No.320

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ONE NIGHT IN HEAVEN-001-

カクテルキッス01 2018.05.03

#シリーズ物 #ウェブ再録 #カクテルキッス

「え~、茅ヶ崎さんも飲み会行かないの~?」 甘えたような高い声が、耳を通り抜けていく。至はどうにかそ…

カクテルキッス01

ONE NIGHT IN HEAVEN-001-


「え~、茅ヶ崎さんも飲み会行かないの~?」
 甘えたような高い声が、耳を通り抜けていく。至はどうにかその女性の名前を思い起こそうとして――諦めた。同じ部署ならまだしも、交流のない部署ともなるともう分からない。
「ごめんごめん。かわいい妹が、俺の帰りを待ってるんだよね」
 それでもにこやかな笑みを返すあたりは、大人としての心得だ。
「あー、見たことある。髪の毛長い女の子。茅ヶ崎さんの帰りを待てるなんて羨ましい~」
「そりゃこんなにかっこいいお兄ちゃんなら、仕方ないよね~ブラコンでも~」
「あー、まあアイツもブラコンだし、俺もシスコンだし。じゃあそういうわけだから、ごめんね。飲み会楽しんできて」
 また来週、とひらり手を振ってやる。きゃあ、と小さな声が聞こえてきたが、至は構わずに背を向けた。
 面倒くさい。
 誰も見ていないことを確認し、至は心の中でそう思う。きっと顔にも出ていただろう。
 花の金曜日、そう親しくもない会社の同僚と、しaかも数部署合同での飲み会なんて、行っていられない。
 本当は妹なんか待っていやしないし、当然ブラコンだのシスコンだのは関係ない。
(はー、ほんと、面倒くさ)
 社会人になっていちばん困るのは、これだ。至はできれば仕事などしたくない。不労所得で生活がしたい。ゲームだけに興じていたいのだ。
 まあそうは言っても現実は厳しいもので、働かなければ賃金はもらえず、ゲームに課金できない。仕事が嫌いなわけではないが、こういった誘いを断るのは本当に面倒だった。
(劇団のヤツらと一緒にご飯とかならね、いいんだけどさ。何かジャンクな感じの)
 とはいえ、人付き合いが心の底から苦手というわけでもなく、親しい人間となら構わない。まさか自分が劇団員になるなんて、しかもまだ続いているなんて、一年前は夢にも思わなかったが。
 家族みたいな存在がそこにある。
 悪くないと思っていた。
 ただひとり、読めない男を除いては。
 小さくため息をつきながら廊下を歩けば、何の因果かエレベーターの前でその男の姿を確認してしまった。
 卯木千景。春組第四回公演から入団した男。
 度々公演を観に来ていたとはいえ、まさか入団までするなんて思わなかった相手だ。職場の先輩として多少知ってはいたが、距離が近づけば近づくほど、分からなくなる。腹の底で何を考えているか分からないのだ。
「せーんぱい」
「ああ、茅ヶ崎か」
「先輩も飲み会スルー派ですか」
 職場用のトーンで声をかければ、向こうからも職場用の仮面で返ってくる。外面だけ見ていれば、とても劇団であんな問題を起こした人物だとは思えない。
 この男には毒がある。
 以前から感じていたそれが、だんだんと現実味を帯びてくる。それがぞくぞくするほど心地いいのは、やはり毒だからだろう。
「俺が飲み会に参加すると思うか?」
「……ですよねー」
 抑揚なく返せば、エレベーターが生贄を受け入れるかのようにドアを開け、そろって飲み込まれた。
 狭くはないハコの中でも、退社時刻には大勢の人間がいる。金曜日ということもあってか、どの生贄もなんとなくそわそわとした様子だ。
 このぎゅうぎゅう詰めのエレベーターで、何を考えているのか分からない――もとい涼しい顔をしているのは、千景だけ。
 至はそんな千景の横顔を盗み見て、小さくため息をついた。
「先輩、取引先との飲み会にも付き合わないんですよね。それでなんであんなに成績いいんですか?」
 エレベーターを降りて、二人でそろって歩き出す。どうせ帰る場所は一緒だと、お互い何も不思議に感じていないようだった。
「秘密だって言っただろう」
「教えてくださいよ、俺にだけ、内緒で」
「お前だから教えたくないんだよ」
 思わせぶりに甘えてみせても、ふ、と笑うだけであしらわれる。そうなると思っていたが、実際にこうなると面白くない。
 千景は海外への出張が多い。もちろん国内でも顧客は多く担当していて、成績はトップクラスだ。至も悪いわけではないし、むしろ良い方だ。しかしもっと成績を上げれば、給料も上がって、課金額も増やせるかなと思うのだ。
 だが営業テクニックは簡単には教えてもらえない。ち、と舌を打った。
「守らなきゃいけないヤツだからな……」
 しかし、千景がぼそりと呟いた言葉が、至の耳にしっかりと届いてしまう。千景に好意を持っている女性ならば、ここでキュンと胸が締めつけられることだろう。至でさえが、ほんの少しドキリとしてしまった。
 その言葉の意味を考える。
「守らなければいけない」ということは、その秘密を知ったら危険が及ぶということだ。
「せーんぱい、まさかマジでヤバいことしてるんじゃないでしょうね」
 笑い混じりにそう返せば、眼鏡の奥の瞳が、鋭く射貫いてきた。だけどそれはほんの一瞬で、気のせいだったのかとも思える間。
「そうそう。茅ヶ崎、うちの会社にも結構ヤバい仕事やってる部署あるの知ってる? 裏の仕事ってヤツだな」
 次の瞬間にはまた、涼しい顔でそんなペテンで返してくる。本当につかめない男だ。
「企業スパイやら帳簿の改ざんやらいろいろね。賄賂なんか当たり前、ドラッグの売買もあるし、唯一ないのがコロシ、ってくらいヤバいとこ。俺はそこの部署兼任してるから、成績がトップクラスなんだよ」
「うわぁ中二設定キタコレ」
「お前に合わせてやったんだろ」
「アリガトウゴザイマス」
 おかしそうに肩を震わせる千景に、抑揚なく気持ちのこもっていない謝意を返す。どこまでが本当で、どこからが?なのか分からない。
 千景の言う言葉すべてを鵜呑みにするのは危険だと、長くはない付き合いの中で学んでいた。
「あれ。先輩、寮こっち……」
 ふいに千景がつま先の向きを変える。だがそれは、帰るべき寮への道ではない。至が千景の背中にそう声をかければ、振り向かないまま答えられた。
「今日は飲みたい気分だから」
 なるほど寄り道をするというわけか。会社の飲み会は行かなくても、飲むのは嫌いではないらしい。
「……先輩、俺も連れてってくださいよ。行くならお気に入りのとこなんでしょ?」
 そのまま帰ればよかったのに、至の唇は思うことと正反対の音を奏でた。
 だけど言ってしまったものは仕方がないと、千景を追うようにつま先の向きを変える。
「茅ヶ崎?」
「それともまさか、危ない仕事相手と待ち合わせ、――ですか?」
 スーツの袖をクンと引っ張り、仕返しのように千景を見据えた。まさか本当にそんな危ないことをしているわけではないだろう。そう思いたい。思いたいけれど、この男は謎が多すぎる。
 揺らいだ瞳が、レンズ越しに捕らえられたような気がした。
「謎は、謎のまま残しておくのもいいと思うけどね。構わないぞ、ついておいで茅ヶ崎」
 見透かされている、と気まずい気分になりながらも、拒まれなかったところを見るに、やはりあれは嘘なのだろうと安堵もした。


#シリーズ物 #ウェブ再録 #カクテルキッス