No.286

(対象画像がありません)

金色の曼珠沙華-003-

金色の曼珠沙華 2017.10.01

#シリーズ物 #ウェブ再録

 早起きをするのは、苦手でもないが好きでもない。授業で体育があった日の翌日だけは、どうしても早く起き…

金色の曼珠沙華

金色の曼珠沙華-003-



 早起きをするのは、苦手でもないが好きでもない。授業で体育があった日の翌日だけは、どうしても早く起きられないが、それ以外の時なら、こうして目覚ましより早く起きている。
 眠りが浅かったというのもあるだろうが、まだ陽の昇りきっていない朝靄を眺めるのは悪くない。
 十座は、いつものようにランニングをしてこようと、玄関のドアを開けた。
「うわっ」
 その向こう側から、小さな声。十座は驚いて目を瞠った。ドアの向こうに、左京の姿。後少しタイミングがずれていたら、ドアがぶつかっていただろう位置だ。
「さ、左京さん? 悪い……いるとは思ってなくて」
「いや、俺もまさか開くとは思っていなかったからな。すまない」
 朝から左京の顔が見られた、と、十座は小さく胸を鳴らす。
 早起きは三文の得だと言うが本当だなと、思わず緩んでしまう口許を押さえた。
 しかしそこで、あれ、と思う。なぜこんな時間に外にいたのだろうかと。
 左京が、早朝にトレーニングをしているところなど、見たことがない。てめーら体力馬鹿どもと一緒にするなと、稽古中に言っていたのを思い起こせば、秘密の特訓というわけでもないだろう。
「なんだ、こんな時間からトレーニングか?」
「……っす」
 だがよく見てみれば、左京の顔に疲れが見える。ような気がする。十座は中への道を空けつつも、すれ違う左京の顔色を窺った。
「そうか。熱心なのもいいが、あんまり無茶するなよ。オーバーワークって言葉くらい知ってんだろ」
「左京さん」
 ぽん、と背中を叩いていく左京の腕を掴んでしまったのは、とっさだったと想う。
「兵頭?」
「それ、そっくりそのまま返す。アンタまさか、今まで仕事してたんすか」
 振り向いた左京の顔色は、やはり良くない。人間が本来睡眠している時間にまで仕事をして、平気なわけがないのだ。その時は大丈夫でも、疲労は必ず蓄積していく。
 もしかしたら、今日だけではないのかもしれない。
「組で接待が入ってたんだ。仕方ねぇだろうが」
 左京は気づかれたことに眉を寄せ、せっかく掴んだ腕を振り払ってくる。不愉快そうなその声に、十座の方こそ眉間にしわを寄せた。
「アンタらの世界の常識ってヤツは分からねぇが、こんな時間にしか帰ってこられねぇようなとこなのか? そんなに大事な相手だったんすか」
 左京の職業は、ヤクザだ。特に違法性が強いことをやっているわけではないと聞いてはいるものの、その世界の具体的な事項は分からない。
 稽古の前後で仕事にでかけ、朝まで帰ってこられないなんて、相当体に負担をかけているのではないだろうか。
 特に、左京や十座の所属する秋組は、アクション色が強い。今だって殺陣の稽古を強化しているところだ。
「ボスが帰らねぇのに、俺が帰れるわけねーだろ。オトナの世界にはいろいろあるんだよ、ガキ」
 呆れたため息を隠しもせずに、左京は睨みつけてくる。十座は接待とやらを経験したこともないし、ボスとやらの立場に相当する相手がいたこともない。畏怖され、いつだって独りだったのだ。
 だから左京の言うことは、理屈で理解できても体験として納得ができない。世界の違いもあるし、年齢の差だってある。
 ぞわり、と肌があわ立った。
 手を伸ばせば届く位置にいるのに、十座にとって左京はとてつもなく遠い存在だ。
 住んでいる世界が違う。
 年齢が一回りも違う。
 ガキ、と音にされたその言葉で、初めて実感してしまった。
(なんで……どうしてアンタなんだ、左京さん)
 ズキズキと心臓が痛む。ストレッチのような、気持ちのいい痛みではない。クイで打ち付けられるような物理的な痛みでもない。
 どうすればこの痛みが消えていってくれるのか、十座には分からなかった。
「確かに……俺はガキっすけど、左京さんを心配したら駄目なんすか」
「てめーに心配される謂われはねぇ。仮眠したら稽古に出るが、少し遅れるかもしれん。摂津に言っとけ」
 煩わしいとでも言わんばかりに、左京は再び背を向けてしまう。十座は腹の底から苛立って、トレーニングシューズを脱いで左京を追いかけ、追い越した。
「今日の朝稽古はナシだ。摂津に言ってくる」
「あァ? 兵頭てめぇ、今俺が言ったこと聞いてなかったのか」
「聞いてたからだ。無茶なことしてんのはアンタの方だろ左京さん。若くねぇんだから、休め」
 先ほど左京に言われた「ガキ」という単語に反発するように、十座は語気を強めて言った。
 そうやって仕返しをしてしまうところが、曰く、ガキなのだろうけど、左京を心配する想いに、ガキもオトナもない。
「お前な……。旗揚げが成功したからって、気ぃ抜けねぇだろうが。それにはやはり日頃の――」
「左京さん。怒るぞ」
 長いうんちくが始まる前に、十座は左京を振り向いて、正面から言葉を投げつけた。
「日頃の稽古が大事だっていう、アンタの言い分はよく分かる。だけど俺には……俺たちには、アンタは大事なひとなんだ。無理をしてほしくない」
 うっかり「俺には」と限定しそうになって、言いよどむ。
 秋組は、誰が欠けてもいけない。リーダーである摂津万里はもちろんのこと、ムードメーカーである七尾太一、過ぎるほどの気配りで場をまとめる伏見臣、年長者としてアドバイスをする古市左京。
 そこに、半端ないほどの情熱を持って芝居に挑む兵頭十座が加わるのだが、十座自身はそれを自覚していない。それはともかく、劇団に左京は必要な人材だ。
 それを隠れ蓑にして、一個人としても左京を必要としていることを丸め込む。
「頼むから、朝は休んでてくれ。他のヤツらだって、そう言うに決まってる」
 無茶をして、万が一にでも倒れたりしたら、気が気ではない。どうしてもっと強く止めなかったのかと、自身を責める事態に陥るだろう。
 この恋が叶わないのは仕方ないが、だからこそその分、古市左京というひとを大切にしたいのだ。
 十座のそんな真剣さに驚いたのか呆れたのか、左京がぱちぱちと目を瞬く。そうして、ふっと噴き出した。
「ふっ……は、ははっ……くくく」
「左京さん? ……なに笑ってんすか。俺は真剣にアンタを心配して――」
「いや、すまねぇ、馬鹿にしたわけじゃなくてな。ハハッ……っふ、ヤクザ相手に、【怒るぞ】ってなぁ……なかなか言えねぇもんだぜ」
 左京は、どうしても笑いが漏れてしまう口許を押さえながら、噴いてしまった理由を告げてくる。
 悪意があって笑ったわけではないのだと安心して、十座は目を瞬いた。
「左京さん、俺……アンタがそういうのだってときどき思い出す。アンタを、そういう意味で怖いとは思ってないっす」
 左京の、ヤクザとしての仕事ぶりを見ていないせいもあるのか、どうしても結びつかない。
 反社会的な団体への恐怖は、稽古中に怒られるのが怖いという現象とは、まったく違うカテゴリの怖さだ。だがそれを左京に感じたことがない。
「だから俺は、ヤクザのアンタに怒りたいんじゃない。秋組のメンバーとして、だ、大事な相手に、無茶をしてほしくないって言ってるんす」
「兵頭……」
 気持ちを言葉にするのは不得手だ。生来の不器用さに加えて、言葉というものを知らない。……いや、伝える術を知らない。今まで、この強面のおかげで、言葉を伝える前に拳が飛んできた。
 どう言えば、左京に伝わるのか分からない。
「左京さん、頼む」
 分からないなりに、ストレートに伝えてみた。
「…………分かった……」
 頷くまでは通さないとばかりに、左京の前に立ちはだかり、十座はついにその言葉を引き出すことができた。
 左京は気まずそうに顔を背け、ため息を吐く。不服そうではあるものの、願いを聞き入れてもらえて十座はホッと顔の筋肉を緩めた。
「悪い、そうやって心配されること、あんまりなかったから……」
「え、でも……迫田さんとか」
「アイツはうるせぇ。というか、迫田に本気で心配させるようなことはしてねぇはずだ。お前が大袈裟なんだよ」
「そんな顔色してよく言えるなアンタ……ちゃんと睡眠取ってんすか?」
 十座の問いかけに、ぐ、と言葉につまる左京。その様子では、ろくな睡眠も取っていないのだろう。
 ヤクザというものはそんなに忙しいものなのか。その世界を知らないことが、こんなにももどかしいと思ったのは初めてだ。
「……ヤクザにガンつけてんじゃねぇ。分かった、ちゃんと寝るから」
「本当っすか」
「信用ねーな」
「信用してないわけじゃない。心配なだけだ。アンタが寝るの見てからじゃねぇと、落ち着いてランニングにも行けやしねぇ」
「ハ、なんだ、子守歌でも歌ってくれんのか」
「寝付きが悪くなるだけだと思うが」
 心配しているということを、あまり真剣に受け取ってくれない。そんな左京に、若干のいら立ちを覚えながらも、冗談が言えるうちはまだ大丈夫なのかと、横をすり抜けていく左京の横顔を見送る。
 こんな時「劇団仲間」でなく、友人だったり恋人だったりしたら、引きずって部屋に放り込んで、眠るまで見届けていられるのに。
「左京さん、あの、本当に……体、大事にしてくれ」
 今の自分では、そう願うことが精一杯だ。
「分かった分かった、ランニング、気をつけていけよ」
「……っす」
 振り向かないままで、ひらひらと手を振ってくれる左京の背中をじっと眺め、これ以上は踏み込めないなと踵を返し、当初の目的を果たすことにした。

#シリーズ物 #ウェブ再録