No.446

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ふたりの約束-018-

カクテルキッス04 2019.08.04

#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #記憶喪失 #カクテルキッス

「密のこと、何か覚えてるんですか!?」「……いや、分からない。昨日いた、よね……」「ああ、はい……先…

カクテルキッス04

ふたりの約束-018-


「密のこと、何か覚えてるんですか!?」
「……いや、分からない。昨日いた、よね……」
「ああ、はい……先輩の無事が分かったら帰りましたね……」
 そういう意味かと、至は再度腰を下ろした。
 密のことだけでも思い出したのかと思ったのにと、がっかりしたのが伝わってしまったのか、千景が気まずそうな顔をした。
「ごめん……」
「あっ、いや、すみません、俺らのことは気にしないでください。別に思い出さなくてもいいし、誰も責めやしませんよ」
「……ねえ、至って、俺と特別親しかったりしたのか?」
「……――は?」
 ドクンと心臓が音を立てる。思い出さなくていいと言った傍から、千景は核心をついてきた。頭のどこかに、残っているのだろうか。
「な、んで」
「昨日彼が……密が言ってた。オレのことはともかく、至まで忘れるなんて、って……密だけが、唯一俺を責めてきたんだ」
 至は目を瞠った。まだ千景自身混乱していただろうあの時、密の放った言葉を明確に認識していたというのか。
「だから、至とは親しかったのかと思って。それなら本当に申し訳ない……」
「い、いや、だってほら、職場も部屋も組も同じなんで。そりゃ他のメンバーよりは、多少仲が良かったかもしれませんけど。と、特別な意味なんてないですよ」
 至は慌ててぶんぶんと手を振り、特別の意味を払いのけた。特別イコール恋人だったとは思っていないだろうが、変な気を遣わせたくない。事実、自分たちは特別な関係ではなくなっていたのだから。
「あの……先輩、俺のこと迎えに来てくれてたんです。そこで事故に遭って……俺のことかばったんですよ。謝るのは、俺の方です。俺のせいでこんなことになって、すみません……」
 本来なら千景が負わなくていい怪我だった。忘れなくてもいい記憶だった。いや、彼は忘れたかったのかもしれないが、原因のひとつに至があることは否めない。
「至を? ふぅん……そうなんだ」
 千景は目を丸くして、そしてじっと見つめてきた。普段になかった名前で呼ばれ、そんなにまっすぐ見つめられてしまっては、胸が変に騒ぐ。気を引き締めていないと、言いそうになってしまう。
 自分たちは恋人なのだと、都合のいい〝嘘〟を。
「至が謝ることないと思うけど……もしそれを苦しく思ってるなら、お願い聞いてもらってもいいかな」
「お願い? えっと……なんです? 俺ができることであれば」
「もっと劇団のことを教えて」
「は? そ、そんなの……他にもっと適任いるでしょ、監督さんとか……あと、左京さん。眼鏡のヤクザっぽい人いたでしょ、昨日」
「至から聞きたい。至の声、すごく安心するっていうか……心地いい? なんでだろう……」
 千景はそう言ってぽすんと体をベッドに沈める。至はカッと?を紅潮させた。そんなことは、千景からも聞いたことがない。
 恥ずかしくて嬉しくて、至は口許を押さえた。
「あ、ごめん、でも至も仕事忙しいよな。彼女とデートとか、あるだろうし……ごめん、都合も聞かずに」
「いやっ、それはいいんですけどね。先輩って今までそういうカンジで女の人口説いてたのかなって。今の、男の俺でもちょっとキたっていうか、恥ずかしい」
「えっ? そういうつもりはなかったんだけど、ごめん」
 千景が慌てて否定をしてくる。ほんのりと?が染まっているようで、新鮮なものを見た気分だ。
「俺でいいならいくらでも。ちょうどそういう親しい相手もいませんしね」
「そうなの? でも至はモテるだろ。ああ、女の子にしてみたら、イケメンすぎて近寄り難いのかな」
 先輩に言われたくありません、とにっこり笑って返してやった。実際、見舞品だって九割が女性からなのに。
「そういえば、俺は? 誰かそういう……恋人とか、いたのかな……いたのなら、その人にも知らせてあげないと」
「彼女の話なんか聞いたことないですよ。もちろん見たことも。仕事終われば帰って稽古だし、公演なくたって他の組のサポートとかあるし、休日だって先輩は引きこもってネットサーフィンか、万里と脱出ゲームか監督さんとスパイス巡りかだったし」
 そもそも女性に関心がなかったようだとは、言わないでおいた。同性愛者だと分かれば、いつか至とのことに行き着いてしまうかもしれない。他人に聞かされた〝先入観〟や〝責任〟だけで、ヨリを戻してほしいわけではない。
(例えばこのまま記憶をなくした状態で、知らない女の人と幸せになるルートだって、あるわけで。……ある、ん、だよな……しんどいことに)
 千景に自分とのことは言わないと決めた以上、彼がこの先誰を好きになろうが責めることはできない。
 できればそれを祝福できるよう、心を強く持たなければと、気づかれないように太腿の上で拳を握った。
「俺もフリーだったのか……というか、芝居ばっかりだったのかな」
「そのケはありましたよ。入った当初は、ホント素人のくせに演技だけは上手かったし。腹立つ」
 ちょっとしたいざこざを乗り越えてからは、芝居馬鹿……というか、春組馬鹿になった。
「紬と丞ほどじゃないんですけどねー。割と、まあそれなら仕方ないかって言いながらも、すごい楽しそうにしてました」
 至は劇団サイトの紹介ページを見せながら、それぞれの個性を呟いていく。平均年齢がいちばん低い夏組は元気で騒がしいだの、秋組はガラが悪くて面白いだの、お酒を飲むなら冬組での飲み比べはやめた方がいいだの。
 そして春組は、いちばん丁寧に、ゆっくりと説明した。
「真澄はね、本当に監督さんのこと大好きなんですよ。重いなーって思うけど、若さですかね。分かりやすいアプローチしてて、いつか実るといいなあって。綴はうちの大事な劇作家。役者と作家の両立って本当に大変だと思いますよ。加えてちゃんと大学行ってんですから。あ、脚本読んだんでしょ? どうでした? 泣きますよね」
 至が話している間、千景は小さく相づちを打ってくれる。言葉が途切れた辺りで、質問が飛んでくる。それに答え、また話す。変な茶々を入れられることもなく、ゆったりと時間が流れた。
「シトロンは日本語の使い方が面白くて。たまにわざとやってるみたいですけどね。だけど笑いが絶えないから、ある意味ムードメーカーなのかも。咲也は大事なリーダー。一見頼りなさげに見えるけど、芯が強くて、まっすぐなんです。何よりも芝居が大好きで、その情熱で俺たちを引っ張っていってくれる。みんな大事なメンバーです」
「……至は?」
「は、俺ですか? いやー俺はどうだろ……休日どころか平日だってゲームしかしてないし、芝居はそこそこ好きだけど、体力ないし、人と関わるの苦手だったし、そういう俺が、なくてはならない存在だなんて、言えないでしょ」
「でも、いてくれなきゃ困る」
 え、と至はタブレットから顔を上げる。そこで千景の瞳とぶつかった。
「何言って……あ、人数的な意味なら、そうかも」
「違う、そうじゃなくて……こんなに丁寧に、嬉しそうに春組のこと話せるのは、至が大切に思ってるからだと思うよ。俺は芝居のことは分からないけど、気持ちをひとつにできなきゃ駄目なんだろ? 至が大切に思ってることは、きっとみんな知ってるから、至だって大事なメンバーの一人なんじゃないの?」
 技術的なものでなく、構成的なものでもなく、感情として、必要とされるもの。それは大切なことだ。技術も構成も、割とどうにかできるものだが、感情だけは強制されるものではない。
「一緒にやりたいって思ってるから、こんなにたくさんの公演してきたんだろ。自信持って、至」
 特に悩んでいるわけでもなかったが、言われて悪い気はしない。
 至は恥ずかしそうに目を泳がせて、はいと頷いた。
「今は、そこに俺の居場所がないかもしれないけど、いつか一緒に舞台立てるといいな」
「は? 何言ってんですか。退院したら様子見ながら稽古に決まってんでしょ。一応ファンもついてきたんですよ、次の公演だってあるんですからね。記憶がなくたって、先輩にも頑張ってもらいますから」
「…………お手柔らかに頼むよ」
 千景は目をぱちぱちと瞬いて、顔を引きつらせる。
 いったいどれだけ厳しい稽古なのかと、案じているに違いない。
「まぁ大丈夫ですよ。体力のない俺がついていけるくらいの稽古ですから。……体力は、ちょっと、つけようと思いますけど」
「ははっ、じゃあ、まあ俺にできる限りで、頑張るよ。ありがとう至」
 つけようと思う気持ちはある。あるのだが、実施にいたらないのが情けない。目を逸らした至に、何かを察したのか、千景が片を震わせて笑った。
 胸が鳴る。それを自覚して、至は腰を上げた。
「じゃあ、俺そろそろ帰りますね。何か足りないものとかあります? 明日監督さんに持ってきてもらうよう頼みますけど」
「いや、大丈夫。あんまり迷惑かけるわけにもいかないだろ」
「は~それ禁止~。俺らには迷惑かけてもいいんですよ。後で三倍返ししてもらうんで。先輩、甘えるの下手ですよね」
「……そういうものなの? いや、でも足りないものとか特にないから、平気だよ。ありがとうね」
 不思議そうに首を傾げる。そんな仕種はあんまり見たことがなくて、やはり以前の千景とは違うのだなと実感させられた。
「じゃあ、おやすみ至。気をつけて帰ってね」
「……はーい。おやすみなさい、先輩」
 だけどこれが千景でないとは言えない。千景の中に眠っていた性質なのかもしれない。
 至は病室を出たが、直後、大きなため息が聞こえた。千景のものだ。それは疲労を伴っていて、思わず振り返って戻ろうとしたが、千景はそれを望んでいないだろうし、面会時間ももうすぐ終わってしまう。
(そりゃ、疲れるよな……何も分からない状態で、俺らにも気を遣って……。検査とかもあるんだろうに)
 至は、気づいてやれなかったことを申し訳なく思いながら、病院を後にした。
 過度な接触は、お互いのために良くないと思い、翌日は見舞いに行かなかった。その次も、その次の日も。
 お互いがお互いであるためには、それが最前だと、この時は思っていたのだ。


#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #記憶喪失 #カクテルキッス