No.435

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ふたりの約束-007-

カクテルキッス04 2019.08.04

#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #記憶喪失 #カクテルキッス

 携帯端末の画面をタップして、至はゲーム画面を閉じた。これで今日のデイリーは全部回収したはずだ。「は…

カクテルキッス04

ふたりの約束-007-


 携帯端末の画面をタップして、至はゲーム画面を閉じた。これで今日のデイリーは全部回収したはずだ。
「はああぁあぁぁぁ~~」
「すっげえため息」
 ごろりとソファに寝転がると、自然と息が漏れてくる。座部を背もたれにして床に座っていた万里が、その大きなため息を聞いて顔だけで振り向いてきた。至はクッションを抱きかかえて、携帯端末を手放す。
「至さんどうしたんすか。今日はあんまりノらねーカンジ?」
「いや、ちょっと心臓が忙しい」
「把握」
「把握すんな。っていうか、俺ヤバくね? LIMEひとつでこんなに浮かれてんの。しかもリアタイじゃないヤツな」
 手放したはずの端末を再び手探りで持ち上げて、LIMEを立ち上げる。昼間のトークが残っていた。もちろん千景とのだ。
 他愛のない、昼食の誘い。それは以前もあったはずで、別段変わりないように見える。それなのに、メッセージのひとつひとつが嬉しくなってしまう。
「だいぶ重症だなアンタ。初恋? なんだっけ?」
 訳知り顔の万里が、面白そうに訊ねてくる。視線は端末画面に固定したままだ。確かに万里の言う通り、これは初めてと言っていい恋だ。
 今までも、もしかしたら恋らしきものを経験したかもしれないが、明確に恋だと認識できるのは、これが初めて。
「何か自分が馬鹿になったみたいで悔しい。両想いじゃなかったら、まだ抑えてられたのに、全然ダメ」
「いいんじゃないすか。まだ付き合ってあんま経ってねーだろ。半月くれぇ?」
「十日です。だってなんかさ、先輩の声っていうか、顔っていうか、仕種っていうか、もうそういうのが全部甘ったるいんだよ。ナニコレ。世の中の、こ、恋人同士って毎日こんな思いしてんの?」
 恋人という単語に、まだ言葉が詰まる。それに気がついて、万里が噴き出した。「小学生かよ」と。できれば中学生あたりまで上げてほしいとは思うが、どれだけも変わらない。
「付き合い始めはそうかもな。でも、分かるっすよ、LIMEのメッセひとつでも嬉しいって思うのは。俺だっていまだに顔が緩む」
「ものすごいのろけを食らった」
「いやアンタのが先だわ」
 はあ、とため息をつくけれど、憂鬱なものではない。肩の力が抜けていく。
 正直、こんなふうに話せるとは思っていなかった。恋が叶ったからということもあるが、まだあまり一般的でない想いを、ゲームやおやつを楽しむかのように会話にできるなんて。
「いつになったら慣れるんだろコレ。先輩ここ数日LIMEの量が増えたっつーか」
「へぇ。なんにしても意外だな、千景さんがそんなに恋愛方面にハマり込むなんてよ。だいぶなくなったけど、なんか一線引いてる感じあるだろ、俺らにも」
「それな。だからギャップっていうか、この甘やかし状態に心臓が忙しいんだっつってんだろ」
 昼食時には必ず誘ってくれる。
 通勤時にも運転をしてくれる。
 残業をしたって待っていてくれる。
 一緒にいる時間が増えるのは純粋に嬉しくて、車内で二人っきりの時には、恋人らしい会話も交わされる。
 世の恋人たちは、こんなふうに過ごしているのか。
 恥ずかしくも照れくさくもあり、あまり気の利いたことができていないのも確かだが。
「で、千景さんは? 今日も一緒に帰ってきたよな」
「え? ああ、ちょっと出掛けてる。ここ数日、夜はそんな感じ。たぶん、ここじゃ騒がしくて片付けられない仕事片しに行ってんだろ」
「ふーん。浮気とか心配しねーんだ」
「それはない。だってあんな、…………なんでもない、今のナシ」
 思わずガバリと起き上がって抗議しかけたが、とんでもないことを口走りそうになってまた寝転がる。
 浮気だのなんだの、考えたこともなかった。
 浮かれていて意識の片隅にもなかったのが本音だが、あんなに激しく愛してくれておきながら、他の男に目が行くとは思えないのだ。
(それに、たぶん……ここ数日いないのって、向こうの仕事だろうなって思うんだよね。邪魔するわけにはいかないじゃん。劇団が関わってない限り、俺は部外者だし)
 この一〇三号室に着くまでは、千景はいつもと変わりない表情でいる。
 だけど「少し出掛けてくる」と言って踵を返す彼は、表情が硬い。
 ほんのわずかの変化かもしれないが、傍で見てきた至には分かる。声に、若干の焦りが感じられるのも。
(危ないヤツじゃないといいんだけど。……心配くらいはいいよな、したって。あ、怪我とかしてたらどうしよう、俺手当てとか分かんないわ、……って、あの人が怪我した状態でこっち帰ってくるわけねーか)
 抱えたクッションに顔を埋めて、改めて自分のスキルの低さを実感した。
 エリート面はしていても、普段の生活の中で至は実はそうスキルの高い方ではない。
 料理はからっきしだし、掃除も駄目だし、洗濯も面倒くさい。
 ゲームだけして生きていければいいなんて思っていた弊害が、ここにきて出てきてしまった。怪我の手当てなんかやり方が分からない。傷口に触れさせてももらえなかったのだ。
 組織の仕事に関わらせたくないのは分かっているが、何かあった時にくらい力になりたい。千景にはそんなこと言えやしないけど。
「至さん?」
「……なあ万里、お前さ。紬の力になりたいって思ったことある?」
 相談相手がいてくれることを、本当にありがたく思う。初めてのことばかりで、どうしたらいいのか分からない。こんなことを思っていていいのか分からない。
 他の人はどうなのだろうと、至は万里を振り向いた。
「紬さんの? あー……あるっちゃあるけど、あの人ほんとに芝居馬鹿だから、どうしてもそっち方面になるんだよな。エチュードとか、脚本ほん読みとかな。結果として俺の技術も上がってくから、ありがてーっすよ」
「そっか……万里と紬は、カフェ巡りって趣味も合うしな」
 彼らも、そうなるまでには時間がかかっただろう。自分たちは体の関係だけ長くて、心を通わせ合ってまだ日が浅いだけだ。
 きっといつか、並の恋人同士のようになれる。千景が好きだという気持ちがあれば、きっと、いつか。
「アンタも、千景さんの力になりたいとか思ってんの?」
「そりゃな。助けたいってことはあるけど、あの人チートすぎて俺の手なんかイラネってハナシ。……なんで俺のこと好きになってくれたんだか、分かんない」
「そういうの、紬さんも思ってんのかな」
「あ?」
「ほら、俺も割となんでもできっから」
「自慢おつ。でも紬の場合ほら、それこそ芝居のキャリアは万里よりあるわけだし、そういうとこで力にはなれるだろ。俺の場合、本当になにもできないんだよ。趣味も合わないし食べ物の好みだって合わない。合うのは体の相性くらいかな」
 千景の気持ちを疑っているわけではない。疑ってしまうのは、彼に好きでいてもらっている〝自分〟だ。
 何が彼の琴線に触れたのだろう。同性相手のセックスは千景が初めてで、技術も何もあったもんじゃない。
 踏み込み過ぎないという、弁え方が気に入ったのだろうか。だったらそれは買いかぶりだ。他人と関わるのが苦手だっただけだし、踏み込む勇気がないだけだ。
 踏み込んで、千景を困らせたくない。積極的に踏み込みたいかと問われればノーと返すし、千景との距離感が分からなくなった。
「セフレだった時は、こんなこと思わなかったのにな。手を放しても、放されても、すぐ立ち直れるように壁作ってたんだと思う」
「……両想いになったら、タガが外れちまったってことかよ?」
「たぶん。今までどうやって隣にいたんだっけ、って考えないと普通にしてらんないの、ヤバいわ。その内バレそうで怖い」
 千景とのことは秘密の約束だ。目一杯考えて、気をつけて、神経を張り詰めていないと、すぐふにゃふにゃになってしまう。それでも職場では、もともと被っていた猫のおかげで随分楽なのだ。切り替えスイッチがあるらしい。
「そのうち慣れるだろ。紬さんも最初そうだったぜ。〝万里くんごめんねちょっと待って心臓落ち着けるから〟ってしゃがみ込むの、すげー可愛かったけど。今じゃあのニコニコ顔で俺を煽ってくるんすから」
「ぶはっ、紬の手のひらの上で転がされてんじゃんお前」
「アンタも頑張って千景さん転がせば?」
「無理だろ、いや可愛いけど。……可愛いな? 先輩が照れるとことか見てみたい」
 あの千景を操ることなんてできそうにないけれど、想像するのは楽しい。
 これからもっと楽しいことが増えていくのだと思うと、嬉しくてしょうがなかった。
「まだ始まって間もねえんだし、ゆっくり行けば? 相談とかは乗るけど、のろけは勘弁な」
「いやお前も大概のろけすごいぞ。……いちばんのろけ激しいのは紬だけどね」
「あーあれは無意識っつーか……だから余計にタチ悪いっつーか……」
「それな。万里、顔真っ赤」
「うっせぇ」
 耳まで赤くなっているような気がする、貴重なゲーム仲間をからかう。
 彼らのように自然な風が流れる間柄になれるまで、どれだけかかるかなと、至は少し息を吐いた。
 その時、小さなノックのあとに部屋のドアが開かれる。二人でそろって振り向けば、渦中の人物の姿があった。



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