- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.423, No.422, No.421, No.420, No.419, No.418, No.417[7件]
もうすぐ
もうすぐだ。
もうすぐ。ホントもうすぐ。どうしようソワソワしてきた。
俺、茅ヶ崎至は、休日だというのにゲームもせずにソファの上で寝っ転がって、あっちを向いたりこっちを向いたり、別の意味で忙しい。頭も、心もだ。
そんで何が忙しいかっていうと、落ち着くために忙しいんだよね。正直意味が分からんて思うでしょ、俺だって意味が分からん。けど落ち着こうと思えば思うほど焦って、ドキドキして、ソワソワして、何も手につかない。こんなんでゲームしたっていい結果なんか出せるわけない。
ゲーム仲間の万里にも「今日は潜んねーんすか」って言われたけど、潜れるわけねーわこんな状態で。
今日はちょっと心が忙しいって返したら、「千景さん絡み?」ってニヤニヤされた。覚えてろあの野郎。
そうなんだよ、今日ず――――っとソワソワしてんのは、ノーロマン先輩こと千景さんのせい。
部署は違うけど職場の先輩で、春組の仲間で、ルームメイトで、元セフレで今は恋人の卯木千景さん。
は~待って待って、何でこうなった。
最初はさあ、顔がいいなってだけだったんだよ。いつの間にか好きになってて、えっちなこともして、しんどいなあって思い始めたころになんでか恋人になれた。
ちゃんとお付き合いを始めてからまだ数か月。浮かれ気分最高潮って感じ。
そんなところに、先輩の誕生日なんてあってみろ、ソワソワするだろ! どうやってお祝いしよう、何をプレゼントしよう、先輩の予定空いてるかな、なんで寄りによって平日なんだよ、とか。いろいろ考えるわけで。
去年も劇団のみんなでお祝いはしたけど、今年は意味合いが違う。こ、恋人(!)として祝いたい。
でも結局いい案なんか浮かばなかった。プレゼントも買えてない。
先輩は正直イケメンハイスペック過ぎて困る。さらにチートスキルいっぱい持ってて、何をプレゼントしても不釣り合いな気がしてしまうんだ。
スパイスのことなんか分からないし、激辛料理にも付き合えないし、そもそも物に執着しないみたいだし。なにこの部屋。先輩の物少なすぎ。
首にリボンでも巻いてラブホ行けばって万里に言われたけど、そういうんじゃいつもと変わんねーし。そもそもなんでアイツは俺と先輩のこと知ってんだクソが。
付き合って初めての誕生日……ちょっと特別なコトはしてみたいけど、当日はなぁ……みんなでお祝いのパーティーするだろうし。仕事ってごまかすのも悪いし、バレんのヤダ。
だからって、諦めたわけじゃない。
ちゃんとお祝いしたい。みんなのサプライズがバレないように。難しいわ馬鹿。
そんなわけで頭がとっても忙しい。
「ただいま」
そんな時、お出かけしていた先輩が帰ってくる。俺はソファの上に体を起こし、先輩を出迎えた。できるだけ自然に、ソワソワがバレないように。
「おかえりなさい。スパイス買えました?」
「ああ、今日入荷だって聞いたから、ちゃんとあったよ。他にも美味しそうなのがあってね」
先輩は無類のスパイス好きだ。今日のお出かけもそれ。……一緒に行けばよかったな。デートっぽい。
いや、でも俺にもプレゼント考える大事なお仕事がありましたからね。先輩と歩くと、それどころじゃなくなるから。
すれ違う女どもが先輩のこと振り返ってくの、気分はいいんだけど嫉妬もするし。会社でだってしてんのに。先輩の傍にはナイスバディのブロンド美人(社員です)がいたり、アジアンビューティーなおねーさん(社員です)がいたりするんだよ。先輩は女苦手って分かってても、嫉妬はするだろ。アイツら出し抜いて牽制する意味でも、ちゃんとお祝いしたいんだよ。
プレゼント、決まってないけど。
やっぱえっちなことの方がいいのかな。いつもしないことしてみたりとか。くっそ、平日じゃなきゃそれ一択だったのに!
先輩、金曜まで待ってくれるかなぁ……おめでとう言うのと、プレゼント渡すの、別でも平気? 正直お付き合いってのしたことないから、よく分からないんだよね。アリなのかナシなのか。
「茅ヶ崎、はいおみやげ」
「え?」
先輩が鞄から冷えたビールならぬ冷えたコーラを出して、俺の頬に当ててくる。ひんやりとした感触は、俺のほっぺたが熱いから余計に冷たく感じられた。
「飲みたい頃かなって思ってね。いらなかった?」
「いっ、いえ、欲しかったです! ありがとございます……」
は~なんだこのダーリンみ~! このタイミングで俺がプレゼントもらってどうすんだっつーの。
ああ、もう、ホント好き……それしか言えない。
今日はほんとに忙しい。頭も、心も。
「あ、あの、先輩。今日は配信とか予定してないので、ここいてもいいですよ」
いてもいいですよじゃねえだろ馬鹿~~! いてくださいって言えなかった……なんで素直になれないんだ、俺は。
「そうなの? じゃあそうしようかな。ちょっと飲み物入れてくるよ」
んんん先輩ありがとう、これで一緒にいられる……! バレてるかな、バレてませんように。
だってホントもうすぐなんだ。ちゃんと言えますように。
先輩の誕生日まで、あと三時間。
#両想い #ラブラブ #千至 #誕生日
幸せの数え方
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
背中の両サイドに四つずつ、赤いライン。指先が、そのラインをゆっくりとなぞる。申し訳なさそうに戸惑う指先がくすぐったい。ひりつく痛みを和らげるようでも、広げていくようでもあるその指先が、どうしようもなく愛しい。
「先輩……ごめんなさい、傷」
こてん、と恋人の額が背中にぶつかってくる。彼のふわふわした髪は汗で少し濡れていて、先がつんつんと傷に当たる。そんな痛がゆささえ気持ちがいいなんてマゾっぽいことを考えて、俺は振り向いて口の端を上げた。
「別に構わないけどね」
「いや、でも痛そう。ほんとすみません、俺、あの、気持ちよくて、夢中で……」
うん、何を言ってるか自覚してないんだろうな、茅ヶ崎は。夢中になるほど気持ちよくて、俺の背中にしがみついてきてくれたこと、嬉しいだけなんだけど。
「茅ヶ崎をそこまで夢中にさせられた証しってことかな。すごくよさそうだったな」
「バッ……そういうこと言ってんじゃないですよ!」
「じゃあどういうこと?」
う、と顔を真っ赤にして体を離す茅ヶ崎が、可愛くて仕方がない。こいつにつけられる傷なんて、傷のうちにも入らないのに、俺を気遣ってくれる茅ヶ崎が、本当に愛しい。
茅ヶ崎の爪痕は、俺にしてみたら幸せの証しなんだ。
髪を撫でて、抱き込むように頬に口づける。俺のそんな余裕が気に入らないのか、茅ヶ崎は口を尖らせて眉を寄せるんだ。余裕じゃなくて愛情だって、早く気づいてくれないか?
そうして茅ヶ崎は、何を思ったのか背中の傷跡に再度指を滑らせ、身を寄せて口づけてきた。濡れた舌の感触を覚えて、いったん収まった火がまたついてしまう。
「こら、茅ヶ崎」
責任を取れるのかと諫めたつもりだったが、茅ヶ崎の舌はついた爪の痕を癒やすように舐め上げる。くすぐったさと、痛みと、熱と、それを全部覆い尽くすほどの愛しさが広がっていった。
「つけた俺が言うのもあれですけど、早く治りますように。先輩の背中につくのは俺のキスマークだけでいいんですよ」
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。背中の両サイドについた傷ぜんぶに、祈りをこめて口づけてくれた恋人を、これからどうやって幸せにしてやろう。
抱きしめる他に方法が思いつかなくて、俺は情けなさに天井を仰いだ。
#両想い #ラブラブ #千至
2.22に祝福のキスを
カクテルキッスシリーズの挿話
「厄日だ……」
至は、ソファの上で屍のように体を横たえた。悪態をつく気力すらない。
「またガチャ爆死したのか?」
床に腰を落としてソファに背をもたれかけていた千景は、愛機のモニターから顔を上げてそんな至を振り向いた。その視線の先には、嘆き悲しんでソファに突っ伏した一人の男。手にはスマホが握られており、状況は聞くまでもなかったが。
「音にしないでください、突き刺さる……」
「咲也に頼めばいいのに」
「今お風呂行ってるっぽいので……」
何で上がってくるまで我慢できないのだろう、と千景は短く息を吐き、突っ伏した至の背中で頬杖をついた。
「そんなに欲しいカードなのか? 限定ガチャ、結構頻繁にあるよな」
「欲しいですよ、欲しいに決まってんでしょ、推しのにゃんこ姿ですよ!?」
至は体をひねって振り向いて、声を大にして言い放つ。
今日は二月二十二日、猫の日にちなんでか、今日限定のガチャがあるらしい。至の上から端末を覗いてやろうと思っていた千景は、その発言に呆れつつも、そういえばと思い起こしてふっと口の端を上げる。
「前もこんなことあったな。一年前?」
「え、あ……」
至も思い出したようだった。
奇しくも一年前の二月二十二日、同じゲームで同じような限定カードが配信された。そのときも至は物欲センサーが発動して欲しいカードが引けていなかったのだ。そのゲームに興味がない=物欲センサーが発動しない千景の指を貸してくれと至が提案したのが、そもそもの始まりだった。
「あの日、初めてお前にキスをした」
「そ、う、……でしたね」
至が体を横向けて空いた分、千景が腕を乗せて身を寄せる。至の顔が赤いのは充分に見える距離。泳ぐ視線に千景は機嫌を良くして、端末を握る至の指先にちゅっと口づけた。
「またあの時みたいにする? 欲しいんだろ、カード」
千景はあの時、至に力を貸してやることに対してメリットがないと、唇にキスをしたのだ。至の気を逸らさせて、物欲センサーを押さえ込み、ガチャを引かせる――のと同時に千景自身がキスを楽しんだ。
結果、至は欲しかったカードを同時に三枚引いたらしく、目論見は成功したのだ。今年も同じ方法で引けないだろうか。
「ほ、欲しい、ですけど。うん、今年も俺の推しは可愛い……」
「どれ? ふぅん……お前は推しに猫耳着けたいのか」
「いや、だって萌えるでしょ」
「じゃあ俺も猫耳着ければいいのか? ちょっと引くよ、それは」
「先輩は推しじゃない。いや推しっていえば推しだけど、違うでしょ、その、推しと恋人とは!」
しかしあの時はなんとも思っていなかった相手と、まさか恋人――そう呼んでいい関係になるなんて思わなかった。千景はその音が心地いいなと目を細めて笑うが、至は恥ずかしそうに顔を覆ってしまう。
「こ、こいびと……えええ」
「自分で言って自分で照れるとか、面白いな茅ヶ崎は」
「俺もびっくりですよ! ……ちょっと、まだ、慣れなくて。片想いだとばかり思ってたので」
「こっちの台詞かな」
こうして恋人同士になるまでは、いろいろなことがあった。本当に、いろいろ。ワンナイトのつもりで体を重ねたり、恋をしていると自覚しながらセフレ関係に甘んじてみたり、強引な行為も優しい行為も嬉しくて哀しかったり、ザフラでの騒動があったり。
こうやって至近距離で視線を重ねられるのは、それらを乗り越えてきたからだ。この感情をしまい込んでしまわないでよかったと、お互いに思う。
どちらからともなく顔を寄せて、目蓋を伏せて、唇を重ねた。
少し乾いた唇だけど、それを感じる暇もなく相手の濡れた吐息で湿っていく。唇で相手の唇を挟み、感触を楽しみ、押しつけて引っ張って、舌先でつつく。同じタイミングで舌を出せば、真ん中で絡み合って互いの唇の中へと押し込まれていった。
「んっ……」
鼻から声が抜けていく。至の手は端末を逃し、それを感じ取った千景が手のひらを重ねた。指が絡み合って、ソファの上で互いの手を握り込む。千景の空いた手は至の髪を撫で、至の空いた手は千景の肩を抱き寄せた。
きっと今なら物欲センサーが散ってしまっているだろう。
「いいの、引かなくて……」
千景は少し唇を離して訊ねる。ちら、と至の視線は傍に転がる端末に向かったけれど、すぐに目蓋が閉じられた。
「別の物欲出てきちゃってるんですけど……」
「ん? 何が欲しいのかな」
「……推しのエロいキス」
「猫耳着けた方がいい?」
鼻先をすり寄せると、至がふはっと笑いを漏らす。唇に何度か小さなキスをして、なだめて、煽る。
「ここじゃ、これ以上は……な」
「どっか行きます? 先輩運転よろ~……って、あ!」
重ねていた手を、千景が至の端末の上に持っていく。画面のロックを解除すれば、二人の指先は十連ガチャのボタンをタップできる位置。至の人差し指と千景の人差し指が、そこを押した。
ピロン、ピロン♪とご機嫌そうな音が響く。レアリティの高そうな輝きが至の目に映った。
「……にゃんこキタコレ」
「推しのにゃんこ?」
「だって今ロードした! ちか、千景さん、二枚目! ……は?」
開かれていくカードは、確かに至が欲しかったもの。しかも二枚目もお目見えだ。と思ったら、なんと三枚目。去年と同じく、にゃんにゃんにゃんの三枚抜きを果たしてしまった。
「…………何かしました?」
「何もしてないよ。だいたい、引いたのお前だろ」
「先輩の指も触れてたでしょ! 去年も三枚引けたのに、こんなのアリ?」
「良かったな、引けて。おめでと」
千景は茫然とした至の唇に祝福のキスをして、抱きしめる。眼鏡越しに窺うような目を向けてやれば、甘えるように両手を背中に回してくれた。
「カード重ねるの、後にしますね」
「ん?」
「他に重ねるものいっぱいあるんで」
こことか、と唇が重なる。
至なりのお礼とお誘いだろうかと、千景は楽しそうに口の端を上げ、出掛ける準備をするのだった。
#両想い #ラブラブ #千至 #シリーズ物 #カクテルキッス
はつこい
ホテルの部屋でジャケットを脱いで椅子の背にかけ、ネクタイをほどいて襟元をくつろげる。何気なく視線をやった大きな鏡の中、散らばる朱に気がついた。
「あ……」
至は思わず声を上げる。まだ残っていたのかと、指先でそれをなぞった。
先週の同じ時間、恋人につけられたキス・マーク。至は襟を広げて、鏡に正面から向き合った。デスクライトを点ければ、より鮮明に肌に浮き上がって見え、体がざわつく。
たぶん、嬉しい――のだろう。
(いやいやガキじゃあるまいしこんなものが嬉しいとかね。嬉しいです)
正直いって真面目な交際をした相手など彼しかいない。初恋と言ってもいいくらいだ。
まあ本当の初恋はゲームのキャラだ。なんて言ったら呆れられるに決まっている。そんな恋愛初心者の状態で、恋人と触れ合った証しが嬉しくないわけはない。
どうしても顔が緩んでしまう。こんなの、誰にも見せたくないと、至は口許を覆って顔を背ける。会社の連中にはもちろんのこと、劇団の仲間にだって見られたくない。なんでもそつなくこなすイケメンエリートが、ただの廃人ゲーオタが、キスマークひとつでこんなにふにゃふにゃな顔をするなんて。
「ほんと見てて飽きないね、茅ヶ崎は」
「げ。いつから」
「さっきから。俺の熱い視線に気づかないなんて、ひどいんじゃないかな?」
「いや俺は先輩みたいに人感センサーついてないんで」
背後からかけられた声に、一応平静を装って答えてみるものの、きっと心臓がうるさいことは気づかれているだろう。いちばん見られたくなかった相手に見られるとは、不覚。
「で、なに? 俺がつけたキスマーク、そんなに嬉しい?」
その相手――千景は、楽しそうに笑いながら両手を腰に回してくる。こうしてからかわれるのが目に見えていたから、いやだったのだ。
「自惚れおつ~。俺は〝こんなとこにつけやがってクソが〟って思ってたんです~」
だから、一応ごまかしと対抗を試みて――。
「そっか……俺は嬉しく感じるから、茅ヶ崎もそうかと思ったんだけど」
そして、負けた。
千景にはどうやっても勝てない。それがお為ごかしでも本音でも、寂しそうな顔には一発でノックアウトだ。ぐぬぬ、とうなりながらも、最終的には鏡越しに視線を合わせ、俯いて口にしてしまう。
「……嬉しい、です」
よくできましたと言わんばかりに、千景が頬に口づけてくる。扱い方を心得られてしまっているなあと、至は千景の方を向いて、唇へのキスをねだった。
ちゅ、と音を立ててキスをされている隙に、千景の指先は至のシャツのボタンを外してしまう。なだめるように撫でてくる手のひらが心地良くて、されるがままになっていた。
「あ、ちょっ、先輩、そこ見えるから」
「ギリギリ見えない。つけさせて」
首筋を舐められ、唇が当たったことに気づく。流れと雰囲気からそこにキスマークをつけたいのだろうことは理解できた。が、襟で隠れるかどうかという位置だ。勘弁してほしい。
「だ、め、……って」
優しいキスにほだされた至が、千景を拒めるわけもなかった。肩を強く抱かれ、唇で肌を吸われる。それだけでもぞくぞくと快感に支配されるのに、どうして押しやれるだろう。
ふと目蓋を持ち上げれば、嬉しそうに肩へと唇を滑らせる千景の顔と、うっとりと欲情にまみれた自身の顔がその目に映った。鏡の前ではそうなってしまうのも道理で、至はカアッと頬を染める。
千景のそんな顔を見られるとは思っていなかった。そもそも触れ合う時はいまだにいっぱいいっぱいで、そんなことに思考が回らないのだ。
もしかして、いつもそんなふうに触れてくれていたのだろうか。いつもこんな顔で千景の愛撫を受けていたのだろうか。
嬉しいのと恥ずかしいのがごちゃまぜになって、至は体を強張らせたようだった。
「茅ヶ崎? どうした」
「えっ、あっ……」
千景がそれに気づかないわけはなくて、唇を離して訊ねてくる。気まずくて視線を逸らしたのに、一瞬遅かったようで。
「……鏡? ああ、茅ヶ崎がそういうプレイ好きならここで抱くけど」
「ち、ちがっ! あ、あの、せ……先輩が」
「俺がなに?」
シャツがするりと落ちていく。鏡越しに視線が重なるけれど、物足りなくて千景を振り向いた。
「先輩が、あんなに嬉しそうに俺に触ってるの、知らなかったので」
「そりゃね。何しろ初恋の相手だぞ」
そう言ってこめかみにキスをくれる。至は目を瞠った。千景は今なんと言ったのだろうか。
「…………――初耳なんですけど!?」
「あれ。言ってなかったっけ」
「知りませんよ! ちょ、kwsk」
分かってると思ってたんだけどなあとうなりながら、千景は天井を見上げる。そうして手を差し出してきた。
「ほらおいで。絶対朝までかかるけど」
至は鏡の傍を離れ、千景の手に誘われてベッドに沈む。詳細は、文字通り朝までかけて伝えてもらった。
#両想い #ラブラブ #千至 #ワンライ
移り香
夜の風の冷たさに、至は思わずぶるりと体を震わせる。こんな日に限ってマフラーを忘れてきたのが悔やまれた。
(まだかな)
だが、寒いにも関わらず、心だけはそわそわふわふわほわほわ。
誰かを待つということが、こんなにもくすぐったい気持ちになるなんて思わなかった。ちゃんと来てくれるかという不安はない。何しろ同じ職場で同じ劇団で部屋まで同じという相手なのだ。
だがだからこそ〝待ち合わせ〟という概念がない。取引先への直行でもなければ出勤は毎日一緒。デートに出掛けるにしたって同じ部屋からでは待ち合わせる必要もない。わざわざLIMEして都合を聞いて落ち合うなんてことは、仕事が終わった後しかなかった。
『一緒に帰れる?』
『いーですよ』
『少し遅れる。待ってて』
『おk』
なんて短いやりとりが、至には嬉しい。待っている間にゲームのクエストもこなせるし、彼を待つのは嫌いじゃない。
寒くなければ、の話だが。
自慢じゃないが寒さには弱い。できることならずっとコタツに入ってぬくぬくしていたいのだ。待つのは嫌いじゃないが早く来てほしいなと思っているところへ。
ひやり。
「ひえっ」
首筋に冷たい感触。至は幽霊にでも遭ったかのような声を上げ、そのひんやりの正体を振り向いた。
「先輩、やめてくださいよ!」
「ははっ、悪い。予想以上の反応してくれて嬉しいよ」
「俺を驚かせるために手袋しないで来たんですか? タチ悪い」
待ち人来たる。恋人である千景はちゃっかりマフラーを巻いてはいたが、手が寒々しい。確か朝はしていたはずだけど……と思い起こせば、理由なんてひとつしか思い当たらず、憎らしげに睨んでみた。
「いや、急いでてね。なんで外にいるの、どこか店でも入ってれば良かったのに。窓から見えて驚いた」
「え、窓ってどこから」
「十三階の会議室」
「分かりやすい噓おつ。店探して歩きながらだとゲーム無理だし、ここで待ってた方が楽なんですよ」
千景がその辺りをさすのを、乾いた笑いで返し、会社のビルのすぐ傍で待っていたことに言い訳をした。職場ではまだ猫を被ったエリート商社マンなのだ、ビル内でのプレイは控えたい。幸いこちら側の道は駅と反対側で、人通りは少なかった。
「それにしてもな……見てるこっちが寒い。これ巻いてて」
「え? あ」
言って、千景は自分のマフラーを外して至の首に巻き付けてくる。つい二秒前まで千景が巻いていたせいか、それは温もりと移り香を伴って至を包んでくれた。
思わぬ優しさに頬が火照るのを自覚して俯けば、千景のマフラーからほんのりと漂う彼の匂いに目眩がする。
「で、でも、先輩が寒いんじゃ」
「俺は平気だよ。待たせて悪かったな。次から、待ち合わせはどこかお店にしようか」
「え、でも」
「俺が〝遅れてごめん〟って走ってくるのが好きって理由は、却下な」
「何で知っ……――あ」
なんでそれを知っているのかと言いかけて、墓穴を掘ったことに気づく。飛び出た声を今さら戻すことなどできやしない。
見透かされていたことが恥ずかしくて、気まずくて顔を背けるのに、千景は手袋をしないままでそっと手を握りしめてくる。
「俺がそうだから。息切らせて走ってくるの、ときめくよな」
「……今度からゆっくり歩いてくることにします」
自分がそうだからお前もだろうなんて、さも当然のように言ってのける千景が憎たらしい。そしてそれが事実であることが悔しい。今回も急いで来てくれたのが嬉しかった。
結局惚れたらもう負けなんだよなあと、諦めたように息を吐いて項垂れる。
ふわりと香ってくる千景の匂い。悔しいくらい胸が疼いて、握られた手をきゅっと握り返す。
「……マフラー、ありがとうございます」
「ん、寒くないか?」
「寒いには寒いけど、平気ですよ。これ、先輩の匂いがしますね」
「ちょっと変態っぽいな」
「ちがっ、移り香っていうか! このノーロマンが!」
「へぇ、移り香って……ちょっと色っぽいよね」
引かれたかなと思い離れようとしたら、千景は逆にぎゅっと握った手を引き、髪に鼻先を埋めてきた。
「ホントだ、茅ヶ崎の匂いがする」
カッと体中に熱が充満するかのようだった。こんなところでそんなことをして、注目を浴びないほど日本はまだオープンじゃない。だが千景が人に見られるようなそんなヘマをするわけもなく、辺りはしんとしていた。
「そ、それは移り香っていうかもはや俺の匂い……」
「いい匂いがする」
すん、と鼻から息を吸う音が聞こえる。こんな往来ではしがみつくこともはばかられて、握りあった指先で千景の手の甲を撫でてみた。
「先輩、まっすぐ帰るつもりじゃ……ないですよね?」
「まあ、体も冷えたしね。マフラーじゃなくて、お前に匂い移してやろうか」
「じゃあ、俺は先輩に移しますよ」
そうして二人、匂いが相手に移ってしまうほど濃密な夜を過ごすことになるのだった。
#両想い #ラブラブ #千至 #ワンライ
イタダキマス。
「昨日よりはマシ」
「評価がカライ」
乾いた笑いを漏らしながら、茅ヶ崎は皿の上のおにぎりを見下ろしている。
正直驚いた。なんでおにぎりをこんなにいびつな形に握れるんだ? それはむしろ才能なんじゃないのか。
監督さんへの感謝をこめて、みんなそれぞれで手料理を振る舞うってことになったんだけど、案の定というか何というか、茅ヶ崎は料理ができないらしい。正確には、料理ができないことが分かった。興味も情熱も、ゲームに一直線だったのか。
今はそれに芝居が加わっているわけだ。
「それにしても、もう少しくらい形を整えないと、真澄チェック厳しいぞ」
「それな。なんでこうでこぼこになるんだ……」
うーん、と茅ヶ崎は首を傾げる。これが職場じゃなんでもそつなくこなすイケメンエリートっていうんだから、世の中には不思議が多い。こんな姿を知ったら、女の子たちはどういう反応するんだろう。
幻滅する? ああそれは歓迎だよ、うるさい虫がいなくなる。
それとも母性本能がくすぐられたり? 作ってあげたいとか思うのかな。どうぞお帰りください、これは俺のだ。
「先輩それ早く食べて。もう一個くらいイケます?」
「まだ作るのか。というかお前が食べればいいんじゃないのか? 俺はおにぎり処理機じゃないんだけど」
茅ヶ崎がおにぎりの練習をし始めてからというもの、毎日付き合わされている。それは別にいいんだ。食べられない量を押しつけられているわけでもないし、たかがおにぎりひとつで一所懸命になってる恋人を見るのは楽しい。
その頑張りが俺のためではないってことが、少し寂しだけだ。
「先輩なら胃袋もチートでしょ」
「意味が分からない。はあ……いいけどね」
でこぼこのおにぎりにスパイスを振りかけて、口へと運ぶ。小さめなのは、女性である監督さん向けだからだろう。
再び手の中でご飯を握り始める茅ヶ崎が、やっぱりどうにも可愛い。眉間にしわ寄ってるの、気づいてないんだろうな。
どうも思い通りにいかないようだ。何が原因なのかな、ってじっと手元を眺めてみる。ややあって、なるほどと思い当たった。
「茅ヶ崎、ストップ」
「え?」
「一回そこで角作って、止めて」
こんもりと山を作らせた手の甲にそっと手のひらを重ね、茅ヶ崎の動きを止める。不思議そうにマゼンタが振り向いてきて、うっかりキスをするところだった。してもよかったけど。
「角作った? その角こっちに移動させて、ここに山。あともう一つ。その三つ崩れないように握って。慌てなくていいから」
茅ヶ崎の手に添えて一緒に動かしてやる。素直に従うの可愛いな、監督さんのために頑張ってるんだ。
「茅ヶ崎は角の位置取りがおかしいんだ。せっかく作った角、次のタイミングで潰しちゃうからでこぼこになるんだよ」
「……あー……」
心当たりがあったのか、茅ヶ崎はうなりながらさっき作った角を潰さないよう大事そうに握っていく。その位置が決まってしまえば、あとは力加減だけだろう。
「っしゃぁ、できた!」
「…………側面整えること考えろ。お前本当にゲームにしか特化してないな」
角は綺麗になったけど、側面がこんもりしている。どうかすると肉まんの形に見えてくる。まあこれでもマシになった方か。
「側面……こんな感じですか? おお、おにぎりっぽくなった」
「良かったな、これならちゃんとおにぎりに見えるぞ」
側面を平らにして、茅ヶ崎は満足そうに笑う。おにぎり一つでそのドヤ顔はどうかと思うけど、可愛いからまあいい。これでおにぎり三昧から卒業だろうか。
「じゃあ記念すべき綺麗なおにぎり第一弾なんで、先輩にあげますね。はいアーン」
ご飯粒がついた指先で、やっと綺麗に握れたおにぎりをつまみ上げ、俺に差し出してくる。うかつだった。そんな手でくるなんて卑怯だぞ茅ヶ崎。
「お腹いっぱいです?」
「いや、そういうわけじゃ……記念、自分で食べなくていいのか?」
「綺麗に握れた最初のヤツは、先輩にって決めてたんで」
肉弾戦でも頭脳戦でも茅ヶ崎に負ける気はしないけど、コイツには絶対に敵わないと初めて思う。これがあれか、惚れた方の負けっていうものか。
はよはよ、って急かす茅ヶ崎に身を寄せて、おにぎりを――素通りして唇にキスをした。
「……そっちじゃなくてこっち! おにぎり!」
〝アーン〟なんて食べさせる仕種をするくせに、なんでキスひとつでこんなに赤くなるんだろう。主導権の問題だろうか。
まあいいか。今夜どちらもイタダキマス。
#両想い #ラブラブ #千至
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先輩と後輩として出逢って、ちょっといけないコトもして、劇団仲間になって、ルームメイトになって、疑似家族になって、少し前に恋人になったひとがいる。
MANKAI寮一〇三号室で、泊まりの仕事さえなければ嫌でも毎日顔を合わせる相手。どうしてこうなったのかは、きっとお互いがお互いにきっかけをなすりつけ合うだろう。素直になりきれない者同士、ある意味お似合いのカップルだった。
とにもかくにも、一緒に過ごす一〇三号室は、恋人同士のイチャイチャが繰り広げられている――なんていうことはなく、まあいつも通りの音が響くだけだった。
「だああっ、クソが!!」
至のスマホから聞こえる、音量を落としたゲームミュージック。地団駄を踏んでソファを蹴りつける足の音。そのすぐ傍で、千景の指がストロークの浅いキーを叩く音。チャイティーの入ったマグカップがテーブルとキスをして、コツンと音を立てる。
それは日常に違いなかった。
そして千景には、それが心地良くてしょうがない。
会社でのエリート面を存分に崩して、言葉遣いも汚く、いっそ千景の存在など忘れてさえいそうな至の日常が嬉しい。そこに自分がいることに、何の不思議も抱かない彼との空間は、とても心が和む。
この部屋が綺麗に整頓されていれば、だが。いや、整頓されていないのが日常なのだから、これでいいのかもしれない。
注意をすれば、その場しのぎでも片付ける(というか置き場所を変える)し、クリーニングに出すシャツも雑にでもちゃんとたたんで袋に詰め込んでいる。持っていくのを忘れるだけで。見かねて持っていってやるのも、もう何度経験したことかと、千景は頭の中で数え始めて諦めた。もう覚えていないのだ。甘やかしたらいけないと思いつつ、自分でやった方が早いし確実だという、悪い性分。
そういうことが当たり前になってきて、最近はたまに自室でパソコンと戯れる。もちろん大事な〝仕事〟はアジトだったりバルコニーで片付けるけれど、ネットサーフィンやブログくらいは、この日常があふれる空間で楽しめるようになったのだ。
至は配信をやる時は事前に知らせてくれるし、何なら一緒にと誘ってくることも多くなった。
ここにいてもいいと思わせてくれるのが、千景は本当に嬉しかった。
「ああぁああまたドブッた!! この輩出率詐欺ってんじゃねーのかよ!?」
そう思わせてくれる張本人は、ソファの上で悪態をつき、ガシガシと髪をかき混ぜる。どうやらゲームのガチャ結果がまた悪かったようだと千景は嘆息し、至を振り向いた。色気も何もない。
「もう少し静かにドブれ茅ヶ崎。うるさい」
「これでも静かな方ですうー。っていうか静かにドブれってひどくないですか。ドブるの前提ですか、鬼」
「だってもう何十分そんななんだ。普通諦めないか?」
いくらつぎ込んでんだか、とため息交じりに呟けば、「出たノーロマン」と返してくる。出逢った当初からは考えられないくらいに、遠慮がなくなってきている。あのよそよそしい敬語使いはどこへいったのやらと、千景は口の端を上げた。
「イベ走りやすいとか以前に推しは完凸させたい……何なら変化前のカードも残しておきたい……せめてあと一枚来いよ……物欲センサー滅べ」
仰向けだった体をごろりと転がして拗ねる至。あんまり可愛くないなあと恋人相手に思うのは、背を向けられた寂しさと、推しとやらへの嫉妬が混じっているに違いない。
至とは恋人だからといっていつでもどこでもいちゃつくわけではない。寮では他の仲間もいるし、職場では言語道断、と、あくまで先輩後輩や劇団仲間としての距離を保っている――と思っている。
だけど二人きりの時くらい、もう少し恋人らしい会話を楽しみたいと思うのも本音だった。推しとやらに素直に嫉妬してもいいのか、構ってと言っていいのか、邪魔をしては悪いと我慢して放っておけばいいのか。初めてできた恋人という存在に、いまだに何が正解なのか分からずに戸惑う。
もちろん千景はそんなことを表には出していないつもりだが、おかげで何一つ解決しない。
「そんなに欲しいなら、咲也に頼んだら? 邪心ないからよく推し引いてくれるんだろ」
「まるで俺が邪心まみれみたいに言わないでください」
「事実だろ」
「ヒドス。まあ、でも……この時間ですしね。寝てるの起こしたら悪いし」
ごろん、ともう一度寝返りを打って、至は千景の方を向いてくれる。眉間に寄った皺は不機嫌そのもので、それは推しとやらを引けるまで直らないのだろう。
咲也の力を借りたらどうかと提案してみたものの、春組の年長側に属する彼らしい物言いで却下される。時刻は日付が変わる数分前。
「いくら咲也でも、まだ寝てないだろ。子供じゃないんだし。ああ、でも明日のバイト朝早いんだっけ?」
「あーそんなようなこと言ってましたね。寝てるわ絶対」
あーあ、とテンションの低い声を上げながら、至はフンッと腹筋で起きようとして失敗し、仕方なく腕で体を押し上げた。
「そこはせめて腹筋で起き上がれるようにしろ……」
「いや運動不足の引きこもりなんで無理。一瞬の努力はしました」
「一瞬の努力とは」
「俺の努力はこの指先にかけられています。そんなわけで先輩、ガチャ引いてくれません?」
そう言って、至はゲームのガチャ画面を開いたスマホを向けてくる。千景は目を瞬いて、首を傾げた。
「何がそんなわけ、なのかな。俺がお前の推しなんか引けるわけないだろ」
眼鏡を押し上げてふいとそっぽを向く。そんなに欲しいのなら引いてやりたい思いと、何が悲しくてライバルを引かなきゃならないんだという嫉妬が入り交じって、そっけない態度を取ってしまった。
恋人らしい会話がしたいと思いながら、正反対のことしかできなかった自分に嫌気がさす。そういう自分にさえ戸惑って、至を振り向き直すことができなかった。
「だっていくら頑張っても推しが来ないんですよ……先輩だって好きなスパイス売り切れてたら店ハシゴしてでも手に入れるでしょ? それと同じですよ。だから協力よろ」
「意味が分からないし次元が違う。確かに推しスパイスは何がなんでも手に入れるけど」
「推しスパイスとは。ねえ先輩、ほんと一回でいいので! ここちょっと押すだけでしょ。可愛い後輩……あ、や、こ、恋人の……おねだり、聞いてくれてもいいじゃないですか」
ツンと部屋着の袖を引っ張られて、床に座ったままの千景はソファの上の至をほんの少し見上げる。照れくさそうに恋人という単語を口にされて、撃墜された気分だった。予期しなかった至のデレに、眼鏡が音を立てて割れなかったのが不思議なくらいである。
「駄目ですか?」
「……そんなに欲しいの?」
「欲しいですよ……めちゃくちゃ好きなので」
恋人の口から発せられたと思うと胸が高鳴るが、それは自分に向けられたものではないと、千景はわずかに眉を寄せた。
「俺も邪心まみれだから、何を引いても文句言うなよ」
「俺の物欲センサー回避できれば問題ないはずです」
ニコニコと嬉しそうにスマホ画面を向けてくる至。千景の複雑な心情など気づきもせずにだ。
千景はスマホへと指先を伸ばし、十連のボタンを――押す前に、画面をスライドさせた。
「は? あ、ちょっ……」
そうして、スライドさせた次のガチャ画面で、十連ボタンを素早く押してやった。期間限定だか何だかは知らないが、その画面でしか引けないガチャだ。至が指定してきたものとは違う。
「先輩!」
「悪い、手が滑って」
それは真っ赤なウソだ。そんなにも欲しい物を手中に収めさせたくないという子供じみた嫉妬で、違うガチャを引いたにすぎない。が、千景を責めるように睨みつけたあとに、だ固唾を呑んでガチャの結果を待っている至を見ると罪悪感が押し寄せてくる。あとで魔法のカードを買って返そうと俯いたところへ、
「っっっしゃあ! キタコレ!!」
「は?」
至がスマホを握りしめてガッツポーズ。引いてほしかったガチャとは違うハズなのに、その喜びようはいったいどういうことか。
「先輩さすが! 俺の推し二枚引き!」
「ちょっと待て茅ヶ崎、お前が引きたかったの違うガチャだろ?」
ガチャ結果の画面を見せられて、確かに同じカードが二枚あることが確認できたが、千景は困惑した。至の顔に視線を移してみれば、したり顔で笑っていた。
「先輩ひねくれ者だから、普通にガチャ引いてくれないだろうなって思って、恒常ガチャの画面出してたんです。案の定、スライドして限定ガチャ引いてくれましたね」
ふふんと勝ち誇ったような笑みで見下ろされて、千景は眉を寄せる。まんまとハマッてしまったわけだ。
「お前な……」
「は~よかった、マジ俺の推し最高……かっこいい……」
ハメられたのは悔しいが、至が本当に嬉しそうに画面を眺めているのを見てホッと安堵もする。落ち込んだ姿を見るよりは、ずっといい。
「はぁ……まったく。よかったね、引けて」
「引いてくれたの先輩でしょ。愛してますよ、千景さん」
そう言って、至が唇にキスをくれる。千景は、それに反応できなかった。せっかくの恋人らしいキスなのに、その前にとんでもない爆弾を落とされてしまったせいで。
愛してると言われた。
恋人になってから今まで、そんなことは言われたことがないし、言ったこともない。ガチャで推しを引いてあげたことがそんなにも嬉しかったのだろうか。
至はその言葉をさほど重要なものには捉えていないようで、視線はずっとスマホ画面のままだ。
それでも、至から初めてその言葉をもらった。嬉しくてしょうがない。浮かれてしまうのを表に出さないように、千景はパソコンの電源を切って閉じる。今日はこの嬉しい気分のまま眠ってしまおうと。
「あれ、千景さんもう寝るんですか?」
「ああ……ちょっと疲れた。お前のせいで」
「さっきのチューじゃLP回復しませんでした? おやすみなさーい」
至は手をひらひらと振ってくる。彼はまだ眠らないつもりらしくて、再度ソファに横になった。
「おやすみ。ゲームもほどほどにしろよ」
はーいと聞こえてはきたが、聞き入れるつもりはないのだろうなと、千景は梯子に手をかける。時計の針を見れば、日付を越えて五分ほど。就寝にはかなり早いが、心が変に疲弊した、とベッドに上がり込んだ。
布団を被る前に見下ろしたソファの上で、至が何かに悶えるように震えていたけれど、きっと推しが推しで推しだったのだろうと寝転がり、大人しく眠ることにした。
「あれ、寮に電気がついてない」
平日いちばん始めの曜日、仕事を終えて帰ってきてみれば、いつも騒がしいほどの寮が、しんと静まりかえっている。二十時を回っているのに、電気すらついていないというのはどう考えてもおかしい。
千景は瞬時に周りに視線を走らせ、一緒に帰ってきた至を背にかばう。劇団に何かあったのならば、組織が関係している可能性がいちばん高かった。
「茅ヶ崎、下がって」
「いやいやそう来たか、ワロス」
緊迫した千景の声と対象に、至の方は気の抜けたコーラのようなものだった。
「え?」
「別にゲーム展開じゃないんで、大丈夫ですよ。ほら開けて」
「なんだそれ」
至は落ち着いている。どうもこの状況を把握しているようで、少なくとも彼がわけを知っているのなら、最悪の事態ではなさそうだと、今日の装備に仕込んだ武器に伸ばしかけた手を、いつものようにドアノブへと軌道修正した。
「千景さんおかえりなさい! ハッピーバースデー!」
ドアを開けた途端、寮の灯りがつき、パンパンとクラッカーの音がする。発砲済みクラッカーを構えた咲也にそんな言葉で出迎えられて、千景はぱちぱちと目を瞬いた。
「誕……生日?」
「おめでとうございます、先輩。忘れてたとかほんとウケる」
今日は四月十五日。千景の誕生日だ。そんなことはすっかり忘れていて、ここでもしっかりサプライズにハメられてしまったらしい。
「本人が忘れてるって、準備しやすいっすよね」
「千景は鋭いから、サプライズにならないかと思った」
「ワタシ思わずカレンダーにモザイクするとこだったヨ」
「小細工かな。まあモザイクでもいい気はするけど。……ありがとう、嬉しいよ」
春組のメンバーをはじめ、劇団の仲間たちに迎えられて、仕事の疲れもすっかり吹き飛んでしまった。
「千景、おめでとう……」
「あ、ああ……ありがとう、密」
素直にそう礼を言えば、密はなんだか嬉しそうに少し口の端を上げる。オーガストがあんなことになるまでは、そろって誕生日を祝ってくれていた、大事な家族のひとり。
「千景を祝ってくれる人、たくさん増えたね……きっと、喜んでる」
オーガスト、という音は発せられない。だけどそれでも、理解できた。じんわりと胸のあたりが温かくなるのを感じ、千景は頷いた。
ダイニングのテーブルには乗りきらないほどのごちそう。飾り付けられた壁や天井。普段はちょっと見られない高価な酒類。何よりも、団員たちの楽しそうな笑い声。
誕生日祝いにかこつけてただごちそうを食べたいだけだとしても、賑やかなこの空間がとても嬉しい。
欲を言えば恋人と二人っきりで過ごしたい思いもあるけれど、と至を探せば、万里と楽しそうに談笑していた。まあ二人きりになる機会は幸いいくらでもあるしと思い、先に着替えてこようと踵を返す。
「あ、あの、千景さん。今日お祝い言うの遅くなっちゃってすみません」
「とんでもない。ありがとう」
咲也に声をかけられ、にこやかに笑って返す。さっきまで忘れていたくらいだ、こうして祝いの会を開いてくれるだけで、充分に嬉しい。早いか遅いかなんて、関係がなかった。
「いや、ホントは日付変わったら部屋行ってお祝いしようかって言ってたんですよ」
「え?」
「イタルに却下されたネ~」
「咲也が、今日のバイト早いはずだからって。俺も学校があるだろうって言われた。夜更かしは禁物とか、アイツに言われたくない」
「あはは、オレ今日は早く帰ってきて準備したかったので、早めのシフト入れたんですよ。至さんそれで気を遣ってくれたんだと思います」
そんな会話が繰り広げられているけれど、千景は唇を引き結んで眼鏡を押し上げた。
「千景さん?」
「あ、ああ、いや、ごめん。先に着替えてくるよ」
そう言って自室に戻り、ラフな格好に着替える。
昨夜この部屋で、ガチャを引かされた。咲也に頼めばいいと言った提案を「起こすのは悪い」と却下したのも至だ。
だけど咲也たちは、誕生日を祝おうともしていたはずで、ほんの少し就寝時間をずらすことくらいはわけもなかったはず。
次の予定に響かせるような騒ぎ方はさせないし、日付が変わってすぐにというのも、サプライズとしては成り立つだろう。
それなのに、なぜ。
謎が解けないまま、みんなのところに戻る。謎を解いてもらおうと、至の方へと足を向けた。
「あ、じゃ、じゃあ俺も着替えてくるわー」
だが、万里と談笑していたはずの至はそれを察してか、避けるように千景とすれ違う。トンと肩がぶつかったけれど、引き留めて問い詰める気は起きない。なぜだか彼の耳が赤かったように見えて、気を取られていたのだ。
「おっ、主役のご帰還。おめっす」
「……ありがと。茅ヶ崎と何を話してたんだ?」
万里はジュースの入ったグラスを祝いに掲げてくれて、千景は至の出ていったドアの方を向きながら訊ねた。
「あ~、せっかくくっつけたのに、二人っきりでお祝いとかしたいんじゃねーのってヤツ。去年はまだそういうんじゃなかったんだろ、アンタら」
小さな声で囁いてくる万里に、言葉が詰まった。お互い暴露したわけでもないのに、万里には知られてしまっている。
「そういう気持ちがないわけじゃない。だけどみんながこうして当日に祝ってくれるのは嬉しいよ」
「ふぅん。じゃあ至さんの作戦は成功ってことか」
「作戦?」
「……言っていいのかなこれ」
「ぜひ聞きたいね」
万里は少し考え込んでから、ふっと笑った。至は、いったいどんな策を練っていたのやら。
「至さんさ、どうせ当日はみんなお祝いしてくれるんだろうから諦めてたんだってよ。でもいちばん始めは譲らないって。可愛いとこあんじゃん」
確かにここの団員はパーティー好きみたいだし、せっかく祝ってくれるのを無碍にはできない。二人きりで過ごしたいからなんて言ったらバレるに決まっている。至はそれを見越して、今日という日を二人で過ごすのは諦めていたらしい。
「え、いちばん始めって……」
「プレゼントもらったんだろ? 日付が変わってすぐクリアしたっつってたぜ」
「……あ」
カチリと、パズルのピースがはまったような気がした。
あの時咲也を呼ばなかった理由。すれ違った至の耳が赤かったわけ。そして万里のネタばらし。
カアッと顔の熱が上がった気がした。
〝愛してますよ、千景さん〟
あれは、軽い意味で発した言葉ではなかったようで。
プレゼントはモノとは限らない。だが何よりも強く印象に残る音とキス。今回は本当にハメられっぱなしのホレっぱなし。
「ホント茅ヶ崎は可愛いことするよね……」
「は~、千景さんもそんな顔するんすね。激レア。いや、至さんの前でなら珍しくもねーのかな」
万里にそう言われ、どんな顔をしているのだろうと気にはなるけれど、想像ができるようなできないような。きっと頬の緩みきった情けない顔をしているのだろう。自分がそんな表情をするようになるなんて、思わなかった。
だけど、悪くない。
惚れた相手からの特別なプレゼント。お礼もまだ言えてないなと、千景はスマホを取り出す。照れているのか、まだ部屋から戻ってこない至へと、メッセージを送信した。
〝茅ヶ崎、プレゼントありがとう、すごく幸せな気分だ。あと、金曜の夜から予定空けておいて。二人で過ごそう〟
程なく既読がついたが、察したからか返信は遅かった。
〝はい……あの、誕生日、おめでとうございます〟
〝もうアレは言ってくれないの?〟
〝今度! 今度……言います、から〟
〝楽しみにしてるよ〟
そうやり取りをして、スマホをポケットにしまう。
「万里、今こっそり撮った俺の写真、茅ヶ崎に送っといて」
口の端を上げて、千景はみんなの輪の中へ。
う~わ~バレバレ、という呆れとも愉快さとも取れる万里の声を、背中で聞いた。
万里から、とろけそうに優しい顔した千景の写真を送られた至が、部屋で声も出ないほど身悶えていたことなど、知る由もなかったけれど。
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