実は知られてしまっても、まだ相手が左京だということは知られていないのだ。どうにでもごまかしてしまえる、と口唇を引き結んだ矢先。
責め合うための視線が、空中で絡み合った。
「左――」
「俺を好きだなんだとほざくヒマがあるなら、殺陣の一つや二つこなしてろ!!」
「左京さん!!」
十座は思わず叫んでいた。
どうして。どうして今、ここで、それを言わなければならないのか。
頭のいい左京なら、それがどんな影響を及ぼすかくらい分かりそうなものなのに。
それとも、そんなことに考えが及ばないくらいに、怒っているのだろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
知られてしまった。恋の相手が左京だということが。
男が、男になんて――普通じゃない。
いったい何を言われるか分かったもんじゃない。弁解しておかなければ、秋組の崩壊につながるかもしれない。それだけは避けたい。
避けたいのに、口唇が動いてくれない。
違うんだ、左京さんの思い違いで、昨日のことは、ほんの冗談で――ただそう言えばすむだけのことだ。
左京に思いきり殴られて、驚かすなと臣や太一に心配されて、アホかよと万里に笑われて、それで終わるはずだ。
なのに、歯がぶつかってカタカタと音を立てるだけで、言葉はひとつも出てきてくれない。
嘘じゃない。嘘にしたくない。冗談だなんて、言いたくない。
(好きになってくれなんて言ってねえだろ、左京さん。アンタを好きな俺のことを、見ててほしかっただけだ、アンタはそれさえ許してくれねぇのか……っ!)
十座は口唇を強く噛む。そうしていないと、左京を困らせる言葉だけが出てきそうだったからだ。
「あ、の……それは、左京さんの芝居に惚れてるって意味じゃあ、ないんですか。あるでしょ、そういうの」
「そっ、そうッスよ、俺っちだって左京にぃのガラの悪い……あわわわ凄みのある演技好きッスよ~」
「演技に惚れてるってだけじゃ、キスなんかしてこねぇだろうが。……気色悪い」
「えっ」
「え……」
「……えぇ!?」
さあっと血の気が引いていった。
三人の驚愕と、突き刺さる視線が痛い。けれど、それとは比較にならないくらい、体が冷たくなっていくようだった。
いったい、どれだけさらけ出されればいいのだろう、この、初めての恋は。
左京がそこまで暴露するとは思っていなかったが、もう何をどう弁明しても無駄だろうことは分かった。
拒絶され、信じてももらえず、仲間にこんな形で知らされるなんて――そこまで思って、十座はあることに気がつく。左京が、昨日と違って十座の気持ちを否定していないことに。
色恋にうつつを抜かすな、好きだなんだとほざくヒマがあるなら、演技に惚れてるってだけでキスなんか――拒絶に変わりはないけれど、一度も否定をしていない。
ざわりと肌があわ立った。
これは紛れもない、歓喜だ。
(ああ、馬鹿みてぇだな、俺は、たったそれだけで……)
左京に、どんな心境の変化があったのか分からない。だけど、否定をしないでいてくれる。それだけで、何もかもが帳消しになったかのような感覚に襲われた。
そんな風に感じて、俯く十座を見つめる万里の視線は、やがて左京へと向かっていく。
「おいオッサン、てめーにはデリカシーってもんはねぇのかよ。他人の前で言うこっちゃねぇだろ。そういうことはてめーら二人でカタぁつけろや」
怒りにか、左京の胸ぐらを引き掴み、全力で睨みつける万里。十座がハッとして顔を上げた時には、その手を振り払う左京がそこにいた。
「ヤクザ相手にメンチ切るたぁ、いい度胸じゃねーか、摂津。……ガキが生意気言ってんじゃねぇ!」
「んだとてめっ……」
「万里!」
「万チャン!」
手を振り払われた万里は、ケンカ慣れしているせいなのか、反撃に出る。
止めようと万里の名を呼ぶ臣と太一がいたが、そんなもので止まる勢いではなかった。
だが万里の反撃は、左京の膝によって軌道を逸らされ、万里を驚かせることになる。
そして十座は、左京のその涼しい顔に見惚れてしまっていた。
止めなければと思った一瞬あとに、負けず嫌いの万里の拳が握り直される。
「はっ、そういやアンタ、現役ガチだったっけ。マジで相当修羅場くぐってきたんだろ、――なァ!」
万里の拳が左京の顔に向かっていく。なぜ万里がそんなに怒っているのか理解ができないが、十座はとっさに足を踏み出した。
「やめろ摂津!」
パシリとその拳を手のひらで受け止めて、左京を庇う。
万里が目を見開いたのを、至近距離で確認した。
「な……」
「やめろ。役者の顔をなんだと思ってやがんだ」
「はあぁ~? おいあのなあ、俺はてめーのっ……」
万里の言葉が半端なところで途切れる。それを不思議には思ったけれど、十座は万里の手を下ろさせ、左京に向き直った。
「……すんませんっした、左京さん」
そう言って頭を垂れる。
礼を期待したわけではないし、そんなものもらったら困るところだった。
今、左京を万里の拳から庇ったのは、左京を守ったわけではない。左京なら上手く避けるだろうと思った。
それでもあれ以上繰り広げられる喧嘩で、左京に見惚れていたくなかった。
「…………金輪際、ふざけたこと抜かすんじゃねーぞ」
「……っす」
左京を今以上に好きになりたくない。なれない。左京が困ることが、今回の件で充分に分かったからだ。
ほうっと息を吐いた時、やってられっか、と小さく呟いて万里がレッスン室のドアへと向かっていく。それに気がついた臣が、慌てて声をかけた。
「あっ、おい万里、どこ行くんだ」
「こんなんで稽古になんかなるわけねーだろ、やってられっか!」
「万チャン!」
「おいオッサン! ガキだってなあ、マジな恋くれーしてんだよ!」
ドアのところで振り向いた万里は、左京を指さしてそう叫ぶ。そうして乱暴にドアを開け、出ていってしまった。
十座は力なく笑う。
まさかいちばん言われたかった言葉を、万里に言われるなんて。
ガキだって、真剣に恋をしている。
どれだけ望みがなくても、どれだけ拒絶されようと、これは恋だと胸を張って言える。
(まさか、てめーがなぁ、摂津……)
相容れない相手だと思っていたその男が、誰よりも先に許してくれた。万里にそのつもりがなくても、今、十座が救われたのは事実だ。
そんな十座の横で、息を吐く男がひとり。
「……摂津の言う通り、今日は稽古にならねーだろ。リーダーが抜けた上に、腑抜けたままのガキがいるんじゃな。休ませてもらうぞ。……なんだ伏見、なんか言いたそうな顔だな」
「……いえ……おやすみなさい、左京さん」
そうして左京までもが、稽古にならないとレッスン室を出ていってしまう。
取り残されたのは、どうしよう臣クンとおろおろする太一と、眉間にしわを寄せてため息を吐く臣と、びしょ濡れのままの十座。
「太一、俺はここ片付けておくから、十座と一緒に風呂行ってこい。あのままじゃ風邪を引くかもしれないからな」
「えっ、あっ、そ、そうだよね、十座サン濡れたまんま……大変ッす!」
そんな会話の後、ぱたぱたと太一が十座に駆け寄ってくる。それはまるで、散歩に行こうと飼い主にしっぽを振って寄ってくる、ワンコのような仕草だった。
「十座サン、お風呂。お風呂行きましょ! 風邪引いちゃうッスよ~」
「あ、臣さん、俺がやるんで……」
「いいから、お前は風呂だ。大事な秋組のメンツなんだからな、風邪なんか引いてくれるなよ。まあ……いろいろあるだろうが、愚痴くらいならいつでも聞くから」
元気出せ、と臣は十座の背中をぽんぽん叩いてくれる。左京とのことを言っているのだろうと簡単に推察できて、十座は俯く。左京を困らせたどころか、臣や太一にまで気を遣わせてしまっている。
やっぱりこの恋は、ここで終わらせてしまわないといけないと目を伏せた。
「……っす」
十座は臣にぺこりと頭を下げ、厚意に甘え、冷えた体を温めてこようと、太一とともに浴場へと向かった。
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