No.443

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ふたりの約束-015-

カクテルキッス04 2019.08.04

#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #カクテルキッス

「摂津もきたのか。御影まで……わらわらと大所帯だな」 病室へ入れば、ちょうど手続きを終えた左京と鉢合…

カクテルキッス04

ふたりの約束-015-


「摂津もきたのか。御影まで……わらわらと大所帯だな」
 病室へ入れば、ちょうど手続きを終えた左京と鉢合わせた。ベッドには千景が寝かせられており、非日常を窺わせた。
「監督さんは?」
「電話しに行った。さっき医者に聞いたが、骨折というかヒビが入ったみたいだな、腕。退院しても、しばらく稽古は休ませた方がいいだろう。首や背骨に異常はなかったそうだ」
 それを聞いてホッとした。外傷はなくても内に傷があるかもしれないと危惧していたが、それもないようで。
「ただ、頭打ってるからな。意識が戻ってからもう一度検査するらしい。この程度で済んだのは運が良かったとさ」
「こんなとこまでチートなんですかね……」
 至はベッドの傍に佇み、包帯の巻かれた千景の頭に触れた。そして、擦り傷のついた?へ。指先で鼻筋を撫で、唇を押す。
 彼の意識がある時には、もう触れられない場所だ。
「千景さん、早く目ぇ覚めるといいね、至くん」
「つーか、左京さんとか密さんて、知ってんの、これ」
 背後で、紬と万里が呟く。そういえば密は知っているが、左京はどうだっただろうと、至はようやく思い至った。
「オレは知ってた……千景の様子がおかしかったから」
「……まあ、薄々な。寮の秩序は乱してねえみたいだし、そこはその、俺がどうこう言えたもんじゃねえ」
「ははっ、確かにな」
 左京も、同性の恋人が劇団内にいる。その事実は至も知っているけれど、彼らから直接聞いたわけではない。あまり深くは突っ込まないようにしてやろうと、口の端を上げた。
「このメンツだから言うけどさ。俺……先輩とは別れたんだ」
 別れた、という音を、当事者以外に発するのはこれが初めてだ。途端に事実を認識して、体が急激に冷えていく。
「え……は!? なに、言って」
「えっと……どういうこと、至くん」
「そんな素振りなかったと思うが……事実、コイツは夜遅いからってお前を迎えに行ったんじゃねえのか」
 万里が肩を掴んで振り向かせてくる。紬は目を大きく見開いて、左京は眉間に深いしわを刻んでいた。
「どうもこうも、言葉の通り、別れた。一方的なものだったけど……忘れてほしいって言われたよ」
「はあァ!? なんッだそれ、ふざけんな!」
「ば、万里くん落ち着いて。至くんに言ってもしょうがないじゃない。でも、どうしてそんな……ザフラで、ちゃんと気持ち確かめ合ったんじゃないの?」
 至が怒れなかった分、万里が怒ってくれる。至が訊けなかった分、紬が訊いてくれる。
「突然だったから、俺だって驚いたよ。まだ納得できてない。でも、先輩の気持ちは変わらないんだろうなって思って、優しくするのはやめてくださいって言った矢先だったんだよね、事故」
「そりゃ納得なんかできねえだろう。距離を置くならまだしも、過保護に迎えに来るようじゃ」
「そうなんですよね……余計なことしやがって、クソが……」
 至は傍にあった椅子に腰をかけて、息を吐いて肩を落とす。結局、千景の真意は聞けていない。どういうつもりで抱いていたのか、なんのつもりで迎えになんか来たのか。
 目が覚めたら、いの一番に訊いてやろうと、千景の寝かされたベッドに突っ伏す。千景の匂いがしないベッドは、落ち着かなかった。
「至……千景は、至のこと」
 押し黙っていた密が、ぼそりと呟く。何か知っているのかと思ったのは、密がいちばん千景に近かったからだ。
 仕事で何かあったのか、今ここで訊ねるわけにもいかないが、至は体を起こして密を振り返った。
「至のことが、大事なだけ……」
「は? いや意味が分からん」
 思わず口をついて出た。大事だと言うならば、ちゃんと納得させてほしい。そう思った時、
「う……」
 千景のうめく声。腕に触れていた指先が、その腕と一緒に浮き上がり、落ちる。
「千景さん!」
「摂津、ナースコール!」
 紬が嬉しそうな声を上げる。左京が素早く指示を出す。万里がすぐさまボタンに手を伸ばし、密もベッドの近くへ歩み寄ってきた。
 そして、至は。
「せん、ぱい……」
 重たそうに持ち上がった腕が、額に乗るのを見て、ようやく声を発した。
 千景の意識が戻った。
 命に別状はないと分かっていても、不安で仕方なかったものが、全部払拭された。
 千景の真意を問いただそうとは思っていたものの、今はそんなことどうでもよくなってくる。千景が意識を取り戻してくれた。それだけで、充分だと。
「千景さん、大丈夫っすか。痛みは? すぐ医者とか来っから」
「ちょっと入院が必要だそうなんで、あとで荷物とか準備してきますね」
「千景……大丈夫……?」
「てめぇら、怪我人の頭の上で騒ぎ立てんじゃねえ!」
 諫める左京の声がいちばん大きい、と万里が反論をする前に、コールを聞きつけた看護師たちが駆けつける。至たちは、千景の症状を確認するより先に、病室の隅に追いやられてしまった。
 そうして、寮への報告を終えてきたいづみも加わり、手狭感が否めない。だけど千景が無事であることを確認するまで、立ち去ることもできやしない。
「と、とにかく目が覚めて良かったね。骨のヒビも、千景さんなら明日には治ってるかもしれないし」
「いやそれはねーわ」
「いくら千景さんでも、それはちょっと……」
「現実を見ろ、監督さん」
 いづみの突拍子もない物言いに脱力する面々の中、医師たちは意識の戻った千景に、自覚症状を聞いているようだった。痛み、違和感、不快感など。機械の検査だけでは分からないことも多々あるのだろう。
 そして、一瞬医師たちの声が静まりかえった瞬間があった。
「どうしてこんなところにって、ここは病院だよ。何があったか覚えている?」
「……いえ、分かりません……」
 それは確かに、医師と千景の声だった。え、と短く息を吐き、全員でそれを振り向く
 。医師は看護師に何かを伝え、看護師は慌ただしく病室を出て行った。
「え……なに、今の」
「ど、どうしたんでしょう、何かあったのかな」
 万里が顔を引きつらせる。紬が不安そうに、看護師の出ていった扉を見つめる。
 至は足を踏み出して、医師の元へ歩み寄った。
「先生、あの、何かあったんですか」
「え、ああ、いえ……その、どうも記憶が混乱しているようで、なぜ自分がここいいるのか分からないみたいなんですよ。自分は専門外なので、今担当医を呼びにやっています」
「記憶が、混乱……」
「事故のショックで、一時的なものなのかもしれません。えぇと……自分の名前は言えるかな」
 医師は千景を振り向く。千景は少し首を傾げ考え込み、きょろりと辺りを見回し、ベッドの柵に掲げられた表を見て呟いた。
「卯木千景と書いてあります。それが俺の名前ですか?」
 言えた、とは言っても、それを自分の名前として認識している様子はない。
「なに、も、覚えて、ない……ん、ですか」
 至は震える声でどうにか言葉にし、訊ねる。千景が振り向いて、じっと見つめてきた。
「何も。きみは俺のなんなんだ?」
 愕然とした。自分の名前も言えないような状態で、ある程度覚悟はしていたが、こうまではっきりと言われてしまうと、感情のやり場がない。
 千景が、何もかも忘れてしまった。
 ぐらりと視界が揺れる。崩れかかった体を支えてくれたのは万里で、それに甘えてしまいそうになった。
「……千景。全部忘れてる……?」
「千景さん、えっと、わたしたちMANKAIカンパニーっていう劇団で一緒にお芝居してたんですよ。みんな心配してます。覚えてないですか?」
 密は眉を寄せ、いづみは眉を下げ、それぞれ千景に訊ねる。千景はふるふると首を振り、
「ごめん、思い出せない」
 そう、小さく呟いた。
 至は血の気が引いていく思いだった。自分のことはともかく、密のことまで忘れているなんて。千景は?をつくのが得意なペテン師だが、こんな状況でタチの悪い?を吐くような男ではない。
 本当に、自分が何者なのかも分からないようだった。


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