No.440

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ふたりの約束-012-

カクテルキッス04 2019.08.04

#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #カクテルキッス

 何を考えているのだろうと、至はエントランスのベンチに腰をかけて、携帯端末を眺めた。 LIMEのトー…

カクテルキッス04

ふたりの約束-012-


 何を考えているのだろうと、至はエントランスのベンチに腰をかけて、携帯端末を眺めた。
 LIMEのトーク画面は、千景とのやり取りを映し出している。
(迎えにって、ほんとなに? 俺ら昨日別れたよな? マジで一方的に、飽きたとか言いやがったくせに、なにこれふざけてんの?)
 千景の行動の真意が、少しも分からない。
 自分が飽きたからといって、こちらが割り切れているとでも思っているのだろうか。むしろ傷心の真っ最中だというのに。
 人の心を推し量ることが壊滅的にできないひとなんだなと、腹立たしさを隠しもせずに足を組む。
 そろそろ正面ゲートが閉められてしまう時刻なのだが、千景はまだ現れない。運転中かなと思えば電話をすることもできないし、メッセージを送ったって無駄だろう。
(ッあ~~ほんと何考えてんだよ! 別れたんだから放っとけよクソが。新手のイジメか。こっちはまだ好きなんですよ、どうしようもないくらいに好きなんですよ)
 千景の迎えなど無視して、電車で帰るから大丈夫ですとメッセージだけ残して帰ろう――とならないのは、千景への気持ちが、いまだに至の中で育っているからだ。
 フラれた状態で彼と一緒にいるのは苦しいけれど、嬉しくもある。今日は一日中顔が見られていない。視線も交わせていない。会話もだ。
 少しくらい笑いかけてくれるかなと期待してしまうのは、どうしようもない。
(マゾっぽいな俺。イタイの嫌なんだけど)
 もうすぐ着く頃だろうかと思うと、ドキドキとソワソワとズキズキが一緒にやってくる。
 それと同時に、守衛がやってくる。ビルの見回りを終えたのだろう。正面のドアが閉められる時刻らしい。以降、残るのならば守衛に連絡をして、帰る時に裏口を開けてもらわなければいけないのだ。
 それは面倒だなと、至はベンチから腰を上げ、もう出ますと守衛に告げて自動ドアをくぐった。
 夜の冷たい風が?を撫でていく。その時、ちょうど到着した千景に声をかけられた。
「茅ヶ崎、遅くなって悪い。車、パーキングに停めてるから」
 至は携帯端末から顔を上げて、スーツのままの千景を見やる。自分より早く退社したのに、スーツのままだとは。どこに寄っていたのだろうと、苦笑する。
 だが、それを深く訊ける立場にはない。
「先輩って、本当に勝手な男ですよね」
「え?」
「あんまり優しくしないでくれません? ヨリ戻ることないんでしょ。さっきまでは平気かなって思ってたけど、やっぱ無理だわ。先輩と車の中で二人っきりって、かなりしんどい。電車で帰ります」
 迎えに来てもらって悪いですけれどと続け、千景を通り過ぎかける。だけど腕を掴まれて、叶わなかった。
「……悪いとは思ってる。だけど夜遅いし、この間変な視線感じたって言ってただろ。最短ルート通るから、一緒に帰ろう」
 至は目を見開いて、ついでぱちぱちと瞬いた。何の気なしに言ったことを覚えていたのか。それで危ないからと心配して、着替えることもなく迎えに来てくれたのか。
 嬉しいと思ってしまう自分が情けない。?の筋肉が緩みそうになるのを押さえたせいで、変に歪んだ。
 入団当初はあの部屋に帰ることもなかった千景が、まさか〝一緒に帰ろう〟だなんて。
「あ、の……それは、原因分かりました、し。もうなくなると思います」
「……そう。茅ヶ崎のこと好きなヤツとか? まあ、でもここまで来たから、行こう」
 最短ルートを通ってくれるなら、二人きりでいる時間は少なくなるだろうし、心配をかけてしまったのは至の責任でもあって、何よりこの力強い手が逃がしてくれそうにない。
 電車代だって浮くし、といろんな言い訳を探して、至はこくんと頷いた。
「あ、その前にあそこのコンビニ行っていいです?」
「ああ、もちろん。そうか、お前メシ食ってないんだろ。食欲がないなら、えっと、おかゆとかの方が」
「……なんで知ってんですか」
「密に聞いた」
「…………そうですか」
 二人でそろって歩き出す。至が行きたがっているコンビニは、道路を挟んだ向こう側。こちら側にもコンビニは見えるが、少し遠い。信号待ちの時間を考えても、向こう側の店舗がいちばん近かった。
 横断歩道の手前で立ち止まり、至は俯く。同じように道路を渡りたい人々が、わらわらと集まってくる喧噪の中、至は細く息を吐き出した。
 隣にいることが苦しい。傍にいられることが嬉しい。この矛盾は、どうやったら消化できるのだろう。
「……別れたこと、言った方がいいんですかね」
「…………密には、話した。アイツはお前のことを気にかけていたからな」
「いや、俺っていうか先輩のことでしょ。嫌みじゃなくて……密は先輩のこと大事だから……その延長で俺を気にかけてくれてただけで」
 千景と密の間には、誰も入り込めない。たとえこの先どちらかに恋人ができても、家族ができても、二人の絆は別のカテゴリにある。至も、今でさえそれには嫉妬する。
「茅ヶ崎、俺は」
「俺は先輩を知る前に、フラれちゃいましたけどね」
 その絆が強い理由は、理解しているつもりだ。だからこそ、羨ましいと思うだけで留めていられる。千景の世界に踏み込めない至では、どうしようもない。
「……お前は、こっちに入ってこなくていい」
「――分かってますよ。俺だって危ないのなんかごめんです」
 千景自身も、至が踏み込んでこないことを望んでいる。それが分かっていたから、彼の日常でありたかった。
 これからは、会社の後輩として、劇団の仲間として、ルームメイトとしてしか、接することができない。
「分かってるならいい」
 押し殺した千景の声が耳に届く。
 視線を落とした先で、千景が太腿の横で拳を強く握りしめるのが目に入った。
 至は顔を上げて千景の顔を見やりかけたが、その時ちょうど歩行者用の信号が青に変わる。我先にと慌ただしく道路を渡りかける人たちにつられて、至たちも足を踏み出した、その時。
 右の方から、ギッギャアアァァと悲鳴のようなブレーキ音。続いて何かがぶつかるような、雷か爆発か、そんな轟音が辺りを支配した。
 それは、ほんの一瞬のできごとだった。
「茅ヶ崎!!」
 何かに押されて、視界が揺れる。体のどこかに、痛みを感じた気がした。
 どよめきは悲鳴に変わり、至の視界がクリアになっていく。
 道路の向こう側、ガードをなぎ倒してコンビニに突っ込んだ車が見える。
 巻き添えを食らった車たちが、鼻先を明後日の方向に向けて立ち往生している。
 歩行者用の信号は青の点滅を始めるが、道路にいる人々は動けないでいた。
「救急車! 警察っ……!」
「だ、誰か……タオル、ハンカチとか! 服でもなんでもいいから止血できるもの!」
 道路を渡ろうとしていた数人が、車の追突に巻き込まれて、倒れ込んでいる。
 携帯端末で電話をかける者、不謹慎にも写真や動画に収める者、倒れた人に声をかけ救護に当たる者。
「あの、大丈夫ですか、しっかりして」
 肩を揺さぶられた気がするけれど、至の頭は認識してくれない。
 どうして。
 そこに倒れているのは、自分だったはずではないのか。
 あの時押された気がしたのは、まさか、彼の――。
「せ、ん……ぱ」
 視線の先で、千景が倒れている。周りの人が声をかけているのが見える。
 幸いにも意識はあるようだと、その唇がうごめくのを確認して、至ははじかれたように駆け寄った。
「先輩!!」
「ちが、さき……怪我、してないか」
 駆け寄ってすぐ、第一声がこれだ。この期に及んで他人の心配とは、どこまで馬鹿な男なのだろう。
「俺は平気です、それより、先輩がっ……なんでこんな」
「だいじょうぶ……きたえてる、から、これくらいで死ぬことは、ない」
「そういう問題じゃないでしょうが!」
 そう叫ぶが、ホッとした。千景の綺麗な髪を血が濡らしていくが、意識はあるし、手も動いている。どこか骨折くらいはしているかもしれない。
 軽症ではないが、すぐに命に関わるような状態には見えなかった。
 程なくして、救急車とパトカーが、けたたましくサイレンを鳴らしながらやってくる。
 至の頭には入っていなかたが、この大惨事を起こした車の運転手は、車を放って逃げ出したらしい。
 数人が追いかけ確保されたようだが、飲酒運転かそれとも薬物使用か。それは今後のニュースなどで知ることになるだろう。千景の怪我の様子を見ながら、事情聴取もあるはずだ。
 千景が、ぎゅっと至の手を握りしめてくる。少し荒い呼吸は、彼の苦痛を伝えてきたが、至にはその手を強く握り返すしかできなかった。
 そうして、到着した救急車に一緒に乗り込み、受け入れ先の病院まで付き添った。
 千景は救急車の中で意識を失ったが、救急隊員の話では骨折と打撲が主な症状らしい。倒れ込んだ拍子に頭を打った可能性があるらしく、そちらの方が心配だとか。
 千景が処置室に運ばれていってから、至はようやく意識がはっきりとし出す。
 びっしょりと汗をかいている背中にシャツが張り付いて気持ちが悪い。
「事故に遭われた方ですか? 怪我されてますね。手当てしますので、こちらへどうぞ」
「え、あ……でも、かすり傷なんで」
 看護師に声をかけられ、至は初めて自分も怪我をしていることに気がついた。突き飛ばされて地面に転がった時にでもすりむいたのだろう。千景に比べたら何てことはないものだ。
 だが、重症か軽症かを判断するのは自分たちだと言われて、素早く手当てをしてもらった。幸い、本当に大したことはなかったようだ。
 千景が、かばってくれたおかげで。
 千景の方は、まだ治療が続いているらしい。処置室傍の長椅子にドサリと腰を下ろし、ポケットの携帯端末を取り出した。画面も無事で、傷は付いていない。
「えっと……ここ、スマホ……」
 使っていい場所なのかどうか分からず、忙しなく走り回る看護師たちに聞くのも憚られ、至は念のため場所を移した。
 手が震える。今の時間ならみんなまだ起きているはずだが、ひとまず第一にいづみへ連絡をしなければと、LIMEの無料通話を開始した。
『至さん? どうしたんですか、こんな時間に? あれ? もしかしてまだお仕事ですか!?』
「ごめんね監督さん、落ち着いて聞いて。先輩が……千景さんが事故に遭って、今病院なんだ」
『……――え!? 事故!?』
 三秒ほどの間を置いて、いづみの驚愕した声が返ってくる。談話室にいたのか、向こう側がどよめいたのが聞こえてきた。
『じ、事故って、何があっ……えっと、千景さん大丈夫なんですか!?』
『監督さん、代われ』
『あ、は、はい』
 動揺を隠せないいづみのすぐ傍で、左京の声がした。
『茅ヶ崎、怪我の具合はどうなんだ。病院は』
 いづみと替わった左京が、簡潔に用件を音にする。さすがにこういった病院沙汰は慣れているのかと、至も短く病院名を口にした。
「命に関わるようなものじゃない、とは思います。救急車到着するまで、意識もちゃんとあったので……ただ、骨折とか、そういうのはありそうです」
『分かった、待機してろ。俺も行く』
 慌ただしく通話が切られる。冷静に思えた左京も、実際は動揺しているらしい。至は処置室の方へと戻り、ただ忙しなく行き交う人々の中、無言で立ち尽くした。


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