No.560

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情熱のブルー-004-

情熱のブルー,塚跡WEB再録 2023.03.19

#塚跡 #片想い #ウェブ再録 #シリーズ物 #情熱のブルー

「先生、全国大会に間に合わせたいのですが」 宮崎県にある青春学園大学病院で、診察室の椅子に座るや否や…

情熱のブルー,塚跡WEB再録

情熱のブルー-004-

「先生、全国大会に間に合わせたいのですが」
 宮崎県にある青春学園大学病院で、診察室の椅子に座るや否や、手塚はそう口にした。
「勝ち進んだのかい? それはおめでとう」
「いえ……まだ関東地区の大会が残ってはいますが。ですが、うちの部は必ず」
「じゃあ君がまずやることは、勝ち進む未来を見ることでなく、ラケットを置くことだ」
 静かに言い放たれる言葉に、目を瞠る。ラケットを置くということは、テニスをするなということだ。
 できないのか? 間に合わないのか? 大会に出られないのか?
 それとも、まさかもう――。
 様々な思いが駆け巡った。ザアッと血の気が引いていく。指先が震えているのに気がついて、グッと拳を握り締めた。
「先、生……、テニスは続けられますか!?」
 珍しく声を荒らげて、ガタリと腰を上げる。まさかもうテニスができないなんてことはないだろうと。
「俺はテニスにすべてを懸けているんです! 先生、この大会がどれほど大事か――それに、プロへの道が」
 道が見え始めたのに。
 こんなところで、こんなことで立ち止まっていたくない。
「君がどれほどテニスを大事にしているかなど、私に分かると思うかい? それを知っているのは君だけだろう。私にできるのは、治す手伝いだけだ。力を貸すから、君はしっかりと私たちの言うことを聞いてほしい」
 諭す口ぶりに、言葉が詰まる。う……と呻くような声しか出てこなかった。
「故障を抱えて競技を続け、選手生命を絶たなければいけなくなった子たちをね、それこそ何人も見てきたんだよ。あれは悲しいね、力不足を思い知らされる。君はそんな思いさせないでくれよ」
 苦笑する医師に、手塚の怒気が失せる。怒りは自分自身に向かっていたものだが、浅慮だった。手伝うだけだというが、力が及ばず責められたことも多々あるのだろう。
 手塚は椅子に座り直し、頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした。よろしくお願いします」
「はい、一緒に頑張りましょう」
 治療の方法やリハビリの流れ、施設の説明を受け、与えられた部屋に入る。ベッドと机、チェスト。簡素な部屋だが、手塚にはそれで充分だ。
 ドサリとベッドに寝転がる。普段なら荷解きをするところだが、考えているよりもずっとダメージが大きい。
 医師の言葉を聞くまで、そんなに深刻な怪我だとは思っていなかった。全国大会に間に合わないかもしれないというのは、焦る。全国大会優勝を目指してここまでやってきたのに、こんなところで立ち止まりたくない。
 だけど、左腕が上がらないのは事実だ。上げようとすると、肩に激痛が走る。何もしていなくても、じわじわと痛みが広がっているように思う。
 応急処置としての痛み止めはしてもらったが、どれだけ効果があるのか。この状態で、よく試合ができたなとも言われた。それは、今になって思う。諦めるつもりはなかったが、よくあれだけのタイブレークを繰り広げられたものだ。
 自分はただ、負けたくなかっただけ。
 それに跡部が全力で応えてくれただけだ。
 あのまっすぐな瞳と同じように、まっすぐに向かってきてくれた。
 もしかしたら一プレイヤーの選手生命を絶つかもしれないという恐怖の中で、ただその一瞬にできうる限りの力を注いでくれた。
 何度思い起こしてみても、彼が手を抜く場面が見当たらない。いっそ心地良いほど、自分の力を見せつけてやるという気概。手塚が肩を痛めてからは、より真摯に一球一球を打ち返してきた。
 睨みつけてくるあのまっすぐな瞳は、ひどく印象的だ。
 ――――あんな試合は、もう二度とできないだろうな。相手が跡部だったからできたことだ……。
 あんな力を秘めていたのかと、体が熱くなる。
 もう試合は終わってしまったのに、何度でも頭の中で繰り返すことができた。一球一球、すべてを覚えていられる試合など、これまであっただろうか。いや、ない。そもそもあんなに力を出せたのは初めてだ。
 今度はいつあんな試合ができるか分からない。
 もう一度戦ったらどうなるだろう?
 考えて、結果が見えないことに笑ってしまった。必ず勝つと言いたいのに、簡単には勝たせてくれそうもない。もう一度試合をしたいと思う相手などそうそうおらず、彼は今や筆頭のプレイヤーとなってしまった。
 ふと、彼は今何をしているだろうかと考える。鍛錬を重ねているだろうかと、自身の左肩に視線を落とした。
 ――――跡部が、これを気にしていないといいが……。
 この肩は、確かに跡部との試合で故障した。今テニスができないのもそのせいだ。だがそこに跡部の責はない。手塚自身の未熟さが招いた結果なのだ。
 幸いにも、治療をすればテニスは続けられるようだし、あれが本当に最期とはならない。もし気にしているようなら、何でもないと言ってやった方がいいのかと思いを馳せる。
 しかし果たして気にするような男だろうか。
 手塚は跡部景吾という男をよく知らない。あの試合の中で、ようやく一欠片を知ったくらいなのだ。対戦相手の怪我を気にする性質なのかどうか分からない。
 だが、気にしているのならあの試合の後に何か言ってきただろう。それがなかったということは、つまりそういうことなのだ。そう思って、どこかでホッとした。
 跡部には、そんなことを気にするよりもさらに高みへと昇ってほしい。さらに強くなった彼とまたコート上で対峙したいのだ。
 公式試合でなくてもいい、またあのボールを打ち返してやりたい。これだと思った決め球だっただろうに、それを打ち返した時のあの顔を見たい。驚きと悔しさと、歓喜を纏ったあの表情。
 公式試合ではなくてもいいとは思うが、しかし個人的に打ち合えるものだろうか。
 そういえば跡部の連絡先も知らないなと今さら気がついた。
 個人的な交流などなかったのだから当然だが、向こうに戻ったら連絡を試みてみようか。テニスがしたいと誘って、受けてくれるかどうかは分からないけれども。
 それを考えていれば、ここでの治療も苦にはならない。青学の勝利を信じて、まずは肩を治すことに専念しよう。
 手塚はようやくゆっくりと起き上がり、荷解きを始めた。


 肩が上がらない。コンクリートで固められたかのようにガチガチに硬く、ピクリとも動かない。
 手塚は焦った。痛みはあっても、動かすことはできていたじゃないかと。
 上がりきらないまでも、ゆっくりと上昇させることはできていたはずだ。
 それなのに、どうして。指先さえ動かない。
 冷や汗が額を伝う。
 悪化したのか? どうしてこんなに急に――なぜ今、左手にラケットを握っているのだ?
 試合中かとハッとしたが、目の前は真っ暗なままだった。
 対戦相手もいない。観客もいない。
 ここはいったいどこだ――? 左を振り向いたその瞬間に、肩に激痛が走る。
 そこで目が覚めた。
「……ッ……、は、……はぁッ」
 夢だと認識した瞬間、ドッと汗が噴き出す。びっしょりと濡れたパジャマが肌に張り付いて不愉快だった。
「ゆ、め……か」
 短い呼吸がだんだん整ってくる。
 左肩に目をやれば、当然だが別にコンクリートで固められてなどいない。上がるだろうかと唾を飲み、恐る恐る肩を上げてみた。
「……ッぐ、ぅ」
 激しい痛みに襲われて、逆にホッとした。
 腕は上がる。胸の辺りまで上がって、そこから先が動かなかった。ズキンズキンと痛む肩が、簡単には上げさせてくれない。
 ここが限界かと唇を引き結んで下ろす。これでは、ろくな球が打てない。試合なんて、とてもじゃないができやしない。この肩は、本当に治るのだろうか。テニスを続けることはできるのだろうか。
 怖い。
 ドクンドクンと心臓が嫌な音を立てる。
 テニスがしたい。今すぐにラケットを握りたい。できるのだと実感したい。
 手塚はちらりと部屋の隅を見やる。そこには愛用のラケットがバッグごと置かれていて、握ろうと思えばすぐにでも握ることができた。
 医師には止められているが、触れるくらいはいいだろうか。そう思って、ベッドから足を下ろし、バッグの方へと向かう。
 バッグのファスナーに触れる、その――寸前。
〝つけるぜ、決着――手塚〟
 頭の中に、声が響いた。
 思わず振り仰ぐけれど、誰もいるわけがない。ここは一人部屋だ。
「…………跡部?」
 だが、呼ばずにはいられない。その声の持ち主を。一度聞いたら忘れられない音だ。そもそも今の声は今発されたものではない。手塚の記憶の中のもの。あの試合で、とことんまっすぐに向かってきた男の挑発ともとれる情熱。
 手塚は触れようとしていた手をすっと引っ込める。
 決着は、ついたような、ついていないような。
 いや、あの時跡部が手塚の手を掲げたことを思うと、彼の方は決着などついていないと言いたいのだろう。必ずまたコートで相見えると、強い意志で示してくれていた。
 深く、息を吸い込む。そして吐き出す。
 ――――大丈夫だ。テニスは、できる。そう信じる。問題ない、……待っていろ、跡部。
 くるりと体を翻し、まだ起床には早いとベッドに潜り込んだ。あれだけ荒れていた心音も落ち着いていて、安堵した。
 焦るあまり不安に駆られて、悪夢が押し寄せてきたのだろうと自分なりに納得して、目を閉じる。
 そんな時聞こえた声が、家族でもなく、青学の仲間たちでもなく、ただ一度対峙したがむしゃらな男のものだったことは不可解だけれども。


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