No.439

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ふたりの約束-011-

カクテルキッス04 2019.08.04

#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #記憶喪失 #カクテルキッス

「あれ、茅ヶ崎まだ戻ってないのか?」 一仕事終えて寮に戻れば、団員たちが温かく迎えてくれた。 千景は…

カクテルキッス04

ふたりの約束-011-



「あれ、茅ヶ崎まだ戻ってないのか?」
 一仕事終えて寮に戻れば、団員たちが温かく迎えてくれた。
 千景はホッとしつつ冷蔵庫を開ける。ストックしているミネラルウォーターを手にしたとき、おかしなことに気がついた。
 至が大好きなコーラが昨日と同じ本数で鎮座している。三本だ。なくなったら買ってくるタイプの至が、一本買って一本飲んでいるということは考えにくく、まだ職場から戻っていないのだと分かる。
「今日はまだ帰ってきてないね。残業かな?」
 大変だねと東が時計を仰ぐ。すでに二十一時を回っており、いくらなんでも遅すぎると千景は体を硬直させた。
(まさか、何かあったのか!?)
 こんなに遅くまで残業していたことはあるだろうか。千景の知る限りでは、ない。そんなに大変な案件を抱えていた記憶もない。
 ドクンと心臓が鳴る。そういえば妙な視線を感じたと言っていた。どうして彼を一人置いてきたのだろうと、千景はいったん一〇三号室へ向かう。
 重い仕事道具を置き、愛機と携帯端末のみ持ち上げる。
 LIMEメッセージは何も入っていない。組織の方からも、何も変わった連絡などない。震える指で、LIMEメッセージを送信した。
『茅ヶ崎、今どこ』
 彼とのやり取りはいつも簡潔なものだったが、これほどに早く、明快な答えが欲しいと思って送ったものはない。
(茅ヶ崎、頼む)
 既読がまだつかない。スマホ中毒と言ってもいい彼が、触れられない状況にあるというのだろうか。全身から汗が噴き出してくるかのようだ。
「……っ」
 あの夢が、頭の中にフラッシュバックする。
 なくしたくない。誰よりも大切にしたい人なのに。傍にいさせたらいけない相手――いなくならないでほしい。
「茅ヶ崎……っ」
 こらえきれずに、通話のボタンを押そうとしたその時、既読のマークが付く。
 千景はハッとして、祈るように両手で端末を握りしめた。
『どこって、まだ会社ですけど。そろそろ上がります』
 返ってきたメッセージに、体から力が抜けていく。はあ~と大きく息を吐き、崩れ落ちそうだった体を踏ん張って支えた。
『残業してたのか。迎えに行くから、エントランスで待ってろ』
 素早くそう打ち返したのは、夜遅く至を一人で歩かせたくないせいだ。
 遅いと言っても二十一時過ぎ。今から帰る準備をして会社を出るにしても、深夜というわけではない。成人男性の帰路を心配する時刻ではなかった。
『なんで』
 短く返されて、返答に困る。心配だからと素直に返していいのか、怖いと深く心を明け渡していいのか。
『先輩、別れた男にそうやって優しくするのやめてください。デリカシーの欠片もないな』
 ズキリと心臓が痛む。昨日告げた別れは、至の頭にしっかりと残っているらしい。今日一日少しも視線が合わなかったことからも、裂けているのだとは分かるし、そうさせているのは千景自身だ。それなのに、こんなにも胸が痛むなんて。
(……こんな身勝手な男に、恋なんてするからだよ、茅ヶ崎)
 傷つけただろう。唐突な別れに、納得なんてしていないはずだ。むしろそうであってほしいとさえ思う。
 恨んでも、憎んでもいいから、自分とのことは忘れて、いつか他の相手と幸せになってほしいと思う反面、ずっと捕らわれてほしいと願う、身勝手さ。
『ちょうどそっちに行く用事があるんだよ。いいから待ってろ』
 ?をついて、深呼吸をして、部屋を出ようとしたそこで、ドアが開かれた。
 千景は息を飲む。珍しい客だった。
「密……」
「至、いないの」
 至とのことを知っている、数少ない人物。大切にしたい仲間で、家族で、共犯者でもある密だ。手にはマシュマロの袋を抱えており、彼は部屋を見渡す。
「まだ会社だ。今から迎えに行く。アイツに用があるんだったら、伝えるけど」
 どうしても密相手だと、言葉が雑になる。仮面をつけていない状態で出逢って、仮面をつけていない状態でずっと一緒に過ごしてきたせいだ。それは密の方も同じようで、目つきが少し鋭くなる。
「朝……ご飯食べられなかったみたいだから、マシュマロなら食べられるかと思って、持ってきた」
「え?」
 密は大事そうに袋を抱え直す。至にあげるつもりなのだろうが、その力に未練が見られる。だが彼が大事なマシュマロを差し出すほどに、重大な事柄だったのだろう。
 朝は、アジトの方から直接出勤したせいで、朝の至の様子は知らない。
 食べられなかったというのは、時間的な問題だろうか。そう思いかけたが、そんなのはいつものことで、密が心配するような日常ではない。
「さっき紬が言ってた。サラダ、少ししか食べなかったって……風邪なのかなって、心配そうに」
 千景は目を瞠る。そういえば、会社でも昼食を取った様子がなかった。
 ランチの時間に席を外していたものの、コンビニの小さな袋を提げてすぐに戻ってきていた。
 だがそれにも関わらず、通りかかった時にちらりと見やった彼のデスクに、食べるはずだった惣菜パンが置かれていたのだ。昼をだいぶ過ぎた、三時頃。
 食事を取る暇もないほど忙しかったのなら、この残業も頷ける。だけど朝も昼も食事を抜いて、さらに夕食はどうしているのだろう。
 固形の栄養補助食品なんかでごまかしていないといいが、と眉を寄せた、その時。
「千景。至に何をしたの」
 密の低い声が耳に届いて、はじかれたように顔を上げた。すぐ傍まで詰め寄られていて、その気配に気づかなかったことが悔しくてたまらなかった。
「なっ、……んで、だ」
「朝すれ違った時、至泣きそうな顔してた……お前が何かしたんでしょ」
 鋭い爪でえぐられたように、ズキ、と心臓が痛む。至がそんな顔をしているところは、見たことがない。泣かせたことはあるけれど、それはベッドの上だけだ。
「至がそんなふうになる理由、お前しかない。至を傷つけないでって言ったのに」
 密の手が、千景のネクタイのノットを掴む。声の低さと強さが、本気で責め立てているのだと気づかせた。
 何より、防ぐ余裕もなかったことからも、密の怒りを伝えてくる。
 居場所を与えてくれたカンパニーのみんなを、密はとても大切に思っている。
 なかなか表には出してこないが、危機に陥れば千景と同様、何を置いても救い出すだろう。至だけが特別というわけではない。
 いや、千景が関わっているところから、他のメンツより少しだけ気にかけていたのかもしれない。千景はその手を振り払って言い放つ。
「仕方ないだろう、あれ以上は無理だった」
「……何をしたの、大事な家族だろ」
「っ……大事だから、家族に戻っただけだ! ただの家族なら……アイツを、狙う理由も、なくなる」
 言葉がうまく出てこない。出そうとするのに、痛む喉が邪魔をする。詰まるような感覚は、その決定的な言葉を音にさせてくれない。
 密が目を瞠ったのが分かる。〝狙う〟という単語は、自分たちにとってあまりにも日常的なものだった。
「至、誰かに狙われた? いつ、どこで」
 密はすぐに、千景の言わんとしていることを悟り、ガッと腕を掴んでくる。その力の強さは、焦りと困惑が混じっていた。
 千景はふるふると首を振る。
「違う、まだ……平気、だと思う。だけどこのまま一緒にいたら、いつかそうなる。俺のことを気にくわないヤツがいたの、知ってるだろ」
「だから至を捨てたの?」
「捨ててない! だけど俺に茅ヶ崎は無理だって、茅ヶ崎にも俺は無理だって、お前が言ったんだろう!」
 こんなこと言いたくない。選んだのは自分自身だ。茅ヶ崎至を守る、唯一の方法。大切だから、彼を失うことが何よりも怖い。自分の人生に巻き込んで、あの優しい男をこれ以上傷つけられない。
 今、離れてしまうのがいちばんいいのだと、導き出した結論だった。
「俺の力になりたいなんて思わせてる。冗談じゃない、なんで危険だってことが分からないんだ、アイツは」
 昨日、万里との会話を聞いてしまった。ザフラで力になってくれたことはありがたいけれど、あれは運が良かっただけだ。
 ただでさえ体力のない一般人を、これ以上巻き込むわけにはいかない。
「アイツは、俺に……縛られるべきじゃない。俺のことは忘れて、誰か他のヤツと幸せになってほしいんだよ。女だって抱けるだろうし、結婚して、子供育てて、芝居に打ち込んで、ゲームにのめり込んで、笑っててくれればいい」
「千景の幸せは……どこなの」
「はぁ……そんなの考えるだけ無駄だろ。アイツを迎えに行ってくる。待たせてるんだ」
 眉を寄せて得心のいかない表情を隠さない密を押しのけて、千景は一〇三号室を後にする。
 これ以上傷つけないために別れを選んだ。傷が深くなる前の方がいいに決まっていると、千景は至の車に乗り込んでエンジンをかけた。
 傍にいれば、深く関係すれば、いつか気づかれる。自分だけでは至を守り切れないと悟ったから、今のうちに離れただけだ。
 これ以上進んだら、あの夢が現実になったとき、耐えられない。立ち直ることさえできない。
 自分がいないところでなくしてしまったオーガストとは違い、至はまったくの民間人なのだ。巻き込めない。
「……茅ヶ崎、早く忘れて……」
 アクセルを踏みながら、待っているであろう至を思い浮かべた。


#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #記憶喪失 #カクテルキッス