ただいま

 手塚が玄関のドアを開けると、いつもとは違う光景が目に入った。見慣れない靴が四足。リビングの方から、談笑している声が聞こえて、ああそういえば来客予定だったと思い出した。そのまま靴を脱いで整え、洗面所で手を洗う。そうしてからようやくリビングへと向かった。
「よう、お帰り手塚」
「ああ」
 ソファで出迎えてくれるのは、恋人である跡部景吾。もう慣れたと思ったが、いまだに胸が鳴る状況をどうしたらいいのだろう。
 手塚はソファへと歩み寄り、いつものように跡部へと手を伸ばす。顎を持ち上げれば跡部はそっと目を閉じてくれた。ふに、と優しく唇に触れて、すぐに離れる。心地良いいつも通りの感触にホッとした。
「へぇ……手塚って人前でそういうことするタイプだったんだ」
「いや俺ちょっとビックリしたんだけど……」
「俺らがおるん目に入っとらんだけとちゃうんか」
「別にボクらに牽制することないのに」
 ニヤついた滝の声音と、気まずそうな大石の視線。呆れた表情の忍足と不二。しまったと手塚は思った。彼らがいるのは玄関で認識したというのに、忍足の言うとおり目に入っていなかった。
「すまない、ついクセで」
 跡部に触れた口許を押さえ、客人の前ではしたないことだったと素直に謝罪する。
「クセになるほどしてるんだ?」
「まあつきおうとんのやから当然なんやろうけど、心の準備くらいさせてほしいわ……」
「悪いなてめーら。クセっていうか、約束みてーなもんなんだよ。帰ってきたらキスしようって」
 肩を竦める滝たちに、跡部がフォローを入れてくれる。それは確かに事実だった。ほぼ十年、お互いに長いこと片想いをしていた自分たちは、当然長いこと触れ合ってこなかった。想いが通じ合ってしまえばこんなにも自然なことのように思えるのに、相手と自分の世界を壊さないように、告げることを諦めてきたのだ。
 だから、触れたい思いとちゃんと伝え合おうという思いが、暗黙のルールみたいになってしまった。
「そ、そうなんだ……でもまあ、二人が幸せそうで安心したよ。俺、聞いた時に本当に驚いたんだ」
「フフッ、大石はあの時英二のお守りで大変だったものね」
「お守りって。観光は楽しかったぞ。その途中で不二から連絡きたからさぁ~」
 ウィンブルドン決勝戦。見事手塚が優勝を収めたあの日、滝と忍足は手塚の想いに気がつき、不二は跡部の想いに気がついた。まさか二人は両想いなのかと、お互いに情報交換をし合ったのだが、「十年も何をしているんだこの二人は」と呆れる気持ちの方が多かったようだ。手塚の気持ちを知っていた大石にも報告したら、絶句していたのを思い出す。
「越前もビックリしていたけどね」
「そうそう、パーティー参加できるの彼くらいだったから、手塚と跡部のこと見ておいてって頼んだんだよね」
「なにしてんだよてめーらは」
 仕方ないヤツらだなと肩を竦める跡部の隣に、手塚が腰を下ろす。仕方ないヤツらだと言いたいのは向こうではないのかと手塚は思うが、口には出さないでおいた。
「公表はしないのかい、二人とも」
 大石の言葉に、手塚は跡部と視線を交わす。考えていないわけではない。週刊誌にスッパ抜かれてあることないこと書かれるよりは、自分たちから公表しようと。
「いずれ、すると思う。俺たちだけの問題ではないので難しいんだ」
「時期を見ねえといけねえ。もしかしたら、引退する時になるかもな」
 なるほどねと四人が頷く中で、手塚はじっと跡部を見つめる。その視線に気がついた跡部が「なんだ」というように見つめ返してきた。
「そうなると一生公表できないかもしれないと思って。俺たちは生涯現役でいそうじゃないか」
「ハッハ! ジジィになっても現役か。いいなそれ、楽しそうじゃねーの!」
 高笑いをした跡部の指先が、手塚の顎を持ち上げる。客人たちが、あ、と言う間もなく、約束のようなキスが交わされた。
「いやホンマこっちにも気ぃ遣ってほしいわ……」
「親友のラブシーン見るとき程気まずいものってないよな……」
「写真撮って皆に送ってあげようかな……」
「景吾くん幸せそう……」
 それぞれが顔を明後日の方向へ向け、視線をそらしてやったのは、優しさなのか、それとも呆れだっただろうか。


 



2023/07/01