華家
-HANAYA-
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No.352
カクテルキッス02 2018.07.01
#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #カクテルキッス
すう、すう、と規則正しい寝息が聞こえる。 千景はベッドの縁に腰をかけ、額に張り付いた至の髪をそっと…
カクテルキッス02
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すう、すう、と規則正しい寝息が聞こえる。
千景はベッドの縁に腰をかけ、額に張り付いた至の髪をそっと払いのけた。
ひどく疲れた表情をした至を見下ろし、眉間にしわを寄せてぐっと唇を噛んだ。
そうして自身に痛みを与えても、心臓の痛みはすべてを上回る。
「茅ヶ崎……どうして」
どうしてこんなところまで来たのかと、彼を責めたい。
なぜこの場所を教えてしまったのかと、密を責めたい。
なんでこらえきれずに抱いたのかと、自分を責めたい。
至はもう、気づいているに違いない。自分が、どんな世界に身を置いているのか。元々至に対しては、他の人間より話してしまっていたが、ジョークで留めておいてくれたはずだ。
だけどもう、ごまかしは利かない。いわく彼の妄想は、あらかた当たっている。
〝あの夜組織の命令で動いて〟〝あの製薬会社調べるために〟〝治るまで戻るつもりはなかった〟……すべてが事実だ。
知られてしまったと焦る思いより、心臓をかきむしりたいほど、幸福に感じることがあった。
至は、あの事件に千景が関わっていると分かっていながらも、火事を起こしたのは千景ではないと、断定しているような節が見られる。ただのひと欠片も、疑っていなかった。
それだけで、体が歓喜に震えたなんて、至は絶対に知らないだろう。
本来なら、組織のことを知られた時点で抹殺対象だ。以前であれば、目撃者も邪魔者も、すべて消してきた。以前のままの自分なら、至の喉に手をかけるくらいはしていたかもしれない。
それなのに、この手は至を抱くためにしか動いてくれなかった。
はあーとゆっくり息を吐く。
口許を手で覆えば、震えているようにさえ感じられた。
知ってしまった恋情は、どこまで育つのだろう。この感情で身を滅ぼすかもしれない。
いや、自分だけならまだいい。恋に溺れるあまりどこかでミスをして、劇団さえ危うい立場にしてしまったら――そう考えると、恐ろしくてたまらない。
抑えなければいけないのに、知られてはいけないのに、茅ヶ崎至という男は、簡単に決壊させてしまう。
「お前が怖いよ、茅ヶ崎……」
そっと髪を撫で、千景はベッドから腰を上げた。
至はきっと、気づいた千景の真実を、見て見ぬふりをするのだろう。千景が望むようにだ。
千景はキッチンへと向かい、ミネラルウォーターで喉を潤す。
「……ふ、っは……」
ごくりと水を飲み干して、ぐいと口許を拭う。
命をかけて守るものが、もうひとつ増えた。
千景はその対象を指折り数え、苦笑する。
「……重いな」
組織に彼らの存在を知られてはいけない。
彼に、これ以上踏み込ませてはいけない。
彼に……この想いを悟らせてはいけない。
潮時だと思いながらも、茅ヶ崎至へと向かっていく想いを実感するたびに、足下からざわざわとせり上がってくる幸福さに、愚かしいと拳を握った。
(駄目なんだよ、茅ヶ崎……)
これ以上は、本当に危険だ。
「何飲んでるんですか」
そう思って短く吐いた息は、背後からかけられた声に驚いて、ひゅっとまた口の中へ戻ってきた。
「……起きたのか」
「体が思うように動きませんけどね……」
振り向いた先に、シャツを羽織っただけの至の姿。さすがに下着は着けていたが、シャツの隙間から見えるキスマークが、情事の名残を匂わせていた。
千景は、眼鏡のブリッジを押し上げるふりをして、視線を背け、冷蔵庫を開ける。
「何か食べるか? お前、昼も食ってないんだろう」
「ああ、そうですね……シャワー、借りても?」
怠そうな声と仕種で、至はきょろりと室内を見回す。千景は顎をしゃくってバスルームを指し、至を誘導した。どうも、と小さく呟いて、至はそちらへ向かっていく。
千景はこっそり横目でそれを見送って、食材と酒類を台の上に並べていった。
数十分ほどして、至がシャワーから上がってくる。髪くらい乾かしてこいと呆れると、人の家でドライヤーの場所なんか分かるわけないと、反論された。
持ってきてやると、シャワーでさっぱりしたのか、至は上機嫌で温風を当てる。
まるで何でもない日常のようで、千景は苦笑した。
そんな日常はありはしないのにと。
「ねえ、もしかして、先輩が作ってくれてるんですか」
「他に誰がいるんだ」
「料理できたんですね。ほんとチートすぎ……」
呆れも諦めも混じらせて、至のため息がドライヤーの温風とともに空気を揺らす。
「大したものじゃないぞ」
「とか言いながら、なんか肉出てきたんですけど」
至はドライヤーをカチリと止めて、テーブルの方へやってくる。冷凍肉を使ったただのサフランチキンだが、千景とこういった料理のイメージが、どうも結びつかないらしく、口許はおかしそうにゆがんでいた。
確かに、作ることが特別好きというわけではない。が、スパイスの調合や買い込みは好きだ。そんなところを見るに、食べることは嫌いではないし、作るのもそれなりに楽しいのだろう。
「一時期、食べられないときが続いたけどな。こういうのは、嫌いじゃない」
至がテーブルに着くのを待って、トマトのファルシも追加して並べた。
オーガストの死と、ディセンバーの裏切りを知らされた頃、本当に何も喉を通らなかった。口に入れても、嘔吐感がこみ上げてきて、飲み込むことさえできなかった時期がある。
激しい怒りと、悔しさと、孤独。
それら全てが、生きることを拒絶しているかのようで、このまま死ぬかもしれないと思ったことさえ。
「……今は、そんなことないんですか?」
「そうだな……食べるのを忘れることはあるけどね」
「あー俺もたまに。ネトゲとか時間経つの早いんですよ。今は、臣の作ってくれる飯がうますぎて、食いっぱぐれたくないけど。まあ、あと、監督さんのもね」
至は胸の前で手を合わせ、小さくいただきますと呟いている。何だかんだで一般的なしつけを施されている彼を、羨ましいと感じてしまった。
ゲームに没頭して食べるのを忘れる、と何でもないように返してくる気安さに、笑える自分がいる。
千景が食べられなかった理由は、そんな軽いものではないのに、さほど重要なものでもないように受け止めてしまう彼が、憎らしくて、恨めしくて、眩しくて――愛しい。
「茅ヶ崎、何か飲む?」
「何があるんですか」
「日本酒と、ビール以外なら」
「マジか。……なら、この料理に合うもの、先輩のおすすめで」
「俺の?」
ん、と至が頷くのが見える。そう返されるとは思っていなくて、並ぶボトル類を眺め、そうして目蓋を伏せた。
「……何が出ても文句言うなよ」
「おk」
千景は、バカルディとコアントローを、シェイカーに量り入れ、レモンジュースを少し多めに入れる。
トップをはめて振ると、中の氷が音を立てた。押し上げて引き戻し、下げ、引き上げる。少しずつ速さを加えていくと、至の視線が、じっとこちらを見つめているのに気がついた。
「なに」
「いや、チートっぷりに驚いてるだけですよ。さすがにそれは予想してなかった」
「たまに作るだけだ。好みの味は、自分で作った方が早くてね」
シェイクし終えて、ショートグラスに中身を注ぐ。白いスモークのような色は、千景を満足させた。
そのグラスを、至の前に差し出す。
「初めて見ますけど、何ていうカクテルなんですか?」
至はそれをじっと眺め、千景を振り仰いでくる。どこかで、ホッとした。
そのカクテルの意味を、彼が知っていたらどうしようかと、期待と不安でいっぱいだったのだ。
気づいてほしくない、気づいてほしい。
自分でも、もうどちらの思いが大きいのか分からなくなっていた。
千景は眼鏡を押し上げて、レシピから話す。
「ホワイト・ラムと、コアントローっていうリキュール。あとはレモンジュース。レモンは少し多めにしておいたから、さっぱりしてると思うけど」
「へぇ……」
「カクテル名はXYZ」
「え」
至の体が、分かりやすく強張ったのが見て取れる。どういう意味で捉えたのだろうか。その反応を見るに、千景が込めた真実の意味には気づいていないのだろう。
それならそれでいいと、その方がいいと、千景は付け加えた。
「さすがに分かるか? それが、〝最後の〟って意味を持っていることくらい」
XYZはアルファベットの最後の三文字。噓偽りのない意味だ。
「あー、はい、さすがに。何だっけ、漫画でもありましたよね。もう後がないとか、助けを求める意味だとかって」
至の視線は、千景からずっと逸らされない。まっすぐに見つめてくるその瞳に、怯えはひと欠片もないように見えた。
「先輩。ひょっとして俺、知りすぎましたか?」
「……そうだな。お前の存在は、危険だよ」
「……ですよね」
至の存在に、心が乱れる。
鼓動が、分かりやすく跳ねる。本当に、危険な存在だと思った。
「茅ヶ崎、俺が怖いか?」
「はい」
迷いのひとつもなく肯定したにもかかわらず、至はようやくカクテルに視線を戻して、ためらいもなくグラスに口をつける。
その液体が至の唇を濡らし、口の中に流れ込むのを、千景はじっと眺めていた。
「え……な、に、これ、せんぱっ……」
至の手からグラスが落ちて、床で割れ、彼の体が傾いで倒れ込むのさえ。
どさり。
抱き留める資格はないだろうなと、彼の意識がないことを確認してから抱き上げる。
「……まったく、馬鹿な男だ……」
ひとまずリビングのソファに彼を寝かせ、食卓と割れたグラスを片付ける。ポケットに入れた小瓶の中身も、洗い流した。
#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #カクテルキッス