- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
No.315, No.314, No.313, No.312, No.311, No.310, No.309[7件]
金色の曼珠沙華-031-
「左京さん、何か怒ってんのか? もしかしてああやって知り合いにチケット売るの、ダメだったのか」
左京が運転席に乗ると、十座は車の外から訊ねてくる。左京の態度がおかしいことには、さすがに気づいているらしい。左京もそれを自覚していて、はあーと長く息を吐いた。
「乗れ」
「え?」
「乗れって言ってんだ。これ以上目立ちたかねぇだろ」
左京の言葉に、十座は視線だけで校門の方を見やり、気づく。
女の子が兵頭十座に声をかけてきたということで、ただでさえ目立っているだろうに、この状況はさらに拍車をかけるだろう。十座は後部座席のドアを開け、素早く乗り込んだ。
「ハ、俺を好きだって言うわりに、こういうチャンスは逃すんだな。普通助手席じゃねえのか」
「運転してる左京さん、冷静に見てられる自信がねえからな」
「ものは言いようか。さっきの女、よかったのか。邪魔しといてあれだが」
左京は車を発進させながら、バックミラーで十座の表情を盗み見た。後ろめたさを微塵も感じさせない表情は、特別な関係にあった女というわけではないことを、知らせてくれていた。
「邪魔って……あれはそういうんじゃねえ。親が知り合いで、何度か話したことがある程度だし。俺に付き合ってた女なんかいねえ。アンタが初恋なんすけど」
「だったら――なんで女知ってんだ?」
「え?」
左京は、ぎゅっとステアリングを握る。
あの日から、ずっと心に引っ掛かっていたことだ。
初恋だという十座の気持ちを疑っているわけではない。初恋であってほしいと願っていたわけでもない。
女を知っていながらも、どうして自分をという戸惑い。
そして、知らないなら知りにいけと、突き放せなくなった誤算。
そのどれもが、突き放したい思いと突き放しきれない矛盾を孕んで、左京の中に巣くっていた。
「女抱いたことあるんだろ、兵頭」
「……あー……、あれを抱いたっていうんならな」
言いにくそうに苦笑して、十座はそれでも肯定を返してくる。ずき、と心臓が痛みを増した。
「ど、どういうことだ……?」
「……抱かされた、って方が正しいかもしれねえ」
左京は目を瞠る。
本意ではない行為を強いられたということだろうか。合意があったのかなかったのか、そもそもそれは聞いていい話なのか。
「中学、卒業する前かな。あんま覚えてねえが……、俺と寝りゃあ、ハクがつくんだと。名前も知らねえし、顔も思い出せねえ。女と寝ることに興味がねえわけじゃなかったが、そういいもんだとも思わなかったな」
十座は両手の指を組み、肘をついて口許を覆い隠す。その様子がミラーで窺えて、左京は失言を悔やんだ。
いい思い出ではなさそうで、むしろ悪い方に分類されていそうな記憶を、不用意に引き出してしまった。
「そういやあの後、やたら高校生が絡んできやがったな。今思えばあれ、あの人の恋人だったとか、そういうヤツだったのかもしれねえ……」
何も考えずにのしちまったがと付け加えて、十座は大きくため息をつく。自分の女が、当時中学生だった男に寝取られたなんて知ったら、そりゃあ頭にくるだろう。そこに恋情があったのならまだしも、かけらさえなく、十座の方は女の名前も知らない状態だ。
「それ、一度きりか……」
「ん、ああ……その女もそれっきりだったし、元サヤっつうのか、戻ったなら別にいいし……もともと女なんか、縁もねえしな」
多感な年頃にそんな経験をして、よくこうもまっすぐ育ったものだ、と左京は思う。道を踏み外すこともなく、真っ当に生きてきた十座を、羨ましいとさえ感じた。
「あ、でもだからって女がダメになったわけじゃない。男がよくて、左京さんを好きになったわけじゃねえんだ」
十座はガバリと体を起こし、運転席の方に身を乗り出してくる。そこを疑ったつもりはなくて、左京は苦笑した。
「危ねえだろ、ちゃんとシートベルト締めとけ」
「あ、……っす」
赤信号で、左京はゆっくりとブレーキペダルを踏む。
左に曲がれば寮の方向。まっすぐ行けば――と思って、レーンを移動せずに、左京は出していたウインカーを切った。
「あんまりいい思い出なさそうだが、お前そんなんで俺に欲情できんのか?」
「……え?」
「女を抱くのとは……抱かされんのとはわけが違うぞ。てめぇと同じもんに前にして、勃つのかって言ってんだ」
「勃、……何言ってんだ、アンタ。俺が何度頭ん中で左京さんを抱いてきたと思ってんすか」
躊躇いもなく、十座はそう返してくる。
自分は彼の頭の中で、どんな風に抱かれていたのだろうかと、おかしそうに口角を上げた。
「エロガキ」
「アンタが訊くから言ったんだが……」
「分かった分かった」
信号が青に変わる。前の車がゆっくりと走り出すのに合わせて、左京もアクセルペダルをゆっくりと踏み込んだ。
「抱かせてやる」
ギアを変えてスピードを上げるのと同時に、そう呟く。左には曲がらずに、交差点を直進した。
「え、…………は……?」
突然の言葉に、十座は事態を把握できていないようだ。そのマヌケな顔が面白くて、左京は肩を震わせる。
「左京さん、今、なんて……」
シートベルトの伸びる範囲で、身を乗り出してくる十座。言い付け通り、ちゃんとシートベルトを締める男を、可愛らしいなんて思ってしまった。
「抱きてえんだろ、俺を」
「あ、ああ、そりゃ」
「お前のことは傷つけてばっかりだしな。……あんな顔されるよりは、やることやっちまった方が楽かと思って。そういう打算的なもんでもよけりゃだが」
いい思い出もなさそうなのに、抱きたいという男に、自分のひとことで浮き沈みしてしまう男に、少しくらい応えてやってもいいかと思った――ただそれだけだ。
恋人になんかなれやしないけれど、それでもいいというのであれば。
「構わねえ。アンタに……左京さんに触れられんなら、同情でも打算でも、なんだっていい」
運転席のシートを掴む十座の手に、ぐっと強い力が込められる。
まだ触れられてもいないのに、左京の心臓が跳ね上がった。
「そうか」
嬉しいと思っている自分を自覚していても、素直に表すことなんかできなかった。
左京はただそう答えて、ぎりぎり制限速度で車を走らせる。マジでか、と小さく呟いた後、口許を押さえ後部座席に体を預ける十座を、ミラーで盗み見しながら。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-030-
冬組の演目が決定して、連日連夜稽古に励む彼らをサポートしようと、フライヤーの制作や配布、衣装や道具の材料調達にと、他の組のメンバーも奔走した。
それは左京にとってありがたいことで、忙しければ忙しいほど、十座のことを考えなくてすむ。あえて幸と予算についてやりあったり、一成とホームページの更新について話し合う。
学生組は、学校に通いながら自主練を中心にこなし、時には本読みに付き合う。
紬と丞についてはさすがの経験者で、日に日に掛け合いもスムーズになっていくようだった。
紬はたまに万里とカフェにでかけているようだが、いい息抜きになっているのならと、特に万里に忠告はしていない。
冬組の――紬が主演の舞台が成功することを祈っているのは、万里も同じだろうから。
「ただいまッス~」
「っす……」
その時、太一と十座が寮に帰ってくる。天馬は撮影に向かったらしく、久々に徒歩で帰ってきたようだった。
「あ、おかえりなさい太一くん、十座くん。もうすぐご飯だからね」
「着替えてくるッス~。あ、幸チャン帰ってるッスか? 昨日衣装縫うの途中だったんスよね~。今日もお手伝いでいーのかな」
「あ、少し前に帰ってきたよ。今は部屋にいるみたい」
いづみの返答に、太一はウキウキしながら自分の部屋へと向かっていく。最近は衣装を作りの手伝いをしているようだが、以前やむを得ず、衣装を台無しにしてしまったことを許してくれたことが、嬉しいらしい。
「あ、監督。すまねえが冬組の公演チケットってまだあるのか?」
「えっ、チケット? どうだったかな、確認してみるね。観に来てくれる人がいるの? 十座くん」
「今日……ちょっと声かけられて。二枚あれば嬉しいんすけど。初日じゃなくてもいいって言ってたから」
十座が、もうすぐ始まる冬組公演のチケット状況を訊ねている。
しかし十座に声をかけてくるなんて、豪胆なヤツもいたもんだ、と左京は複雑な思いだった。環境が変わるのは喜ばしいことだが、そうやってだんだんと自分の手など必要なくなっていくのだろう。
芝居も、恋も。
これ以上振り回されるのはごめんだと、左京は口唇を噛んだ。
左京は、校門からあふれるように出てくる人の波を、運転席から眺めていた。
友人たちと楽しそうに笑う高校生。女同士、男同士、男女、それは様々だが、見るからに健全な一般人だ。自分が高校生だった頃とはやっぱり違うなと苦笑する。
そうして、目当ての人物が視界に入ってくる。兵頭十座だ。
下りて声をかけようとしたその瞬間、気づく。彼は誰かを探しているようだと。左京ではない。何しろ今日ここに来ることを、十座には言っていないからだ。
なのに、十座は携帯端末を片手に、きょろきょろと辺りを見回している。
校門で探しているということは、校内の人間ではないらしい。同じ校内にいるのなら、校門なんて人が多い場所で待ち合わせる必要もない。
(ああ……もしかしてチケットの相手か?)
昨日いづみに訊ねていた、空席チケット。
運悪く席はすべて埋まってしまっていて、立ち見となってしまうのだが、それを渡したい相手なのかもしれない。
左京は、ダッシュボードの上に置いていた紙切れを目に映し、当初の目的を果たそうと、その紙切れを手に運転席のドアを開けた。
左京がドアを閉めるのとほぼ同時に、十座に駆け寄っていく影。
(えっ……)
「遅れちゃってごめん、こっちから頼んだのに」
「ああ……いや、別に」
欧華高校のではない制服、スカートをひらひらさせた女の子。
周りの生徒がざわついた音が聞こえるが、左京の胸はそれ以上にうるさかった。
(おん、な……?)
まさか、チケット購入を希望して声をかけてきたというのが、女だなんて思わなかった。よほど度胸があるのか、それとも――。
「立ち見でもいいか? 席、埋まっちまってて」
「あっ、いいのいいの、観られれば。ありがとう。ねえ、秋組? だっけ? の次公演ていつなの?」
どうも彼女の本命は秋組のようだ。というより、やはり兵頭十座が目当てなのだろうか。あの強面に怯みもせずに話しかけるなんて。
親しい知り合いなのか、周りが驚いていることにも気がついていないらしい。むしろ十座の方が周りを気にしている。
「それは分からねえが……決まったら知らせる。アンタあんまり俺に近寄らねぇ方がいいぞ……」
きょろり、と見回し辺りの反応に気がついて、気まずそうに眉を寄せ――そして、左京の存在に気がついた。
「左京さん」
小さくそう呼んだだろうことが、口唇の動きで分かる。左京はそれでようやく我に返り、手にしていた紙切れの存在を思い出す。
左京はため息の後に足を踏み出し、十座と、仲の良さそうな女の方へと歩み寄った。
「さ、左京さん? どうして」
「えっ、だ、誰――あ、秋組の!」
「……話の途中で邪魔して悪いな。チケット、二枚都合つけたから。日程に縛りがないなら、座って観られた方がいいだろう」
左京の手にしていたものは、二枚連番の観劇チケット。もともと関係者席として空けていた分だが、どうせなら一般客に回したい。もちろん関係者に話を通した上でだ。
「え、え、いいの? 一緒に行く子も超楽しみにしてるの、嬉しい。あっ、じゃあお金、二人分」
彼女はそう言って財布を取り出す。
左京は不思議に思った。本当に観劇を楽しみにしているようで、十座に声をかける口実にしては、熱のベクトルが違う。
思い違いだったのかと、左京は気まずそうに口を引き結んだ。
(ああ、でも。親しいようだし、これを口実にしなくても、いつでも逢えるってことかもな)
「ありがとう、ホントに! 友達にも超宣伝しとくね!」
「あっ、ああ、おいそんなに走んな、転ぶだろうが!」
スカートを翻して嬉しそうに駆けていく彼女に、十座が声をかける。大丈夫ー、と振り向きもしないで返してくる彼女の後ろ姿を見送りながら、十座は心配そうに眉を寄せていた。
「相変わらず危なっかしいな……」
「あれ、お前の女だったヤツか?」
そんな十座に、思わず言葉がこぼれ落ちる。左京はハッとして口を押さえるが、え? と振り向いてきたあたり、聞こえてしまっているのだろう。
「な、なんでもねえ。帰る」
「帰るって、左京さん……あれ、わざわざ持ってきてくれたんすか」
「観たいヤツには観せてやりてぇだろうが」
左京は居心地が悪くなって踵を返し、車へと歩く。慌てて、十座が追いかけてきた。
その後ろで、あれスジもんじゃねーの、兵頭のアニキってヤツじゃねーの、さすが兵頭さんっすよ! などと囁かれていることに、二人ともが気づかないで。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-029-
冬組優先で稽古が繰り広げられる日々が続く。総監督であるいづみや、衣装担当である幸は本当に忙しそうで、他の組のメンバーも、空いている時間を……というより、時間を空けて手伝いをしていた。
それでも稽古は欠かせない。三十分でも、一時間でも、必ず組の全員が集まって稽古をするという、暗黙のルールが組み込まれていた。
左京の視線が、十座を追う。いや、正確にはランスキーを、だ。
(昨日より、よくなってやがる)
臣の演じるデューイとのシーンに、独特の間が生まれている。何かを言いかけて躊躇い、結局口を噤むのは、台本にはないところだ。
デューイもそれに気がついて、次の取り引きも楽しみだなとランスキーの肩を叩いていく。項垂れて頭を抱える仕草は台本通りだが、思わず自分も髪をかきむしりたくなるようなオーラがあった。
「何かものすごくイジメてる気になりました……」
「臣クン、デューイとのギャップがすごいッスよ」
「十座ほどじゃないだろ。また上手くなった気がする」
十座の演技の変化は臣や太一も気がついていて、引っ張られることさえあるようになったらしい。
シーンが終わった後も十座は場に残っていて、まさかまた入り込みすぎたのではと、左京は十座のもとへ歩み寄った。
「兵頭?」
「え、あ」
「休憩入るぞ。大丈夫か?」
「……っす。まだ、ちょっと……上手くできなくて」
左京はぱちぱちと目を瞬いた。あんなアドリブを仕込んでおいて、何を言っているのだろうか。しかもあれは、恐らく客席には見えない動作だ。
派手な動きだけでなく、細かなところまで意識が向くようになったのは、目覚ましい成長ではないか。
「何言ってやがんだ。今のよかったぞ。ランスキーの葛藤がうまく出てた」
その部分は素直に褒めてやりたい。そう思って口にすれば、十座はひどく嬉しそうな笑顔を向けてくる。
それは左京の心臓に、ほんの少しの痛みを与え、埋まっていく。
(こういう顔をできるヤツに、あんな……泣きそうな顔、何度もさせた)
嘘か本当か分からないが、先日紬に聞いた、ループしたあの日。
十座の方にもそんな意識はないのだろうが、あの日を何度も繰り返したというのだ。傷つけたいと思ってのことではもちろんないが、罪悪感は残る。
「あざっす。左京さんに褒められんのが、やっぱりいちばん嬉しいな」
「……そうか」
秋組のメンバーしかいないところでは、十座は恋心を隠しもしなくなった。
知られているのなら、無理に押し込める必要もないと思っているのだろう。
その想いを向けられる左京の方は、少しは隠せと思っているのだが、押さえ付けすぎてまた何かあったら、その方が困る。
「次の公演も楽しみだな」
「気が早えな、冬組の公演もまだだってのに。それが無事終わっても、春組や夏組が控えてんだぞ。舞台に立てるのはまだ先だ」
「そうっすけど……」
「まあ、それも冬組がタイマンACTに勝てたらの話だがな」
千秋楽が終わった途端、MANKAIカンパニーは解散させられるかもしれない。そういう約束だ。
「冬組が負けるわけねーだろ。紬さんが主演だぜ?」
会話に、万里が入り込んでくる。冬組のこととなると黙っていられないようだ。
主演である紬に恋をしている男としては、根拠もなく信じていられるものらしい。
「紬さんの力だけじゃダメだろ。冬組としてまとまってないと……」
「毎回うちの組の稽古ブチ壊してるてめーが言うな」
「そっくりそのまま返す。ブチ壊してんのはてめーだろ、摂津」
「ああ~もう~万チャン十座サン~~、喧嘩はダメっすよ!」
「こらこら二人とも、仲良しなのは分かるが、喧嘩はダメだぞ~」
「どっこも仲良くねえだろが!?」
「どこ見てんだ臣さん」
秋組のいつも通りのやりとりに、左京は呆れつつも口の端を上げる。あの日、不用意に晒してしまった十座の恋を全員が受け止めて、そのままでいいのだと言ってやっているようなものだ。
受け入れられていない自分だけが、ひどく子供のような気がした。
当事者である以上、他人事のように簡単に受け入れられるわけもないのだが、こんな雰囲気をブチ壊したくない。
いっそ、受け入れてしまった方が楽なのかと考えかけたとき、十座とバッチリ視線が合ってしまう。
「……左京さん? どうかしたのか。顔色がよくねえ」
「え、あっ……」
ふと額あたりに伸びてきた十座の手を、ぱしりと払ってしまう。そうしてからしまったと気がついても、十座の気まずそうな顔は、どうすることもできなかった。
「悪い、熱でもあんのかと思って……」
「あ、いや、別に……こっちこそ、すまん……」
「アンタが謝ることじゃねえだろ。身の危険感じたっておかしくねえんだ。気をつける」
そう言って十座は体を翻す。ずき、と左京の心臓が痛んだ。
背を向けられることなんか、慣れているはずなのに、怖がられることも、慣れているのに。
悲しそうな顔をされるのは、少しも慣れていない。
「兵頭ー、ちょっとこのシーンつきあえや」
「あぁ? どこだよ」
「ここ。てめーが昨日詰まってたとこだよ」
「詰まってねえ」
「あーもーいいからやんぞ」
「おう」
万里との演技に没頭していく十座を眺め、左京は口唇を引き結ぶ。
(まぶしい……)
芝居へ向ける若い情熱は眩しくて、もっと伸ばして育ててやりたいと思う。
十座の演技に深みを増させたのが、自分への恋心だというなら、もし受け入れることでさらに成長できるなら、と考えてしまった。
そんな打算的な思いで受け入れて、果たして十座は成長ができるのか。
ひとつ間違えば、ダメになってしまうのに、そんなリスクは侵せない。
(無理だろ、どう考えても……。さっさと次の恋見つけろよ、兵頭)
左京は万里と演技をする十座から目を逸らし、目蓋を閉じた。
そうして稽古の時間が終わり、秋組の連中は風呂へと向かう。
左京はいつも少し時間をずらしているのだが、今日もクールダウンのストレッチを長めにやろうと、ひとりレッスン室に残った。
「あ、左京さん」
ドアを閉めかけた十座が、開け放したまま舞い戻ってくる。
「兵頭? どうした」
何か忘れ物かと視線を上げたら、嬉しそうな顔をした十座と視線が重なった。
「今日、まだ言ってなかったんで。……好きだ、って、言いたかったんす」
息が止まってしまう。まさかそれを言うためだけに戻ってきたのかと。
開け放したドアは、うっかり変なことにならないようにとの決意の表れなのか、左京への気遣いなのか。
左京は熱くなる頬を隠そうと、口許を手で覆う。直球すぎる想いに、どう応えてやればいのか。
「おやすみ、左京さん」
「あ、ああ……っ」
思わず声が上擦る。
十座がドアを閉めて出ていってから、左京はそこにしゃがみ込んだ。
(なんであんなガキに、振り回されなきゃいけねえんだよっ……)
まだ顔が熱い。しばらく冷めそうになくて、ストレッチなんてできるはずもなかった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-028-
起きたときにはもう、十時近く。飛び起きれば頭がずきりと痛んで、昨日の酒がまだ抜けていないことを知る。
「おっ、左京さん起きてきた。二日酔い平気っすか」
リビングに向かえば、秋組のリーダーである万里が、携帯端末片手に何かと格闘していた。
「ああ……大丈夫だ……」
「大丈夫って顔でもねーけどな。今日昼から稽古だろ? アンタ出られんの、そんなんで」
「稽古には出る。少し寝不足なだけだ」
「ハ、それって兵頭のせいじゃねーの」
からかう材料は全部使うとでも言いたげに、万里は笑う。いつもの左京なら、それに鋭い眼光で返していただろう。
「恋愛脳みてーなこと言うな。自分が今そうだからって」
否定はできない。眠れなかったのは、ずっと考えていたのは、十座のことなのだ。だがそれを素直に認めるだけではどうにもバツが悪くて、ちょっとした仕返し。思った通り、万里は驚きに目を瞠った。
「な、んで知ってんすか」
「演技が変わったからな。女でもできたのかと思ったらまあ……ハハ、まさかな」
お前があの月岡を、と小さくつけ加えると、万里が面白くなさそうにふいと顔を背けた。
「いいだろ別に。力ずくでどうにかしてえってわけじゃねえんだし。迷惑はかけてねえ」
「……兵頭と同じことを言いやがる。若ぇな、ほんと」
左京は、そこでようやく気づく。十座の気持ちを秋組の連中の前でさらけ出してしまったあの時、どうして万里があんなに怒ったのかを。
「恋すんのに歳なんか関係ねえってんだよ」
「ガキだってマジな恋愛してんだよ、か? まったくお前は、冬組が大変な時に」
手を持ち上げると、万里が肩を竦める。叩かれると思ったのだろうか。だが左京のその手は、万里の頭をぽんぽんと撫でるだけだった。
「は、え……?」
「なんだ」
「え、あ、いや、なんかチョーシ狂うってか……」
撫でられるとは思っていなかった万里が、どこか居心地悪そうに首を傾げる。左京がそれに苦笑した頃、ひょいとリビングに顔を出した団員がいた。
「あ」
気まずそうなその声にいち早く気がついたのは、万里。
「紬さん、おはよ。今日もカテキョ?」
というのも、入ってきた相手が、片想いをしているらしい月岡紬だったからだ。
その嬉しそうな顔は、左京の時とは段違いだ。
恋をすると、誰もがこんな風になってしまうのだろうかと、左京は肩を竦めた。
「お、おはよう万里くん。左京さんも。そうなんだ、今日もカテキョ。学生さんは大変だよね」
紬の反応を見るに、どうもまんざらでもなさそうなのが気にかかる。彼はもう、万里の気持ちを受け入れられているのだろうか。
「あ、左京さん大丈夫ですか? 昨夜相当飲んでたって聞きましたけど……」
「あ、ああ……今から出るのか月岡」
「はい、ゆっくり行こうかなって」
「俺もちょっと用事がある」
「あ、じゃあ一緒に行きましょうか。俺は駅の方ですが、方向同じですか?」
「ああ、本屋にちょっとな。摂津、昼メシまでには帰るから、稽古は予定通りだ」
「ういーっす」
本当はそんな予定はなかったけれど、まさかここで話し込むわけにもいかない内容だ。左京は素早く出掛ける準備をして、紬の後を追って玄関へ向かう。途中、紬を見送っていたのか、上機嫌な万里と廊下ですれ違った。
(摂津のあんな顔、初めて見たな……)
短い間の会話でも、万里は嬉しいに違いないのだ。
少し顔の赤い紬の横で、左京は口を開いた。
「月岡、お前摂津とはどうなってんだ?」
「えっ……え!?」
紬が驚いて勢いよく振り向いてくる。前触れもなかったその問いかけに、すぐには対処できなかったらしい。
「もっ、もしかして玄関での会話、聞かれてました?」
「いや、……悪い、ちょっと、兵頭に聞いちまってな。摂津の演技が変わったから、不思議に思ってたんだが……冬組が大変なときに、うちのリーダーがすまねえな」
「あー……」
紬は困ったように頬をかき、はははと笑う。
深刻に困っているようではないが、困っていないわけでもないようだ。
「びっくりしました。そんなにストレートに訊かれるとは思わなくて」
「つきあってんのか?」
「いえ、そういうのはなくて。万里くんが、俺なんかのこと好きだって言ってくれることを、今ようやく素直に受け入れられた状態っていうか。だから、万里くんには待ってもらってます。今は本当にそれどころじゃないでしょ」
知られているのなら、隠しても無駄と思っているのか、紬は万里の想いを素直に吐き出してくる。この素直さに万里は惹かれたのだろうか。
「よく……受け入れられたな、年下の、しかも男からの告白なんて」
駅までの道のりをゆっくりと歩きながら、左京は罪悪感にも似た思いで呟く。
紬のように、嬉しそうに「待ってもらっている」なんて言えない。言ってやれない。
「俺だって戸惑いましたよ、そりゃ。万里くんはまだ若いし、女の人にだって絶対モテるのに、どうして俺なんだろうって。あの子に、何か良いところ見せたわけでもないのに……」
「そうだな、歳の差ってのはどうしてもついて回る。アイツらは、ちゃんとそこらへん理解してんのかどうか」
ため息混じりに呟く。
歳の差というのは、万里や十座が思っているよりも重くのしかかる時がある。進学、就職、その他にもいろんな場面で、お互いの違いというものを目の当たりにすることになるだろう。
「好き」という感情だけで突き動いてしまう若さを、うらやましいとも、愚かしいとも思う。
「アイツら……? え、っと……左京さん? もしかして」
かばんの紐をにぎりしめ、紬が振り向いてくる。そこでようやく、自分の発言を思い返して、しまったと思った。ただでさえ月岡紬という男は、他人の本質を見透かす相手だというのに、考えが浅かった。
「あー……っと、その、俺も……今、お前とおんなじ状況でな。こっちは兵頭なんだが」
「へえ、十座くんですか。……あんまりこう、結び付かない感じですよね。驚いたんじゃないですか? 左京さん」
「まあな。最初は信じなかったし、ふざけたこと言うなって怒鳴りつけたし、秋組の連中の前で言っちまったしな。受け入れるつもりはねえんだが、どうにもバツが悪い」
意外な相手だった、と紬は首を傾げ、左京は突き放してきたこれまでを振り返った。
よくあそこまでされて、まだ好きだなんて言ってくるものだと、諦めの悪さを思い知る。
だけど、少し考えてみればすぐに分かることだった。
自分以外の誰かになりたくて劇団に入り、どれだけ下手くそだろうと、演じることを諦めなかった男だ。
恋も、同じ情熱でぶつかってくる。
「昨日も余計なこと言っちまってな。……泣きそうな顔すんだよ。なんでか、それが頭から離れない。まるで何度も同じものを見たみたいに、鮮明でな」
もしかしたら十座は、これまでもそういう顔をしていたかもしれない。だけど左京がそれを認識したのは、昨日が初めてだ。それなのにどうして、こんなにも心に根を張っているのだろうか。
「あ、……あー、それは、もしかしたら、……俺と丞のせいかもしれないですね。ループしてたからなあ……」
そう思っていたら、紬が本当に申し訳なさそうに項垂れて、額を押さえる。
左京は不思議に思って、オウム返しのように呟いた。
「ループ?」
「えっと……こんなこと信じてもらえるかどうか分からないんですけど。支配人が言ってた七不思議、覚えてます? 無間地獄っていう……」
言いにくそうに唸りつつ、紬は左京の問い掛けに答えてくれる。
左京は記憶を手繰り寄せ、支配人である松川が話していた七不思議とやらを思い出してみる。
確か無間地獄とは、人形の呪いだったはずだ。仲違いをした二人が、仲直りするまで抜け出せない地獄にハマりこんでしまうとかどうとか。
七不思議とは言うが、どれもこれもお伽話のレベルにすら達してない、馬鹿馬鹿しいものだった。左京としては、光熱費がどこから支払われているのかということの方が、よほど七不思議である。
「……ちょっと待て。何が言いたいんだお前」
「だから、俺と丞が喧嘩してたせいで、抜け出せなかったんですよ。【昨日】から。何度も昨日を繰り返して、何度も同じことをしてたんです。俺と丞と、あと三角くん……三日くらい、昨日をループしました」
紬が紡ぐ言葉を頭の中で整理して、今度は左京が頭を抱えた。こんな非現実的なことを言う男だとは、思っていなかった。
「月岡、お前な……」
「嘘じゃないですよ。タイマンACT受けるって決める前の丞とのケンカも繰り返しましたし、ニュースだって一言一句相違ないものを見ました。それと、……万里くんの真剣な告白も。昨日、万里くんは俺に好きだって言ってくれました。彼にとっては一回なんでしょうが、俺にとっては違う。おかげで、万里くんの気持ちを信じざるを得なくなったというか、慣れてしまったというか」
ハハハと照れ臭そうに笑う紬。
突拍子もなくて現実味もないけれど、紬が万里の気持ちを、ちゃんと受け止めている理由がそれなのだとしたら、本当に昨日を繰り返していたのだろうか。
「いつも言葉は違ったけれど、毎回真剣に伝えてくれました。そんな万里くんの気持ちは、俺も真剣に考えて答えを出したいなって思うんです」
一日を何度も繰り返すなんて、そんな馬鹿げたことがあってたまるかとも思うが、紬の横顔は嘘をついている風にも見えない。
いつも言葉は違ったというのなら、繰り返している意識のなかった左京も、違う言葉を十座に投げつけていた可能性があるということだ。
七不思議を信じるつもりもないけれど、十座の顔が頭から離れない理由をそれにしても、許される。
それと同時に、新たな罪の意識。
「左京さん? ……やっぱり、信じられませんよね、こんな話」
「…………もし、お前のその話が本当だったら、俺は兵頭に、何度もあんな顔をさせているということか」
どこからどこまでをループしていたのか、左京には分からない。だけど、受け入れられないと言ったのは確実で、何らかの言葉で、十座を傷つけていた可能性は高いのだ。
だからあの泣きそうな顔が、今も頭から離れないのに違いない。
繰り返し、繰り返し、傷つけた。
十座はただ、左京に好きだと言っただけで、責められる謂われはないはず。
左京はそこまで考えて、ハッとした。昨日をループしていたということは、あの――キスも、繰り返していたのだと。
思わず口を押さえ、羞恥に顔を赤らめた。
十座も、左京自身も意識してのことではないとはいえ、潜在的には数回だ。たかがキスで騒ぎ立てるほどウブでもないが、決まりが悪い。
「いや、絶対信じないからな、そんな話。だいたい、ループなんてな、理論的にどーたらこーたら」
「理論的じゃないから七不思議なんじゃないですか……」
「と、ともかく、その、なんだ、摂津のことで何か迷惑に思うことがあったら、すぐに言えってことをだな」
居心地が悪くなって、左京はつま先の向きを変える。行く予定のなかった本屋だが、この際逃げ出す口実に使わせてもらおうと、駅へ向かう紬とたもとを分かった。
「それを言うためだったんですね、左京さん。ありがとうございます。何もないとは思うんですけど、あったらよろしくお願いしますね」
目的の半分は確かにそれで、もう半分は同じ境遇の紬の選択を確認するためだ。
なぜだか返り討ちにあったような感覚を引き連れて、左京は行きつけの本屋へと足を向けていった。
#シリーズ物 #ウェブ再録
金色の曼珠沙華-027-
「大丈夫っすか、左京さん」
そこには水の入ったグラスを片手に、十座が待っていた。心配そうに下がる眉尻を目に映し、大丈夫だと平気で嘘をつく。こんなズルイ大人にはなってくれるなよと願いながら、突き放したつもりだった。
「……アンタ今の自分の状態分かってねぇだろ。眼鏡、どこやったんだ」
「え、あ……ポケット……」
「かけんのも忘れるほど酔っ払ってんだって、自覚してくれ。危ない……」
そういえば忘れていたな、とポケットから眼鏡を取り出し、かける。どうりで視界の色が混ざっていたわけだと。
視界はおかげではっきりしたけれど、頭の方はどうもぼんやりしている。
十座に腕を掴まれ、強い力で引かれる。それに合わせて足を踏み出すしかなくて、仕方なく十座の誘導に従い、無事に部屋へと戻った。
「ほら、水。自分でベッド上がれんすか、アンタ……って、おい、寝んな」
部屋に着いた途端、安堵からか緊張が一気に解け、体から力が抜けていってしまう。
水、と差し出されたグラスも受け取る気力がない。ぱたりと体を横たえて、あー……と生返事。グラスが傍のテーブルに置かれた音と、十座の呆れたため息が聞こえるけれど、目蓋が重い。
「布団下ろすから、ちょっと待ってくれ。床でなんか寝たら、明日しんどいだろ」
「んー……」
「聞いてねぇなこの人……」
聞こえてはいるのだ、返事をする気がないだけで。
十座がはしごを登る音がする。シーツのこすれる音、掛け布団がバサリと落ちてくる音、はしごが少し軋む音。
「っと……こんなもんでいいか……。ほら、左京さん、こっち。布団敷いたんで」
肩を叩かれて意識が浮上する。そのまま寝返りを打って少し体をずらせばいいだろう場所に、敷いてくれたのが分かった。
左京はさすがに、そこまでされては従う他にないと、ゆっくり寝返りを打った。
「……しょうがねぇ大人だな……」
「悪いな……」
「悪いと思ってんなら、俺とふたりの時に、そんな無防備なとこ晒さないでくれ。抱いちまうぞ」
布団の上に移動すれば、ばさりと掛け布団がかけられる。びく、と肩が揺れてしまった。
「力ずくでどうこうしたいわけじゃない。目一杯我慢してんだ、煽るなよ」
「…………なら、断れば良かった、だろ……伏見のヤツなんか、絶対わざとなんだぞ」
「我慢しても、触りたい気持ちがあんだよ。言っただろうが、俺の【好き】は、そういう好きだって」
その気持ちは分からないでもないと、左京は布団の中でゆっくりと眼鏡に手をかけた。
劣情を我慢しても、好きな相手の傍にいたい。その機会があるなら、他人には譲りたくない――そういったことなのだろう。
「お前の気持ちを受け入れるつもりはねぇ。性欲発散したいんだったら、そういう女抱いてこい。女の体を知れば、俺なんか抱きてえとは思わなくなんだろ」
受け入れられないと思うのは、間違いなく本音だ。違う世界を知れば、すぐに離れていくだろう若さが、うらやましくもあり、怖くもあった。
だから、悪意のつもりでなく口にしたのだが。
「……兵、頭?」
眼鏡を外す直前、レンズ越しに見てしまった。驚きに目を瞠ったそれが、だんだんと悔しさに歪んでいくのを。
左京は眼鏡をかけ直し、十座が敷いてくれた布団の上に少し体を起こす。
「アンタを好きだって言ってる俺に、女抱いてこいって言うんすか……」
十座は俯いて、口唇を噛んだように見える。髪をぐしゃりとかき混ぜて、拳を握った。
「兵――」
また不用意に傷つけたのだと知った左京は、十座へと手を伸ばす。そうして、どうしようと思ったわけでもない。悪気があったわけじゃないということだけ、分かってほしかったのだが、
「うわっ……」
その手を取られ、鋭い瞳で貫かれる。怯んだ隙に肩を押され、起こしたはずの体は布団へと逆戻り。
すぐに上から見下ろされ、天井の灯りは十座の体で遮られた。この状況はまずいと、ぼんやりした頭でも分かる。
「兵頭……っ」
慌てて名を呼んだら、泣き出す前の悔しそうな視線が突き刺さった。
「これ以上どう言ったら、俺の気持ち全部、アンタに伝わるんだ、左京さん……」
「え……」
肩と腕を押さえつけておきながらも、力ずくでどうこうしたいわけじゃないと言った通り、十座は強引にコトを進めたいわけではなさそうだ。
ただ伝わっていない想いがもどかしくて、全部を伝えたいとだけ、泣きそうな顔をして告げてくる。
「好きだってちゃんと言っただろう。抱きたいって、包み隠さず言った。受け入れられねえのは仕方ねえが、俺の目を他のヤツに向けさせようとしないでくれ。迷惑だって言われるより、よっぽどつれぇ」
左京は瞬きもできずに、十座の視線を、声を、吐息を、その一身に受けた。
「俺は――本当に左京さんが好きなんだ」
十座は手を浮かせ、左京の頬に触れようとし、躊躇って、結局触れずにきゅっと拳を握る。
そうして顔を背け、体を退かし、立ち上がって背を向けた。
「さっき言った通り、無理やりしたいわけじゃねーから……それは絶対にしねえ。怖がらないでくれ」
「兵頭、俺は」
「あとアンタには関係ねーけど、俺は別に、女を知らないわけじゃねえんで、左京さんの提案は無駄だ」
おやすみなさいと、十座は左京の部屋を出ていく。
左京は布団の上に体を起こしたまま、体を硬直させた。閉まったドアを三秒見つめ、ようやくゆっくり目を瞬く。
(なん、つった、アイツ……今、なに……)
十座が呟き残していった言葉が、耳の中に残る。
女を知らないわけじゃない、というのは、どういうことか。いや、どういうこともなにも、意味としてはひとつしかないのだろうが、十座とそれがどうしても結びつかないのだ。
左京は戸惑って顔ごと視線を泳がせ、真意を探ろうとする。
女を知っているというのは、女という存在を知っているという意味ではないはずだ。そんな幼稚園児でも知っていること、わざわざ言う必要はない。
ということは、異性として、肌の感触を、体温を知っているということになる。
(いや、別に、女と寝たことあるって、あの歳ならおかしくねぇし、おかしく……ねえんだが……つきあってたヤツ、いたのか……?)
ぐわんぐわんと目が回るようだ。酒の影響と、今の言葉の衝撃が交わって、左京の思考をぼやけさせる。
(でも、初恋だって、言ってたじゃねえかよ……好きでもねえ女と寝てたってのか? ああ、いや、そりゃ俺が責められるようなことじゃねえんだが……)
喉が焼けるように熱い。胃がぐるぐると回る。吐けるものはすべて吐き出してきたはずなのに、この不快感。
歯を食いしばって、痛みと熱に耐える。酒の飲み過ぎによる頭痛よりも、不可解な原因で痛む心臓の方が重症だ。
(また傷つけちまった……あんな顔するなんて思わなかったんだ)
ずきん、ずきん、ずきん。
女を知ればいいと思ったことは本当なのに、すでに知っていたと分かった途端、悔しさが募る。
アテが外れたからだと納得はしているものの、傷つけてしまった罪悪感は消えてくれない。心臓の痛みもそのせいだろうと位置づけて、左京は腕で目元を覆った。
「どうすりゃいいんだよ…………」
その小さな呟きは、音になったかならないかというほどのか弱さで、ひとりきりの部屋に吸い込まれていく。
また眠れない夜になるのかと、左京は悔しさにこくりと唾を飲んだ。
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金色の曼珠沙華-026-
飲み過ぎた、と思う。それは自覚していた。
恐らく、向けられる慣れない感情を、どうにか昇華しようと変に気を張っていたのが、よくなかったのだろう。加えて、冬組の連中が案外酒に強かったというのも、誤算だった。つい引きずられて、自分のペースというものが乱れてしまったのだ。
「う……」
「あ、左京くんストップ、それ以上はまず……ねえ、大丈夫?」
「おやおや、もうダウンかい? ワタシのすばらしい詩で酔いを覚ますといい」
「誉、そういうのは正気の時の方が、心に響くんじゃないかな」
「水持ってきたけど、大丈夫か?」
「ああ、ありがとう丞。左京くん、飲める?」
一緒のテーブルで飲んでいた連中の声も、はっきりとは聞こえてこない。気を遣わせてしまっているのは分かるのに、うまく体が動いてくれない。
これはもう吐いてきた方が楽になると分かるが、今立ち上がったらマズイことも理解できる。
渡されたグラスの中身が、本当に水なのかどうかも、判断がつかなかった。
「あれ、左京さん潰れちゃったんですか」
「駄目な大人、発見。自分の限界くらい理解しときなよ」
「うるせーぞ……」
昨夜眠れなかったこともあり、余計に酒の回りが早い。臣や幸が心配と呆れた口調で口にして、一成がフルーチェさん酔いつぶれ~と写真を撮ったりしているのを、止めることもできなかった。
「うっわ、オッサン潰れてんのかよ」
「あれ、万チャンどこ行ってたんすか?」
「あー、ちょっとな。つか左京さん平気なのかよ。ぜってー朝までコースだと思ってたのに、潰れちまうとか。……誰かさんのせいじゃねーの」
「……何でだ」
万里のからかうような声に、十座が不機嫌そうに答えるのが聞こえる。少し間があったのは、心当たりがあるからだろうか。ぼんやりとした意識の中で、左京は十座の声に耳を傾けた。
(そうだ、てめーのせいだ、あんなこと言うから、あんなこと、するから……!)
責めて、八つ当たりをして、どうにか意識を保つ。
「余計なこと言ったり? 悩んでっから、ペース乱れんだよ」
「てめーに言われたかねぇ。そっちは言ってねぇんだろ、ちゃんと」
「ハッ、おあいにく様、ちゃんと言ってきたんだよ。おめーと違って、わりといい反応もらえてっし」
「あァ? 気のせいじゃねーのか」
「ンだとコラ。やんのか」
「上等だてめぇ」
相変わらず顔を合わせればケンカなのか、と左京は呆れるも、怒鳴る気力なんか当然ない。頼むから人の頭の上でデカい声を出すなと言ってやりたいのに、それさえままならなかった。
「こらこらふたりとも、ケンカしてる場合じゃないだろ」
「早く部屋なりトイレなり連れてったら? 邪魔だし」
「あ、そうだな、じゃあ……」
「たーすーく、ボクとの飲み比べ、まだ勝負ついてないでしょ」
「……まだやるのか。じゃあ、伏見か兵頭あたり、頼む」
「俺はここ片付けるから、十座、左京さんのことを頼めるか?」
「俺、っすか。………………分かった」
そうくるとは思わなかった、とでも言いたげなため息が左京の耳に入ってくる。
それはこちらも同じだと言いたいが、声が出てこない。
東や臣は十割わざとに違いなくて、苦虫を噛み潰す。あまり乗り気でなさそうな十座の態度も気にくわなくて、左京は力を振り絞って椅子から腰を上げた。
「だ、大丈夫だ、ひとりで――」
「んなフラフラで何言ってんすか……肩、貸すんで……」
言った傍からよろりとふらつく左京の腕を押さえ、十座がそう声をかけてくる。
情けないし恥ずかしいし煩わしいけれど、今は誰かの支えが必要だと腹をくくって、左京は十座の肩を貸してもらった。とはいっても、そっと掴まるだけだ。
十座が左京の腕を担がなかったのは、恐らく必要以上の接触を避けるためで、腰に回される強張った腕からは、その力以上の戸惑いが感じられた。
「部屋で、いいんすか」
「いや……トイレ……一旦吐いてくる……」
また騒がしくなったリビングを出て、このまま部屋に送ればいいのかと訊ねてくる十座に、左京はトイレの方向を指さす。胃がぐるぐると回るこの感覚は、中身を出してしまわないとどうしようもない。
「吐くほど飲むなよ」
「……っせぇ……」
ゆっくりと、左京のペースに合わせて誘導してくれる。そんな十座のため息を、至近距離で聞いた。
呆れて、このまま恋心を打ち消してくれないかと願う。
どうせ応えられないのだから、早い方が傷も浅い。
「左京さん、あの、俺のせい……っすか、摂津もそう言ってたし……」
「自惚れんな……てめーのことなんかで、飲むペース狂うほど悩んだりしねぇ……」
悩む価値もないと告げれば、諦めてくれるかと思ってみたが、
「そうか、なら良かった……明日アンタに好きだって言っても、悩まねえんだな」
無駄だったようだ。悩んでいないのなら、どれだけでも告げてやろうと思っているらしい。
失敗したな、と思ってももう遅い。まっすぐに向かってくる十座の情熱が、心臓に痛い。悪い感情ではないからこそ、受け止められる誰かに向ければいいものを、と思ってしまう。
「ああ、もちろん、今日も好きだ」
思いついたように、十座は余計なことを告げてくる。左京は顔を上げ、着いたトイレの前で十座の肩から腕を放した。
「お前がそう言うたびに、俺が拒絶してもか?」
「それでもだ」
少しの逡巡もなく、十座は答えてくる。左京はそれに何も返せずに、体ごと視線を背けた。
「じゃあ、水もらってくる」
十座はそう言って、キッチンの方へ向かっていく。あのまぶしいほどの情熱を、いつまで退けられるだろうかと長く息を吐いて、左京はトイレのドアを開けた。
個室に逃げ込んで息を吸い込み、眼鏡を外してポケットにしまいこむ。
吐き出せる物をすべて吐き出して、頭と体をすっきりさせた。不快さは残るものの、先ほどよりは随分とマシに思える。
「はあっ……」
不満も不安も、全部吐き出せてしまえばよかった。
そうできるほど器用でもなくて、ぶつけられるほど素直でもなく、飲み込んでしまえるほど大人でもない。
向かってくるあの想いを、どう処理したらいいのか分からない不安。それを、誰にぶつけたらいいのだろう。
口をゆすいで、まだぼんやりとする頭で廊下に出た。
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