No.348

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愛のひとつも囁けない-014-

カクテルキッス02 2018.07.01

#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #カクテルキッス

 そうして何事もなく木曜が終わり、金曜日が過ぎ、至は土日のほとんどを部屋にこもって過ごした。 という…

カクテルキッス02

愛のひとつも囁けない-014-


 そうして何事もなく木曜が終わり、金曜日が過ぎ、至は土日のほとんどを部屋にこもって過ごした。
 というのも、ここ最近千景と過ごしていたせいで、大分ゲームの方がお留守になってしまっている。
 もちろんランクを大幅に落とすことはないのだが、一時期のように、何が何でも最大限の熱を入れて、ということはなくなったような気がする。
 春組に入って、他のメンバーの熱意に気が引けて、辞めようとしたところを引き留められて、もう少し真面目に取り組んでみようと思い始めた、あの頃とよく似ていた。
(ゲームより熱くなるものなんか、ないと思ってたわ。ましてや、真面目に恋愛なんてな。クソほど一方通行だけど)
 コントローラーを握る手も、できれば千景に触れていたい。画面を追う目にも、できれば千景を映したい。
 明日になれば会社で逢える。出先から直(チョク)で行く予定だと言っていたし、そうなるとあと十時間ほどだ。
 月曜日が待ち遠しいなんて、人生で初めてではないだろうか。
 初めての男は、こんな些細な初めてまでをも持っていく。
 勘弁してくれと、至はコントローラーを放り投げてソファに寝転んだ。
「マジ疲れる、ないわー……」
 もしも次があるのなら、もっと楽な恋がしたい。
 そう思う傍から、早く千景の顔を見たいと思ってしまうのだから、まったく始末に負えない。
 気づかれてはいけないという後ろめたさとスリルが、余計に思いを増幅させているかのようだった。




「茅ヶ崎さん、おはようございます。何だか嬉しそうですね? いいことでもあったんですか?」
 職場のエレベーターで一緒になった同僚に、そう声をかけられる。
「おはよう。そう見える?」
「見えます~月曜なのに、なんか羨ましい」
「ははっ、だけど別に、何があったってわけでもないんだよね~」
 至は職場用の顔と声でそう答えた。内心で、危ない危ないと冷や汗をかきながら。
(やっべー、そんなに浮かれて見えんのか。気をつけないとな)
 ようやく千景の顔が見られる――それだけで浮かれてしまえる、お手軽な恋。
 誰にも言えないけれど、本人に伝えられもしないけれど、些細なことで幸福になれるのだ。
 困った。相当溺れてしまっている。
 至はきゅっと唇を引き結んで、ニヤけそうになる口許を戒めた。
 そうして自分のデスクがある島に着いたが、千景の姿はまだない。寂しいような、心の準備をする時間ができてホッとしたような。
(心の準備って。ワロス。相手は先輩だぞ。……いるわ、準備)
 はあ〰〰と大きなため息をついて、慣れたチェアに腰を下ろす。
 千景に逢うには、心の準備がいる。恋心がダダ漏れにならないように、細心の注意を払わなければいけないのだ。
 自分は同僚かつ後輩で、劇団員としては先輩で、ルームメイトでセフレ。何とも面倒な関係である。
 ドキドキと胸が鳴る。
 小学生じゃあるまいし、そんな初々しい想いだけではないのに、逸る鼓動が治まってくれない。
 もう四日も逢えていない。寮で毎日逢えるようになってしまったからこそ、たった数日が長いのだ。
 至はパソコンの電源を入れ、今日のタスクを確認しながら、どうにかして落ち着こうと、ゆっくり深呼吸を繰り返した。
 だが就業時刻になっても、千景は出社してこない。
(……あれ?)
 遅刻だろうか。出先から、直接出社すると聞いていたのに、定刻を三十分過ぎても姿を現さない。電車の遅延かもしれない。始めはそう思っていた。
 だがさすがに一時間も来ないとなると、そんなものではないと思い始める。
 至は携帯端末を覗き込むも、連絡は来ていない。
 千景のデスクがある島をちらりと見やるも、誰かが慌てている様子はない。
 みんな自分の仕事に精一杯なのか、それとも向こうのチームには、何かしらの連絡が入っているのか。
『先輩、どうしたんですか? 今日は出社予定でしょう』
 至はそわそわとドキドキを抑えきれなくなって、個人LIMEにそうメッセージを落とした。
 既読がつかない。もともと即レスをしてくるような相手ではないから、それは別にいいのだが、何の連絡もないのが気にかかる。
 至は、思い切って向こうのチームに状況を聞いてこようと、腰を上げた。そのときちょうど、一人の社員が声を上げる。
「なあ、そういや今日卯木さんは?」
 ピタリと動きを止めて、至はその場できゅっと拳を握った。
(それな。つかそっちにも連絡ないのか?)
「あれ、えーと……」
「ああ、卯木ならちょっとトラブルだって連絡あったぞ。なんでも製品に不具合があったとかでな。検証作業に立ち会い頼まれたらしい」
「えええマジですか」
(マジでか。つか何それ。それならそれで、連絡くらいくれたって……)
 端末を見返すも、返信どころか、やっぱり既読もついていない。
 トラブルがあったというのは本当らしいと、釈然としない思いを抱えつつも、椅子に座り直した。
「あーあ。今日の交渉、ついてきてもらおうと思ってたのになぁ」
「一人で行け。俺だって助っ人欲しかったわ」
 千景は職場でも評価が高い。好きな相手の評価が高いというのは嬉しくて、じんわりと熱くなってくる胸を押さえた。
「そういや三課の拡販ルート広げるってヤツ、どこまで進んでんの?」
「あれしばらく無理でしょ。メインコラボの二次取引先、今大変なことになってんじゃん」
「……えっ、あっ、もしかして先週のニュースのとこ? うわー、キッツ~」
 そんな会話が聞こえてくる。どうも別の課で展開していた拡販企画が、ストップするようだ。年度予算の計画に盛り込まれていたはずなのに、大きな痛手となるのだろう。
(先週のニュース? ……ああ、やっぱりあれ、取引先絡んでたのか……)
 製薬会社が火災になったというニュースは、まだ覚えている。爆発があったなどという情報もあったし、火元の特定と原因の調査に入っていると報道されていたが、どうなったのだろう。社を挙げての新薬開発がなされていたのなら、損害はどれほどのものになるのか。考えたくもない。
 今はそちらの対応に追われるのだろうし、生産ラインや研究がストップしてしまうのも仕方ない。
「だってさあ、研究室ほぼ燃えちゃったんだろ?」
「なんか研究データも全滅って聞いたわ。死ぬ」
(データ?)
「作ってた薬のサンプルもなくなっちゃったんでしょ? 怖いよねえ~」
「データのバックアップは? 危機管理とかどうなってんだろ」
(……サンプルもなくなった? 燃えた、……消えた?)
 聞こえてくる会話の端々が、どうしてか至の頭に引っかかる。わりと最近、どこかで聞いたことがあるような気がした。
(待っ……いや、いやいやいや、ないわ。ない)
 そういえば、と端末の画面をスワイプして、アプリを立ち上げる。
 LIMEの履歴をたどる相手は、千景だ。
 逢えなかった水曜日のログ。
『とある企業への非合法な侵入と、データの窃盗ってとこかな』
 裏のお仕事ですか、と冗談十割で入れたメッセージに対して、千景が返してきたものだ。
 もちろん冗談だと思った。今だって、そう思っている。思いたい。
 あの火災のニュースが入ってきたのは、木曜の朝。つまりはこのメッセージがあった深夜、あの製薬会社で火災とデータの消失があった。
(待って……待て、馬鹿、そんなわけないだろ、ないわ!)
 あの火災で、逃げ遅れた人たちがいなかったのは聞いている。避難経路や物の置き方に関して、消防法に違反していたという報道もされていない。
 もし――もしあれが人為的な火災だったとしたら。人的被害が出ないよう、逃げられる時間を計算して起こされた火災だったのだとしたら。
 本当の目的が、データの消失あるいは窃盗だったのだとしたら。
(先輩、侵入(はい)った、……の、か?)
 嫌な仮定が、頭の中を廻る。
 あの日からろくに連絡の取れない千景。トラブルに巻き込まれたというあやふやな情報。度々会話に織り交ぜられてきた、〝組織〟の香り。
 ぞわ、と全身に鳥肌が立った。
(トラブルって、まさか……)
 至は瞬きも忘れて小さく顎を震わせた。
 ぶつかるかぶつからないかの震えで、時折歯がカチカチと音を立てる。
「茅ヶ崎さん? どうしたんですか? ちょっと、ねえ、顔真っ白ですよ!?」
 デスクの傍を通りがかった女性社員に声をかけられ、至はハッと我に返った。
「えっ、あ、ご、ごめん何でもない……」
「何でもないわけなくないです!?」
「おい茅ヶ崎、お前ほんと顔色悪いぞ? 体調悪いのか、早く帰った方がいいんじゃ」
「タクシー呼びます? あ、でも茅ヶ崎さんマイカー出勤でしたっけ」
 誰か送っていった方が、と続けられる会話のテンポに、思考がついていかない。
 正直、仕事が続けられる状態でないのは本当だ。この動揺ではまともに〝エリート〟の茅ヶ崎至を保っていられない。
「あ、だ、大丈夫ですよ……でも、ちょっと、早退させてもらってもいいですかね……出社早々で申し訳ないんですけど」
 こんなとき、外面だけは良くしてきた甲斐があると、実感する。誰も、何も、疑ってこない。
「一人で大丈夫か? 半休扱いにしておいてやるから、ゆっくり休め」
「すみません、ありがとうございます」
 ちゃっかり上長の許可を取り、至は帰り支度を調える。
 心配そうな顔の同僚たちに見送られ、エレベーターに逃れた。


#千至 #シリーズ物 #ウェブ再録 #カクテルキッス