- きみに逢いに 2026/02/22 11:10:24 NOVEL,テニプリ,塚跡
- クリスマスには早いけど 2025/12/25 00:00:00 NOVEL,テニプリ,塚跡
- 恋人たち 2025/10/11 22:15:31 NOVEL,その他ジャンル
カテゴリ「狡宜」に属する投稿[36件](2ページ目)
境界線の見える窓際で
よかった、と宜野座は玄関を開けて家の中に入り、リビングを突っ切って大きな窓に手をかけた。
「雨降る前で良かったな」
ガラリと勢いよく窓を開けた宜野座の背中にかかる声がある。少しだけ振り向いて、一応客である彼にすまないと詫びた。
「今日、天気予報見ていくの忘れてしまってな。俺としたことが洗濯物を出したままだなんて」
ベランダに干したタオルや衣服は、雨の前の冷たい風にはたはたと揺らめいている。うっかり片付けずに家を出てしまったのは、宜野座にしては珍しいことだった。
「ギノ、コーヒーでいいよな」
「あぁすまないな狡噛。あ、っと、できれば、ミ」
「ミルクたっぷりと砂糖を少し?」
宜野座の声に被せて、狡噛は笑う。お前の好みはもう把握してるよと言わんばかりのしたり顔が、なんだか悔しかった。
客であるはずの狡噛は、勝手知ったる風にキッチンへと向かっていく。そのはずだ、こうして家に招くのは初めてではない。それどころか、頻繁にここで過ごしている。好みも把握されてしまうくらい、互いを想いながら。
上機嫌な狡噛の鼻歌を聴きながら、宜野座はベランダに出る。さすがに肌寒くて、ふるりと身を震わせた。雨が降り出す前にとシャツやタオルを取り込み、ふと視線を遠くの空へ向ける。
「あ、」
取り込もうとしていたシャツに手をかけたまま、動きを止めてしまった。
「ギノ、どうした? コーヒー入ったぞ」
洗濯物を取り込むだけにしては遅いと案じたらしい狡噛が、ベランダに出てくる。宜野座はハッと我に返り、慌てて残りの洗濯物を抱え込んだ。
「あそこ、雨の境みたいでな。ちょっと珍しいものを見た気がしたんだ」
「ん? ああ……本当だ、あそこだけ煙ってるな」
宜野座の指さした方向に狡噛も視線をやる。すると彼の言うとおり、上空に雨雲を冠して空気を暗く揺らしている箇所が見えた。
普段はそんな空を見ることはない。雨に降られてしまってから睨み上げるか、降り出す前に家に入って空とはさよならかだ。あの様子から察するにそこは土砂降りに近いだろう。こうして遠くから見る分には他人事のようにしていられるが、あれがもうすぐここへも到達するのかと思うと、本当に降り出す前に帰ってこられて良かったと感じた。
「お前が思い出してくれたおかげかな。一緒でよかった」
宜野座は雨の境を眺めたまま息を吐く。何気なく呟いた言葉だったのだが、狡噛はそれを嬉しそうに揶揄う。
「いつだって一緒だろう。朝も、昼も、……夜も」
「うわ、こらやめろ馬鹿」
狡噛の手が宜野座の腰を抱き寄せて、頬に口唇が触れた。二人きりでいる時のこんなスキンシップにはもう慣れた(ように装いたい)宜野座だが、ベランダでは人目が気になる。抱え込んだ洗濯物のおかげでほんの少し距離は取れたが、それだってわずかなものだ。
「おいやめろと言うのに」
「寒いかと思って」
狡噛はそのわずかな距離を埋めたがって抱く腕の力を強くする。確かに雨の前の空気は冷たいが、洗濯物を早く取り込んで中に入って熱いコーヒーを飲めば済むことだ。
それをしないのは、もう少しだけ雨の境界線を眺めていたいから。滅多に見ない光景を、もう少しこのまま、ふたりで。
「明日は……晴れるだろうか」
「どうだろう。てるてる坊主でも作っておくか? 久々のデートだしな」
そんなものが効くだろうか? と宜野座は首を傾げながら、迫る雨の境界線を狡噛の腕の中で眺めた。頬をすり寄せてくる狡噛を諫めた目を閉じて、窓際で静かなキスをする。
どうか晴れますようにと、指先を絡めて。
#学生狡宜 #両想い #イベント無配
星が50個流れたら
宜野座伸元は、オートドライブモードが搭載されている車のステアリングを律儀に握りながら、助手席の男に目をやった。
退屈そうに頭の後ろで手を組んで目を伏せている、狡噛慎也へと。
やっぱり当初の望みを聞いてやった方が良かっただろうか? と宜野座は正面に向き直って眉を寄せる。
今日は、狡噛慎也がこの世に生を受けた日だ。
一係のみならず、二係三係のメンバーからもにこやかに祝われていた彼は、本当に皆に好かれていると思う。いくつかプレゼントももらっていたようだ。
だけど宜野座は、まだなにも贈っていない。もちろん忘れていたわけではなく、何日も前から何をやろうかと悩んでいたのだ。
しかし宜野座の思いつくものなど他の誰かからも貰いそうなもので、安易に決めることができなかった。
実際、征陸や六合塚たちが購入申請してきたものは宜野座にも思いつくものだったし、縢のように手料理を振る舞えるほどの技術はない。
狡噛が何を欲しがっているかなんて、分かるわけがない。
今よりもっと距離が近かった学生時代でさえ、狡噛の考えていることは理解できなかったのに、執行官と監視官という、それぞれ違う立場になってしまった今ならなおさらだ。
体だって重ねているほどの関係なのに、誰よりも遠い位置にいるような気がした。
「もうすぐだな」
隣から静かな声が上がって、宜野座はハッと顔を上げる。
だけどそこには相変わらず目を伏せたままの狡噛がいて、不審に思った。なぜ周りの景色を見てもいないのに目的地がもうすぐそこだと分かるのか。
「気味悪いな、猟犬の嗅覚か」
「律儀に法廷速度守るギノの性格と、あそこまでの距離を分かっていれば時間くらい把握できる。そうでなくても、早く着かないかと楽しみにしてるんだ」
宜野座は首を傾げた。退屈そうに見えたけれど、違ったというのかと。
やっぱり狡噛慎也という人間が理解できない。
「……しかし、良かったのか? 外出許可くらいで」
「一つ目の要望却下しておいて、よく言うぜ」
う、と一瞬言葉に詰まって、それでも当然だろうと言い返してやった。
狡噛の欲しがるものが分からなかった宜野座は、ためらいながらも訊ねてみたのだ。何か欲しいものはないかと。
そうしたら狡噛は、間髪入れずにこう言った。
『ギノが欲しい』
と。
一瞬返答を考えて、即座に却下した。別にそうして求められることがいやな訳ではない。
「いつもと変わらないだろう、それじゃ」
せっかくの誕生日なのだ、いつもと違う物をあげてみたい。狡噛が毎年毎年、宜野座にそうしてくれたように。
「……ハハ、特別な日だって思ってくれてんのか、ギノ」
少し照れたような嬉しそうな声にハッとして、そういうことじゃないと否定はしてみたものの、狡噛はその否定を受け入れる気はないらしく、口許がずっと笑っていた。
もう何を言っても墓穴を掘りそうだと、宜野座は口を引き結んで正面に向き直る。ステアリングを握る指先が所在なげにトトンと動くのは、きっと狡噛にも気が疲れているだろうけど。
「着いたぞ。ここでいいんだろう」
目的地に着いて、道の隅に車を停める。駐車場なんて気の利いたものがあるような場所ではなく、やむを得ずだ。
「ああ、……良かった、変わってないな」
狡噛はドアを開けて車の屋根に腕を預け、周りを見渡し呟く。
それはちょうどシートベルトを外した宜野座の耳に届いて、車の中から見える範囲を見渡してから外に出た。
「そうだな、変わってない」
最初にここに来たのは、学生時代最後の夏。そして最後に来たのも、学生時代最後の夏だった。
「覚えてたのか」
「お前に無理矢理連れてこられたことはな。バイクなんて初めて乗ったんだぞ」
あの日のことを思い出す。まだ克明に思い出せる。互いに笑い合っていた日々だ。狡噛がバイクの免許を取ったのは知っていたが、まさか本体を買ってかなり乗りこなしていたとは思わなかった。
後ろに乗れと言われてうっかり従ってしまったのが運の尽きだっただろうか。止める間もなくこんなところに連れてこられて、
「ここで見たかったんだ、流星群。ありがとうなギノ」
ここで、初めてキスをした。
星の流れる空の下で、友人から恋人みたいなものになったのだ。
「星が見たいと言い出した時は驚いたが、もちろんあの日も。お前がこんなにロマンチストだとは思わなかったぞ」
「男ってのは往々にしてロマンを追いかける生き物なんだよ」
「……くだらん」
そう言いながらも、宜野座は狡噛の隣で空を見上げる。雲の少ない空に、光り輝く幾万もの星々。あの日もこんな風だった、と星で視界を埋めながら考えた。
「しかし、流星群の日に誕生日が被るのは初めてだな」
「一係のみんなも連れてきてやったほうが良かったんじゃないのか」
「野暮なこと言うなよギノ。これは、俺がお前に望んでお前が俺にくれたものだ。もったいないだろ」
そもそもこんなに晴れた日は珍しいのに、と宜野座が口にすると、狡噛は草むらに腰を下ろして呟く。
確かに狡噛の言う通りだし、ここに他人を連れてきたくはないと、宜野座こそロマンチシズム満載なことを考えた。
「どっちが野暮なんだ? こんな時くらい煙草はやめておけ」
ポケットから取り出された煙草を取り上げ、くしゃりと握りつぶす。中身が何本か折れたようだが、知ったことかと宜野座は自分のポケットにしまい込んだ。
「おいギノ」
「隣にいる者の身にもなってみろ。今は、だめだ。視界が曇る」
宜野座はそう言いながら狡噛の隣に腰を下ろす。狡噛はその行動に少し驚いたようで目を瞬いたが、じゃあ仕方ないな我慢するよと草むらの上に寝転がった。
「ギノ、お前も寝て見ろ。その方が楽だぞ、首」
「うわっ」
言うが早いか、狡噛の腕は宜野座の襟を掴んで引き倒す。
突然加わった力には対処ができず、宜野座はいとも簡単に背中を草に預けることになってしまった。衝撃で頭は打ったが、なるほど確かに首だけで空を見上げ続けているよりは寝転がってしまった方がずいぶんと楽だ。
「なあ狡噛、これ、楽しいのか?」
タイミングが合わないのか、星が落ちてこない。じっと空を見上げているだけで、狡噛は満足なのだろうか? と視線だけで狡噛を振り向いてみたら、
「お前、それわざとか?」
「何がだ、ちゃんと質問に答えろ」
「あの日と同じこと訊いてきやがる。自覚ないならすごいな」
狡噛はその体勢が楽なのか、頭の後ろで手を組み、空を見上げたまま答えを返してくる。もっとも、宜野座の問いにはかみ合わないものだったが。
「あの日……? そうだったか?」
「ああ、訊いてきたぞ。あの日は流星群の日じゃなかったからな、ふたりで落ちない星を眺めてるだけだった。どれくらい経った頃かな、お前が、楽しいのかって訊いてきたのは」
よくも細かいことまで覚えているものだと宜野座は思う。そういえば言ったような覚えがなくもない。
「あれな、地味にショックだったんだぞ」
「……なんでだ」
「ギノは俺といるだけじゃ楽しくないのかってな」
若かったな、と狡噛は笑う。だが、そんな青くさいことが似合うほど、自分たちはあの時確かに若かった。
初めて見た本物の流れ星に心が震え、そんな時隣にいたのがお互いで良かったと、恐らく二人ともが感じていただろう。
「そのあとすぐだったか、流れ星、見たの。見たか狡噛っ、つってはしゃぐお前の顔、あれは可愛かったな。おかげで我慢できなくてキスしちまったんだが」
思い出して、狡噛はくっくっと喉を鳴らして肩を震わせた。宜野座は顔を真っ赤にして狡噛の記憶力を恨み、ごまかすように眼鏡のブリッジを押し上げた。
「すまないな今は可愛くもなくて」
ふんと鼻を鳴らして顔を背けたら、それに気づいた狡噛が宜野座を振り向いてくる。
「おい何スネてんだギノ。そろそろ流星群始まる時間だぞ」
昔みたいに素直でいられない自分が悔しくて恨めしくて、昔だけを想う狡噛が憎らしいと眉が下がる。星が流れ始める時間だと言われても、宜野座はもうあの時みたいに素直に空を見上げることができなくなっていた。
「あ、流れた」
隣の狡噛からそんな呟きが聞こえても、あの日の純粋な気持ちでなんか見ることはできなくて、顔を背けて口唇を噛んだ。
昔の自分たちに嫉妬するなんて、本当にみっともないと目頭が熱くなりかけた頃、
「なあギノ」
頭の後ろで組まれていたはずの狡噛の右手が、宜野座の左手に触れる。だがそれは、せっかくの流れ星をちゃんと堪能しろといった強制の催促ではなく、宜野座には考えもつかなかったもの。
「わがままついでに、もうひとつ頼みを聞いてほしいんだが」
触れ合わせた指を絡めてきて、珍しく殊勝なことを言う。本当にわがままだなと思いつつ、その頼みを聞けば昔のことを考えずにすむだろうかと、宜野座は顔を背けたままなんだと促した。
「あのな、好きだって言ってくれないか」
「……――はぁ!?」
絡めた指の力が強くなる。宜野座は思わず、勢い良く振り向いてしまった。
「あの日よりも流れる星は多いのに、なんかちょっと寂しくてな。同じ場所なのに、歳取ったってだけで感じることが違うんだ。あの日はどうしたらお前が笑ってくれるかってことだけ考えてたのに、今は……」
狡噛はそこでいったん言葉を切ってしまう。今は、いったい何を考えているのだろう。狡噛のことは、昔から理解なんてできなかった。どうしたら笑ってくれるか考えていたなんて、そんな子供みたいなことを、狡噛も思っていてくれたなんて。
「今は、どうしたらこの距離のままお前を見ていられるのか、そんなことばかり考える」
同じ学生だったあのころとは違う。監視官同士だったらまだマシだった。今は、監視官と執行官だ。どこかでどうしても一線を引かなければいけない間柄。
「あの頃の俺たちに嫉妬したままここを離れたくない。なあ、ギノ」
頼む、と狡噛は続ける。宜野座の肌が、ざわりとあわ立った。昔の自分たちに嫉妬したのが自分だけではないと知って、泣きそうにさえなった。
「……お前へのプレゼントはこの外出許可でしまいだ」
「そう言うなよ。なんだったら俺も言うから、お前の誕生日に」
「遠い」
「なんだ、やっぱり言われたいのか」
「そういう意味じゃないっ」
なぜ自分だけ今言わなければいけないのかという不公平さを言っているんだと憤慨しながら少し体を起こしたが、狡噛は肩を震わせて笑うだけ。宜野座は仕方なく体を草むらに寝転ばせて、言った。
「星が50個流れたら、言ってやる」
そうして、改めて空を見上げる。昔の自分たちに嫉妬すると言った男の隣で、同じように昔の自分たちに嫉妬しながら。
「星50個、ねえ……」
だけど、先ほどまでのような、苦しい気持ちばかりではなくなった。つないだ手から想いが流れ込み合っているような、妙な感覚。
「今からでいいのか?」
「言っておくが、お前の誕生日中に流れたらだからな」
「あと一時間と少し、だな。分かった。お前も一緒に数えろよギノ」
当たり前だと宜野座は返して、まずいちばん最初の星を視界の端で流していった。
早くも、後悔し始めた。
もう45個も流れているじゃないかと、視線を泳がせる。
隣で寝転ぶ狡噛には視線をやりたくない。どうせ面白そうにニヤニヤ笑っているに違いないのだと、つないでいない方の拳を握った。
「ギノ、46個目」
その声さえ笑いが混じっていて気に食わない。流星群とは、こんなに頻繁に星が流れるものだったのかと宜野座はあんな条件ですませたことを本当に後悔していた。
「流星群ってな、1時間に30~50個流れるんだとさ」
「うるさい」
追い打ちをかけるような狡噛の容赦ない解説に、八つ当たりを被せる。それを知っていたら、100個とでも言ってやったのに。地を打つように降ってくる星を、こんなに憎らしいと思ったのは初めてだ。
「47、あ、もう一つ……48」
あと二つで、言い慣れないあの言葉を言わなければならないのかと、心臓が早鐘を打ち出す。言い慣れないどころか、数えられるほどしか言っていないのではないだろうか。言われたことも、数えるほどしかないのではないだろうか。
それを考えると、悔しさがこみ上げてくる。言われないのに、言ってなどやるものか。
宜野座はそう心の中でひとりで決めて、ごろりと寝返りを打って少しだけ体を起こす。
「ギノー、49個目、流れたぞ」
狡噛はそれに気づかず空の星を追っている。宜野座がそうしようと思ったのは、星ばかりじゃなく自分の方も見てほしいと思ったからなのかもしれない――それは本人にも分からないが。
「あ、流れた、5……――」
狡噛がそう呟いた瞬間、宜野座の目にはもう空など映っていなかった。覆い被さり重ねて押しつけた口唇で言葉を押し込めて、流れた事実を封じ込める。
「残念だな狡噛、俺は50個目を見ていない」
「……おいおい、それは卑怯ってもんだろギノ」
「見てないものは数えられないだろうが」
一緒に数えろと言ったのは狡噛の方だ。50個目を一緒に見て数えない限り、あの条件は達成されない。これから何個の星が地を刺そうが、見なければいいのだと宜野座は口の端をあげた。
「誕生日をこうして祝ってやったんだ、それで満足してろ、駄犬が」
「キスより好きって言う方が難易度低いと思うんだがな、ギノ。そんなに言いたくないなら」
狡噛は宜野座の腕と腰をつかみ、ぐるりと体の位置を反転させる。
「体に言わせてやるよ」
そのあとすぐに、熱い口唇が重なって息が奪われていった。
草と、土と、狡噛のにおいがする。
結局はこうなってしまうのかと思ったが、それでも素直に受け入れたのは、あの日の自分たちではできなかったことを今ではできるようになったからだ。
キスだけでは物足りないと相手の熱をもっと求めるすべを知ったからだ。
星が降ってくる。祝っているのか責めているのか分かりやしないが、もうどちらでもいい。
「狡噛」
「なんだ?」
「来年は、できれば屋内がいい」
来年のお前を今予約かと嬉しそうに笑う狡噛の目には今、宜野座伸元しか映っていないのだろうから。
「誕生日、おめでとう。アレは、気が向いたら来年言ってやる」
遠いとスネる狡噛の体を抱き寄せて、宜野座は狡噛に負けないくらい楽しそうに笑ってみせた。
言わなくても分かるだろうにと。
#両想い #執×監 #誕生日
おやすみ
フオオオォォォォオ、という風の音が聞こえていた。
その熱と、髪を梳く指の温かさが混ざって、心地良い温度を感じさせる。
タオルドライしただけでは充分に水分が拭えず、こうしてドライヤーで乾かしているのだが、いつもだったらこんなにふわふわした感覚に陥る事はない。
宜野座伸元がふんわりとした睡魔と戦っている理由は、こうして髪を梳いているのが自分の指ではないからだ。
「あ、こらギノ。ここで寝るな」
風邪引くだろう、と背後から声がかかる。その声さえが心地良くて寝入りそうになったが、睡魔に誘われるばかりなのも悔しくて、宜野座は何でもないように目蓋を開けてごまかした。
「寝てない。ちょっと目を閉じてただけだ」
ソファの後ろから世話を焼いてくれている男は、それが寝てるって言ってんだよと呆れ調子で笑う。
今日は機嫌がいいなと、ぼんやり思う。
久しぶりに外泊許可を出してやったからだろうか。
めったにしない二人での入浴を楽しんだからだろうか。
こんな風にゆったりとした時間を過ごしているからだろうか。
ドライヤーの熱風に当てながら髪を梳く指は、男らしくゴツゴツと節くれだっているのに、熱を分け与えるような仕草はとても穏やかで優しい。その仕草からは彼が潜在犯であることなど窺い知れず、睡魔も手伝って錯覚しそうになる。
本当はすべてが夢なのではないのかと。
執行官も、監視官も、潜在犯も、そもそもシビュラも存在などせず、この地球のどこかで出逢って恋をしてただふたり一緒にいるだけなのではないのかと。
「なあ狡噛」
「ん?」
さらさらと、狡噛の指を逃れた髪が揺れる。それが目蓋を、頬を撫でる感触がくすぐったい。
「お前の手、こんなに優しかったか……?」
ずっと一緒にいた。気づいてなかった。それの心地よさなんて。
狡噛が、笑う。
「ギノにだけだよ」
すとん、と言葉が落ち着く。
きっと素面だったら、そんなわけないだろうと頑なに否定しただろう。狡噛は誰にだって優しい、と思っている。今日に限ってああそうなのかと素直に思ってしまうのは、きっとこの熱のせいだ。
「そうか……」
ドライヤーが吹き出す風の音と、指で揺らされる髪が擦れ合う音、上機嫌な鼻歌と、自分の吐息。
それを子守歌に、目蓋が落ちた。
すー。
カクリ、と首が折れて、風が行き場を無くした。
「おっ……、と」
そのまま前に傾いでいきそうな体をソファの後ろから回した腕で止めて、念のため声をかけてみる。
「ギノ?」
ドライヤーのスイッチをオフにして熱風を止め、背後から覗き込んだ。
案の定上の目蓋と下の目蓋はくっついていて、開きそうにない。ギノ、ともう一度呼んでみたが、目を開ける気配はなかった。
仕方なく支えていた腕をいったん離し、素早く宜野座の正面に廻る。頭の重みにゆらりと傾いだ体が危うく倒れ込んでしまう前に抱き止めて、軽く揺さぶってみる。
「ギーノ」
が、努力もむなしく宜野座の頭はこてりと狡噛の肩に乗っかってくるだけ。
困った、可愛い。
狡噛はそう思いつつも口には出さないで、口角を上げるだけに留めた。
「……ったく、仕方ねえなギノは…」
無防備に寝顔を晒してくれるのは、自分にだけだと知っている。狡噛が宜野座に触るときだけ仕草が優しくなるように、宜野座も狡噛とふたりきりの時だけガードが甘い。
思っていた以上に眠かったのか、考えていた以上に心地良かったのか。
どっちでもいいけど、とゆっくり宜野座の体を抱き上げ、起こさないようにと寝室へ向かっていく。乾いた髪がさらりと宜野座の額を撫で、わずかに声があがったが、不快ではなさそうだ。
宜野座の体をベッドに横たえ、熱の残る髪を撫でる。
前髪をかき分けた額にそっとキスを落とし、
「おやすみ、ギノ」
優しく、囁いた。
#両想い #執×監
キスの日
髪:思慕
シュンと空気の抜けていくような音が耳に入った。
またノックもインターホンもなしにドアが開いたのだろうと分かるが、特に気に留めることはない。
面倒でかけていないロックは、たとえかけていてもその来訪者には簡単に解除できるはずなのだから。
狡噛慎也は煙草をくわえたまま書類をまとめ、だが片づけるには少し遅すぎた。
「持ち出しの形跡があると思ったら、やっぱり貴様か、狡噛」
狡噛は来訪者――宜野座伸元をちらりと見ただけで視線を正面に戻す。悟られているならば今さら隠しても無駄だと諦めて。
「常守に許可は取ってる。わざわざ小言を言いにきたのか、ギノ」
ご苦労なことだなと口の端を上げてやったら、彼の眉が寄った。別に嫌味で言ったわけではなかったが、そうとらえられてしまったのなら浅慮だったかとと狡噛は謝罪をこぼす。
「……今日の、事件」
宜野座は狡噛がテーブルに放った書類を手に取り、そのまま狡噛の隣に腰をかけた。
「少し気になるところがある。お前の見解をきかせてもらいにきた」
資料まで持ち出しているんだから当然何か不審な点があるのだろうと、宜野座は書類を手渡してくる。その間も、視線が重なることはなかった。
「……ああ、こんな子供がどうやって毒薬を手に入れられたのか……」
今日ひとりの子供が命を落とした。離婚の話が進んでいた両親の目の前で、毒薬を呑んで。
どうも子供をどちらが引き取るかで揉めていたようで、それに自分が邪魔ならば、とでも思ったのか。それとも、巧妙に仕組まれた殺人事件なのか。
「自分を犠牲にするというのが、正しい判断だったのか? それしか選べなかったのか? 親を憎むという選択肢は、なかったのか?」
ギノ、と狡噛は宜野座を呼ぶ。
姓の違う彼の父のことは知っている。籍を抜こうと言い出したのが彼の父なのか母なのかは分からないが、今回の事件とは状況が違い過ぎる。
「なにをもって、正しいと判断するんだ? 誰が、誰のために」
狡噛の独り言のような問いに宜野座は俯いたまま何も言わない。狡噛はそんな彼を眺め、ぐいと自分の肩に頭を抱き寄せた。
「ひとつ確かなのは、思い慕う者がいる奴は、自分を犠牲にするべきじゃないってことだ」
「……俺が? ……俺を?」
狡噛は口唇のすぐ傍に引き寄せた髪に、気づかれないようそっと口づける。
「…………両方だ」
秘めた想いは、誰も知らなくても。
額:祝福・友情(甘)
どうにも気が重かった。
気が重いと言っても、望んでいた職じゃなかったわけでも、申し訳程度の採用試験に受からなかったわけでもない。
むしろ望んでいた職に就くことができて喜ぶべきなのに。
それでも宜野座伸元は、校門までの道のりをとぼとぼと歩きながらため息をついた。
本気なのだろうか。あの男は。
本気で、あんな軽い気持ちで公安局刑事課の監視官になるつもりなのだろうか?
あれ以来彼とは――狡噛慎也とは、ときおり進路の話をするようになっていたが、まさか本当にその道を選ぶつもりなのだろうか。
彼ほど成績優秀ならば、そんな危険な職に就かずともどの職種でも適正判定は出るだろう。監視官という職が、危険と背中合わせにあるということを彼は理解しているのか?その分収入はいいが、同等、もしくはそれ以上の職だってないわけではない。
それなのに、本当に? 本当に自分と同じ道を?
いや、もしかしたら最悪なセンスの彼なりのユーモアで、からかっただけかもしれない。
もしかしたら、違うトコにしたよとあの馬鹿馬鹿しいほどさわやかな笑顔で告げてくるかもしれない。
そう思うと、憂鬱で仕方がなかった。
「ギノ!」
待ち合わせをしていた校門に着く前に、声がかかって顔を上げる。
視界には、そわそわと心配げな狡噛慎也が映っていて、こんなに生徒やその保護者たちがいるのに、よくこうもすんなり見つけるものだと、あとから思えば感心してしまった。
「ギノ、どうだった?」
狡噛は人の波をかきわけて駆け寄ってくる。
どうだった、というかどこにした、と訊きたいのはこちらの方だと心の中で悪態をついて、宜野座はごまかすように眼鏡を押し上げた。
「……希望通り、公安局刑事課監視官の任をもらっ――」
「よかった! やったなギノ!」
「うわっ!?」
言い終わる前に、狡噛の嬉しそうな声と共に視界が上方に変わる。
腰から抱き上げられているのだと気づいたのは、そうした狡噛を見下ろしてからだった。
「よかった、お前暗い顔してたから、駄目だったのかと思ったぞ?」
「――お、下ろせ! 馬鹿ッ!!」
腰と太股に巻き付く狡噛の強い腕に、暗いと言われた顔が今度は真っ赤に染まる。
周り中の視線を全部集めてしまって、恥ずかしさで死ねそうだった。
「え、あ、ああ……高いの駄目だったか?」
「そういう問題じゃない! 本当にお前という奴はっ…」
「けど本当に良かった。これからも一緒だな、ギノ」
的を外した狡噛の腕から解放されて、宜野座は火照る頬をぱたぱたと仰ぎながら短く息を吐く。一瞬、聞き流しそうになって、え、と顔を上げた。
「これからもって……え、あ、じゃあ……お前も…」
同じ道を歩むのか。
声に出さずに訊ねたら、自信に満ちた笑顔が待っていて、複雑な気持ちでいっぱいになった。簡単に適正をもらってしまうんだなと、軽い気持ちじゃ駄目なんだからなと、嬉しい、と。
「ギノ」
狡噛の手がすっと伸びて、前髪をかき分ける。
そこに押し当てられた口唇を認識するのに、数秒かかった。
「祝福と、友情のキスだ。おめでとうギノ、これからもよろしく」
目蓋:憧憬(甘)
またおやすみを言う前に寝られてしまった、と気づく。
いつもいつもそうされてからしまったと思うのに、どうして寸前で気がつかないのか。
狡噛慎也は仕方ないかと短く息を吐いた。
そのかすかな音で彼が目を覚ましてしまいませんようにと願う気持ちと、起きてくれないだろうかと思う気持ちが混ざって、複雑な感情に眉が寄った。
まあでも今はこの寝顔を見ていられるだけでよしとしよう。
まさかずっと焦がれていた相手と肌を合わせる関係にまでなれるとは思っていなかったのだ。
彼は、宜野座伸元はきっと知らない。日東学院に入学した当初から目を付け……いや、目を惹かれていたことなんて。
綺麗な顔立ちをしていた。自分に同性愛の嗜好があったとは思わないが、それでも意識のすべてを奪われた。
彼の周りに誰もいないことを不思議に思ったが、ほどなく噂で理由は知れて、そんな理由で誰も彼に手を出さないのか、チャンスじゃないかと思っていた矢先の事件。
まさか自分のことを知っていてくれたなんて思わなかったから本当にびっくりした。それほど努力したわけでもない(なんて言ったら殴られるんだろうが)考査テストも役立つなと思ったのだ。
俺のことは知らないのかと訊ねられて、思わず知っていると返しそうになったのをすんでのところで踏みとどまった。
知っているなんて言ったら、彼は意味をはき違えてちまっていただろう。潜在犯の息子だから、と。
惹かれているといきなり言ったところで彼は信じないだろう。だからこそうろ覚えを装って首をひねってみたのだ。
遠くから見ても惹かれた。近くで見ても惹かれた。彼の内面を知って、さらに焦がれた。もっと内側を知りたい。誰も知らない面を見たい。
止めようとしても育ってしまった恋心に、いつしか諦めを覚えてとうとう口に出してしまったことを思い出す。
大きく見開かれた目と、次第に赤く染まっていく頬と、はくはくと金魚のように開閉を繰り返す口唇。
脈アリなのかナシなのか迷っていたら、襟を掴まれて口唇をぶつけられたのだったと。
それがキスだと認識するにはぶつかった歯が痛くて、OKのサインだと認識するにはどうにも幼すぎた。
バツが悪そうに目をそらした彼を思いきり抱きしめて、抱き返してもらってそこで初めて実感したな、と思い起こしてすやすやと眠る彼の髪をなでる。
鎖骨の下に残る、というか残した赤い痕に苦笑しつつも嬉しくて、次もきっとおやすみを言う前に寝られてしまうほど加減できなくなるんだろうなと、閉じた目蓋にキスをした。
耳:誘惑(甘)
ソファに寝ころんで、体の向きを変える。すぐ視界に入ってくる恋人の後頭部に視線を固定して、宜野座はときおり動く頭を眺めていた。
どれだけぶりだろうか、ふたりそろっての休日というのは。
係が分かれているおかげで、シフトを巧妙に調整すれば月に三回くらいは一緒にできるかもしれない。
が、そうそううまくいくはずもなく、実際これは二ヶ月ぶりに被った休日だった。
それは仕方がない。個人の都合より市民の安全を優先させる職に就いているのだし、それはお互い誇りに思うところだろう。
休みが合わなくても勤務後に食事に行ったりすることはままあるし、メールだって電話だってするし、時間があれば肌を重ねたりだってする。
不満があるわけではないのだ。不安があるだけで。
たまにそろいの休日くらい、本を読むのをやめてこちらに構ってくれないだろうか。
だがこちらから話しかけようにも、事件の話題になってしまいそうでどうにも色気がない。彼の好みそうな話題など、すぐに出てこないのだ。
これといって共通の趣味があるわけでもない。そもそも宜野座にとって趣味とは、AIカウンセラーに勧められたことをこなすことだ。彼の言う「趣味」とはかけ離れてしるのだろう。
彼が今読んでいる本は、自分も以前電子書籍で読んだこともあるが話題にするほど読み込んでいない。
学生時代はどんな会話をしていたっけ? と思い起こそうとして、いつだって彼の方からアクションを起こされていたことを思い出して失敗する。
そんな自分といて、楽しかっただろうか? なぜ恋人関係になったのだったっけ? なんて不安だけ襲ってくる。
こうがみ。
音には出さずに、口唇だけ動かして恋人の名をなぞった。
「なぁギノ」
音には出していないはずなのに、応えるように声が返ってきて体が跳ねる。心臓に悪いのではないかと思うほど、ドクンと音がした。
「えっ、あっ、な、なんだ?」
彼が――狡噛慎也が本を閉じて床に置き振り向いて、片腕をソファに乗せてくる。その日初めて触れた体温に、体中の血が沸いた。
「休日くらい、お前をゆっくりさせてやりたいと思ってたんだがな……その、どうにも本に集中できなくて」
すまん、と口唇が近づいてくる。宜野座は目をぱちぱちと瞬いて、なんだ彼も我慢していたのかとホッとした。
腕を伸ばして、引き寄せる。
「狡噛、……しよう」
耳元に口唇を寄せて、精一杯誘ってみせた。
手首:欲望
「帰るのか?」
ソファから体を起こして、放っておかれたシャツを拾い上げる彼を振り向いて、声をかける。
彼が――宜野座伸元がこの部屋で寝泊まりしていったことはないと理解していても、お決まりのようにだ。
「こんなところで寝られるか」
さっきまで体を重ねていたというのに、相変わらず甘ったるい雰囲気にはならないなと、狡噛慎也は苦笑する。もっとも、体を重ねている時でさえ甘い雰囲気になどならないのだが。
恋人同士ではない。
そんなことは分かっていると、狡噛は彼を抱いたソファにドカリと腰を下ろす。
「たまには泊まっていきゃいいのによ。ベッドがないわけでもないんだぜ」
使ったことはないけどなと笑うと、シャツのボタンを留めた宜野座が見下ろしてくる。
その視線でなら殺されてもいいなどと思う自分は、なるほど元から潜在犯に落ちる要素があったのだと納得した。
つなぎ止めておきたい。それが確かな欲望だ。
帰るのか、と彼が言った。宜野座はこんなところで寝られるかと返し、ボタンを留める。
硬いソファなんかで眠っても疲れが取れないというのは理由のひとつだったが、愛犬が自分の帰りを待っているというのももっともらしい理由だし、着替えたいというのも理由だ。
「ベッドがないわけでもないんだぜ。使ったことはないけどな」
そうだ、体を重ねるのがいつもこのソファだというだけで、執行官の部屋にベッドがあることは監視官である宜野座も知っている。
ベッドで眠りたいというならそれを使えばいい。
愛犬が心配だというなら、AIをリモート操作して一日だけ世話を任せればいい。
申請すれば、衣類はすぐにドローンが届けてくれる。
どれももっともらしい理由だが、すぐに崩れるものだった。
それでも最大の理由だけは、この先も崩れないと宜野座は思っている。
「俺は恋人という名の慰みものになるつもりはない」
恋人になんかなれやしない。
そんなことは分かっていると、狡噛に背を向けた。
途端に視界が揺れる。またソファに引き倒されたのだと気づいたのは、怒りの満ちた狡噛の瞳に見下ろされたからだった。
「…………お前は充分慰みものだよ、ギノ」
この獣をつなぎ止めるには、それしかないと思っている。それは確かな欲望だ。
宜野座はその瞳を見ないようにと、腕で目を覆う。
「――好きにしろ」
そうして手首に触れた口唇の意味を、おそらくお互いが知っていた。
おまけ(甘)
ギノは本当にすごいと思う。何がすごいって、自分の魅力も言動も理解してないところだ。
口を引き寄せてくれたからキスかと思うだろ、違うんだ、飴玉放り込むってどういうことだよ、可愛いな。
今はこれで我慢してやるけど、課題終わったら覚悟しとけよ。
「ギノ」
さあ、甘いキスをしよう。
#執×監 #監×監 #学生狡宜 #キスの日
ここから
狡噛慎也の、宜野座伸元に対する第一印象は、珍しいヤツ、だった。
以降長いつきあいになるその男を初めて見たのは、日東学院に入学して初めての考査テストの結果がモニターに発表された日。
狡噛慎也は満点でトップだったが、別に特別なことではないと思っていた。間違えたところはなかったんだなと思うくらいで、同級生たちの賛辞も適当に流してしまう。
「すごいね狡噛くん、どうやって勉強してるの?」
「狡噛お前もっといい学校行けたんじゃないのか?」
「今度勉強教えてほしいなあー」
聞き慣れた言葉は狡噛の頭に入っていかない。
そんなことよりも、狡噛はあるひとつのことに意識を持っていかれた。
結果が表示されたモニターを、じぃっと睨みつけている男がひとり。顎を上向けて、まっすぐに突き刺すように眺めている。
横顔だけでも、綺麗な顔立ちをしていると感じた。が、それに興味を惹かれたわけではない。
珍しいと思ったのだ。
きっと、自分の成績が悔しかったのだろうと思う。そう思う人間を、狡噛は珍しく感じた。周りを見ても、自分の成績を嘆くよりより良い成績を残す者の近くにいたがる連中ばっかりだ。あやかろうとしているのかと思うが、その心理が分からない。
だからこそ、自身の成績を悔しがるその男は、貴重だと思った。
中学の時より順位が下がってしまったのか、それとも思うような点を取れなかったのか。太股の横でぎゅっと強く握られた拳が彼の悔しさを表していて、些細なことに好感を持つ。
次は絶対に、と強い意思を秘めた瞳は、何よりも人間らしい。
「なあ……あれ、誰?」
狡噛は周りにいた生徒に訊ねかける。指をさした先にいた人物に、少しだけ周りがざわめいた。
「ぎ、宜野座のこと?」
「……ギノザ?」
一人の女生徒が声を上げる。同じクラスなのか、それともすぐに名前が出てくるほど有名人なのか。狡噛は視線をモニターに移動させ、気づく。
――――『宜野座伸元』……。
それらしき名前が、表示されていた。自分の名前のすぐ下、つまり順位的には二番目の男。ポイントの差はそれほどない。なのに、彼の周りには誰もいない。
どうしてだろう、と興味が湧く。何が自分と違うのだろう。自身の成績に対して興味を持っていない自分より、彼の方が熱いに決まっているのに。
胸が熱い。
こんなに距離が離れているのに、彼の激情がこちらにまで流れ込んでくるようだ。
「宜野、座……」
「狡噛くんあんなのに構わない方がいいよ!」
ずっと彼に視線を注いでいたのが気に食わなかったらしい女生徒が、ぐいと腕を引っ張ってきて、え? と体が揺れる。
「宜野座伸元ってね、中学でも有名だったんだからっ。父親が潜在犯だって――」
女生徒が放った言葉に、狡噛はモニターに視線をやる。
――――そうか。あれノブチカって読むのか……。
ギノザノブチカ、とフルネームを頭の中で反芻して、ふうんと喉を鳴らした。少し堅苦しいなと思うのは、耳慣れない音だからだろうか。
「ねえ狡噛くん聞いてる?」
「え、あ、悪い全然聞いてなかった。何だっけ?」
また腕をグイと引かれ、彼とモニターとを行き来していた視線を仕方なく女生徒にやる。少しの時間でも惜しいのだがと思うほど、宜野座伸元という男が気になって仕方ない。
「だからぁー、今度どっか遊びに行こって言ってんのー」
勉強も教えてもらいたいしーと猫撫で声を出して、彼女は首を傾げるが、
「……すまん、アンタ誰だっけ」
初めてまともに見た彼女の顔には、少しも見覚えがない。当然名前も分からない。同じクラスだったかどうかも覚えていないのだ。
彼の名前を教えてくれた、初対面の女生徒だとしか認識できない。正直言って、彼女の相手をしているよりは彼のことを見ていたいのだと、ヒドーイと嘆く彼女から視線を逸らして彼を、宜野座伸元を振り向いた。
――――あ。
騒がしかったせいだろうか、彼がこちらを見ていたせいで、視線が重なってしまう。
モノクロームの世界の中で、彼だけが色づいているように見えた。
速い胸が熱い。
ふっと、彼の方から体ごと視線を逸らされる。途端に色を取り戻す世界がどこか薄情にさえ思えて、言葉をなくした。
「宜野座……伸元……」
ぽつりと名を呟く。
彼の名前は覚えた。自分の名も覚えてもらいたい。
ストレートに正面からぶつかろうか、彼の行動を把握するところから初めてみようか、いざ目の前にしたらどうしてやろうかと、考えるだけで楽しくなってくる。
それが恋とは気づかずに、狡噛慎也は空を見上げて笑った。
物語が、ここから始まる――――。
#学生狡宜 #イベント無配
好きって言うより
やっと捕まえた、と狡噛は宜野座の腕を強く掴む。そうしても逸らされる瞳に、焦りが生まれた。
「なんなんだ、ギノ。朝からずっと、メールも電話も無視して」
お互い部活があると学校にいたにもかかわらず、夕方近い今までコンタクトが取れていなかった。
責めるために声を強くするのに、宜野座からは何も返ってこない。
何かあったのか、自分が何かしてしまったのか。今やっと顔を見られたのに、寂しくてしょうがない。
ギノ、と呼んでも口を引き結ぶばかりでらちが明かない。そっちがその気ならと、両頬を包んで位置を固定し、唇を押し当てた。
「んっ……!?」
驚いた拍子にか弛んだ唇をこじ開けて中に入り込む。
「ん、コウ……っう、ん、んっ…ん……ふ」
誰かに見られたら、と押しやってくる腕も、やがては力を無くしていった。
「…ギノ、話せよ」
それを見計らって唇を離し訊ねる。どうして朝からずっと避けているのかと。
待った狡噛に、宜野座は観念して口を開いたが、それは狡噛の背筋を凍らせた。
「……お前と、話したくなかった、から」
「は!? なんだよそれっ…!?」
「だって今日エイプリルフールだろ!何か言っても…嘘になってしまいそうで」
怖い、と宜野座は俯いて続ける。
「好きって言って逆にとられたくないし、き、嫌いだなんて嘘でも言いたくないし、避けるしかなくて」
今にも泣きそうな彼が視界に入って、目を見開いた。
そんな理由か。
狡噛は、ああと息を吐くように声を上げた。
「なんだ……くそ、マジで嫌われたのかと思ったぞギノ」
狡噛は心の底から安堵して、宜野座を腕の中に収める。照れくささにか身を捩る宜野座をぎゅうと強く抱き締め、
「嘘が嘘で通じるのは午前中だけだ。今はもう時効だろ」
「え、あ、そ、そう……なのか?」
こつんと額を合わせる。至近距離で重なる視線に、宜野座の頬が赤く染まった。
「そうだよ。あと、俺はギノの言うことなら全部信じるから。嘘になるとか変な心配するな」
「…調子のいいことを」
「なんでだ」
「そろそろ離せ」
そろそろ部活の休憩が終わってしまう、と身体を押しやる宜野座を解放する。
本当は触れ合っていたいけど、我慢しよう。
「なあギノ、何か言うことは?」
だけどこれだけは聞いておかねば。朝からどれだけ気を揉んだと思っているのか。
「ああ……ごめん、おはよう、会いたかった、…好き?」
前を歩く宜野座が、指折り数えて告げてくる。本当に悪いと思っているのか疑問だが、仕返しは夜にでもしてやろう。
「おーい、なんで最後の疑問系なんだ」
休憩が終わると言っても、まだ拗ねるくらいの時間はあるはず。
そう、何の気なしに呟いた言葉に、
「いや、もう、愛してるの方が近いかと思って」
振り向いて答えられた時には、ああもう本当に敵わない、と笑ってしまった。
#両想い #学生狡宜 #エイプリルフール
夢でも、一日だけの魔法でも
あー……と天井を見上げ、佐々山光留はため息を吐いた。
「テッ」
それを見咎め、手のひらで額を容赦なく叩いてくる男がいる。――宜野座伸元だ。
「なにが【あー】だ貴様。ちょっと目を離したらこれか……! どうして一時間も経たん内に逆に散らかってるんだ佐々山!」
片づけているんじゃなかったのか、事を順序立ててやらないなんて理解ができん、と年下の上司は眼鏡を押し上げる。いっそ犯してやろうかと思うほどに潔癖な彼には、だが確かに恋人と呼ぶ存在がいた。
「ギノ、そう熱くなるなよ。もともとがもともとじゃねえか」
こちらも年下の、上司だった男、狡噛慎也。今は同格で、ただの後輩だ。
【こちら側】に墜ちてきてしまった時には、ほんとにブチ殺してやろうかとも思ったが、予想よりも愉快なことになったしいいかと放置している。何より。自分がどうにかできる問題ではなかった。
「そーだぜギノせんせ。俺に片づけておけとか、勝手に無謀なこと言ってんのお前らの方だし」
「ああそうだな、貴様に任せた俺の落ち度だ。もう何もするな呼吸もだ」
ひでえ、と声を上げる佐々山に、こんなやりとりはもう慣れたと言わんばかりの宜野座が、見向きもせずに散らかった床やデスクを片づけ始めた。
もうちょっと構ってくれてもいいのになあと肩を竦めると、お前はあの反応が見たいんだろと狡噛が小突いてくる。まったくもってその通りだ。
「普段あんなピリピリしてんのに、狡噛の前じゃデレてんだろーギノせんせ。特に……ベッドでは?」
「見せんぞ」
否定しないあたり、事実らしい。この男もからかい甲斐がなくなってきたな、と佐々山は片眉を上げる。昔は宜野座との関係をちょっとつついてやるだけで顔を真っ赤にしていたのに。
あの頃の初々しさはいったいどこにいったのかと思うほど、狡噛慎也は立ち回りが巧くなった。宜野座伸元は、人を使うのが巧くなった。
出逢うのが決められていたような男たちが、今でも変わらずにいてくれることが、嬉しかった。
「狡噛、貴様もなにサボッてるんだ!」
佐々山の隣に腰を据えてしまっていた狡噛に、宜野座の怒号が降ってくる。ダダ漏れのヤキモチを振りまいて、彼はこちらを睨みつけてきている。
狡噛は佐々山と顔を見合わせ、ふっと笑った。
ああ、うん、変わってない、と安堵する佐々山の隣で、狡噛はハイハイと腰を上げた。
床もデスクもほぼ片づいているのに、呼び寄せたがる恋心。可愛いねえと二人の姿を視線で追う佐々山に、別の方向から声がかかった。
「ねーねーササ兄ィ、キツいの平気?」
しゃがみ込んでツンツンとシャツの袖を引っ張ってくるのは、執行官の中ではいちばんキャリアの浅い縢秀星。佐々山は振り返り、ニッと笑ってみせた。
「女はキツい方がいい、上の口も下の口もな」
「そーいう話じゃねえって! 酒だよ、キツいの平気かって訊いてんの!」
若干頬が赤らんだ縢に、佐々山は気分がいい。狡噛はからかい甲斐がなくなったし、宜野座は少々ガードが堅くなった。縢くらいが、いちばん構いやすいのだ。ササ兄ィ、と呼ばれる愛称も新鮮だし、人なつっこい笑顔は心地よい。
「俺にそりゃあ、愚問だぜ、シュウ」
「マジで? 良かったー。好みとか全然わっかんないしさあ」
「そりゃそうだろうな。――今日、初めて逢ったんだからよ」
そだねー、と縢は視線を移す。狡噛と宜野座に。
なぜ佐々山がここにいるのかと、最初、あの二人の困惑ぶりは相当なものだった。何かの罠か、と身構える宜野座の尻を触り、狡噛に頭を殴られていたのはほんの数時間ほど前だ。
「ねえ、あのふたりって前もあんな風だったの?」
「ん? んー、ああ、そうだな。本質は何も変わっちゃいねえ」
互いを尊重し、想い合い、支え合う。あの遠慮のなさが逆に周りには遠慮している風に見えた。が、そんなことはないのだ。
佐々山がいたころから、いや、もっとずっと前から、彼らはそうだったのだろう。
「周りを見てるようで、お互いしか見えてねえってな」
「そーかなー? あー、ギノさんはちょっとそのケがあるかなーと思うけど」
否定しつつも仕切れない縢に笑って、なんだやっぱり今もそうなのかと、佐々山は笑った。
「でもササ兄ィの誕生日祝うって言い出したの、ギノさんだし。それなりに見てたんじゃないのー?」
さて準備再開しよ、と腰を上げる縢を、見開いた目で追いかける。
「ギノせんせーが?」
「なんであんたが今ここにいて、俺らにも見えて、触れて、しゃべれるのかなんて俺には分かんねーけどさ。それが今日だってことに、ちょっとは意味があんのかな」
佐々山にも、実のところ分からない。今どうしてここでこうして【生きてるみたいに過ごしてる】のか。
確かにずっと見てきた。空の上から、なんて明確なことは言えないけれど、アイツら仕方ねーなあなんて思いながら、どこからともなく見ていた気がする。
墜ちていく狡噛を、一人で背負おうとする宜野座を、何もできない世界から見ていた気がする。
「魔法かな。かわいそうな俺に神様からの贈り物?」
「バカじゃねーの」
「お前可愛いのか可愛くないのか、どっちかにしろ」
「可愛いなんて思われたくねーし。…けど俺もさー、気になってはいたんだよねアンタのこと。コウちゃんが執行官になっちゃうきっかけ作ったひとっしょ? どんなヤツかと思ったら、こんな」
「こんな?」
「人間くさいクソヤローとか。マジ笑える」
一瞬おいて、佐々山は堪えきれずに噴き出した。いったいどんな男だと思われていたのか。しかも悪意がないだけよけいにおかしかった。
「縢くーん、なんか、お鍋! お鍋噴いてる!」
「どぅわっ、朱ちゃん見ててって言ったっしょお!?」
「だって見ててもわかんないし!」
キッチンの方から聞こえてきた悲鳴にも近い女の声に、縢は駆けていく。平和だねえと佐々山は笑った。
「おーい持ってきたぞ、酒ェ」
「おお、さすがとっつぁん、イイもん持ってんじゃん」
「今日は飲むぞ、光留」
「貴様の場合今日もだろう、征陸執行官」
「カタイこと言うな、監視官」
わらわらと、ひとが集まってくる。
祝いの料理ができたと得意げに縢が。
あまりハメを外すなよと狡噛が。
狡噛さんが言ってもちょっと…と苦笑しながら常守が。
遅くなってごめんとシャンパン片手に唐之杜が。
どこから持ってきたのか桜ひと枝抱えた六合塚が。
一升瓶とコップ片手に征陸が。
発案者である宜野座が。
佐々山光留の周りに、集まってくる。
「おーい、マジ泣かせんなよお前ら」
「貴様がこんなことで泣くようなタマか、ふざけるな」
「ギノせんせーほんっと変わんねーなクソ!」
「あーもーいいから、とりあえず乾杯だ、ギノ、佐々山」
変わらない。
ずっとあの頃から変わっていない。きっとこれからもだ。
根拠なく、そう思う。
乾杯、といくつものグラスが掲げられる。
今日一日だけの魔法、まだ解けないでいてほしい。
女を抱きたいなんて贅沢は言わない。
ただせめて、
「夢でも、言えて良かった。誕生日おめでとう佐々山」
泣きそうに笑うヤツらに、ありがとうと返してからにしてくれないか。
#執×監 #佐々山光留 #誕生日 #IF
ただそっと触れた手のひらで
※※21話バレがありますので、未視聴の方はご注意ください※※
※※もしあそこに佐々山がいたらのif話※※
周囲は警戒していたはずだった。
のだが。
「狡噛!」
背後から伸びてきた手に肩を掴まれ、狡噛慎也は思わず息を呑んだ。
バッと振り払うように振り向くと、したり顔の同僚がそこにいた。
「はーい確保。本来ならコイツ向けてやるとこだが、同僚のよしみもあるし、朱に止められてっからなあ」
コイツ、とドミネーターの銃口を上に向けて掲げてみせたのは、同じ執行官の佐々山光留。自分より一枚も二枚も上手なのは、きっと経験のせいもあるのだろうと、狡噛は舌を打った。
「お前の気配は読みづらいんだよ佐々山!」
だがこんなところで立ち止まっているわけにはいかないと、足を振り上げる。この隙にも槙島は世界の終焉を望んでいるに違いないのだから。
「おっ、やんのかテメ……ッ」
佐々山が臨戦体勢に入った時だった。
ドゥンッ!
地面を伝ってくる振動と音に、ふたりしてハッとする。
「な……っ」
「爆発……!?」
ここには狡噛や佐々山だけでなく、公安局の一係メンバーが集結している。もちろん、対峙すべきは槙島聖護。
直感と言うまでもなく、狡噛も佐々山も、その爆発音にはあの男が絡んでいると確信した。
「槙島ッ……!」
狡噛はその音の方向へ踵を返し佐々山の目の前を走り抜けていく。
「狡噛!」
追わないわけにはいかなくて、佐々山もそれに続いた。
触れるべき手が震えていることに、宜野座は気がついていただろうか。
すぐそこに槙島聖護という捕獲対象がいるということに、気がついていただろうか。
吐く息が震えた。目の前の光景を信じたくなくて、なにも考えることができなかった。
その様子を、槙島は愉快そうに眺めている。親子という情報は特に仕入れていたわけではなかったが、美しい輝きだと。
ガゥン、と発砲音が耳に入る。と同時か若干速く、すぐ傍を銃弾らしきものが通り抜けていった。槙島は条件反射でか肩をすくめて目を閉じたが、二発目が発射されることにはそれを認識してくるりと体を翻す。
やはり自分を追いつめるのはあの男か、と視界の端に狡噛慎也を捉えながら。
爆発音はやっぱり槙島が絡んでいたか、と狡噛はその背を追おうとして、足を止めた。
気配に気づいてかまったくの偶然か衝動か、宜野座の顔が上げられる。
擦り切れて汚れた容貌にはいつもの眼鏡がかけられておらず、茫然とした瞳はかろうじてこちらを見ているのが分かるくらい。
何か言いたげな、それでも何も出てこない、開かれた口唇が宜野座の心の内を伝えてくる。
目の前には、血塗れで体を投げ出した征陸の姿。
「とっつぁん……!」
かろうじて息をしているのが見える。おそらくもうあと僅かしか、その男には時間というものが残されていないのだろう。
「……っ」
狡噛は憤怒と後悔と贖罪と、その他にもいろんなものを噛みしめて呑み込み、くるりと踵を返した。
「狡噛!」
その背に、責めるように投げつけられる声がある。こんな時にまで槙島か、と舌を打つ、佐々山光留のものだった。
宜野座はそれにハッとして、眺めるしかなかった狡噛の背中から視線を逸らす。
結局、親子そろって、最後に頼るのは狡噛なのかと、口唇を噛んだ。
「ギノせんせー、おい平気か?」
まあ平気なわけないだろうけど、と状況を察して傍にしゃがみ込んだ佐々山は、切れそうなほどに口唇を噛みしめる宜野座に、そっと手を伸ばすが、
「――バカヤロー!!」
それを振り払うかのように、宜野座は叫んだ。
「なんで犯人を逃がした! アンタは……アンタはデカだろ!」
腹の底から声を張り上げた。
ずっと見てきた父親の生き様はまさに、昔何かの本で見た、そして征陸自身が語ってきた刑事、そのものだった。
「デカなんて……ロクなもんじゃないさ……」
ロクなもんじゃない、と言いながらも、いつもどこかに自分なりの自信を持っていた、間違いなく刑事の姿。
征陸の右腕が、口唇を噛みしめながら見下ろす宜野座の頬に伸びてくる。息も絶え絶えの中、その男は、笑った。
「やっぱり、親子なんだなあ……」
温もりを伝えるように、撫でて確かめる。
「目元なんざ、若い頃の俺に……そっくりだ……」
そうして、男は。
満足そうに笑って、命の火を、消した。
「親父……」
トサリと地に落ちた右腕に追いすがるように、宜野座は身を乗り出す。
長く呼んでいなかった、父への呼びかけを口にして。
「親父ィィイ――――ッ!」
叫び、血塗れのシャツを掴んで揺すってみても、もうその目が開くことはない。口唇が動くこともない。伸元、と音を奏でることもない。
「何でだ? なんで……」
征陸の触れた頬に、流れた涙の筋が光る。幾度も幾度もそこを伝って滴は流れ、顎を伝い喉を濡らした。
「遅すぎるだろうがアァア――――っ!」
喉がつぶれてしまいそうな、悲鳴にもよく似た慟哭が、その空間に響く。
タ、タ、と近づいてくる足音に気づいたのは、いや、気づける余裕があったのは、傍で静かに眺めていた佐々山だけだった。
声を殺してポタポタと涙を流し続ける宜野座を、佐々山はグイと自分の肩に抱き寄せる。
突然認識した他人の力と体温に、宜野座は目を見開いた。
若干強張った体でそれを悟ってか、佐々山は小さく呟く。
「いいから、ギノせんせー」
何が、とは言わずに、宜野座の頭を抱える腕にさらに力を込めた。そんな何でもないような仕草に、宜野座の体からすっと力が抜けていく。
「宜野座さ、……!!」
近づいていた足音の主が、ドミネーターを構えながら到着した。横たわる征陸を視界に認め、常守朱は息を呑んだようだった。
「征陸さん……!!」
遅かったんだ、と目に涙を溜め、歯を食いしばる常守に、佐々山は言い放つ。
「おい、泣きわめくのは宜野座だけで充分だ。さっさと槙島と狡噛追いかけろ、朱!」
宜野座の涙を隠すために抱きかかえる佐々山に気がついて、常守は溜まった唾液を呑み込んだ。立ち止まるわけにはいかないと決めたのは、ほかでもない自分自身だと。
常守はカッと踵を揃え、物言わぬ征陸に向かって敬礼し、涙を拭って駆け出して行った。
「ハハ……頼りなかった小娘が、いっちょまえになりやがって」
宜野座を抱えたまま、佐々山は彼女たちの消えた方向を眺める。きっと大丈夫だ、このヤマが終わったらみんなで楽しく酒が飲めるはず、と。
「……っ」
時間はかかるだろうが、きっと笑える日がくる。そう思っていないとやってられない。
「なあギノせんせー。とっつぁんは、満足だったと思うぜ……」
いまだに声を殺して泣くしかできない、父を亡くしたひとりの男を抱きしめる。自分の涙も引き受けてくれているような、優しくて不器用な男を。
「デカとして生きて、それでも最期はデカとしてじゃなく、父親としていちばん大事なもん守っていけたんだ。見ろよこの幸せそうな顔」
笑ってんじゃねーか、と震える顎で、佐々山はそれでも笑う。
肩を抱く手にぎゅっと力を込めて、どうか安らかであるようにと、自分の父親のようにも慕っていたひとりの男へ別れを告げた。
「誇りに思えよ、バカヤロウ」
「……わかってる、お前に言われなくてもずっと……」
ずっとそうだった。そしてこれからも、たったひとり、血を分けた父親だ。
宜野座は右手で頬をぐいと拭い、深く息を吸い込む。そして細く長く吐き出した。まだ涙は流れてくるけれど、それはきっと目の前に横たわる男が望むところではないだろう。
「ギノせんせ、手当しよ。そのまんまじゃ血ィなくなってアンタもあっちにいっちまうぜ」
「……ああ、すまない」
痛みなんか感じなかった。いや、感じないことの方が危険なのだが、これはどうしようもないと、つぶれた自分の左腕を今さら眺めた。
「元通りにするには、ちょっと時間かかるだろな、これ」
止血と応急処置を施しながら、佐々山もそれを眺める。綺麗な手だったのに残念だと茶化すように呟くと、宜野座はようやっと口の端を上げた。
「義手でいい」
と。
「……そっか」
お互いそれ以上は何も言わずに、ただ血と埃のにおいを意識で追う。
「公安局戻ったら、志恩にちゃんと手当してもらおうな、せんせー」
「佐々山」
俺らもアイツら追わねーと、と佐々山はひとつの呼吸で気持ちを切り替えた。きっとまだそうはできないだろう監視官を、自分がフォローしなければという意識があったに違いない。
「礼を言う。親父の最期を見てくれて……助かった」
目を瞠った。動く右手で征陸に触れる宜野座は、先ほどまで自分の肩で泣いていた男とは思えないほど優しげな顔をしていた。
きっとひとりじゃ語り継げない、と宜野座は投げ出された征陸の手を握る。話せなかったことがたくさんある。聞けなかったことがたくさんある。触れあうべきだった日もきっとたくさんあったあだろう。
後悔というものは、シビュラを信じきったままでは生まれてこなかった。
「俺はまた、何もできなかった。だから……絶対に忘れない」
「そうだな、後悔して、ずっと思って、生きてやれ。きっとそれがいちばんいい」
ひとしずく、流れた涙を指先で拭う。今はこれが精一杯の親孝行だと、横たわる征陸の体を眺め下ろし、そして顔を上げた。
「佐々山。狡噛を止めたい」
手伝ってくれ、と動く右手をぎゅっと強く握る。
征陸は狡噛の逃亡を幇助した。だがそれは決して狡噛を殺人犯にしたがってのことではないはずだ。
宜野座伸元ができなかったことを、征陸智己がやってのけた。
だったら父ができなかったことは、息子である自分が成し遂げなければならない。
男の、意地だ。
まっすぐに前を見据えてそう言い放つ宜野座に、佐々山はふっと口の端を上げる。
この男の下でなら、きっと今よりもっと人間らしく生きることができるだろうと。
「おっけーギノせんせ、狡噛ふん縛って槙島とっ捕まえて、みんなで帰っぞ!」
佐々山はそう言って、動かなくなった征陸の体を引き起こした。
「佐々山!?」
「あー、さすがに重いわとっつぁん。ギノせんせー、ちょっとこれ縛って」
「佐々山……なにを」
しゃがんだまま背に担いだ征陸の腕を胸の前で交差させ、佐々山は自分のタイを引き抜いて宜野座に差し出して来る。
まさか、と思った。
まさか、
「言っただろ、みんなで帰るぞ」
物言わぬ骸になった、その男も連れて帰ると言ってくれるのか。
「……っ」
宜野座は震える唇を噛みしめることで我慢して、今はもう流すまいと勝手に決めた涙を耐えて、征陸の腕にタイを巻き付けて結ぶ。
ささやま、と呼ぶ声は、音にはならなかった。
よっ、とかけ声のあとに佐々山が腰を上げる。さすがに大の男ひとり背負うのは大変そうだ。
宜野座は佐々山に背負われた征陸の……父の背中を、そっと、支えた。
「だいぶ……遅れを取ってしまったな」
「バッカお前、真打ちってのは遅れて登場するもんなんだよ。まさに俺が」
「バカはお前だ……」
一歩、一歩、踏みしめて、前に進む。
やがて速くなっていく歩調に合わせ、泣きたがる呼吸を吐息でごまかした。
ただそっと背に触れる手のひらで、慕い続けた父を支えながら。
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#ネタバレ #佐々山光留 #IF
ハッピーエンドじゃないけれど
18話バレ有り
持ち出すものはセーフハウスの鍵とヘルメット、そして新しい煙草とジッポくらい。
狡噛慎也はたったそれだけを手に、廊下を歩く。迷いのない歩調は彼の未来を示しているようで、潔かった。
タ、タ、と靴の裏が床に擦れる。あまり音を立てたくはないが、この時間帯なら起き出すヤツもいないだろうと、前だけを見据えた。
ふと、視線の先にあるものを見つける。
どれだけかできていた予測が足を止めさせることはなかったけれど、面倒そうに壁に背をもたれポケットに手を突っ込んだ同僚の目の前まできたら、さすがに足が止まった。
「行くのか?」
彼は顔も上げずにそう訊ねてくる。狡噛は視線を向けずに、
「ああ」
そう、答えた。
「止めないのか、ギノ」
ヘルメットを右腕に抱え、狡噛はかつて相棒と呼んだ男を振り向く。宜野座もそこでやっと、顔を上げた。
疲れた顔をしていると感じ、そうさせているのは自分かと、狡噛は今さらながらに思う。
「今ここで止められるくらいなら、お前が潜在犯に落ちる時だって止められたはずだ」
お前は俺の忠告を聞いたためしなどない、と宜野座は付け加えて眼鏡を押し上げてくる。
そういえばそうだなと狡噛は笑い、この男と笑い合っていたあの頃が懐かしいとらしくなく感傷に浸った。
「狡噛、お前の逃亡は明日には知れる。俺をはじめ、お前と交流のあった者たちへの監視がつくだろう。だから恐らく、話せるのはこれが最後だ」
「そうか……面倒ばかりかけちまって、すまなかったな」
「ハッ……今さら。部下の逃走を二回も見逃したんじゃこれ以上の出世は望めんし、本当にお前らにはうんざりだ」
宜野座の表情がふっと曇る。
縢は大丈夫だろうかと。
狡噛はこれからどうするのだろうかと。
自分は、これから。
「ギノ、お前の立場を危うくした俺が言うことじゃないが、自分の身を守れよ」
「……征陸にも言われたな、それは。どうして潜在犯というヤツは、こう揃いも揃って身勝手なことばかり言うのか……俺には理解できん」
自分の立場が危うくなったことくらい、いくら宜野座でも理解している。
シビュラを疑うことなく生きてきた宜野座だが、それが揺らぎ始めたどころか、危険人物をこうして見逃してしまうのだから。
それでも、一度浮かんだ疑惑を簡単に消せるほど器用な人間ではない。
「狡噛、ちゃんと逃げきれよ。しくじったらどうなるかってことを確認させるために、あんな茶番まで演じてやったんだ」
そして、真っ向からぶつかっていけるほど器用な人間でもない。
狡噛が羨ましい、と感じてしまった。そんな風に生きる機会には、きっと自分は出逢えない。
「らしくないことさせちまったな。だが、俺はこれで進んでいける」
「常守監視官には、何も言わなくていいのか? いきなりいなくなったら……泣いたりしないだろうか」
「……どうだろうな、あいつは強いから」
狡噛は肩を竦め、口の端を上げる。
良くも悪くも、彼女は狡噛に近い。自分の気持ちを理解して、行動を理解して、それでも馬鹿だと悪態をつくだろう。
「俺は、約束を破ってばかりだった。それは後悔をしている」
こちら側にくるなと笑った、佐々山との約束も。
ずっと刑事でいてくださいと祈った、常守との約束も。
一緒に上に行こうと手を握った、宜野座との約束も。
「だが、ここで立ち止まるわけにはいかない」
つまらない意地だと言われても仕方がない。刑事としての信念でも、義務でもない。自分をここまで突き動かすものがなんという名の怪物なのか、狡噛自身にも分からなかった。
「……今さらお前に従順さを求めるのは無駄だと分かっているが、ひとつだけ言っておく、狡噛」
「うん?」
「無茶をするな」
ひどく真面目に、静かに放たれたその言葉に、狡噛は思わず笑ってしまった。無理な相談だなと。
宜野座もその反応は予測していたのだろうか、諫めることはしてこなかった。
「手を出せ、狡噛」
「お手か?」
「違う馬鹿。煙草、……まだお前のデスクに残ってたから」
宜野座はそう言って、開封されたソフトパッケージを狡噛の左手に乗せる。体に悪いから止めろというのにやっぱり聞きもしない男には、必要だろうと。
「ああ……わざわざ持ってきてくれたのか。良かったのに」
「あとこれ、マネーディスク…IDは俺のだから、日常的な額ならそう簡単に足がつくこともないだろう。何かのたしにはなるはずだ」
「ギノ」
「デバイス、無茶な外し方したのか?」
宜野座は血のにじむ左手首を指す。
そんな無駄な傷を作るくらいなら俺が外してやったのにと言いかけて、そんなことをしたら共犯と見なされてもっと立場が悪くなるなと思い直す。
狡噛も、そうさせたくなかったのだろう。
宜野座はポケットからハンカチを取り出し、手当のされていない左手首に巻き付ける。
「相変わらずこういうことは不器用だな、ギノ」
「うるさい、手当してやっただけでもありがたいと思え」
それは確かに包帯としてはいびつな形だったが、狡噛は笑った。
「ありがとう」
「お前からの礼など気色悪い」
宜野座は眼鏡を押し上げ、出口の方へと視線をやる。もう行けと。
それを察して、狡噛もああと体をそちらへと向ける。
宜野座は見送りなどしないとあえて背を向け、狡噛とすれ違った。
「一緒に行くか?」
すれ違って一歩踏み出したそこで、左手が絡まる。
宜野座は息を飲んで、
「誰が貴様なんかと」
心の底から拒んでやった。
「だろうな」
狡噛も、予測通りの答えに笑った。
それでも、監視官用デバイスのはまった左手と、ハンカチが巻き付けられた左手が重なって指が絡まる。
何を馬鹿げたことをと思いつつ、この手を絡めたまま逃げてしまえたらと二人で考えた。
「次に逢うのは地獄か」
「なんで俺も地獄なんだ」
「俺は上には行けねえだろうし、約束を破る方だ。お前が来い」
「それでまたお前に振り回されるのか。ごめんだな」
前を見据えたままの互いの口唇からは、冗談混じりの本音が漏れる。
「ギノ」
だけどさすがに、俯いて振り切らないと言えない言葉があった。
「愛してた」
「知ってる、だから俺も愛してた」
絡み合った指が、それを最後に離れる。
ずっとずっと想ってた。
気づいた時には愛してた。
こんな言葉じゃ足りないくらい愛してる。
お互い振り向くことなく、最初で最後の触れ合いを終えて足を踏み出す。
次に逢うのは、きっと――――。
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#執×監 #両片想い #ネタバレ

雨の音で意識が浮上する。ふっと目を開けると、すぐに視線を感じた。瞬いてその視線の主を確認すると、見慣れすぎた男の顔が見える。
「……なに見てるんだ」
「ギノの顔」
狡噛は何でもないように返してくる。楽しそうな笑いさえ浮かべる男に、宜野座は少し汗で湿った髪をかきあげた。
「なにが楽しい、そんなもの」
「楽しいぞ? ギノは俺とこうしてる時だけ眉間のしわがなくなるんだ」
ツンと人差し指で眉間をつつかれて、宜野座は頬を染めた。いつもどれだけ皺が寄っているのかと思うと恥ずかしくて仕方がない。
さらに、狡噛と同じベッドで時を過ごしている時だけそれがないなんて言われて、どれだけ狡噛に甘えているのか思い知らされていたたまれない。
「わ」
気恥ずかしくて視線を泳がせたら、引き戻すように眉間に口唇が落とされた。そこから体温が沁み渡ってくるようで、宜野座は目蓋を閉じたまま狡噛の口唇を感じた。
「こうやってここにキスできるのも俺だけだと思うと、やっぱり嬉しいな。おはようギノ」
「ああ……おはよう狡噛。雨、やまなかったな」
残念そうに呟くと、そうだなと同意が返ってくる。昨日ふたりで作って飾ったてるてる坊主は、効力がなかったらしい。まあそもそも、あんなもので雨が去っていくならそれははじめからの天気なのだ。
「今日、どうしようかデート。晴れてたらダイムの散歩行ってそのまま公園でぶらぶらしようかと思ってたけど」
雨じゃなあ、という残念そうな言葉とは裏腹に、狡噛は幸福そうに宜野座の体を抱き寄せる。俺は抱き枕じゃないとため息を吐きながら、傍にあれば抱き寄せたくなる気持ちは分かるのだ。
「じゃあダイムの散歩行って、家でゆっくりテレビでも見てるか?」
たまにはそんな怠惰な一日があってもいいのではないかと提案してみたが、狡噛はうーんと考えこみ、あまり気乗りしないようだった。
「あ、そうだ。行きたいところあったんだ」
「行きたいところ? どこだ」
至近距離で狡噛を見上げて、訊ねてみる。すると狡噛は、本屋、と答えた。
「本屋?」
「ああ、確かもう新刊出てるはずなんだよ、好きな作家の」
「紙で出版してるのか、珍しいな。しかしなにも雨の日に行かなくても」
狡噛が電子より紙の本を好むのは知っている。だがだからこそ、こんな雨の日に買いに行っては、せっかくの本が濡れてしまわないだろうか?
「濡れないように工夫するのもおもしろいもんだぞ」
「変わったヤツだとは思っているが、本当にお前は変わっている。そうまでして欲しいものだということは分かったが、近場なのか? あまり歩き回るのは、少し……」
腰が、と小さく呟く。ダイムの散歩で慣れた道を歩くのと、知らない道を歩くのでは負担が違うのだ。腰が痛い理由に気づいた狡噛が、
「はは、すまんすまん。近くだよ、何だったらおぶっていってやろうか?」
少しも悪く思っていないような口調で告げてくる。
「結構だ、バカ!」
「怒るなって、冗談だよ。お前の好きなパン屋で何か買ってやるから」
機嫌を損ねてしまってはせっかくの休日が無駄になる、と狡噛は腕の中から這い出した宜野座に提案してやった。宜野座は一瞬動きを止めて、
「一日限定五十個のメロンパンなら、許してやってもいい」
めいっぱい、わがままを言ってみせる。狡噛は笑って起きあがり、そうと決まれば善は急げと二人は雨の休日を楽しむことにしたのだった。
#学生狡宜 #両想い #ラブラブ #イベント無配